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浮き彫りになる世相と制度

2011-03-02
1日(火)四大学で発覚した入試流出問題。警視庁も捜査に乗り出し、偽計業務妨害容疑という耳慣れない犯行として追及されていくようだ。大学入試の公正かつ公平な実施という観点から考えれば、実に憂えるべき事態であり、犯人捜しが重要であることは言うまでもない。

 ただWeb上等の様々な意見を見ていると、果たして犯人捜しをすれば全てが解決するという問題でもなさそうだ。その行為が巻き起こしたものは、「入試を揺るがす」というのみならず、現代日本の世相と制度を浮き彫りにしているようにも感じられる。



 この日の、朝日新聞夕刊「素粒子」欄には、次のようにあった。

 昔カンペ、今カンケ―。カンペは自分で作るか友だちで回した。カンケ―はネットに丸投げ。世にはびこる「教えて君」。

 ググってコピペしてリポート一丁上がりも同じ感覚。答えはいつもネットの向こうにある。自分で調べない。考えない。

 「いいね!」の集中が何を生むのか。どこかの誰かのベストアンサーは真偽も問われず独り歩きする。どうも危うい光景。



 カンニング行為の問題性と同時に、世相全体にはびこるネット依存的思考停止状態を短文で鋭く指摘している。ネット内の情報が「真偽も問われず独り歩き」し、それを鵜呑みにしていく傾向は、何も若者に限ったことではあるまい。Web依存が強まれば強まるほど、自らの思考をどこで堅持するかという観点が不可欠になるはずだが。

 同時に、日本の大学入試制度のあり方が「根幹から」問われているようにも思える。あくまで「根幹から揺るがす」ではなく、問われているのである。今回の流出の対象となった和文英訳といった形式のあり方。そしてその文章の内容。Web上に短時間で「ベストアンサー」的な解答が顔を出すほどのもの。非常に単純な思考回路で和文を英文に変換すればよい。その内容について、受験生が自分と社会との関わりにおいて、何を考えどういう意見を持ったかは、全く問題にされない。勿論、小論文という科目が課されていれば、そんな観点から受験生は評価されるのだが。

 限られた日時の限られた内容で、語彙とその構成力という力を試す。その一発勝負に耐えうる為に、「入試に出るか出ないか」という観点で受験勉強に励む。社会の中での問題意識や、文化の背景を考えるような教養的な思考は「受験には必要」でない。そんな長年実施されてきた日本的入試制度の限界が垣間見えるのである。

 一部で「愉快犯」などという語彙で報道もされるが、果たして「愉快」という概念で括っていいものか。「許されてはならない」を前提としながら、社会全体が「犯人を叩く」ことだけに傾倒することなく、世相と制度について問題意識を持って思考すべきであると思うのである。
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