茂木健一郎氏の連続ツイート「病気」

2011-02-28
27日(日)毎日のように茂木健一郎氏が、連続ツイートなる投稿をしている。一つのテーマを設定し、その内容に関して7〜8回のツイートを連続しながら論じていくのである。さながら、ブログをツイート化したような形式であり、導入すればTwitterの可能性を存分に拡げるものとして一見に値する。

この日の題目は「病気」であった。最後の方の投稿には「病気を病気であると認めない者にそれと認識させるにはどうしたらよいか」というような趣旨のことが呟かれていた。「病気」の具体例として挙げられていたのが各国の歴史的な一長一短。例えば、アメリカは「銃規制を頑なに反対する病気」であるが、裏を返せば「国家独立精神に富んでいる」というもの。イギリスなら「時代遅れの階層意識」があるが、「ハイカルチャーを守る」ことに長けていたと。中国は「中華思想」が欠点であるともいえながら、「自分たちの流儀を貫く芯の強さ」があるという。そこで日本はというと「行き過ぎた同調主義」が欠点であり、ゆえに「新卒一括採用や大学入試にきしみが生じている」と裏返しの利点を挙げることは敢えてしていなかった。

日本の現状は、それほど「病気」の中の「病気」だと言えるような窪みに落ち込んでいるという茂木氏の認識が覗える。若者の就職状況の行き詰まり感。ここ数日、大きな騒動になり始めた入試問題を携帯から漏洩投稿する行為。勿論、この騒動などは、当事者が「異常だ」「不正だ」=「病気だ」として世間は取り沙汰するであろう。しかし、茂木氏は、他のツイートでも、「日本型大学入試のきしみ」と捉えていたようだ。「内向き」な現状の日本社会の随所に様々な「病気」が「病気」のままに放置され、頽廃していくと考えているのだろう。

物事を創造するには、社会から「病気」と見られる地点から始まるような場合が多い。この日、ようやく映画「ソーシャルネットワーク」を見たが、主人公のマーク・ザッカ―バーグは、大学内で当初は「異常な病気」であると認識されていたと言えるだろう。しかし、複数の訴訟を経て後、その開発したFacebookの力は、世界で様々な地殻変動を引き起こしている。北アフリカの連鎖的な民主化運動を見れば、それは一目瞭然である。マークの尋常ではないIT上のハッカー技術は、映画で見ていても「病気」と思えるような「高度さ」を備えている。様々な抵抗にめげず、自己の主張を貫き、「病気」という認識を「注目の的」に変換することに成功したといえるだろう。

組織や社会から「病気」と認識されているものが、その殻を破り外界に放たれたとき、実は高度な発想により行動できる資質が発露することがある。茂木氏も「(自分は)魂が落ち着かない」として「どんな組織や肩書にも安住の地はない」と呟く。そしてジョンレノンのカム・トゥギャザーの歌詞「彼の安楽椅子腰掛けると、彼の病気を感じることができる」という訳詞を紹介していた。権力者は己の正当性を主張し、第三者的に間違いを犯していても、なかなかそれを認めない。それを外殻から打ち破る力が、今やSNSであり、それが地球上を席巻しようとしているようだ。



せめて背後に崇高な可能性を秘めた「病気」でありたいと、自らを顧みて思う。
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声優・若本規夫氏の泥々感

2011-02-27
26日(土)昼過ぎから早稲田大学「日本語教育と音声研究会」に参加。この日は講演者として声優・若本規夫氏が招かれていた。サザエさんの「穴子さん」とか、プリズンブレイク「セオドア・“ティーバック”バックウェル」の吹き替えなどでお馴染みであるベテラン声優である。もともと若本氏は早稲田大学のご出身であるという繋がりもあるようだが、大学の研究会における講演としては、実に豪快で型破りな内容でもあり、逐次会場を笑いの渦に巻き込んでいた。

講演題は「音声で気持ちを伝えるー声優としての表現の工夫」というものだが、声優というのは、音声のみが勝負であるという既知のことを改めて痛感した講演であった。アニメのキャラクターの声を多く担当してきた若本氏。その身体的にイメージするものから、声を(キャラクター)に「当てていく」という表現。キャライメージがないナレーションなどの場合は、配役されたからには自信を持って、自分の個性的な声で勝負するという。ゆえに、映像吹き替えも含めてアドリブが多くなるというのだ。

多くの若手声優などは、「怖くてアドリブに踏み切れない」という。それは至極当然かもしれないが、若本氏は個性的にならなければ、この業界では食っていけないと豪語する。その奥には、「泥々の人生」があるというのだ。決して「綺麗に歩もうとしてはいけない」という言葉には、様々な紆余曲折を経て声優という道に辿り着いた重みが感じられた。その上で、「本音と建前が混ぜられる声優」こそ貴重で、「(声に)裏が出てこないとつまらない」という。このあたりは、悪役の声を演じることが多い所以を感じさせた。

日本語教育の視点からも、いくつかの質問があったが、アニメなどを通じて「日本語がわからない外国人に声の力で感動させる」ことが究極の達成感であるという。また、どんなキャラクターでも拒まずに務めてきたことも若本氏の哲学であり、「母音の声質に気を遣う」とか、「耳に馴染まない言葉は丁寧に発音する」というような基本的な言語理解にも長けているあたりが、豪快かつ繊細な魅力であるようだ。

日本語教育には「サザエさん」が最適というのも、新たに知った視点であった。「穴子さん」のおっとりした感じを、他の悪役キャラと同じ声優が演じているということを認識するだけでも、若本氏の多様性を感じることができる。そのために、毎日舌や口唇などの鍛錬は「アスリート的」であるともいう。まさに「目から鱗が落ちる」内容の講演であった。

学問を学問的な殻の中で考えるのは、それはそれで大切なことだが、様々な混沌とした生き方をしてきた人々の至言に耳を傾け、多方面と交流していく大切さも改めて思い知った1日であった。

声の力の偉大さ。改めて自分自身しかできないこだわりの境地を発見する。
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月光の聖者達−「今はどんなにやるせなくても・・・」

2011-02-26
25日(金)枯渇した仕事場での日常を過ごしていると、心に栄養剤を投じたくなる。不毛な成果主義による数字へのこだわり。結果は結果であり、仕事として真に必要な精神は何であるのかと、根本的な「志」のあり方を考えてしばし沈思する。それが社会だと言えばそれまでだが、流れ任せの頽廃的な人生はご勘弁願いたい。

今週23日に発売になった桑田佳祐のニューアルバム「MUSICMAN」を帰宅途中で購入した。迷わずDVD付の初回生産限定盤を手に取った。小生がショップにいる間に、他に女性が2名続けてレジに並んで購入していたので、発売3日にしてかなりのヒットが予想される。

帰宅して食事を済ませ、早速CDをかけてその音楽に浸る。一通り聞いたところで、TV朝日のMS(ミュージックステーション)が始まり、桑田佳祐自身が復帰後初出演であった。1度CDを聞いたのち、何より心に浸透したのは最後に収められている曲「月光の聖者達(ミスタームーンライト)」である。初回生産限定盤にのみ付属されている「BOOK  MUSICMAN NOTE」には、桑田本人が各曲についての思い入れ等が記されている。それをMSの他のアーティストの出番をそっちのけで、「月光の聖者達」に関して読んだ後に桑田佳祐の出演場面になった。

MSの番組内では、「銀河の星屑」をまず歌う。その曲調の滑らかさを、バイオリンによる効果的な演奏が引き立てていた。2曲目は、やはり「月光の聖者達」。桑田自身がかなり思い入れの強いことも伝わってきたが、その感慨をそのまま感じ入ることができて、ついつい涙腺が潤んでしまった。番組を見る以前の下拵えがよかったのは確かだが、その歌詞内容とともに桑田佳祐の感性と表現力は、圧倒的に偉大だと改めて思った瞬間だった。


現在(いま)がどんなにやるせなくても
明日(あす)は今日より素晴らしい
月いざよう秋の空
月光の聖者達(ミスタームーンライト)
Come again please
もう一度 抱きしめたい


CMでも流れているこのフレーズには、桑田の魂の叫びがある。昨年の癌発覚からの闘病生活。このアルバムを制作中に見舞われた衝撃的なニュースであった。しかし、ご本人もそうであろうが、必ずやまた復帰してくれるであろうことに疑いはなかった。そんな厳しい精神状態の中で制作された1曲。冒頭に書いたような、仕事上の些細な悩みで混沌としている自分が情けなくなってくるほどの感性である。

桑田がこの曲について書いたNOTEによると曲冒頭にある「夜明けの首都高走りゆく 車列は異様なムードで」にある「車列」とは、ビートルズが来日公演した時、羽田到着から宿泊先へ移動する際のものだという。それをTV中継で見た幼少時の原体験により、桑田は今でも音楽に関わって生きているのだというのだ。その時から、日本という国も、人々も変わってきた。それが「二度とあの日の僕には戻れはしないけど」という人間としての普遍的な感慨に集約していく。だがしかし、そこを見つめ直し「かつてのいつかの自分とは決別する」ということを「その喪失を嘆いてダメだ」という桑田の鮮烈なメッセージになっているのだ。

「昨日まではどんなに調子が悪くても、明日は良くなるんだ」という桑田の55歳になる人生の経験であるという。

本日2011年2月26日をもって55歳になる桑田佳祐さん。昨年の闘病生活を経て、また新たな音楽と感性の局面を見せてくれているような気がする。



桑田さん!お誕生日、そして復帰おめでとうございます!

そして最高のアルバム、本当にありがとうございます。

「明日は今日より素晴らしい」を胸にまた前に進めそうです。
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深夜のコミュニケーション

2011-02-25
24日(木)SNSを介したコミュニケ―ションの重要性が語られている。この日の朝日新聞朝刊「論壇時評」にも、東浩紀が北アフリカを中心とする一連の政治的な革命について触れて「(SNSを介して)情報の真偽よりコミュニケーションの有無の方が重要だ」という点に注目しつつ、いくつかの論考を紹介していた。そして「国家対国家」や「イデオロギー対立」を軸とする「従来型政治」の上に、「ゆるやかな(ソーシャルな)政治層」ができつつあることを指摘している。

そんな社会を小生の身の上で考えてみると、確かにこの1年間、SNSを介して政治が身近になった感覚が、リアルに得られる。Twitterを介して、ある政治家との交流があり、その懇意にする方々とのコミュニケーションが充実した。そしてSNSの中に、世間に報道される世論とはまた違う方向の見解が、示されていくことも多いのに気付いた。

それはWeb上で架空のものとして終わることなく、現実の人的な交流に確実に発展していると言える。この日も、職場の外部組織の会合、その後、軽い飲み会を経てのち、馴染みのワインバーに立ち寄った。するとメディア・出版関係の方々やフリーのライターの方とグラスを並べることになった。

何気なくカウンターで隣になったライターの方が、妙に人懐っこく小生に興味を持って会話をしてきた。そして既成の仕事・社会に囚われた生き方を激しい調子で批判してきた。そのやや勢いのある語りかけに嫌悪感はなく、むしろ殻を破り超えた生き方をしている人間の、ある種の到達点であると感じた。

真に教育や社会を考えるのなら、世界で紛争がある地域に出向き、そこで子供たちに触れ合わないと、何も語れないと彼は言う。確かに、この平和過ぎる日本にあって、何が本質であるかということは、社会に甘え、お金に甘え、既存の職業に甘えているゆえに、目を向けてるつもりでも、視野がそちらまで広くならないのかもしれない。

そんなある意味で、今現在を根底から覆すような考え方を、初対面の人間に語れるという、このライターの生き様に、ライブ感をもって甚だ共鳴することができた。

話は深夜にまで及んだ。ここ最近、そんな時間まで酒を飲んだことは珍しい。

SNSを介したリアルな現実が深夜のワインバーで展開した。たかが何時間か前まで。
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匿名・実名の狭間

2011-02-24
23日(水)「中国・インド・フェースブック」という時代になったのだという。人口6億人の居住する、巨大SNSがFacebookである。世界のWeb人口が20億人といわれるので、ほぼ四分の一以上は席巻したということになる。昨年のTwitterに続き、今年はその波が日本に押し寄せているような流れである。この大きな特徴が、実名主義であるということ。なりすましや複数のアカウントを許さない仕掛けが内部に施されている。その実名性という点に、日本人が一番馴染みにくいのではないかと言われている。

小欄の立場を見れば明確であるが、匿名で毎朝、前日に考えたこと感じたことを綴っている。匿名性を以て行う以上、固有名詞や特定の状況に配慮しなければならない。かといって、まったくの妄想世界を描いているかというと、そうでもない。現実に自分が体験したことがもとになっている。むしろ実名性を以て描けば、更にリアルな内容が主張できるはずだ。そんな匿名と実名の狭間で、正直揺れているのが小欄の現状でもある。

また開設以来、小欄ではコメントを受け付けるように設定していない。ほぼ一方的に自分の意見をWeb上に公開しているということになる。いわば双方向性には全く配慮していないことになる。小欄の趣旨である「心を虚にして」この点を考えてみると、甚だその存在意義が問われてくる。唯一、自分自身でその意義を認めるならば、小生を知っている特定の人が、小欄を読んで、日々感じたことを共有してくれることだけだ。

組織に属していたり、ある団体に属していると、関連した批判的な内容というのは書きづらい場合もある。されど、その随所で感じ取った問題意識こそ、小欄のネタになったりするので、むしろ匿名ゆえに書くことができる内容もある。特定の問題意識を一般化し、世間に提示することで、小さな喚起をすることができると信じているからである。そうは言ってもやはり、匿名性の限界もあり自己満足や自己欺瞞に陥る状況も否めない。

Facebookへの登録を考えている今、小欄の存在がたいそう揺らいでいる気がする。はてまた希少な匿名性による価値を堅持していく意味があるや否や。年度末に向けて、その存在価値を検討し模索する日々が続くであろう。

この文章を書いている脳は、既に歯磨・洗顔・朝食と同様な習慣になっているのだが。
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暴走自転車にご用心

2011-02-23
22日(火)毎週火曜日恒例の英会話教室前に出向く洋食屋さんカウンター。店に行くと近所の常連らしき年配男性が1人カウンターに座っていた。小生は寒風の中を自転車で来たせいで、顔が赤味を帯びていたのであろう、店の奥さんが「まだ自転車は寒いですね。顔が赤いですよ」と声を掛けてくれた。すると、その年配男性が、「自転車は車道を走りますか?歩道ですか?」と問いかけてきた。「基本的には車道ですが」と答えると、「最近は歩道を暴走する自転車が多いね」という反応であった。

道交法の改正で、自転車も軽車両ゆえ車道を走るということが明確になったようだが、どうやら有名無実な法律になっているらしい。かくいう小生も、かなりの部分で歩道を走る。それは車道を走るのがかなり危険であるという、東京の道路事情もある。「自転車歩道通行可」の標識があり、歩行者との分離線が引かれている歩道ならいいのだが、中には狭い歩道も少なくはない。そんな状況で、歩道をかなりのスピードで暴走する自転車があるというのだ。この年配男性の妻は、過去に自転車にぶつけられて骨折をしたというのだ。また、車を何度か自転車にぶつけられて、警察を呼んでも埒が開かない場合があったという。

店主夫婦も交えて、そんな暴走自転車の話題が次から次へと出てきた。携帯で話しながら、場合によっては携帯画面を見ながら自転車に乗り前を見ていない者。歩道を歩いていると自転車のベルを連呼して、歩行者はよけるのが当然だという顔をして走る者。青信号で横断歩道を渡っている歩行者にぶつかりそうになりながら、信号を無視して横切る者。車道を走るのはいいが、逆行して走って来る者。狭い路地をから飛び出してくる者等々。街中はさながら暴走自転車に溢れかえっているという話になった。

自転車の場合、自動車と違って保険に加入している場合も少なく、ぶつけられて怪我をしても、金銭的な補償を受け取ることはかなり難しいという。要するに当てられ損になってしまうのだ。それなりの金属物体が生身の人間に衝突したらどうなるかという、想像力に欠ける人々が、暴走自転車を駆っているようである。

その後、年配男性は店を去り、常連の老人がやって来た。「自転車には気を付けて下さい」と、声を掛けると、「歩道でも自転車が来ると歩みを止めるようにしている」という。ゆっくり歩く老人にとって暴走自転車は、かなりの脅威であるようだ。

駅前の放置などを含め、自転車を取り巻く問題は多い。自転車置場や自転車専用道路の整備など、行政による施策も必要であろう。それにしても、自転車に乗る際には、歩行者や周囲の安全に配慮する、基本的なマナーを遵守する義務があるはずだ。せめて歩行者を追い抜くときは、「すいません、ありがとう」の気持ちを持って通り過ぎたい。歩道が歩行者優先であるなどという、道交法の内容に拠る以前の問題として。

社会がどのように構成されているか。そんな視点が、年齢を問わず希薄になってきているのかもしれない。歩行者もいれば、自転車を利用する者もいる。そんな他者意識が薄れてくる社会に、明るい未来はない。
 自分自身を顧みながら、敢えて言う。自転車に乗ったら暴走するなかれ!

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パンダが上野にやって来た

2011-02-22
21日(月)上野動物園に新たなパンダ2頭がやって来た。暫くの間、パンダがいなかった上野動物園に、再びパンダによる活気が戻ることが期待されている。この日のTVニュースなどでは、四川省から上海に着いたとか、上海を飛び立った、そして成田に着いた、夜遅くに上野動物園に着いたと、その行程をつぶさに報じていた。当の上野動物園では、夜遅くにもかかわらず、地元の方などがプラカード持参でお出迎えをしていた。パンダそのものが見られるわけではないのだが。それほど地元の方々が、上野近辺に活気が戻って欲しいと願う表れであると感じた。

ここのところ東京スカイツリーの建設に伴い、東京下町が改めて脚光を浴びている。一時期は東京西側山の手一帯の繁華街に対して後塵を拝するような状況が見られた。しかし、江戸時代以来、上野周辺はなんといっても東京文化の中心地でもあり、戦後はアメ横のような商業地の中心でもあった。そんな元気な上野が復活するために、スカイツリーとパンダのコラボレーションが期待されている。

今回の2頭のパンダは、「仙女(シェンニュ)」と「比力(ビーリー)」という名前だ。このように一部の報道では漢字を使用し表記しているが、中にはカタカナ表記だけの場合もある。漢字で書かれた中国語の読みをどうするかという点では、最近、中国語読みがそのまま行われるようになった。日本漢字音を当てはめて読もうとする方が、違和感を持ってしまう情勢に変化してきたとも言える。欧米言語の場合は、元の発音を基礎としてそのまま呼び習わすのだが、漢字という共通文化がある日中間では、固有名詞を中心に日本漢字音への置き換えが行われてきた。しかし、今回のパンダの場合などに、「センジョ」「ヒリキ」などと呼ぶのは、どう見ても人気を復活させる感覚にはならないのだろう。ある意味で、中国語読みする以上に、中国的な印象さえもってしまうかもしれない。そんな感覚に昭和以来の(いや、更に奥深い歴史があると予想するが)日中交流史があるような気がする。

ならば一層、そのまま中国音で「シェンニュ」「ビーリー」と呼び習わしてはどうだろう。しかも漢字表記を前面に出してそう呼ぶのである。TV報道では、2頭のパンダに新たに名前を付けるなどと言っていたが、小生は反対だ。パンダは上野動物園に来ても「中国の」パンダであるには違いない。現に今回はワシントン条約により、中国側が日本にレンタルする契約になっているという。年間約8000万円を10年間に渡って日本が支払うのだという。東京都が支払うのか、国が支払うのか財源の問題は知らないので報道に委ねるが。ならば尚更、彼らを中国名で、しかも漢字を使って呼び習わすべきではないかと思うのだ。

最初にパンダが来たときは、日中友好の懸け橋のような存在であった。「カンカン」「ランラン」の畳音の名前も愛くるしく親しまれた。しかし、漢字はどうであったかは記憶にない。小生自身が未だ中国語学習をする以前の出来事であったからかもしれない。他言語にして共通なる文字を使用するという中韓日という文化圏の中で、その文字文化の歴史に依存しながら、共有できる部分は配慮をしていくべきだと常日頃思う。身近で親しまれるパンダのような存在だからこそ、そうあるべきだ。漢字を殆ど使用しなくなった韓国との文化交流では、そのまま韓国語の発音で呼び習わしているではないか。しかし「計算」「簡単」「約束」等(URAKARAという番組で韓国アイドルグループのKARAが紹介していた)、ほぼ発音も意味も共有する単語があることを、我々は更に知るべきである。

小生にとっても上野は幼少の頃から親しんだ街だ。新たなパンダの来訪により、既に「古き良き」になった昭和の活気が戻ることを願う。いや、それは「古き良き」という過去の記憶の中にあるのではなく、新たな時代の新たな「活気」であるべきであろう。この2頭のパンダをどのような名で呼んでいくのかには、今後注目したいと思うが、少なくとも昭和に始まった日中国交正常化以来の年月を積み重ねた上での、成熟した感覚を望みたい。



しかし、なんてパンダってあんなに愛くるしく、癒される存在なのだろうかね?!
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突然の訪問者

2011-02-21
20日(日)日曜日の午後、珍しくも携帯が鳴り響いた。休日に電話を掛けてくるのは実家の母ぐらいなので、そんな予想をしながら着信を見ると、めったに電話をしてくることもない従妹であった。電話に出ると、散歩がてら小生の家の近所まで来ているという。「部屋はちらかっているよ」と断りつつ、「上がらないし、お構いなく」というので、まずはマンションのエントランスまで出迎えてみた。昨年産まれた赤子を抱き、旦那と二人で笑顔の来訪であった。

本当に上がらないわけにもいかず、日曜日の突然の訪問者を迎える。昨年末に力を入れて大掃除をしていたから、それなりに整理整頓はされており、卓上などはあまり物を置かないことを実行していたのがよかった。何とかリビングのテーブル椅子に迎えることができた。それにしても、出せる飲み物など缶ビールぐらいしかなく、お茶を出すにも何かと整っていなかったので、「お構いなく」は現実になってしまった。

赤子は従妹の胸に抱かれて眠っているから、そのまま下せないという。その状態で暫く談笑。出産時に病院などにも行けなかったから、初めてこの幼い赤子の顔を見た。そうこうしていると、新たな環境に来たことを察知したらしく目を覚ました。起きれば泣き出すのかなと予想していると、小生の顔を見てニコリ!やはりどこかで血は繋がっているようである。従妹曰はく、小生の母などは毎度お決まりでこの赤子を出産直後から、叔父に似ていると繰り返していたらしい。出産直後なら猿のような赤い顔だろうが、それを「酔った時の叔父に似ている」と言ったというから、流石である。

そんな突然の来訪に、心がなぜか和んだ。昼前に届いた空気清浄器と掃除機の箱がそのまま置かれていたので、これからの時期は花粉がきついという話題も。従妹もやはり花粉症に悩まされているらしく、空気清浄器の購入を検討しているという。ならば、出産祝いがまだだったので、その足しになるようにお祝いを送金することに決めた。実はかなり近いところに居住していた従妹。ゆったりした日曜日に一筋の安らぎをもたらしてくれた。

その後は、新品の掃除機で部屋内を徹底的に掃除。サイクロン式の吸引力は、以前の充電式とは比べ物にならないほどだ。ハウスダストでのアレルギーがある小生ゆえ、今後は掃除の頻度を更に上げようと決めた。さらに空気清浄器を設置して起動。なぜか室内の空気が穏やかになった気がする。今年は花粉量がかなり多いという予想だが、自分の家の中なら、問題なく快適に過ごせる環境が整備された。

夜には大学院で共に学んだ研究者仲間にメール。ある事情を書いた返信を数時間後にはくれて、小生の心は一気に解放された。こうした人間的な繋がりこそ、小生が意図していた今年の目標でもある。

新たな自分を発見するには、こんな突然の来訪者が契機になる。そんなことが人生にも多々ありそうである。
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優柔不断の極み

2011-02-20
19日(土)仕事を終えてすぐに馴染みのカフェへ向かいランチ。職場から離れる自分は何とも潔いほどだった。しばらくカフェの店主と談笑。いつもの四方山話。日本の政治はどうなるのか?メディアの質が低過ぎる、などとお互いに日本の行く先を憂える。小生が、このように巷間での話題作りが大切だと提案すると、「商売人は、表面的に頭がよいような顔をしているのは、どうかと思って迷うんです。」と店主。確かに、友人の床屋店主は、政談もするが俗な話題にも通じている。野球の球団などをどこが贔屓だなどとは、最初からは言うべきでないと思っていると聞いたことがある。昔から「床屋政談」とは言うが、さながら「カフェ政談」も悪くはないのではないかと小生は思うのだが。

その後、時間が来たのでマンションの管理組合理事会へ。今季、理事長を務める組合も最後の理事会となり、来月の総会でお役御免である。その場で話題になったのが、組合総会への出席率。昨年も疑問であって小欄にも書いたが、住人の多くが、管理組合への姿勢において「他人任せ」である。何とか来月の総会には、少しでも多くの方が参加できるように方策を考えた。小さな居住地域共同体の中で、人間関係を良好に保つのは、何らかの事が起こった際に、実に重要であると思う。

理事会を終えて帰宅。急に気が抜けたようになってしまい、この土曜日の宵のうちをどのように過ごしたらいいかわからなくなってしまった。何もないならジムに行こうか?でも日常と変化がないのは、土曜日の夜にして無益か?一層、寝込んでしまうか?などと行動の行先が定まらなくなってしまった。昨日のように、前へ進むためにはジムへ前向きに行くしかない思い立ち、用意をして一旦は家を出る。しかし、何となく淀んだ曇り空を見上げると、また気が滅入ってしまった。こんなことは過去に例がないが、家から数十メートル歩いて、引き返してしまった。

ならば、酒でも飲みに行こうと急転換。決断力に長けているのか、優柔不断の極みなのか、もうわからなくなってしまった。多分、後者に相違ない。一旦乗りかかったジムへの船が岸から離れたのに、引き返したのだから。

行く先は赤坂。普段はあまり行かない街がいい。それに来月行われる職場のパーティー後の、スタッフによるお疲れ様会の幹事を自ら請け負った。他人に委ねて納得のいかない店に行くのが、嫌であるからに他ならない。いくつかWeb検索しておいた店を訪ねて、個室の予約状況や雰囲気を確かめた。最初はカジュアルな店にしようかと思ったが、案内をしてくれた店員の態度が不遜に感じてしまいボツ。静かな佇まいの隠れ家的な店に決めた。顧客の関係者が、その日に出入りしそうな駅至近の店を避けるという意味がある。「お疲れ様会」こそ、仕事感覚から完全に解放されたいと思うゆえである。

3軒ほど店を下見したので、お腹が空いた。せっかく赤坂に来たのだからと思い、音楽バーにでも行こうかと思いついた。店まで行ってドアを開けたが、ピアノの音色も人気もないような雰囲気に幻滅。土曜日の夜は、やはり人手が少ない。不景気風も強まっており、常時音楽の生演奏などというのは、幻想の果てにあるのかもしれない。そんな所で、一人グラスを傾けても空しくなるだけだと思い、一歩踏み込んだ店から入り口に舞い戻った。幸い店員などは小生が一歩店に踏み込んだことに気付いてさえいなかったようだ。またまた、優柔不断の極みが顔を覗かせた。

ならばこの空腹感はどうしよう?自分を温かく迎えてくれるのは、やはり第二の故郷である。母校の大学がある街に自然と足は向いた。それでもなお、優柔不断は続く。一番懇意にしている小料理屋は、団体の宴会をやっている風で、もしや会いたくない知り合いが多数いたらどうしようと考え始めた。通りの反対側から店の中を伺うが、やはりなかなかカウンターの隅にでも入り込む勇気がなかった。仕方なく、老舗おでん屋に向かい木の引き戸をガラガラと開けた。

ようやく温かいおでんにありつけた。ちくわぶ・大根・もち巾着・昆布・はんぺん・焼売とおでんの味を堪能した。酒はビール1本のちににごり酒へ。あまり愛想がよくない店主が、「今日は仕事?」とぶっきら棒に聞いてくる。「まあいろいろとね」と答えると、「奥さんは?」とまた不躾に。「今はアメリカで研究中」というと「淋しいね!」とようやく打ち解けてきた。この店の雰囲気は、こういうもんだと、次第に嬉しくなってきたところで、店はラストオーダー。

店を出て大学の象徴たる建物を見上げに行く。学生時代から、いや受験をして人生を切り開いた時、この時季にこの正門から試験会場に入って行ったのを思い出す。今もあまり変わらない光景。試験会場という大きな立て看板には、横の学部部分だけを張り替えて、試験期間中はこの場所に立てられている。ある意味で、誕生に次いで人生の原点になった場所がここである。改めて創設者の銅像に敬服し、再起を誓う。

そのまま、そぞろ歩きで帰ろうかとも思ったが、やはり馴染みの店で、先日ご馳走になったお礼を述べようと思い再訪。団体客は知り合いの医師の宴会だとわかり、躊躇なくカウンターの隅へ、懇意になった女医さんが笑顔で迎えてくれた。団体が帰り、常連である医師夫婦のみに。店主夫妻が洗い物をする中で、そのまま暫く政談など。知らぬ間に「日本防衛論」に話は飛躍して、お互いが主張をぶつけ合う展開に。時計はいつの間にか深夜になっていた。

ようやく気分が落ち着いた。自分でもどうしようもない程の優柔不断な行動の数々。心の中の混迷を攪拌する必要があったみたいだ。議論的に話すだけ話して、ようやく酒のお蔭もあって、普通になれた。

優柔不断の極み。それを自覚する彷徨の夜も必要だったのかも。

自分が踏み出した一歩を尊重して、人生の歩みは続く。

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期待回路の遮断方法

2011-02-19
18日(金)期待が大きいほど、それが裏切られた時の反動も大きい。人生一寸先は闇であり、何が起こるかわからない。しかし、人間はその知性を使用し何かとその「一寸先」を予想しようとする。おまけに予想に留まらず、様々な妄想をする。たいていが生活がどう変化するかとか、期待する場所への交通手段など他愛もないことを妄想するものだ。ゆえに、期待があればあるほど、その妄想の域までが消滅することになり、それまで積み上げた思考回路を、消去するのに要する時間が延びる。ならば過剰な期待はしないほうがよいということにもなる。

希望を抱き、夢への第一歩として、期待を持って書類に託したことが、何らかの俎上で自己の計り知れない判定を受ける。自己の力ではどうにもならない場所で、様々な風波を受けて、一定の結果となって帰ってくる。その間に、前述した期待と妄想の期間があり、そして一通の封書でいとも簡単に裏切られる。事務的な書類は徹して冷淡であり、気の利いた文言などを見出すことは稀だ。その冷徹さを受け止めた時に、さてどうするか?

まずは、更なる妄想を即座に中止することだ。人間の頭はある意味で精巧であるから、一定の間、妄想に浸るとその回路が出来上がってしまう。だがしかし、回路を使用しなくなると、次第に記憶から消去され、期待自体が間違っていたことに気付く。それにしても期待の裏切りを受け入れるのは容易でないから、回路の遮断に有効な方法を考えなければならない。

回路の遮断には、家などに籠るのがなにより不適切である。頭の中だけで回路の遮断をしようとすると、更なる不毛な思考回路を駆使することになる。その過程は、まさに脳回路の浪費であり、何ら建設的な一面は見当たらない。なので、脳だけにそれを委ねていてはならない。「前向きに」を体現するように、自ら「前に歩く」ことが必要になる。

身体が脳を補助するようにするには、運動が一番だ。身体を動かす回路を使用すれば、余計な回路は一旦休止する。単に歩くだけでもよいが、更に激しい運動が適している。エアロビクス的な様々な交感神経を使用するような動きは、何ともありがたい。それであっても、どこか期待が裏切られたことへの嫌悪感が、心の中からモグラのように顔を擡げることもある。それならば更に激しく、自分の身体を追い込むことで、次第に思考回路は遮断されていく。

夜郎自大だったか否か?そんなことは考えても仕方ない。自分がまた一つ殻の外に出たのだと自覚して、一皮むけた清新な自分として、前に進むのだ。

余計な期待(妄想)回路とは、すぐにお別れである。

それには身体を動かす行為が必須であるようだ。
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