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生い立ち「俺は何者か?」

2011-01-31
30日(日)ゆったり朝寝をして、悠然と起きる休日。寒い朝に布団から出ないでいいのは、最高の快楽だ。何となく平日に起きる時間帯頃から、夢うつつな状態が続き、夢を見やすくなるのも特徴かもしれない。この日も、不思議な夢を見ながら温かい布団に包まれていた。一体、自分は何者で、どんな生い立ちであるのか?改めてそんな考えを予感させる夢であった気もする。

 昼から髪カットへ。その店主とは同年代で、彼が修業時代から長年の付き合いだ。自ずとこれまでの人生を背負っているような話題になる。弱冠20歳ぐらいからの自分が透けて見えるのも、彼との付き合いが成せる業だ。カット後に、落ち着いて1杯のコーヒーを共にいただく。

 寒い中、自転車を飛ばして、馴染みのカフェでランチ。昨年来知り合った店主夫妻との会話は、最近の自分のあるべき道を映し出す。自らのTwitterをフォローしてくれている件など、それが多方面の方々と交流しているのを、店主婦人が親しげに話題を振って来たりする。

 夕刻から、カナダ・モントリオールから一時帰国した知人と、その父の登山家。そして小生の両親とともに、昨夏、お世話になったカナダ人の英会話講師をお招きして、寿司屋で宴会。酒のお蔭で言葉の壁を越えながら、楽しい時間が過ぎて行った。知人はフランスで生まれ、英会話講師はカナダで生まれ、小生は東京の下町で生まれた。それぞれに生い立ちは違えど、様々な話題に花が咲く。特に小生の場合、両親を前に自分のアイデンティティーとは何かを改めて考える機会にもなる。自分は何者か?

 それは、この日の夕方に偶然見た、NHK「ラストディズ」で「松田優作×香川照之」という番組が印象に残ったからかもしれない。松田は、常に自らの「在日」という生い立ちを背負い、父の顔を知らないという疑問から発し、台本などにもこだわり迫真の演技に繋げていたという。やはり父と疎遠であった香川は、役者駆け出しの頃、松田と出会い、これぞ父のような存在だということを発見し、心酔したという。しかし、1年もしないうちに松田は他界。最後に香川に残した言葉は、「タイプは違うが、お前は俺になれる」だったという。香川の真実に迫る演技の奥深さは、このような経験に支えられていたことを初めて知った。「俺は何者か?」その自問自答は、ライフワークとする自らのプロフェッショナルな仕事に、自ずと大きな影響を及ぼすものだ。

 自らの生い立ち、そして今の自分、これから先の自分。こんな思いを新たに携え、1月最後の休日が過ぎる。
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同志の酒

2011-01-30
29日(土)午後から学会の例会に出て、研究発表を2本聞いた。それぞれの立場からの実践や思い入れのある発表が展開された。質問にも立ち、前向きな疑問をぶつけてみる。新しい地平を開くためには、質的な内容批評がどうしても必要だ。その流れで、懇親会に誘われたが、この日は先約があった。

 大学の講師室で待ち合わせたのは、大学院修士時代の学友である。専門は違うが、ある授業が契機となり、ここまで10数年間の付き合い。一昨年は旅行先のアメリカで落ち合い共に楽しんだ経験もある。お互いの経歴も同じようなものがあり、むしろ専門が違うことが、不思議と刺激になり、お互いを高め合っているような間柄だ。

 修士時代にもよく行ったおでん屋に行くと、「本日貸し切り」の張り紙。それならばと、馴染みの小料理屋へ。カウンターを占拠して、しばし楽しい会話が続く。そこには、何ら利害関係のない純粋な研究への疑問、社会への疑問、そして様々な思い出話に花が咲く。

 同志は、この4月から在外研究でアメリカに渡る。約10ヵ月間、日本に帰れないことがやや不安だと漏らした。「いや~こちらは羨ましい限りだ」と返すと、「それはご尤も」。夏休み中に、彼の研究先の大学を訪れる約束をした。その足で、近辺を周遊しても面白いという話に展開。アメリカでの夏休みに妄想が膨らんだ。

 妻が留学中である小生は、様々な話を聞いているので、アメリカでの暮らし方に、ある程度の知識がある。銀行口座の問題、滞在先の問題、車を所有する事情等々、知っている範囲のことは、いろいろと伝えられた。だがやはり旅行と実際に滞在するのとは、わけが違うのであろう。そうこう話しているうちに、小生自身がアメリカで滞在生活をしたいという願望に駆り立てられた。

 「いい酒だな〜!」と二人でほろ酔い。帰り際には、店からおにぎりのお土産付。「今食べたくなっちゃうな〜」と同志が言うと、マスターは、「店で食べたら金とるよ」と冗談交じりの笑顔。二人で2つずつのおにぎりを手に帰路に就いた。

 バスに乗ると、おにぎりの袋から感じる温かさに負けて、「今のうちが美味しそうだ」ということになり、酔いに任せて車内でガブリついた。そんな行儀の悪さを、酒とこの街が許してくれる。研究への志を持って出会った、崇高な仲間同士。こんな付き合いを、今後もぜひ大事にしていきたいものだ。

 酒は楽しんで飲むべし。心通いあう同志との酒は格別であった。
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継続の脂肪燃焼

2011-01-29
28日(金)昨年9月来、金曜日の夜は有酸素運動のスタジオプログラムに参加してきた。その数16回となる。最初は、その動きの激しさに付いていくのがやっとであったが、さすがに回を重ねると、慣れてきて動きも軽快になってきた。同時にやっていて楽しさまで伴うようになり、最初から考えると継続の大きな力を感じる。少しだけ体験して、自分に適合するか否かなど判断できない。ある程度の継続があってこそ、その内容が楽しいかどうかも分かってくるというものだ。

 金曜日の夜となれば、酒などの誘惑も多い。しかし、何か願を掛けるように、毎週金曜日はジムのこのトレーニングプログラムに参加してきた。インストラクターとも、だいぶ顔馴染みとなり、いつも笑顔で会話ができるようになった。この日も、レッスン後にストレッチをしていると、そこへインストラクターが来てくれて、「だいぶ動きがよくなりましたね!」と微笑んでくれた。「強いて言えば姿勢がこのようになると更にいいと思います」と上達のコツも教えてくれた。毎回、レッスンに出てきた継続性が、人間関係も円満にしてきてくれたのだ。

 このプログラムでは、やはり脂肪燃焼が目的となる。現状の体脂肪率から3%ほどは下降させたいと思う。体組成が測定できる計測器もジムで購入。日によって体脂肪率も上下することを、改めて知った。しかし、その平均値は確実に下降しつつある。イチローさんの体脂肪率は6%と驚異的だが、アスリートとしての身体管理の賜物というしかないだろう。我々一般人は、そこまでは無理としても、せめてその倍、10数%程度に維持したいと考えている。現状が16%〜14%の間ぐらいが常なので、ここから3%〜4%程度は下降させたい。

 継続は力なり。そんな言葉を実感した金曜日の夜。精神的な願掛けの成果は未だ訪れないが、継続してきた自分の意志を、賞讃してみてもいいのではないかと思ったりもした。月4回を4か月継続というだけでも、なかなかの成果が出るものである。何事も「明日は今日の積み重ね」である。

 爽快な気分となって、寒空も気にならずジムから自宅までの帰路を元気に歩く。また脂肪が燃焼する。
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知的な誠実さ

2011-01-28
27日(木)物事に対するときに、「知的な誠実さ」を持ちたいと、常日頃から心掛けている。知性と教養のない日常的行動こそ、何より避けたいものだ。巷間であれ、やや知的であるはずの仕事場でさえ、知性が感じられない言動を見聞すると、耳目を覆いたくなるような気分になる。

 この日の『朝日新聞』(朝刊)に東浩紀氏が「論壇時評」を寄稿していた。そこには「情報技術の可能性に対する無理解と無根拠な反発」が、現状の社会「構図」として存在することを述べていた。その中で「知的な誠実さ」という語句を次のように使用している。


  「ネットを導入すれば、すべての問題が解決だとはだれも主張していない。むろん問題は残る。しかし、そこに新しい道具があるならとりあえず使ってみる、それこそが知的な誠実さではないのか。」

 「道具の善しあしを喧しく論じる前に、なぜそれを用いて社会を変えないのか。批評型から提案型へ、10年代に論壇が生き残れるかどうかは、そのような体質改善ができるかどうかにかかっている。」


 小欄の存在自体がそうであるが、ネットを使用し日々の思いを主張する。日記帳という個人のみの閉塞的な中でのみ、このような文章を綴っているのと、このように不特定多数の他者に公開するのとでは、意味合いがだいぶ違うはずだ。もちろん匿名性の問題を含めて、日記帳のそれとはやや性質を異にするのも事実である。その断層上の問題はともかくとして、自身の客観化を公にしていくことに、確証的な意味づけが十分にできているともいえない。しかし、この新時代の日記帳があるなら、「とりあえず使ってみる」ことに、大きな意義があるとも言えるであろう。

 コメントの無条件な享受等を含め、小欄にも多々問題は残ろう。だが、まずは続けてみることを前提に、500回に近づきつつある。この自身の足跡に、大きな意味が与えられるのは、今すぐではないかもしれない。しかし、書き続け公開することの継続性が、必ずや何らかの意味を持ち始める日が来るはずである。

そんな行為自体を「知的な誠実さ」だと思い、愚直に文章を綴る自分自身の朝が、また一つ加わる。

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人間動物園

2011-01-27
26日(水)もうかなり前のことだが、TVのCMで人間動物園というものがあった。動物たちが、外側から人間の不可解な生活を眺めるというもの。我々が、動物たちを見て楽しむのとは裏腹に、人間の行動こそ珍奇で見るべきものがあるという発想で作られたCMであった。見方を変えると人間も檻や水槽の中にいる動物なのだ。

 組織という枠の中から解放される。次年度の構想から外れ、自由な身になる。ゆえに組織という水槽の中の人物の動きが、この人間動物園のように見えてくる。組織に存在する独特なローカルルールに脅え、その空気に逆らわないように群れ、与えれた栄養により空腹を満たすがため、従属的な拘束を一身に受ける。その動物園レイアウトが手に取るように見える。

 サル山の大将かと思っていた勘違い猿は、いつしか周囲にいる人物から知らん顔される。他者を排斥していた狐は、いつしか自身が排斥されるような身をとなり、どの檻にも入れてもらえない。群れを先導するリーダーに信頼はなく、集団は思い思いの方向に移動する。リーダーだと見栄を張っていたゴリラは、用がなくなるとみるや勝手に餌だけを食べる。様々な動物が、それなりの動きを見せる。

 そんな檻や水槽の中で、さらに棲息するのは困難だ。広い大海には、様々な興味が満載であり、自分自身が活き活きと行動できていくだろう。檻や水槽の理屈に悩んでいた日々の、卑小さと意義のなさを今更ながら自覚する。

 人間も動物であるが、知性と理性のある動物であることは矜持したいものである。
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寝坊という快楽

2011-01-26
25日(火)寝坊を悔やむか?それとも休養として享受するか?朝起きるとそんなことを考えることがある。ここのところの冷え込みのせいもあって、朝型の小生にしては、布団から出るのが遅くなってしまう場合が増えている。その1日を有効に使うには、午前中の充実が不可欠だが、暖かい布団の中で、「今少し」の快楽は何とも言えない。

 睡眠の専門家からすると、休日の寝坊は平日プラス2時間が適切であるという。寝貯めはかえって睡眠リズムを崩してしまい、逆効果であると理由だ。同時に、やはり起きてから睡眠をどう受け止めるかという精神的な影響は、実に大きいと思う。

 この日は、ゆっくりプラス4時間ほどの睡眠。冒頭のようなことを考えたが、すぐに前向きに行動した。パスポートセンターへ更新の受領へ。その後は、東急ハンズで買い物。夕方から英会話教室と、動くことで充実感が湧いてきた。

 休日を心から休める状況が訪れれば、「寝坊は快楽」という意味が更に深まるはずだ。
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やはり加速の1月最終週

2011-01-25
24日(月)1月も最終週になった。元日から1日1日を大切に精一杯生きる、などと息巻いてきたが、やはり中旬ごろからの加速感はかなりのものだ。ここまで加速度がついてくると2月・3月も言わずもがなである。ただ、それだけに今一度、腰を据えて1日1日を噛み締める毎日を取り戻さなければならないとも思う。

 時間の加速を嫌悪するのは、待つべきものがあるから。そして毎日が、自分の意志にはそぐわない流れ任せの仕事をしているからでもある。「志」ある仕事上の目標に向かい、毎日を重ねられれば、いかように加速しようともやりがいはあるというもの。年頭に立てた自分の意志が反映される場で、自己の良さが全開で発揮できる仕事がしたいものだ。

 東京では今年初めての雨。まとまった雨ではないが、乾燥しきった空気に、このお湿りは貴重である。乾燥することが通常になってくれば、少々の雨でも「変化」として喜べるのが人間の情だ。心の中もそうで、乾燥しきっていることに、慣れてしまうのは恐ろしいことである。心には自然と雨は降らないので、自ら水分を求めて歩むことも必要だ。

 さて!今一度、新年の充実感を思い出し、心に潤いを持ちながら毎日を歩こう。毎日という「今」を踏みしめていくことしか、輝かしい未来への道はないはずだから。
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TARAKOさんライブ

2011-01-24
23日(日)

 年をとるたび何かが減ってく 現実だけが全てになる
 人の目ばかり気にしてちゃ  大切なものは見えなくなるね

 だんだん だんだんでいいんだよ
 今日のいっこ 明日に重ねてね
 だんだん だんだんがいいんだよ
 無理したって たぶんそんなに変わらない


ちびまる子ちゃんの声で有名な、声優・TARAKOさんのライブを観に行った。「Poco a Poco」と題し、南青山マンダラで行われた。先ごろ行われたお芝居「rit」で使用された曲(前掲歌詞)を中心に据えて、出演者の方々が舞台で様々な歌声を聞かせてくれた。

 このライブに行くきっかけは、馴染みの居酒屋で、TARAKOさんが常連客であることから、その店主夫妻に誘われたからだ。その店では、何度かTARAKOさんにはお会いしたことがあり、実に親しげに接してくれた経験がある。声を出せば、日本国民の多くがわかる有名声優が、何とも庶民的に小生などに応対してくれたことが、何とも喜ばしい経験になっていた。そんなことで、店主夫妻のお誘いに便乗したわけである。

 音楽プロデュースは、「あなた」のヒット曲がある歌手・作曲家の小坂明子さん。ライブ後半は、出演者たちが懐かしのヒット曲をメドレーするなど、実に楽しいライブであった。その中にも、声優さんならではの趣向があり、時折、キャラクターの声なども混ざる。「唄う・語る」という声の妙に聞き入る2時間半のライブだった。

 ライブ終了後は、居酒屋店主夫妻と、他の常連さんたちと店で宴会。異業種様々な人々が集まり、ライブの話題のみならず、様々な話に花が咲いた。自分の仕事上の交友では出会わない人々の話を聞くのもおもしろい。新鮮な魚や蟹に舌鼓を打ちながら、日常を忘れる時間が過ぎゆく。居酒屋とは旧来、このような社交場であるはずだ。

 TARAKOさんの温かみのある人柄、それはちびまる子ちゃんの健気な発言を見て聞けばわかる。この声にも、我々が日曜日の夕方に、日常を今少し忘れ続ける癒しが感じられる。声で語りかける人間味ある交流に浸った1日であった。

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地域に生きる

2011-01-23
22日(土)やや心が萎える日は、馴染みのカフェで癒される。昨年5月に開店した、自宅近くの1軒だ。常連として行くと毎度温かく迎えてくれる。以前からこんなカフェが欲しかったのだが、ようやくそんな店に巡り合えた。メニューの内容はもとより、店主夫婦との会話が楽しみである。忙しい時間帯を除けば、たいていカウンターで何らかの話題で、話す時間が訪れる。それこそ自分が地域の住民として、1軒の店と繋がっているという感覚があってよい。

 この日は、まさにその「地域」の話題となった。1週間ほど前に、この店主夫妻は町内会の新年会に出席したそうだ。昨今、町会という共同体自体の関係性が薄れていく中で、店を経営するという立場とはいえ、地元を大切に思う気持ちの表れであると感心した。店主らはもちろん、店をこの地域に構えているだけで、居住しているのは他の地域である。しかし、その参加した町会新年会で「店を通して地域に貢献できたらと思っています。」と発言し、参加者から賞讃されたという。穏やかな店主の人柄から、利害を超えた気持ちの温かさを周囲が感じたのであろう。

 そんな意味では、小生は現在居住のマンションで、町内会との付き合いは皆無だ。今年度はマンションの管理組合理事長を拝命しているのだが、町会には組合から町会費を納入するだけである。祭りや年末の餅つきなどのイベントが掲示板に紹介されるが、未だ足を運んだことはない。問題は、震災などで助け合いが必要になったとき、果たして地域の人々とどのように連携をとって、切り抜けるかということだ。その時だけ、つまり自己の利害が絡んだ時だけ、町会費を払っているという理由で恩恵を被るのも、虫のよすぎる話だとも思う。

 カフェでの話題は、Twitter等のネットワークに及んだ。店主婦人も小生のアカウントをその場で検索し、フォローしてくれた。そのWeb上の繋がりでいえば、Twitterを通して区長と何度かやりとりをしたことがある。小生のごとき一区民に対して、ご丁寧に何度かRTや返信をしていただいた。そんな意味では、区単位での地域に、小生のできることで何らかの貢献をしてみたいという思いがある。仕事や友人関係とはまた違う、地域の人々との関係性から見えてくる視点が、必ずあるはずであろうから。

 そうこう話をしていると、すっかりカフェに長居してしまった。コーヒーのお替りまでサービスしてくれて、今週の締め括りが充実した。

 その後、夕方からちょいと足を伸ばして、昭和の香り漂う商店街へ「おでん種」を買いに行った。そして厚揚げは豆腐屋さん、みかんは八百屋さんと3軒、商店街の個人商店で買物をした。この商店街には今も、こうした個人酒店が頑張っている。おでん屋さんのおばさんも、いつも笑顔で小生を迎えてくれる。小さな地域貢献だと思いつつ、スーパーでの無味乾燥なおでん種や豆腐では、納得できない自分の舌も満足させる。

 自分がどんな地域で生きているか。それを改めて考え、そこに生きる人々との繋がりを重視する姿勢を再認識した。日本全国で、そんな小さな動きが積み重なり地域が再生することを暗に望みながら。
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誕生日に望むこと

2011-01-22
21日(金)365日の中でも誕生日というのは、やはり特別な日である。自分自身でどうしても様々な意識を持ってしまう日と言えるかもしれない。ゆえに、できるならば特別な事があって欲しいと望んでしまう日でもある。

 朝起きて、最初に誰がどんな形で「おめでとう」を言ってくれるかにもこだわりがある。以前はそんなことは考えたこともなかったが、妻と生活をしてから、そう思うようになった。朝起きたら「お誕生日おめでとう!」を言うというのが、何より生活をしている証でもあるからだろう。

 そこで、この日も毎朝のごとく、起きるとすぐにPCに向かう。最初に見たのがやはり米国留学中の妻からのメール。しかも、グリーティングカード形式になっていて、メッセージに音楽まで付いていた。これにはいたく感激した。たぶん、「朝起きると・・・」を意識して、時差の中でそんな時間を見計らって贈ってくれていたのであろう。

 その後は、夜までなんとも平凡な1日であった。この世に生を受けたことに感謝をし、その母からも携帯にメールが届いたことぐらい。夕食、ジムといつもの金曜日が自然に過ぎていった。自分が期待する特別なプレゼントは未だおあずけ。今しばらく辛抱するとしよう。


 最後に、小説『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)からこの台詞。

 「大事をなそうとする者にはみな天がついちょるもンじゃ!」



 生を受けた記念日として、新たに自己の生き様を考える。

 
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