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龍馬の足跡を辿る京の旅(その2)

2010-12-25
24日(金)今年はクリスマスイブなどという感覚を脱して過ごそうと思い、京都に滞在している。それでも街は華やかなイルミネーションに彩られ、夜ともなれば街行く人々もイブの夜に興じている。観光客としての利点は、比較的見学地が空いていること。その利点を活かし、いざ龍馬の足跡を辿る旅の2日目である。


 三条界隈に宿を取る小さな理由として、三条大橋の袂にあるスタバで朝食をとりたいからということがある。この日も、宿を出て最初に向かったのはそこ。向かいに老舗の豆屋さんがある。そこに以前は九官鳥が飼われていて、「豆ちゃん!」と喋り、通りがかりの人たちに愛想を振りまいていたが、この日は「豆ちゃん」の声は聞かれなかった。寒くて中に入っているのか、それとも。豆ちゃんの消息を気にしながら、ラテと野菜ロールを三条大橋を見ながら食す。

 そこから昨夜も徘徊した木屋町通りを歩き、朝の高瀬川の風情を味わう。昨夜の喧騒が嘘のように静かな中、岡田以蔵の刀痕を探したがとうとう見つからなかった。地図によると何となく客引きをしているお兄さんが、朝から立っている店のあたりなんだが。これ以上、ウロウロして、この手の店に入ろうかとモジモジしていると思われ、声を掛けられそうなので、次なる行程に向かう。

 四条通りに出て、鴨川を越える。三条大橋との距離感を感じながら渡りきると右手に京都南座。そのまま直進し、過去に立ち寄った店などを懐かしみながら、八坂神社境内へ入る。参拝をしつつ、境内を抜けると、今は冬木となっている有名な枝垂桜がある円山公園内へ。まずはここに坂本龍馬・中岡慎太郎の銅像があるはずだ。意気逸る足取りは、時として目標物を見過ごす。いつのまにか長楽寺・大谷祖廟の方まで達していた。どうやら銅像は円山公園の中のようだ。軌道修正し引き返し、公園内を更に奥へ。先ほど、通った道の左奥、木々に隠れていて気付かなかったところに、立派な二人の勇姿が見えてきた。昭和9年建立、第二次世界大戦にて、金属として供出。その後、昭和37年に再建されたそうだ。表示には、「坂本龍馬先生」「中岡慎太郎先生」となっている。

 そこからねねの道を抜け、高台寺を過ぎると、維新の道へ。この旅行の最大の目的「坂本龍馬の墓」がある、京都霊山護国神社の入り口に連なる坂道だ。坂道の途中に「維新の道」の石碑。そして右手には「翠紅館」。文久3年(1863)「八月十八日の政変」前夜、長州・土佐の志士たちが討幕の密議を行った場所だという。これを「翠紅館会議」といい土佐藩の武市半平太なども参加していたという。

 坂を登りきると、まん前の丘に墓地らしき段々なる土地が見えた。そここそ龍馬・慎太郎が143年間眠っている墓である。他にも木戸孝允など、幕末の志士たちが多く眠る墓所だ。入り口で入場料300円、硬貨をそのままゲートに入れると改札のバーが自動で開く。しばらく石段を登ると、「坂本龍馬・中岡慎太郎の墓」が目に飛び込んできた。早速、それぞれの墓前に手を合わせる。昨夜、何度も見た近江屋跡地での凶行で絶命し、慶応3年(1867)11月18日にこの地に葬られたという。太陽暦の採用は明治5年(1872)であるから、太陰暦(旧暦)によれば、この日は11月19日。まさに143年目を過ぎたばかりといってよい。次第に吹きすさぶ風が寒さを増してきた。龍馬暗殺の日も、霙交じりの寒い夜だったという。立て看板の解説を改めて読むと、墓に向かって左側には、龍馬の用心棒役、元相撲取の藤吉の墓もある。当初から、藤吉の墓にも頭を垂れたいと思っていたのに、見逃していた。改めて3人に墓前に深々と拝礼した。龍馬は今でも、この高台から西の方角を見つめ、日本の行く末を案じていることだろう。日本を何とかせねば、という状況は今の時代も我々に突きつけられた課題だ。龍馬の強い意志と行動力にあやかりたい。

 墓参後は、霊山歴史館へ。ここは維新の歴史ミュージアムであるが、12月26日まで「大龍馬展第?期」が開催されている。入場料700円を支払い、館内へ。最初の見所は、「龍馬を斬った刀」だ。龍馬暗殺の首謀者・実行犯は様々に諸説があるが、有力なのが京都見廻組説。その一員である桂早之助所有の刀が、「龍馬を斬った」として展示されていた。刀身1尺3寸9分(約42.1?)、予想より短い刀である。これにはある理由があった。2階の特設展示で
その謎解きはされているようだ。

 その2階に上がり、壁にある長大な年表で、まずは明治維新の歴史を復習。教科書で高校教師から学ぶときは感じられなかった、熱き思いが伴う。本来、歴史はこのような自発的な動機で、今の自分における意義と照らし合わせ、問題意識を持って学ぶべきものだ。知識のみを空欄に押し込み、解答するだけのものではない。年代や人物名を覚えることに腐心するのではなく、自らが生きる為の問題意識を養うべきだ。暗記すべきものは意識を持てば覚える。時間が経って忘れれば調べればいい。学校における歴史教育の意義を再考すべきだ。

 龍馬の書状や、関係した人物の書いた様々な資料複製の展示。更に幕末を揺るがした京都三大事件の映像。池田屋・寺田屋・近江屋である。いずれも今年放映された『龍馬伝』でも描かれた事件だが、現場に居た人物の手記などに基づき再現された歴史考証的な映像は、ドキュメント的な色彩もあり、興味深かった。その映像のもとになっているのが、再現模型である。4人の新撰組が、池田屋に踏み込み密談する20人以上もいた志士たちを斬り、また捕縛する。龍馬の盟友・亀弥太も斬られ、かろうじて脱出したが絶命するシーンが『龍馬伝』にもあった。その凄惨な現場が模型で再現されている。

 また龍馬が狙われた寺田屋騒動。後の龍馬の妻、お龍が入浴中に外の異変に気付き、半裸で龍馬らに知らせ、そして薩摩藩邸まで駆け込むのは、『龍馬伝』でも緊迫して描かれていた。その際に、龍馬が使用した高杉晋作から貰い受けた短銃の複製の展示。

 そして龍馬暗殺の近江屋事件。京都見廻組説に基づき、近江屋内部の再現模型。龍馬が致命傷を負うまでの過程が、詳細に映像化されていて引き込まれるように見入った。暗殺実行犯が短刀を使用したのは、近江屋の天井が低く、長刀が使いにくい為だという。龍馬を襲った桂早之助は、まず一太刀目で龍馬の額からこめかみを斬る。しかし、これは大きな痛手ではなかったという。床の間にあった刀を取りに向かう龍馬に、二太刀目。風邪を引いていた龍馬は厚着をしていたので、背中から腰を斬られたが、これも軽傷。三太刀目を龍馬は、手に取った刀で受け止めるが、鞘が抜けない。おまけに長刀は天井に触れて自由が利かなかったともいう。鞘で受けた短刀をこらえた龍馬であったが、そのまま押し斬られる形となり、前頭部に致命傷を負う。暗殺指揮役の「もういいだろう」の声に暗殺実行犯は引き上げたが、龍馬は隣の部屋まで這って行き、近江屋の主人に医者を呼ぶよう声を掛けたという。「脳をやられた・・・」。用心棒役の藤吉も、階段下で背中を斬られて倒れこんでいたという。真実は微妙に異なるかもしれないが、この凶行の全貌を知ることができた。再び1階の展示には、龍馬らの血しぶきが飛んだという屏風の複製。床の間にあった掛け軸なども展示されていた。

 じっくり見学した霊山歴史館を、後にして清水寺方面へ。途中、蕎麦を食べてから清水寺参拝。今年の漢字「暑」も展示されていた。

 夕刻となり、八坂の塔から祇園方面へ。花見小路には提灯に灯りが点り始めていた。ふと舞妓はんが2人、路地から現れる。予想以上に早足だ。それを外国人観光客が、俳優を追いかけるかのようにしてシャッターを切る。静かで上品な小路に、しばし喧騒が横切る。


 宿に帰ってしばし休み、夕食は先斗町のお好み焼き店へ。常連さんがカウンターを埋め尽くし、4人掛け卓しか空いてにない。どうも1人で4人卓というのは調子がでない。店の人とも話せず、常連さんの雰囲気のままに、お好み焼きを食す。しばらくすると、トナカイのマスクを被ったりしている仮装した4人組が登場。これまた常連さんのようだが、更に店は余所者には不似合いな雰囲気に。焼酎1杯のみで、すぐに店を出た。

 宿の近くに気になるBARが。その名も「Fenway Park」。小生が愛するMLB球団・ボストンレッドソックスの本拠地球場の名だ。しかも「球団公認」とか。これは通り過ぎるわけには行かないと思い、足を運ぶ。店主がレッドソックスの大ファンだということで、球団社長の公認証も見せてもらった。レッドソックスの知識に関しては、自負があるので、店主に負けじとチームの現状や魅力を語った。それを丁寧に受け答えしてくれて、しばし時間を忘れた。時計は午前1時。再び楽しいカウンターコニュニケーションで、お好み焼き屋での不満が解消した。

 目的も果たし満足の第2日目、深夜の就寝。

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