龍馬の足跡を辿る京の旅(その1)
2010-12-24
23日(水)休日でありながら、早朝から爽快に起床。やはり旅立つ日は、特別に胸が高鳴るものである。小欄の更新、その他、やっておくべきことを順調にこなしていると、携帯電話が鳴った。会社の上司からである。旅立つ前にやっかいなことは済ませておきたいと思い、話の内容に耳を傾けた。昨日、作成した書類の発行時期が的確でないと言う。話を聞きながら、その原因を考えてみた。プリントアウトして確かめた書類は正確であった。しかし、その後、PCデータから必要枚数分を個々に応じて印刷する際の設定において、時期がずれていたのだ。電話を切って、頭の中を整理。その書類を訂正するには、予定している11時台の新幹線には乗れない。宿泊セットで安価に指定乗車券を確保しておいたことが裏目に出た形だ。仕方ない。すぐに頭を切り替えて、会社へ向かう。作業自体は小1時間あれば十分に終えられる。ともかく、旅立った後でなくてよかったと安堵するとともに、こうした急なことへの対応力も、たぶん坂本龍馬なら長けていたであろうと想像して、気を落ち着かせて作業に取り組んだ。すぐに上司のOKが出て、昼前には自宅に戻ることができた。
それから荷物の用意に1時間を要し、すぐに東京駅へと向かう。この日はとりたてて必須な見学地もないので、気分はだいぶ楽である。14時ちょうどののぞみ231号新大阪行きに乗り、いざ京都を目指して東海道を下った。新幹線はもはや自由席を選択した。小生は、全ての車両が禁煙だと思い込んでいたが、狙った車両に入るとタバコの臭い。しかし他の車両も、すでに席が埋まり始めている。やや動揺を覚えながら、仕方なく喫煙車両の席を確保した。自分の思い込みによる失敗が、再び。
新幹線は快適で速い。幕末の時代なら20日間ほども要したであろう東海道53次を約2時間20分ほどで疾走する。日本の鉄道敷設を地図に描いていた龍馬がこれを知ったら、さぞ驚くことだろう。
京都駅に着くと、夕陽が西山方面からホームに差し込んでいる。地下鉄に乗り換え京都市役所前まで向かう。先月、神戸に行ったときもそうだが、東京のパスモが関西の地下鉄では未だ使用できない。この技術の時代にと、また一つの思い込みを持ちつつ、現実によりその感覚を排除する。
地下鉄京都市役所駅から地上に出ると、京都ホテルオークラ。そのあたりの土地は、長州の藩邸があった場所だ。桂小五郎の像があると知り、まずは木戸さんにご挨拶。そこからすぐ近くの、パック料金対応のホテルへ向かう。部屋に荷物を置き、すぐに周囲の散策に出掛けた。
この界隈、三条から四条あたりは、幕末には藩邸や志士の寓居が密集していた土地である。まずは木屋町通りに行って、武市瑞山(半平太)寓居の跡。たいてい石碑が1本建っているだけで、他には何もない。何らかの店になっていたり、街の近代化により、当時を偲ぶには、想像力を逞しくするしかない。その後、池田屋騒動の碑。以前、ここはパチンコ店の軒先であったが、今は「池田屋」という居酒屋に様変わりしていた。店の内装も当時のものを再現しているようで、幕末ブームの賜物である。忘年会シーズンでもあり、多くの客が団体となって「池田屋」に飲み込まれていった。
その後は、龍馬が常宿にしていた材木商「酢屋」へ。時間的に2階の展示は終わっていたが、1階の木工細工の店は営業していた。龍馬の横顔を模った木製のしおりを1枚購入。龍馬が居たとされる2階西側の部屋は、「ギャラリー龍馬」9時から17時までなら見学可能である。それは後日改めて訪れる。
その後、木屋町通りを南へ向かい四条方面へ。途中に「土佐藩邸跡碑」があるはずだが見失い、四条通まで出てしまった。また「岡田以蔵の刀痕」も発見できず。現在のこの界隈は
盛り場と化し、休日の夜は多くの人で賑わっている。むしろ幕末の碑を巡っている人物の方が稀である。高瀬川沿いの木屋通りをしばらく戻り、「土佐藩邸跡碑」を発見。その路地を西に入ったところには、龍馬も祈ったという「土佐稲荷岬神社」。龍馬の小さな新らしそうな
銅像が境内にあった。
そこから河原町通りに出ると、いよいよ醤油商「近江屋跡」。坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された現場である。今やコンビニとなった店の片隅に石碑と立て札がある。その碑のもとにある花だけが、龍馬と慎太郎への気持ちを表現している。夜の7時過ぎ、楽しそうに街を歩く人々ばかりの中で、しばしその碑の前で立ち尽くした。多くが京都の地元の人々のせいか、振り返り碑を眺める人も少ない。暗殺と言う究極の暴力行為に、志半ばで絶命した龍馬を思うと、この平成の世がいかに幸福であるかと実感する。当時は現在の河原町通り側にも敷地があったという近江屋。ともに遭難した藤吉も偲び、ガードレール側から頭をたれる。
その後は、先斗町通りに向かい、「お一人様歓迎」とWeb情報にあった居酒屋「ばんから」へ。1階の落ち着いたカウンター内で、優しそうな店主と笑顔の若いお兄さんが、歓迎してくれた。そこからは得意のカウンターコニュニケーション。関西と関東の気質の違いや京都における各季節の状況などと、話が弾んだ。ぶりのお造り、トマトサラダに京風だしのおでんなどの肴を美味しく味わいながら、京都の地酒をいただく。特に店主が勧める「蒼空」という半にごりである稀少な酒がめっぽう美味しかった。
すっかりほろ酔い加減になって、再び先斗町通りから木屋町通りを抜けて「近江屋跡」へ。1867年11月15日のあらざるべき夜を、今一度想像しながら、現在のコンビにで飲み物などを購入。143年後にこの土地に足を運び、己を慕っている人間がいるなどと、果たして坂本龍馬は想像しただろうか?
かくして、充実した京都の第1日目、宵のうちが過ぎる。
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