環境のせいにする愚かさ
2010-12-02
1日(水)師走になった。別に前日と何が変わったわけでもないが、何となく慌ただしい感覚が増す。めくった月毎の暦があと1枚となる。時の過ぎゆくことを、特に深く実感するからという環境に、左右されているのであろう。暦は変われども、普遍的な時間は、その後も脈々と続くのにも関わらず。人の弱さは、常に自分のできなかったことを環境のせいにしたりする。例えば、何らかの試験を受験していても、外がうるさかったので集中できなかった、などという言い訳が残されたりする。本気で集中している人には、話し掛けても気付かないように、外の環境が試験結果に繋がるというのは、愚かな発言だ。極端でなければ、ある程度の環境下で自分の能力を発揮できなければ、社会的な適応も不可能であろう。
人には適応性がある。良い面でも悪い面でも。人の力を借りて自分の力で勉強して来なかった者は、そうした環境に適応し、自分自身で考え抜く力がない。抑も「学習」とは、客観的に与えられた知識(学)を元に、自分自身で飛び立てるよう(習)理解し応用することである。
「平和ぼけしていては、平和は守れない」と夜の報道番組で、キャスターが眉間に皺を寄せて語っていたが、これもまた環境適応の負の部分であろう。
どんな荒波が押し寄せる環境でも、乗り越えて行けるような、心身共に逞しさを育てるような教育が、日本社会から消失してきている気がしてならない。
文句や言い訳を語るということが、自己の愚かさ・弱さの表出であるとうことすら気付かない輩が多い。
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