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気遣いは自分に返る

2010-12-21
20日(月)いつも行くジムのサウナ。その扉が、毎日の開閉に耐えかねて壊れたらしい。ゆっくりと開閉する装置が馬鹿になり、手を離すと勢いよく閉まってしまう。それが扉に大きく注意書きで示してあった。小生は、すぐに気付いて扉を押さえながらサウナに入ったが、中には注意書きに気遣いのない方もいる。通常通りに扉から手を離すと、大きな音を立てて扉が閉まる。

 仮に入るときにこの状態になってしまったら、出るときは気遣いがあるだろうと期待している。しかし、その当事者は出るときも同じ状況で、大きな音を立てて出て行った。サウナ内に同時にいた人々が5人ぐらいいた中で、この1人だけが入退場双方で気遣いがなかった。

 周囲に気遣いがないと、最終的には自分に返るような気がする。ジムに来ていながら肥満が解消していないような身体を曝し、注意書きがある扉への配慮がない。それは自分自身の身体にも配慮がないことに体現してしまっている。結果として、他者に気遣う感覚は、自分の感覚を支配するのだ。

 ちょっとした日常の一コマ。思うままに。
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金銭からの自由

2010-12-19
18日(土)この年末に一番楽しみにしていた忘年会があった。今年1年は、この趣旨に賛同した方々の新年会が1月に実施され、7月に大きな達成があり、そして1年を締め括るこの日の忘年会があった。職場や自分が専門とする分野の人々というわけでもなく、一人の人を支援する人間たちの輪。その仲間たちとの出会いから学び、救われてきたことは、この1年の大きな心の糧になっていた。そんなことを改めて感じる、まさに真の意味の忘年会であった。

  その人々の輪の中で、特に親しくなった若い編集者がいる。この日も宴会の後半から二次会にかけて、様々な話をした。彼は、仕事の合間に原稿を書き、単行本を何冊も出して、それなりの人気も博していた。新年会で会った時から、実に才能のある若手ライターであると思っていた。しかし、彼を災難が襲った。勤務する会社に単行本を出していることが知られ、「職務規程違反」だと警告され、退職してフリーになるか、副業を諦めるかという選択を迫られたのだ。結果、彼はとりあえず、生活を守ることを選択したそうだ。

  休日などの自由な時間を使い、自己の才能を存分に羽ばたかせて何が悪いのだろうか?世間では、多くの人が金銭を得て生活を守るのと並行して、何らかの才能を発揮する場を求めて、自由自在な創作活動などを行っている。実際、作家などの多くが、若い時代は貧乏生活に苦しみながら、その枯渇感を糧にして秀作を産み出してきている。「生業」と「ライフワーク」が合致している人ほどの幸せはないだろう。だが、多くの人々が、何らかの生業で生活を確保しながら、傍らで「ライフワーク」を追いかける。生業の職務内容が重くなってくれば、次第に才能を羽ばたかせる時間が失われる。そして、自己の才能を開花させずに終わってしまう場合も少なくはないだろう。しかし、そのようなケースは、社会全体にとっての喪失といってもよい。


  「同僚や部下が社会的に評価されることを誇りに思えない狭量。「会社の規則を守れないなら退職せよ」との判断は、形式的にはもっともそうでありながら、前近代的だ。人間の能力を賃金の鋳型に押し込み、閉じこめることは、本質的に封建的である。」
 
この日の忘年会主催者は、彼の事態をこのような文章として活字にしている。


  昔から「二足のわらじ」という言葉がある。語感として、異種の才能を開花させようとして努力する、前向きな意味合いだと個人的に感じていた。辞書にも「普通の人なら両立出来ないような二つの職業を、一人の人が持つこと。」(『新明解国語辞典』三省堂)とある。その「普通の人」であることを会社が強要し、「賃金の鋳型に押し込」むのは、誠に旧態依然とした閉鎖的な発想に他ならない。「内部の仕事に集中しろ」というような発言は、正論に見えるが、本来言わずもがなのことであり、才能を外部で開花させるレベルの人間であれば、会社の期待以上の集中度を持って仕事はこなしているはずである。いや、それ以上に外部で才能を磨くことが、会社組織の為にも新風を吹き込み、活性化させ新陳代謝を促進するような効果をもたらすということに、気付いていない狭量なのである。

 「会社を利用しているのか」

  小生も、友人となった編集者同様、こんな醜い発言を真っ向から受けた。これは実際に言われた者ではないとわからないほどの、深い傷となって心の片隅に巣くってしまう。しかし、そんな蛮行が、様々な会社組織で行われているとすれば、日本社会全体の閉塞状況は、一層加速する。ゆえに、このような愚行に決して屈せず、「ライフワーク」だと信じる道で、己の才能を開花し、いつしか先方の心の中に静かに浸透し、爆発する言葉を贈りつけたいものだ。


  己の人生を客観的に測定する、心温まる忘年会。そして主催者とともに、また志同じくする仲間たちとの、最高の二次会であった。
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携帯番号はいつしか

2010-12-18
17日(金)携帯に登録された電話番号は、けっこうな数に及ぶ。それでも登録可能な数を使い果たすまでは、到底行かない。暇な折に、そのアドレス帳を眺めていると、こんな人も登録したのかと、ふと気付くこともある。逆に、携帯のアドレス帳に依存しているがゆえに、連絡先の確認が疎かになっている場合もある。昔ながらの紙のアドレス帳こそが、何より確かな手段といえる気がする時もある。

  この日も、久しぶりに高校時代の旧友に連絡をしようと思い、携帯に記憶された彼の携帯番号に電話をしてみた。1度目は長く呼び出したが出ず、2度目に掛けると受話したが、どうも声の調子が別人のようだ。「○×さんですか?」と「さん」付けで問い掛けてみると、やはり「違いますよ」という年配の男性の声。この携帯番号は変更され、その後、他の人のものとなっていたのだ。

  固定電話が全盛の時代には、あまり電話番号が変更されることも少なかった気がする。変更されれば、番号変更案内なども暫くの間は音声で流れていた。ところが携帯が主流となった時代となり、その変更の合間が加速したような印象だ。携帯会社間での変更さえ可能になったのであるから、当然かもしれないが、今や先方とは、何らかの手段で連絡を取り合わないと、変更後の他人の携帯に電話をしてしまうことも多い。

 確認の手段としては、年賀状が有効な気がする。常時、頻繁に会うわけでもない旧友などは尚更だ。1年に1度、「元気ですか?また飲みましょう」などと記しながら、ほぼ1年間会うこともない。それが毎年繰り返される。それでも連絡先などの変更を知るには、重要な手蔓となる。

 そういえば未だ年賀状の準備をしていない。25日までに出すようにとのCMが流れ始めている。どうも有効な手段であり元日の楽しみの一つであるが、なかなか早めの準備が出来ないのも、毎年のことである。

 今年もあと2週間となった。
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人と繋がれ

2010-12-17
16日(木)今年もあと半月となったが、改めて手帳を年頭まで遡ってみた。元日の頁にはいくつかの目標が書かれている。その中のいくつかは、一応目標を達成したが、満足した結果が得られない場合や、中途半端で終わっているものもある。この日、新たに目を惹いたのが、「人間関係を大切に」という項目だ。

  人は皆、一人では生きていけない。それゆえに、これまで歩んできた人生の中で、関係を構築した人々との繋がりというものは貴重だ。そんなことを年頭に決意している。実際、新たにジャーナリストの方々や編集者、飲食店の店主に常連さん、選挙応援関係に携わっている方々等々、いくつかの新たな分野の人々との繋がりは拡大した。されど、自分の本業とする分野はどうか?やや、人間関係という意味では閉塞的な状況にあるのではないか。

  そんなことを考え始めた。そこで、この日はだいぶ久しぶりで、過去に繋がりのあった方に連絡をした。彼も自分なりのキャリアを邁進し新たな位置を築いている。そんな方からの意見を覗えれば、何らかの突破口が見えるかもしれない。そこで、もともと大学院で同期であった方を通じて、連絡先を教えていただいた。

 さてさて、どんな返信がいただけるか?そのこと自体が甚だ楽しみである。

 人と繋がれ!あと半月とはいえ、年頭の決意を実行すべし!
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外国語もまた思考を形成する

2010-12-15
14日(火)早いもので、毎週火曜日の英会話教室が年内最終回だった。週に1回だけ2時間にわたり英語だけで「会話」する時間となる。「会話」は即ち「思考」にも置き換えられる。この時間を重ねていると、次第に考え自体が「英語」で行うようになっているようである。この日は、特に会話レベルの高い見学の方も見えたので、余計にそのような思考が高まった気もした。

  同時に、通常はクラスの中で未だに甘えている自分にも気付く。いつしかクラス環境や講師にも馴れ合いが出てきてしまい、自分で語彙や文法を確認し、作文して表現力を磨くことを怠っていたのを発見する。改めて、この英会話教室の冬休みである1ヶ月間に、語彙などの鍛錬を積もうかと決意した。また、日常的に何らかの英作文を行うことが実に効果的だとも思った。

  クラス終了後は、恒例となった講師との忘年会。いつも行く居酒屋の奥座敷に上がり込み、しばし酒を片手に胡座を組んで、英語で会話も粋なものである。最近、大のお気に入りとなった「獺祭」があったので、講師にも勧めて美味しい酒を酌み交わした。そんな中でも英語で思考しようとする自分がいて、その自分が妙に楽天的で前向きであることも発見した。酒の助力で、英語の発言もテンポがよくなって来る自覚がある。

  カナダ人の講師が、けっこう日本酒好きであることもわかり、今宵はほろ酔いを通り過ぎた。時間も終電間近になってしまっていた。しかし、これほど英会話講師と級友と親しく英語で会話できる環境は貴重だ。

  JRから地下鉄に乗り継ぐ駅まで来ると、終電が無くなっていた。仕方なく30分ほど冬空の中を歩きながら酔いを覚ました。途中からはジムに行き来する道なので、歩き慣れてもいる。寒さよりも英語による思考で、心温まる夜風であった。
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再生する力

2010-12-14
13日(月)先週末に決して喜べない知らせが何通か手元に届いた。もはやそんな状況にも慣れてきてしまい、さして応えないと思っていたが、あまりに一気に複数の知らせが届いたので、強がりの裏でやや心が萎え気味であった。そんな土日が充実していたかというと、やはり何となく過ごしていて、カレーを料理して達成感を味わったり、TVドラマの世界から、人間の生涯を感じ取ったりしただけに止まった。心に引っ掛かる物があると、休日も精神が思うように休まないのは事実だ。

しかし、何事も否定されることから、新たな一歩が始まる。そこでどのように受け止めるかが、人間としての度量と価値なのではないかとさえ思う。以前にも書いたことがあるが、人間の筋肉は鍛錬によって微細な繊維が断裂し、それが再生し繋がり直すことで、太く逞しく強化されていくという。ならば脳や精神も、似たようなことが言えるのではないか。人生の修羅場を通り抜けて来た人こそ、脳力も精神力も逞しく再生しているはずだ。

そんな身体構造を頭で描きながら、この日の午後は新たなトレーニングウェアーを購入。筋肉のサポート構造が備わっている手合いの製品で、以前から使用してお気に入りのワコール社製・CW−Xである。着用するだけで、テーピングを貼ったような効果が得られ、関節や筋肉をサポートしてくれる優れものだ。おかしなもので、新たなウェアーを着用しようとするだけで、トレーニングのやる気が10倍増したような気分となった。やはり精神が萎えたときは、身体から「奮起」の記号を脳に送ってもらうしかないようだ。

夕刻から時間を有効に使用し、その後ジムへ。筋力トレーニングのクラスでのやる気は、並以上であり、重めのウエイトを装着し、いつもに増して筋肉に多くの刺激を与えた。これで再び筋繊維が蘇る機会が得られるのだ。

その後、帰宅してしばし読書。『超訳 ニーチェの言葉』読了。もっと早く読める内容であったが、一言一言から考えさせられる内容が多岐にわたり、ゆっくり噛み締めながら読んでみた。最終章の「美について」では、次の言葉が大きく自分の精神を再生させた。

 理想を捨てるな。自分の魂の中にいる英雄を捨てるな。
 誰でも高みを目指している。理想や夢を持っている。それが過去のことだったと、青春の頃のことだったと、なつかしむようになってはいけない。今でも自分を高くすることをあきらめてはならない。
 いつのまにか理想や夢を捨ててしまったりすると、理想や夢を口にする他人や若者を嘲笑する心根を持つようになってしまう。心がそねみや嫉妬だけに染まり、濁ってしまう。向上する力や克己心もまた、一緒に捨て去られてしまう。
 よく生きるために、自分を侮蔑しないためにも、理想や夢を決して捨ててはならない。(『超訳 ニーチェの言葉』215より)


人間らしく生きるための至言、ありがたき。
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楽天家たる子規の生涯

2010-12-13
12日(日)NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』第2部が先週から始まっている。この日は、「子規逝く」の回であった。短歌・俳句の革新運動を行った正岡子規が35年間の生涯を終えていく様子が描かれていた。その壮絶な闘病生活に耐えながらも、新聞連載の「病牀六尺」を書き続け、そしてその脳裏には俳句が次々と自然に浮かんでくると言う生き様だ。明治時代人を概して「楽天的」と位置づけるこの原作ドラマの中でも、「とりわけ子規が誰よりも楽天家であった」とナレーションの渡辺謙は語っていた。

 子規の墓というのは、小学生の時に出向いたことがある。通っていた小学校の近くにあって、まだ子規たる人物が、何たるかを知らない頃に、自由研究の題材のために数人の友人たちと訪れたと記憶している。ドラマの中でも、四十九日を迎えた時に、子規の墓を友人・秋山真之が(本木雅弘)訪れ、妹の律(菅野美穂)と会うシーンがあった。やや小高い丘のような墓地に、粗末な木製の墓標の下で子規は眠っている設定になっていた。小生が小学生の時に見た子規の墓は、その後改修されたのか、もう少し立派な墓石であり、平地である寺の境内に平然と建っていたように記憶している。ただ、その寺の裏手は小高い丘のような傾斜地なっているので、明治時代にはそんな状況だったのかと、より想像力が掻き立てられた。

 ドラマの終わりには、協力の欄に「大龍寺」とあったから、何らかの情報を番組に提供している可能性もある。いずれにしても、根岸の子規庵から、葬列がこの寺に向かったのかなどと、実際のルートなどが想像できる環境に生まれ育った小生は、子規に対して何らかの縁があるのかもしれない。そういえば「土葬云々」について子規は、詳細に記した記述も遺していたようだが。改めて子規の遺した珠玉の言葉を読んでみたい衝動にも駆られた。

 明治35年9月19日が子規の命日。坂の上にある一朶の雲に向かって、明治という時代を駆け抜けた生涯だった。

 糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
 痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとゝひのへちまの水も取らざりき

子規の絶筆三句。
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獺祭スパークリングにごり50

2010-12-12
11日(土)朝から住んでいるマンションの防火点検。この1年間、管理組合の理事長を務めているので、家を留守にして点検が不可というわけにもいかない。仕事は有給を取り、その点検に備えて待機した。緊急警報機の作動やスプリンクラー作動の模擬演習、それに消火器の状態などが点検され、さほどの時間もかからず点検は終了した。

 その後、メールを見てみると、昨夜送信した知人から返信。今晩なら仕事を終えて6時に会えるという内容であった。これで、土曜日の夜の予定が急に決まった。

 その後、どこの店にしようかとあれこれ考えていた。場所は新橋なので、先月行った炉端焼き「うだつ」もいいのだが、他の選択肢も試してみたい店がたくさんある。博多水炊き餃子の「官兵衛」は、人気の店らしいので午後4時頃に電話を入れると、6時には予約が不可で、7時なら可能だという。仕方なく行き当たりばったりでどこか探そうかと思い、新橋へと向かった。街をふらふら散策していると、知人からメールで仕事が終わらず、6時には間に合わないという。特に急ぐわけでもなく、店の具合も丁度良い旨を返信した。そこで、改めて「官兵衛」に直接行ってみると、7時でも席が埋まってしまい、8時15分にならないと入れないという。「先ほどの電話では・・・」と話したが、その後の予約で埋まったということを、やや言い訳的に言われた。店員の小さな対応の仕方が重要だと思うのは、小生だけだろうか?

 手元の携帯であれこれと検索している内に、SL広場近くの串焼き店「串まる」が気になった。料理が手作りで食器は店主作製であるというふれ込みもさることながら、「獺祭スパークリングにごり50」がメニューに掲載されていた。最近、この山口県旭酒造の「獺祭」が極めて気に入っているので、ぜひとも「スパークリングにごり」を飲んでみたかった。これまでは、新潟県の酒をとりわけ贔屓にしてきたので、西日本方面の酒で好んでいたものは少なかったが、この「獺祭」は格別である。

 ちょいとビールを飲んだ後に、いよいよ「スパークリングにごり」へ。ほとんどシャンパンのような栓の付いた構造の瓶で、底に「にごり」の白い成分が沈殿している。栓と共に提供されて、ワインクーラーを用意してもらい、その中にある緑のボトル。沈殿物を混ぜようと思うが、あまり振ると吹き出しそうなので、店主に聞くとゆっくり振る程度にして混ぜるのがよいらしい。栓をして瓶を横にして、シーソーのように左右に傾けて沈殿物が混ざるようにしてみた。

 そしていよいよおちょこで記念すべき1杯目。「獺祭」独特のフルーティーな味わいと同時に、やや酸味と刺激のある口当たりが何とも言えない。ほとんどスパークリングワインと言ってもいいような味わいに、知人と共についつい杯を重ね満足した一時が過ごせた。

 酒を飲みながら語った話題は、「人生の自由度」ということ。仕事などによって意識をしないうちに、いつしか重い制約を受けて暮らしていることが多々ある。自分を見つめ直したときに、ふと「自分がすべき生き方」に反していることに気付いたりする。そんな本意でない状況に身を置き続けるほど、人生は長くない。制約下にある時間はあくまで浪費でしかなくなる。しかし、よくよく考えると人生は長いと知人は言う。お互いの年齢の違いもあるが、同じ話題で逆説的な考え方が出てくるところが面白い。

 『龍馬伝』で「命を使い切ったか?」という絶命前の台詞が胸に響いたことも知人との話題に出した。自分の命をどう使うか、それは「自由度」と大いに関係していると思うのだ。夭逝した幕末の英雄だからこそ、生きるとは何かという意味を我々に強く訴えかけるのだろう。そういえば「獺祭書屋人」とは正岡子規の俳号でもある。先の酒は子規にちなんで名付けたと瓶のラベルに記してあった。龍馬同様に30代で夭逝した子規もまた、「命を使い切った」ことになるのだろう。ちょうどNHKドラマ『坂の上の雲』は、そんな場面を迎えようとしている。

 「獺祭」とは、もともと「かわうそが自分の捕へた魚を四方に陳列すること。人が物を供えて祭るに似てゐるからいふ。」(大漢和辞典)とあり、中国古代から書物にも記されている。転じて、「作詩文に数多くの参考書を座の左右に廣げること。詩文を作るのに多くの故事を引くこと。」(大漢和辞典)という比喩的な使い方もするようだ。

 「獺祭」という名の酒を美味しくいただきながら、人生における数多くの参考書たるお互いの「経験」を話題として酒場に広げ、その「生きる道」を語ることができた。

 何とも粋な宵の内に、ほろ酔い加減になって地下鉄銀座駅で知人と別れた。
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「鍋焼きうどん」は美味い!

2010-12-11
10日(金)その日の昼飯はどうしようか?と考えるようになって何ヶ月かが経過した。それまでは社員食堂を利用していたので、決められた2種類から選ぶしかなく、しかも人気のある方がなくなれば、食べたくもない定食を嫌々でも食べねばならなかった。ある日、その社員食堂の昼食で、サラダを最後まで食べ進めていたら、サラダ皿の底に「ハエ」が逆さまになって「トッピング」されていた。その瞬間、もはやこの社員食堂では食べるまいと心に決めて、給与天引き契約を即座に打ち切った。

 それからというもの、余裕があれば休日にカレーを作り、保温ジャーにサラダとご飯とともに詰め込んで自前の昼食持参で出勤していた。サラダの「トッピング」はもちろん自分で素材を確認した「コーン」とか「ほうれん草」だ。それでもカレーが作れないときや、仕事の後に外部会議などが控えていて、大きなジャーを持参するのが面倒なときは、近所のパン屋でサンドイッチを購入したりしていた。

 この日は、午後はフリーな仕事時間になったので、昼食の為に外へ出た。会社から数分歩いて、ある蕎麦屋の暖簾をくぐった。けっこう広い店内は、昼食時を過ぎていたので客は2名ぐらい。座敷も5卓ぐらい用意されているが、まあ椅子席へと収まった。何を食べようかと思ったが、日中でも寒かった東京地方。ゆえに店のおばさんに「鍋焼きうどんをください!」と注文した。するとおばさんは「エビは入れますか?」と問い掛けてくる。最近の蕎麦屋はアレルギーにも配慮しているのか?などと想定したが、どういうことなのだろう。エビが入らなければ何が入るのだろう?などと考えながら「ハイ!」と元気よく答えておいた。

 蕎麦屋に足が向いたのは、鍋焼きというより「エビ天」が食べたかったからだ。「天ざる」では寒いし、「天ぷら蕎麦」も中途半端、ならば「鍋焼きうどん」という思考回路だった。小生の頭の中では、「エビ天」の載っていない「鍋焼き」はあり得なかった。

 しばらくして「鍋焼きうどん」が運ばれてきた。しっかりした土鍋に蓋付きである。「ごゆっくりどうぞ」というおばさんの言葉に癒されて、いざ蓋を開ける。湯気と共にしっかりとした「エビ天」の「トッピング」が鮮やかに眼に飛び込んできた。さらには「ほうれん草」や「しいたけ」に「竹の子」なども入っていて、栄養価は抜群である。さらに、「そばうどん」にこだわりのある小生としては、「うどん」のこしの強さが問題。多くの具材をかき分けて、うどんを持ち上げると、煮込まれた中でもしっかりと長い麺が次から次へと出てくる。食べながら思わず微笑むような「鍋焼きうどん」に出会った。

 比較的、幼少の頃から蕎麦屋の昼食というのに慣れて育ってきた。家業の従業員とともに、蕎麦屋から出前を取って大勢で食べるという習慣があったからだ。その中で「鍋焼きうどん」というのも、思い出の中に刻まれたメニューの一つだ。その当時は、5〜6人前の出前を自転車に乗ったおばさんが、片手で大きなお盆を肩の上に載せて配達していたものだ。果たして途中の道では大丈夫なものかと、幼い心で心配すらしたものだ。昭和の下町ではこうした光景が普通であり、「ざるそば」を何段まで重ねて自転車に乗れるかなどという妙技が、普通の街中で展開されていたのである。

 そんな思い出に浸りながら「鍋焼きうどん」を堪能した。帰ろうと思い代金伝票を見ると「1050―」と記されている。メニューを見ると「鍋焼きうどん」は「900円」と表記。だが「上・鍋焼き」は「1050円」となっていた。「エビを載せますか?」という問いは「上鍋焼きはいかがですか?」と翻訳すべきという予想が当たった。まあ、「並」で150円相当の「エビ天」がなければ、こんな幸せな気持ちになれなかったのだから、安いものだと納得した。

 夕刻まで仕事をして帰路へ。夜の遅い時間帯にジムへ行くので、早めに食事がしたい。そこで駅前に出来た新しい定食屋へ。「ホッケ焼定食」を注文して待っていると、料理を運んできたバイトと思しき若い女性店員が、ホッケの皿を、無造作な音を立てて目の前に置いた。感覚的に「失礼しました」とでも言うのかと思っていると、全ての皿を置き終えて「ご注文は以上でお揃いですか」というマニュアル通りの言葉。こちらが携帯を見ていたので、どのようにでも構わないとでも思ったのか、何となく嫌気のさす態度であった。即座に、昼食の蕎麦屋のおばさんを思い出した。丁寧に熱く煮えた「鍋焼き」の盆を、いかにも低い物腰で卓において「ごゆっくりどうぞ」と優しい言葉を掛けていった。個人商店の蕎麦屋の居心地が圧勝と感じる瞬間であった。

 もうこのチェーン定食屋で食べるのはやめよう、と心で呟きながら、再び無造作に差し出された釣り銭とレシートを、同じ若い女性店員から受け取った。

 やや気分を害した夕食が予兆だったのか、帰宅すると期待外れな通知が2通。覚悟はしていても、心の中での整理が必要な時間が過ぎる。自分自身ではどうしようもないというやるせなさを、心の中で一つ一つ引き出しに仕舞い込んだり、過去のものとして葬り去ったりして。それから立ち上がるにはやはりジムのレッスンである。

 遅い時間の有酸素運動プログラム。「脂肪燃焼と体力強化に効果的ですよ!」とインストラクターの変わらない笑顔。身体を動かすことで、また新しい自分が手に入った。

 
 鍋焼きうどんは美味い!

 改めてそんなことに感激した1日。仕事中の昼食とはいえ、心がこもったような温かい1品に出会いたいものである。
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瞬発的な行動力

2010-12-10
9日(木)年末年始はどうしようかなどと考え始めた。大掃除を徹底的にやろうとか、正月でもトレーニングを緩めず、締まった身体を維持しようとか、日常的な過ごし方は概ね心の中に浮かんだ。しかし、今年を締め括るような、精神を解放するような出来事も欲しい。そう考えて、世間が年末年始休みになる前に、京都へ出向き坂本龍馬の足跡を辿る事に決めた。やはりこれをしないと今年は終えられない。

 朝からWebで宿泊先を検討。宿泊単独で予約するか、往復の新幹線とのセット予約でお得な商品はないかと検討した。特に宿泊場所は、龍馬が暗殺された「近江屋」の近く、四条と三条の間ぐらいにしたい。三条大橋のあたりを朝に散歩するのも大きな楽しみであるので。そしてこの日のうちに問い合わせメールのやりとりを繰り返し、往復新幹線と3拍のプランの予約まで漕ぎ着けた。この瞬発的な行動力がなかなか自分自身でも気分が良い。

 夜は中3日空いたジムへ。トレーニングをするということ自体が既に習慣化しているので、筋肉に刺激がないと求めたくなる。京都に行った4日間でも、所属ジムの京都支店でトレーニングをしようかなどと考えながら、サウナにも入ってから家路へ。

 帰宅して家のマンションのエレベーター。1階のエントランスから、若い女性が同乗してきた。途中階で彼女が降りる際に、「失礼します」とこちらから声を掛けた。その後、再びエレベーターは上昇。その瞬間、急に自分がこの狭い空間で掛けた「声」に自覚的になった。正確には、「自分の声に酔った」というべきか。それほど、ジムに行き精神も活性化させると、自信が漲るものかと、改めて頑張っている自分を見直したりもした。

 さあ休み中の楽しみはできた。人生はこうでないと!!!
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