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年末の足音

2010-11-30
29日(月)11月も最終週、というより12月師走を迎える週といってもよい。毎年、時の去り行くのが次第に早く感じられる。11月の加速感はまた抜群であったようだ。街では年末ジャンボ宝くじが売られ、イルミネーションも増してきた印象。はや年の瀬の気分がひしひしと押し寄せる。

 好天の中で綺麗に顔を見せる富士の高嶺。その雰囲気も冬ならでは。季節は移り暦もあと1枚になった。そんな年末は、慌ただしく過ごすことになれども、その雰囲気が嫌いではない。時間意識が高まる中で、新しい何かの足音を待つのは、それはそれで趣ありだ。

 年末年始になると、心に響いてくる曲もある。毎日、毎日、帰国する恋人を待ったあの日、いつも心で聴いていた曲。「Aerosmith」の「 I don’t want to miss a thing」である。映画「アルマゲドン」のテーマ曲でもある。そのやるせない歌声・曲調に、究極の年末を感じてしまう。そんな臭いを感じながら、12月が目前だ。

 劇的な12月を期待して。今年も9回表裏の攻防に入った。
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我がなすことは我のみぞ知るー「龍馬伝」最終回に思う

2010-11-29
28日(日)朝から、いや前の晩から何となくソワソワした心境で過ごした週末。それはNHK大河ドラマ『龍馬伝』が最終回を迎えるからだ。1月から、本当に「前向きに生きる」ことを、我々に伝えてくれた「坂本龍馬」。その偉大なる志を「福山龍馬」が見事に演じていた1年であった。歴史的な事実として知っている結末であるが、これほどワクワクして見た大河の最終回は、今までなかった。

  世の人は我をなにともゆはばいへ我がなすことは我のみぞ知る(龍馬詠草二 和歌)

 最終回で、近江屋の二階から外の大空を見上げて「福山龍馬」は、この和歌を呟いていた。「岩崎弥太郎」演じる「香川弥太郎」が、激しく龍馬に「お前を嫌いだ」「もう二度と会うことはない」と迫る場面を受けてのことだ。「香川弥太郎」の迫真の演技もまた、この1年間を通して、助演という以上の大きな効果をドラマに与え続けていた。その「香川弥太郎」にささやいた「龍馬」の「達者でな!」という笑顔が印象的だった。

 武市半平太・岡田以蔵・近藤長次郎といった土佐の同朋や長州の高杉晋作らに、新しい国の方向を思索しながら、杯を捧げる龍馬。大きな志を持った志士たちが、何人も若くして命を落とし、その果てに達成された大政奉還。歴史を動かしていくには、どれほど抵抗に屈せず、大きな犠牲を払いながらしか前に進めなかったかが覗える。



 龍馬の暗殺者は誰か?というのは永遠の謎でもある。京都見廻組(幕臣)・新撰組・薩摩藩(陰謀説)・土佐藩説・フリーメイソンなどを始め、中岡慎太郎説や単なる強盗説まであり、歴史上の大きな謎の一つだ。後に京都見廻組であった男が自供をしたということから、見廻組説が有力なため、『龍馬伝』でも、これを採用していた。しかし、ドラマの仕掛けとして、暗殺者が上記のどの説でも考え得るように、龍馬が歴史を動かすのに、どれだけの抵抗を背負っていたかが上手く描かれていた。

 「福山龍馬」暗殺シーンには、しばし唖然と口が半開き、身体が硬直したまま、暗闇の中の残虐行為をみた。「わしは命を使い切ったか・・・」と血まみれで中岡に問い掛ける龍馬をみて、大粒の涙が流れた。ドラマから一歩外へ出ると、大志ある人間の命を暴力によって奪うという程の蛮行はないと思う。どんな理由があろうとも、暴力・暗殺などが決して許されてはいけない。「いくさ」を避けて平和のうちに、新しい時代を求めた龍馬を、「暴力」で死に至らしめた行為の醜さに、143年前の史実ながら改めて強く抗議したい。



 「龍馬」は、「自分にできることをしただけ」だと弥太郎に語った。そして「子供らが、この国に生まれてきてよかったと思えるような日本を造る」とも語った。

 143年後の平成日本は、果たしてそれに叶った世の中であるかは疑問だ。この年月の間に、何度も「いくさ」が行われた。また「龍馬」が夢見た多くの理想も現実となったであろう。しかし、いま改めて日本が向かおうとしている方向性が、揺らいでいる気がしてならない。今の日本への道筋を付けてくれた龍馬の意志を、今一度我々は受け止めて、更なる理想的な新しい日本を、世界の中で築いていかねばならないはずだ。

 我々一人一人が、「我がなすことは我のみぞ知る」という思いを胸に。
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紅葉・黄葉

2010-11-28
27日(土)いつしか寒さも身に染みて、晩秋の趣も増してきた。東京でも街路樹の葉が色付き、銀杏などは黄葉となって、道行く人々の目を楽しませている。昼下がりに馴染みのカフェに顔を出すと、店内の映像ディスプレイには、近所の有名な寺の境内で、木々が色付き始めている写真が、スライドショートして流されていた。

 道を歩くと乾燥した落ち葉が舞い散り、踏むとカサッと音を立てる。そうか!もうこんな時季になったのだと、その足裏の感触が自覚を促す。黄色に色付くものと、紅に色付くもの。それぞれ一様ではなく、その中間的な感じの色づき方をしているものもある。何事も共通であるものはなく、個性が活きてこそ葉の色づきも美しい。

 小生の書斎からも、東京としては広大な樹々を見渡せる。夏は深い緑に被われ、ほぼ共通な色であったその杜は、この時季になれば、こんなに違う種類の樹々があったのかと、改めて味わい深い。ついでにその手前にある寺の境内には、かなりの大銀杏の木があるので、その色づき方は毎年格別である。

 土曜日の昼下がりに、紅葉・黄葉を楽しめた。これもまた平和な証拠。片や隣国の周辺海域では、北朝鮮を牽制する米韓軍事合同演習が始まろうとしている。平和ならば、こんんなにも豊かな心が涵養できるのに。日本の国会の「口論」的な頽廃といい、政治・外交への不安が、平和で豊かな心に、不安の風穴を開ける。

 せめて週末は落ち着いた心で過ごしたい。それに『龍馬伝』が最終回を迎える。既知の歴史的事実ではありながら、「坂本龍馬」のドラマが終焉を迎えるのは、何とも惜しまれる気持ちで一杯だ。いくさなくして新しい日本を目指した龍馬が、今の東アジアや日本の政治を見たら、深く落胆し嘆くに違いないだろう。

 週末にもう一度、自分自身の心を洗い直そう。
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心の内部に静かに入る

2010-11-27
26日(金)小欄の言葉は、「慎ましい」だろうか?それとも「無闇に烈しい」だろうか?言葉の有り様について、久しぶりに腑に落ちるような内容の文章を読んだ。

 この日の朝日新聞朝刊「天声人語」欄で、清水幾太郎の文章が紹介されていた。

 「無闇に烈しい言葉を用いると、言葉が相手の心の内部へ入り込む前に爆発してしまう。言葉は相手の心の内部へ静かに入って、入ってから爆発を遂げた方がよいのである。」(『論文の書き方』)

 何とも至言である。慎ましくかつ、内部で爆発する力を持つ言葉は、他者への訴えにおいて抜群であろう。しかし、なかなかそのような珠玉の言葉を紡ぎ出すのは難しくもある。

 当該の「天声人語」では、「口論」に成り下がった国会での現状を憂いている。当新聞の投書欄にも、そのような投稿が多いのだそうだ。「とりわけ野党の若手議員に多い」と前置きして、「ヒステリック症候群とでも称する態度」で「大げさな物言いや、汚い言動で罵倒」するという。さらに「これでは一種の低俗番組」だと手厳しい投書も多いと紹介する。

 さらに、「言葉は魔物だから、自ら言い募るほど自ら酔っぱらう。ゆえに言葉はますます尖って、盛大になるが、言っている当人の人望は下がるばかりだ。」と国会の代表質問などへの憂いが述べられている。

 少なくとも国民から選挙で信任を得た議員であれば、「言葉」の何たるかぐらいはわきまえた教養ある物言いをして欲しいものだ。TV番組の低俗化も目を覆うばかりの状態が散見されるが、それと立法府の状況を同一視しなければならない国民は、不幸のどん底とも言えようか。

 世界の加速した様々な進化や変化に、この東アジアの孤島は果たして付いていけるのか?国会の言論事情一つを見ても、甚だ不安が多い。

 「言葉」こそ「思考」であるという、最低限の認識ぐらいはわきまえて生きていたいものである。
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居酒屋の趣(おもむき)

2010-11-26
25日(木)外部組織の会議日。持ち回りで各社にて行うが、この日の会場近くにある居酒屋の趣は抜群だ。

 川の流れが見える小さな路地をしばらく歩くと、赤提灯が見えてくる。それも間口の狭い店構えで、ガラガラっと戸を横に引いて開けると、カウンターとテーブルが二つ。ガラスで外から中にある酒が見える冷蔵庫と、カウンターの狭い間を通り抜けると、奥に6人ほど入れる座敷がある。上がり込んで、まずはとりあえず瓶ビールとなった。

 その日のおすすめ料理が書かれたホワイトボードには、先ほどまではあったものが、何となく字が残りつつ消されている。最初に肴も何品も注文しておかないと、なかなか出てこない場合がある。それでも最初に来た肴はポテトサラダ。スーパーなどで市販されているものとは何となく違い、イモが原形を留めるような食感である。

 いずれにしても、「昭和」のフォークソングに出てきそうな雰囲気。酔いながら、座敷の横から電車の通過音が聞こえてくるのは、自然な演出かとも思えるほどの、立地条件だ。

 チェーン系で、どこに行っても同じ肴に同じ酒が出てくる居酒屋が多い昨今。しかし、その日によってメニューや出てくる酒の種類が変わる小さな居酒屋の趣こそ貴重だ。店には焼き鳥の煙が充満し、衣服には甚だしくそれが付着する。だが、そんな所で飲む酒こそ、改めて心を開放してくれるものだ。

 こうした居酒屋が、次々となくなりつつある社会は、やはり不幸である。
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隣国は停戦中だった

2010-11-25
24日(水)北朝鮮による韓国への砲撃というニュースに衝撃が走った。韓国哨戒艦沈没事件、権力の3代継承、核関連施設の公開の問題など、何かと動きを見せていた昨今。このタイミングで、こうした軍事行動に出るのはどういうことか?それにしても改めて隣国の半島は、「停戦中」だったことを思い知らされる。

 今回の砲撃で、韓国軍兵士2名と民間人2名の死亡が確認された。軍事行動による死者は朝鮮戦争以来だと聞く。犠牲者の方々への哀悼の意を表すと共に、戦争の醜さに憤りを覚える。しかも南北に分断された同じ民族間で、なぜこのような行為が行われてしまうのだろうか。両国ならずとも東アジア全体の平和を憂う。

 TVで朝鮮半島事情に詳しい方が語っていたが、北朝鮮は我々とは全く別個な価値観を持った人々が政治を行っている国だという。その予想も出来ない価値観が実に危険であるように思う。国際社会で孤立することも辞さず、自国の利益のためには手段を選ばない構えがあると言うことだろう。

 今後の情勢には常に注視をしていかねばならないが、身近な隣国で「戦争」の二文字の臭いがするというのは、何とも悲しいことだ。

 3代目への権力継承が、国を開く契機になることのみを願うのだが。
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優勝の花道

2010-11-24
23日(祝)今年で17年目を迎える例年のソフトボール大会の1日。休日ながら朝から試合会場へ。前日の夜来より激しい雨も降り、実施可能かどうかが危ぶまれた。しつこく小雨が残る中、予定より遅らせて、10時半頃より試合を開始することができた。これもひとえに会場のグランドを整備してくれた方々の力によるものだ。

 その後は、試合時間を詰め込んで実施。当方の試合も午後になって連続して行われた。次第に天候も回復し、雲の切れ間から薄陽も差すように。グランドの状態もみるみるよくなってきた。そんな中、行われた試合で、順調に1試合目を勝ち上がり、トーナメント決勝へ。

 決勝はお互い3対3から譲らず試合は終盤へ。そこで1試合目と同じように、3番・4番の連続本塁打。チームの指揮を若い方に譲ってきた後に、大変逞しいチームに成長してきた。その結果の優勝。今までの17回の大会で、ここまで登り詰めたことはなかったので、小生にとって花道となるような「優勝」の二文字となった。
 スポーツ競技で、相手をどう越えるか。そこには単なる体力・技術、ましてや精神論ではなく、いかに冷静に妥当な方法で理論的に分析してプレーするかという知的さが必要だ。試合中も又同じ。それぞれの局面で、適切な戦術と指示で有利な試合展開を造り上げる。より高いレベルでの自己把握力を必要とするのだと思う。

 いずれにしても初めての優勝カップが、当方のチームにもたらされた。

 これでまたチームも成長する。この大会の創始者や、運営に携わって来た方への感謝の気持ちを改めて深く感じる。自分自身の花道を無意識に飾ってくれたチームの選手たちにも、ありがとうの気持ちを添えて。
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人の口には戸は立てられぬ

2010-11-23
22日(月)昨日書いた「秘密」の話。取り立てて「守秘」しなければならないものではない。いずれは公開しなければならないし、特に意識しなくとも公にわかるときが来る。そんな風に思いつつも、自分が意図しない方面から、その内容についての真偽を問うメールなどが来ると、ややびっくりしたりするものだ。メールの中身には、「秘密」が伝播した経路まで明示してあったので、納得済みだが、それにしても「人の口には戸は立てられない」という諺を実感した。

 よい評判も、はてまた悪い噂も、このように意図せぬ所へと自然伝播していくのであろう。それも「秘密」だと思えば、尚更拡がるという逆説がある。とりたててそれで実害があるわけではないが、この人には自分で報告したいと思っている向きに、噂による伝播が達したというのは、やや複雑な心境になる。

 メールを読んでから、様々な心境が去来し、やや精神的に落ち着かなくなった。まあ、これだけでも、噂は噂たる効力を発揮していることになる。

 帰宅して通常ならジムへ行くところだが、食事後も机に向かった。未だ落ち着かない自身の行く末を案じつつ、前に進むための作業を行う。夕食後の作業は、やはりやや非効率的だ。これならジムへ行けばよかったと数回心で後悔した。されど自分で決めた道こそ尊重すべしである。
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秘密の共有者

2010-11-22
21日(日)秘密を共有している人に、自分の秘密を話すと、「実は私も」と秘密を教えてくれる場合がある。公に未だ知られぬことゆえの秘密であるが、それを公開すべきタイミングというのには、何かと思慮がいるものだ。そんな状況の中で、同じ境遇を味わっている「仲間」だと認識すると、「実は・・・」という気持ちが強まるのかもしれない。他者への共感意識というのは、自らの心を開放するのだ。

 この日は、アウトドアで今年度最後の公の行事。朝一番で会場に伺い、責任者に自分の「秘密」を打ち明けると、その責任者の方も共通な「秘密」を抱えていた。以前から、お互いに気心しれた中で、どんな状況にあっても、小生への信頼を維持してくれた一人である。まさに偶然の一致であるが、こんなタイミングで共通した境遇になるのも、何かの縁ではないかと思った次第である。

 一日アウトドアで過ごす中では、その方との過去の思いも蘇る。今までの歩みの中で、信頼を寄せてくれた方へ、感謝の気持ちを胸に、一日の時間がやや曇り空の中ではあるが過ぎていった。今まではその場所から見えなかった、東京スカイツリーがにょきっと顔を擡げている。

 公開されていないゆえ「秘密」である。必要以上に「秘密」を組織的に強要されるのも、どうかと思うが、このような同朋との間柄では、更なる深い友情を感じ取る場合もある。
共通な志あっての同朋だと改めて思う。
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やはりトレーニングだ

2010-11-21
20日(土)前の晩、予定していたジムに行かなかった。食後、ソファに座っていると、何となく疲れが出て懈くなってきて、そのまま早めに就寝してしまったからだ。その上、寒い中をソファでダラダラしていたので、余計、風邪の危険に曝されたのか、身体の調子がよろしくない。

 早めに就寝した割には、寝起きの悪い朝。そんな土曜日の仕事始まりであった。しかも週末だというのに、この日は午後6時まで職場で仕事。何とも損をしたような複雑な心境である。昼食も定時にとることができず、何となくリズムが狂ってしまうことを恐れる事態が続いた。

 帰宅して間髪入れずにジムへ。身体の懈さは筋トレをして活性化して解消するしかない。1時間の筋トレプログラムは、次第に心も復活させていった。昨日来、風邪気味かと思っていたのは、まったく「病は気から」に他ならなかった。やはり週3回のトレーニングを、身体が求めている。筋肉を使った方が、心も豊かに発想してくれるようだ。

 やや遅めの夕食なので、分量を最小限にして脂っこいものは極力避けた。それに百薬の長たる紹興酒を1献。すっかり気分も身体も蘇る夜となった。

 やはりトレーニングは定期的に行かねばならない。サボってみて、この効用を改めて認識した1日。
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