過ちを認めないのが本当の過ち
2010-09-30
29日(水)昨日の小欄で「薩長同盟裏書」が坂本龍馬によって書かれた年を「1886年」としてしまったが、正しくは「1866年」であった。後で自ら読んでいて気付いた。ブログ上での過ちは、編集して訂正すればすぐに修正できる。携帯からでも編集画面に入って修正しようかと思ったが、1日はそのままにしておいた。まさにこの内容を、ここに書くためでもある。そして自らも閲覧するWeb上の情報が、どれほどに間違いも多いということを新たに自覚するためにもである。『論語』の中で孔子が「過ちを認めないのが本当の過ち」という趣旨の発言をしている。これは確かに核心をついている。月並みだが、人間はだれでも間違いはするのだから、それを認識し、修正すれば問題はないのだ。しかし、過ちを誤魔化そうとする弱い心が、人間の奥底に巣くう場合がある。そうなると、「過ち」が「過ち」を呼び、取り返しの付かない事態になることも多い。
職場の会議における上司の言い訳は醜い。潔く「過ち」を認めればいいものを、何だかんだと遠回りに言い訳を述べる。言い訳を述べれば、それだけ信頼を失うという単純な理屈がわかっていないのだ。
意味のないプライドこそ、潔さを阻害していく。小さな勇気があればこそ、過ちを過ちと認めるのに何ら抵抗はなくなる。その精神的な開放性は、常に持っていたいものである。
いつしか9月もあと1日。秋が急ぎ足に深まっていく感じである。
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坂本龍馬自筆「薩長同盟裏書」を見た
2010-09-29
28日(火)午前中からひどい雨の東京地方。時折雷鳴までが轟く荒れた天候だ。前日から「薩長同盟裏書」を見に行こうと調べていたが、この天候では皇居内を歩くのもびしょ濡れになってしまうと思い、出掛けるのを見合わせていた。午後になるとやや小やみになったので、やはり踊る思いを抑えきれず、皇居東苑・三の丸尚蔵館へ向かった。ほんの数週間前にNHK大河ドラマ『龍馬伝』で、この「裏書」を龍馬が書く場面があった。1866年二月、京都伏見・薩摩藩邸でのことである。それをあくまで歴史の一場面として、TVドラマの中で見たのだが、その実物が見られるというのは、たまらなく胸が高鳴った。何事もライブで、そして実物を見るということが、いかに重要かを感じる昨今である。
会場に行くと、すぐにどこに「薩長同盟裏書」があるかわかった。その展示ケースの前は一番の人だかりがあったからだ。複数の人々が重なり覗き込むように展示を眺めている。いずれいつか空いたタイミングがあるだろうと思い、他の展示を順番に見ることにした。同時にこの「裏書」を見る胸の高鳴りを少しでも先延ばしにして楽しもうという気持ちもあった。他にも宮内庁書陵部や皇室所蔵の古典籍が陳列されている。『古今和歌集』(1278年写)や『源氏物語』(室町時代写)、それに『五箇条の御誓文』(1868年)は、なかなか見応えがあった。
そしていよいよ、やや人が少なくなったタイミングを見計らって、龍馬自筆とご対面。
表に御記被候
六条ハ 小西両氏及
老兄 龍等も同
席ニて議論せし
所ニて毛も相違
無之候 後来と
いへども決して
変り候事無之
ハ神明の知る
所ニ御座候
丙寅
二月五日
坂本龍
このように朱書きされた力強い文字。もはや言葉は要らない。この裏書きに命を懸けた龍馬の息吹が伝わってくる。これによって日本の歴史が動き始めたのだ。
何度も脳裏にその逞しい字体を焼き付けて、会場を後にした。江戸城本丸跡まで散歩しながら平川門より東苑を出る。散策しながら日本という「国のかたち」を改めて考える。
この展示は、10月17日(日)まで宮内庁三の丸尚蔵館にて、特別展「皇室の文庫(ふみくら)書陵部の名品」毎週、月・金休館。午前9時から午後4時15分まで(入館は4時)
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水槽内酸欠?
2010-09-28
27日(月)酸欠になるのは、何も周囲にいる人物の所行によるものばかりではない。土日に行われた組織のイベントでは、外部に向かって会社のあり方が開かれた形になった。「外部」を意識した時に何ができるのか。それこそ組織の試金石となるイベントともいえる。そこに納得のいく「思考」はなく、個性無き企画の羅列しかなかった。同時に外部顧客向けの説明では、華々しいイベントのみに価値を置き、日常の組織での「思考」を紹介することは皆無だ。この組織は、何を提供する場であるか?説明担当の係分担で2時間、担当箇所に配置されたが、その外部的説明と自己の考え方の断層を、露骨に感じなければならない2時間であった。虚飾を帯びた組織説明は、詭弁としかいいようがないのである。そこには常に甘い現状認識がある。「なぜ?」を問う観点が脆弱で、閉塞的な理屈で理念なき方向へ向かう。外部向けに発信された情報は、だいたいが矛盾した内容を孕み、現実とは逆な表現がなされている。小生がこのように捉えているのだから、酸欠にならないわけはない。唯一、イベント内で得た光は、過去の顧客が訪ねてきてくれて、社会で自立した活躍をしているのを伝えてくれることである。さらには、この場を訪れない多くの顧客が、社会の中で批評的に組織を見てくれているとしたら、それもまた逞しい。全てを受け入れるのではなく、批評的に物事が見え始めてこそ、自立の糸口があるはずだから。
水槽内酸欠を起こしていると、たぶん内部の人間からも異質に見えるのであろう。小生の理論でいけば、餌と酸素の無批判で安易な供給こそ問題であると思うのだが、組織の閉塞的な理屈に乗じない行動があると、こちらが組織を「利用している」ように見えるらしい。確かに、大海に泳ぎ出る必然性があるのに、この水槽の餌と酸素を吸っているのだから、そう見えても仕方がないのかもしれない。しかし、組織をいかに高い次元に昇華させようと意図した顧客への対応により、予想以上の成果を上げることができたのは、組織の価値を最大限に高めたといえる。ただ安易に餌と酸素を吸っているわけではないのだ。
この10年でどうなったか、という外部からの評価は、ただただ数字による評価でしかない。組織はこれを、団体で築き上げてきたとするのだろうが、野球でもエースの存在無くしてシーズンは勝ち抜けない。個人が高い次元へ向かって思考・技能を高め、それを提供していく。シーズン20勝できる投手は、チームの打撃などに援護される面もあるが、やはり個人として、他人が真似できない準備と努力により、体力と技能とを高めているはずだ。プロスポーツの場合は、それに見合った給与を与えられるのだから、決して20勝投手からも不満は出ない。
給与は、見合った労働に対しての対価である。それをどのように使うかは個人の生活における尊厳の問題だ。給与を支払う組織があるから、旅行なども可能となる豊かな生活ができるという結びつけは、個人の尊厳を否定していることにもなる。とりわけ、労働に於いて対価に見合った最大限の成果を上げているのであれば。能力給という仕組みにも少なからず問題は生じるであろうが、年功序列の年齢給が、組織の首を絞めている事実もあるという気はする。
いくつかの観点から、自己の思いを綴ってみた。世間には会社組織で矛盾を感じて、酸欠に陥っている方々も多いはずだ。考えるに、職場・労働というのは給与に関係する、いわば生活を築く手段であるから、慎重に行動しなければならないのも確かだ。小生も十分慎重に行動してきたつもりである。しかし、その上に立って、自分の生き方に反するものがそこに存在するのなら、組織に左右されている必要はないはずだ。自分が生きたいように、新たな選択肢に向かって踏み出す勇気も必要だ。それがなかなか一般的にならない、日本社会の現状にも多々問題があろう。
一昨日の『龍馬伝』で長州の高杉晋作がこう語っていた。
「恐れるべきは、我ら弱き民、一人一人の心なり!」
人生を賭して、新しい世界を模索して闘った晋作の粋な姿がたまらなく印象的であった
納得いかない世界で生きているには、人生は短か過ぎるのである
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水槽内酸欠?
2010-09-27
26日(日)水槽内で泳ぐ魚は、いつしか酸欠状態になる。金魚などが水面に向けてパクパクとやっている状態である。酸素を供給する装置を設置し、泡が水中に放たれると、回復したかのように水中で泳ぎ出す。大海か、はてまた清流か、自然の中で泳いでいたはずの魚が、何の因果でこんな水槽内で生活しなければならないのだろう。そんな疑問を抱く考え方もあれば、水槽内の方が餌も酸素も安易に供給され続けるから楽に生きられると思う魚もいるのかもしれない。いやいや、最初から養殖で生まれ育ち、海も川も自然というものを知らない魚もいるのかもしれない。いずれにしても、水槽内を酸欠とみるか否か。それは魚の育ちや素性、そして生き方によるのかもしれない。学校を卒業し社会に巣立つ。そこで出会う会社なりの組織は、一生涯活躍する場所なのか?「終身雇用」という日本的因習が、未だに健在である場合も多く、40年間勤め上げたといった永年勤続が、讃えられる職場環境も未だに少なからず存在する。現在30代、いわゆる就職氷河期に大卒を迎えた世代が、この数年の不況下に於いて更なる苦難を強いられているのは、「終身雇用」という制度が抜けきれない日本社会にも問題があると、TVで評論家が指摘していた。こうした苦難に直面している世代の人々も多いにも関わらず、ひとたび水槽内に飛び込めば、たいした努力もせず、供給される餌と酸素を疑問もなく享受し、ただただ狭い水槽内で泳ぐ日々を続ける輩も多い。この不公平が果たして社会的に許されて良いのだろうかとさえ思ってしまう。
水槽内酸欠になり、会社組織にいられなくなる人々も多い。供給される酸素は、公平に分配されるのではなく、ある特定な人間が過剰に吸い込んで、自己の既得権と利益として享受する。場合によると、他人を排斥することで、自己の指定席を確保し、甘い酸素をたくさん受け取る腹黒い魚も多い。それを公正かどうか?と疑問視する者も、水槽内の水の濁りに乗じて目がくらみ、酸素の供給者までが腹黒い魚に荷担する場合もある。果たして職場の「公正」とはなんだろう?
ブログ更新1年を期して、職場のあり方について考えを述べてみようかと思い立った。
なぜ自分が「水槽内酸欠」に陥ったのか?
そんなことを考える契機となった、職場組織の土日開催イベント
「水槽内酸欠?」につづく
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継続してこそ前に進む
2010-09-26
25日(土)小欄の開設から1年が経過した。その間、359回の更新を達成した。実質的な1年は1週間後の365回更新であるが、とりあえずこの日付より、何かを綴りだしたという想いが脳裏に残る。毎回の更新は苦痛であるわけでもなく、今や歯磨きのような習慣と化した。起床した後の脳で、前日の所行を整理し思い返し文章化する。脳内のあり方もだいぶ変化したことだろう。だいたいにして記憶には自信がある。節目を迎えた3月の記念すべき日に、自分史を綴って親戚に見て貰う機会があったが、なぜこんなに覚えているのかと驚かれた。脳科学によると、記憶は睡眠中に整理されるという。それをそのまま放置するか、何らかの形にするかで、後の状態にも大差が出てくるのだそうだ。
ちょうど1年前の自分が、小欄の記事を通して透けて見えたりする。そこには不安感や焦燥感があり、それでも自分を繋ぎ止めようとする言葉が残されている。そんな自分を青く感じ、今はこの継続から得た力を実感できるようになった。迷わずに自ら信じた道を前進する自分を。
継続してこそ前に進む
10年連続シーズン200本安打には到底かなわない
ただどんな高い山に登るにも、この1歩からなのである
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ライブ中継を見届ける意味
2010-09-25
24日(金)前日の夕方から昼寝ならぬ「夕寝」。やや疲れていることもあったが、夜中にMLB中継を観ようと思い、夕飯も食べずに寝入った。まさに三度の飯より野球が好きということである。しかもその試合はただの試合ではない。イチローが10年連続200安打を達成する可能性が高い試合である。いや、達成する予感がある試合といった方が正しいかもしれない。早朝ならぬ深夜1時半から中継が始まった。カナダのトロントにあるロジャーセンターというドーム球場だ。今夏、2試合ばかり現地観戦をしてきた親しみのある球場である。現地では午後に行われている昼間の試合が、時差の関係で深夜にライブ中継されているということだ。もちろん、時差は悩ましいのであるが、日中は仕事があるので、むしろ深夜に行われるのは好都合。そして、深夜に於いてもこの中継をライブで見届けようとする意志こそ、紛れもない野球狂であるという自覚を新たにするのである。
予感通り!イチローのシーズン200安打が快音を残してセンター前に抜けていった。
やはり決めるのはセンター前ヒット、野球安打の基本でありイチローにとって最もお似合いな節目の安打である。もはやその映像に言葉は要らないのである。
試合後に2時間程度の仮眠。朝になるとニュースで「イチローの偉業」と大々的に讃えていた。多くの人々は、これでイチローの200安打を目にすることになるのだろう。そして午前8時からは、深夜の試合の録画中継がTV番組表に記載されていた。
しかし、野球ほど後になってみるのでは意味のないスポーツもない気がする。ゴルフなどは時差中継が殆どであるが、それでも視聴率が高いので毎日曜日の夕刻に、男女とも必ず中継をしているのであろう。もちろん結果が漏れないように配慮をしているらしいが。
ライブ中継を観た事への自己満足。しかし、その瞬間の何ともいえない高まる気持ち。できれば、一切の仕事を無視して、こうした試合を現地で観られるようにしたいものだ。ともかく野球はライブでないといけない。せめて中継でもよいから同時刻に観ているのがよい。
今夏も、シアトルで2試合イチローの試合を観戦した。200安打のうち3安打は現地で目撃したことになる。その重みを新たに噛み締める。
日本のマスコミが「偉業」と讃えるのをよそに、まだまだイチローにとって通過点に過ぎないと受け止めた。今後もできる限りライブで、彼が築く果てしない足跡を見届けていくことにしたい。
それはいつしか真の「偉業」となり、歴史に刻まれるはずであるから
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表現と強い心
2010-09-24
23日(木)2週間という時間は長いようで短い。その間、傍らに話せる相手がいて、むしろ様々な話を積極的にすべきだと思い、時間を共有するよう心懸けてきた。一人ならジムなどに費やす時間を、二人の貴重な会話に乗り換える。その中で表現する自分に、やや変化があるように自覚するようになった。その反面、小欄の内容は平板となり、形式的で思うようなことが書けなくなってきたような気もする。人間はどこかに表現する場が必ず必要であり、それによって自己の気持ちを強くも弱くもできるのだと改めて感じた。小欄を開設してから、約1年になる。「過去・現在・未来」という時間軸の中で、自分のあり方が気になって、毎日のつれづれなる思いを、原則として毎朝綴ることにした。海外旅行中などでWeb環境がどうしても得られない時を除いて、ほぼ毎日、更新をしてきた。その表現の一つ一つが、自己を客観的に映し出し、それを改めてどのような場所においても自分自身で読むことで、精神的な浄化を保ってきたような気がする。
表現できる自分と、思うように伝えられない自分。もちろん、そのような二面性が潜み、小欄においても、全ての思いを開示しているわけではない。自分なりにしかわからない意味や状況も、沢山記してきたことだろう。だが、この1年間という積み重ねが、確実に自分を強くしていることに気付いた。「強くしている」には、やや語弊があり、それは「弱さを自覚した」とも言えるのだろう。1年前によぎった漠然とした不安感を、日々の言葉で表現することで「弱さ」を露出し、それを自分自身がどう支えて生きているかという現実を、文章という形にしてきた結果なのだろうから。
雨の中を首都高速から東関東自動車道へ。都内の渋滞もなく約1時間で成田空港に到着した。この玄関口へ来ると、自分自身がまた海外に飛びたいという欲望が心の底から湧いてくる。だが、今回のような見送りという場面も繰り返し、時は後戻りすることなく先へ進んで行く。空港という場所が、どれほど人々に様々な思いを抱かせるか、計り知れないのである。
帰宅した後の寂寥感は、以前と違う
だからこの1年間の文章に意味があったのだ
期待を胸に、強い心で前に進む歩みを始めよう
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料理注文、気は心の満腹
2010-09-23
22日(水)久しぶりに義理の母と夕食を共にした。だいたい毎回そうなのだが、大変歓迎してくれて、食事をたくさん注文してくれる。こちらが指定した料理に1品や2品は加えた注文となるのだ。妻も口に出して、「そんなに食べられない」と告げるのだが、「若いから大丈夫よ」となって、その注文が調理場に伝達されてしまう。結果、毎回のように満腹感の中を帰宅するというのが常であるような気がする。気は心、大変ありがたい話なのだが、少々胃にこたえるときもある。この日の中華料理も、やはり2品は多かったという結論になった。締めに炒飯といった感じの注文時に、白身魚とエビマヨが加わった。まったく食べられないわけではなかったが、皿の上には2種の魚介類が残ってしまった。腹も十分目に達し、胃が前面に膨張するような感覚になった。
自分の母親もそうだが、だいたいこうした傾向がある。たくさん食事を食べさせたいと思うのが親心なのだろう。しかも世代的にたくさんの食事を振る舞うのが、最高のもてなしであるという感覚も持ち合わせている。一概に否定できるものではないのだが。
まあ種々の会話もできて、楽しい時間が過ぎた。加えて大量もお土産もいただき、帰路は沢山の紙袋を下げてということに。これもまた毎度の定番である。親心というものはありがたいものである。
時の過ぎゆくままに2週間が経過しようとしている
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忌憚なく行こう!
2010-09-22
21日(火)「忌憚がない」とは、よく日常的にも使用する語彙だ。その意味を慎重に考えてみると、「忌み憚る」こと、つまり「心中にはっと抵抗を感じる」と「びくびくと気にする・心配して差し控える」というように、字義のもとを辿れば解剖できるようだ。「心に抵抗なく、差し控えなく」行こうというようなことを、改めて感じる1日。もともと日本語という言語自体が、大変「忌憚」の多い言語体系をしている。主語の省略、婉曲表現、心中を察した言動などなど。例えば、石碑に刻まれた「過去の過ち」の主語は誰か?そんなこと一つでも、幾多もの解釈が生じてしまうほど、曖昧な表現が一般的にまかり通ってしまうのだ。直接的な表現を避けて、周囲に配慮するのが、日本文化的によしとされ、同時に言語的表現そのものが「忌憚」を背負っているといってよい。
しかし、自分の思いを伝えないでいると、後になってより大きな抵抗になってしまうことも多い。伝えるべきは伝える、という姿勢でいないと国際社会の中で立ち遅れてしまうことも多々あるはずだ。ゆえに「自分が思ったことは伝える」という原点を常に忘れてはいけないはずだ。
そんな意味でも、英語や他の言語を学ぶ意義もあるのかもしれない。
忌憚なく行こう!
改めてそんなことを胸に刻む1日であった
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仲間と奏でる音楽
2010-09-21
20日(月)約9ヶ月ぶりに、バンドメンバーとスタジオで音出しをした。今回はこれまでにやったことのある曲を、ほとんどリストアップしてやってみるという流れになった。通算して約20曲+2曲。最後の2曲は、どうも記憶の彼方にあるようでできなかったが、4時間で何とか全曲を奏でることができた。1曲ごとに過去にライブでやった当時のことが思い出され、心に響いてくるものばかり。音楽は聴くのも良いが、やはり自分で曲に立ち向かってこそ、身体に刻まれて深い思い出となる。もちろん記憶が曖昧で、演奏が怪しくなる場面もあったが、それはそれで今回は充実したスタジオでの時間が過ぎていった気がする。
カバーした音楽が素晴らしいのはもとより、この仲間たちとともにこの時間が共有できたことが、何とも尊い。演奏の合間にでてくる話の興味深さや、機知に富んだ内容に、このバンドの奥行きの深さを改めて知る。そして次第に時は移り変わり、子供の親となったメンバーの話に、新たな時代が来ていることも感じさせる。
スタジオ後は、2人のメンバーが家庭を大切にするために帰宅。3人で近所の居酒屋へ。様々な話をする中で、楽しい時間が過ぎゆく。次第に社会情勢の話になり、日本の現状を嘆く内容に進展した。この場面ではメンバーと意見が対立したが、それも自分の考えを忌憚なく話すのがよいと判断。冷静かつ論理的に自分の考えを伝えた。こういう議論ができるのも、仲間ならではでないだろうか。
すっかり遅い時間まで、今夜もほろ酔い
仲間と奏でる音楽のありがたさよ
これが親友というものだという思いを新たに噛み締める
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