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とことんまで何もしない

2010-08-21
20日(金)朝から原稿を書こうと思いきや、MLB中継をBSでやっているのに気付いてしまった。もちろんMLBの試合は、PCを使用してWebを介せば、いつでも観られる権利を購入している。この日は、観ないつもりだったが大画面TVでBS中継を付けてしまったら、もう駄目だ。午前中はそんなわけで、贔屓チームの負け試合を観ることになった。

昼になって机に向かおうと思ったが、小欄を更新するとまたTVが気になってしまった。夏の甲子園が準決勝に至っている。MLB以外の野球中継を観るのは稀だが、初回の攻防を観ているうちに、ついつい1試合を観てしまった。対戦カードは東海大相模対成田の関東勢対決だった。当然のことながら、MLBと「思想」の違う「日本的野球」の原点を、久しぶりに観て、妙な違和感を覚えたりもした。NHKアナウンサーの「気迫」など精神的な面を重視する実況、犠牲バントの多さ、試合開始終了のサイレン、20・30年前と変わらない日本的な「夏」がそこにある。「球児」の帽子のかぶり方や全身泥だらけのユニフォームのあり方などが、「日本の夏」に似合うと賞賛されるのはなぜだろう?どう考えても駆け抜けるより遅いのに、なぜ一塁へ頭から飛び込むのか?そしてそれを賞賛するのか。様々な煩悶のような問い掛けが、心の内を去来した。

試合が終わって、妙な感覚に囚われて無気力な状態になってしまった。仕方なくリモコンでチャンネルをいじると、TBSで「水戸黄門」の再放送。これまた日本式な定番である。もはやここに列挙するまでもないが、その結末の見える「定型時代劇」には、「言ってはいけない疑問」が様々にある。ただただ、結末のある種の「安心感」に向かい、勧善懲悪の思想が形になる。この再放送が夕刻に延々と放送されているのも、老人や主婦からの支持が厚いからに他ならないであろう。などと批判的に書いてはみたものの、その「虚構時代劇」が嫌いなわけではない。「水戸黄門」と煎餅の取り合わせは幼少時からの定番でもある。

食事は昼頃の納豆ご飯に卵焼きのみ。何だか食事の気力さえ薄れてきた。

ニュースを見ていたら、ついつい巨人対阪神の中継が始まってしまった。これまた最近は全くまともに観もしないものであったが、せいぜい城島が阪神にいるという興味で、しばし観てしまった。MLBを生で観てきた眼には、東京ドーム外野フェンスがいかに直線的に設置されており、センターオーバーであれ左中間右中間であれ、外野フライ的な打球がホイホイとHRになってしまう光景が、見るに堪えない。ましてや後から作り付けられた、エキサイトシートなる代物にいたっては、高額な入場料を取るために客を一時的に興奮させているに過ぎない。中途半端なMLBの真似は猿まねにも及ばない気がする。

何だかその時は、無気力に陥ったと思っていたが、意外と批判に批判を重ねて物事を見ているではないか。今思えばそのように思えてくる。

近所で簡単な食事を終えて、この日は早く寝入ることにした。

「とことんまで何もしない」

19日のNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で市川海老蔵が語っていた言葉だ。大量の台詞を覚えるときに、自身で窮地に追い込むと、自然といくらでも身体に吸収できる状態が訪れるという。茂木健一郎も、他から来るプレッシャーと自身で掛けるプレッシャーでは、自分の追い込まれ方が違うと。つまり主体的なプレッシャーは、脳に効果的だということらしい。

自身の原稿にもそんな他人の「流儀」が当てはまるのかどうか。当てはまると信じて、自身の「プロフェッショナル」を磨いていくしかない。

 「何もしない」という感覚でいながら、自然と3種類の野球を比較分析していた気もする。

本気で好きなものを常態的にとことん分析して観る生活の余裕が欲しい

それも自分次第であるのだが

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