落語に温泉

2010-08-31
30日(月)4月から行っている「落語プロジェクト」の第3回勉強会。昨日来、合宿と称して、熱海の教授宅で行われた。この日は、朝から各自が頭の中に入れてきた「噺」を披露。我々としての「師匠」である、噺家さんに「稽古」をつけてもらった。

 小生は、十分な準備ができているとは言えなかったが、何とか一席を話し通すことができた。もはやこれは作成した原稿を披露するという感覚ではなく、流れの中で中心の筋を崩さずに、前後の話を展開するかという、「ライブ」に他ならない。その場、その場で話は生きており、その回ごとに微妙に話は違ってくる可能性もある。もちろん聴衆によって、場所・機会によって話の内容は変わってきそうだ。どうも、その「即興的」「遊び」的な感覚こそ、落語として悪くないのだということを学んだ。

 昼食をとり、とりあえずの解散。その後は、噺家さんともどもメンバーで温泉へ。小さな温泉宿で日帰り入浴を楽しんだ。そのやや古びた宿は、大旅館にない趣があり、塩分を含んだような温泉に、夏の荒れた肌も癒された感じがした。

 夕刻に新幹線で東京へ戻る。意図的に鎌倉を「迂回」した往路とは、大違いの速さ。普通列車の速度・時間を味わうと、まさに新幹線が「超特急」だということがわかる。

 疲れもなく、夜はジムへ。

 夏が過ぎゆく中で、心に残る2日間となった。
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カレー屋に行きたくて

2010-08-30
29日(日)日曜でも朝から気が進まない仕事。午前中で終えて、この日は恩師宅を訪問する予定。東京から熱海までの道のりとなるので、新幹線で行けば40分ほどで到着できる。いろいろ考えたが、ちょいと寄り道することを選択した。

 寄り道先は、鎌倉のカレー屋。駅から若宮大路を鶴岡八幡宮に向かい、途中を左路地に入ったところにある。そんな9年前に行った記憶を頼りに、暑い中を歩き始めた。

 あった!カレー屋は9年前の店構えそのままに、同じ場所で同じ値段で営業していた。相変わらずライスの量が多いが、店員が女性客に小ライスを勧めるという行為は目立たなくなっていた。

 4人席に1人で座り、ポークカレーを注文。濃厚に煮込まれたコクのあるカレーの味を噛み締めた。

 その後、江ノ電で藤沢まで。座れる状況にあっても座らず、湘南海岸の光景をただひたすら眺めていた。海を見ていた午後。

 藤沢からは普通列車で、熱海まで約1時間。予定より1時間ほど到着は遅くなった。

 しかし、この時季に、このカレー屋にどうしても行きたかった。

 海も見ることができた。

 夏の終わりとして相応しい過ごし方

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思い出を振り返る

2010-08-29
28日(土)通常時間より少々の仕事。その後、池袋の本屋で読みたい本を何冊か購入。ランチはお気に入りのカフェへ。早速、新しい本に目を通しながらカルボナーラにデザートのガトーショコラまで。昼時のお客さんが引けたので、しばし店主夫婦と世間話。この暑さとともに、日本の政治はどうなるのかという話題になった。

 夜は、馴染みの寿司屋へ。両親と知人の登山家と4人で、夏の旅の写真観賞の夕べ。ネットブック型の小型ラップトップを持参して、スライドショーを楽しんだ。撮影した時系列で展開するスライドに、自ずと思い出が蘇る。今回、留守番だった母に対して、妙に上機嫌で父は写真を解説していた。

 イチロー1試合4盗塁・ヘリコプターへの初搭乗・ビーバーの棲む湖畔・ナイアガラの滝・先発松坂大輔の試合などなど。

 自分自身以上に、父と登山家の2人にとって充実した旅であったことを、改めて認識した。この東京の暑さから脱して、湿気のないシアトルとかカナダに戻りたいという話も、自然と出てくる。思い出は、何よりも心の宝である。

 こうして思い出を辿るのも、夏が過ぎていくから

 8月という、ある意味特殊な1ヶ月が終わる

 小さな秋の気配を察しながら、次なる心の宝へと向かおう
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海を見ていない夏

2010-08-28
27日(金)8月も押し迫ってきたが、相変わらずの暑さ。様々なことを妄想していたら、今年の夏は海を見ていないことに気付いた。小欄の背景を江ノ島にして夏の雰囲気を味わってきたが、本物の海を見ていない。暑い暑いと言っているうちに、夏の情緒も忘れそうなのである。

 もちろん、アメリカ・カナダの旅でシアトルの海は見た。カモメが舞い来るハーバービューのレストランで食事もした。それはそれで素敵な体験だ。

 ここで「海」というのは、湘南海岸のこと。あの何とも言えない雰囲気が、子供の頃から好きでたまらない。鎌倉から江ノ電に乗ってゆっくり訪れる海岸線。実際の海が綺麗かどうかは別にして、この雰囲気は他では味わえない。

 サザンの桑田さんも、食道癌の手術から順調に回復していると聞く。あのやるせない声と共に、湘南海岸で夏を見送る時季が来た。

 暑さはまだまだ続くという

 でもふらりと出掛けてみようか

 宵のうちの風と、上り来る月に秋の気配が見えるから
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一時の別れに際し「ありがとう!」

2010-08-27
26日(木)ジムのスタジオプログラムに参加して、早1年半ぐらいになるか。その間、木曜日の夜クラスに参加するのが、恒例になっており、入門段階から同じインストラクターのレッスンを毎度受けてきたことになる。それが次第に、生活の一部になり、仕事で嫌な思いをしても、このレッスンがあるから精神的な活力を呼び戻し頑張ってこれていた時期もあった。ところが、今年に入ってから木曜日に外部組織の会議が入り、なかなか思うように参加できず、他の曜日のレッスンに出ることが多かった。

 そんな事情の中で、この木曜日を担当していたインストラクターが、今月いっぱいで休職するという。事実上、最後の木曜日になるので、この日は何としてもという思いで、レッスンに参加した。通常よりは早くジムに出向き、毎度、恒例となっていた自分がレッスンを受けやすいポジションを確保。ウォーミングアップも十分にレッスンに臨んだ。

 レッスンの内容も、インストラクターが好きな曲をたくさん取り混ぜて進行した。自ずと過去のある時期のレッスンの記憶が蘇る。意識はしていなかったが、このレッスンの小さな歴史を体感し、身体の中に刻み込まれたものがあることに気づいたのだ。バーベルを使った筋力トレーニングを音楽に合わせて行うレッスン。この日は、自分の力以上に自然と頑張ってしまい、多くの会員が大きな掛け声で参加し、インストラクターへの感謝の気持ちを込めたような内容となっていった。

 レッスンが終了し、帰りの挨拶。

「レッスンがなくなるのは本当に淋しいです。今までありがとうございました。昨年ぐらいから、仕事で嫌なことも多くて、このレッスンに参加すると精神的に救われていました。」

 確かそんなふうに、自分の思いを彼女に伝えた。何だかとても感激してくれて2度も握手を求められた。仕事をしているということは、思わぬ所で自分が予想する以上の思いを抱いてくれている人がいるものだ。そんなことを反対の立場から想像した。彼女の休職の理由はわからないが、またきっとこのスタジオに帰ってきてくれるに違いない。

 そんな対話をして後、更に自分なりのストレッチをしていると、妙に自分の中で感激するものが込み上げた。みんな様々な事情を抱えて、自分なりの仕事をしている。そこから何らかの事情で離れることもある。前向きな理由もあれば、辛く苦闘する理由の場合もある。しかし、人とのコミュニケーションを通じて、何かを提供できる職業というのは、何とも尊いと感じられた。

 ブートキャンプが流行ったように、家でVTRを見ればレッスンはできるのかもしれない。しかし、やはりライブコミュニケーションをしながら、レッスンをする意味を改めて感じたのだ。もっと以前から、彼女に自分の思いを伝えておけばよかった。レッスンがなくなる時に至り、そんな後悔をする。

 人生は一期一会かもしれない。自分の精神的な苦闘を支えてくれたレッスンをしてくれたインストラクターとは、しばしの別れとなるのか。そんな想いを胸に、自分自身が前向きに邁進すべきであることを、この日も教えてもらった。

 一時の別れに際し「ありがとう!」

 いつでも「今」を大切にしなければならない

 「今」は再び来たらず

 人間的な対話を常に大事にして

 心に浮かんだ思いは、相手に向けるべきだ

また逢う日まで

彼女の今後の人生に幸あれと願う
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時間の浪費

2010-08-26
25日(水)自分が思うように使えて、思うように過ごせるならば時間が無駄になったとは思わない。しかし、朝から夕方までの時間的な拘束はあって、その内容が仕事として意味を伴わないと感じてしまうのは、「浪費」と言うしかない。それならば、その時間内で自分なりの意味を持たせればいいのだが、場所的な拘束があると、心は思うように言うことを聞いてくれない。

 仕事場に長くいればいるほど、その職場にとって意味のある仕事をしていると考える、化石化した考え方がある。しかし、未だにそれが通用し、その感覚を「忠」であり「誠」であると考える輩も存在する。世の中は、その深層で確実に変化しているのも事実であろうが、方や旧態依然とした状態が保存され、強固に維持されている環境も少なからずある。

 空洞のような1日を過ごし、改めて自己の有り様を考える。

 帰宅してジムへと思いきや、この気力も萎えた。

 8月もラスト1週間。

 いつもこの時期には、変革と新たな世界への扉があるような気もする。
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いつまでこんなに暑いの?

2010-08-25
24日(火)月曜日に二十四節気の処暑を過ぎ、暑さも収まるのかと思いきや、未だ猛暑に熱帯夜が続いている東京。天気予報を見る限り東京に限らないみたいだが、いつまでこんなに暑いのだろうか?9月もしばらくは暑いなどという、予報を聞くと秋の到来はまだまだだという気がする。

 この気象状況は、やはり地球温暖化が確実に進行しているということであろうか?ここのところ、毎夏ごとに人間の体温ほどの気温になるのが通例になってきた。単なる「異常気象」では済まされぬ事態なのかもしれない。

 東京23区内でも特に練馬区の気温が高い。その原因も何なのであろうか?環八通りの交通量が多く、排気ガスのせいで雲ができているとかいう説を耳にするが、果たしてそうなのか?だいたい練馬の気温といって、区内のどこで観測しているのだろう?身近な場所の気温であるにも関わらず、知らないままに過ごしていることは多い。

 炎天下での様々な活動が制限され、熱中症で命の危険に曝される場合もある。昔の運動部員が、水を飲んではいけないと言われて部活動に取り組んでいたのは、遙か過去の出来事のようだ。

 いつまでこんなに暑いのか?
 
 これはもはや夏に対する考え方を変えなければならないのだろう

 夜の風には少々だが「秋」を感じるなどというのは、かなり無理矢理な発想となる
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蘇る活力

2010-08-24
23日(月)いつの間にか8月もあと1週間ほどになっていた。旅行と、その後が時間枠に囚われない生活をしていたので、あっというまであるような印象だ。しかし、この日は、久しぶりに妙に活力が湧いてきた。早朝の暗いうちから原稿の校正、朝一番で出版社に送る。この物事を消化していく突き進む感じがよい。

 夜はジムのスタジオトレーニング。今月に入ってまだ3回目。小生としては甚だ少ない頻度である。まあ筋肉は保持されていると思いきや、トレーニングがきつい。テーピング効果のあるウェアーを着ているので、疲労感はかなり軽減してもらっている。身体への圧着率が高いのだが、何となく腹のあたりが出たような感じを受けた。サウナの前に体重計に載ってみると、通常より3kgオーバー。これはいけない!

 アメリカ・カナダでの食事もしかり。その後の家に籠もってあまり動かない生活しかり。もちろん旅行などを通じて飲酒量も通常よりは多めだ。身体は正直だ、筋肉を鍛えて脂肪を追い出していた筈であったが、生活が変われば身体も変わる。これは分かっていたことだが、不覚にも贅沢な「夏太り」をしてしまった。

 しかし、この衝撃が次への活力にもなる。9月からの1週間のトレーニングプログラムに、有酸素運動も含めようと計画。筋肉刺激と有酸素で相互に脂肪撃退に働きかけようと思う。それにしても、やはり生活習慣というのは恐ろしい。いつも小欄で述べているが、脳力を含めて、日頃のあり方が反映され、活性化された身体や脳を維持するには、それぞれのトレーニングが不可欠だ。もちろん規則正しい生活はいうまでもない。

 蘇る活力

 生活の中で活性化させる筋肉と脳

 あと1週間の8月を、まずは活き活きと過ごしたい

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好きなように過ごす

2010-08-23
22日(日)本来、日曜日というものは好きなように過ごすためにあるのだろう。どんな選択も可能な、自分に与えられた時間の筈である。この1週間ほど、何となくそんなことを考えて過ごしている。

 朝からWebでMLB中継を観て、お腹がすいたのでまた馴染みになったカフェでランチ。ランチにケーキを付け加えて食するのが恒例となった。いずれも店主ご夫妻の手作りであり、「ファミレス」とは訳が違う。朝刊を静かに読む雰囲気があるし、その静寂さを乱す客も見たことはない。やはり、店の雰囲気で入る客の質も自ずと限定されるのであろう。店主の儲けを考えれば、どんな客でも入ってくることが望ましいのだろうが、物静かな喋り方をする店主に、客も類は友を呼ぶのであろう。

 帰宅して、小欄の更新。しかし、ワープロソフトが勝手な動作をして、文章を作る感覚がたいそう阻害された。オートマチックなものは便利な点もあるが、手動で思い通りになる方がよい場合も多い。PCとの付き合いでは、様々な波紋を呼ぶことがある。思わぬ設定違いから、作業を後戻りしなければならない場合など、今までにも経験がある。

 夜は楽しみな『龍馬伝』。亀山社中の経理的な中心であった近藤長治郎の、葛藤と死を描いた1話。「侍」の精神と「近代」の幕開けとの狭間で、一人苦しみながら英国への留学を希望していた若い命。「切腹」という理不尽により自らその命を絶つ。幕末の時代的な流れの中で、想像も絶する葛藤と闘った人々は、他にも数知れないのであろう。

 苦しい時代に生きた若い命に思いを致し、今宵は早めの就寝となった。

 サプリメントが送られて来た箱の中にあった絵はがきの言葉

「明日は今日の積み重ね」ごもっとも

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雲は湧き光り溢れて

2010-08-22
21日(土)朝から順調な生活。やはり「とことんまで何もしない」効果はあるようだ。午前中が充実し、昼食は馴染みのカフェへ。パスタに新作デザートを賞味し、カウンター越しの世間話付ランチ。午後は甲子園決勝でも観ようと思っていたが、ついつい試合開始時間を過ぎてしまっていた。

第92回全国高校野球選手権大会の決勝、沖縄の興南高校と神奈川の東海大相模高校との対戦。結果は、興南高校の打線が爆発し圧勝という結果となった。昨日からであるが、本当に久しぶりに甲子園大会のTV中継を観た。その中でも、興南高校の選手たちが見せる謙虚かつ純粋な表情には、どこか好感がもてた。高校生でありながら、甲子園という場があることで、一躍スターのような存在になってしまう日本の野球界。メディアにもの申したいことは山ほどあるが、もはや日本の夏の恒例行事となっているのも事実だろう。そんな中で、沖縄県初の優勝を謙虚に勝ち取った興南高校のあり方には、肯けるものがあった。

 「小さいことを全力で取り組む」
 「期待されることと、自分たちがやることは分けよう」

 興南高校監督の我喜屋優氏のことばだ。春の選抜大会の優勝などを経験すると、多くのチームは、自分たちのあり方が見えなくなる。脚光を浴びることで、大きな勘違いをする。たいていが夏の大会に臨むに当たり自滅したりする。そこを謙虚に前向きに取り組んできた結果が、この日の勝利に繋がったのであろう。

 閉会式で奥島孝康審判委員長が講評で、興南高校の野球を「横綱相撲」に喩えていた。逆転勝ちなどを繰り返し優勝したのだから「横綱」だというのだろうが、その捉え方は本質を見据えていないように思う。むしろ驕りのない謙虚さにより成し遂げられた勝利であるから、「横綱相撲」という比喩は当たらない。いや「横綱」という概念が、本来は「驕りなき謙虚さに根ざしたもの」だというならば、話は別である。講評の真意はともかく、受身にならず、一歩一歩を大切にすることが高校野球の原点であるという意味では、高校野球に「横綱」など存在しないのだ。

 
 沖縄県勢の初優勝。それは本来、特別なことではないはずであるが、アメリカ統治時代の参加など、歴史を背負うゆえに、その意味から考えることも多い。

 この優勝にも驕らず、主将のコメントにあったように、「沖縄県民とともに」勝ち取ったものだという気持ちが今後もあればこそ、意味のある優勝になるのであろう。

 甲子園とは何か?

 野球大国日本の原点を知るには、この聖域に触れずにはいられない

 「雲は湧き光り溢れて」

1998年、やはり春夏連覇を成し遂げた松坂大輔が、アメリカのマウンドで苦闘している姿を見てきたばかりなので、改めてその思いを噛み締める

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