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異分野交流

2010-07-31
30日(金)午後から出版社で編集の打ち合わせ。自らの原稿の書き方と、出版の方針を摺り合わせる。書物にはそれなりの方向性や制約があり、やや尊大に構えてしまう書き方をしていた小生の原稿に、見直す部分があることに気付かされた。何事も勉強、こうしたことを繰り返して、それぞれの分野での仕事を覚えていくことになる。現場で経験してきたことを活かし、斬新なものを考案してきた意欲は必要であったが、各分野の流れに合わせることは、不可欠な態度であるだろう。

 夕刻から、大学院時代の異分野専攻の先生と受講生で企画した飲み会へ。当時、授業の後によく通っていた、おでん屋を会場とした。冷房も効かないような店内では、カウンターの隅で、おでんが煮込まれている。猛暑のなかであるが、懐かしさと妙な安心感が、我々の飲み会に、よい雰囲気を付加してくれた。もちろん、料理は絶品。おでんは勿論だが、この日は「鮎の塩焼き」が最高に美味しかった。

 先生を含めて集まるはずだったのは4人。しかし、1人は忙しくて来られなくなったという。途中で電話が入り、今後の健闘を誓い合った。それにしても3人は、いずれも異分野の専攻である。この集まりはこの点に大きな意味があるのだ。大学院の授業の時からそうだが、常に新しい視点を提供してくれる。先生の専攻分野での業績は非常に偉大なものであるが、そんなことを鼻にも掛けず、淡々と我々と同じ視線で語ってくれる。

 そんな中で、話題になったのが、どの分野に於いても日本社会の危機的な状況である。確かに様々な分野で、パラダイム転換は起きているようだ。ただ、直面する社会状況は決して安心できるものではなく、状況が見えずに現場対応している分野の人々も、かなり存在するという。問題意識の希薄さ、仕事・社会への意識の低さ、などは、今後必ず大きな反動が来るに違いないという結論になった。

 また新たな視点を得ることができた。

 専門分野でないからこそ、意味のある発想を得られる

 異分野交流

 学問もこの横の関係を強化していかなければ、今後上質なものは産まれないと悟る
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国際免許も「ガラパゴス」一級品?

2010-07-30
29日(木)1年に1度、国際運転免許証を取得に行く。それは期限が1年であるから。国内運転免許の期限が5年(ゴールド)であるから、忘れてしまう頃に更新と相成るのだが、最近はむしろ、「国際」のために免許センターに出向くことの方が多い。おかげで取得要領などは熟知してしまい、帰り道には恒例のカフェに寄るということまで固定化してきた。

 しかし、毎度取得のたびに思うのが、その「国際免許」の仕様・体裁の悪さだ。グレーの段ボールのような素材の厚紙を三つ折りにしてあり、中に5カ国語で注意事項を記した紙があり、ホチキスで綴じ込み冊子状になっている。見開きの右端に自分の名前と住所に写真があるのだが、この写真サイズも特大で、パスポートサイズよりも大きい。ゆえに手持ちの証明写真では使えず、免許センターの自動撮影機で700円を投じて撮影する。それがまた極めて写りが悪い。たいていが国際指名手配のような形相になっていて、納得した写真になったことはない。見るのも嫌気がさす写真だ。

 それにしても、この「国際免許」の体裁はどうにかならないのか?かなり昔からこのままの体裁のようである。パスポートも今のサイズになって久しいし、国内免許も今のようになっているのだから、「国際」もIC化などに伴い、小さく携帯しやすいものになってもいいはずだ。たいていの場合、手帳か鞄の片隅に入れておくしかなく、レンタカーの手続きカウンターなどで提示を求められると、手元にないので鞄をひっくり返し、探す始末になる。もちろん生年月日などを証明するIDとしてなど使いようがない。

 まあ交通違反などをしない限りは、現実に提示する場面も少ないので、このような体裁を変更しないのかもしれないが、他国の国際免許事情はどうなのだろうか?パスポートなどとともに、「日本的?」な体裁から離れて、国際基準で仕様を考えて欲しいものだ。せめて、パスポートとサイズを合わせて欲しい。たぶん80%台の縮小をかければ、十分に可能だし、内容表示的にもまったく問題がないはずだから。

 監督官庁が違うと、こういった点も統一できないのだろうか?などと様々な原因を考えるが、毎年、毎年、2650円という申請料を払い、納得いかない仕様と写真の「国際免許」を取得し続けている。

 窓口の警察官の方も、年齢的に高い方々が多く、交付の時に、小生の名前を見て「こんな歌があったね」などと冗談交じりで渡してくれた。おまけに「時間と経済的に余裕があれば、1年以内なら何度でも渡航して使えますから、どんどん使ってください」というような趣旨のことを述べていた。都内にあっては、長閑な雰囲気だと思い、特に反感は持たなかったが、段ボール紙仕様の「国際」と、どこか雰囲気が重なって、都会の「ガラパゴス」
を感じざるを得なかった。

 島国ゆえの事情や感覚

 身近な中にもけっこう潜んでいるのだろうか

 それとも国際基準を過度に意識し過ぎなのか

 世界の「国際免許」を一同に並べてみたらどうなるのだろうか?

 まあ「ガラパゴス」一級品の価値なら、世界一と自負しておくか
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拝啓、桑田佳祐さま

2010-07-29
 猛暑というより酷暑というのでしょうか、身体の奥まで届くような暑さが日夜私どもにふりかかっています。されど、どんなに暑くとも「夏」がそこにある以上、私はあなたの曲を聴き、その季節の過ごし方に趣を求めて暮らしておりました。熱くも燃えるような夏とそのせつなさを、あなたの曲のやるせないメロディに載せて味わうことが、既に自分の中では、一つの季節感のようになっているのですから。

 今年もまた、そんな夏を過ごし始めていた折も折です、私にとってたいそうな衝撃を受ける結果となりました。あなたの食道ガンの公表。それを報道で知ったとき、思わず声を上げて、身体の動きが止まってしまう程でした。しかし、すぐに頭をよぎったのは、これをあなたなりにすっかり克服して、また素敵な歌を聴かせてくれるに違いないということです。

 正直なところ、今年末にかけてのツアーを楽しみにしておりました。チケットの先行予約が始まり、2度もエントリーしましたが、2度ともに落選。次のチケット獲得手段を、あれこれと考えていたところです。でも、そんなことはどうでもいいのです。今はその残念さよりも、あなたが病気を克服することが何より先決だと思います。殆どの予定をキャンセルされて、療養に専念されるという旨を伺いましたが、それが何より大切であり、私たちファンにとっても望むことであると思いました。

 それと同時に、私たちも病気に対する思いを、更に深めるべきであると思い直しました。がんという病気と闘っている人たちは多いと思います。その病気に対する考え方も、だいぶ進化しました。それだけに、誰しも発症する可能性を秘めた病気として、自分の立場から、考え直しておくべきであると、つくづく思ったのでした。過去に親戚で闘病した者の経験から学んだことと同等に、病気への意識を強くもったのです。この病気を克服するための公表と療養専念という姿勢は、社会を更に啓発する契機にもなるはずです。

 どうぞ、ゆっくり療養に専念され、ご自身の体をいたわってあげてください。不躾なことを言いますが、このご経験が再びあなたの詞と曲に、新たなものを付加していくものとも思います。私などを含めて、ファンや報道など、全てから解放されて、ただただ「あなただけを」考えて、前向きに療養されることを、せつに願っています。

 1日1度は、必ずあなたの曲を聴くようにして、毎日の治療が上手くはかどるように願い続けています。私たちは待っています。慌てず焦らず、ともかく療養に専念してください。

あなたがこの病気を克服して、元気な姿でステージに戻って来てくれることを、心より祈念しております。

敬具

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家庭的な伝承

2010-07-28
27日(火)先日、大学教授からVTRカメラを借りていたので、この日の夕刻に研究室を訪ねた。ちょうど学部棟のエレベータを下りると、そこに大学教授が。偶然とは不思議なものである。どうもこの教授とは、何かしらプロジェクトをやる運命にあるみたいだ。研究室に行き、前期終了の御礼と今後への方針等々。次期も更に充実させて講義を実施しようと確認した。家庭的を通り越して、異空間な研究室。在室した2人の学生も温かい会話をくれた。

 その後は、毎度英会話の前に立ち寄る洋食屋さん。この日も恒例の火曜日である。90歳を超える老人が、既にカウンターの隅に陣取っていた。グラスビールにワインと、英会話がある時には飲めない酒を、少々いただきながら美味しい料理と、家庭的な会話の中で食事が進んだ。

 様々な四方山話をしていると、老人の祖母が「安政」年間の生まれだという話になった。「安政」と聞けば「安政の大獄」、まさに歴史の重要事項である。老人ご自身は「大正」生まれ。その母は「明治」の生まれ。そう考えると、幕末というのは、今の時代に人間を通して接続しているということがわかる。決して幕末とは歴史という知識の中だけの、非現実的な時代ではないと実感した。

 老人は、もちろん「関東大震災」も幼少時に経験しているという。その時、積み木をしていて、震動で積み木が崩れたのを、再び積み直していたのだということを、後に母から知らされたという経験があるという話だ。「大正・昭和」の語り部の話は、何とも貴重であり、色々なことを聞いておくべきであると思う。同時に、「現在」に通じる「近現代史」を学校的な単なる知識の集積・暗記ではなく、実感として「今」を考える為に学び直すべきであると思った。

 両親や祖父母から語り聞くことがあり、それを自分が生きる糧にしていく。それはある意味で「家庭的」という中の、重要な「伝承」という役割なのであろう。勿論、自身の両親や祖父母から聞いた話もたくさんある。そしてその枠を超えて「家庭的」な雰囲気の社交場で、このような話を聞いて、自身が「伝承」していくことの重要性を再認識するのだ。

 3時間に及ぶ夕食、老人や店の人たちとの「家庭的」な会話

 これぞ心のサプリメントに他ならない

 次週からは海外に赴くので、しばらくこの「火曜日家庭」を留守にする
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心身ともに美容と健康

2010-07-27
26日(月)いつからか自身の美容と健康を考える習慣が身についている。食事は塩分控えめで野菜を多く。ジムでのトレーニングを励行し運動不足にはならないように。日常で欠ける栄養素は、サプリメントで補給し、肌や頭皮にも気を遣う。このような意識が自然と生活の中に根付いて久しい。

 お陰様で、人間ドッグなどでの数値に異常は見られない。生活習慣病とはよくいったもので、日常生活のあり方がそのまま血液検査などの数値に反映するのだから、いかに日頃が大切かであるかわかる。どういう生活をしているかで寿命にも影響を与えそうである。

 こうして小欄を更新している最中にも、青汁入り豆乳を飲んでいる。その後、朝食時には、セサミン+DHA・EPAとブルーベリー(サントリー)。野菜不足を毎日補い、ゴマ成分から元気を貰い、青魚成分で脳内すっきりと中性脂肪対策。それにPCで酷使している眼に栄養をという意図だ。ほぼ、これは習慣化しており、小欄更新とともに歯磨きなどと同様の朝の「恒例行事」となっている。

 TV報道によれば、日本の寿命は今後も右肩上がりに上昇するという。この恵まれた国の健康志向は、確実に多くの人を長生きにさせている。しかし、その長寿高齢化に、社会システムや精神は追い付いているだろうか?「健全な精神は健全な肉体に宿る」とも言うが、健全な肉体に「健全な精神」を補給する必要があるのが、今の日本の現状ではないだろうか。

 身体の健康志向に反して、精神が歪んでしまうことも日常ではある。その歪みを「心のトレーニング・サプリ・化粧品」でどのように対策するか。

 それは日本全体の課題であると同時に、一人一人に課せられた日本の将来への模索である。

 暑い夏が続く中で、熱中症で命を落とす老人などがいる社会とは何か?

 心身ともに美容と健康

 その両立を疎かにしてきた溝を、日本社会は全体で修正していかねばならないはずだ。
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周辺視野力

2010-07-26
25日(日)電車に乗ったりすると、そこに誰か知っている人がいるかどうか、すぐに察知できる。そんなことを特技の一つのように思っている。ターミナル駅の雑踏でも、群衆の中に知り合いが歩いていれば、相手は気付かなくとも、こちらはたいてい分かる。そんな力を「周辺視野力」というらしい。

 茂木健一郎著『龍馬脳のススメ』(主婦と生活社刊)にそのようにあった。そして運命の人を絶対逃さない力として、人生を左右する場合もあるという。かの坂本龍馬は、こんな力にも長けていたという。「偶然の幸運に出会う力」を「セレンディピティ」というらしい。そして運と出会いを引き寄せる3つのコツを挙げている。

? 寄り道や遠回りを嫌がらない
? ひとつのことではなく、いろんなこと、複数のことをやること。
? そのどれに対しても一生懸命集中して取り組むこと。


 偶然はそれを受け入れる準備ができた精神にのみ訪れる(アンリ・ポアンカレ・フランス数学者)

 ということ。

 この日の「龍馬伝」では、「志だけでは世の中は変えられない」と龍馬は語っていた。どんなに高い志があっても、それだけでは動かないことがある。そこで「周辺視野力」が求められる。今の状況をどのように捉え、周辺がどのような動きをするか。そんなことを柔軟に捉えて歩んでいくことが必要であるようだ。

 時に「周辺視野力」があり過ぎて、辛さを覚えることもある。だが、そこから柔軟な発想を生み出し、偶然の幸運に出会うことが求められる。

 「3つのコツ」を実行するには、人生には「遊び」も必要であるということも理解される。

 「偶有性の海」を泳いで行くことを楽しみつつ

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心の交流

2010-07-25
24日(土)馴染みにしている小料理屋店主夫婦の娘さんの婚約者がフィンランドから来日した。この日は、彼らを囲み小料理屋で常連さんだけを集めての小パーティーが開かれた。フィンランドから来日したのは、婚約者の仕事上の友人である夫婦を含めて3人。彼らとは何とか英語を使用して、コミュニケーションを取ることができる。娘さん以外に、英語を話すものが欲しいという店主の要望もあって、この日の一席に招待される形となった。

 和やかな雰囲気の中で会は進行し、小生以外にも何人かの常連さんが集まってきた。予想外に常連外の客も店を訪れ、店主夫婦も大忙しとなったが、途中からは貸し切り状態となり、賓客をもてなす時間が過ぎていった。娘さんほどではないが、店の中で二番目に英語が理解できる人物として、会話を進める役目を担い、心を交流させる時間が過ぎていった。

 フィンランドから来日した彼らは、日本食を好み、刺身の盛り合わせや、一般的に欧米人が苦手とされる、魚の顔付きで登場した金目鯛などなどに舌鼓を打っていた。時に、小さな山椒魚の唐揚げなどが出てきた折には、小生の方が苦手であり、せいぜい尻尾をつまみ取って口に運ぶのが精一杯であった。しかし、彼らは物怖じもせず食していた。

 楽しい会話が進む中で、全体に向けて英語でスピーチしろということになったが、さすがにこれは難しいと思った。仕方なく彼らに感謝の意を述べて、素晴らしい夜をともにできたことを讃えるというしかなく、何ともまとまらない発言となってしまった。日頃は、相手の状況に合わせて会話をすることを心懸けているので、一方的に話すというのは難しさが伴う。しかも社交的に日本人の常連さんたちにも、ある程度理解できる内容にすることを意識した時点で、頭の中は白くなってしまった。

 時間を忘れ午前様となった。フィンランド人は相変わらずリセットだと言い放ち、ビールを繰り返し飲んでいるが、次第に常連さんたちも帰途につき始めた。けっこうな時間まで、なかなか気分良く国際交流が果たせたのは、自分にとっても良い時間であった。

 いずれフィンランドを訪れて欲しいと彼らから言われ、様々な面で見聞したいこともあるので、実現したら嬉しい機会になると思った。

 心の交流は、言語を超えて

 店主のくだけたひょうきんな心根が国際社会の枠を超えているような気がした

 また新たな人の輪の中に、自分を置くことができた夜であった
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AV機器の互換性

2010-07-24
 23日(金)先週行った大学生による発表会をVTR収録していたので、この日は、本人たちに公開する予定であった。VTRカメラを大学教授から借り受けており、そのハードディスクに収録された画像を、教室で投影するつもりでいた。たいていのAV機器が整った教室であるので、さして苦労もなく投影できるものと思い込んでいた。

 しかし、教室機器のTAルームで尋ねると、接続ケーブルに特殊な装置が必要であり、それがないと教室のプロジェクターに投影するのは無理だという。浅薄は素人考えでいたものが、予想もせずこの日の予定を狂わせてしまった。どうやらVTRカメラの製造会社と、通常のVTRとの互換性も問題であるようだ。PCソフトなどもそうだが、この手の「互換性」により、実行できないことが突発的に生じるとなんともいえない虚しさに襲われる。

 仕方なく大学生たちには一通りの話をし、あとは個別にVTRカメラの小さな液晶画面で、自分たちの発表を見てもらった。全体に公開されるより、「このほうが恥ずかしさもなくていいです」という意見もあって、小生の心も少し慰められた。このような発言を、気遣いからか自然にか、してくれる大学生の心のあり方に、感謝をしながらこの日の講義を終えた。

 その後は、何人かの学生と馴染みの蕎麦屋へ行って一献。半期の授業が終わった打ち上げ的な時間を過ごすことができた。授業のみではわからない、様々な表情を垣間見ることができて、半期の苦労が労われた思いだった。

 今後、様々な機器を使用する機会も多くなる。自宅内での配線など、機器にはそれなりに理解はあるが、時折、その進化や互換性に戸惑うこともある。戸惑いを超えて、自らが様々に扱ってこそ、その問題点も見えてくるのだろう。

 敬遠せず、機器とは前向きに付き合うことが必要であると感じた1日。

 VTRカメラを自ら所有していれば何ら問題もなかったということだ。

 機器を責めず、自らを省みることが前向きということであるはずだ。
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どうする酷暑

2010-07-23
22日(木)寝ていても汗が湧き出てくる。シーツも寝汗を吸うので、洗濯を頻繁に。そしてベッドスプリングマットとの間に入れた敷物はベランダに干す。タイマーで冷房が切れると、夜中でも目覚めて汗を感じる。ここのところこのような夜が続いている。先月からの電気代請求書が来たが、前月よりもかなり上昇していた。

 午後から屋外で仕事の予定であったが、気温上昇につきキャンセル。仕方なく屋内でできる仕事を見つけて、前倒しで終わらせた。まあ何事も早めに終わらせることはいい。特に意識をもたずにやらねばならない仕事であればあるほど、早く終わらせるのがよい。

 帰宅途中に何冊かの本を購入。喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら読み始める。その内容については後日、小欄に記すことにする。

 夕食をどうしようかと考えた。何か惣菜を買って家で食べるかどうするか?ここは一番、スタミナを付けようと思い、いつもジムに行く際に前を通る焼肉店へ。上カルビにロース、豚トロと三種の肉。サラダに石焼きビビンバを食べた。通常なら、一人で焼肉店などに行こうとは思わないが、これも酷暑の為せる技。網で肉を炙っていると、隣にも一人で来店した男性が一人いた。

 夜は冷房を効かせた部屋で読書。身体には肉の脂がのってきた感じで、スタミナは回復しそうだ。いつしかそのままソファーで睡眠に入っていた。忙しくて、このような感覚になったのも久しぶりな気がする。

 この酷暑をどうしようか?

 冷房の恩恵を感じながら、こうした人間の営みが作り出した暑さかと矛盾も感じる。

 水分補給とスタミナ維持に努めながら、毎日を過ごす。
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想いを載せた荷物

2010-07-22
21日(水)以前から思い描いていたことを、実行に移す。それがほぼ自分の想像通りにできると何とも言えない達成感がある。1ヶ月ぐらい前から様々にイメージし、準備を進めていたことを集約して、一つの荷物という形にした。

 単なる荷物、されど荷物。内容物とするものの一つ一つに想いを込めて、誠心誠意最後の点検を行った。この日、ほぼ1日を費やしたが、納得のいく荷物が完成し、夕刻には郵便局の窓口に提出したのだ。

 荷物への想いは、親戚の伯母に由来する。幼少時から夏休みになると、「田舎」と称して、親戚の伯母の家に長く滞在した。今思えば、自身の中にある夏休みの思い出は、ほぼこの伯母の家にあるといってよい。そして従兄妹である2人と遊んだ想い出が。

 伯母や従兄妹から受けた影響は大きい。小学校の教員をしていた伯母は、何かにつけて厳しかったし、何事でも「もったいない」と言って大切にした。自転車で逆車線を走れば、当然ながら怒られたし、従兄弟らとともにおむすびを持たせて、子供だけで小さな山登りにも行かせた。まさに「旅をさせて」くれていたのだ。

 今はなき伯母と従兄への想いを載せて、そして祖母から得た恩恵も添えて、荷物はゆうパックの中型の箱に見事に収まった。明後日には目的地に着くと、郵便局の窓口の人が語ってくれた。

 
 夜はジムへ。先週木曜日からスタジオプログラムに参加していなかった。やはり筋力トレーニングは、身体の刺激となり、また新たな活力を生む。

 帰宅して英語学習。こうした時間が平然と取れるありがたさに感謝して就寝。

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