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W杯1勝に素人として思う

2010-06-15

14日(月)取り立ててサッカーが好きなわけでもなく、日常的に試合中継を見る機会も殆ど無い。それに引き換え、贔屓にしているMLB野球チームの試合結果は、逐一気になるという毎日を過ごしている。しかし、野球かサッカーかといった二者択一でスポーツを語るのもおかしな話であり、サッカーに熱狂的な方々が、「野球の比ではない」などというのも元来、比較する価値観が違いすぎるので、ナンセンスな発言としか受け取れない。要は、自己の価値観の中で、我々一般人が自己の受け入れる文化的要素に合致する範疇で、そのスポーツを、どう楽しみ味わうかということが肝心なのかと思う。

 ゆえにサッカーに関しては、技術的なことを発言する資格は全くないので、自己の中に秘めておくこととして、昨日の日本の1勝にして感じたことを、つれづれなるままに。

 大会前のテストマッチなどで、得点が取れず成果が上がらないことに対して、様々な批判が相次いでいたようだ。韓国戦の敗戦を受けて、岡田監督の進退伺なども。しかし、監督を含めて選手たちが、勝つために競技に取り組んでいるにはちがいない。監督を直前に交代させて、果たして何になるのだろうかと思っていた。実際、98年大会の予選中に、監督の交代劇があったと記憶する。そこで交代して急遽監督になったのは、岡田監督に他ならない。交代が功を奏してW杯初出場を達成。岡田監督は日本サッカーの救世主でもあったのだ。異論がある方もおありだろうが、小生は絶大な岡田監督贔屓である。彼をおいて日本のサッカーを世界水準まで引き上げられる監督は他にいないと思う。その理由は、ある意味、長期的な展望の中で、日本のサッカー、いやスポーツ競技のあり方を根本的に改革する発想を持った監督であるからだ。

 10年ほど前になるだろうか、母校の大学で岡田監督の講演があったので、興味があって聴きに行った。岡田監督は、たぶんその風貌でだいぶ損をしている点があると思った。何となく頼りない「南こうせつ」もどきの容姿からは、想像もできないほど饒舌に知的にサッカーや日本の歩むべき方向性を語った。しかも1時間半にわたり聴衆を飽きさせず、環境への問題意識などに話題は及ぶ。旧来のスポーツ指導者の鋳型を確実に超越した存在だと、十分に悟ることができる機会だった。

 いつの間にか、W杯出場も4回目の日本代表。2002の日韓共催時にあったような、熱狂的な盛り上がり方は、今や懐かしく感じられる。1998の初出場に至るまでの長く苦しい闘いを意識して、今のサッカーを語る方々も少なくなったように思う。短いながらも、こうした歴史の中に、今回のW杯出場も位置づけておかねばならないはずだ。

 TV中継の解説に、旧来の代表選手たちが顔を揃えていた。中でも中山雅史氏は、こうした歴史を自ら体験してきた1人だ。未だコメントの中に、「あとは魂だ」などという内容が込められ、ラモス瑠偉氏が日本代表を牽引していたころの精神構造を覗かせる。世間には、今の代表チームに「魂が足りない」などという論調もあるようだが、もはや「魂」などという範疇で、サッカーを考えて欲しくない気もする。精神論中心の日本スポーツは、既に過去のものと認識し、世界の中で闘える技術と身体はどうあるべきか、といった点から、日本選手の身体特長を活かしたサッカーを追求していくべきだ。

 スポーツに限らないが、政治・経済・社会において、こうしたパラダイムチェンジが必須であるのが、現状の日本であると思う。マスコミ諸氏ももうした認識で、意義深い報道を心懸けて欲しいものだ。日本から飛び出して、世界で活躍する人材は、遙かに日本国内での蛸壺議論のレベルを超えているのであるから。

 W杯などへの世間の動向は、ある意味でその時代の社会を浮き彫りにするのかもしれない。

 今一度、自らの社会を振り返りながら、サッカー素人としてW杯を客観的に見つめてみたい。

 昨日の日本戦が、今回のW杯初TV観戦である。これぞ素人ゆえ。
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