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W杯―PK戦という刹那

2010-06-30
29日(火)夜の11時からW杯―日本対パラグアイの試合。時間帯もよろしく、試合前からTVの前に張り付いた。1人での観戦は、ただただ声を上げるだけになるので、せめてと思い、iphone片手に Twitterを見て、自らも呟きながらの観戦となった。様々な人が、それぞれの捉え方でこの試合を観戦しているのがわかり、これはこれで興味が尽きなかった。

 パラグアイは、かなりの強豪国という戦前の印象であったが、日本代表が健闘しているせいか、対等な試合運び。ボールの支配率こそ4対6ぐらいで負けてはいるが、終始、堅い守りを見せ、チャンスとあればシュートを打ちに行く日本選手の健闘ぶりが目に付いた。それだけに、何らかで得点が上げられれば、これが真の意味での健闘となったのだろうが、結局、延長戦となり最後まで日本代表が、ゴールネットを揺らす機会はなかった。それはパラグアイも又同じ。南米というサッカーの強豪国揃いの中で、予選を勝ち抜いてきたしたたかさは、負けないサッカーとは何かということを知っているような試合運びである。

 結局、PK戦での決着に試合の行くえは委ねられた。しかし、このPK戦ほど残酷な勝負の決着の仕方も他にない。そこまでの試合で、チームとして組織力を発揮していたとしても、急にそれが1対1という状態の対決に持ち込まれる。しかも、それが一刹那のうちに誰しもが分かり易い形で勝負が決するのだ。入れるか外すか。まさにここが究極に、サッカーという競技の分かり易さかもしれないが、この刹那を行う方も、見守る方も、まさに「祈る」しかないような、運を天に任せた攻防が続く。

 その1本のチャンスを、外してしまった選手の気持ちやいかに?わずかな時間の中で、キーパーとの微妙な心理戦的な駆け引き。そしてゴールという枠の中にボールを蹴り込むという、単純かつ複雑な彩を持つ一刹那。何とも応援のしようがないような、「祈り」の時間が続いた。

 結局、勝負は3対5でパラグアイの勝利。日本サッカー界初のベスト8の夢は潰えた。

 負けたとはいえ、日本代表の健闘は大きく讃えるべきだろう。そして、世界の中で挑戦していくということを、具体像として我々に見せてくれた意味は大きい。閉塞感ある日本社会が、今一度、広く多彩な世界の中で、どのように自らの特長を活かして生き抜いていくかという気持ちを、多くの人々に奮い起こさせたのではないかと思う。

 その先に待っていた、勝負の一刹那。最後は運命が決したという事実は、変えようがないが、その一刹那を迎えるところまで、自らの力で歩むことが、何より大切なことも教えてくれた。

 生きて行くには運命に左右されることもたくさんある。しかし、「人事を尽くして天命を待つ」という格言の如く、挑戦するという意志を持って、前進しなければ何も起こらないのも事実だろう。

 明日へ向かって、あらゆる面で、日本に希望が見えたW杯でもあった。

 チームを率いた岡田監督と、健闘した選手たち、スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした!
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身体に刻まれた特別な1日

2010-06-29
28日(月)曜日の移動が年数を語る。土曜日だったこの日付から2年が過ぎれば、月曜日として迎えることになる。土曜日は土曜日で、同じような時間・天候条件で過ぎたので、ある種の感慨を持ったが、やはり日付が同じであるというのは、身体に刻まれた特別な1日として、自然と様々なことが反芻される。

 朝一番で、母からのメール。最近になって携帯メールを覚えて、折々に短文のメールが届く。この日に祝意を伝えてくれたのは、このメールによる、母だけであった。

 話は変わるが、夏になると身体に刻まれたものにサザンの曲がある。前の晩も、部屋に曲を流しながらメールなどしていた。すると改めて心に染み入る曲と歌詞があった。

 夢追う無邪気な子供の頃に   叱られた理由が今解るの
 今日まで幸せくれた      パパとママに花束を
 
 若さにまかせて家を出たとき  励ます言葉が身に沁みたよ
 どんな背伸びをしても     腕の中で甘えてた
 
 期待通りの僕じゃないけど   素晴らしい女性に出逢えた
 もしも涙が溢れそうなら    御免よ何も言えなくて

 笑顔の中には淋しさもある   幸せの旅を憂うばかり
 愛するこの女性となら     辛いことも分け合える

 期待通りの僕じゃないけど   人並みに愛を叶えた
 もしも涙が溢れそうなら    時間を止めて抱き寄せて
 心を込めて花束を


 ベスト盤「バラッド3―the album of LOVE」に収められている、「心を込めて花束を」という曲だ。その切ない曲調とともに、何か妙に心を揺さぶるものがあった。歌詞に関して、これ以上の他言は無用である。



 この日の夜は、いつも通り、1人で早めの食事を終えて、ジムでスタジオプログラム。筋肉を刺激して身体を鍛え、心を発散し、解放するしかない自分がいた。


 ジムからの帰り道、湿気を十分に帯びた夜空に、立待月(17日の月)が朧気に顔をのぞかせていた。
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日本を頼む!

2010-06-28
27日(日)毎週日曜日の夜は大河ドラマ『龍馬伝』。この日は冒頭から、勝麟太郎が坂本龍馬に対して、「会ってみねぇーか」と、薩摩の西郷吉之助への面会を勧める場面。その歴史の巨人たちが、遭遇していこうとする一場面に、思わず胸が熱くなうようなシーンであった。

 咸臨丸で渡米した勝は、帰国後、神戸村に海軍操練所を設立。日本の海軍を創るという野望を果たすべく、各藩から志しある志士たちを集めて活動していた。しかし、幕府の意向でこの操練所も閉鎖。多くの若き志士たちに、「すまねぇー」と土下座して、各藩へと返すことになる。龍馬は、土佐藩の脱藩浪士ゆえ、土佐に帰ることもできない。この状況にあって勝麟太郎は、海を前に次のように語る。

 今までは、この海が日本を外国と隔てていた
 しかし、今は違う。この海が日本を外国と繋げているのだ

 そして、多くの若き志士たちに「日本を頼む!」と未来を託す。

 平成の今、世界の中にあって、何もかもが動いていくことが当然となった時代。しかし、このような歴史の偉人たちがあってこそ、今の日本がある。坂本龍馬は、徐々に大きな世界を見据え、この後も奔走するのだが。そして更なる日本の延長上に、今の我々の時代はあるのだ。

 勝麟太郎の「日本を頼む!」は、今の我々にも向けられたメッセージだ。

 世界の中で、一流の経済大国に登り詰めた昭和から平成の歴史を経て、今の日本は
真に世界で誇れる国なのだろうか?政治・経済・社会の各分野で、人々が安心して幸せに暮らせる国なのだろうか?今一度、我々は過去の歴史も顧みて、日本の行く末を見定める時期が来ているのではないだろうか。

 歴史の歪みに、押しつぶされそうになり、多くの志ある人々が追い込まれて行った幕末の時代。その人々の意志を汲む為にも、今一度、世界と海で繋がった日本という国のゆくえを、真剣に考えてみてもいい気がする。

 各人が、自分ができる分野で、広い世界を見据えて、歩むべき歴史の中で。

 現在こそが「歴史」である。

 そんなことを思いながら、勝麟太郎の声が、この平成の日本に今一度活力を呼び起こしてもいい

 日本を頼む!!!
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過ぎた日々は戻らない

2010-06-27
26日(土)過去というものは、単純に考えれば人々の記憶の中にだけ存在し、ただただ儼然と立っているに過ぎない。しかし、それを変えようと思ったり、あの日に戻りたいと思うこと自体も、人間の幻想でしかない。ゆえに、過去にこだわるよりも、現在をどう生きるかが重要だということになる。

 現在の繰り返しが過去になるのだから、現在を過去だと認識して生きていくべきだともいう。その認識こそが、後悔のない過去を産み出して行くに他ならない。

 都電に乗車していて、ふとこんなことを考えた。

 都電の駅の近くにある、首都高速のガード下という場所。そこにある儼然とした過去。

 やや湿気を帯びた、梅雨の曇り空。しかし、雨は降らない土曜日の夕暮れ時。

 夜になってジムに行き、帰り際の道で雨が降り出した。

 梅雨やあらぬ雨や昔の雨ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

 思わず業平朝臣の本歌に想いを馳せた土曜日
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サッカー選手のコミュニケーション能力と組織力

2010-06-26
25日(金)W杯の予選リーグ通過が決定した。大会前のテストマッチに連敗した頃は、マスコミなども口を揃えて不安を喧伝していたが、いざ本番となれば堂々とした結果を残した日本代表チーム。今や、欧州などでも、その戦術などを中心に大変高い評価を得ているなどと報道されている。本番で勝てば何も言われないのは、世の常かも知れないが、いかに日本人が、短絡的にまた悲観的に物事を考え、一時的な中で冷めやすいのに、批判のみを熱くしていたかがわかる。

 冷静に物事を客観的に捉え、そして進めていたのは、むしろ選手たちと岡田監督らの当事者たちだけだったのかもしれない。目標をベスト4とすれば、様々な言われ方をし、ましてや本田選手が「優勝」などと口にすると、その言い方に批判が集中したり。しかし、岡田監督もしかり、特に本田選手、松井選手あたりもそうだが、世界的な基準で物事を考えていたように思える。

 この日、特に欧州で活躍している際の、本田選手のインタビュー映像を見る機会があった。それは、英語を中心としてご当地の言語でインタビューに堂々と答えている映像だ。時としてその言語は、文法的に破綻していたりするが、しかし、そうした些末な事よりも、本田選手が、ご当地の人々に何らかのメッセージを伝えようとしている姿が印象的であった。しっかりとしたコミュニケーションをとろうとして、その国の言語で表現しようとする姿勢は、従来の日本選手にはなかったようにも思う。

 中田英寿選手が、言語に堪能であるのは比較的有名だが、欧州などでサッカー選手として成功する秘訣は、技術・体力は勿論だが、この言語能力、コミュニケーション能力が高いことが求められるのではないだろうか。

 自分の考えを、様々な言語で、その国の人々に伝えようとする力。そんなコミュニケーション能力が、日本サッカーにおける組織力の原点にあるように思うのだ。

 そんな意味で、初出場から4大会目に当たる、今W杯大会において、日本サッカーの進化を別な面から、見つめてみることも必要なのかもしれない。

 外国語学習への姿勢が、妙に奥手であった過去の日本人意識を乗り越えた選手が、多く出て来たことこそ、この大会の成果に繋がったというのは、やはり短絡的な解釈であろうか。

 いずれにしても、体力的には劣る日本人が、組織力を発揮してこそ、その特長を活かしたことになるということに、異論はないであろう。

 組織力を作るには、やはり構成する個々の人間同士が、コミュニケーション能力を高めていないと実現できないのも理解できる。

 個々の力と組織力、日本人が様々な分野で考えていかねばならない課題であるとも思うのだ。
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無心の境地

2010-06-25

24日(木)仕事後に外部組織の会議。それも終えて向かったのは、この日に公示となった参議院選挙のある候補者事務所。かねてから、何らかの協力をと思っていたので、まずは公示日であるこの日に、事務所に出向こうと思っていた。この日を皮切りに、17日間の熱い選挙戦が始まったのだ。

 今の日本をどうするか?この問題山積の社会で良いのか?日本の未来は本当に大丈夫なのか?様々な疑問と不安が渦巻くこの何年かの世相。政治に関心を持ち、自らが参加する意識を持つべきであると思い、かねてから社会問題について考えてはいたが、それを何らかの形で行動にしたのは、今回が初めてだ。

 アメリカでオバマ政権が誕生したとき、アメリカ人の政治意識のあり方にある意味で感心した。1人1人が変革を意識し、それを選挙によって実現する。まさに民主主義のあり方を垣間見た気がしたからだ。日常から意識を持つことは前提として、自己の思いを政治に反映させてくれる候補がいれば、様々な議論を介して、その方を国政の場に送り込み、問題山積の社会を変革して欲しいと願い行動する。それが政治に参加するということだと思う。

 この日の事務所で行ったボランティア作業。選挙用の葉書枚数を確認し、100枚ずつ束ねる。選挙用のビラに管理委員会の証紙を貼り付ける。その極めて単純な作業を、ただ延々と繰り返す。こうした地道な作業が、1票1票の投票に繋がる。証紙を1枚貼ることは1票を訴えることになるという気持ち。だが、そうこうしているうちに、この単純作業に没頭してきた自分がいた。そして雑念を廃し、次第に「無心の境地」に至っていた自分がいたことを、後になって自覚した。

 何ら自分に利益があるわけでもなく、候補者の方の目標を叶えるため、無心のボランティア作業。これこそまずは政治に参加することでもあるという実感を持った。綺麗事や聞いたふうな事を語るのは誰でもできる。しかし、自ら無心の境地で、意味ある単純作業に取り組む。これぞ草の根の政治参加であるという気がする。

 8時を過ぎ、候補者ご本人を始め、この日の活動を終えた方々が外から帰還。熱い1日の中で、いささか陽に焼けた表情には、前を向いて歩む人々の、充実感が見られた。

 約2時間の作業を、まったく苦痛には感じず、淡々とこなすことができた

 無心の境地になれた充実感を手に、1人で選挙事務所をあとにした
 
 日本を考え、変えていく17日間の始まりであった
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スタジオイベントの夜

2010-06-24

23日(水)毎週水曜日は、不快になることが多い。なぜなら職場の会議が長いからだ。昨今世間では、会議の効率化が求められ、優秀な企業や大学ほど会議が短いという。東大などは5時以降の会議は持たないという取り決めを作ったと聞く。この尺度からいくと、会議が長いというのは、熟練してない職場の尺度であるということにもなる。参加する人間のストレスだけを増大し、何ら建設的な議論が為されるわけではない。まさに時間と精神の浪費としか言いようがない。

 そんなストレスを発散すべく。この日も夜はジムのスタジオプログラムに参加。この夜は特に、「新曲イベント」と称して、チェーン店であるジムの他店からインストラクターが参加し、いつもと違った雰囲気でプログラムを盛り上げるイベントがあった。

 通常、このプログラム枠は、女性インストラクターの担当だが、この日は男性が3人加わった。それはそれで逞しくもパワフルなレッスン内容となり、会場にも活気が溢れていた。筋肉を鍛えるという行為の中に、精神的な発散も加えて。

 自己の筋肉にしっかりと負荷を掛けていくと、自然と精神は無の状態に近づく。ただただ身体の中で、無意識な状態が生まれ、精神は余計なことを考えずに済む。「頭の中を空にする」という言葉があるが、まさに筋肉への刺激によって、身体性が優先して体内を支配する時間が訪れる。

 レッスン後の爽快感は格別。さらにサウナと水風呂で全身の新陳代謝を促進する。

 いつしかストレスはどこかへ行ってしまった

 帰宅して何人かの知人からメール

 返信して寝床に入る

 筋肉を鍛えることで、精神も大きく快復した夜
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煩悩があるからこそ人生は

2010-06-23

22日(火)宵のうち英会話を前に、毎度恒例の洋食屋さんでの夕食が楽しみだ。料理の内容も、1週間で1番スタミナが付くもので、筋肉トレーニングの支えともなっているといってよい。同時に、店の奥さんやおじさん、それにこの時間帯に常連である老人と交わす四方山話がおもしろい。

 この日は、どうも料理の出が遅いと思いきや、知人に不幸があって夕刻に戻ってきたばかりであるという。仕込み準備が万全でなく、やや時間が掛かっているらしい。そうこうしていると、奥さんが、「変な話ですが」と切り出した。葬儀後、お清めの食事の中に「赤飯」があったという。それは「極楽浄土に召されて、煩悩もなく楽にしていられるようになったお祝い」の意味があるという。そうか、そんな発想もあるものかと老人と2人で感心したものだった。

 すると90歳にも近いその老人が、「しかし、煩悩があるから人生は面白いんだよ」と呟いた。一瞬、90歳近い老人に葬儀の話も何かと思ったが、しかし、この元気な老人の捉え方は巧妙であった。「煩悩」とは、辞書に拠れば「一切の欲望・執着や怒り・ねたみなど。」(『新明解国語辞典』三省堂)とある。そして、この「煩悩」を捨てるのが仏道修行の道である。だが、凡人である我々は「煩悩」があってこそ人生を楽しめるのである。

 老人のことばには、これまで生きてきた人生の重みがある。「煩悩」を消し去ることが「極楽」であるとするなら、その前に「煩悩」を存分に味わっておく必要もあるというわけだ。90歳に近い身体で、週に2回のプールトレーニングをこなし、洋食屋でステーキを頬張る老人こそ、生きることの師匠に他ならない。

 煩悩があってこそ人生は面白い

 ともすると悩みに押しつぶされそうになる世の中

 長年生きてきた老人のことばに耳を傾けて

 ステーキを食べて元気になった身体で

 また外国語学習という「煩悩」に立ち向かう

 生きることは素晴らしい
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2人分の人生

2010-06-22

21日(月)職場で仕事中、向かいの席でPCのキーボードを叩く音が。しかもEnterキーを、最後に妙に強く叩く音が聞こえてきた。一瞬、ここまで強く叩かなくてもいいのにという思いを持ちながら、ある人のことが急に脳裏に浮かんできた。それは12年前にこの世を去った、大学の先輩のことである。

 大学在学時代から、その先輩が先に就職すると、職場までよく押し掛けた。ほぼ仕事が終わりかけた時分、旅行会社の窓口業務で先輩が、PCを使って検索作業などをしていると、Enterキーを妙に強く叩くのが印象的だった。先輩が、旅行会社勤務ということもあって、様々な旅行を依頼し旅にも出た。中には話している内に煮詰まって、その先輩と2人で北海道1周の旅に出たこともあった。大学在学は、入れ替わりであり一緒に過ごした期間はない。しかし、妙にウマがあった。これ以上の親友はいないのではないかと言うぐらいの付き合いであった。

 その先輩は、12年前の5月、突如としてこの世から姿を消した。考えてみれば、今年が13回忌となる。だが、原因不明の死であったこともあって、その後、先輩の家族とも連絡が途絶え、供養する機会さえない。毎年、5月になると先輩の顔が脳裏に浮かぶ。仲間内で、先輩と最後に会っているのが、紛れもなく自分であった。その時、大学院修士に在籍し、野望を持って前進していた自分は、先輩に対して「研究発表をして成果があった」とか「雑誌論文を書いている」とか自慢げに語ったのを記憶している。

 しかし、先輩が話したかったのは、そんな事ではないだろう。人生の岐路に立たされて、ただただ前向きに邁進できる者と、表面上は強そうに見えても心が折れそうな者もいるということだ。あのとき、もっと「自分が辛くて仕方ない」とか「仕事と大学院の両立が厳しい」とか、「周囲が研究に理解がない」とか語っていればよかった。長年の親友にこそ、自分の弱さをさらけ出すべきであった。そうすれば、きっと先輩も自分の辛さを、話してくれたのかもしれない。

 周囲の人に対して人一倍面倒見のよい先輩であった。ゆえに自分が辛くなったとき、それをさらけ出せなかった。年齢の壁を越えずに先輩はこの世を去った。

 ゆえに、小生はそれ以来2人分の人生を生きようと思っている。強く生きることも然り、弱い自分をさらけ出すことも然り。一定の型にはまり込むことなく、自分が生きたいように、雄大に自由に自分らしく。そして人に優しく。

 自分が頑張っていることがあると、ついつい自慢げに他人に伝えてしまうのは、誰しもあることだ。しかし、自分が頑張っていることこそ謙虚に捉えていくことが、一流への道でもあり、他人に受け入れてもらうための窓口でもある。新たにそんな気持ちを再確認する必要もあるみたいだ。

 このブログ上に蘇った先輩は、自分の中には永遠に生きている。墓参などしなくとも、この世で一番、思いを寄せていると自負できる。それでこそ、いつでも辛いときは先輩が支えてくれるはずだから。

 重荷という意味ではなく、心に生きる先輩と共に、2人分の人生を、いくら充実させても充実し過ぎることはない。

 21日はやはり毎月、何かに助けられる日でもある。
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思考と想像の日曜日

2010-06-21

20日(日)ややゆっくり寝て、昼前からお気に入りになったカフェへ。店の前の3段ほどの階段を上がり、顔を店内に見せると経営者の奥さんの方が、ドアを開けて迎えてくれた。ほぼお気に入りとなった、緑の見える窓際のソファへ。そして朝刊をじっくりと読み始めてみた。

 やはり日曜日朝刊の楽しみは読書欄(朝日新聞)だ。中でも最近特集している「ゼロ年代の50冊2000〜2009」で取り上げられる本がいい。この日は、『格差の戦後史』(橋本健二著・河出ブックス)と『悪人』(吉田修一著・朝日出版)の2冊。いずれも、この10年で顕然化した、「格差」とは何であるかを考えるのには絶好の書物である。

 1980年代以降、我々が知らぬ間に陥ってしまっていた「格差社会」。それがどのように生じてきたかという議論を、きちんとした根拠で示した橋本氏の『格差の戦後史』と、小説として若者の孤独を描くことに成功した『悪人』。いま考えるべき事は何かを、十分に思考させてくれる好著だと見受けられた。

 こうした思考を巡らしながら、ランチの「ジェノベーゼパスタ」をいただく日曜日の昼下がりはありがたい。知的好奇心を動員し、そして「格差」の生じた社会で、このような幸せが持てることを実感できた。「チーズケーキ」を食後にいただき、尚更そんな思いを強く感じながら。

 夕刻からは、夏にアメリカ・カナダを旅する父とその友人、それに母も伴い、いつもの寿司屋へ。行程や持ち物の準備、宿泊先の紹介など様々な旅の楽しみに思いを馳せた。旅は行く前から始まっている。こうして想像を巡らすこと自体、既に心がアメリカ・カナダへ向かっていることになる。アメリカでのMLB観戦やカナダでの大自然などなど、想像は果てしなく大きな世界へと向かうのだ。

 帰宅して『龍馬伝』。今度は歴史の断層に思いを馳せ、幕末に生きた人間模様の激しさ・厳しさに、心を痛め、心を奮い立てる。

 思考と想像の日曜日

 ある時は過去にある時は近未来に飛翔する

 今ある幸せを享受してこそ為せる技であると自覚する1日
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