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四国行脚?―世は無常ゆえに進むべし

2010-02-23

22日(月)平成22年2月22日22時22分と「2」を並べ立てて、Twitterでその時間の状況をつぶやく人もいた。時は常に流れゆき、留まるところを知らないが、人間が作り出した数字という「記号の彩」が、人の注意を引き、時間が止まったかのような錯覚を起こさせる場合がある。「平成」なので日本限定ではあるが、こうした時間意識を中世の時代には「無常観」と捉え、様々な言葉や文学となって世に残されているのである。

 四国行脚も最終日を迎えた。3日間の疲れが身体に感じられるのは、巡り歩いてきた証拠。それでも文明的な交通機関を使ってのことだから、昔日の旅はいかなるものか、更に身体への負担が大きかったのだろう。この日は、ややゆっくり朝を過ごし。宿泊しているホテルの最上階にある天然温泉に浸かり目を覚ます。月曜日の朝に温泉という何とも贅沢な朝だが、露天風呂に行くと徳島駅前で行われている、政治演説の拡声器の声が、月曜日たることを示していた。

 ホテルの1階にはコーヒーのチェーン店があるので、早速調達してからPCに向かう。旅の最中でも、小欄の更新を怠ることなく進めてきた。この日は、前日の内容が重かったので、けっこうな時間を要した。しかし、この表現による反芻こそ、旅の記憶をより確実なものにして、無常なる時間を留める人間にだけ許された行為なのかもしれない。午前中は11時のチェックアウトまで、ゆったりと部屋で過ごす。

11時31分の徳島発高松行き「特急うずしお12号」に乗車。「特急」ではあるがディーゼル車両で2両編成。発進時こそ緩慢であるが、いざ走り出すと結構な速度で走る。しかも、曲線の多い線路にはかなりのスピードが感じられる。最新の新幹線などに乗り慣れていると、この列車の揺れは激しく感じられ、幼少時に乗ったオレンジと濃緑に塗装された急行電車を思い出させる。高松までの所要時間は1時間であるが、読書には適さない揺れだ。

 高松に到着し、目的地へのバス時間まで暫くあるので駅内でうどんを1杯。その後バスで「高松平家物語歴史館」へ向かう。港の工場や倉庫が多い地域のバス停で下車。運転手のおじさんが、反対側の停留所で帰りのバス時間を確認しておくように、また近所のうどん屋がおししいことを勧めてくれた。

 「平家物語歴史館」は、以前から『平家物語』の解説が為される書物に、写真が掲載されていたので知っていた。蝋人形による平家物語における主要場面の再現である。それに四国出身の著名人の蝋人形展示が加わる。1Fには政治家や文学者の著名人、正岡子規や秋山真之、坂本龍馬に吉田茂、作家の菊池寛などなど。しかし、蝋人形というのは、顔を見つめて目を合わせると、どうして動き出しそうな錯覚に陥るのだろう。人間としての形というもの自体が、こころ宿るような構造をしているというのか?

 2Fは、『平家物語』の名場面。この近所で展開した壮絶な「屋島の合戦」が、このような歴史館がある理由だ。屋島以前の「一ノ谷の合戦」が階段の途中から1・2F吹き抜けで展示されている。「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われ、栄華を極めた「平家」が、「源氏」側の追討に追い立てられ都落ちし瀬戸内海を転戦し壇ノ浦で滅ぶ。この急転直下なあり様が、「世の無常」として描かれる。人間社会に永遠などあり得ず、常に死滅に向かって歩みを進めるしかない。こうした中世武人の生き様が、様々な光景から蘇ってきた。

 帰りのバスまで時間があるので、バスの運転手さんに教わったうどん屋へ。そして高松駅へ戻り、高松空港へのバスへ乗り換え。四国の旅は終着点を迎えた。羽田まではわずか1時間のフライト。海外と違い旅を振り返る余裕もない。しかし、この四国行脚の4日間は、自分にとって大きな意味があり、前進するための新たな原動力となったのは確かである。

 全体にゆったりとした時間が流れていたように感じた四国。松山での明治維新や俳句による街造り。空海生誕地と四国八十八カ所の入り口。そして瀬戸内に展開した世の無常。歴史から今を学び、自分が生きるということは、今の立ち位置とは、と自問自答を繰り返した旅。そして何よりも、そこで生活している知人たちのことばに、今の自分が映し出された。2010年四国行脚が自分史の中で、大きな意味を刻むような予感がある。
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