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四国行脚?―空海生誕地と一番札所

2010-02-22

21日(日)松山での2日間は、明治期の歴史的人物の事跡に触れ、ともするとせいぜい20年ぐらい前までは、その人物と直接関わった人がいたという話を何度となく聞いた。例えば、漱石に松山中学で習ったとか、種田山頭火の膝に抱っこされたとかいう老人の存在だ。そういう老人を知っている人がいる。「降る雪や明治は遠くなりにけり」という中村草田男(松山出身)の句があるが、遠いといえども、近現代という意味では、どこか現在と繋がっているのではないかという思いがあった。

 早朝から「坊っちゃんエクスプレス」という高速バスに乗り込み、松山を発つ。馴染み深くなった市電が、またゆったりとした動きでカーブを曲がる。バスの高い車窓から、この文学の街との再会を約束する。

 バスは高速道路に入り約1時間40分程度、瀬戸内海沿岸を走り善通寺ICで下車。そこは愛媛側から行くと観音寺に次いで香川の入り口といった場所に位置する。これぞまさしく弘法大師・空海の生誕地である。高速バス停は町外れにあり、降りると左右不覚。ウォーキング中のおじさんに、善通寺駅の場所を聞く。けっこうな距離があったが、健脚こそ旅好きの証明。お遍路さん巡礼の方々に比べれば、たいした距離ではない。駅に着いて荷物をロッカーに預けようとするが、小さいタイプのロッカーしかなく、どう傾けても入らない。ガサガサと音を立てていると、近くのおばさんが荷物を分ければと提案。分けたところで、鞄の大枠自体がロッカーに入らないと説明。すると駅内コンビニ店員のお姉さんが、駅で400円払えば預かってくれると教えてくれた。荷物の大きさで100円増だが、荷物預かり所というのは昔懐かしい気もする。

 駅から更に1.5kmはあるだろうか、善通寺まで軽快に歩く。小高い山に囲まれ池の多い讃岐平野という、司馬遼太郎『空海の風景』に語られるような光景は、家も多く道路が区画整理されたせいか、違った印象である。それでもお寺の五重塔が見えてくると、空海生誕地という想いが、心の底からこみ上げてくる。山門を通り境内に入ると、左手に巨大な楠。樹齢によって空海の時代からここに存在するという立て札の解説。確かに太く立派ではあるが。人間存在としての繋がりが感じられた明治時代と違い、1200年の時をどのように溯ればいいのか。単に日本史の教科書に登場する、知識としての空海ではなく、その生誕地が歩んだ1200年はいかなる妄想も受け付けない長い時空であったと想いを馳せる。しかも、この21日は空海の月命日。このタイミングでこの土地は己を必然に迎えたのだ。

 本堂から御影堂を経て、裏手の駐車場まで一通りの参拝路を歩む。そこには西安にある弘法大師碑の縮小版もあった。そして小川の流れと小高い山。空海生誕の土地には、小さいながらも、起伏のある小宇宙が存在しているような印象を受ける。俗世の権威や名誉には意味を見出さず、超越した世界を模索した空海。その果てしない視野の彼方にある宇宙的な存在の中で、今や空海との接点を妄想するしかないのだ。俗世の名誉や利欲とはかけ離れた世界観に、讃岐平野の風が導くのだ。

 善通寺駅周辺にはうどん屋は見当たらず、あっても東京に進出した店舗のみ。むしろ興ざめで、讃岐にしかない店を探す。高松行きの列車までは時間があるので、一駅先の琴平まで移動。そこで携帯検索をかけると、結構な数の店が見つかった。駅から温泉街へ向かって最初のT字路角にある「将八」に入る。ショーウインドウで気になった「元気くん」という名の、うどんに生卵を割りのせて、つけ汁で食べるシンプルなものを注文。こしが強くさすがは讃岐うどんであると納得。店のお兄さんがなかなか親切なので、3000円以上送料無料の壁書きにも惹かれ、両親に生うどんを配送。その後、1時間に1本の高松行に乗る為に、慌てて駅に引き返した。

 高松までは小1時間。到着して駅前で徳島の先輩に電話。なかなか忙しいらしく伝言を依頼。その上で、徳島行の各駅停車に乗り込む。ディーゼル列車の独特な発進時のタイムラグを、むしろ楽しみながら、『空海の風景』を読みつつ徳島へ近づく。乗車中に先輩から携帯に電話。通話できないのでしばらくは耐える。板東という無人駅に到着。そこは四国八十八箇所の第一番札所・霊山寺のあるところだ。昔の街道を思わせる緩やかに曲がった道を歩くと、近所の子供たちが自作展覧会の呼び込みに立ち並んでいた。霊山寺はこっちでいいのかと問いかけると、道に示された緑の線を辿ればいいことを教えてもらう。気がつかず前ばかり見て歩いていた。ふと足元を見る余裕が必要だと、子供たちに学ぶ。これまた人生も同じ。

 霊山寺の山門に到着。一番札所だけあって立派な仏閣である。そこで15年ぶりぐらいになるであろうか、先輩に再会した。事前に手紙なりで連絡を取っておけばよかったのだが、Emailに慣れたせいもあって出さずじまい。数日前から電話連絡をしていたが、なかなかタイミングが合わず、当日の連絡となってしまった。しかし、そこはさすがお遍路さんを「接待」するという精神にあふれた土地柄。歓迎の笑顔でありがたくも迎えてくれた。しばし寺内で近況報告などなど。社会的に15年前とは変化した自分を鏡に映すように、先輩の口から様々な言葉が。その中心的話題は、社会的な地位を得ることより、自らの個性ややりたいことを、激しく求めた生き方を追求せよということだった。少なくとも大学時代には、そうした活力が見え地位にこだわる人間ではなかったと説かれた。今回の四国行脚は、言葉にすればこのような自分を見定めるためでもあった。そんな趣旨を説明したわけではないのに、こうした話を説いてくれた先輩。持つべきものは親しき友であるという想いと同時に、空海の言葉に接するような想いであった。果てしなき宇宙で、自分の存在をどう活かすのかと。

 接待は予想以上の歓待となり、徳島駅方面に出向く。駅前のサンルートに宿を取ってもらい、まずは11Fにある天然温泉。赤味がかった鉄分を含む温泉が、身体をピリピリと刺激する。その後、市内の串揚げ店。カウンターで乾杯。どうやら「ストップです」と言うまでは串揚げが順次出続けるという。知らなかったのでかなりの種類を食べたが、どれも新鮮で美味しい素材であった。帰りがけにコーヒーを飲み、徳島の街での宵のうち。改めて温泉に浸かり夜空の半月が優しげに語り掛けてくれていた。

 真にお遍路さんを志している方からすれば、「行脚」という小欄のタイトル自体が、甘えたものであると解せるかもしれないが、自己の小宇宙と向き合うという意味では、十分にその内容を果たしたものと自惚れる夜であった。

宗教を超えた弘法大師・空海の偉大な文化的足跡。その原点を育んだ風土で、ようやく本来の自己に巡り逢えた。「虚往実帰」の一実践を成して、ブログ更新150回を超えた。
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