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四国行脚?ーことばと文学の街・松山

2010-02-21

20日(土)早朝から道後温泉本館へ。昨夜よりグレードを下げ、休憩室の使用なしで神の湯へ。湯が湧き出る中央の釜には万葉集の山部赤人の和歌が万葉仮名で刻み込まれている。温泉としては無色透明のその泉質は、源泉でも43度とか。ほぼ水を混ぜる必要はないという。しかし、この本館の雰囲気は積年の趣深しである。

 近所の喫茶店でモーニングを食し、9時半には先輩がホテルに迎えに来てくれた。今日の松山巡りの出発である。まず道後温泉付近にある仏閣・宝厳寺へ。山門に向かう道の両側は、以前には遊郭があったという。これは漱石の『坊っちゃん』にも登場する。寺と遊郭の同居という、矛盾か逆説か、その取り合わせには漱石も興味を持ったのだろう。次にすぐそばの、伊佐爾波神社へ。「和算」という江戸時代からある算学の解説が漢文で書かれているのが面白い。神社へ登る石段は、小さな岩を敷き詰めた急傾斜段々。俳句大学選手権というイベントの決勝は、この段を駆け上がって一句を詠むという。

 次にじっくり見るべき子規記念博物館へ。伊予国の古代の歴史において和歌がどのように関わって来た経緯からの展示。次第に子規の様々な資料展示へ。俳句・短歌はもちろん、友人の顔や日常のたわいもないことまで、分類し題目をつけたりするのが、子規の性癖であったということがわかる。現代であれば、理系的な頭脳でエクセルを駆使して様々なデータ解析を行っていたのではないか。また、考えられないほどの大食漢。病床にあっても3〜4杯の飯か粥を平気で完食。刺身や鰻などの高級料理、そして果物は梨なら4個ほど、ミカンなら10個以上を1回で平らげていたという。それが生きる力になっていたというのだから、繊細な俳句実作の感覚との乖離さえ感じる。しかし、人間としてまさに生きるということは何か、という問いを俳句と大食にて実現していたのであろう。夭折を自ら悟っていた子規ならではの完全燃焼がここにあった。

 その後、市電に乗って道後を離れる。大街道へ向かい「坊っちゃんカフェ」へ。月に1回ぐらいは漱石作品の読書会があるという。そこで名物のステーキの昼食。和風な味と肉の柔らかみが絶妙であった。付近からタクシーを拾い、伊丹十三記念館へ。13もの才能を持った男。実に映画監督から俳優・イラストレーター・楽器演奏者に料理人まで様々な才能が、それなりの高いレベルで1人の男の中に同居していたというのは驚き。CM作りやドキュメントのこだわりのあるセンスは、改めて見ると実に繊細な構造で製作されているのが理解できる。

 タクシーで市内に引き返し、種田山頭火の編んだ一草庵へ。山頭火というと自由律俳句で有名だが、四国遍路という目的や才気ある俳人・野村朱鱗洞に会うために四国へ来たという。

 ひょいと四国へ晴れきってゐる
 鉄鉢の中への霰
 濁れる水のながれつつ澄む

 こうした自由律俳句の魅力は、こうした草庵生活と放浪行脚にあったのだと改めて思いを馳せる。定型詩たる俳句であるからこそ自由律が生きるという逆説の放浪俳人である。
庵の近くに護国神社があり、その境内には有名な額田王の「にきたづに船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」の碑があった。古代にはこの辺りまでが海であったということらしいが、諸説紛々として解決を見ないともいう。


 昨日行った漱石・子規が同居したという愚陀佛庵とこれで2庵を巡る。あとは江戸時代俳人の栗田樗洞の庵。やはり三庵巡りを果たすべく市電に乗り込む。その前に愛媛大学に少々寄って、キャンパス内を見学。長閑な地方国立大学の落ち着いた雰囲気は、東京の大学にない魅力もある。

 三庵巡りも制覇して、ここまで文学的な史跡をかなりのスピードで周遊した。携帯でのつぶやきもできないほどのペース。まあこれはこれで健脚は先輩と同様なので納得の観光ペースではある。未だ陽が高いことを確認して伊予鉄道で高浜まで。松山の北西部にある島への連絡線が出航する桟橋がある。その後、2駅手前に戻り「三津の渡し」を探す。狭い路地を抜けるとおじさんが船をスタンバイさせて待機していた。わずかに40m50mかそこらであるが、渡し舟で渡るのは粋なものである。おじさんに尋ねると料金は無料であるという。生活に密着した交通なので市が負担しているらしい。

 そして三津の船着場跡へ。子規も漱石もこの桟橋から小舟で沖に停泊する船に乗り込み江戸からの行き来で使用していたという。そういえば「坂の上の雲」には秋山兄弟や子規が小舟に乗って旅立つ場面が描かれていたっけ。そのあたりは広島風お好み焼きが名物だというので、店を探す。路地裏に小さな店もあり、また赤い「三津のお好み焼き」ののぼりを出している店を何軒か発見。ある店に入ると、カウンターでは昼から酒に興じた長靴姿の漁師さんたちが、もう既にかなり出来上がっている。まあこの雰囲気も漁港ならでは。おそばとうどんが挟まるお好み焼きを半分づつ注文し、先輩と2人で半々づつ食す。

 かくして松山の奥深くも趣ある文学散策の終点は松山市駅。市電で自宅に向かう先輩に礼を述べて、またの機会に松山を訪問することを約束し、この夜は別れた。駅周辺で、松山土産の「坊っちゃん団子」や伊丹十三がCMをしていた「一六タルト」を購入して宿のホテルへ。

 この地方都市の奥深い歴史と、文学とことばを大切にする自治体や市民の生活には、日本が失いかけている、柔らかな心の居場所があるような気がした。幕末維新の歴史に輝いた群像たちの足跡を追いかけることは、閉塞感という壁にぶち当たる、現代日本への過去からの贈り物となるはずだ。こうした魅力に満ちた松山であった。
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