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「知らんぷり社会」でいいのでしょうか?

2010-02-14

13日(土)午前中の仕事。会社説明会の受付を朝の時点で急遽依頼される。その予定は考えておらず、中途半端な服装だったので困惑。会社に置いてあったフリースベストを羽織って何とか様になる。受付場所に行くと、外から入場してくる門戸が開放されていて、甚だ寒い。少なくとも袖の部分はシャツ一枚。それでも仕事として、資料の名前を確認しながら配布する笑顔の対応。自己の寒さを押し殺し、一瞬のコミュニケーションを成立させることに腐心する。

 午後は、予定されていたマンションの管理組合理事会。来月の定期総会に向けて1年間のまとめが主な議題である。その中で、「次期理事のなり手はいるか?」とか、「総会の出席率が低いのを何とかできないものか?」という懸念が各理事から出された。マンションの管理組合は、賃貸契約で居住している人々を除いて構成されているのであるから、みな自己の持家であるはずだ。その持家管理に関わる内容が決定される1年1回の総会に出席しないというのは、何とも無関心に過ぎるのではないだろうか。

 理事会の中で出た話題に次のようなこともあった。最高裁で、管理組合理事の任期が同じ方に連続するように偏った場合に、その不公平に対する措置に関する訴訟があったという。判決としては、組合が連続して委任される負担の多い理事に対して、一定の報酬を支払うのが妥当であるというものだったという。これは、今の日本社会の側面を象徴的に表した事例であり、判決の妥当性は別問題として、果たして報酬を代価とすることで、解決としていい問題なのかどうか。「知らんぷり社会」を金で解決したに他ならないのではないかと、社会の温もりが消失していることに、大きな不安を覚えた。

  この日のTwitterにも次のようなつぶやきがあった。

 「雨の東京満員電車。行き交う数百、数千、未知の人たち。体や物が当たっても知らんぷりの当たり前。」

 米国に行くことが多いので、特に感じるのかもしれないが、街中で少しでも行く手をふさいだり、体が接触すると必ず「Sorry」の一言。しかも意識して反応を見るからか、笑顔での対応が多い。傾向として、東海岸よりも西海岸に行くと、その笑顔率が増してくるような印象を持っている。また、公共のドアなどでは、必ずといっていいほど、次に入ろうとする人のために、ドアを開けたまま押さえていてくれる。これらの社会習慣は、日本でも皆無ではないが、以前に比べて薄れてきているのは確かではないだろうか。

 小さなコミュニケーションが、温かみのある社会を構築する。何も大それたことをすべきというのではない。日常から他人の立場で物事を考えるということを、小さいことから実践すればいいのだ。その「他人の立場」とは、敷衍すれば結局、自分に返ってくるというもの。まさに「情けは人のためならず」である。しかし、この諺を、「(近時誤ってこの諺を)情けをかけるのは本人自立の為によい結果をもたらさないものだ」(新明解国語辞典・三省堂)と解してしまう誤りが蔓延してきていること自体、人間関係の「知らんぷり度」を象徴的に表しているのではないだろうか。

 他人の立場で物事を考えるのは、自分の立ち位置を知ることになる。人間社会での根源的な原則として、哲学・心理・社会などの諸学問で、古来から近時に至るまで議論されてきている内容を、日本社会は無視しているのではないだろうか?

 時に冬季五輪という世界平和のスポーツの祭典が開幕。単にメダル数に一喜一憂するばかりではなく、全世界的視野から、日本社会を見つめ直す良い機会ではないだろうか。メダル数のみにこだわるようなメディアの理性なき報道は避けていただき、全世界のアスリートが、どんな立場で競技に挑んでいるかという、他国の立場に立った報道が望まれる。

 「知らんぷり社会」の是正は、我々一人一人の小さな行動から始まるはずだ。
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