「不安だけが増幅する」という大学受験生への「不安」
2010-01-15
14日(木)大学入試センター試験を週末に控え、昨年来懸念されたインフルエンザは、ほとんど治まった状態と見ていいのだろうか、「不安」はない。しかし、直前にして受験する上での「不安」を口にする高校生に何人も出会う。ある意味、受験は「不安」なもので、誰しもが経験する未知な世界であるから、「不安」を持つのは当然かもしれないが、その質が年々変容してきているような気もしないでもない。
模擬試験などを繰り返し受験してきているので、試験慣れしているはずなのだが、「悪い時の自分」を拡大解釈して、「そうなったらどうしよう」という不安。「その点数だと、志望校の配点では大変不利なのですが」という、結果も出ていないのに「個別的・各論的」な不安。不安だけが増幅し、平常心で受験ができない精神状態に陥るのではないかと心配になってしまう。
街では、そんな受験生の心を慰める商品も盛んに販売されている。この日、教室で高校生にこんな質問をした。「漢文では必勝というが、これを英語で言ったら何というか?」と。かなりクソ真面目に考えていたが、特に答える者もいないので、「Kit Kat」と言うと、あまり聴き取れなかったせいか、「へえ〜」と信じ込む。日本語的に「キットカット」そして「きっと勝つと」と言い直すと、「なんだ〜」と笑い、じゃあチョコを買ってきてよとせがまれた。
「きっと勝つと」に「うか〜る」(カールの受験祈願仕様)など、商品名の掛詞的連想から、受験商品として販売されるという現象はいつのころからか。昔と変わらず初詣などによる祈願は隆盛だろうが、神頼みならぬ商品の名前頼み。「名前」に「霊力」が宿るというのは、日本古来からの「言霊信仰」ではあるが。
いずれにしても正攻法な思考で、日常の「自分」で試験に挑めればそれでいい。誰しも「不安」はあるが、「過度の不安」が増幅し、その不安で自滅してしまうのが、何よりも「大人側の不安」である。そんな時に、受験会場で「言霊」宿るチョコレートを食べて前向きな気持ちになれるなら、それはそれで良好な精神作用を生み出し、甘いものは脳を活性化させるであろう。
受験は大学に入る為のものである。しかし、その受験勉強に取り組む段階から、実際の入試に挑むに至るまでの全ての過程が、受験生本人を1人前の「大人」に育てていくのだということを、改めて理解しておきたい。ゆえに「大人側」が過保護になっては、その成長機会を奪うことにもなる。聞くところによると、大学受験会場で保護者控え室を拡大しなければならないという事情があるという。受験生本人が「1人で行くから付いてくるな」というような状態が、普通ではないのだろうか。
かくして受験シーズン到来。将来を担う日本の若者が、真に「自分自身」と「大きな世界」と出会う第1歩がここにある。そのあり方に対して、様々に考えることは、日本の将来を考えることに繋がるはずである。
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