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転落か最高位か?さまざまな価値観

2010-01-06

5日(火)未だ正月気分も半分あり。昨年はもう少し気分引き締めて仕事をしていたかと思いきや、手帳を見ると似たような起床時間が記されていて、合わせているわけではないのに合致してしまう血肉化した「正月気分」に驚く。

 新聞・TVを見ると年末から行われていた公設派遣村の話題。働きたくても働けない人々の悲痛な叫びが取材されている。「誰しもが転落のリスクを抱える時代」(朝日新聞)という一文に、世相の厳しさ非情さを感じる。そういえばこの日、仕事に向かう途中の池袋駅を歩いていると、たくさんの荷物を抱えた男性が、コンビニで買ったばかりと思える一つのおにぎりを、口にがむしゃらに放り込む姿が自然と目に飛び込んできた。ことばに表現できない心境になり、思わずしばし目を閉じてしまった。

 小生は先日購入したユニクロの1990円のジーンズをはいて仕事に行った。「スキニー」と名付けられたそのスタイルは、「やせこけた・骨と皮ばかりの」という意味。これが流行であるというのも、何やら世相への皮肉めいた記号に見えてくる。足のラインに沿って密着感があり、足の筋肉そのものがファッション化しているようだ。職場でも何人かが、視線を小生の足に向けるのが感じられた。

 仕事を上がってすぐに髪カットに向かう。友人のカットサロンも今日から仕事始めだ。正月休みはどうだったかという話題になったが、仕事関係の処理に追われていたらしく、こちらも元日にwifeが米国に向かったという、双方落ち着かない日々を過ごしたということに。せめて1ヶ月に1度、ゆったり髪を切ってリラックスする時間を、普通に持ち得るありがたさを噛み締める。

 帰宅して新聞からいくつか記事の切り抜き。ドバイに828mという想像も絶する高層ビルが完成した記事あり。これまでの最高位が台北にある「台北101」の508mであるから、これを遙かに凌ぎ、建設中の「東京スカイツリー」が634mの予定なので、これまた遙かに及ばないというわけ。どうやら建設中にどんどん高く高くという建設主の注文が加算されていったとTVでも報道されていたが、果たして高さで突出して世界一になる意味はあるのだろうか?同時に、当初の計画を変更して加算していって今の高さになった設計・建築上の安全性は確保されているのだろうかなどと、素人ながらに思ってしまう。その名も「ブルジュ(アラビア語でタワーの意味)・ハリファ(アラブ首長国連邦・ハリファ大統領(アブダビ首長)の名前)」となった背景には、「ドバイ・ショック」の経済的な影響(アブダビに緊急支援を求めた)があるという。

 世界には様々な価値観がある。この日の朝日新聞「2010年代どんな時代に」では、ブロードキャスターのピーター・バラカン氏が「開いた社会 対話から」と題して、日本に個人主義が根付かないことを指摘。「僕の言う個人主義とは、個人がそれぞれの責任において、自分の意見を相手に伝えること。英国人同士なら激しい言い合いにもなれば、結論が出ず平行線で終わることもある。でも社会にいろいろな意見があることがわかるし、自分の意見を持つきっかけにもなる。」として「匿名に隠れず異なる価値観に触れよう」とし「国際化と日本」という提案を述べている。どこか内田樹氏の主張と同じ視線がある。

 その『日本辺境論』を読了。これから様々な分野で「日本」を考えるときの参考にしていきたいと思う。この論を応用してこそ意味があるというもの。

 かくして2010年代の日本や世界を妄想する5日間を送る。
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