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「一陽来福」に引き寄せられて

2009-12-23
22日(火)この日は冬至である。特に何をすべき日でもなく、幼少のころからはせいぜい「ゆず湯」に浸かるぐらい。冬が至るという節月を意識するようになったのは何歳のころからか。陰暦11月の冬至の日は、「一陽来福」といって「陰が窮まって陽にかえること」さらには「悪いことが続いたあと、ようやく幸運に向かうこと」という日である。(現代国語例解辞典・小学館)なので、もともとは「一陽来復」と書く。

 この日は、朝から慌ただしく一息つく暇もないほど仕事が続いた。午後の遅い時間からも事務仕事が永遠と続く。コンピュータに助けられる面もあり、かつて手書きで同等の仕事をしていた時代を思い返して、やはり楽にはなっているのかと自身を慰めていた。仕事が終わるとすっかり闇夜となり、入江のような弓張月が出ていた。さて、どうしよう?疲れたので一杯飲みたい気分だが・・・

 自宅の近所にしようかどうしようか迷ったが、帰宅とはルートを変えて母校である大学方面へ。馴染みの小料理屋に、特に夏以降顔を出す機会がなかったので、久しぶりに足を運ぼうと思った。地下鉄の駅を降りて歩いて行くと、どうも人通りが多い。それは、冒頭に書いた冬至の日であるから、母校の近辺にある有名な神社への参拝者の列であった。縁日の露店が軒を連ね、寒風吹きすさぶ中ではあるが活況の賑わいを見せている。そこで思わず「冬至」の日に、「一陽来福」に吸い寄せられたのか!という感慨をもった。

 まずは参拝すべきと、石段を登り鳥居をくぐる。参道には列ができていてしばらく並んだが、「一陽来福」の参拝ができた。並んでいる最中に、神社の柱に厄年は何歳かという張り紙を発見。見てみると改めて妻が本厄であると確認。妻は無事かつ順調に米国での留学生活を送っている。そうか!どうやら自分が一身に妻の厄を引き受けたのかなどと、年の瀬にして実感した。航空機便の乗り継ぎは春・夏の渡米にわたって不運が続き、世紀のイベントのチケットを持ちながら見逃したり、A型インフル(新型)の影響で思わぬ不幸に見舞われたり。しかし、厄というのは人生の一大事があってこそ大難ではなく小難で過ぎ去るともいう。これまでに積み上げた学問的成果が、公的に認められた年でもあり、そういう意味では、上手く通過できたものかとも思う。「悪いこと」が続いたあとに「幸運」に向かうという「一陽来福」。意図せずこの神社に引き寄せられた偶然は、「欲望」を消去した中にこそ「幸運」が訪れることを暗示するかのようだ。

 その後、馴染みの小料理屋へ。久しぶりにもかかわらず温かく迎えてくれた。この安心感により幾度となく救われたことがある。店には、この冬至の日に限って、一年に一度この店を訪れるという夫婦。それにアメリカ人の旦那と日本人の妻という夫婦などが、酒を楽しんでいた。しばしカウンターで店主や奥さんと談笑。その後は、お客さんたちとも様々なことを話して、おいしい酒を飲んだ。仕事や世代を超えて、様々な話題を楽しむ。一つの業界にいると視野が狭くなってしまうが、こうした酒場での世間話は意外な発見も多い。それぞれに悩みを抱え込みながら、その「今」を酒に預けて、面と向かって表現しあう。こうした時間が、精神的に大切であるという思いを新たにする夜であった。閉店近くなって、店主夫婦と懇意にしている常連客がまた来訪。更に話題を交わす結果となり、すっかり深夜に。帰宅はタクシーを余儀なくされたが、それでも心温まる「冬至」となった。

 「一陽来福」を「欲望」なく自然体で。節分になったらまた、参拝と温かい酒を飲みに来よう。
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