会議場所が内容を規定する
2009-12-22
21日(月)今日1日で3つの会議があった。そもそも会議とは各自が意見を述べ合い、相談・議論する場であろう。しかし、その場所の設定や参加する人々の姿勢により、報告会にも気休めの会にもなり得る。本日最初の会議は、場所の設定が悪い。一対多数が向き合うという形式になっているので、一方的な報告会という内容になりがち。会場側から意見が述べられることはほとんどない。日本では、学校教育において小中高校、はてまた大学も含めてこの形式で授業が進められる場合が多い。個々の参加者が顔を見合わせてという形式でなければ、なかなか活性化した相談・議論はできない。
2番目は、内輪の会議。全員が顔を突き合わせる場所の設定だが、少人数で固定された人員であるから、内容が固着する。前の会議を踏まえて、気休めと無理な納得を促すという役目しか負えない。
夜は外部での編集会議。様々な分野の方々が出版社の小さな会議室で相談・議論をするので、活性化された前向きな内容となる。職場内ではないという環境は、利害関係のない理想論を声高に語れるのもいい。おおむね決められた2時間内が、実に意義ある時間となる。
このように会議場所が内容を規定する。いわゆる世界的に「意見が言えない日本人」を醸成しているのは、会議ならぬ日本の学校における授業方法の影響が大きいだろう。議論の進行方法などを含めて、見直せば見直せるものばかり。もはや報告会や気休め会はいい加減にしてほしいものだ。
帰宅してやや遅い時間ながらジムへ。行き帰りの道では寒風が身に沁みる。しかし、筋肉に少々の刺激を与え、1日3回の会議という異常な空間で硬直した身体をほぐしたいという欲求が打ち勝つ。筋トレの後にサウナ。毎度、身体を温めながら妄想に耽っているが、この日はサウナ内でストレッチを繰り返す男がいて落ち着かない。そこでやってはいけないという規定があるわけではないが、人が座るべき複数の場所を占拠し、しかも全裸で慌ただしく動かれると、リラックスしようとしている周囲は迷惑千万だ。「場所柄」は、していいこといけないことという暗黙のマナーを規定しているはずだ。
身体も温まり肩凝りもほぐれた。やや遅めの就寝。
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