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サイは投げられた

2009-12-15
14日(月)出勤すると職場の朝会で、「今晩の忘年会では、明日の業務に支障のないように」と長たる人物の発言。それは、忘年会中の酒の席における洒落に近い発言ではないかと感覚を疑う。仕事を始めるにあたり聞く発言ではない。その忘年会には、最終の社内巡回を買って出て欠席。いや欠席だから社内巡回に自ずとなったとも言える。珍しく社内に残ることに抵抗がなかった。建物が嫌いなわけではない、人間存在に嫌悪が強いのだ。その証拠に、社内巡回ではいくつかの部所の前で過去の顧客の顔を思い浮かべながら思い出に浸った。

 帰宅すると大学の先輩からメール。今の状況を案じる内容だ。正直に言うと、あまりメールに慣れていないのか、過去に送信したメール内容に対して分割して返事が来る。「自分の持ち味を生かして」という内容に対しては、その通りで、今まさにその方向に進んでいるのだと認識する。

 食後に珍しくTV番組を観ていた。ジムの予定が、あまりに寒くて外へ出る気がしなかったからだ。その番組の中に出てきた昭和の歌謡曲に「サイは投げられた」という歌詞の一節があった。今まさにそれだ。サイの目がどう出るかはわからない。しかし前に進みながら考えるしかない。人生ゲームのような一幕が、現実の人生にもある。人生の開化期なのであるから混沌としないはずはない。サイは投げられたのだ。

 自宅の湯船につかりニュースを観てから就寝。次第に寒さも増す一週間だと天気予報が告げる。
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歴史との接点―「ゼロの焦点」を観た

2009-12-14
13日(日)予定よりはゆっくり寝た。筋肉疲労と寒さがやや起床を遅らせているような気もする。起きてしばしwebに向かう。今日は、映画を観に行こうかと思っていたので、劇場のサイトを検索。どうやらチケットが予約できるらしいので、そのまま座席を指定して購入した。これで、焦って窓口に並ぶ必要なし。前の方になって首の痛みに悩むこともない。

 銀座へ出てまずはカフェを探す。例によって宝くじ売り場が長蛇の列。ちょうどそのど真ん中に近い地下鉄口から地上に出たので、なおさら気になった。気になったというのは、並びたいという衝動とは正反対で、なぜこの銀座で寒い中並んで、お金をかけて当たらないくじを買うのだろうかということ。非常に小さな小さな確率めがけて、人々は夢のために街頭に並ぶ。同じ夢ならば、自己変革の夢を現実との接点で追い続けたいものだ。

 映画は日劇で「ゼロの焦点」。ある方がブログの中で、「広末涼子の演技が一皮むけた」と評していたので気になっていた。映画の冒頭が銀座の光景から始まるので、まずは自己の今存在する「平成21年の銀座」と「昭和32年の銀座」との精神的な対比から揺さぶられつつ、松本清張のミステリーの世界に引き込まれていった。確かにナレーションを含めて主人公を語り出す広末の演技は、なかなかだった。何も知らない令嬢が、夫の失踪を契機に、男と女の性(さが)や歴史に翻弄された人物を知り、自分との接点に目覚める物語。昭和30年代前半が、未だ戦争の傷跡が深いということや、自己という人間が過去の歴史と、知らないところで繋がっていくという思いを新たにした。そして、新しい時代に「生まれ変わりたい」という願望を、命がけで叶える登場人物たち。ミステリー原作のために、殺人が相次ぐ展開となるが、その中で小さな願望を叶えようとする人間の欲望が顔を覗かせる。「生まれ変わりたい」という願いを、社会に拘束されることなく抱き続けることができるのは、平成の世の中だからなのだろうか。映画の時代は、日本初の女性市長が、嫌がらせや抵抗に立ち向かいながら生まれていく過程を、同時進行的に描いていく。女性は女性、過去は過去という、ようやく自由な時代になったのは、意外とそんなに昔ではないのかもしれない。

 帰宅して予定外だがジムへ。サウナで身体をほぐす。帰路に買い物をしてカレー作り。継続的に作り続けているわけではないが、またまた一定の量が蓄積された。

 食後は、「坂の上の雲」第3回目で「国家鳴動」。正岡子規が喀血をして、自分の人生が長くないことを悟り、俳句の道に一生を捧げようと決意する。また日清戦争への胎動が忍び寄る時代。急速に近代化した日本が歩んでいく中で、開化期における人々の生き様が焙り出されていく。番組を観てから、ついつい『もういちど読む 山川 日本史』で明治維新から日露戦争までを「復習」。明治との接点を改めて考える。

 歴史は、どこかで自分自身との接点があり繋がっているはず。第二次世界大戦と昭和30年代、そして明治維新とその後の近代日本。二つの映像を観て、歴史との接点を、より深く考えておきたいという衝動に駆り立てられた。まさに「今の時代、今の自分」を考えるために。

 妹弟とのメールのやりとりをしてから就寝。映像により「歴史という時間意識」を開化させた一日であった。
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計画している時こそ

2009-12-13
12日(土)午前中から仕事。まあ通常業務ではないので、比較的気楽にこなす。その合間に、自己のすべきことを着々と進める。仕事の進行速度が急速に増したように感じられる。これもひとえに精神的な余裕ということか。

 その合間に、土曜日が休日である友人からメール。年末のバンド活動が楽しみだという。本当に長らくスタジオに入っていないので、友人のメールにも「お久しブリーフ」とあった。些細な洒落が、こうした喜びにささやかな花を添える。

 午後には、10月に初参加した読書会。今月の例会があるのだが、自宅に持ち帰る仕事もあり、しばし葛藤。その末に来週に持ち越したくないので仕事を選択した。まずは仕事を終えて更なる精神的余裕がほしいからであろう。夕刻までに仕事ははかどり納得の時間となる。それにしてもデスクワークが続くと、脳が甘いものを欲する。帰宅時にコンビニでシュークリームとハーゲンダッツを買い込んで、仕事の合間に食べた。この自然な欲求に従うことも重要なのだと思う。

 夜にはジムへ。今日はやや筋肉の硬直があるので、それをほぐす為に泳いだ。これまた久しぶり。しかし、自然な水の抵抗により筋肉が適度に刺激され、肩や背中の筋肉がだいぶ緩んできた印象だ。その後は恒例のサウナ。帰り道にいつもの中華屋。紹興酒を一献に、ピータン豆腐に茄子の山椒揚げ、仕上げはチャーシュー炒飯。またまた気分もよく、年末の忘年会に、他の友人も誘うためのメール。12月もあっという間に中旬へ。年末の楽しい計画をしているこの時こそ楽しいものだ。土曜日らしきややルーズな就寝。
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喩えようのない解放感

2009-12-12
11日(金)自宅やその他で仕事をすべき日。しかし、昨日からの解放感でついついゆっくり休養をとるように過ごした。「仕事をすべき」というのも、自身の信念あってのこと。要するに自身が納得する過ごし方をすればいい日なのだ。昨日のボディパンプで頑張り過ぎたためか、身体中の筋肉が万遍なく痛みを訴える。これもあらゆる筋肉がトレーニングの対象になっている証拠。外見の変化を含め、筋肉トレーニングは脂肪を減らすということも実感。冬であるのに脂肪が増加してくることもない。

 夕食には、「ほうとう」を煮込んだ。好みの野菜ときのこを具材に、もちろん厚揚げに薄揚げを入れた。昨日のうちに野菜類は買い込んでおいたので、降りしきる雨の中、豆腐屋に足を運ぶだけで済んだ。やはり冬は、こうした煮込み系の食物が美味い!味噌による味付けも絶妙に決まった。

 夕刊の一面に、「米留学、尻込み  草食系?10年で1万人減」の見出し。そういえば米国留学中の妻も、日本人留学生が少ないと言っていた。確かに今夏、自身が米国大学を訪れたときも、日本人にはあまり会わなかった。新聞は、その理由として、「国際化が進み留学先の国が多様化したこと」を第一に挙げるものの、見出しの「草食系?」にあるように「気質の変化」が大きいとしている。米国を避ける学生の中には、「競争が激しい」「ゆっくりリラックスして学びたい」「早口の英語についていく自信がない」などの理由があるという。挙句の果てに、「日本語で留学先の大学と連絡は取れますか」とか「日本人スタッフはいますか」という問い合わせも多いという。このように外の世界に積極的に飛び出していかない学生が日本には増えているのだ。国際競争力や学力水準の低下などとも連動して考えると、こうした意欲のなさは日本社会の大きな問題ではないだろうか。新聞記事でも最後に、「日米関係を考えるとき、20、30年後の長い目で見たときのダメージが心配です」という日米教育委員会事務局長のコメントを載せていた。

決まりきった世界から解放されれば、自ずと意欲は増す。しかし、飛び出していく勇気さえ失っていては、島国日本は将来的にどうなるのだろうか。やはり肉食系で逞しく生きようとする部分を失ってはいけない気がする。草食系か肉食系かという二者択一ではないということも肝に銘じ、融合して利点を生かすことも考えるべきであろう。日本とは元来、異文化との融合により高度な文化を成長させてきた国であるがゆえに。
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前向きな敢行と肉食系への道

2009-12-11
10日(木)朝から年末の雰囲気を感じながら通勤。仕事の担当箇所でも大詰めの内容であり、いやが上にも尽日のように時が迫り来ていることを実感する。担当箇所の内容を終えて、すぐに動き出す。かねてから申請しようとしていた内容を告げるためだ。その動きを始めたところで、廊下で当事者に遭遇。またどこか社内をうろついているのかと、タイミングの悪さを改めて感じるが、この日は心が萎えることもない。この1週間ぐらい、管理職の動向に終始目を光らせているが、あれだけ打ちあわせなどに時間を費やして、社の方針があの程度なのかと、またまた呆れる要素も増大する。

 その後、どうやら当事者は自己の部屋に戻ったようだ。それからというもの、不思議なぐらいに滑らかに部屋を訪れ、不思議なぐらい思い通りに、自己の申請したい内容を告げた。向こうの態度は、以前と打って変わってこちらへの信頼を寄せるような内容。これだけ態度を豹変できるというのは、こうした旧態依然とした社会の中で生きるための術なのであろう。当時者側からの回答は数日後という。まあ、自身で決めたことを貫き通すだけだ。

 ようやく喉に詰まっていたものが除去された感覚。やや時間はかかったが、これまでに精神に蓄積された険悪な思いを、様々に整理する必要があった。不思議と申請を終えた後は微塵の後悔もなし。やはり自身が整理して熟考してきたことが正しかったのだと確かめられた。職場で、すぐに自己のパソコンを起動して米国にいる妻に報告メール。

 帰宅してすぐにジムへ。先週は忘年会のため空いたが、今日はボディパンプのレッスンの日だ。精神的な解放を伴った身体は異様に高揚し、ジムへ行くエレベーターの行き先ボタンの逆を押してしまっていたり。あまり調子に乗り過ぎるのはいけないと自戒する。ボディパンプは心地よく実行。そのレッスンの最中に、異常に焼肉が食べたくなってきてしまった。どうしたことだろう。筋肉を刺激することもあってか、気持を前に押し出した日だからなのか?いずれにしてもレッスンの後半は、焼肉を目指してバーベルを上げた。

 ジムを終えて、いつもの寿司屋の近くにある焼肉店へ。先日、寿司屋のカウンターで話した老婦人が、「最高に美味しい」と語っていたのを思い出した。人気店らしくいつも予約でいっぱい。店の前にいくと1人の店員が外に出て客を見送った。これはチャンスかと思って声を掛けると「あなたは幸運ですね」とカウンターに案内された。上カルビに上ロースを注文するが、上カルビは売り切れなので並に変更。あとはトマトサラダにオイキムチ。婦人が話していた通り、並のカルビでも上質の肉で美味。久しぶりに網の上で焼けていく肉を思う存分賞味した。酒は生ビールの後にマッコリのミニボトル。1人での豪華な祝勝会となった。最初に案内してくれたおじさんが何度も声を掛けてくれる。カウンターの中のおにいさんも、マッコリの注文にアドバイスをくれた。またまた常連客となりそうな店に出会ってしまった。

 食生活からすると、ここのところ菜食主義だ。タンパク質も豆腐か魚が多かった。いつしか草食系になっていたのかもしれない。しかし、前向きに物事を考えて、実行に移すには肉食系の強引さも必要な場合がある。経済危機などの際も、アメリカ人が楽観的だったのは、肉食系の前向きさがあってのことか。世界でも屈指の長寿国であるゆえの、和食という利点を活かしつつも、時折、肉食系という食事パターンが必要なのかもしれない。

 今夜もほろ酔い加減。バンド仲間にメールをして、久しぶりに年末にリハをやろうということになった。これまた今から楽しみ!その後、弟妹にも本日の報告メールをして就寝。
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足裏温水浴という回廊

2009-12-10
9日(水)天声人語が鳩山首相の今を指摘して曰く、

  「鳩山首相はたぶん優しい人なのだろう。優しくあるべき時に優しい人は素晴らしい。だが、いつも優しい人は、優柔不断が裏返っているだけの場合がある。厳しく処した後の気まずさを考えて、ことを先送りしてしまう。」

 確かに言い得ていると、朝の通勤電車で自戒の念を反芻しながら読んだ。想像力が旺盛というか、他人の気持ちを慮り過ぎるのか、「気まずさ」への対応が苦手でもあり、周囲からの偏見視に対する、異様なまでの警戒心がある。

 ただ、それも小さな水槽内でのこと。一つ外に視点をずらして、自己を見つめてみれば、更に更に輝ける要素が大きいことも自覚できる。酸欠状態の脳みそは悪循環回路しか思考しようとしない。これ自体が負のスパイラルだ。

 夕刻に頭痛を伴いながら帰宅。寒さのための身体硬直も甚だしい。今日は何としてもサウナに行かねばと思い立ち、食後に気分を切り替えて自転車でジムへ向かう。ゆっくりスチームサウナで身体を温め、水風呂とお湯風呂を交互に繰り返す。次第に血行が促進され、脳内回路も正常な働きに回復する。この日は、珍しく「足裏温水浴」という浴槽施設を試みた。以前に挑戦した時は、足裏の痛さにめげたが、どうやら内臓に有効で血行促進という解説文に魅かれて、石が敷き詰めてある通路にお湯と水が交互に巡りくる回廊を5周歩いた。1周25秒ということだが、次第に発汗作用があり足裏のツボが刺激されてくるという。同じ回廊を歩くのでも、これならば前向きな効果がありそう。足裏の痛さはあるが、そのうちに心地よさに変化し、少々の発汗を伴い5周を終えた。人間は、この足裏で自身の身体と精神の全てを支えている。都会生活に慣れた足は、石に当たる刺激に対して脆弱になってしまっている。輝ける自分自身を引き受ける足裏を大切にするには、もっと刺激的でなければならないようだ。

 気分を回復させて帰宅。好きな音楽を聴きながら、夜のヨーグルトに水分補給。鏡で見た自身の顔が輝きを取り戻していた。
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ことばの不思議

2009-12-09
8日(火)朝刊のコラムに小林秀雄の次のようなことばが引用されていた。

  「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」

 能について批評した下りだそうだが、ことばと人間の認識の問題を的確に捉えている。本日が日米開戦の日ということが風化してしまうのを懸念し、「「悲惨な戦争」があり「戦争の悲惨さ」という様なものはない」ということを主張せんがための引用だ。ことばは抽象化することで、その問題意識と想像力を封じてしまい、他人事のように忘れ去られていくという。ことばという「認識」は、物事に対する考え方そのものである。

 今日は英会話の日。その前の食事も楽しみの一つ。一日中何かに縛られている感覚なので、その呪縛を何らかで解きたい。そこでいつもの洋食屋へ。時間帯が早いせいもあってか、やや空いている店内でカウンターに座る。少しするとこの時間に来店する常連で、洒落たワインを賞味する老人がやって来ていつもの座席へ。その席は配慮して空けておかなければなるまい。早々に出された水を飲み干したら、水を汲みながら店の奥さんがいろいろと話し掛けてきてくれた。妻の留学先のことから始まり、アメリカの食物事情、アメリカ人の体型のことなどなど。どうやらこの老人は、フランス語を学んでいるらしい。どうりで洒落たワインを片手が妙に似合うと思った。食後には、奥さんがコーヒーまでサービスしてくれて、すっかり常連客と化した。何にもこだわりなく自分のことを話せるという、ごく自然な行為が自然に行えることの何と爽快なことよ。ことばは、このように軽快にこだわりなく使用するものであるはずだ。やや頭痛気味であった状態は一気に吹っ飛んだ。「楽しかったです!」と、カウンター内の店主と奥さん、それにワインの老人にお礼を言って英会話へ向かう。

 英会話クラスは、いつものクラスメイトが欠席らしく、他の曜日を振り替えたという婦人が一人。どうやら生徒は2人。自ずと話す時間が増える。この1週間の悩みを話したが、講師も同情してくれて様々な英語表現を教えてくれた。日本語でなく英語で表現されると納得いくものも多く、外国語翻訳によりむしろ実体化が為された感覚であった。だからことばは面白い、話すことで自己の状態が捉えられるのだ。そうこうしているうちに、他の曜日を振り替えてこのクラスに来ていた婦人は、以前の顧客の母親であると判明。これまた偶然。しかし、外国語で話すというのは、以前の関わり方を封じてしまい、特別にバツの悪い感じを持たなかった。やはりことばは不思議だ。

 帰宅する途中に母から電話。今の状態を心配しているという。いくつになっても母は母なのである。改めて勇気をもらう。就寝前に、物事が事務的に進むように書面を作る。事実を事実のままに伝えるだけのことばと、少々の建前がそこにある。パソコンで作成した文字に、最後に自身の名前だけは万年筆で刻む。名前ということばこそ、何よりも重いゆえである。その名を全身で引き受けて、明日への快眠へ。
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深夜の妄想

2009-12-08
7日(月)新たな週に瑞々しい気持ちで臨んだが、朝から肩透かし。話をすべき相手が欠勤らしい。日毎に落ち葉の数も増え、二十四節季で今日は大雪。冬の趣が一層増すのに、気持は相変わらず落ち着かない。

 淡々と仕事を終えて帰路に。葱とナメコとジャガイモを買って、味噌汁を作ろうと決めた。もちろん豆腐屋に寄って、豆腐に薄揚げも購入。今日はおじさんが店番の時間帯で「寒くなったねえ」と声を掛けてくれた。長年豆腐を毎朝作って来た年季が感じられる。

 夕食後は、ソファでくつろいでからジムへと思いきや、久しぶりにそのまま寝込んだ。寒さを感じて起きると真夜中。風邪にも注意せねばならない。仕方なくそのままベッドへという悪いパターンの夜を過ごす。それからというもの、むしろ寝付けなくなって、様々な妄想が脳裏に浮かぶ。これまでの仕事の歴史を振り返ったり、過去にどんな顧客がいたかなどなど。消去すべきVTRの中身がわからなくなり、何であるかを確かめるような時間が過ぎた。自宅前ではまたまた道路工事が行われており、その騒音がBGMである。しばらくすると自然に眠りの底へ。保存すべきVTRの所在は確かめられた。さあ!あとは思い切って整理を始めるだけだ。
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共感できる友

2009-12-07
6日(日)ゆっくり寝て、好天の日差しを感じて新聞読み。読書欄からいくつか読みたい本を拾う。知り合いの大学教授の著書を発見し、身近さを感じた。おでんがまだ冷蔵庫に残っていたので、昼食とする。

 1か月ぶりに髪カット。くつろげる空間へ向かった。比較的すいていて友人である店主が「アリスのライブ観る?」と言ってきた。「俺、武道館行ったよ」と答えると、彼も急遽チケットが入手できて、同日に武道館へ行っていたという。思わぬ偶然に握手。昨年は、桑田佳祐の「ひとり紅白歌合戦」を一緒に観に行った仲だ。「それにしても趣味が合うね」とまたまた共感。(アリスが好きだという世代の中では)「俺たちはかなり若手の方だけどね」などと、よくわからぬ世代論にこだわりながら、髪をカットしてもらいつつアリスのライブを堪能した。収録されているのは、自分たちが見た次の日のライブで、ツアー最終日。最後に今年作った新曲を歌うところが違っており、そこで全国ツアーを終えた感激にチンペイさんが感涙に噎ぶという場面があった。髪をカットし終えてもVTRは終わらないので、その後も、コーヒーを出してもらいながら、このラストシーンのみ見せてもらった。店内のモニター前に二人で立ち尽くし、こちらも感涙に。店がややすいているのは、彼にとってはよくないが、こうして共感できる友であるという事実が嬉しい。業種は違えど「アリスに勇気をもらったね!」ということばで店を後にした。

 スーパーでお惣菜と野菜を買って帰宅。食事も済ませて「坂の上の雲」の第2回目。正岡子は英語が苦手であったことや、そのくせ「野球」の名付け親としていくつかの翻訳語を生み出した説が描かれていて面白かった。明治という新たな日本を構築する時代にも、子規と秋山真之という、共感できる友が精神を刺激し合っていたのだ。文学と海軍将校という違った道を歩みながらも、何かを切り開こうとする意識。この時代のエリートは、「生まれたからには日本一になりたい」という気概に燃えていたという。こうしたライバルであり友である関係が、時代の中で輝いている。現代であっても、改めてより高みを目指していく生き方を求めてもいいだろう。明治時代からも大きな力をもらった。

 ドラマを観た後は、しばらく書籍編集の資料提供内容を検討。納得の仕事になった。共感できる友との時間は、自身を瑞々しく維新の気持ちに導くのだ。
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真っ白な手帳

2009-12-06
5日(土)朝から晩まで息をつく暇がない1日。昼食も取れず気付いてみたら夕方6時になっていた始末。1日を終えて、この日の手帳を見ると真っ白で、毎日記しているはずの起床時間すら書いていなかった。使用している手帳は、毎日毎日の書くスペースが大きく、何でもない1日こそ大切にというコンセプトで制作されている。数年来使用していた手帳老舗会社の製品から、本年より鞍替えしたところである。使用した感覚はなかなかよく、小欄を書く際も、この手帳の記事をもとに書いているというわけだ。

 しかし、この日は手帳に記事がない。こんなに余裕のない1日は人間らしくないということ。午後は、ほぼ延々と対象は途中で変更されながら面接が続いていたという状態。人と話すのは好きではあるが、こうも固定が続くのは精神を疲弊させる。仕事が終われば、同じような境遇の同僚たちと1杯と思いきや、リーダーの音頭取りはなし。みんな忙しいから解散だという。このような役職に就く気は毛頭ないが、もし自分がこの役職なら、部署の社員を労う酒に利害関係なく投資するだろう。それが温かい心というもの。

 胃袋も心も冷え切って帰宅。仕方なく家にあるチョコレートをつまむ。もちろん腹の足しにはならない。こうなればいつもの寿司屋。行くと馴染みの板さんは休みらしくていなかった。またまたがっかり。せいぜい店長が、ネタをどうぞと振舞ってくれたのが救いだ。カウンターの角の方の客が、煙草をふかしていたとき、老年のおばさんが一人で来店。どうも煙草が苦手らしい。その煙たなびく席しか空いておらず、困った表情。自分の右隣の壁際が空いていたので「いかがですか」と声を掛けた。その後、しばしおばさんと会話。どうやら最近、この地に越して来たらしい。特に話題が興味ある内容であったわけではないが、寿司屋のカウンターの一興である。近所のグルメに関しての情報交換が有効であった。

 一人の割には飲み過ぎた。最後には珍しく四国・愛媛の酒を一献。新潟の酒ばかり飲んでいたが、いろいろと試してみるのも自分の世界観が変わってくるはず。気負いばかりが先立ち空回りした1週間。肩の力を抜いて自然体で脱力感の中から真実を生み出そう。
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