環境を否定する
2009-09-30
29日(月)。早朝から締め切りが迫る仕事をこなす。先方から「自由な発想で」といわれると、それはそれで「ここまで自由でいいのか」という思いが湧いてくる。人間はおかしなもので、「自由に」といわれると「拘束」を意識してしまう。「人間は」と書いたが、それは私だけだろうか?いま読んでいる本に引用されていた考え方が気になった。
「人間が人間であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない。」
(東浩紀 著 『動物化するポストモダン』講談社現代新書)
この考え方からすると、前述のような発想に至るのは、「人間」である証であると言えるのかもしれない。現状の自己を取り巻く環境にどう対応するか。否定することから始め、より批評的にみつめ直す視線が必須であろう。
夜は英会話教室。自己の言語「環境」を否定し、新たな会話の道具を得て、そのスキルを高めようとする行為に他ならない。4月からの「春夏学期」が終了。イタリアンレストランで打ち上げ。仕事や生活環境を異にする方々との交流は、社会をさらに「批評的」にみつめる視線を得るためには大変有効でもある。
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活力の源
2009-09-29
28日(月)。10年ぶりぐらいになるだろうか。大学院時代の恩師と同期生3人で再会した。自身の専門科目ではない授業科目であったが、さながら「ゼミ」のような親密さと、先生と受講生の活力がみなぎる授業であった。10年という月日において、それぞれ違う道を歩んでいるが、再会した4人の活力は更に向上しているかのように感じる。酒がすすみ歓談する内容から、社会との様々な接点でそれぞれの活躍があることが透けて見えてくる。
「ゼミ」とは、もともとドイツ語のようだが、語源をたどれば「苗床」という意味があるという。そこで育てられ、その後大きく成長すべきであるという願いが込められた場所なのだ。通常は自身の専門に関する場合が多いが、このように学際的であるからこそ、「苗床」としての意義を十分に発揮する場合もある。
恩師や同期生の活力に触れて、改めて自身の中にも新しい力が湧いてきた。大学院で学んだことは、何も専門の内容だけではなかったことを実感した1日であった。
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ボディパンプで養う力
2009-09-28
27日(日)スポーツジムのスタジオプログラムに、「ボディパンプ」というものがある。その言葉の如く、「身体(筋肉)を増幅させる」プログラムだ。かといってムキムキを目指すだけかというとそうでもない。全身の筋肉を満遍なくバーベル等で刺激するので、実にバランスのとれた身体作りに最適なプログラムである。
脂肪の蓄積を無くすには、有酸素運動も大切だが、筋肉を衰えさせないことが重要という趣旨の書物を読んだ。それからというもの、この筋肉を鍛錬するプログラムが心地よい。確かに有酸素運動のみに励んでいた時よりも、余分な脂肪分が感覚的にも数値的にも減退している。
本来は辛いはずのバーベルによる筋トレを、音楽に合わせて行うのだから、ストイックさが、リズムの中に解放されていき、むしろ喜びに変換される。どことなく矛盾を含みこんだ内容が、このプログラムの真髄かと理解している。
午前中にジムという目的を果たすと、日曜日が長く感じる。午後は自分の時間が持てる。どことなく得したような日曜日に満足。
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対話の間に介在する距離
2009-09-27
26日(土)朝からせわしなく仕事。午後は大切な仕事上のインタビューを控えていた。これまでにもいくつかこういう機会に遭遇しているが、質問者と自分との距離によって、かくも印象が違うものかと、新たな発見をした。控室かと思うような狭い部屋で待機すると、何とそこがインタビュー会場。質問者が複数入ってきてそのまま本番となってしまった。しかし、「膝を突き合わせる」がごとき感覚は、むしろ心地が良い。今までの経験だと、だだっ広い部屋で自分を囲むように返答しなければならない場合など、全方向から多くの瞳で観察されているようで、なかなか本音が喋れない。どうしても表面的な返答になってしまっていた印象ばかりが残っている。対話をする距離というのは、適切なのが一番であり、それでこそお互いの本音が語れるというものだ。
ゆえに相手との距離にはご用心。聞く耳を持たない相手が、一方的に権力で命令などを押し付ける場合は、だいたい無駄に広いテーブルが介在していたりするものだ。作業台としてしか意味をなさないサイズなのに、そこで対話をしようとするのは所詮、無理がある。
相手と話す場所と机・椅子の配置など、時と場合によって考慮すべきであると改めて発見した1日。
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MLB中継とジムでリセット
2009-09-27
9月25日(金)時差というものは、有効なような悩ましいような。前日の夜という時間を午前中に進ませてアメリカで行われるMLBのライブ中継がある。仕事の関係で中継を見られる場合もあれば、仕事中という場合もある。アメリカで昼間に行われる試合は、(行われる場所の時間帯にもよるが)日本では真夜中のライブ中継だ。
渡米した際には、ほとんど時差の影響を身体的に受けないたちだ。むしろ日本にいると時差を常に意識した生活になる。
午前中はMLB中継を見て、昼下がりはぼんやりして、いざジムへ。無心になってエアロバイクをこぐ20分間が、身体と心をリセットしてくれる。仕上げはサウナと温水浴で血行促進。好んで通う中華料理店で、栄養素を考えて「中華丼」に「シュウマイ」。前者はともかく、後者が「栄養素を考えて」に該当するかどうかは不明。ただ好きだから注文しているだけに過ぎない。されど、蒸しせいろから湯気の立つシュウマイは絶品。未来への活力はこうしたところでも養われる。
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現在・過去・未来
2009-09-25
日々の己を知るためには、自分を客観的な場所に置いてみる必要がある。いくら自分では冷静な判断をしていると自覚しても、人間は過去の経験から先入観を抱き、独善的なものの見方に陥りがちだ。未来を見つめて「こうしよう!」と前向きに歩く現在の自分がいて、その現在が過去になると期待していた未来になり、いつのまにかそれは過去になり厳然と立っているだけの存在に。その過去に囚われていては、更なる未来には到達できない。
MLBで9年連続200安打を達成したイチローの有名な言葉に次のようなニュアンスのものがある。
「確かな1歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない」
9年連続という偉大さを物語る上で、いかにもシンプルかつ含蓄に富んだ言葉だ。このなかに現在・過去・未来をどのように生きてゆけばいいのかという、多くのヒントが隠されているように思う。
未来へ向けて、今日の「確かな1歩」とは何か?むしろ日々の積み重ねを、忘れてしまっているのではないかと改めて思う。その「現在」を等身大に書き綴ることを思い立ったのが、このブログの開設趣旨でもある。
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