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「話す」は「放す」ことでもある

2023-01-29
心の内に持つことは
誰かに帳面に短歌に「話す」
声や文字になった「心」は「解放」され自分の軸が定まってくる

珍しく仕事の予定がない週末を迎えた。冷える朝をややゆっくり寝て、時に身を任せるように過ごすのもたまには良い。昼過ぎから母と買物に出かけ、1週間分を目安に食材を調達する。母も至近のスーパーならば独りで買物に行けるのだが、やはり新鮮な野菜と精肉が購入できるスーパーを選んで行きたいという思いが強い。宮崎野菜と上質で良心的な値段の精肉などにより、自ら煮物などを作れる環境は、両親の健康を支えているように思う。正直なところコーラや甘い物を好む父の食生活には注文も多いが、それでも血液の状態が良いと医師に褒められたと云う。空気の良さのみならず、宮崎の生活環境は両親の健康長寿に大きな力を与えてくれている。

このような流れで、午後のひとときは暖かい陽射しが降り注ぐ自宅リビングで母とゆっくり話ができた。誰しもが年齢が上がるにつれて、先行きの不安がつきまとうのは当然であろう。過去の様々な岐路を思い返したりしつつ、現在の生活や今後のことなどあれこれと思いつくままに話す。「話す(はなす)」についてはよく短歌の座談などで、「放す」に通じる「やまとことば」であるという話題になることが多い。心の内に「不安」などがある場合、そのままにしておくと埃のように積もりに積もって自らの心身に不調さえきたしてしまう。ゆえに「放す」ために「声」や「文字」にして吐き出すのがよい。すると負のものはやがて「離す」ことに至り、心身が軽くなるものだ。良いものはいつまでも記憶に残り、次に進むための力になる。そういえば僕も中高時代に高価なノートに日記を書き続けていた。その際の「放す」は、どこか小欄の文章にも通ずる。そして論文・評論などの文章力として僕を支えてくれている。苦しい時こそ「放す」こと、さすれば必ずや光明が見えてくるはずだ。

夕食も両親とともに馴染みの洋食店へ
そして夜には著名な友人から宮崎来訪の連絡
1日中、「放す」ことで期待の新しい2月がやってくる。


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見えないことを見えるように

2023-01-07
「見えないことは存在しないことではない」(「交通教本」から)
(鷲田清一「折々のことば」2606 朝日新聞より)
「『見えない』ということは『わからない』ということで、この自覚がないと事故が起こる」

Twitterで話題になっていたので朝日新聞「朝日新聞連載・折々のことば」を読んだ。哲学者である鷲田の書くものには興味を持って読んで来たが、著書『日本の恋歌とクリスマス』の「待つ」という概念の基準に据えるべく引用もさせていただいている。しかし、哲学的なことばは学術書の中だけにあるわけではないことを、今回のコラム連載は教えてくれた。運転免許取得や更新時に教習所で配布される「交通教本」に、そのことばは掲載されている。自動車を運転していて運転席から「見えないもの」は「存在しない」と意識しない運転手と、「存在する」と予測する運転手では明らかに前者に事故の危険がある。僕自身も運転する際に、バスの物陰から歩行者が飛び出すとか、右折の対向車がトラックで見えない先から二輪車が飛び出すとか、可能な限りの予測をして運転するようにしている。正直なところ、他者の運転する車に乗って思わず足を踏ん張ってしまうことがあるが、それは前述の「見えないけれど飛び出すかもしれない」という予測なき運転者の車である。「見えない」は己のみの意識であり「存在しない」とするのは身勝手な自己完結である。

「見えない」に限らず「聞こえない」も同様のことかもしれない。「聞こえないことは存在しないことではない。」はずだ。父の誕生日ということもあり、大変に久しぶりに懇意にする洋食屋さんに出向いた。コロナの感染拡大もあるが、僕や妻があまりに忙しく、洋食屋さんの営業時間内に両親を連れて行くことができない日々が続いた結果である。この間、洋食屋さんの店主夫妻は僕ら家族をどれほど意識し、お互いに話題にし「待って」いたことだろうか。思わず僕はそんな店主夫妻の様子を想像して「見たり」、会話を「聞いて」みたりすることがある。久しぶりにもかかわらず、笑顔で「お元気でよかったです」の言葉を聞いた時、僕は店主夫妻の心がこの間も僕らに向けられ「存在しないことではない」ことを悟った。この厚情を思えば、再び「常連」と自ら思えるように足を運びたくなる。東京ではよくご無沙汰であると、怪訝な態度を取る店主などもいた。だが宮崎では「見えないことは存在しないことではない」という密度で、関係を結ぶことができる店が多い。「見えないことは見えないように」「聞こえないことは聞こえないように」というように、世間では誤魔化しがあまりにも横行する。自動車事故を防ぐためのみならず、豊かに生きるためにこのことばを活かしたいものだ。

見えないものを見えるようにことばで創る
聞こえないものを聞こえるようにことば大切に
閉鎖的「見えない」「聞こえない」からは新しい未来は見えない。


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言語は資質・能力そのものではないか

2022-11-12
日常言語生活→言語活動→言語(知識・技能)
言語を核とした同心円のように学習単元は構成される
学習評価は「言語活動」を中心に「日常言語」でいかに活用されているか

学習とは、「資質・能力」を育むものであると学習指導要領には提示されている。学んだ結果、「何ができるようになり、どんな力を持った人となるか」が重要な評価指標である。その「力」を育むために、三つの観点が設定されている。中心を同じくする同心円を、思い浮かべていただきたい。その核心には「言語(知識・技能)」があり、外周に「言語を動かしいかに活用するか」を促す「言語活動」がある。さらに外周には「言語活動」を実践した結果、どのように「(自ら)学びに向かう力」を持った「人間性等」が育まれるかという構造になっている。この同心円の総体を「単元学習」と呼び、計画的に「国語」における目標に適った「資質・能力」が養われるという訳である。この構造を鑑みるに、「言語」は表面的に活用される「言語活動」を通して、「人間性等」そのものであると見ることができる。言語観や学習観は様々であるが、少なくともこの国の小学校・中学校では、「言語は資質・能力そのもの」であることを前提に母国語を据えた学習が為されているわけである。

短歌を作ると、歌会へ投歌したり短歌賞に応募したりする。自らの手から離れる瞬間、その表現は自らでは如何とも仕様がなく他者に自由に読まれる社会的・普遍的な一行となる。手を離すまでの推敲において、果たして自らの心を適切に他者に伝わる表現になっているかどうか?徹底的に見直し続ける。あまりに推敲に力を入れ過ぎて、むしろ表現が混濁して冴えない歌になってしまうこともある。しかし、なぜこれほど推敲にこだわるかと言えば、公表したら引っ込みがつかなくなるからであろう。「自らの心の叫び」が短歌だとすれば、作る者はその「叫び」に責任を持たねばならない。ゆえに投歌したり郵送・送信した後でも、脳裏の中で「この表現の方がよかったか?」という疑念が渦巻いてくる。表現の欠片をいかに恣意的に切り取られようとも、多様に如何様にも受け止められる運命を否定することはできない。短歌を手放す瞬間の喩えようもない緊張感と恐怖感にも似た快感は、「歌=こころ」であるという1300年の営為の上で成り立ってきた生きるための葛藤でもある。「言語」は手放したのち、「切り取られ誤解を呼んだ」「(その表現は)本意ではない」「撤回する」で済むものではない。小学生でさえも、一度提出した言語を散りばめた「テスト用紙」を「撤回」できるなどと思うわけがない。

自らを託す言語
言語生活は常に「人間性」と隣り合わせである
学習上においても甚だ害悪な醜態を政治家が世間に曝すのは、もういい加減にして欲しい。


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言葉が悪者なのか?ーことばの信頼と文化継承

2022-11-11
「本歌取り」はなぜ行われたのか?
題詠という方法と自らの抒情を叶えること
そして、「・・・という印象を与えた発言は、本意ではない」という言葉切り捨て

「ことば」でこそ人は、平和で豊かな社会を作り上げることができる。たぶん人類が他の動物と違いここまでの文明的な発展を遂げられたのは、「ことばの力」のお陰であろう。季節ごとの美しい風景をことばにして、そこに個々の自らの抒情を託す。反転し自らの人恋しい心を、自然の景物の状況に擬えて人に伝えようとする。日本ではこうした心物対応を「三十一文字(みそひともじ)」に託し、古来から人と人の心に「ことばの信頼」を築き上げ繋がり和み合って来たのだ。心に深く刻まれた「三十一文字のことば」は信頼度が極めて高く、現代ならインスタグラムなどで写真を他者に誇りたいように「その光景」を後世に遺したいと考えるだろう。信頼の極めて高い「三十一文字」を「古歌」と呼び、自らの和歌創作の要素に溶け込ませていく。『新古今和歌集』時代に確立して来た「本歌取り」という方法は、このように極めて高い「ことばへの信頼」であり高度な文化継承の方法であった。この日の文学史講義では、藤原定家の『近代秀歌』の「本歌取り論」を読み、自らが本歌取り和歌を創作する要点を読み取るという内容で進めた。「国語」という教科を小中高の学校種を問わず教える際に、ぜひ理解しておいて欲しい文化的営為である。

翻って国を代表する閣僚たる政治家どもは、正反対に「言葉を悪者」に仕立てて自己弁護に走る輩だらけで甚だ嫌気が差す。自らが公的に発言に「問題がある」と批判されると、「(批判されたような)印象を与えた発言は、私の本意ではない。」という弁解を幾度となく聞かされる。さながら「(公的に)発言した言葉」が悪者であり、「私自身はそんな心を持っていない」と「言葉」をトカゲの尻尾切りのように切り捨て保身をするのである。さらに酷いのは、「(批判の対象として)言葉をそのように捉えた世間がおかしい」と言わんばかりのケースさえある。さらに言えば「高い緊張感」とか「緊密な連携」など、ほとんど実態がないからこそ吐き出される、空虚な表面的で信頼の欠片もない言葉で重要な事態に対応したかのようなポーズを見せる。あまりにも「言葉」が、可哀想ではないだろうか。こうした些細な「言葉の信頼の失墜」の積み重ねが、結局は政治不信を招いていることに気づかない。いや気づいていても「その方法で一時的に騙せばよい」とさえ思うような発言さえ出てくるあたりに、深刻な「言葉への罵倒」があるように思えてならない。ゆえに僕たちは「三十一文字のことば」を極めて高い信頼を持って尊重し、次世代に引き継ぐために、日々に歌を詠むのだという矜持を持って生きていたいと強く思う。

米国では民主主義を護るかどうかという選挙が
揚げ足取りではない「本意」を問うための「ことば」
せめて教室では「極めて高い信頼」のある「ことば」を教えたい。


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意見を言うこと声に出すこと

2022-09-30
意見を言ってこそ相手を、その場を尊重している
意見を言わない後悔より言った後悔
そしてまた黙読ではなく声に出すことの意義も

小学校も半ばを過ぎるまでは僕はかなり引っ込み思案で、周囲からいじめられるような経験をした。だがいつも心の中で「この場面ならこういうことを言ってやりたい」と心の中で想像していた。例えば、授業中でも周囲が言う意見と違う考えを述べて、画期的な新しい視点を学級に提供するような妄想をよくした。次第に自我も発達し「自分は意見が言いたい人」なのだと明らかに悟るようになる。小学校4年生頃から妄想を実行に移し、社会の授業などでは「先生も知らないこと」をよく発言するようになった。日頃から「地図と年鑑」が好きでよく読んでいたので、音楽が専門だった担任の先生は授業中に、僕によく「内容を確かめる」ように発言を促した。この経験は「発言して場の空気感が変えられる」という面白さを、僕に実感させたのだ。以後、意見は「言った後悔より言わない後悔」の方が大きいと思うようになれた。現在でも研究学会でも、可能な限り質問をするように心がけて参加するようにしている。質問をしないということは、対象となる研究発表に対して失礼なことではないかと思う。

会議や学会で意見を言うのは、「声」で伝える行為である。意見は単に言えばよいのではなく、「言い方」も大切だ。全体の流れを汲み、その場の議論から新しい物を生み出す可能性を持った内容が求められる。論点をズラして自らの考えを滔々と述べるとか、前提から外れた「批判のための批判」を言う向きの輩がいるが、それを「意見」とは言えないとさえ思う。同時にこうした類の多くは、意見そのものの言い方が「何が言いたいのかわからない」場合が多い。もとよりその場の提案や議論の趣旨を、自らが理解していないのではないかとさえ思う。「質問」の言い方が全く整理されていない状態を伴う。また発言する際の「声」のあり方にも、僕は大変に深い興味がある。内容の不明確さは「声」のあり方によってさらに増長もし、補われる場合もある。「どのような言い方をどのような声で伝えるか」内容や場に応じて、僕はこんな部分も調整するようにしている。話は変わるが、11月に宮崎市内で「若山牧水に関する朗読&トーク」の公演に出演する。この日はメンバーとの初顔合わせ、とりあえず僕が読もうとする部分の雰囲気を伝えるために朗読をした。共演する演奏家たちとの実りある共鳴感、やはり伝えるのは「声」なのである。

【11月13日(日)午後「いとしの牧水ー短歌・朗読・トーク」公演・宮崎市内】
詳細はあらためて告知致します
深い思考を持った「声」を出せるよう、今後も心がけていきたい。


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わざわざ言うことの意義と虚脱

2022-09-29
前提であることを言わねばならぬ
「ない」と言えば「あり」、「あり」と言えば「ない」
「水」のように容器に合わせて形を変えらてこその理解

誰しもが小学生の頃、「手のひらを太陽に」という曲を唄った経験があるだろう。もしかしたら年齢によって唄う経験も失われてきているのかもしれないが。アンパンマンで有名になった、やなせたかし作詞、いずみたく作曲、歌は宮城まり子、1961年(昭和36年)に制作され、1962年にNHK「みんなのうた」で放送された楽曲。当初は反響もない曲だったようだが、1965年(昭和40年)になってポニー・ジャックスが歌いレコード発売され、その年の紅白歌合戦で歌唱し大きな反響を得たとされている。1965年といえば戦後20年、高度経済成長の社会の中で「生きている」という前提をみんなが忘れ始めた時期であったのかもしれない。「手のひらを太陽に すかしてみれば まっ赤に流れる ぼくの血潮」という歌詞には、自らの身体に血流があることの発見である。いわば前提となることを敢えて「言った」歌詞なのである。「かなしいんだ」「うれしいんだ」「愛するんだ」という歌詞もまた、人の感情は「生きている」ことが前提であることに気付かせてくれる。命の実感が薄れてきた時代に、「生」の意味を再発見させる歌だったのだろう。

「生」を自覚するには、宿命たる「死」を自覚する以外に方法はない。言い換えれば「死」を意識してこそ、「生」を貴重なものと認識できるわけだ。前述の曲が人口に膾炙して60年近くが経過した今、まさに「生」の自覚なき時代になってしまっているもではと危惧する。前提として当然のことを人々が自覚するためにあるのが詩歌、だと言える。その詩歌はもとより、文学そのものが社会での影を薄くしている。だが望みがないわけではなく、若者たちの短歌ブームなどは「生の自覚」をことばに乗せて求めようとするゆえのことだろう。こうした発見の詩歌のことばは大いに意義あるものだ。これに反して、社会には虚脱する言葉も溢れている。無いことを有るかのように言う、空虚な言い訳めいた言葉だ。真実を隠すために十分に吟味されたとも思えない言葉で「ハリボテ」のように形作る。「聞く力」という言葉は、それが無い体質だから前提ながら言っているに過ぎないのが明らかだ。詩歌に比べたら次元が違いすぎる言葉、僕たちは注意深くことばを吟味していく必要がある時代なのだろう。

丸にも四角にも三角にもなる「水」
柔軟な思考こそが平和を形作る
言葉に騙されず、ことばを信じて。


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はったりで引っ込みがつかなくなる前に

2022-09-09
ついつい言ってしまったこと
周囲からの投げかけに乗ってしまって
早々に自ら修正すべきところだが

「はったり」という語がある。「はったりを利かせる」などと使用して「(3)相手をおどすようにおおげさに言ったり行動したりすること。実際以上に見せようとして、おおげさにふるまうこと。またそのふるまい。」と『日本国国語大辞典第二版』にある。さらに同辞書の見出しには、「(1)なぐること。他人をおどすこと。(2)けんかなどをしかけて、金品を強奪すること。ゆすり。恐喝(きょうかつ)。また強盗、追剥ぎをいう。」とあって、(2)には「浄瑠璃」や「歌舞伎」の江戸時代1700年代の用例を添える。「語源説」として「王朝時代に徴税などを催促するハタル(徴)の転 [ことばの事典=日置昌一]」とあり、もとより「金の催促」に由来する語のようだ。意味として(1)(2)よりは最初に掲げた(3)は緩やかな行動であるが、現代ではもっぱらこの用法が一般的であろう。同辞書でも(3)については、1900年以降の近現代の用例が添えてある。僕自身の経験的な語感でも、ほぼ(3)の意味でしか使用しない。

「度胸が必要な場面に臨むとき」大学時代頃からよく「はったり」も大事だと思っていた。恩師と呑んでいる際に、先輩の誰かが「よく先生はあんなにたくさんの和歌を覚えてますね?」と尋ねたところ、「あ〜忘れたら適当に作っているよ!」と返答されて大笑いをしたことがある。先生の『万葉集』の演習では、実に見事に和歌が朗詠されその魅力の虜になった。もちろんかなり多くの和歌を身体に刻んでいるのは確かだが、いざとなると「作る」というのは「教師は度胸」が必要だとその後の経験で今も活かされている。また教員になって部活動顧問をしていた際に、野球部やサッカー部が全国レベルで強い勤務校であったゆえ、当初は弱小ソフトボール部顧問をしていた際に、他校にかなり「はったりが利いた」のを記憶している。もちろんそんな「はったり」はすぐに「化けの皮が剝がれる」わけなのであるが。大学学部や大学院時代も、読んでいない文献が話題になるとその場は「読んでいるフリ」をし、その日のうちに「読んでおく」ということも少なくなかった。要は「はったり」はすぐにバレる場合も多いので、すぐに「実際をはったりをした次元まで高める」必要があるだろう。その努力をしないで放置された「はったり」は、次第に「嘘で嘘が塗り固められて行く」ものだ。試験や試合など「はったり」が有効な場合があるのは確か、それゆえに様々な場面では引き際も肝心なことを心得るべきだろう。

やがて「詭弁に詭弁を重ねて正当性を強調」するように
放置した「はったり」は必ず信頼を失う原因となる
強引さが目立ち(1)(2)の語義に戻らぬように善用を心がけるべきであろう。


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「・・・ない」という言い方を考える

2022-08-05
「見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)
「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」(吉川宏志)
残像とか微妙で繊細な心の動きとして「存在する」つまり「・・・ある」ということ

「肯定かー否定か」「プラスかーマイナスか」学生たちの記述などに頻出する考え方の枠組みである。高校までの小論文とかディベート、小学校以来の「意見表明の型(・・・について賛成〈反対〉です。なぜなら・・・)」として教え込まれるのか?毎年、1年生の記述した文章を読むとこの思考方法が大変に気になっている。はてまたTVのバラエティ番組で芸人が「○か✖️か」という札を上げる方式、「・・・・について賛成か反対か」を問う「劇場型選挙」の方略でもある。明確に「結論」を出すという意味でわかりやすく、提唱する側が毅然と決断力があるように見える方法だ。所謂「二項対立」という思考方法であり、比較対象を設定し基本的な立場を明らかにする方法として有効ではある。「子供/大人」「自然/人工」「集団/個人」など、やはり高校などで「評論文」を読む思考の枠組みとして教えられる方法でもある。入試における「選択式正解」を求める際には大変に有効であり、「受験国語」における「魔法の杖」のようなものとも言えるかもしれない。だが「対立項」は明らかな線引きで「対立」しているのだろうか?深く慎重に考えてみれば、「共通項」も多く「・・/・・」とスラッシュで明確に”区切らない”ことにこそ真実が見えてくるものだ。

冒頭に掲げた二首の短歌は、「・・・ない」という語法を使用した表現になっている。前者の定家の歌を「花(桜)も紅葉も否定するマイナスな表現」とするのが、前述した学生の記述によくあるパターンである。だがあまりにも著名な鎌倉時代のこの和歌には、既に多様な解釈が施されてきた蓄積がある。むしろ「なかりけり」ということによって、「(花も紅葉も)残像として顕然と読み手の心に映像として刻まれる」という解釈が穏当なところだろう。また二首目の吉川宏志さん(宮崎県出身歌人)の歌は、結句に「告げられなかった」と否定語が来ることから、学生の中には「(結論としてこの歌の主体は)愛を告げられなかった」と「否定」のみの意味で解する者がいることに驚かされる。いや、それほど入試用にしか通用しない「評論文読み」が定着している「成果」というべきだろうか。愛を告げると決めた主体が歩く「花水木の道」は、長過ぎず短か過ぎずちょうどよい時間を要する距離であったから「愛を告げられた」と読むのが一般的であろう。くり返すが、「(長過ぎたら)間延びして躊躇した」とか「(短か過ぎたら)話題を反れて言い出せない」とか、読み手の心には「告げられなかった」際の原因までもが残像として浮かぶのである。「文学の言葉」は少なくとも「額面通り」ではない。いや「額面通り」を敢えて意識させた後に、壊して反転することで「効果的」な表現となる。いまこれを「文学の」言葉と書いたが、実は「日常の言葉」でも、この破壊反転と対立項の共通点が読めてこそ「相手の真意がわかる」ということなのだろう。

政治家の言う「・・・はなかった」は「・・・はあった」ことを意識させる
二項のみの思考は「差別」そのもので「・・/・・」と壁を作り「一方を排除」するのである
ゆえに二項の思考を立てつつ壊し「文学」が読める「人の心がわかる」若者を育てたいものである。

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考え方を溶かすための語り合い

2022-07-28
Web情報は自ずと小さな穴に入るように
偏って固まった考え方を話すことで溶かしゆくこと
新型コロナも然り社会を取り巻く様々なことも

「行動制限のない・・・」という言い方が、TVなどのメディアを中心に喧伝されてきた。同じ表現に向き合う人々の解釈における、負の意味での多様性を感じる事例である。概ね僕などの解釈であると、政府や地方自治体が飲食店を中心とする営業時間の短縮やアルコールの販売規制などの制限をかけることはしない。また「県外移動自粛」などの協力も求めることはしていない。という意味で「・・・GW」「・・・夏休み」の前につけ枕詞のように喧伝されたわけである。だがこれは決して「安全宣言」ではなく、旅行割引再開などを目論み「社会経済を回す」という政府の思惑や多くの人々の願望から発せられた表現である。注意すべきは「制限のない」ということイコール、「コロナに感染しない」ということではないこと。誰しも「3年ぶり」は楽しみたい、だが「行動制限のない」ながら「感染対策は変わらず徹底する」ということが前提であっただろう。言語表現の多様性は担保されるべきものであるが、多様さの中での「ひとり歩き」や「思い込み」については慎重に考えねばならないことを学ぶのである。

母が役所で必要書類を取得する必要があり、午後は休暇を取って車で伴った。馴染みになったその窓口に来ると、母父が宮崎移住により転居届を提出した際のことを思い出す。先日も牧水賞授賞式で挨拶をする際に、伊藤一彦先生が河野知事に向けて「先生は宮崎の人口を増やすことに貢献した」という趣旨の紹介をいただいた。県をあげて歓迎されているようで、誠に光栄なことである。母の書類取得も順調に済んだ昼下がり、せっかくなのでゆったり話ができるような場所がないかとスマホで探した。ちょっとした裏道に感じのよい家庭的なカフェがあるのを発見。行ってみると予想通り、しゃれたインテリアで手作り感ある軽食を出す店であった。座席は今もアクリルボードを挟んで向かい合う感染対策が施され、天井が高く広めの店内であるゆえに他の客との距離も十分だ。この夏に計画していた「親戚会」を断念したことの正否とか、今後の社会のあり方など、お互いに多くの話題を話すことができた。誰しもがそうであるが、スマホは多種多様な情報が得られると思いがちだが、自分が検索する穴の中にどんどん嵌りゆくごとく偏っていくことを知るべきだろう。また昨今は、TVの情報も偏りや規制がありやと疑わしいことが少なくない。もしや「行動規制のない・・・」の解釈の偏向が、この感染大爆発を生み出したのだとすれば、情報の扱い方に僕らはもっと慎重にならねばなるまい。

話をすれば思い込みが溶かされていく
この困難な時代への向き合い方
まずは身近な家族と十分に話をすることだ


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「バカじゃない」ことばの力学の退行

2022-04-26
「バカじゃない」の真意は何が言いたいのか?
「いや、そうではないだろう」という反語としての裏の意味
心を形にしたことばゆえに文法では定められない文脈上の意味がある

たとえば恋人から急に告白されたとしよう、思わず「バカじゃない」などということばで反応をしてしまう場面は映画やドラマでよく観る光景だ。通常、僕たちはこの発話をした人物の真意として、「好きな人からの急な告白に驚き、照れ臭いのも隠すために反発的に『バカ』という罵声的な表現を使用しその場を凌いだ」と解釈するだろう。時に「ことばの額面通り」に解釈しふられたと思う人物がドラマに描かれるかもしれないが、視聴者としてはそれこそ「真のバカじゃない」と思う二重構造の演出になるような気もする。いつからであろうか?学校などで「バカじゃない」などということばを教師が児童・生徒に対して言えない環境となった。もちろんコミュニケーションなき品の無い人権侵害のような物言いいは、いつの時代でも慎むべきであるとは思う。だがしかし、かつての昭和の時代であれば「バカやろう!」などと部活顧問が指導する光景はどこにでもあった気がする。僕はソフトボール部の顧問をしていたが、近隣の学校の名物監督で試合中などに「バカやろう!」を連発して指導する先生がいた。それは明らかに部員たちへの愛情表現であったように周囲も嫌な感じはまったくせず、むしろあのように生徒らへ親身に指導したいものだと憧れに思っていた。

中高教員をしてきた経験の中で、部活指導の状況などは明らかに変化してきた。練習中にあまりにやる気が見えないので「帰れ!」と顧問教員が言ったら「本当に帰ってしまった」という笑い話のような真実があった。だが現在の状況では「帰れ!」などと言えば、保護者がクレームをつけるのは必定な世の中になった。古文のようにこの「帰れ!」をことばを補って解釈するならば、「(あなたはそんなやる気のない部員ではないはずだから、そんな姿勢で部活をしているなら)帰れ!」という愛の鞭としての発話と解釈するところである。前述した「バカやろう!」もそうであるが、ことばの背面に「いや!あなたはバカじゃないだろう。やればできるはずだ。」という親身な愛情を読み取るべきである。だがこのような表現が避けられる世の中になって、言語の解釈の幅が大変に狭まってしまったようにも思う。あくまで「ことばは額面通り」にしか理解されなくなってしまった。そんな言語文化上の”退化”が、進行しているようにさえ思う。古来から「疑問」なのか「反語」なのかの解釈が論争になっている和歌がある。それを文脈の上でどう捉えるか?そんな国文学講義を1年生で実践し背後にある「愛情の意味」が解釈できる学生を育てたいとあらためて思った。

「月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」(在原業平朝臣)
人の感情は二項対立で結論が出るものにあらず
「バカじゃない」と言える間柄を意図して作らねばならないのはいかがなものだろう?


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