水を得てうなぎ

2018-02-07
しばらく忘れてた水泳の爽快さ
そして脂の少ない蒸しうなぎをいただく
より健康への配慮を怠らず・・・

朝から市内某所で仕事があった。こうした仕事からもまた、新たな出逢いがありそうで実に興味深い。宮崎で仕事をする利点とは、こうして地域の様々な方面の方々と直に繋がりを持てるということ。その仕事からまた、社会の輪を創り出せるということ。この3月で丸5年となる月日の中で、こうした人との繋がりで助けられたことも多い。さて仕事を終えて一旦大学や自宅へ帰るのも二度手間になるゆえ、そのまま珍しい時刻にジムに足を運んだ。夜とは違い比較的年配の会員さんが多い中で、ストレッチをじっくりして遅めのランニング30分から筋トレへ。あまり時間に囚われることなく、じっくりとトレーニングをこなした。まさに自分の身体各所の声を聴く、といった感覚であった。

その後はかなり久しぶりに、プールに赴いた。ちょうど1年前の人間ドッグ検診で、呼吸機能年齢が、ほぼ実年齢と等しかったゆえにこだわりを持って始めた水泳である。だが昨秋の学会大会開催運営前後から、なかなかプールにまで赴くことがなくなってしまっていた。また水泳の効用は有酸素運動のみならず、思考を活性化して前向きにしてくれることも実感していた。となると、水泳をしてなければやや停滞気味の思考になっていたと言えるのかもしれない。以前のようにゆっくりと距離は考えずに、15分間を連続で泳ぎ続ける。次第に身体が水と融合して重さを感じなくなり、同時に思考が冴えてくる実感が得られてくる。きっと各所の細胞が喜んで活性化したに違いない。そしてまた、食生活も今一度見直そうと今年の人間ドッグで考えを新たにした。

ということでジムの後は宮崎名物の鰻をいただく
まさに良質なタンパク質補給
明日への活力、水を得てうなぎ


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若さとはいかに測るや

2018-01-19
年1回の人間ドッグ
身体のありのままが明らかに
若さとは気持ちだけにあらず

もう10年以上になろうか、毎年の誕生日前後に人間ドッグを受診するようにしている。単に「お祝い」というのみならず、自らが生を受けたその日に感謝して、いただいた命の現在を確かめるのである。最近は病院という風ではなく”健診センター”といった趣で、消毒液の香りも少なくホテルライクというか、温浴施設のような感じで受診できるところも多い。自ずと「病気を発見する」という負の意味合いよりも、「健康を確かめる」という前向きな気持ちが強調されるように思っている。このように言えるのも「特に異常なし」、であったからだろう。今回は特に医師の実に丁寧な説明があって、コミュニケーションを重視する者としてはありがたい限りであった。

その説明の中でまず自分でも驚いたのは、「体内年齢」の数値が「29歳」であったこと。体脂肪率や筋肉量・水分量などの組成数値の総合的な判断であると云う。そして健康長寿であるのは、肌や髪などの外見とも直結していると医師は云う。事前に親族の病歴などのアンケートに詳細に答えているので、僕自身が母方の遺伝子を引いているとも医師は見抜いており、「お母様も外見が若く見られませんか?」と言われた時には、図星であったので実に驚いた。ただ今回の受診前に不安があったのは胃内視鏡検査である。昨年の学会大会開催前後の期間において、かなり胃部に痛みを覚えることがあったからである。明らかな診断を受けるにはX線よりも内視鏡が手っ取り早いと受診に挑んだ。毎度、喉からが苦手なので鼻からファイバーが入れられる。自らも横向きに寝ながらモニターに映し出される食道や胃の様子を見ていることができる。その結果、胃の内壁も大変綺麗で、特に異常もなしと医師が話してくれて一安心。毎日の美味しい食事やお酒を、この胃袋の壁が消化してくれているのかという感慨も深くなり、今後も食道や胃袋を大切にしてあげたいという気持ちが強まる機会となった。

身体は自らの意識無意識に関わらず
「自分」を頑張って支えてくれている
夜はゼミの新年会で誕生日を祝ってもらい悦びの宵の口であった


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正月凝りを解き放つヨガ

2018-01-11
肩甲骨周りと股関節
何より固まりやすく多くの支障が出る部位
贅沢な生活は身体を退化させる

講義が始まって日常の生活リズムになると、如何に身体が休日モードであるかが意識される。ここのところの厳しい寒気のせいもあるが、まずは布団から出るのが辛い。朝型仕事を旨としているだけに、ここはぜひとも抗いたい焦点となるゆえ”サボり”癖はつけたくない。「寒さ」というのは身体を硬直させ、それを怠惰な心が助長し次第に凝り固まって柔軟に動くことができなくなる。これは思考もまったく同様で、対話的交流のない思考は孤立し偏向する必然に見舞われる。この寒き時節をいかに過ごすかは、心身のバランスという意味でも大変重要なものであることに気づく。

年末年始以来、トレーニングジムもややサボり気味。両親が自宅に滞在しているゆえ、食事やらあれこれ出掛ける用件も多いので仕方のないことだが、さすがに身体の硬直度が危険水域に入った感があった。講義から諸々の会議もあったこの日だが、どうしてもジムにだけは行くと心に決めていた。そして選択するエクササイズは、もちろんヨガ。その軽度だと思われる動きの中にも、普段とは違う硬直を感じてしまい怠惰な身体がいかなるものかが思い知らされる。自分ができるところまで曲げればよい、というのも内観あってのこと。内側から自らを見つめて、その不甲斐なさを痛みによって悟るのである。

ヨガの前後にはサウナで十分に温める
汗が自然に内部から湧き出てくる感覚
心身ともに正月凝りを解き放つ宵の口


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頑張った自分に拍手

2017-12-28
大学事務も大掃除
研究室はそのまま仕事の型を維持
そして夜は年内最後の筋トレプログラムへ

朝から大学へ行くと、仕事納めを前に事務の方々が大掃除に勤しんでおられた。その光景を見て研究室も整理したい衝動に駆られたのだが、まだまだ継続的な仕事がたくさん残っているため、そのままの「型」を維持しようと思い直した。もとより、大掃除をするだけの時間もない。この日も通常通りの講義があり、学生たちも休まず出席する者がほとんどであったが、どうやらインフルエンザなどにかかってしまった者も出始めたと聞く。ややゆっくりランチをとれたが、その後は会議。来年へ向けて諸々と仕事は続く。夕方は、最初から決めたようにジムへ向かう。この姿勢がないと、なかなかトレーニング時間の確保が難しくなる。この「潔さ」を何事にも持ちたいと思っている。

ジムへ行くと、よく会話をする何人かの会員さんたちとストレッチマットで一緒になった。この日は職場での「納会」などが多いのであろうか、あまり来館者が多くない。7時台の筋トレプログラムに参加する者がもしや4人程度ではないか、などと会話をしながら身体をほぐし続ける。職業や年齢を超えたトレーニング仲間の方々が親和的に交流するのも、東京にはなかった宮崎の”ぬくみ”である。プログラムの開始時間が近づくにつれて、いつも参加している人々も増えてきた。今年最後となるプログラムを盛り上げようという話となり、開始直後にトレーナーさんが自己紹介した際から、普段はしていない拍手を送る。この1年間で何回ほど、このプログラムに参加してきたであろうか。筋トレは身体各所に焦点を当てて9種目、各5分程度の筋持久系のトレーニングが続く。その各種目をやりきった後に、僕を含めた親しい4名ほどの会員さんたちでいつもお互いに拍手をすることが恒例化している。さながら「頑張った自分に拍手」、この日は他の会員さんもこの拍手に賛同してくれて、一緒に盛り上げてくれる方々もいた。やや辛い筋トレであるが、「拍手」一つで持っている力以上のものが出せるような気持ちになってくるものだ。

誠にジムにもよき仲間たちがいる
お互いに身体を鍛えて各自の人生を歩む
今年の僕はまさに「頑張った自分に拍手」よくぞこれほどの状況を乗り切ったものである。



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血の流れおり脳に手足に

2017-12-22
筋トレに身体の奥の暖かさ
冷えて循環が悪い血流は思考も鈍らせる
10日ぶりのトレーニングで実感したこと

手帳の月別頁にはトレーニングをした日に「Gym」の表示をつけるようにしているが、今月は甚だ寂しい表示である。昨日の前の表示が11日に記されており、9日間も空いてしまったかとこの時季の自らを省みた。和歌文学会大会のあった10月でさえ最大7日間の「空き」であったから、今月の生活は僕にとって異例である。そのためか筋肉量が減少して、身体内の血流があまりよくないのであろう。思考がやや停滞し常に焦燥感のあるような状況が続いているように自覚していた。小欄の「トレーニング・健康」カテゴリーに幾度も記してきたことだが、身体の活性化による血流の促進いかんが、脳内活動に直結していることを実感する結果となった。

この日はジムに到着すると、すぐさま風呂とサウナに入りまずは身体を温めた。汗が出やすい状態を作りストレッチの可動域を少しでも広げる。その後、じっくり30分間のストレッチ。通常では約15分間であるが倍の時間を要して身体をほどいていく。その後、30分かけて早歩き程度の速度でトレッドミル(ランニングマシン)、次第に血流が全身によく流れ出すような感覚を覚える。さらにノーウエイトでスクワット、最低限の重量のダンベルで上半身の各所の筋肉に刺激を加えていく。すると久しぶりに身体の奥からの”あたたかさ”を覚えた。まさにこの温床のような血流が思考も含めて活性化するのである。そういえば、夏8月の「牧水研究会」で『短歌作法』の中から「歌ができない時はどうするか』といったテーマで牧水の考え方を引用し発表したが、「散歩・風呂・酒」というのが牧水なりの手段であった。いずれも「身体を奥からあたためる」手段なのである。

淀みたるもの動き出すとき
ストレッチと筋トレが脳にも血流を運ぶ
するとなぜか「気運」も自ずと開けてくるものである。


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冷えて固まる身体を解け

2017-12-12
蓄積した疲労
その上に足下から冷える身体
頭寒足熱を心がけてストレッチを怠らず

南国宮崎とはいえ最近は、「寒いですね」とか「冷えますね」という挨拶を交わすことが多くなった。朝晩はもとより日中でも風が吹いたりすれば、陽光を遮るように寒さを覚える。何よりデスクワークをしている際の、足下などは大変冷えるものである。衣服によってそれなりに対策は講じ、日頃から筋肉を落とさず代謝量を下げないことを心がけてはいるものの、その程度を超えた冷え方が押し寄せる。その上ここ数ヶ月の疲労が身体内に蓄積されているのではないかと、自覚する瞬間も少なくない。冷えた身体は筋肉が硬直して、関節の可動域を狭める。それを無理に動かそうとすると、自然に反し身体は悲鳴を上げる。

師走となって夜に予定が入ることも多く、ジムに行く回数も減っている。やはりストレッチと筋肉を動かすことが、何よりもこの気温への対策であるように思う。何事もそうであるが、「対処療法」では根本的な解決を見ない。基本的な「生活」の芯において、解決を試みたいものである。この日はジムに行って、まずはサウナに入り汗が出るまで身体を温めた。その火照った状態でストレッチルームに籠り小1時間に及び、身体各所を伸ばして見た。腰回り・大腿筋・脹脛そして肩甲骨周りの筋肉各所が、思っている以上に硬直している。もちろんストレッチは、ゆっくりゆっくり動きをつけずに、各所の声を聞くように進める。ストレッチは単なる準備運動にあらず。温浴と組み合わせて、日々実行したいものである。

身体のみならず頭も硬直してやいないか
自らの身体を細部まで見つめる繊細さが欲しい
心身ともに可動域を拡げて生きていたいものである。


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心身の固まりを解く宵のうち

2017-12-07
日々寒さが押し寄せる師走
身体の冷えからくる凝り固まり
日常の動きにも注意して温める

さすがの南国宮崎でも、寒さが厳しいと感じられるようになった。日中の気温も10度台前半、朝晩は一桁前半を示すことも少なくない。週間予報によれば週末には最低気温がマイナスとなるとあり、さらに朝の布団から出るのが辛い日々となりそうだ。体感する「寒さ」は一時的に衣服や暖房で温めることはできるが、身体全体が「冷えた」状態であることにより、様々な影響が出てきているようにも思う。何より筋肉が硬直しやすくなり、凝り固まりやすい肩甲骨周りや腰周辺の可動域が減少しているような自覚がある。こんな状態では日常の些細な動きによって、筋を違えてしまう危険もある。何事もそうだが、固く剛強に見えるものは脆いものである。

暖かい時期には「筋トレ」プログラムに専心していたが、ここのところ「ヨガ」などに参加する率を高めるようにしている。深く長い呼吸を意識することで内臓を含めて活性化するようで、身体の内部から温まってくる。夏の暑さで出る汗とは違った種類の汗が流れ、身体各所の具合を自らの感覚で一つずつ尋ねていくような時間となる。決して無理はせずポーズによって曲げられない箇所があれば、自分の可動域を尊重し周囲に合わせる必要もない。冷えて硬直の激しい場所、例えば脹脛(ふくらはぎ)などは、思いもしないところで負荷がかかっていることを知る。まさにヨガの基本理念は「内観」すること。外側に向かった意識を内側に向ける。この作用を意識的にできるようになることが、表現の上でも大切であるなどとも考えつつ瞑想で無になる。

ヨガの後、温浴とミストサウナ
乾燥した肌の表面に水滴を満たす
そして寝室の室温と布団を温めて就寝へと向かう。


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落ち着く食事穏やかな水

2017-10-27
「いつもので」という旦那さんの一声
疲労回復栄養素豊富にひれかつ
そしてシムのプールでしばし思考と身体の対話

しばらく椅子にも座らず、立ちながらというよりも走りながら生活をしている感がある。もちろん比喩的な表現であるが、数ヶ月間のそれはなかなか簡単には止まることのできない状態にある。むしろ止まったらそのまま立ち上がれなくなりそうな気もしないでもない。かなり以前に小欄の「トレーニング・健康」カテゴリーにおいて、「疲労はトレーニングで癒す」といった趣旨のことを書いた記憶がある。あの寝過ぎてしまった時の、何とも言えない気怠さが嫌いだ。むしろ筋肉を刺激して全身の血流をよくすることで、蓄積された疲労の要素たる老廃物は排泄されるような感覚がある。イチローさんが年齢を感じさせないプレーを今でもできるのは、「オフもトレーニングを続けている」からだといった趣旨の記事を読んだことがある。

夕食に馴染みのとんかつ屋さんに行った。旦那さんが麦茶とおしぼりを持ってテーブルに来て、僕の顔を見ると「いつもので」と一声掛けてくれ、僕も「はい」と笑顔で頷く。この呼吸感がたまらなく癒される瞬間である。「いつもの」とは「ひれかつ」のことであるが、脂身が少なく栄養素が凝縮していて疲労回復効果は抜群である。その後、1週間以上行けなかったジムへ。何人もの馴染みの会員仲間の方から「忙しいんですか?」と声を掛けられる。「何とか今週の初めで一段落ですね」と応じて、ストレッチマットで身体の隅々と対話する。いつもにない肩甲骨周辺の凝り、股関節もかなりの硬直具合である。その後は激しい筋トレなどは避けてプールへ。「初級」コースにて、限りなくゆっくりゆっくりと水中を前に進む。次第に身体が自然に動くようになって来て、様々な思考が豊かに蘇ってくる。やはり人間は、元来水の中から出でし生命なのだろう。

日中は書類書きに会議の連続
途中で都城島津邸まで往復2時間
ひれかつとプールの水にありがたき英気を貰い週末は静岡へ。


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「平等ですから」ーこころ和むことば

2017-09-27
ジムのロッカールーム
挨拶をよくする好感が持てる一人の男
曰く「平等ですから」こころ和むことば・・・

来月の和歌文学会大会準備に日々追われている中、時に体力は持つだろうかなどと不安を覚えることがないわけでもない。だがそれだけに体力維持と気分転換の意味で、なるべくジムは励行しようとも心掛けている。先日、久しぶりに泳ごうと思ってプールに行った。そのコースは「上中初級」に類別されていて、「連続して泳ぐ」「25m目標」「ゆっくり」と目安が表示されている。筋トレの後ゆえ「ゆっくり」が選択したかったが、そこには3人もの人がまさにゆっくり泳いでいて、そのうち2人はカップルらしい。中級は中級で初老の方々が3人泳いでいる。残るは上級、そこには比較的ジムでよく挨拶をする身体をそれなりに鍛え上げた男性が一人泳いでいた。この状況で自分が選択するのは、やはり「上級」になってしまった。泳ぎ出すとやはり、その男性と速度が大きく違う。しばらくは彼の後ろを狙ってなるべく追いつかれない位置で泳いでいたが、複数回の往復を繰り返すと次第にそうもいかなくなって来た。

筋肉の状態が厳しいことも相俟って、しばらくするとコースの端で僕はしばし停止した。すると男性も僕の後ろから来て停止した。僕はなかなか次の泳ぎに出ることを躊躇していると、男性は「いいですか!」と声をかけて僕の前に泳ぎ出た。彼はたぶん「連続して泳ぎ」たかったのであろう。少々、彼のトレーニングを邪魔したような気になってしまい、その後はあっさりプールから上がってしまった。こんなことがあった。

だが昨日、やはりロッカールームでその男性に会った。僕は気が引けていたゆえ、「先日はお邪魔して失礼しました」と声を掛けた。すると彼から返って来たことばは「いや!ここでは平等ですから」という爽やかなものであった。声を掛けて本当によかった、という爽快感に満たされた一瞬であった。「運動」をするとどうしても、能力の差が顕著になる。だがジムというフィットネスの場では、みんなが「平等」なのだ。様々な格差が露見する社会情勢の中で、その男性の感覚こそ「理性」ではないかと思えて来た。その後、スチームサウナへ。後から入って来た老年の男が、僕の脇の座り位置に乱暴に水をぶちまけ、一瞬イラっとした。だがそのサウナを後にする時、僕はこれ以上ないほど丁寧に自らが座っていた位置に水をかけて退散した。これでいいのだ。

会員としてのマナー以上の「理性」
そんな穏やかな気持ちを失わずにいたい
自らの信念を和やかに守る上で、人はみな平等である。


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お湯の音にぞおどろかれぬる

2017-08-23
天井から滴るお湯
打たせ湯は身体を打たれるためのみにあらず
その音に心身の回復をみた宵の口

来週から学部3年生は3週間に及ぶ附属小学校での教育実習に入る。その直前指導が実施され、諸々の事務仕事を終えて附属小学校へと出向いた。学生たちは授業で使用する教具などを担当クラスごとに配分する作業を行い、その後、各学級で担当教諭からの指導を受けた。こうした作業的な動きが出てくると、いよいよ実習が始まるという感覚である。それにしても相変わらずの暑さはしんどい。100名近くの学生たちが一堂に会して作業を行えば、熱量も相当なものなのだろう。その会場の若い熱気に、こちらはやや押され気味である。役目を終えて附属小学校を後にしたが、聊か水分の欠乏を感じたので、近くのカフェで休憩することにした。短歌など読みながらしばしゆったりした時間。人気店らしく午後の半ばの時間帯でも店内に客は多い。だが短歌という「声」に耳を傾けるだけで、不思議と静かな気持ちになれるものである。

夜はジムのプールに行くか否か迷ったが、結局は近場の温泉へ。いつも行く公共施設が休館日なので、大学の福利厚生でいただいたチケットを利用し、プロ野球キャンプでも使用されているホテルの温泉へと向かう。夏休み中でここもまた聊か喧騒が絶えなかったのだが、思わず自分なりのスポットを発見してしまった。それは「打たせ湯」の一角。「源泉」から引いたというお湯が天井付近から湯船に常に滴り落ちている。その湯に身体を「打たれる」にあらず、傍らで水面に落ちる音を聞きつつ、ゆったり半身浴をしているのがよい。その一定な「水音」というのが、次第に引き立ってきて、自然と周囲の喧騒を掻き消してくれた。かの芭蕉には「古池や・・・」「閑かさや・・・」の名句があるが、聴覚というのは詩心としては大変重要だ。それも際立った音でなくていい。ささやかな「水音」こそが、心身をこの上なく癒し覚醒させてくれる効果があるように思われた。

日常に「癒しの音」はあるか?
鳥の声・せせらぎの音・寄せては帰る波の音
五感を無駄に生きていては面白くもあるまい。
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