8月は豪雨・台風で歩数減
2023-09-01
月平均1万歩の目標を達成せずビショ濡れになるほどの豪雨も多く
台風にも悩まされた8月は往く
身体というのは、誠に正直なものだと思うことがある。この3年ほどスマートウォッチを装着するようになり、月間平均歩数の目標を「1万歩」とし間違いなく毎月達成してきた。コロナ禍で巣籠りの時期も続き、外を歩くことで精神的な安定も保たれたと思っている。大切なのは「平均」で「1万歩」とするということで、心構えとしては日々必ず「1万歩」を達成することの積み重ねが肝心なのだ。例えば休日で車を使用するとなると歩数は伸びないが、それでも夕食後に歩くなどして何とか「1万歩」を目指すことが達成のコツである。車移動中心の1日を過ごすと悪い時は3000歩以内ということもあり、文明の利器は誠に人間を退化させるものと実感する。
「1万歩」の目標を定めたのが2020年10月、それ以前はせいぜい5000歩、悪い時は3000歩ほどで人間ドッグの血液検査数値にも表れていたように思う。先月はそこまで低調ではないが、この3年間では異例の月平均「8843歩」に留まった。正直なところ「1日平均」を回復させる歩行を、尽く豪雨などに阻まれた印象である。台風が来ればどうしても屋内に籠ることになり、また雨の降り方が半端ではないので容易に外を歩けない状況があまりにも多かった。それでも大学構内を7階まで階段を上り下りするとか、努力はしたつもりではある。身体が正直だというのは、歩数が減ると確実に体重も増加傾向を示す。特に講義のないこの時期、デスクワーク中心で1日の活動量は大幅に減少する。地球温暖化は、人間が自然に歩くことさえ阻むと言うのか。
さて9月!再び「1万歩」を目指して歩み出す
歩くと間違いなく新しい発想に出逢えるものだ
牧水没後95年を控え、牧水にあやかり逞しく歩む月としたい。
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動かないと疲れは取れない
2023-08-17
1日の歩数も上がらず冷房の中だけにいる生活
疲れは動きながら取っていくものだ
先週まで前期末の採点・評価に追われつつ、台風への警戒と東京行き学会参加への心配など疲労が生じることが多かった。東京に着けば着いたで、親友などとの宴の時間がついつい多くなる。このような条件でここ10日間ほど、1日に目標とする1万歩には至らず身体を動かさない傾向の日々である。しかも研究学会で指定討論者をした時などをはじめ公共の場所の冷房がキツく、体温が下がり気味でときどき鼻水が気になったりする。明らかにいつもの基礎代謝を上げる生活習慣が崩れ、身体に疲労が疲労のままに溜まっている感覚だ。
人間は、休めば休むだけ疲労が取れるわけではないようだ。休日に「寝溜めはできない」と言われるように、身体を動かさないとむしろそのリズムが不調をきたすように思う。などと考えて、この日は朝方に30分4500歩ほど、夜には20分3000歩ほど歩くようにしてみた。少しは身体リズムが戻ったようにも思うが、その他の時間は家の中の冷房に籠るので、どうもシャキッとしない身体から逃れられない。むしろ日常において起床時間が一定するなど、リズムが良い時ほど疲労は感じない。誠に人間は「怠惰になれば衰えるのみ」なのだと、休日の過ごし方を再考している。
また次なる希望に動き出そう
身体のリズムほど大切なものはない
脳内も筋肉も身体は動かさないと疲れさえ取れない。
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脳活でも汗をかく
2023-07-18
集中した作業ののちにいつも腿裏にかなりの汗が
水分補給の大切さをしみじみと
休日ながら原稿の校正を進めている。それにしても、全国的な酷暑はとどまるところを知らない。既に地球温暖化はかなりのところまで進行してしまったのか?CO2削減にあたり、この程度の意識でいいのか?と深く考えさせられる。国内でもこの時期になると、毎年のように必ず豪雨・浸水・土砂崩れ被害が相次ぐ。もはや「防衛」より以前の「生命と財産を護る」課題ではないか。そんな中にあって自宅で冷房の中で自分なりの時間が取れることは、誠に幸せなことだ。それでもなお、過剰な暑さの魔の手が忍び寄るのではないかと心配になる。全国では熱中症の搬送も相次ぎ、重篤な症状に見舞われるという報道も後を絶たない。
自分が集中した際には、足の腿裏あたりにかなりの汗をかく。デスクワーク時、自動車の運転時、さらには研究学会などでいずれも「集中度の高い」時だという共通点がある。対策として大学研究室の椅子は、表面がメッシュ状のものを使用し腿裏の通気性が良いように施している。また下着については、腿裏までやや長めの仕様の種類を持っている。もちろん冷房も適切に使用し、水分補給も怠らないのだが、昨日はやや「疲労感」のようなものを感じ熱中症の兆候ではないかと自覚した。考えるに身体を動かすばかりでなく、脳内をハードに働かせれば汗をかくということなのだろう。むしろ僕自身が「集中度が高い」ことの証左が、この汗だと思っている。
水分のみならず塩分や甘味も
脳の活動は一定の年齢以降もさらに活性するとか
人が作ってしまった地球の温度に人はどう対応して行くのか?
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一日を動く身体の準備&鎮静
2023-04-16
朝のストレッチをして筋肉と関節の可動域を広げる
夜は風呂上がりに筋肉を鎮めていく
新学期授業開始の1週間、新入生など新たに出逢う学生たちとの緊張感を楽しみ週末を迎えた。どうしても神経を使っているのだろう、土曜日の朝はゆっくりと寝た。前の晩も早く寝たので睡眠時間は過剰なぐらい、起床が遅くなると朝のルーティンが通常の順番でできなくなるのが不満でもある。小欄を記しWebで情報を観たりしていると、あっという間にお昼時に近づく。その流れで母と買い物に出かけ、大きな荷物を持つなどして帰宅した。直後に床にある鞄に財布を戻そうとすると、左臀部に嫌な張りを感じた。幸い腰全体には及ぶものではないが、誠にこの感覚は嫌なものである。その瞬間に朝のルーティンであるストレッチポールとコアトレに下半身中心のストレッチを怠っていたことを悔やんだ。
身体は1日の活動に入る前に、十分な「準備」が必要だ。若い頃は筋肉も柔軟だし、筋力が補ってくれていることもあった。だがやはり年齢とともに、筋肉や関節の「準備&鎮静」が必須であると最近は思う。朝20分の「準備」に加えて歩く「20分」、これが1日を活動するための身体を整える。そしてまた風呂上がりのストレッチも必要なことを痛感する。寝入る前に明日のための筋肉&関節を「鎮静」させることだ。入浴で温まった状態で各所を伸ばすのは心地よく、寝床に入る前の体温調節にも有効なように思う。イチローと翔平とMLBを席巻する選手らは、明らかにこの「準備&鎮静」に十分過ぎるほど気を遣っている。もちろん筋肉の質も違うのだろうが、僕ら一般人だからこそより以上の気遣いが求められるのかもしれない。
今日を生きるための身体
義務感ではなくしなやかに動くために
硬直したものこそ脆弱であることを再認識する。
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寒さに強い身体ー筋肉を鍛える生活習慣トレーニング
2023-01-31
朝のコアトレ・ウォーキング昼は職場での階段登り
夜は風呂前の自宅筋トレ
感染拡大3年目の春も近い。この間の大きな生活の変化として、トレーニングジムを辞めたことがあげられる。人生を振り返れば、大学卒業頃からジムの会員になっており、初任勤務校では運動部のためのジムやプールが整っていたので、常にトレーニングを継続することができていた。そのおかげで体重はほぼ学生時代と変わらず、歩行する力などは同年齢の人からするとかなりのものだと自負できる。だがこの丸3年間は、さすがにジム会員を辞めた。肝心なのはこうして途切れた時に、どのように対応するかであろう。「自宅」という「生活の場」でいかにトレーニングを続けるかが問われた3年間でもあった。小欄を執筆後は朝のトレーニング、大学での昼食後は構内の階段登り、そして夕食後に風呂の掃除をしつつできる範囲の筋トレをすることが習慣となった。市内のジムまで通っていた際は片道を車で30分、計1時間を要する。音楽を様々に聴けるという利点のみで、プライベートの時間に制約を受けていた印象もあった。
今年のような寒い冬であると、筋肉の多寡でその感じ方が異なると思う。かつて有酸素運動を優位にしていた頃は、(体脂肪が12%前後であったか)寒さが身に沁みた。だが現在は下半身をはじめ筋肉を保っているので、それほど寒さが応えることはない。1日1万歩の歩行量は、基礎代謝も上げてくれて身体の活性化に有効だ。そしてまた年齢とともに、あまりに過剰な激しい運動を控えたのも得策だと思っている。様々な健康記事を読むと、過剰な運動も身体に悪影響を与えるのだと云う。BMI(肥満率)も少なければ少ないほど良いわけではなく、「標準体重」よりやや多いあたり(25前後)が「死亡率」が少ないのだと云う。(ちなみに僕は現在「22」)要は適度な栄養を身体に蓄えつつ、常に筋肉を活性化し心肺も含め動き続けることが肝要なのだろう。最近は、中年層の癌の報告などもよく耳にする。トレーニングを特別なことと考えず、まずは日常生活の中に浸透させることが大切だろう。この3年間も身体を維持できたのは、こんな心得があってのことである。
こだわり過ぎず日々できることを積み上げる
自宅で風呂掃除などやるべきこととともに朝・夜の時間に組み入れる
Web上に様々なトレーニングメニューの手ほどきもある
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免疫力と予防習慣ー流行性感冒100年の歴史の中で
2023-01-11
インフルエンザと同時流行やはりいずれも侮れない感冒
されど人と人との接触が持てない損失も考えて
3年前の今頃、僕たちは世界がこんな状況になるとはまだ思ってもいなかった。だが「20XX」の下二桁が「20台」になっただけで、世界は一変してしまった。スペイン風邪(インフルエンザ)の流行が1918年(大正7)から1919年で、第一次世界大戦の最中でもありそれから約100年後に顕れた肺炎を引き起こす「世界感冒」といえる。100年前の日本での死者は15万人、世界では第一次世界大戦の死者を上回る2500万人が死亡したと推定されている。時に戦況が不利にならぬように、罹患者数を誤魔化したという話も有名であり、当時からすると100年で医療も情報公開も大いに進んだことがわかる。人生100年といわれる時代だが、人間が作った暦の100年単位で生存を脅かすウイルスが跳梁跋扈するのも何かの周期が作用しているのであろうか?
などと歴史的視野で考えると、僕らは既に「インフルエンザ100年」の歴史の中を生きて来たのだ。以前から毎年のようにこの時期になると学校でも罹患者が後を絶たず、「学級閉鎖」などを担任教員として経験したこともある。担任個人として加湿装置を教室に置いたり、極力換気をさせるなど努めたこともある。授業を終えての手洗い習慣、食事マナーの節度、顔周辺を手で触らない、など既に以前から予防習慣として実行していたことも少なくない。されど「清潔」ばかりを求めると神経がすり減るので、「ウイルスは0(ゼロ)にはならない」と考えることも大切だ。そこで僕たちにできることは、免疫力を高めることだろう。こちらもこの10年間近い宮崎生活で、僕自身が気をつけて来たことである。栄養・運動・休養の過不足ないバランスを生活の中で保つことだ。誰しもが願わくば「コロナが消える」ことを願うのだろうが、歴史は明らかにそうはならないことを語っている。人間そのものもビフィズス菌などによって健康を保っているように、極端な純潔主義を排し耐性ある身体と習慣を今一度考えるべき時である。
入学時にコロナが始まった学生らが3年生に
コロナ以前の様々な習慣などが失われているという声も
僕たちはこの歴史の中をどう生き抜いていくか?が問われている。
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授業とごはんのエネルギー
2022-10-20
朝から昼休みを挟んで3コマ連続昼食はお茶菓子と蜜柑と栄養補助飲料
夕飯は十分な栄養補給
大学学部時代によく話題にしたことで、「睡眠」か「食事」かのどちらが不可欠であるか?という問いがあった。僕は迷うことなく「食事が不可欠」と答えていた。卒論の清書をしていた際に、ほぼ3日3晩寝なかったことがあったが、それでも音楽で身体を覚醒し持続することができた。だが「栄養」が身体に入らないと、活力が湧いてこない。大学祭で徹夜に及ぶ作業をしていた時も、馴染みの中華屋でたんまりと好物を食べていた記憶がある。ともかく自動車同様に「ガソリン」ならぬ「食事」の栄養がないと、自らの身体車両は前に進まない。風邪をひきそうな体調を察知しても、まずは大学至近の馴染みの中華屋で麻婆豆腐を食べれば治るというのが常であった。元来、父母がそうした主義で「美味しいものを食べる医者いらず」という主義が家族の間で貫かれていた。夜なべ仕事をする前の父の食事をみて、子どもの視線から「こんなに食べるのか!」と思ったこともあった。母の美味しい食事は、家族を支えていたということだろう。
昨日は、明らかな「ガス欠」を自覚した。朝から2コマ連続で非常勤講師、昼休みに本務校に移動して持参したお茶菓子と蜜柑、さらには妻がお勧めの栄養補助飲料を飲んだ。そのお陰でさらに午後1コマ目にある130名対象の講義を、元気に実施することができた。学部1年生がほぼ全員履修しており、オムニバス(複数担当者科目)として伝えたいことは伝えたいという思い入れが強い。全15回のうち3回のみの担当は、いささか付き合う時間が少な過ぎる印象だ。そのため凝縮して、訴える力を注ぐ必要がある。講義はテンションが高いままに、終えることができた。しかし、研究室に帰ると急に疲労感が出てきて動き難くなってしまった。この時に学食にパンでも買いに行けばよかったのだが。やはり「食事」こそが、僕の「ガソリン」であったのだ。夕飯は仕事で大きなミッションを抱えている妻と、近所のお店に出向く。野菜とタンパク質を中心に存分な栄養補給、シメの釜飯の味が身に沁みる秋の夜であった。
食事が身体を動かす
活力と健康のためにも
もちろん睡眠も大切にすべき年齢と心得ている。
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立ち止まり深呼吸を
2022-08-25
走るのをやめられない焦らず立ち止まり深呼吸をしてみよう
ガチガチの身体では先に進まない
もうそろそろ小中学校は、夏休みを終える。学校図書館司書教諭講習に参加していた方々が、折に触れて「始まる」ということを口にしていた。片やお盆前まで採点・評価に追われ、今もなお確認が続く大学業務は一向に「夏休み」になったという感覚が個人的にまったくしていない。お盆休みは親友が宮崎を訪ねてくれたので、もちろん「夏休み」として徹した感はある。だがその後1日をおいて4日間連続(土日を挟むが)、朝から夕刻まで講習があった今年の日程のせいでもある。世間一般の人からすると「夏休みが長くていいですね」とよく言われるのだが、これは中高教員をしていた頃からそうだ。中には皮肉たっぷりに給油に行くたびにそう言うガソリンスタンドの店主がいて、その都度に「部活はある。講習はある。」と言い返していた記憶はある。確かに昭和の時代は、「夏休み」を丸々を旅行している「先生」などもいない訳ではなかった。新学期の9月の授業はほとんどが「旅行の土産話」という同僚がいることを生徒から聞かされたこともある。それも隔世の感があり、今や小中高大とどの学校種でも「夏休み」に余裕さえない過酷な労働条件になっているのが現状である。それを今も、世間は知らない。
先週来、身体がややガチガチでほぐすことを大事にしている。先ほども小欄を書こうとPCに向かうとやや朦朧としてしまい、スマートウォッチが察知したのか1分間の深呼吸をしたらよいと提案された。考えることも様々あって、特に短歌に向き合う脳の部分が疲弊している感覚がある。それでも宮崎大学短歌会の歌会の題詠に向けて歌をまさに「ひねり出し」、歌会で得票をもらい学生に批評されることで「息継ぎ」ができたような感覚にもなる。ストレッチなどをしていても、思わず「呼吸」を忘れている時がある。身体が柔らかく反応するには、「呼吸」が不可欠である。寝る前に「深い呼吸」をするだけで、安眠度が違うと聞いたこともある。今月はあまりにも走り続け過ぎたとも思う。今こそあらゆる面で「深呼吸」が必要な時なのだろう。身体が柔軟さを失えば、必ず痛みが出る。「痛み」というのは「痛む箇所」に原因はないと東京で懇意にしていたスポーツトレーナーから聞いたことがある。既に猛暑を超えて、空気は秋になり始めた。立ち止まり深呼吸をして、心身をほぐす時間が必要かもしれない。
新鮮な空気を身体に取り込むこと
「せねばならない」と思い過ぎないこと
立ち止まるのを恐れずに時にゆっくり歩いてみる。
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就寝時間帯と起床後の1時間
2022-08-09
睡眠こそは疲労回復と明日への希望よりよい目覚めのために何を飲もうか?
脳を休め脳内を整理してくれる時間として・・・
小欄を書き始めた動機として、朝起きた時に脳内にあることを書き留めておくという点がある。確か脳科学者の茂木健一郎氏が、「人間は睡眠中に記憶が整理され、必要と判断されたものが朝に残っている」というような趣旨のことを述べた記事を読んだからだ。毎朝、原則として起床した直後から小欄を書くことが習慣となっている。「寝起き」という意味では、あまり「雑念」もなく「虚無」な状態で書き連ねられるのではないか、と考えてブログタイトルも空海の言葉から名付けたわけである。さらにはその「虚無」の中から「実(生活)」に生きた内容に「帰る」ものがあることを理想と考えている。平安時代に唐の国に渡った空海は、驚くほどの短期間で密教の教義を修得し日本へと持ち帰った。何事も「集中」した時間の連続が、大きな成果にもなる。目覚めた脳を起こし、脳の作業台の上を整理する。その作用を伴いながら、「昨日を生きた証」として書き記す。さらには「書きたいこと」を短時間で文章化する、仕事上のトレーニングにもなっているのだ。
先週末からのオンライン研究学会に参加していささか疲れたので、一昨日の夜は9時過ぎには寝床に入り、10時には寝るようにした。これも睡眠の身体性を述べた記事に影響されているのだが、「10時から2時の時間帯」こそが「成長ホルモン」が分泌されるゴールデンタイムだと云う。疲労の回復も明日への活力も、この時間帯に寝ていることが理想のようだ。日常的には11時にはと定めているが、ついつい0時近くなってしまう場合もある。遅くなればなるほど、次の日の目覚めや仕事中の眠気に影響しているのは間違いない。ところが昨日の朝は、実に爽快な目覚めであった。やはり就寝時間帯と睡眠時間「7時間」はヒトに必要な眠りなのだろう。さらには、こうして執筆する際の「起きて1時間」の身体も大切だと云う。一般論として「目覚めのモーニングコーヒー」が有効なようだが、こちらの刺激も1時間ぐらい経過したのちに飲むのが得策らしい。よって今朝は「白湯(さゆ)」を少しずつ飲み胃腸に負担がないよう、また急な刺激物が届かないように配慮してみた。身体も脳もが起き出そうとするこの時間帯、細胞の一つひとつに水分が届けと願いながらである。
そしていまデスクの前の窓から注ぐ朝陽を浴びる
ここに書いたことを大切に生活を築きたい自分がいる
何より睡眠によって自分を大切に休めたいという思いも大切なのだろう。
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健康長寿な現代の生活習慣として
2022-08-03
四十賀そして人生五十年といった昔「健康長寿」をといわれる人生百年時代
与えられた命ゆえによき生活習慣をと思う
西行73歳・松尾芭蕉51歳・若山牧水43歳、中世鎌倉時代にしては西行は長寿、芭蕉は江戸時代の寿命統計は幅が広いらしくせいぜい寿命40歳なので長生きの部類、昭和3年43歳没の若山牧水は今にして「夭逝」と思えるが、劇的に寿命が延びたのは戦後であるらしい。周知のように酒好きであった牧水が、まさに「生活習慣」で身体を痛めたのは明らかである。しかし、この3者はいずれも旅の歌人(芭蕉は俳人)、自らの足で全国を歩き回り詩境を窮めて行った。西行は出家したことも相まっての「生活習慣」が、長寿の秘訣でもあるだろう。芭蕉や牧水は、むしろ過酷な旅を自らに強いたがために寿命を擦り減らした感も否めない。だが「歩く」という行為は、健康長寿には欠かせない条件とみて間違いないだろう。戦後は「国民皆保険」さらには「介護保険」などの世界でも類を見ない制度が、着実に日本の寿命を延ばして来た要因と見られている。とうとう「人生100年時代」とまで言われるようになった現代を、どう生き抜いたらよいのであろう。
個人的には30代後半ぐらいから、さらには40歳代になって健康への志向が高まった。「この10年間の生き方が、次の10年の生き方を決める」という意識が常にある。運動習慣・食事内容の精選・サプリメントなど、可能なところは意識して実行している。このように言うと、「ストイック(禁欲的)ですね」と言う方が多いのだが、自分ではそうは思っていない。好きな物を食べるし、酒も一定量は呑む。だが「運動」は、どうしても譲れない面がある。過去には「ジム通い」に執拗にこだわった時期もあったが、現在は生活の中に「運動」を取り込むようにした。「ジム」ならば週3回かせいぜい4回止まりだが、現在は「運動」をしない日がない。ジムの時からすると筋トレ量はかなり減退したが、それもまた現在の年代にして適切な量と方法ではないかと思っている。信憑性は確かめていないが、「過剰な運動」というのもむしろ逆作用で健康を害するという研究成果の記事をWebで読んだことがある。冒頭の芭蕉や牧水に学ぶならば、強行な旅は控えよということだろう。運動習慣があってこそ、「学生時代と変わらぬ体重」を維持していることは自負できることの一つである。
人間ドッグや諸々の検査の励行
いただいた命を自らが大事にするために
さあ!今日も生活の中の「運動」をはじめよう!
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