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1日10000歩以上を歩くために

2020-09-23
秋分の日で昼と夜が均等に
朝陽とともに歩み10時には寝床へ
人間の活動時間帯も自然の巡行によって

小欄を書いている際に日の出時間となる夏季であったが、今現在、窓の外は暗闇となっている。ここのところ日の出時間が遅くなることと、日の入りが急速に早くなったことを体感する。この時間帯のあとに一連のトレーニングをするのだが、ウォーキングをする時間帯が、次第に朝陽を浴びる度合いが変化して来る。帰宅時の暗さというのも大きな変化で、夏の間は夕食後にもまだ明るさが残っていた。日の出・日の入りにこれだ敏感になったのも、宮崎に住んでからのことだ。都会生活では人工的な光が氾濫し過ぎており、自然たる太陽の巡行を意識することは稀である。

連休ながら先週の土曜日以来、歩数の週平均が10000歩を超えている。朝20分、夕食後に20分、そして日中の生活の中で30分程度の歩きを蓄積することが肝要である。聊か汗が滲んで来るような感覚まで歩く、夕食後にもこの時間が確保できるのは貴重である。足のみならず身体全体の血の巡りがよくなるようで、脳の動きも明らかに活性化するように思う。また朝陽を浴びれば、「セレトニン」という幸福感が湧いて来る分泌物が脳内に出るのだと云う。宵の22時から深夜2時頃までは、「成長ホルモン」が身体を修復するとも聞く。自然に沿って生きること、そして自らの身体で歩むこと。この人間の基礎基本を今一度見直して生活をしたいと思う。

月平均は7600歩、年間平均は6800歩
5月6月の歩数の落ち込みが顕著だ
ようやく東の空に光が見え始めたところである。


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日の出日の入り安眠習慣

2020-08-27
日の出日の入り時刻を知っているか?
自然天象とともに生きて健康な生活を
質の高い睡眠をとるためには・・・

早朝に起きて何らかの活動をすることを、「朝活」などと最近は呼ぶようだ。今までの人生を振り返ると、高校生として受験勉強をしている頃、「国語」の先生に勧められて「朝型勉強」を始めた。決して長い時間を浪費するのではなく、小刻みに時間を区切り集中して勉強するという方法を伴った。そのお陰もあってか志望大学に現役で合格できたので、生活習慣としては自分に適したものであったのだろう。しかし大学生活では多くの大学生がそうであるように、なかなか「朝型」の生活習慣を続けることは難しかった。サークル活動や夜の飲み会などがあれば自ずと帰宅時間も遅く、朝に弱い身体が築かれざるを得ない。むしろ「完徹呑み」などと言って終電で帰宅することや友人の下宿で夜通し語り合うなどということもあった。レポートや卒論は夜の時間帯に活動していたように記憶する。

中高教員になると必然的に「朝型」の生活が求められた。20代の頃は職場の「飲み会」も多く、睡眠を削ってもまったく平気な体力があった。大学時代の延長のような教員生活、僕の青春時代はある意味で長かったとも言えるのかもしれない。再び研究生活に転じてからは「飲み会」どころではない、教員としての仕事との両立にがむしゃらになって駆け抜けた。この時期は「朝型」「夜型」など意識せずにやれるだけ研究発表や論文書きに時間を割いた。博士後期課程になった頃、深夜に論文を書いている脳があまり冴えていないことを自覚した。ここから再び「朝型」へ。時間が取りたいときは、3時4時など早朝というより深夜の果ての時間に活動を開始した。その頃から社会的にも「朝」の方が脳が活性化するなどという風潮が喧伝されるようになり今に至る。今もやはり午前中の脳が、一番活性化しているように自覚している。

時間の密度が夜よりも質が高い
日の出日の入りに合わせて生きるのが健康の鍵とも
質の良い睡眠をとるために心得ておきたいこともいくつか実行している。


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長嶋茂雄監督が推奨する階段

2020-06-20
脹脛は第二の心臓
若さを保つためにも
長嶋茂雄監督が気に入った階段

居住している住宅街の一角に緑豊かな小高い丘がある。其処へはかなりの段数に及ぶ階段があり、両側の緑の中を昇り行くと下半身が鍛えられるのが自覚できる。長年にわたり地元に住む人の話に拠ると、嘗て長嶋茂雄さんが監督だった頃、キャンプ中にこの長い階段を見出し練習後に選手の下半身鍛錬のためにやって来ていたと云う。プロ野球選手の鍛錬にも適すると判断された階段は、なかなか手強いものがある。ここのところ小欄を書き終えた後に妻と朝のウォーキングをしているが、この日はその階段の一昇降をコースに加えた。以前にもこの小高い丘の公園に行くために何度も昇降しているのだが、必然的にその翌日は臀部とか大腿四頭筋などが筋肉痛に見舞われる。それほど効果的である証なのだと実感している。

TVの健康番組で「若さを保つためには階段の昇降が効果的」といった特集を観た。足の筋肉を活性化しておくと、脳の血行や肌の張りなどにも影響を及ぼすのだと云うのだ。確かに自覚的なことで考えてみても、あまり歩かない日はひらめきが少なく顔色も青白いような気がする。脹脛は第二の心臓、足裏で内臓の状態が判る、などと俗説的によく云われることだが、下半身の大切さに根ざしたものであろう。生活習慣病の罹患率の高さも明らかに「歩かない文明」の産物なのかもしれない。当該TV番組では宅配便配達を仕事とする人の1日の歩数を紹介していたが「37000歩」にも到達するらしい。僕などは頑張ってもせいぜい「10000歩」、しかもここのところ大学が遠隔講義となって研究室で講義もするのでさらに月別平均歩数は減少傾向である。それでも大学構内ではエレベーターを使用しないと決めており、階段の使用率は低いわけではない。論文を書く閃きも短歌を創る発想も、階段の昇降が左右しているやもしれない。せめて長嶋さんお墨付きの階段を毎日昇降することで活性化していこうかと思う。

大地と身体を繋ぐ下半身
若山牧水は歩けば短歌を閃いた
古来より旅好きな詩歌人が多いのも理にかなっているのだろう。


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健康リスクの複合性

2020-04-29
1、生活習慣 2、感染症 3、環境汚染
4、食品汚染 5、ストレス(精神疾患)6、医療事故
7、アレルギー 8、災害・事故 (2004年厚生労働省白書より)

人の健康に生じる障害、その発生頻度や重大性などのことを「健康リスク」と呼ぶのだそうだ。手元の『日本大百科全書』(ニッポニカ)を繰ってみると、冒頭の厚生労働省白書に記された健康リスクの高い順番が記されていた。同百科全書に拠れば、その後の東日本大震災と原発事故、また台風などの自然災害に熱中症などによって「国民の意識は高まっている」とも記されている。気になるのはその先の記述で「人の主観にも大きく左右される」という部分である。既にSARSがアジアで致死率の高いと知られていた2004年頃の白書においても「感染症」は第2位であった。「ゼロリスク」を求めるあまり、「除菌」などの製品が世に顕在化したのもこの15年ほどということになろうか。潔癖な人で「吊り革や手すり」にも触れられないというような、日常生活への支障を「ゼロリスク症候群」とも呼ぶのだと同百科全書にはある。

この数カ月間で「健康リスク」順位の首位は、”瞬間最大風速”的に「感染症」であるだろう。しかし、これもまた「人の主観に大きく左右される」ことを実感する。当初は「インフルエンザ程度のもの」という楽観的な見方を耳にしたが、それも「インフルエンザ」を甘く見た考え方であろう。数カ月で終息するとか夏になればウイルスは減退するなども根拠なき楽観視であり、「長期戦」という構えが様々な方面から提起されている。その世情にあっても、あくまで個々の「主観に大きく左右」されている楽観的な見方に接することも少なくない。「ゼロリスク」はあり得ないと理解した上で、判らない敵と向き合うには「最悪」の事態を回避する行動が求められはしないか。考えるに「健康リスク」は個別事象ではなく連鎖的に僕らの健康に障害を与えるのではないか。冒頭の1〜8は、今回の「新型コロナ」においても複合的な「リスク」となって僕たちに襲いかかっている。

大河ドラマで「織田信長はうつけ」と評判で
周囲が侮ればしたたかに先鋭化したものだ
リスクは常に身近にあり、さればいかに行動すべきか?を常に考えよう。


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心の筋トレとストレッチ

2020-04-04
筋肉に負荷をかけて活性化
広範囲に動く柔らかさ
こんな時こそ心のトレーニングを

日々目まぐるしく変化する状況に晒されて、もう1ヶ月半ほどは経過したであろうか。少なくとも2月上旬ぐらいまでは、多くの人がこんな春先の年度末の惨状を予想だにしなかったであろう。ましてや昨秋あたりにおいて、翌年がこんな事態になるなど誰も思わなかったのではないか。僕自身も昨秋10月から現在の学部の役職に就いたが、最初の教授会の挨拶で「東京五輪を超えての任期となりますが」などといかにも悠長な言葉を吐いたのが思い返される。五輪は延期され、それどころか全学と学部を通じての「コロナ禍対応を超えての任期」となってしまった。通常でも年度末年度始めは様々な対応に奔走する時期ではあるが、この事態の精神的な負荷は並大抵ではないことを実感している。

だがしかし、こうした予期せぬ事態に遭遇した際に受け止める心身の容量が大切ではないかと思う。筋肉の場合、動かさなければ衰えて細くなり、やがて日常的な動きをすることにも支障が出てきてしまう。重量的な負荷が掛かってこそ、筋繊維が「(一時的)断裂」を起こし、そこを修復する作用が働くので大きく張りのある状態になる。これが基本的な「筋トレ」の原理であろう。筋肉を活性化すれば、それだけでいい訳でもない。身体の各部位が稼働する範囲を拡げる動きを、同時並行に行っておく必要がある。腰・尻・股関節・膝・足首の下半身から、肩甲骨周りを中心に身体のコア(核)となる部位についての柔軟性を維持強化するためにストレッチをしないといけない。どうやらこの筋トレとストレッチに類似した作用を、心においてもすべきと最近は思っている。仕事も研究も読書も、生活上のジムとなる。こんなことを考えつつ、最近はかなり心の筋力と柔軟性が増してきた気がしている。

「言いたいことを言え(ニャロメ〜🎶)
 心の底に仕舞うのにゃ🎶今の世の中ダメ(ニャロメッ🎶)
 なんでもかんでも吐き出せ(ニャロメ〜🎶)」(赤塚不二夫『ニャロメの歌』より)


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日常からの免疫力

2020-02-20
何か特別なことをするのか?
日常から免疫力を高め衛生的な生活
対処療法にならぬように生きる

ここのところ手を洗い過ぎて、爪の周りなどがやや赤切れのようになってしまった。本末顛倒な結果であり、むしろ手は保湿され健康な状態を保つべきなのであろう。などと考えて就寝前に、両手に愛用のクリームを塗り込んだ。手洗いも保湿もかなりの部分が、ほぼ日常的な習慣になっていたこと。今回の「新型コロナ2019」の騒動ゆえ、特別に処していることではない。手の洗い方も指の間、爪先、親指周辺に手首まで概ね30秒程度はかけて入念に洗う。部位もさることながらその程度の時間を石鹸で洗うことで、病原菌は死滅するのだと云う。思い返せばほぼ10年ほど前になろうか、「新型インフルエンザ」が大流行した際に多くの情報から学び身についた習慣だ。「パンデミック」の言葉とともに、この世紀の人類は新しい病原菌と闘う時代である。

手先から外部の病原菌を取り込まないこと以上に、大切なのは免疫力である。外部からの菌の攻撃に強い抗原抗体反応をできる身体、何よりもまずはここが肝心であろう。日頃から風邪を引きやすいかどうか。僕自身の感覚からすると、喉にやや違和感があるなと感じた際に、鍋などで十分な野菜とタンパク質を摂りよく寝ると概ねは回復をする。日常的な食事のあり方が、免疫力を左右するのは自明のことだ。この力こそ、現代が失いかけている人間としての力ではないのか。因果なものでそんな現代社会の隙間から、新たな病原菌が今回のように人間社会を襲う。既に様々な企画・行事の中止なども発表され、通常ではない社会的な進行を目の当たりにしている。薬局でマスクや消毒液等を求めたが、その品薄状態にも驚いた。多くの人々が緊急措置的な行動で、この危機を避けようとしている。

健康とは何か?
身体と語り合う時間も大切に
あらゆる身体活動を活性化するよう努めたい。


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会議に座っている身体

2020-01-30
一日の歩数や活動量など
呼吸し思考している身体
どのように使っているかの自覚

先月から諸々の機能がついた、所謂スマートウォッチを購入し身に着けている。すると一日の歩数はもちろん、活動消費カロリーや立っていた時間、上った階数、などが自動で記録されるようになった。さらにエクササイズをどれほどにやったかなど、一日の健康管理が刻銘に記録される。大学でのデスクワークが続くと、「そろそろ1分間は立つ時間です」などと警告してくれて、気分転換に身体を動かすこともできる。これによって自ずと身体を動かそうという意識が高まり、最近は毎日1万歩は超えるほど歩いている。宮崎は車社会であり、意識しないと3000歩以内ということも少なくはなかった。周囲の人たちに聞いても、歩いて行けるスーパーにも車で行ってしまうことが多いと云う人も多い。

この日は会議が続いた、もし会議時間を記録してくれるアプリがスマートウォッチにあったら、新記録となるのではないかと思う。椅子に座り動かすのはせいぜい指先ぐらい、ただ脳内は様々な情報を受け取って処理し、様々な想像・判断を生み出し意見としてまとめ、あらためて言語化して表現している。役割によって発言機会が多いものもあれば、比較的聞いていることに徹する場合もある。いずれにしても、身体は乾き新鮮な空気を吸わず立つ時間が制限され、健康とは程遠い時間となる。嘗て大昔はどのような会議でも喫煙まで可能だったと聞くが、これで受動喫煙まで加わったら、どんなにか不健康な身体になるのかと思ってしまう。幸い昨日は、大学まで歩いたり夜の街を歩いたりする機会に恵まれた。歩数は12000歩台、小欄を書き終えた早朝に家でできるエクササイズも怠りなく。動かない歩かないと、脳内にも新鮮な血液が行き届かない。

深呼吸やデスクでできる小まめなストレッチなども
生活のうちに使わない筋肉を動かすエクササイズを
会議をしている身体の自覚。


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徒歩のこころで考えたい

2020-01-19
坂道を一歩一歩進む
階段を一段一段歩む
その基本的で謙虚なこころで

東京などの都市へ行くと、エスカレーターにエレベーター、さらには動く歩道もあって電気を使用して身体を動かさないで済む場所が大勢を占める。高齢者の方々はもとより、キャスターバッグを持っている際などは大変に便利に利用することも少なくない。だがひとりで身軽ならば、なるべくこのような類を使用しないようにしている。現在の職場である大学構内でも、7階建の4階に研究室があるがエレベーターは使用しない主義だ。だが地方では公共交通機関の本数の少なさもあって、車を使用する機会も必然的に多くなってしまう。そんな中でも最近はあらためて「歩く」ことを重視している。

坂道を若い高校生が、自転車を一生懸命に漕いで登る姿を見る。端から見るとなんなく自力で登り切るように見えるが、ペダルひと回しひと回しに脚力と体重を乗せて進むことそのものに意味があるように思うことがある。世に「エスカレーター式」という比喩があるが、人生においてこうした電動式によって楽をするごとき道を歩むのは、「生きる力」を削いでしまうようでどうもいただけない。僕の一つの経験として、困難極まりない大学受験を超えられたことがその後すべての困難に対応するこころの糧になっているのだ。それゆえに今日もまた、僕は大学の研究棟の階段を一歩一歩登るのである。

電気屋ガソリンを使って身体を悪くしても
科学や文明の進歩が人間の身体やこころを脆弱にしてはいないか
明日へ向かって今日も、坂道を階段を大腿筋に力を込めて登るのである。


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1日の運動量は時計が知っている

2020-01-13
時計がすべて量ってくれる
運動量・エクササイズ・立っている時間
1日に身体をいかに生かしているか

休日ながら書かねばならない原稿があり、研究室に籠った。静かなキャンパスは人影も少なく、落ち着いて筆も滑らかであった。ほぼ午前中から机に座っていると、丸1日の運動量がかなり少ないことを知った。歩数なども夕方に至り2000歩しか記録しておらず、1日ですぐにどうこうという訳ではないが基礎代謝の退行などが気になってしまう。というのも、先月から機能的な腕時計を購入し使用していることによるもの。腕に装着していると歩数はもとより、1日の運動量やエクササイズ・立っている時間などを自然に計測してくれる。座って動かないでいると、「1分間の深呼吸をせよ」とか「立って1分間は動きましょう」などと促してくれるのだ。余計なお世話、といえばそれまでだが、確かに時折の身体的な動きは脳の活性化にも資するものと実感した。

近現代化の波の中で、人間は「動かない」身体に退行してきてしまった。自動車・自転車・エレベータ・エスカレータから動く歩道まで、歩かないで生活できる代物が身の回りに溢れている。旅といえば航空機か新幹線かという時代、ひたすら歩いて邂逅を求める旅などはむしろ計画的でなければ実行できない。かの若山牧水の歩行量や速度に距離などが計測できていたら、かなり驚異的な数字なのではないかと思う。動かなければ筋力は衰え、その結果で内臓や血液にも悪影響が及ぶ。乗らない自転車は錆びついてしまうように、身体を錆びつかせてはなるまい。研究者の宿命で机に向かう時間は貴重であり、かなりの分量を確保せねばやっていけない。それだけに、日常にいかに身体を動かすことを埋め込むかが課題だ。機能的腕時計も近現代化の先にあった代物であるが、時代を省みて自分の意識を変えてくれるパートナーなのかもしれない。

夜は近所の公共温泉へ
「もう1月も半分近くじゃ」と知り合いの方が
脳活動も次なる意欲も、そして身体活動も活性化していこう。


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その襞を愛せよ

2020-01-11
年1回の人間ドッグ
胃内視鏡検診の映像
この襞に負担をかけては・・・

誕生月には、必ず人間ドッグを受けている。誕生という選べない宿命でいただいた命を、最大限に尊重し自らの生をこの世に活かすためでもある。それにしても医療技術の進歩は著しく、血液検査で判明する内容も年々充実してきているかのようである。また医療器具においても、身体に負担なく精密な診断が下せる代物がかなり増えたような印象だ。人間ドッグの検査項目の中でも、消化器官の検診が一つの大きな負担であり山場であるように思う。X線検査でも「バリウム」を飲み身体から排出するという負担は少なくなく、最近はもっぱら胃内視鏡を選択する。慣れてしまえば、明らかにこちらの方が楽である上に検査の精密度はまさに一目瞭然である。

年々感じるのは、内視鏡の導線の直径が次第に細く細くなって来ていること。問診的な場で喉の奥を棒を使用して見られるだけでも、嘔吐感に襲われる僕は間違いなく「経鼻」からの内視鏡挿入を希望する。人によっては「鼻も痛い」という感覚もあるが、僕は明らかに楽に感じるのだ。この日はやや左鼻が詰まり気味だったので、右の鼻の穴をと希望したがどうもうまく導入管も入らない。「やはり左の穴ですね」という看護師さんの判断がやはり適切で、あっさり左は管が通った。人間の身体は明らかな左右差があるものとこんなところでも感じる。いざ検査に入り、胃に向けて内視鏡が入り込む。「余裕があればモニターを見ていてください」の声に次第に違和感が失せたので、自らの食道や胃や十二指腸の内膜をじっくり見た。この襞に珈琲や味噌汁など熱き負担を普段はかけているのか、などと消化器官への慈愛を心に浮かべているとすぐに異常なしで検査終了となった。

自らを特別な視点で見つめるとき
身体のうちにも「己」が存在していた
その襞を愛する生活を心掛けよう


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