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眼鏡で新たな視野を持つ

2023-08-03
見にくくなっていた眼鏡を
新たな1本をで新しい視野が開けた
恩師の知的で高尚な雰囲気もイメージしつつ

文章を書くことが仕事の大きな原動力なので、何より「眼は命」と思っている。年に1回の掛かりつけ医での定期検診、特に大きな異常はないが年齢とともに微妙な視力の変化はやむを得ないところか。もとより若い頃は視力が大変によく、ほとんど眼に不自由を感じなかった。ゆえに安価な伊達眼鏡とかサングラスを、興味本位に買ってみる程度であった。だが学位を取得した頃から乱視傾向となり、ちょうど中高教員から大学非常勤になった頃から眼鏡を愛用している。ひとたび眼鏡を使用すると、着用しない顔がドラえもんの「のび太」の非着用時のイメージを持ってしまい外すことができない。ましてや、コンタクトで矯正しようとも全く思わない。自分としては「眼鏡は顔の一部です」というかつてのCMの名文句のように思い、どこか気に入っているのだろう。

掛かりつけ医ならぬ、掛かりつけ眼鏡店でここ数ヶ月の相談を重ねて1本を新調した。現在は日常生活用として自動車の運転などの「遠くを見る」1本、PC作業で近くを見る「ブルーライトカットレンズ」の1本、そして講義や講演・発表などで遠くの教室や会場及び手元の資料が見られる1本と3種類を状況で使い分けている。眼科医の指導で紫外線を避けた方が良いという助言から、「遠く」の1本にはクリップ式でサングラス機能も持たせている。今回の新調は「遠近両用」でやはり講義・講演や発表・会議など用途としては重要である。先日この新調した1本をかけて、珍しくバスに乗車した。すると最後部の座席から運転席の左上部に設置された整理券番号ごとの料金表の数字を読み取ることができた。往年の視力が回復したような気持ちになり、やはり新調した価値を深く噛み締めた。この新調の1本は、人生の恩師が愛用していたスタイルの眼鏡にした。この1本が僕に新たな視野をもたらせてくれる予感がしている。

新しい明日を見つめる1本
恩師が教壇で毅然としてかつユーモアのある口調を思い出す
そして眼鏡の下にいつも笑顔を湛えていたいものだ。


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スマホという魔物使用のモード変換

2022-08-11
スマホにより随時入ってくる情報
デスクにはスマホを置かない方がよいという考え方も
気軽に交流できる安心は保ちつつ

スマホの機能として「今週の画面を見た時間」が、前週と比較して増減したかを知らせるものがある。週末などに表示されてもあまり気にしていなかったが、「画面を見る時間」の管理は重要だと思い直している。スマホがあまりにも機能を持ち過ぎたために、仕事のデスクにも不可欠になっている。例えば「総合辞書データベース」(ジャパンナレッジ)のパーソナル会員に年会費を支払い登録しているのだが、研究上も検索をくり返すのは必至である。最近は講義用タブレットに検索画面を表示するようにして、研究室では専用端末的に使用するようになった。タブレットの方は「講義用」ゆえに余計な「通知」が表示されないように、「おやすみモード」に常に設定している。それに比してスマホは「即時性」が長所であろうから、必要と思われる「通知」が常に表示されるようにしている。地震などや緊急時のニュースなど、身の安全を守るためにも必要な部分はある。だがどうしても時差のあるMLBの試合結果や大谷翔平の成果だとか、調べられるものに手が出てしまうことも少なくない。

LINEを始めとするSNSの機能が、一番見る機会が多いだろう。日常でも妻や母との気軽な会話が可能であり、気になる記事の共有もできる。妻とはお互いにどんな気分で仕事をしているか心の交流にも役立ち、ある意味でストレスの解消にもなる。母なども何事もなく過ごしているか?など僕の想像上の不安(この時季だと、外出時に豪雨に打たれていないか等)を解消してくれるので、むしろLINEの定期便をくれるのはありがたい。友人らともFacebookを通じて、即時性のあるコメントができることが有意義に感じることもある。先輩の研究者などは、Facebook上のコメント欄で交流した即詠の和歌を集成して歌集まで出版してしまった人もいる。求められているのは、明らかな「モード切り換え」ということだろう。映画館や劇場では当然ながらスマホを見るのは禁止であるが、あの2時間程度は館内に流れる地震速報に身を委ねスマホの情報からは必然的に解放される。そんな「モード」を自ら作り出すことが、日常でも求められる。そういえば、小欄を書いた後の朝の散歩の際に、犬を連れながらもスマホ画面から目を逸らさずにいる中学生と出会う。以前、小学生だった頃はスマホを持たせてもらえなかったのであろう。僕などにも挨拶を交わし犬と心を交わして歩いている風であった。心なしか最近は、連れている犬の顔が寂しそうなのである。いついかなる時でもスマホを持てるようになった現代における「ヒト」、新たな「病い」に罹患しているのではないか?などと社会全体を憂いつつ、自らの「モード変換」に心を致す。

「スマホ視聴時間」を決める
より夢中になれる研究をする
外からの情報も閉ざさずに安眠の時間を確保する極意を開発すべきだ。


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ワープロ・スマホ・そしてオンラインへ向き合う歴史

2022-04-19
最初は「手書きを通す」と言っていた人たち
ガラケーにて「それ以上の機能は要らない」とも言っていた
この30年間の技術進化に向き合っている私たち

技術革新の速度は、日に日に加速しているように見える。例えばまだ20世紀後半だった50年前から「音楽を聴く」という日常生活の一コマを考えてみても、ラジオ・レコードが主だったものがスマホでサブスクというのが今や常識的ですらある。「サブスク」と聞いても「それは何だ?」と思う方もいるだろう。スマホで取得できる「Web上の定額サービス」で、音楽であれば提供する会社が持っている曲なら「聴き放題」であるというサービスだ。僕のスマホの中でも、以前からCDコレクションとして自ら所有していた愛するアーティストの曲を、自らデータ注入したものとサブスクの境界が曖昧になりつつあるような気がしている。もはや大量の物理的データを自宅で保管するという時代ではなくなったことがわかる。授業に向き合うのも同様なことが起こり、ここ2年間で学生の紙のレポートを受け取り評価し保管することはほとんどなくなった。研究室の保管スペースがだいぶ節約され、整理に時間を要していた紙資料が姿を消しつつある。学生へのレポート返却も、既に学生は提出するデータを保管しているわけだから不要で、システム上からコメントを返すことができる恩恵で、レポートへのコメントも以前より小まめにすることができるようになった。

僕らの世代でいうと、ワープロ・携帯・スマホ・オンラインの順に波が押し寄せた。学生時代のレポート・卒論はすべて「手書き」であったが、就職するとワープロが登場し始め、手書きで中高教員として「テスト」を作った記憶はほとんどない。ワープロは親が会社で購入したのか、一般化してすぐに家にあったこともありがたかった。当時の記憶では、職場の学校でも「手書きを貫く派」と「ワープロ便利派」が別れていたように思い出す。僕は「テスト」や「学級通信」も、すぐに「ワープロ派」に移行し、他の先生から「これを打ってくれ」と無謀な注文さえ受けた記憶さえある。30代になると「携帯を持つか持たぬか」論争が始まった。古風を気取り「あんなものは必要ない」と酔った勢いで言ったのを、よく覚えていて「持たないと言っていたじゃないか」などと言われたこともある。僕が携帯を持つ契機は、現職教員として大学院に入学したこと。職場の勤務時間が終わるや否やすぐに大学院まで自転車で飛んでいく生活をしていた時、緊急時に不可欠だと思ったからである。反対に「手枷足枷」というか「鈴を付けた猫」のように思わないでもなかったが、自らの安心感を保つにはありがたいツールだった。そして2000年代に博士後期課程に進むと、「携帯をスマホにするか否か」論争が始まった。「そんなにたくさんの情報を持ち歩く必要があるのか?」と当初は懐疑的であったが、ある機会に決断してもはや12年以上。今やスマホなくしての生活は、例えば新たな人との出逢いを含めて不可能とさえ思える。今や名刺交換ではなく、アドレスや友達登録交換が常であろう。そしてこの2年以上に及ぶコロナ禍、僕がまた新たに踏み出したオンライン授業の波は、授業でできる内容さえも遥かなる地平へと向かわせているような気がしている。いつでも新しいものを導入しても、毒されず本質を自らの中で維持する芯が求められるということだろう。

手帳は手書き併用、手紙も手書きの習慣を持ち続ける
自らを律してスマホ使用時間が過剰にならないように
小中でもすべての教科書をデジタルに、という記事も見たのだが果たしてどうなるだろうか?


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スマホ使用と考え方のアップデート

2022-01-30
スマホ機種変更への憂い
しかし新しい機能の素晴らしさ
アップデート(=更新)僕たちの付き合い方として

携帯を持つようになって25年以上、ほぼその半分となる12年以上がスマホとして付き合って来た。当初はいずれも「携帯など要らない」「スマホになどしない」などと考えたことがあった。だがいざ使用してみると「使わない手はない」というのが正直なところだ。「要らない」という主義を開陳していた周囲の人からは、「言うことと行動が違う」と指摘されたことがあるが、物事への対応というのも、スマホの「アップデート」のように更新をすべきと思う。飛行機が飛んで大衆化された時も「決して乗らない」と言っていた人が、「こんな快適で安全な移動手段はない」となる場合がほとんどではないかと思う。実際に自動車や列車よりも安全性が高いとは、よく言われることである。人は「新しい」ものにまずは警戒を示す。特に「簡単便利」という趣旨の宣伝文句には、僕などは研究者だからか大変に懐疑的である。ガラケーからスマホに変更する際も、「ネット社会にそこまで身を曝す必要はない」などと考えていたが、「そんなことを言っていられない近未来がある」といった対話を持ったことで、すんなり主義を「アップデート」することができた。

PCを含めたスマホが身近になったことで、情報の取得はもとより多くの人たちと豊かなコミュニケーションを取ることができるようになった。その反面で「パスワード」を始めとする管理には、あれこれ頭を悩ませる機会も増えた。Web上の危険さをどのように低減し快適に使用するか?「パスワード」が重要であるがゆえに慎重にならざるを得ない。その警戒感が自らでも「分からなくなる」という複雑さの坩堝に巻き込まれる原因でもある。特にスマホを機種変更をした際などは、「元データ」が復元され引き継がれるかは大変に重要な問題である。日常から使用しているスマホのバックアップをアップデートし、Web上の倉庫に格納していく配慮が必要である。だがどうやら最近は、データ復元・引き継ぎがだいぶ楽になった印象だ。新しいスマホで旧いスマホで表示した二次元コードを撮影し、その後は隣に置いておくだけで「霊魂が乗り移る」かのように新しいスマホのデータや機能が引き継がれる。この12年間の進化というのは、誠に素晴らしいものがある。今や母もスマホを使用して3年以上が経過し、身近な販売店で機種変更も容易にできるようになった。スマホはどこまで進化していくのだろうか?

その反面、手書き機会の減少などを憂え
意識して元の身体性を保持する行動もしている
使用するかしないかで、生きる上での豊かさが違ってくるはずだ。


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かけがえのないパソコンに愛を込めて

2021-12-29
今朝、スイッチを押しても起動せず
宮崎での9年近くを支えてくれたパソコン
小欄をはじめ研究学会や宮大短歌会歌会オンラインなども

先ほど、小欄を書こうとして書斎のパソコンスイッチを押すと、ウンともスンとも言わない。電源コードを一旦外して、再びスイッチを押すなど試みたが起動せず。過去に一度作業中に急にブラックアウト画面になってしまったという衝撃の経験があるが、今回は予告なく次第に衰弱した果ての結果かと比較的冷静に受け止めている。それもデータの多くはクラウド保存してあり、失われたものはほとんど無い。今もこうして小欄を書き記しているのは携帯用タブレットを使用してのことで、研究室のパソコンを含めてバックアップ後継機を複数台持っているのも心強い。その多くがWeb上のクラウドで繋がっているため、小欄の原稿を含めて確保されているのだ。過去のブラックアウトの際は大学院生時代で、もちろん外部媒体にデータは保存していたが経済的に苦しく両親の支援によって新規購入したのが思い出される。あらためて僕が研究へ踏み出す一歩を、心から支えてくれた両親にも感謝をしたい。

思い返せば今朝眠ってしまったデスクトップパソコンは、宮崎に就任した際に購入したものだ。当初はテレビ機能として使用したり、生活そのものを支えて来てくれた。毎日はこのパソコンと向き合うことから始まる。研究論文の多くは研究室のパソコンで執筆したが、自宅にこだわって作成した短歌関係の文章はやはりこのパソコンにお世話になった。何よりここ1年半ほどは、オンライン学会や会議が全盛となり、休日の学会や夜間に行われる編集会議などは自宅で参加したいゆえ、同時双方向会議システムの動作でかなり負荷をかけたように思う。昨年秋の「中古文学会」パネリストとしての登壇は大きな業績となるとともに思い出の学会経験となった。また宮崎大学短歌会歌会でもほぼ毎月2回ほどはこのパソコンによってオンライン参加してきた。学生たちがコロナ禍でも短歌を詠み続けることには、僕自身も励まされてきたものだ。既に僕自身の目であり耳であり手であるパソコンの思い出は尽きない。などと小欄を記しつつ、Web記事で「電源が入らない場合」の記事を見たりして未練がましくパソコンの蘇生を試みた。すると!なんと!昨日の掃除で画面裏側の電源コードが少し外れているのに気づいた。差し込み直すと、どうやらまだ老衰ではなくパソコンは目覚めた。僕の早とちりであったが、僕の一部であるような大切なパソコンの貴重さを実感できる朝になった。あらためて可能な限り大切に使用したいと思う。

さらなる入念なバックアップの充実を
パソコンは大切な相棒である
いずれにしても、過去の両親への感謝を思い出させてくれたのかもしれない。


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書籍のありかを見直す

2021-01-12
研究室と自宅と双方の書棚
その配架をどのように棲み分けるか
あらためて自宅書斎の利点を見直して

人文系の研究者が抱える問題として、書籍の保管場所がある。書籍そのものが「商売道具」であるゆえに、東京に居住している折から書斎にはこだわりがあった。それでも、マンションの1室を書斎にする場合「スライド書棚」を購入し、なるべく集中的に書籍を配架していた。しかし既に10年前になるが、その「スライド」書棚の形状・構造も災いし3.11の際は「地震保険」の請求認定が下りるほど書棚が壊滅状態になった。マンション12階ゆえに「長周期震動」によって「スライド」の部分が少しずつ揺すぶられ、向き合った書棚が相互を破壊するように倒れに倒れた。その間にあるプリンター類置き台を押し潰し、机上のパソコンも破壊された。書斎復帰には、1ヶ月以上の時間を要した。

3.11の2年後、宮崎への赴任が決まり引っ越しとなった。書斎の多くの研究書は、大学の研究室に架蔵できることになって、自宅の所蔵図書量は大幅に減った。また購入した一軒家の自宅二階には、書架にちょうどよい一部屋があってマンションで所有していた書棚を余裕で置くことができた。現在は主な研究書は大学研究室にあるが、宮崎に居住して以来増え続ける「短歌関係」の書籍や雑誌は自宅書庫に置いている。もとより研究室までも自宅から至近であるため、書籍が欲しくなればすぐに往来して対応できるのがよい。昨年来、あらためて在宅勤務が見直されているゆえ、より自宅の書斎が重要な研究の場となって来た。昨秋の「中古文学会シンポジウム」や「朗読対談」でも、自宅書斎から「出演」となった。あらためて自宅書斎を整えて、書籍のありかを見直すべきと思っている。

パソコンのオンライン環境の整備も
配架の見直しをし新たな執筆へ向けて
研究環境を大きく見直す契機なのかもしれない。


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必需品としてのスマホ歴

2019-11-12
スマホは生活必需品か
機種変更で様々な「復元」が求められ
セキュリティーを強化すれば自らが闇に舞い込む

携帯が一般的に普及してから四半世紀、スマホとなって10年以上になろうか。いずれの契機においても「私は持たない」などと大量のデータ通信が可能になることに、ある種の恐れや懸念を抱いていた方々も少なくはないだろう。何事にもこだわりのある僕も、特に周囲から「持たない派」と見られていた節がある。しかし現職教員として大学院へ通うようになって、緊急連絡の必要性が生じた際には必需品だと反論をして所持するようになった。まだアンテナを伸ばすトランシーバーのような機体で、本当に携帯「電話」の機能しかなかった時代である。ところが10年ほど前になって、ちょうど学位が取得できた年のことだ。ある人々と出逢ったことを契機に、スマホを所持するようになった。

以来、10年ほどスマホを機種を変えつつ使用して来ている。何が一番大きな機能かといえば、「Japan Knowledge Personal」をいつでもどこでも検索できること。今や『日本国語大辞典第二版』や『新編日本古典文学全集』までが含まれるデータベースであり、歌会を始め外で語彙検索をしたい際には誠に便利である。もちろんSNS系のアプリで家族や友人と連絡を取るのも日常的である。また出張などの航空券管理、短歌の素材メモなど用途は広範に及ぶ。今回は、従来から所持していた「携帯」と「スマホ」の二回線を一回線に統合しようと目論んで、機種変更に及んだわけである。今まで使用して来たスマホを、そのまま新たなスマホに復元したい。ショップでも丁寧な対応をいただいたが、「復元」には時間を要するということで家に引き取って試みていた。その際の「パスワード」との格闘は誠に葛藤とストレスの極み、セキュリテーを強固にしようとして自らが迷宮に入る結果となる。この精神状態もまた、この「時代」を生きるということか・・・。

既に母らの世代もスマホを
「5G」となるとさらに革命的という話も聞いた
この先どこまで行くのやら・・・


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携帯・スマホを再確認する

2019-10-24
既に所持して20年以上か
ほぼ通話のみの携帯からメールそしてそスマホへ
所持していない人と生き方にも違いがあるか?

契約の見直しをしようと考えて、先の休日に携帯スマホショップを訪ねた。休日とあって多くの人が訪れており、予約がないと相談時間が取れないと云うほどの盛況であった。現在の料金形態は妥当な額か?不要なオプション料金を取られていないか?より便利に使いこなすにはどうしたらよいか?複数の会社で用途別に所持している意味はあるか?等々、様々な見直し要点があったが担当の方は丁寧に対応いただいた。無理やり多くの料金を取り続けようという姿勢ではなく、可能な限り安くしたいという、こちら側の立場を尊重した態度に好感が持てた。多くの時間を費やしてのち、妻のアプリ引き継ぎ方法の相談にも十分な対応をしてくれて好感度はさらに上がった。こうした窓口の対応ひとつにも、会社のあり方が見え透いて来るものである。

契約年数が新たに知られて、もう既にこんなに長くスマホを所持しているのかと振り返った。当該のスマホシリーズは、当該契約の会社しか扱っていない頃に加入し、それ以前から広く知られている番号のいわゆる「ガラケー」と2台を所持する状態が続いて来た。この10年間ほどで「スマホ」の所持率は格段に上がったようだが、単に通話のみならずプレゼンソフトなどを始め仕事に関係することまでをこなせるようになり、今や生活必需品になっている。日常的な光景を写真に収めることも普通になり、あらゆる検索や地図で場所や店を探すなども容易にできる。航空券やホテル予約、カード管理や書籍の購入、防災情報や地域のゴミ出しの告知、健康増進の歩数計までもが内臓されている。さらに大きいのは有料会員契約だが、膨大な辞書データベースを日常的に持ち歩くことができるようになった。こうした生活の変化は、今後もどこまで進むのだろうか。

思うに母の年代でもスマホをこなし
小欄を毎日読んでくれている
子どもの頃に観たSFの装備が今や日常化している。


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さびしからずや置き去りの傘

2019-08-21
ちょうど車を降りる際の急な雨
たぶん忘れる可能性は高い、と思っていても
ポケットに残る傘立ての番号札

傘の声が聞こえる「自分の都合のよい時だけ大事にしてくれて、用が済むと置き去りかよ」と。所用で県立図書館へ赴いた際に、駐車場に車を停めると今まで晴れ間さえ見えていた空から大粒の雨が落ちて来た。歩いて1分とかからない建物までゆえ「濡れていこう」とも思ったが、帰りの際に本降りになっても困ると懸念して車内に置いている傘を開いた。図書館の玄関にある番号札付鍵の傘立てに収めて館内へと入った。約2時間ほど館内で過ごし、帰る頃には再び陽が射すほどの晴れ間が出ている。あれほど「忘れる可能性がある」と意識した傘であったが、こうして翌朝になった今も、県立図書館の玄関先でさびしく一夜を明かしていることだろう。僕の手元にはむしろ、県立図書館の備品たる番号札が握られている。

「雨に濡れたくない」という願望を救世主のように叶えてくれる傘であるが、状況が変われば「無用の長物」になってしまう。東京暮らしで折畳み傘を使用していた頃は、傘立てには置かずに濡れた水分を吸い取る機能のあるケースを持参していて、建物内にも持ち込むようにしていた。傘立てに置くと間違われる危険性も高く、嘗て神保町の古本屋街でよい本が買えたと意気揚々で店を出る際に、自分の傘がなくなっていたこともあった。宮崎に来てから車の移動も多いため、長い傘を主に使用している。間違われないように湾曲した手持ちの部分に、千社札風の名前シールまで貼り付けて用心をしていた。それでも尚、焼肉店の店先で間違われたことがあるが、果たして僕の姓と名までが貼りついた手元を、どこのどんな人がさしているというのか?幸い今回はそのまま県立図書館で、人々の往来を暫くは僕の傘が眺めていてくれるであろう。

傘へのこだわりの歴史
欧州では傘をささない人も多く見かける
置き去りにしてごめんなさい、僕の傘。


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片付け整理へ向かいたき

2019-03-29
年度末の仕事あれこれ
卒業式以後もデスクワークがあり
動きながら整理できるように・・・

例年は卒業式を終えると、年度内の書類や講義関係の保存資料などを整理して新年度準備を始める。だが今年はいくつもの積み残し作業があって、なかなか整理に入れていない。だがようやく先が見えてきたので、この日はシュレッダーにかけるべき書類の選別に至った。もとよりこうした書類を溜め込まない仕事術を身につけるべきかと最近は思う。最初から紙書類は選別し、保存したいものはスキャナーにかけ、多くはその時々で研究室に残さないことが肝要のようだ。既に最新型のスキャナーを購入してあるので、新年度からそんなスタイルを心がけたいと思っている。

「デジタル化」とはいえ、未だ「紙」資料は少なくない。教授会資料は3〜4年前ぐらいからタブレットで閲覧するようになり、情報検索すれば後に確認できるようになった。だがすべての会議がそうであるわけではなく、特に様々な委員会に出席すると膨大な紙が手元に残ることも少なくない。年度末年度始めで様々な品目の「値上げ」が世間では囁かれているが、「紙」の値段や品不足も深刻であるようだ。ならば尚更、なるべく「紙」を使わない資源意識が必要にもなろう。ファイルはデジタルで、となれば検索も手早くなり仕事の効率も上がる。ここはまず自らが「デジタル化」に進んでみようかと思う。

いったいシュレッダーのゴミ量はいかほど
限られたスペースにはなるべく価値ある書籍を置きたい
もう新年度が眼の前に控えている。


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