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やがて夕凪その次の波

2021-09-08
決して「収まる」わけではない
再び波は静まりその次の波が来る
どんな数ヶ月後を予見したらよいか?

ふと考える、策を講じようが講じまいが感染者数の波は同じように推移するのだろうか?現在の感染者数は「2週間前の人流の結果」だというが、決して都市部では人手が少なくなったとも思えなかったが感染者数は全国的に減少に転じている。昨秋を思い返せば、「GOTO」などが盛んに喧伝され秋から冬の観光に多くの人々が繰り出したために、年末年始は大きな波となってしまった。この感染症はたぶんかなり長期戦の構えが必要で、しばらくは次の波・次の波を警戒する必要があるだろう。となるとこの波が小さくなった際に、僕ら一人ひとりがどう行動するか?を十分に考えねばなるまい。ワクチン接種率は上がっって来たのは確かだが、2回接種者の感染も珍しいことではない。こうして「ワクチン」一つでも、「接種すれば大丈夫」と僕らが思い込まされていただけだ。要は一人ひとりの行動が大きな鍵を握るのではないか。

海外の状況も様々だ。初動の頃から注目しているニュージーランドなどは、1人の感染者が出ただけで7日間、または地域によっては3日間の「ロックダウン」へと即座に実行する。徹底的な検査で感染者を洗い出し根本的な解決を目指し、しばらくの期間は「感染者0」が続く。かと思えば米国などは、ワクチン接種が進んだゆえにコロナ以前の日常を回復させたが、今再び世界一の感染者数となっている。大谷翔平の試合を観るとわかるように、ボールパークでは満員の観客がマスクなしで飲食をしながらベースボールを楽しんでいる。ウイルスと共存するにも方法があると思うが、ワクチン接種の上でも分断した国内では未だ陰謀論などが根強く跳梁跋扈する。今回のアフガニスタンからの撤退を「失政」とする意見は多いが、コロナ対応でも危うい大国の現状がある。現に僕の贔屓するメジャーの球団は、チーム内感染が抑え投手を中心に拡がり勝てるゲームも勝てない実情でシーズンを続けている。さてでは、僕たちのこの国は何をどうするのだろう?「首チョンパ」以後の挿げ替えから、そんな議論はまったく聞こえてこない。この内輪の選挙のうちに、既に次の波がやって来ることを自覚すべきだろう。

秋の学会もオンラインが未だ多く
なかなか国内移動も見通せない
そろそろ「サーフボード」を賢く準備する気にはならないのだろうか。


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副反応からあらためて考える

2021-09-04
いつ以来の発熱だろう?
ほとんど風邪もひかない健康体ゆえ
副反応からあらためて考えたこと

前日9月2日に2回目のワクチン接種、1回目は腕の痛みのみで特に問題なく済んでいた。それだけに一般的に副反応が大きいと言われる2回目も、たぶん大丈夫だろうと高を括っていた。起床時は問題なく、小欄を記したが通常ルーティンのコアトレ・ウォーキングは控えるようにした。副反応に関する様々な情報・報道を聞くと、いつもの「因果関係はわからない」ではあるが接種後に死に至った方々もいるようだ。念のために警戒しこの日は自宅で休務日、だがオンラインによる研修会が午前中に1時間あり書斎から参加した。午前中は36度台後半であった熱が、昼を過ぎて37度台後半へ。やや頭痛も覚えたので横になることにした。冒頭に記したように、日常的に発熱することはほとんどない。宮崎に移住してからの8年半で、1回だけ不覚を取ったことがある。それだけに発熱には、人並み以上に抵抗感がある。仕方ないとは思いながら、どこか悔しいような不思議な思いである。そこからあらためて、新型コロナと近現代人間社会との関係などを考えざるを得なくなった。

高校の「理科」で唯一得意だった「生物」で「抗原抗体反応」の授業は今でもよく覚えている。人体に入り込む「抗原」に対応し特異に結合して起きる諸々の現象のことで、人体に意義ある反応が「免疫反応」、不利益をもたらす反応が「アレルギー」である。今回のワクチン接種でもよく耳にするようになった「アナフィラキシー」は過剰なアレルギー反応で人体の生命に影響しかねない。概ね、こんな点が基礎知識であろうか。よくTV番組で「学校では教えてくれない」と言った類があるが、実は「学校」では実生活に役立つことをたくさん教えている。それを「生活」に繋げる意識がないだけだ。ワクチン接種はこの「抗原抗体反応」を人工的に引き起こすもので、これも報道番組で「抗体ができるには」という物言いもよく聞くようになった。花粉症を考えればよくわかるが、アレルギー反応というのは人ぞれぞれに反応の度合いが違う。僕は宮崎に来て蜂に刺されたこともあるが、(それは自然の中で生きている証しとして誇りたいぐらいだが)2回目に刺されると危ないというのは、このワクチン接種と同様である。得体も知れず変異もくり返す新型コロナウイルス、抗体を得るためには仕方のないことであるが、たぶん人類史上一番短い開発期間で一番少ない治験で汎用されているワクチン。自分の身体内の「抗原抗体反応」と語り合う1日となった。

「ワクチン接種が切り札」と言った方が退陣の報道
「集団免疫」は幻想だということもわかって来た
2回接種の人々の感染例の報道、抗体そして免疫がどうなるかはまだ誰も知らない。


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変異は続くよどこまでも

2021-09-03
「α・β・γ・δ・η・ι・κ・λ・μ」
「アルファ・ベータ・ガンマ・デルタ・イータ・イオタ・カッパ・ラムダ・ミュー」
感染力の増強や重症化、果たしてワクチンの効果はどこまで?

原稿に向かっていると昼休みの時間帯になって、親友の落語家から電話があった。秋口の興業への出演を承諾したのだが、そのタイトルが「僕らはみんな生きている」だと教えてくれた。最近は芸能界の新型コロナ感染者が急増している印象もあり、先日は50歳代の落語家さんがわずか20日間ほどで命を落としたことも報じられた。心よりご冥福をお祈りしたい。誠に先が見えない世の中、最近はよく「災害級」であるという発言も耳にするようになったが、誰しもいつどこで命の危険に曝されるかはわからない。幼少の頃に「キイハンター」でのアクションに憧れた千葉真一さんの急逝も大きなショック、心よりご冥福をお祈りする。先が見えないという意味では、飲食業を中心として今後の生業について深刻な人々も多い。ただただ「宣言」「まん延防止」を延長するだけで、果たして新たな光は見えるのかと甚だ不安になる。とはいえ、米英が採っているいるような政策にも疑問は少なくない。要は「自己責任」に依存した社会の動かし方、この国の「国民皆保険」という制度は世界に誇れるのかもしれないが、「国民の命が最優先」と言われながら、実は「自己責任」依存な社会の動きには十分な注意が必要なのではないだろうか。

冒頭に掲げたのは所謂「変異株」に付けられた「ギリシア文字」全24字のうち最初から9つ目まで、新たに南米由来の「μ(ミュー)株」が空港検疫でも確認された。現在の急速な感染拡大の原因とされるのが「δ(デルタ株)」であることは知られ渡ったが、果たしてこうした変異はどこまで続くのだろう。「π(パイ)」「Σ(シグマ)」「Ω(オメガ)」などは数学や参考書シリーズの名称・腕時計ブランドなどで有名であるが、変異も最後の「ギリシア文字」である「Ω(オメガ)」まで続くと言うのだろうか?現在流行の「δ(デルタ)株」も昨年の11月ごろから英国で報告され、今年の2月ごろには「感染力が増強」していることも日本の専門家は指摘していた。現況の感染状況になることは、あくまで「想定内」であったはずである。だが今現在聞こえてくるのは「想定を超えた感染力」という言い訳ばかり。日々、感染者数も重症者数も過去最多を更新している。「安全」とは、「最悪の事態」を想定してこそ得られる領域である。「ワクチン接種が進めば大丈夫」ではなかったことは、米英を見れば明らかだ。次の年末年始に「μ(ミュー)株」によるさらなる感染拡大に我々は見舞われるのだろうか。既に1年半ほど前に言われていた感染症とはまったく違う感染症と我々は向き合っている、と考えた方がよろしいのではないだろうか?

「生きているから歌うんだ・笑うんだ・おどるんだ🎶」
非常時の対応こそ、子どもらを預かる「学校」の本質が浮かび上がる
僕たちは歴史上の大きな転換点に立たされ続けているのだろう。


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イベントのオンライン化に思う

2021-08-23
手軽に自宅で視聴できる
だがやはり臨場感を味わいたいのだが
ライブの真の意味も考えよう

第5波の感染拡大を受けて、この夏のイベントが次々とオンライン化している。スケジュールを書き込んだ手帳にも、「オンライン」と加筆することがしばしば。昨年はともかく今年こそは会えると思っていた人々に、再び会えない残念さが付き纏う。人に直接に逢えるライブ感の重要性を、今あらためて考え直す日々である。夏の日の出逢いの多くが「オンライン」というのも、ある意味で寂しいものである。さらに言えば、今後の秋以降のイベントもどうなっていくのだろうか?6月ごろまでは、「夏8月のイベントなら大丈夫でしょう」というやりとりをしていたことが思い返される。一寸先は闇、果たして1ヶ月後、10月以降の世界はどうなっているのか?誰も知らない。その反面、米英のワクチン接種後のスポーツイベントなどの開放的な政策を僕たちは見せつけられている。大谷翔平自身のパフォーマンスもそうだが、試合の観客の状況は異世界のことかと思うほどだ。だがしかし、米英とも再びデルタ株による感染は深刻であるらしい。

この週末に牧水の生誕地・日向市予定されていた「牧水短歌甲子園」もオンラインとなって、紙上審査とともに判者の講評を中心とした映像が後日にYouTube配信されることになった。1泊2日で観戦に行こうと考えていたので、誠に残念なことになった。東京から来訪するはずであった笹公人さんにも2年続けて会えず、高校生たちの白熱した短歌の舌戦を壇上で観られないのは夏が終わらない感じさえする。仕方なく自宅にいたので、やはり高校生が参加する「高岡万葉短歌バトル」をオンライン配信で視聴した。宮崎商業高校の生徒さんも出場しており、先月の国文祭芸文祭みやざき2020で本学附属図書館に来訪した顔ぶれが短歌に向き合う姿を身近に感じながら多くを学ぶことができた。「高岡」の試合の様子を生中継で観たのは初めてであり、オンライン化による貴重な機会でもあった。秋からの研究学会も既に「オンライン実施」のものもあれば、会場対面1日実施と録画視聴のハイブリッド型のものもある。現実問題として、来月再来月に移動を伴い学会会場まで出向く予定は、現状では立てづらい。宮崎から県外に赴かない日々が、既に10ヶ月目を迎えようとしている。

そしてパラリンピックが開幕する
「フジロック」などのイベントが開催されている報も
「オンライン」は地方を感じさせない利点はあるが、ライブへの道は遠い。


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豪雨やら危機の予測をいかに心得る

2021-08-21
「速やかに避難、安全確保してください」
急な集中豪雨の恐怖
予測できることを改善しないでいては・・・

所用があってある場所まで車で出向いた。しばらく待機する必要があって、付近のコンビニ駐車場に停車していると、雨脚が予測もしないほど強くなって来た。いま「予測はしないほど」と書いたが、実はスマホの雨雲アプリで概ね予見できていたことではあった。しかし、アプリで雨雲が真っ赤になっているのを事前に見るのと、実際の集中豪雨に打たれるのでは実感がまったく違う。その上、「防災速報」アプリから冒頭に記したような警告が届く。確かに僕がいたその場所は、過去にも浸水被害を受けていることを知っていた。このまま自家用車でその場所にいることは、命の危険があるのではとさえ考えた。所用からしてしばらくはその場を動くことができない葛藤を抱えながら、自家用車が車高の高いSUVであることだけを気休めに耐え続けた。だが本当に危機が迫っている場合は、この過信が危ういということだろう。約10分ほどで雨は小止みとなったが、諸々と考えせられる体験になった。

「医療崩壊は防がねばならない」もう1年数ヶ月前から予測し専門家が警告していたこと。日々、全国の感染者数は増加の一途を辿り、自宅療養の方が増えている。症状の悪化によって入院先を探しても簡単には見つからない。たとえ入院できたとしても、悪化した症状には対応できない施設の病院を選ばざるを得ない状況だという報道を観た。医療機関を増設することはそうたやすいことでないのは承知の上で、だからこそ国が主導してこの間に進めるべき対応策ではなかったのではないか。新型コロナ専門病院や検査センターなどの設置、または感染症対策専門機関の設置など、緊急な危機に対応してこその「安全・安心」ではないのか。感染者数の増加とともに、言い訳や世論の盾にされる日本語の的確な精度が失われている。「ワクチンは切り札」もまた同じ。ワクチンは重症化を防ぐ効果はあるが、決して感染しなくなる訳ではない。「集団免疫」というのも期待値でしかなく、このウイルスのしたたかさははるかに人間の為政者を超えている。危機予測をどう捉えるか?正確でない情報を喧伝し「なんとかなる」「策は講じている」「起死回生の風が吹く」などと、歴史を何も学んでいない対応そのものにこそ危機感を覚えている。

くり返すが教育現場では最悪を考えるべき
危機迫る豪雨はこの列島で全ての人が当事者だ
半年間感染者0、1人の感染に危機意識のあるNZの首相会見も観た。


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あくまで思い込まないこと

2021-08-20
どうしても「自己本位」に捉える人間
思い込みが重大な危機となってしまう
「自分は大丈夫」と検査などを避けないことだ

どうしても毎日のように、新型コロナのことを考えずにはいられない。全国的に危機的な感染拡大状況の中で、デルタ株の感染力の凄まじさは人間の想定を超えるのではないかと思うようになった。昨年であれば家族や職場でこれほど感染が拡がることはなかったものが、接触したほぼ全員に感染しているような印象を受ける。感染事例の報道を聞くに、所謂「マスク・手洗い・三密回避」でも防ぐことができていないのではないかとさえ思うことがある。「マスク」はより密着度を高く着用し素材は不織布、手洗いは20秒×2回で洗う部位を変えて手首まで入念に、人との接触場面では換気の徹底とともに可能ならば15分以内など、自ら対策を増量する意識を持ったりしている。ウイルスはエアロゾルとなり空気中にも浮遊する、デパ地下を中心とする感染はそれを顕著に物語る。身近なスーパーやコンビニでも、決して気を抜かないことである。人間はどこかで「自分は大丈夫」という思いがある。たぶん感染した人々の多くが、そのように思い込んでいたのではないか。

自宅療養を余儀なくされ命に危険が及ぶケースが後を絶たない。全国各都道府県の感染者数は拡大の一途であるが、実質的には発表された数の3倍とも5倍とも言う専門家もいる。「自宅療養」以前に「自分は風邪だ」などと思い込んで検査を受けないことは、厳に慎むべきであろう。報道されている事例でも、容体が急変し緊急搬送された時点で厳しい事態となることも少なくないと云う。年代も問わずワクチン接種を2回済ませていても、感染をすることは明らかである。この1年半の間、地球上の人間は「自己本位」な思い込みでこの新手のウイルスに向き合って来ている。だが「三密回避」でも「ワクチン」などの策を講じても、簡単にウイルスから身を護ることはできない。ましてや科学的とはまったく思えない為政者の喧伝やそれに乗じた報道などを、決して簡単に信じてはならない。自分の命に向き合う上でも、ここまで「自己責任」を問われる社会になっていることに自覚的にならねばなるまい。まずは「思い込み」を排すること、研究でも教育でもそれが基本であるはずだ。

今まで以上に自身の体調に眼を向けること
千葉真一さんのコロナによる逝去の報も
ご冥福を心よりお祈り申し上げる。


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急な変化に即応できること

2021-08-19
感染拡大による内容変更
いつでも対応できる柔軟性と幅
「変異株」のしたたかさのごとく

新型コロナについて、変異株による感染拡大が問題となっている。TVでコメントする専門家は口を揃えて、「賢いウイルスである」ことを指摘する。自らの種の保存において、状況に即応して「変異」を続けているわけであろう。もとより生命体には「恒常性(構造・状態・機能を外部の変化に対して一定に保とうとするはたらき)」があると生物の時間に学んだ覚えがあるが、その一現象をあって欲しくないという思いから「変異」と呼んでいるわけである。現状では「人間」が「ウイルスの恒常性(変異)」についていけない現状が、地球を覆い尽くしているということか。生命体の進化を考えると、凄まじい生存競争が地球上では展開していることになる。なれば人間こそが長きこの星の歴史の中で、一番変化に対応して恒常性を保って来たのではないか。僕が理科で唯一得意であった「生物」については、こんな地球規模の「物語」などを想像していたことが興味を引く要因であった。

この夏期休暇中に組まれていた予定の内容が、尽く変化して即応が求められている。県立図書館での講演・教員免許状更新講習・国文祭芸文祭みやざき2020の企画などである。対面でできると思っていたものがオンラインになったり、そうかと思えば「対面」が貫かれたり。県か官庁かなどによって対応も様々であり、戸惑うことも少なくない。とりわけ「対面+オンライン」などの実施においては、それを実現するのに大変な資源と労力を必要とするのである。だが、この1年半で自らもこうした急な変化への即応力がついたような気もしている。もとより世の中では「予定は未定」なのである。人間は自己本位に「自分は変わらない」と思っているが、実は常に「変化」をしないと地球の時間の流れの中では生きていけないことを知るのである。「人生は旅」というのはこうした意味もあろう、生きていれば「昨日」と「今日」、「今日」と「明日」は違うのである。このウイルスと地球規模で共生しなければならなくなった今、ひとりの「人間」として変化に即応できる生き方ができるようにありたいと思う。

変化を恐れないことを「前向き」と呼ぶ
ウイルスのしたたかさをなんとこころえる
「人間が何より」という傲慢さを脱ぎ去る世紀なのかもしれない。


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頑張ろう!!!みやざき!!!

2021-08-18
長期戦とは思っているが
感染者数最多更新の宮崎県
苦難に向き合う当事者の思いに寄り添いながら

宮崎県では一日の感染者数が「111人」と過去最多を記録した。忘れもしない今年の1月7日に「105人」を記録して以来の最多更新である。大都市のある都道府県からすれば総数は少ないが、人口比からすると医療機関の数を考えれば、県知事が訴えるように「危機的状況」である。今月「7日8日9日」の3連休の人の動きがお盆休み明けの医療機関再開で、何らかの症状が出た人々の受診で一気に数が上昇したという県の分析である。となれば「お盆休み」そのものの人の動きも今後また感染者数に反映されることになり憂慮すべき事態が続くことになる。もはや感染拡大が喧伝され始めて1年半近く、「マスク・手洗い・三密回避」という基本原則を怠りなく実行しているかどうかを自らにあらためて問い掛ける。「自分だけは大丈夫だろう」という甘い考えが感染を手繰り寄せ、もうウイルスは眼の前にあると考えた方がよい。三原則はウイルスがあっても感染を回避するための方策であることを再確認したい。デルタ株は、さらに感染力が強いのであるから。

さらに宮崎県にとって大変に悲しいニュースは、甲子園代表・宮崎商業高等学校のチーム内で感染が起こりやむなく辞退を決めたことだ。春の選抜・この夏の県予選を通じて応援していただけに、誠に辛いニュースである。個人的に親しくしている国語の先生もいらっしゃり、「牧水短歌甲子園」の常連でもある同校。僕自身も県高等教育課主催の授業研究にも伺い、多くの生徒たちの顔も思い浮かべることができる。親しい先生に早々にお見舞いのメッセージをしたが、その返信には県代表校としての辛さが滲み出ており思わず涙が溢れてしまった。感染は誰が「悪い」というわけでは決してないと思うと同時に、都市部の市中感染的な拡大の怖さを物語る事例だと痛感する。夕方になって落語家の親友からもメッセージが届き、本件に対する見舞いの内容であった。こうした温かい思いやりにこそ、人は心を支えられるものだ。宮崎商業の選手はもとより関係する方々にも、深い思いやりと温かい心で帰宮を待ちたいと思う。何より感染からの一日も早い回復を心よりお祈りする。

あらためて基本的な感染対策を
あなたが、わたしが、まずは感染しないことだ
頑張ろう!!!みやざき!!!


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宮崎県独自の緊急事態宣言再び

2021-08-12
市内で頻発するクラスター
20人台から30人台40人台へ
早期に爆発を抑え込む手段として

五輪の喧騒はどこへやら、全国各都道府県の感染爆発が止まらない。昨年の今頃からすれば、果たして1年先にこんな未来が待っているとは誰しもが考えなかったのではないか。1年延期の五輪が開催されるまでには、せめて新型コロナも「終息」しているのではと思っていた人が多いはずだ。ところが既に「終息」などという言葉も、メディアでほとんど聞かれることはなくなった。当初から予測していた専門家も多かったはずだが、この感染症はそう簡単には「終息」などしないことを我々は突きつけられている。ここへきて「ワクチンが切り札」だ、という喧伝もどうやらあやしい。接種率を高めた英国や米国での再感染拡大は、変異株への置き替わりを露わにしている。もはや「終息」などしないという前提で、いかなる社会を創っていくかに論点が移行しているようにも思う。ワクチンは「切り札」にはなり得ないが、効果がないわけではない。高齢者の感染が減少し重症化を防ぐという意味では、昨年とは違う実情であるのは確かだ。その反面、若い世代の重症化や急激な症状悪化など、既に医療機関への入院が困難な都道府県も多い中で、心配な状況が続いている。果たして1年後の夏に、僕は小欄に何を書き込んでいるのだろう。

宮崎県は早期に県独自の「警報」を発していたが、さらに「緊急事態宣言」に格上げした。今年の1月にも急激な感染拡大に対して、県独自に早期に県民への啓発という意味で有効な手立てが取られたと理解する。大学でも9日10日に予定されていた「オープンキャンパス」を急遽中止、この日はWeb相談会などが従来から設定されていたこともあり、担当である僕は何名かの高校生の相談に画面を通して対応した。学内では教員免許更新講習のオンライン併用実施という方針が出され、お盆明けの講習に新たな準備が求められている。また県内で開催されている国文祭・芸文祭2020の諸行事に関しても、楽しみにしていた「牧水短歌甲子園」の無観客開催などが決定した。今回の全国的な感染再拡大は変異株への置き換わりという要因とともに、「もういい加減に我慢はごめんだ」という人々の感情、ワクチンへの理解不足、政治的メッセージへの不信感など社会的な負の連鎖による拡大が顕著だ。商売をする親友に聞いた話だと「ワクチンを打ったから」とマスクなしで来店する観光客がいるらしい。せめて宮崎県ではこの次元で、何とか「食い止める」ことを願う日々である。

九州各県の感染も深刻
まずは自らが住む地方自治体を信じたい
「盆と正月」まだまだ忍耐の日々は続く。


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「世の中は今日この瞬間も悲しみの声がする」今この時代

2021-08-06
「SMILE〜晴れ渡る空のように〜」桑田佳祐
五輪中継の背後に流れている奥深い意味
「次の世代に何を渡そうか?」

多くの人は、自分が生まれて育つ国を自らの意志では選べない。今この時代にこの国の住民であるのは「当然」であることなのか?「日本のメダルラッシュ」などという喧伝に酔う陰で、五輪のような機会にこそ自らの住む国の相対化を意識すべきではないかと思う。今回の五輪でもベラルーシの陸上選手が帰国を拒否しポーランドが亡命を受け入れた一件は、こんなことを強く意識させた。僕自身はこれまでの人生で幾度となく海外に足を運んだが、その都度に帰国した成田空港で「清潔・安全・安定」の素晴らしさを感じ、「この国に生きて」いることに一定の満足を覚えて来た。普段は気づかなかった道路の綺麗さや治安とともに飲食機会の安定感は、食文化の嗜好の問題を伴い「自己存在」を確かめさせた。こうして「全世界の中での日本」を意識する際に、五輪という機会はある意味で重要な「実情を知る機会」なのだと思う。「日本選手がメダルを取る」という話題のみに偏るのではなく、他国の選手の競技や交流こそを見極めていくべきではないのだろうか。

五輪の民放放送の背景にたいていは、冒頭に記した桑田佳祐さんの曲が流されている。たぶん既に曲を聞けば、多くの方が「ああ!これね!」と知名度も上がったはずだ。昨年2020年の1月24日にこの曲が民放TV全局共通ネットで発表され、その後「1年延期」が決まったことで、僕にとっては「苦しいコロナ禍でも共生し次の時代をこの地球でどう生きていくか』を自らに問いかける曲になった。大学オンライン講義への転換の渦中で、その様々な苦しみをいかに乗り越えていくか?折れそうになる心身を未来に繋げるために支えてくれる曲となったのだ。不思議とこの曲の歌詞を深く読んでみると、そんな「この時代を生きる」普遍性に満ち溢れているのである。本日の標題にした一節などは、まさに今のこの国の実情を言い得て妙な表現である。奇しくも、五輪で日本選手のメダル獲得数が史上最多となった日に、全国のコロナ感染者数も最多を更新した。最近の政府の方針を聞くに1年以上前と何ら変わらず、全国の病床の逼迫や歯止めのかからない感染拡大に無策の後手後手な感に満ち溢れている。もちろん世界の各国でも、コロナ感染の問題は収まるところを知らない。だが少なくともリーダーが明確なメッセージを発し、「何をいつまでにどうしたらよいか」が示されている先進国は少なくない。「自宅療養」の問題は、ただでさえ孤独にひしがれている人々が多くなったこの国の政治の社会観を象徴的に表している。「この瞬間も悲しみの声がする」僕が海外から帰国のたびに感じていた「安全」までもが失われ、「悲しみ」に寄り添い和して生きられる国では既になくなってしまったのか、とさえ思う今日この頃である。

「20代・30代の・・・」とよく言われる
「次の世代」の希望が見出せなくもない
「今日この瞬間」「今この時代(とき)」僕らは真摯に生きる国を考えねばなるまい。


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