敬愛するために競うー第13回牧水短歌甲子園
2023-08-21
なぜ?言葉のやり取りで泣けてくるのか「競う」「対戦する」とはまず相手を敬愛することから
第13回目を迎え全国規模の大会となった証として
8月19日20日と2日間にわたって開催された第13回牧水短歌甲子園。その熱くも冷静で、新しくも日本文化の源流に乗った展開に固唾を飲み、「1年分」とも思える短歌の学びと心の汗に浸る時間を過ごすことができた。よって珍しく昨日は小欄をお休みし、日向市の地で短歌にだけ専念していたことをまずはお断りしておく。今年の大会への応募は「36校61チーム」過去最多を更新しており、第13回目を迎えてますます全校規模の大会に成長して来た。向こう3年間は感染拡大でオンラインを余儀なくされることもあったが、今年は対戦後の壇上での握手や出場校交流会など抑制されいた大切な時間も復活した。初日19日(土)予選を通過した12チームが4リーグに分かれての各2試合ずつの対戦、抽選によるリーグ構成となるがそれぞれの対戦に各校の個性が光り始める。リーグ戦は第1〜4試合が題詠「新」、第5〜8試合が「競」、第9〜12が本大会恒例の「恋」であった。「新」では「新型コトバウイルス」が目を引き「新学期」などには高校生独特の心のあり様が覗き見られた。「競」では高校生が「過当競争」「競売」と表現するほどの社会に曝されていることが実感できた。「恋」ではもちろん高校生なりに恋に燃え、若き幸福とは何かを考えていることが切実かつ肯定的に三十一文字に表現されていたと思う。
今回の大会では、個人的にも大きな再会があった。出場校の一つ、埼玉県星野高等学校の顧問教諭が大学院研究室の後輩という縁に恵まれた。修了後はなかなか会う機会がなかったが、この上ない場所で再び巡り会うことができた。大学院当時は相互に短歌創作には目が向いていなかったが、そえぞれに上代・中古の和歌研究に発し現在は歌を詠むことも重視している共通点もある。出場校が次第に全国規模になって来たことで、この様な縁を牧水先生が用意してくれたことも僕にとって貴重であった。20日は朝から準決勝・決勝、フィールドアナウンサーを務める久永草太さんは「1日目の方が勉強になる、だが2日目はドラマになる。」という名言を披露し、頂点を目指す舌戦がくり広げられた。前日の題詠「競」でみんなが考えたことだが、人はなぜ競うのだろう?同様になぜ新しさを求め?恋に身を焦がすのだろう?準決勝の題詠は「言葉」、これはなかなか難しいと目されていたが、特に三十一文字に向き合っている高校生らの「言葉」に対する具体的で鮮烈な表現には手に汗を握る展開であった。この大会中、対戦の歌を読むだけで、また舌戦を目にするだけで涙腺が緩む機会が何度もあった。それもすべて「言葉」により具体的なイメージを僕ら観客が持てたからだ。あらためて「『説明』でなく『描写』だ」を強調する俵万智さんの講評が胸に響く。決勝は自由題、そこにはまさに等身大の高校生らの姿がイメージされた。されどなぜ短歌を競うのか?それは古代の歌垣や宴席歌、そして平安朝以降の歌合に遡る。それは決して「優劣」のみならず、相互の歌に真摯に入り込むための「対話」に他ならない。本大会にこそ「甲子園の本質」、つまり「相手を倒す」のではなく「敬意をもって相手の立場に思いを寄せる」という「平和への基本」が「言葉」をもって成せるということがわかるのである。
この大会から巣立った「みなと(OBOG)」の成長もよろしく
次回大会から「朗詠に長けた人への賞」の設置も発表された
「若者と短歌」先週金曜日の宮崎日日新聞にインタビュー記事が先週掲載されていた。
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幾春かけて老いゆかんー公開記念若手歌人トークイベント
2023-08-07
「身に水流の音ひびくなり」自立するわが身への凝視と日本文化の象徴たる「さくら花」
限りなく優しく限りなく厳しく
歌人・馬場あき子さんは、昭和3年1月28日生まれ。若山牧水が昭和3年9月17日没なので、約8ヶ月の時間をこの世で共有している。短歌1300年の歴史に「伝承者」のリレーがあるとすれば、馬場先生は牧水から「バトンを受け継いだ」存在なのかもしれない。あくなき歌への追究、妙なる響きを詠う、生への慈しみと厳しさと。「リレー」とは同系統の走りを受け継ぐことではなく、自分なりのスタイルで「三十一文字の形式」に向き合うことだろう。この度、標記の映画を観てつくづく歌人の生き方の豊かさをあらためて思い知った。また馬場先生は、能を学び舞い続けてきたことが短歌表現の奥行きとなっていることも確かめられた。現在御歳95歳、93歳から94歳にかけて撮影されたドキュメンタリー映画には、一瞬も見逃せない精緻な馬場先生の眼差しがあった。
全国の様々な映画館で上映されている映画であるが、「若手歌人トークショー」を行なったのは宮崎キネマ館ぐらいだろう。宮崎大学短歌会の学生と県内の高校生たちが、馬場先生の好きな歌を選び、また自選3首の歌を披露しトークをくり広げた。最後にはサプライズ企画で、馬場先生ご自身から若手歌人へのビデオメッセージまでが披露された。馬場先生と映画の視聴者が短歌を通じて「対話的なリレー」を行なったのも全国広しといえど、宮崎ぐらいであろう。馬場先生はかつて「若山牧水賞選考委員」もされており、年に2度は宮崎に足を運ばれていた。そのような機会に僕自身もお話をさせていただく幸運な機会を持てた。特に2018年11月の「若山牧水全国顕彰大会(群馬県みなかみ町開催)」の宴席では、大変にご丁寧に研究の方向性を示唆するお話を伺ったのが思い出される。能のみならず古典への深い造詣を活かした詠歌、またその鋭い視点に学ぶものは計り知れない。今でも大変にお元気で和服で背筋もピンと立て凛として歩む、その歩調のリズムはそのまま馬場先生の韻律の良い歌を生み出す原動力なのだろう。まさに牧水の短歌に身体的な歩むリズムが乗り移るのと同質なものが感じられた。
そしてまたユーモアと可愛らしさを失わない
あらためて馬場先生の短歌に学びたい
会場は満席、映画を柱にした文化的対話機会として貴重な時間でもあった。
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短歌と人とまちの話ー短歌みやざきシンポジウム
2023-03-18
「黒瀬珂瀾が詠んだ延岡を辿る宮崎ぐるっと歌集化プロジェクト」
久永草太さんと三者による「まちと短歌」シンポジウム
令和4年度短歌みやざき事業の一環として、アーツカウンシル宮崎主催のシンポジウムにパネリストとして参加した。本年度の本事業の目玉は、前々回の牧水賞受賞者である黒瀬珂瀾さんが4日間にわたり延岡のまちを巡り歩き、詠んだ歌15首をQRコードで「まち」に埋め込んだ「歌集化プロジェクト第2弾」である。この日はまず黒瀬さんから「宮崎と短歌」と題して、延岡を中心に50分ほどの講演をいただいた。新型コロナの感染拡大で「文化が切り捨てられ国が暗くなる中で灯りのような文化」が必要と、「文化の記念碑」のような神楽との出逢いから話は起こされた。昨今の「短歌ブーム」と言われるなかで、「今の一瞬で人がつながる」ような歌がもてはやされるが、「長い人の営み」「すぐにはよくわからないけど心の底に沈着する歌」の存在にあらためて光を当てる必要があることを語った。「此処で一緒に呑んでいる仲間を横軸とするなら、過去の出来事は縦軸」であると云う。また「隣にいる延岡市民の姿は、遠い未来の人と一緒にいる」という歴史が伴うのだとも。「大きな土地の歴史と小さな人間の一瞬の時間」の中に短歌があるという点に、僕自身も大きな興味を抱く学びであった。
黒瀬さんとのシンポジウムでは、「今回の作歌が文語と口語のハイブリッド」である姿勢そのものが、前述の思考を表現するのに対応していることを述べた。どうしてもご時世として「短歌ブーム」が話題になるが、「エンタメ的な一瞬のあるある感情のような『わかる歌』」とともに、「純文学的で奥深く精緻な読みを求める歌」があると言い換えてみた。すると黒瀬さんの云う「土地鎮め」とか「地霊」などの問題とも関連し、相互の「言葉のシャッフル」が必要な時代ではないかという方向性が見出された。「まちと短歌」を考えるに、古典和歌にある「歌枕」との関連も考える必要がある。もとより「地名」に限らず、「紅葉に龍田川」など詠歌の素材になることで、次第に「土地と人の情」が重なり融け合うことで「歌枕」という美的感情の類型的な表出が蓄積されてきたと言えるだろう。「土地」には、長い時間に生成されたものたちが眠っている。それを「いま一瞬で自分と繋ぎ、受け継いでいくのが短歌の言葉」なのだという黒瀬さんの思いに呼応した。SNSとの相性から「ブーム」と呼ばれるが、実は1300年の歴史を生きてきた「歌」としてのスペックの一部が極端に閉塞した社会に風穴を開けようとしているのではないか。「ブーム」を否定することなく、上手く流れを掴みつつ「歌」と「土地」との繋がりの深さを考えさせられる機会であった。
第1弾「ニシタチ歌集化プロジェクト」(久永草太さん主催)
第2弾「黒瀬珂瀾が詠んだを辿る」(アーツカウンシルみやざき企画)
県内の土地に眠るものを短歌で呼び起せ!!!
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第34回歌壇賞授賞式参列記
2023-02-12
「彼岸へ」久永草太大雪警報の出ている東京・アルカディア市ヶ谷にて
選考委員の方々・心の花東京歌会のみなさんとも
2月10日(金)短歌会の最も有力な新人賞といえる「歌壇賞」授賞式に出席するため、大雪が心配される東京へ向けて朝の便に乗り込んだ。予期せず時間に余裕をもたせて朝早々の便を予約したのだが、せめて降雪が激しくなる前に羽田空港に着陸してくれと、祈りながら座席のシートベルトを締めた。翌日が祝日のせいか、機内は満席でどうやら左右にご夫婦という真ん中の席は多少落ち着かない1時間半となった。だがあらためて今回の受賞作「彼岸へ」を読むに、次第に今この時間の状況などどうでもよくなった。一首一首の骨格のある表現の豊かさとともに、僕にしか読めない具体的な情景もある各歌の奥行きを味わいつつ選考委員座談会などを読み返していた。すると瞬く間に機体は着陸態勢に、窓からはまだそれほどの降雪は認められなかった。機内アナウンスは「みぞれ」を告げ、駐機場ではバス移動。まずは宿泊先に荷物を置き、昼食を済ませ午後はやるべきことを着々とこなした。どうやら「大雪警報」は午後2時前後に解除になったようで、雨は降り続きながら気温4度の東京の街を、市ヶ谷へ向けての地下鉄に乗った。会場のアルカディア市ヶ谷は、別称・私学会館。長く東京の私立中高に在学・勤務をしていた僕にとっては、お馴染みの場所でもあった。
16時45分の開場に向けて建物内を進むと、中学校の恩師の結婚式を思い出した。野球部監督の先生の披露宴に、予告なしに花束を持って入り込んだ思い出だ。会場と窓からの外堀の景色の対比は、確実にあの時の「風景」であった。会場には既に「心の花東京歌会」の方々が、今回の牧水賞受賞者の奥田亡羊さんをはじめ黒岩剛仁さん・田中拓也さん・佐佐木頼綱さんらに会えた。また選考委員の東直子さんは、国文祭・芸文祭の折に大学図書館で開催した「みやざき大歌会」以来であり、牧水研究会で馴染みの宮崎出身である吉川宏志さんにも久しぶりにお会いできた。授賞式は「俳壇賞」と合同であり、まずは渡部有紀子さんへ賞が授与され、その後、いよいよ久永さんが受賞の壇上に登った。僕にとっては宮大短歌会顧問として、在籍中の受賞というのがこの上なく嬉しい。それは大学のみならず、宮崎が生み出した新人という意味で「短歌県みやざき」の喜びでもある。宮崎から列席したのは久永さんの恩師3名、伊藤一彦先生はもちろん、彼が短歌と出会った際の高校の恩師、そして大学6年間短歌会に在籍した顧問の僕。僕などは「恩師」というのはおこがましく、久永さんからはむしろ多くの刺激と学びを得た「短歌仲間」というような思いでいる。選考委員講評は、三枝昂之さん。委員4名の中では、当初は久永さんの作品を推していなかったことを吐露しつつ、自らがどんな魅力を読み取り変容したかを克明に語っていただき聞き応えがあった。授賞式後は心の花東京歌会の方々と一席、市ヶ谷という土地は宮崎県学生寮もあり、牧水も居住したことのある街。短歌を取り囲んで集える結社の方々との交流は、何にも代え難い時間だ。楽しい宴はあっという間、だが受賞者と選考委員との宴の方は未だ続いているようで、その後は伊藤一彦先生とその場に挨拶へ向かう。その結果、選考委員の方々や本阿弥書店社長さんらとさらなる三次会へ。三枝さんや俳壇選考委員の方ともお話しできて、夢のような時間を過ごさせていただいた。
タクシーで神保町経由で宿のホテルまで
東京に24時間ともおらず翌早朝から甚だ混雑する羽田空港へ向かい、宮崎への搭乗便へ
あまりの奇遇、「群読フェスティバル」に招聘した真山知幸さんと座席が隣であった。
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宮崎県知事選挙と「短歌県日本一」へ不断の決意
2022-12-26
宮崎県知事選挙クリスマス投開票諸々の用件や牧水研究会総会へ出向きつつ
これからの宮崎へ向けて投票率56.69%
宮崎県知事選挙のクリスマス投開票、向こう4年間の県政の方向性を決する大切な1票を投じる日である。全国的なニュースとして、ワイドショーなどでも取り上げられているこの選挙。前職である東国原英夫氏が、復帰を目指し12年の時を経ての立候補が話題を呼んだ。現職・河野俊嗣氏は東国原氏が知事時代の副知事、ともに宮崎を全国に売り込むために手を携えていた二人が対決する構図となった。さらにはスーパークレイジー君という若手の立候補、規定の路線に固執して何も変わらない宮崎に新たな風を吹き込む可能性を秘めた選挙となった。3候補の選挙戦によって期日前投票から投票率の高さが報じられていたが、最終的に56.69%となった。前回2018年の選挙が33.9%という目を覆いたくなるような数字であったゆえ、今回の数字から可能性を秘めた候補が立つ意義が感じられた。最終得票で「河野氏258646票」「東国原氏235602票」「スーパークレイジー君7679票」と河野氏と東国原氏の差は、「23044票」と票を分け合う構図となった。前回選挙の河野氏の得票が「279566票」であるから、未来の県政を考えた県民の方々が多かったことがわかる。
結果、河野氏による県政の4期目が始まることになったが、あらためて今回の県民の意志を尊重した県政をお願いしたいとも思う。安定した宮崎を求めていると同時に、新たな宮崎への期待を持った県民が多くいるわけである。かつては手を携えた同朋との闘いに「精神的な苦汁の思い」があったと河野氏は当選インタビューで漏らしたが、ぜひ「かつて」の時代を思い返し真に豊かな宮崎を目指して欲しい。僕としては何より「短歌県日本一」を目指そうとする文化政策、そして少子高齢化が進む教育・福祉政策に今まで以上に力を注いでもらいたい。考えてみればこの二つの課題は融合して進むことでより効果的な社会が生まれるはずだ。老いも若きも山間部の小規模校の子どもらも、自らの心を短歌で表現することで「三十一文字の宮崎の希望」が形になる。「生きづらさを超えていく短歌」をさらに全県的に、多様な年代に拡げていくことが望まれる。それでこそ「経済最優先」ではない、個々人が些細な日常で笑い合える社会を築き上げることができるだろう。そんな意味では東国原氏やスーパークレイジー君への期待を込めた票を、無駄にしてはなるまい。
個々人の思いが「ことばで通じ合える」こと
投票率があと10%増え7割に迫るとどうなっていたのだろう?
みんなで宮崎の未来を考えるための「短歌」をみんなが表現できる県を目指したい。
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朝ドラ「生きるための短歌」を宮崎でこそ
2022-12-22
「屋上を巡り続ける伝書鳩飛べるよ高く浮き雲よりも」主人公に幼馴染が贈った短歌の秘密は・・・
そして歌を紙飛行機に託して飛ばす粋な計らい
朝の連続テレビ小説は、ささやかな出勤前の楽しみである。元来は「ラジオドラマ」が発祥という15分間に「生きるドラマ」が仕込まれており、ついつい涙腺を刺激する場面に出逢うことも少なくない。今作の「舞い上がれ」では、主人公がパイロットを目指す過程で、航空学校宮崎校で学ぶ場面が1週間で構成された週もあり親しみが増した面もある。ジェンダー平等観念の低い日本社会にあって、女性パイロット(この言い方自体にジェンダー観念がないのだが)を目指すヒロインの苦労の階梯を描く物語は社会の風穴を開けるという意義もある。現に宮崎に本社があるLCC・ソラシドエアでは初めて女性機長が就任したとのニュースも今年に聞いた。サッカーは先日のW杯で「9位」という位置付け、そして世界ランキング20位まで上昇したと云う。しかし「ジェンダー男女平等」や「報道の自由度」に関しては、かなりの後進国であることを我々は自覚すべきだろう。
さて朝ドラで何より注目しているのは、主人公「舞ちゃん」の幼馴染「たかしくん」が短歌で心を伝える場面である。就職したのちに会社を飛び出した際も五島列島の灯台で三日三晩を過ごし、短歌で生きることに光を見出す場面があった。そして昨日は、主人公がリーマンショックで就職が1年延期になった状況を冒頭に記した短歌を贈って励ました場面があった。上の句「屋上を巡り続ける伝書鳩」は「舞ちゃん」が「飛びたくとも飛び出せない」現状の苦悩を比喩的に表現している。しかし、下の句で「飛べるよ高く浮き雲よりも」と将来への希望を詠い激励している。さらには「折句」といって「五七五七七」の各句の頭の音を辿ると「お・め・で・と・う」というメッセージになるという技巧的な言葉遊びが隠されている。これは現行の高等学校学習指導要領「言語文化」において、創作的な活動として実践せよと明記されている技法である。それを「生活実感」がある場面でメッセージ性を含んで使用された例として、貴重な場面をドラマは描いたといえる。しかもその短歌が「紙飛行機」に記され飛ばされる。こんな「文学」を生活の中に活かしたあり方、この国はせめてこうした「豊かな心」を持つという点で、世界ランキング上位を目指すべきではないかと思う。
せめて「宮崎県」では日常に短歌を!
歌言葉を紙飛行機に載せて世界に飛ばそう
本当の「豊かさ」が目指せる県を思い25日の県知事選に投票したい。
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「教える」のではなく「短歌を学び合う」〜教員研修覚書
2022-12-14
早期教育というような概念ではなく声と身体感覚を活かして三十一文字を語る
1年生でも、たぶん幼児でも楽しめる短歌づくり
附属小学校にて終日の教員研修講師。昨年度までは中学校のみであったが、本年度から小学校用「和歌短歌の主体的対話的学習活動」というテーマ設定での実施となった。県内の小学校教員5名が参加し、ゼミ4年生が「教職実践演習」の一環で3名が参加した。先生方の話を聞くと、県内各地域における「短歌学習」にも温度差があることが知れる。やはり若山牧水を市をあげて顕彰している日向市を中心に県北の小学校では自ずと短歌熱も高い。さらには西郷村などでは、牧水と交流のあった地域出身の歌人・小野葉桜の短歌の朗詠を独特な調子で行なっており地域としての特色も感じられた。だがこうした活動も教員間で伝承を確実にしていかないと絶えてしまうという危機感が先生方の中にあることを知った。「短歌県づくり」として全県に活動の波を拡げることと同時に、既に地域ごとにある活動の継承にも心を配るべきという発見があった。研修の場とはその場限りの知識の切り売りではなく、県内各地域の先生方との出逢いであるとあらためて思う。
研修は実例を用いて、受講者のコメント参加型で展開した。日向市立坪谷小学校の朗詠の録音を聴いていただき、その後、同じ調子での朗詠体験。「短歌は声にして初めて味わえる」ことを実感してもらった。次に二首の短歌を比較して、「説明的な歌」と「対象の特徴を描写した歌」との違いをコメントしてもらう活動へ。さらには坪谷小学校の児童作品について、どこをどのように褒めたらよいか?という課題演習に入った。次第に受講者のコメントも冴えてきて、雰囲気ができてきたところで短歌創作へ。「学校」を題材にした短歌を概ね20分で創作してもらう。その後は通例の歌会形式で無記名詠草の批評会、教員が日常の学校で何をどう見ているかがわかる内容で大変に興味深かった。「創作指導」について「どのようにしたらよいか?」という質問を現場の教員から受けることが多いが、道は一つ「自らが創作をしてみる」しかない。児童らとともに短歌表現に親しみ語り合うことで、様々な発見があるのが短歌活動をする意義でもある。歌会での多様な解釈を聞くことで、参加者には向き合う児童たちとともに短歌を学び合おうという気持ちができたであろう。「教える」のではない、参加者すべてに「学び」があるのが短歌の歌会である。
1年生の秀逸な短歌表現に学ぶ
その年齢でしかできない日常生活に即した歌
あらためて学校ごとの交流を進めるべきという気づきに至る。
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文学的表現と社会包摂ー生きづらさを超えていく言葉
2022-12-07
宮崎出身・故フジマル@ヒデミさんの遺志を継ぎ詩集を出版した前原本光さんをお迎えして
宮崎に響いた「声」に僕たちはどのように向き合うのか
僕が今ここで発した「声」は、誰にどこまでどのように響き共感を得たり、反発を買ったりしているのだろう?デジタルでPC上に「文字」を打ち込むことが多くなった昨今、言霊なき説明的で意図さえもわからない空洞な言葉が世の中に溢れかえっている。だが「ことば」は元来が「声」であり世界でその場にしかない「一過性・一回性」であるとともに、「永遠」を孕んだ存在ではないだろうか。「今此処」の偶然の空間を逃さずに捉えてこそ、「永遠」へ「ことば」は歩み始めるのかもしれない。そんな「ことば」を生きた証として遺したい、この意志を持ったものが「詩歌人」というわけだ。「今此処」で生きている存在そのものを賭して、自らの「声」を刻み付けていく。「文字」にして決して安心すること勿れ、それがただの印刷インクの吹き付けになるのを待つのではなく「声」として響き続ける「ことば」にしていく意志が大切だ。
アーツカウンシルみやざき主催の標題をテーマとした「語り場」に、県庁近くの「クスナミキギャラリー」まで出向いた。ゼミを終えてからの訪問であったので、開始時間には遅れたが冒頭に記した前原さんを始め、様々な分野の方々が集っていた。僕に話す機会が回ってきたので、概ね前半に記したようなことを語った。世界情勢を背景に「生きづらさ」を増す社会の中で、僕たちは「ことば」とどのように向き合って行ったらいいだろう。この日に宮崎日日新聞の記事となった「砂浜短歌」を主催した宮大短歌会の学生さんも参加したが、「ことばの永遠性」を考えるがために、むしろ「波に消される」という「今此処」を選び取ったことの意義が炙り出される。人類史や宇宙史の中でいえば、ほんの「瞬き」に過ぎない僕ら一人ひとりの「ことば」。「波」に象徴されるように、自然は容赦なく僕たちの「ことば」を次から次へと消し去るだろう。この社会はデジタルの全能感に溺れて、いつしか「今此処」の「ことば」を疎かにするようになってしまった。せめて宮崎というささやかで穏やかで静かな「今此処」では、僕ら「一人ひとり」の「声」が響くように耳を傾ける場があってもよいだろう。
「生きづらさ」は「声」にして超えてゆける
若山牧水もまた短歌に書簡に随想に記して苦悶を超えたものを僕らは読んでいる
あなたの小さな「声」こそが文学表現であり社会に包摂されているのだから。
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砂浜を使って刻一刻と消えてゆく歌集
2022-12-05
「日南海岸を短歌で埋め尽くそうプロジェクト」短歌を人間の肉声として海と陸の接点である砂浜に描く
伊藤紺さん・手塚美楽さんらの短歌を流木の枝で琢刻する
宮崎大学短歌会の学生が「令和4年度県民芸術事業」に採択され、仲間をスタッフとして集めて展開した事業の開催日であった。内容は冒頭三行に記した通りで、場所も僕が大好きな青島海岸である。朝からは生憎の雨、数日の体調不良も癒えてきたのだが身体の回復を第一に考え、行けるかどうかを慎重に判断していた。10時を過ぎるとやや雨も小止みになったので、防寒着を十分に着込んで「砂浜の短歌が消える前」に家を出た。現地に着くと陸地と違う海風の強さと寒さを感じざるを得なかったが、防寒着のおかげでそれもクリアー。学生たちには「走って来たみたいな格好ですね」とむしろ元気付けられた。すでに何首もの短歌が青島に向けてかかる「弥生橋」のたもとから海岸線を北へ向かって山側から海側へ向けて一首が書かれている。長い棒のようなものにスマホなどのカメラを装着したり、工夫を凝らしながら学生たちも楽しんでいた。
ゲストにお呼びしていた伊藤紺さん・手塚美楽さんにもお会いできて、「自分の短歌が砂浜に書かれる嬉しさ」を語ってくれた。伊藤さんはブランドや雑誌への寄稿・ファッションビルのリニューアルコピーなど活動の幅を広げる歌人。また手塚さんは、芸術表現専攻の大学院生でもあり文章表現による制作も行なっている歌人である。学生たちに促され流木の手頃な枝を手渡され、僕も手塚さんの短歌一首を砂浜に描いた。文字は「啄刻」するのが、より本質的な表現の方法であろう。デジタル化の中で筆記具で文字を書く機会さえ少なくなった昨今、「地球に文字を刻む」感覚は重要だと思った。道具も流木、僕らの「ことば」はあくまで自然の中にある。となれば、印刷された書籍が「消えない」と信じているのも幻想に過ぎず、僕らの存在そのものが大自然の中では刹那であり無力と言わざるを得ない。本来は安易に「後世に残る」はずもない「歌一首」を僕たちは「今ここ」にいかに刻み付けるのか?そして1300年も歌い継がれたものがあるのか?砂浜に書き付ける行為は、僕に様々なことを考えさせた。
砂に書いても「僕の文字」は「僕の文字」だった
満潮が近づき結句の方から描いた短歌は次第に消えてゆく
自然と言語表現ー牧水、いや古代からの「やまとうた」として考えておきたいこと。
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「宮崎空港今日も快晴」ー俵万智さん「海のあお通信」最終回
2022-11-29
「子のために来て親のため去りゆくを宮崎空港今日も快晴」(俵万智)「宮崎の豊かさ」音楽も演劇も映画も
「宮崎のたくさんの『いいね』を見つけてきた」連載が最終回
宮崎日日新聞第4月曜日の連載「海のあお通信・俵万智」が、77回をもって最終回を迎えた。約6年半もの間、俵さんが「宮崎のいいね」を再発見し綴ってきた豊かなエッセイである。冒頭に記した一首はその最終回に記されたものであるが、俵さんの人生史に明らかに刻まれた宮崎なのだと深く肯ける歌である。歌通り、この日も思わず大学から宮崎空港方面を眺めると爽快な快晴であった。調べてみると宮崎県は「全国都道府県快晴率ランキング(2018年データ)」で1位、年間快晴日数が「67日」あり、東京の「34日」の約2倍、下位に位置する山形県・岩手県の「8日」からすると8倍ほども快晴の日数があることになる。若山牧水が「青の國」と歌に詠んだのは、樹木や草の生い茂る「山」のみならず、「空の青海のあを」も含めての呼称であると読みたい。もちろん東京・大阪・福岡との空路の玄関口となる宮崎空港にも「空の青海のあを」が鮮明で、遠望すれば山並みが美しい。「日向は夏の香にかをるかな」とさらに牧水が詠んだように、そこには芳しい空気が溢れている。
連載は「77回」で終了となった。寂しい思いが拭えないながら、「7(月)6(日)+1=77回」という偶然の回数が俵さんの「持っている」ところである。そんな思いも募り、午前中のうちに「最終回拝読」というメールを俵さんにお送りした。そこには母がいたく最終回に感激したことなども記した。実は俵さんが仙台への移住を公表する前にお伝えいただいた時、「ご両親の(宮崎に移住された)ことを羨ましく思っていました。」とも言っていただいていた。僕の両親が宮崎に移住して既に3年となるが、その間には俵さんもご両親とともに暮らすという葛藤を抱えていたことを知った。などと考えると冒頭に記した歌の二つの「ために」には、並々ならぬ家族愛が込められているのだと読めてくる。息子さんが学んだ「五ヶ瀬中等学校」の学びや環境に対してもたくさんの「いいね」をしてくれた。そして宮崎の多くの美味しいもの、そして最終回に思い出のように綴られていたように宮崎の音楽・演劇・映画にも。よく宮崎の人は、都会に出ないと文化・芸術を見るチャンスが少ないと口にするが、ところがどうして!宮崎ならではのコンパクトで人と人とが繋がりやすい文化・芸術のあり方があることを俵さんにあらためて教えてもらう。連載77回のうちには、何度か僕自身も登場させていただいた。母校からのご縁に加え、宮崎でのご縁を、今後も大切にしてゆきたいと連載を幾度となく再読している。
今後も「わけもん短歌」「俵万智短歌賞」「牧水短歌甲子園」など
継続して「短歌県みやざき」に関わっていただけると云う
「心の花宮崎歌会」の「俵万智五首選」を励みに今日も歌を詠もう!!!
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