砂浜を使って刻一刻と消えてゆく歌集
2022-12-05
「日南海岸を短歌で埋め尽くそうプロジェクト」短歌を人間の肉声として海と陸の接点である砂浜に描く
伊藤紺さん・手塚美楽さんらの短歌を流木の枝で琢刻する
宮崎大学短歌会の学生が「令和4年度県民芸術事業」に採択され、仲間をスタッフとして集めて展開した事業の開催日であった。内容は冒頭三行に記した通りで、場所も僕が大好きな青島海岸である。朝からは生憎の雨、数日の体調不良も癒えてきたのだが身体の回復を第一に考え、行けるかどうかを慎重に判断していた。10時を過ぎるとやや雨も小止みになったので、防寒着を十分に着込んで「砂浜の短歌が消える前」に家を出た。現地に着くと陸地と違う海風の強さと寒さを感じざるを得なかったが、防寒着のおかげでそれもクリアー。学生たちには「走って来たみたいな格好ですね」とむしろ元気付けられた。すでに何首もの短歌が青島に向けてかかる「弥生橋」のたもとから海岸線を北へ向かって山側から海側へ向けて一首が書かれている。長い棒のようなものにスマホなどのカメラを装着したり、工夫を凝らしながら学生たちも楽しんでいた。
ゲストにお呼びしていた伊藤紺さん・手塚美楽さんにもお会いできて、「自分の短歌が砂浜に書かれる嬉しさ」を語ってくれた。伊藤さんはブランドや雑誌への寄稿・ファッションビルのリニューアルコピーなど活動の幅を広げる歌人。また手塚さんは、芸術表現専攻の大学院生でもあり文章表現による制作も行なっている歌人である。学生たちに促され流木の手頃な枝を手渡され、僕も手塚さんの短歌一首を砂浜に描いた。文字は「啄刻」するのが、より本質的な表現の方法であろう。デジタル化の中で筆記具で文字を書く機会さえ少なくなった昨今、「地球に文字を刻む」感覚は重要だと思った。道具も流木、僕らの「ことば」はあくまで自然の中にある。となれば、印刷された書籍が「消えない」と信じているのも幻想に過ぎず、僕らの存在そのものが大自然の中では刹那であり無力と言わざるを得ない。本来は安易に「後世に残る」はずもない「歌一首」を僕たちは「今ここ」にいかに刻み付けるのか?そして1300年も歌い継がれたものがあるのか?砂浜に書き付ける行為は、僕に様々なことを考えさせた。
砂に書いても「僕の文字」は「僕の文字」だった
満潮が近づき結句の方から描いた短歌は次第に消えてゆく
自然と言語表現ー牧水、いや古代からの「やまとうた」として考えておきたいこと。
tag :
「宮崎空港今日も快晴」ー俵万智さん「海のあお通信」最終回
2022-11-29
「子のために来て親のため去りゆくを宮崎空港今日も快晴」(俵万智)「宮崎の豊かさ」音楽も演劇も映画も
「宮崎のたくさんの『いいね』を見つけてきた」連載が最終回
宮崎日日新聞第4月曜日の連載「海のあお通信・俵万智」が、77回をもって最終回を迎えた。約6年半もの間、俵さんが「宮崎のいいね」を再発見し綴ってきた豊かなエッセイである。冒頭に記した一首はその最終回に記されたものであるが、俵さんの人生史に明らかに刻まれた宮崎なのだと深く肯ける歌である。歌通り、この日も思わず大学から宮崎空港方面を眺めると爽快な快晴であった。調べてみると宮崎県は「全国都道府県快晴率ランキング(2018年データ)」で1位、年間快晴日数が「67日」あり、東京の「34日」の約2倍、下位に位置する山形県・岩手県の「8日」からすると8倍ほども快晴の日数があることになる。若山牧水が「青の國」と歌に詠んだのは、樹木や草の生い茂る「山」のみならず、「空の青海のあを」も含めての呼称であると読みたい。もちろん東京・大阪・福岡との空路の玄関口となる宮崎空港にも「空の青海のあを」が鮮明で、遠望すれば山並みが美しい。「日向は夏の香にかをるかな」とさらに牧水が詠んだように、そこには芳しい空気が溢れている。
連載は「77回」で終了となった。寂しい思いが拭えないながら、「7(月)6(日)+1=77回」という偶然の回数が俵さんの「持っている」ところである。そんな思いも募り、午前中のうちに「最終回拝読」というメールを俵さんにお送りした。そこには母がいたく最終回に感激したことなども記した。実は俵さんが仙台への移住を公表する前にお伝えいただいた時、「ご両親の(宮崎に移住された)ことを羨ましく思っていました。」とも言っていただいていた。僕の両親が宮崎に移住して既に3年となるが、その間には俵さんもご両親とともに暮らすという葛藤を抱えていたことを知った。などと考えると冒頭に記した歌の二つの「ために」には、並々ならぬ家族愛が込められているのだと読めてくる。息子さんが学んだ「五ヶ瀬中等学校」の学びや環境に対してもたくさんの「いいね」をしてくれた。そして宮崎の多くの美味しいもの、そして最終回に思い出のように綴られていたように宮崎の音楽・演劇・映画にも。よく宮崎の人は、都会に出ないと文化・芸術を見るチャンスが少ないと口にするが、ところがどうして!宮崎ならではのコンパクトで人と人とが繋がりやすい文化・芸術のあり方があることを俵さんにあらためて教えてもらう。連載77回のうちには、何度か僕自身も登場させていただいた。母校からのご縁に加え、宮崎でのご縁を、今後も大切にしてゆきたいと連載を幾度となく再読している。
今後も「わけもん短歌」「俵万智短歌賞」「牧水短歌甲子園」など
継続して「短歌県みやざき」に関わっていただけると云う
「心の花宮崎歌会」の「俵万智五首選」を励みに今日も歌を詠もう!!!
tag :
親を思うこころー俵万智さんとの6年半
2022-10-28
牧水は常に故郷の母を思い慕い沼津に建てた家に母を呼び一緒に住みたかった
高齢化社会によって親と過ごせる時間もさらに伸びて
宮崎日日新聞に「俵万智さん仙台に移住」の記事が大きく掲載された。確か「宮崎に移住」という際は1面であったような記憶もあるが、いずれにしても宮崎にとって重大なニュースだ。俵さんが宮崎にお住いの約7年間、日頃の「心の花宮崎歌会」をはじめ様々な場面で多くの学びと刺激をいただいた。特に2017年10月「和歌文学会宮崎大会」でパネリストをお務めいただいたこと、2021年6月「日本国語教育学会西日本集会(オンライン)」にて「短歌創作学習」について県内小中高の授業実践者との対話に加わっていただいたことは、僕にとっても大きな恩恵をいただく機会であった。宮日新聞の連載「海のあお通信」では、「友人」などという表現で何度か僕のことも書いてくれており、7月には肩書き付き実名で限られた字数の中を明記してくれたことも大きな思い出である。あらためて俵万智さんへの感謝の思いが、記事を読みグッと込み上げてきた。だが寂しいとともに、俵さんが移住の理由が「高齢のご両親のサポート」とあって大いに納得するものであったのも確かである。
前述した2017年10月「和歌文学会宮崎大会」の準備も大詰めとなった頃、「(僕の)父が仕事で脚立から落ちて腰を骨折した」という連絡を母から受けた。確か開催まで2・3週間という時期であったと記憶する。考えること行動すること全てが「学会大会開催」に傾き、まず東京までサポートや見舞いに行く余裕はまったくなかった。母も僕の状態を気遣い常に「特に来なくとも大丈夫」だという連絡をくれていたが、こちらとしては「今後は歩けなくなったら」など不安ばかりが募った。なぜこのタイミングで怪我をするのか?などと父への思いもなかなか寛容にはなれなかった自分を思い出す。この怪我も手伝って、両親は自らが経営していた建築会社を閉じることを決断した。その後、2019年9月には希望して宮崎に両親は移住してきた。その半年後の「コロナ感染拡大」の始まり、実にこれ以上ないタイミングで僕の両親は宮崎に移住してくれて、僕がサポートしながら生活をすることができている。今にして考えれば、父の骨折は「人間万事塞翁が馬」だったのかもしれない。この2年半「コロナ禍」の東京に両親を置いていては、たぶん僕自身が宮崎にて甚だ辛い思いをしたであろう。両親が老後を過ごすにあたり、恩義を深く感じる息子として、なるべく一緒に居る時間を長く取るべきという思いをもって俵さんに共感した次第である。
牧水が叶えられなかった母親との時間
俵万智さんは今後も宮崎での短歌賞や牧水短歌甲子園へ関わりは続く
「親を思うこころ」俵万智さんとともに今後の短歌に詠む大きなテーマがここにある。
tag :
短歌県の新聞「俵万智賞受賞歌」と「若山牧水賞」速報
2022-10-25
第4月曜日連載・俵万智さん「海のあお通信」そして俵万智賞入賞歌は文化文芸欄に
速報として若山牧水賞・奥田亡羊氏に決定!
どのような状態であれば「短歌県」と呼べるのか?僕自身が考え、そして県庁文化振興の担当者の方々と何年にもわたり議論してきている。現代社会は政治・経済・社会、さらに文化においてもメディアの役割は甚だ大きい。明治以降、特に明治30年から40年頃の社会からはメディアによる喧伝によって、文化の質が大きく変容したことは多くの分野で指摘がある。なかでも新聞・出版の興隆は、文芸活動にも多様な変質をもたらせた。公共の場所でものが読めることから、「音読(文化)」から「黙読(文化)」へと変容したことも大きな要素である。明治という時代には明治天皇御製が新聞に掲載され、国民の心理に多大な影響を与えたことも指摘されている。また新聞にある文芸欄は今に至り、民衆の文芸投稿を促してきた大きな役割を果たしている。地方紙を含めて歌壇・俳壇・詩壇が、これほど賑わっている国は稀ではないのだろうか。
この日の宮崎日日新聞文化文芸欄は、左右両面を使用し毎週の「文芸投稿欄」とともに「俵万智賞受賞歌」を掲載した。毎年、この時期に実施される「俵万智賞」、県内在住・在勤者が投稿でき、毎年老若男女1000点以上の投稿がある。その受賞歌が一覧できるのは、「短歌県」の新聞として誠に誇らしい。受賞歌を眺めてゆくと、宮崎大学短歌会の学生さんや卒業生の歌、友人知人の歌もあり楽しい気分にさせてくれる。併せて、俵万智さん「海のあお通信」は「短歌ブーム」と題した内容。「牧水短歌甲子園」の全国版TV中継や若い人たちの「ブーム」について、的確に整理されていた。そして日中に宮崎日日新聞Web版の速報には、「若山牧水賞に奥田亡羊氏」が掲載された。奥田氏は僕も所属する「心の花」の歌人であり、結社会員の受賞に大きな喜びを覚える。今から、来年2月の授賞式への出席が楽しみである。一日中「短歌県」の新聞は大賑わいであった。
新聞=日常生活に短歌があり多くの県民が身近に短歌を読んでは自らが詠む
僕自身の公演「いとしの牧水」の告知も文化・文芸欄に
「短歌県」をさらに地固めするため諸方面で僕のできることに取り組む
tag :
「三十一文字にかけた夏〜熱闘!短歌甲子園〜」宮崎先行放送
2022-10-22
今夏の熱き牧水短歌甲子園のドキュメンタリー11月3日(木・祝)19:45〜20:29 NHK Eテレ
地元の利として宮崎で昨夜は先行放送
今夏で第11回を迎える「牧水短歌甲子園」、その模様をNHKがドキュメンタリーを制作。全国本放送を前に宮崎だけ昨夜、先行放送された。全国に先駆けて観られる優越感とともに随所に知っている人々が映り、地域の誇りと恵みのある番組に感銘を受けた。注意してみれば、番組内で2度ほど客席で拍手する僕自身の映像も僅かに映り、あの熱い闘いを観戦した日々が蘇った。確かに会場では常に取材班のカメラが回り、舞台裏や楽屋の光景から参加した選手たちの熱い志が浮き彫りにされた内容に仕上がっていた。特に短歌という個別に多様な思いを表現する文芸ゆえに、概説的な番組構成では描けない側面があまりにも多い。取材は出場の準備をする段階の高校や家庭にまで及び、助言をする先生とのやりとりとか母親との対話を描いた点で、ドキュメンタリーとしても実に秀逸であったといってよいだろう。そして場面場面の間に織り込まれる俵万智さんのコメントが、「短歌とは心を伝える文芸」「日常を素材にするが日常とは違う言葉」であることを、鮮明にわかりやすい言葉にしてくれていた。
今夏で11回目ということは、僕が宮崎に移住する1年前から始まったことになる。確か第4回大会ぐらいには単独で訪れて観戦し、その後はゼミ生を伴って団体で観戦に出向いた。そんな折しも、審査員の一人である大口玲子さんから、「優勝校と大学生のエキジビジョン対戦」を街中で開催したいという話をいただいた。当時のゼミ4年生・3年生から3人を強引にチームに仕立てて、当該年の夏の優勝校・宮崎商業高校と闘った。結果は大学生の惨敗、だがただでは負けて帰らない。この3名のメンバーを起点に、「宮崎大学短歌会」が結成された。翌春、優勝校に本戦決勝で負け悔しい思いをした宮崎西高校メンバーの一人が、大学に入学してきてくれた。これにより「宮大短歌会」は一気に活性化し、それから6年の月日を数える。奇しくも若い人の間での短歌ブームの時代となり、SNSを介しての短歌の世界には明るい未来が見える。だがどうあっても、SNSだけではダメなのだ。日本でこれほど野球が盛んで高校生からプロを輩出するのは、甲子園大会があるからだ。WBCでの日本の2連覇という勝利のように、短歌が世界の詩歌として羽ばたくために「牧水短歌甲子園」は今後も回を重ねていくのである。
「牧水先生」も天から喜んで観戦しているだろう
若者たちの喜びも怒りも哀しみも楽しみも「短歌」に込めて投げ合う
「ことば」で豊かで平和な世界を目指す「短歌県みやざき」の大きな自慢の大会なのである。
tag :
「短歌県みやざき」を目指すためにー宮崎県文化講座2022
2022-09-11
宮崎県立図書館企画申込不要、当日会場で受付。
これまでの活動、これからの活動
標記の講演当日を迎えた。かなり以前から依頼を受け、次週が牧水祭が開催されることもあり、日程調整の段階でこの10日土曜日に設定いただいた。担当の方との事前連絡の中で、感染状況が改善されず集客に不安があるという趣旨のことも伺っていた。事前申込制ではないので人数が読めず、会場に伺うまで様々な状況が頭をよぎる。親友の落語家さんから、前座・二つ目の修行時代に一番客が少なかったのが「2人」というマクラ噺をよく聞く。「そのうち1人がトイレに行ってしまい、1対1になった時には・・・」と会場の笑いを取る。僕もこの日の講演では、この話題をマクラにふってみた。不安をよそに約20名弱の方々にご来場いただき、知った顔の方々も見えて嬉しく講演を始められた。全体2時間の講演を、大きく3部に分けた。「その1 短歌県の原点ー若山牧水とみやざき」「その2 国文祭・芸文祭の先へー短歌とJ-pop」「その3 学生とともに図書館創発活動」という構成とした。
県立図書館を会場にしたからといっても、宮崎の多くの人が牧水に親しみを持っているわけではない。「その1」は「牧水入門」の意味もある。現に中休みである老人が「短歌も俳句も全く知らないが・・・」といって「短歌は感情の発露になるとことがわかりました」と言いつつ、いくつかの質問をしてくれた。「その2」で「短歌とJ-pop」双方とも「恋」を素材にする場合が多く、「最近の曲はわからないが演歌などにも恋はよく出てきますね」と仰り興味を深めていらしたようだ。こうして1人でも「短歌」の入り口から中を覗いて興味を持ってもらう、これもまた「短歌県」への活動として重要な部分であろう。「その3」では、学生企画「うたごはん」「ニシタチ歌集プロジェクト」の話題も話した。街の飲食店という「日常」に「短歌」がある生活。まさに特別ではなく身近な空間に「短歌」があること、今後もこれを念頭に学生たちの企画が本年度も進行中である。
終了後、親しい方々が挨拶をして帰ってくれる嬉しさ
思わぬ情報も耳にして喜び倍増
豊かな「短歌県みやざき」の土曜の午後であった。
tag :
電報でも自己表現でもないー第12回牧水短歌甲子園準決・決勝
2022-08-22
準決勝第1試合:気仙沼高校×宮崎商業高校 準決勝第2試合:筑波大学附属高校×宮崎西高校
決勝:気仙沼高校×宮崎西高校(優勝:宮崎西高校)
「半年分の短歌の勉強ができた」審査委員長・伊藤一彦先生の言葉が実感として響いた。高校生が生身で短歌へ向き合う言葉、審査員が「歌人」として繊細に批評する言葉、さらにこの場から巣立った卒業生たちの逞しい未来ある言葉、これらが共鳴し合い誠に豊かな時間が牧水の故郷・日向市に巻き起こった。夕方のMRT宮崎放送のニュースには、僕自身も観戦し拍手している姿が映し出された。ここでは決勝後の「講評」の時間に審査委員の方々から語られた内容を覚書としておきたい。フィールドアナウンサーを務めた卒業生らから、「多様性の歌や短歌の型に嵌らない歌」が見られたという指摘があり、「新しい詩」が現れ始めた大会であることが示された。審査員の俵万智さんも各対戦の講評の随所で、自らを「型抜きおばさん」と称し同様の指摘をされていた。笹公人さんは俵さんを「も警察」と呼び、「歌の中にある『も』を取り締まり、動詞は3個まで」という指摘がYouTubeで浸透し、今大会で指摘されることが少なくなったと3年ぶりの変化を語った。
審査委員長の伊藤一彦先生からは、ウクライナ侵攻の歌もあったが意外にもコロナ禍の歌は少なく高校生の中で「日常化」したのではとの指摘もあった。また「歌は体験でも事実でもない」とフィクションの大切さを説き、「本当の気持ちを伝えるための嘘」という助言が印象に残った。さらに大口玲子さんからは、「詩歌は自己表現ではない」という谷川俊太郎さんの言葉を引用し、「世界を見つめその複雑さを表現するものが短歌」とし、「短歌を作り続けることで人生が変わる」との指摘があった。各対戦の講評の随所でも特に「戦争」を素材にした歌のあり方などに対して「映像などで間接的に知った光景」を描くことの、何とも言葉にならない不条理感への批評があった。実感のあるものが「短歌」だと特に近現代短歌は目指してきたが、Webなどによる情報過多な時代にあって、「実感」の質が揺らいでいるとでも言おうか?前述した「フィクション」への志向とどのように折り合いをつけて私たちは表現したらよいのか?短歌史における根本的な問いが発せられ、若い高校生の大会ゆえの未来志向な高度な議論が巻き起こったような印象だった。俵万智さんからの「短歌は論文でも電報でもない」という指摘、「三十一文字」という表現の宇宙についての核心的な議論を、牧水先生は天からどのように聞いていたのであろうか。
「LGBTQ+」への意識
文芸部ではない人たちの参加者の拡がり
「短歌県みやざき」の大変に豊かな2日間であった。
tag :
やはりライブ感ー牧水短歌甲子園3年ぶりの会場開催
2022-08-21
第12回牧水短歌甲子園(宮崎県日向市で開催)YouTube配信もあり
だがしかし発言に会場が呼応するライブ感がいい
この2年間、机上審査や審査員のオンライン座談会を組み合わせた方式で開催されてきた牧水短歌甲子園。今年は3年ぶりに、従来からのライブ形式での開催となった。ただし「YouTube配信」は残されており、どこからでも大会の様子を観ることはできる。 午前中は所用があったが、妻がスマホで大会の様子を受信しその様子が気になり出していた。他に用事のある場合、このように自宅でも大会の様子が知られるのはいい。今回の予選を通過した12チーム、北海道1・宮城1・東京1・山梨1・大阪1・福岡2・熊本1・宮崎4という県ごとの分布である。昨日の札幌の気温が26度と紹介もあり、宮崎県日向市とは10度もちがうと云う。遥か10度の気温差を超えて、実際に高校生が牧水の故郷である日向に来てくれている意味は大きい。
3年ぶりに会場で大会を観戦して思うのは、やはり観客との呼応である。高校生の実直な主張に頷く声とか、また審査員の笹公人さんのユニークな喩えに思わず笑い声が上がるとか、観客が短歌の表現に酔っているような雰囲気が微笑ましい。短歌を俎上に載せた対戦はオンラインでも可能であったが、壇上で「向き合って」意見を交わすという身体的なやり取りの大切さを看て取ることができた。審査員も壇上に御三方が並ぶことで、それぞれの批評の個性がより如実に現れる。リアルな声、呼応する声、我々はやはりオンラインでは受け取れないものを一堂に会することで再び取り戻すことができたような感覚となった。そしてあらためてこの大会は、審査員の3名のコメントが個性的かつ的確であることが確認できた。「一首に動詞は3つまで」俵万智さんがこの大会を通して助言してきたことだが、回を重ねるごとに高校生の作歌にそれが浸透していることも指摘された。まさに学び合いの場、高校生たちのこの上ない「豊かな言語生活」の舞台である。
本日は午前9時より13時まで準決勝・決勝
「若ければわれらは哀し泣きぬれてけふもうたふよ恋ひ恋ふる歌」
(牧水・大会パンフ表紙に掲載)
tag :
俵万智さん連載「海のあお通信」73回「若山牧水賞」
2022-07-27
新聞休刊日で火曜日に掲載一段目に自らの名前を引用いただくありがたさ
宮崎に生きてこそ・・・
宮崎日日新聞に通常は第4月曜日に掲載される俵万智さん連載「海のあお通信」、新聞をポストから出し一面に案内欄があるので何より先に25面を開き読み始めた。10行ほど読むと所属大学名入りで自らの名前が文面に刻まれているのを発見し、朝から誠に嬉しい気分になった。「何が?」と朝食の準備の台所に立つ妻が言うので、そのまま10行ほどを音読して聞かせた。内容は小欄の7月19日付記事で紹介したことでもあるが、伊藤一彦先生が受賞者紹介のスピーチで「これは宮崎大学の中村佳文先生が気づいたことなんですが、7月18日というのは牧水の第一歌集『海の聲』の発行日でもあるんです。」(以上、俵さんの連載から引用)という気づきの紹介である。実を言うと「海のあお通信」には、「友人に勧められ(その友人が僕)」とか「主催する学会(主催したのが僕)」などと間接的に実名はわからないように僕自身が登場したことは何度かあった。だが今回も伊藤一彦先生の紹介スピーチの内容とはいえ、字数に限りがあるコラムに実名で登場させてもらったのは、誠に栄誉なことであるように思う。
奇しくも俵さんの著書『あなたと読む恋の歌百首』(文春文庫2005)テキストにしている前期15回「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」の最終回を迎える日であった。この日にはなるべく多く受講学生からの声を講義で紹介し、その質問などに答えていくという視聴者参加型ラジオ番組の趣向で進行。「恋」を短歌で「体験」できて大変に貴重な機会であったという声をはじめとして、比較対象として紹介した「歌謡曲が胸に刺さった」などという声も多かった。この講義で扱った曲を自らの音楽プレイリストにダウンロードするとか、短歌が身近になり親しみが持てたなどという声も多く誠に嬉しかった。それもまた俵万智さんの著書において学生に受け入れやすい「恋の歌」が選歌されており、その評がわかりやすくかつ深く書かれていることにだいぶ助けられているように思われる。今年で4年目となる講義は、初年度120名、2年目240名、3年目150名、今年は100名と累積すると既に約600名の受講者となる。同文庫はちょうど講義を始めた年の2019年8月に5刷になっているが、僅かながらでも売り上げに貢献できているようだ。最終回の講義課題は題詠「日」の短歌、宮日俵万智短歌賞へ応募することができる当該の題詠である。「短歌県づくり」において俵さんは欠くべからざる大きな存在だが、若い学生たちが一人でも多く「短歌」を愛好してくれることが、全学部対象科目としての大きな目標にもなっている。
早稲田の縁・みやざきの縁
お互いに宮崎の食材を通した交流も
本当に宮崎で短歌に関われる自らのこれ以上ない運命を感じている。
tag :
第26回若山牧水賞授賞式ー黒瀬珂瀾氏「ひかりの針がうたふ」
2022-07-19
2月より延期により牧水『海の聲』出版の日に開催伊藤一彦先生講演「いざ行かむ、いざ詠まむー若山牧水賞と牧水の今」
「かなしみは水のかたちか潮満つる秋のみぎはに吾児を立たせて」(『光の針がうたふ』より)
通例2月開催で延期となりつつも授賞式・祝賀会とできたのは2年ぶり。知事の弁にもあったが、感染対策を十分にとりつつ行うべきことは行うという生活様式を取り戻した。標題の黒瀬氏の歌集が今年の受賞作品である。富山市の寺の住職でもあり、読売歌壇選者でもある黒瀬氏。歌集の歌によく登場する奥様と娘さんを伴い、僧籍であることを思わせる衣装で授賞式に臨まれた。歌集には福岡県在住の歌も多く、九州にゆかりのある歌集でもある。選考委員の講評では佐佐木幸綱先生から「若い頃はシャープな歌が多かった」ことが紹介され、受賞歌集にはそれが影を潜めたことにやや選考で躊躇もしたというエピソードも披瀝された。だが高野公彦氏・栗木京子氏の講評も併せ、「変わることこそが変わらないこと」だということの大切さを実感することができた。眼の前にあることに真摯に向き合い、その実感をそのままに手触り感あることばに託して行く。歌壇で一定の評価を得た歌集への講評には、毎度のことだが学びが多い。さらに今回は伊藤一彦先生が、これまでの牧水賞講演についても25回を振り返る内容を披露した。大岡信・岡野弘彦・馬場あき子・佐佐木幸綱らの錚錚たる顔ぶれの講演内容からは、牧水評価への再発見がたくさん詰まっていることが確認できた。
祝賀会では伊藤一彦先生のご指名もあって、お祝いの言葉を壇上で述べることになった。急なご指名であったが、『ひかりの針がうたふ』を読んだ際に冒頭に記した一首が気になり暗唱していたので、紹介しつつのスピーチをした。牧水の歌にもよく詠まれる「かなしみ」を、当該歌は「水のかたちか」と詠んでいる。これまた牧水がその名とした「水」に「かたち」を見出そうとするあたりに通底した感性を見出すこともできる。「潮満つる秋のみぎは」もまた、牧水が憧れの対象とした「海」を捉えており、黒瀬さんの歌にも多く「海ー命」のつながりを読むことができる。その「みぎは」という海との接点に、身近な命の存在である「吾児を立たせて」と言いさしの結句。既に宮崎日日新聞に連載された黒瀬さんの「牧水の現代性」でも引用し指摘された、「旅人のからだはいつか海となり五月の雨が降るよ港に」に読める現代性と自然への敬虔な態度にも通じるわけである。他に学生らとともに「短歌県づくり」に取り組んでいることにも触れてスピーチを結び、受賞祝賀会にいささかでも花を添えることができた。
毎年の「短歌県みやざき」恒例行事
選考委員の先生方と角川短歌編集長も交えて充実した時間
短歌に向き合う者として誠に贅沢な時を共有できた。
tag :