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牧水の母校・日向市立坪谷小学校ー地域教育体験活動試行版

2023-03-10
早朝登校時の牧水先生短歌朗詠
朝の活動である牧水カルタ
学生たちが体験した素材を短歌一首に込めて

地方貢献を旨とする教員養成系学部として、所在県の教育に関する課題に向き合うのは重要な任務である。既に現実のものとなる少子高齢化の時代にあって、山間部など小規模校の学校づくりは喫緊の課題である。その課題を多様な面で支援しともに解決していくことが、地域貢献として求められている。同時に所在県の教員の一定数を養成する役割を担うことになる。こうした観点から入学してきた学生たちには、教員志望に意欲的になるような体験をしてもらい、同時に前述したような課題解決に向き合える機会を設ける必要が急務であるわけだ。今回は次々年度へ向けての試行版であるが、「地域教育体験活動」として若山牧水の母校である日向市立坪谷小学校を学生14名引率教員2名で訪問した。

重要な体験内容は、早朝7時過ぎから登校時に玄関口で行われる「牧水先生短歌朗詠」である。これを見学するためには、宮崎市内からだと午前5時前に出るしかなく、団体での移動は不可能なので現地に前泊するという予定とした。初日8日は、まず牧水生家の見学から。牧水が生まれ育って約12年間を過ごした生家を学生たちは興味津々に見学していた。産まれた場所とされる縁側、当時は診療室であった1階、また牧水の父が危篤となり帰郷した際に牧水が籠もったとされる納戸。此処で成長したのみならず、長男として医師を継がないことで地域と親族とに苦悩した牧水の思いにも心を寄せる時間となった。その後は若山牧水記念文学館にて見学、あらためて牧水の生涯や作品にリアルに触れて、学生たちの牧水への思いは高まった。記念文学館ロビーで「短歌短冊」を発見、やはり1人1首は歌を詠もうということになり生家と記念文学館での体験を素材に投稿。夜は牧水公園コテージにて歌会懇親会を開き、まさに短歌三昧な時間となった。

早朝6時起床、6時半コテージ出発、徒歩で坪谷小学校へと向かう。山間に朝霧がかかり、木々の枝には鳥たちが歌う、約20分ほどで小学校の校門へ。7時を回ると児童たちが次第に登校してくる。正門のあたりで玄関口を遠目に見た児童らはどうも今日は様子が違うと察しつつ、校長先生が丁寧に個々に説明しつつ玄関口までやってくる。「明け方の月は冴えつつ霧島の山の谷間に霧たちわたる」坪谷調の朗詠節は同じでありながら、児童ら個々に特徴があるのがよい。その後、8時を回ると「牧水カルタ」をする朝の活動が始まる。2学年1学級の複式に児童らは特に「けふもまた・・・」の歌になると猛然と取り札に向かい、『百人一首』同様に人気札があるのに気づく。そのまま1時限目の授業に入り、音楽・算数・国語の授業をそれぞれの学年で見学させていただいた。短時間であったが山間部にあり「牧水先生」(坪谷小の児童はこう呼ぶ)という偉大な先輩を慕い、短歌を基軸にした小規模ながら豊かな学校づくりの様子が、将来の教員である学生たちの心に響いた。また小学校でも参加した学生全てが短歌1首を作り、校長先生にお渡ししたところ、即座にホームページに挙げていただいた。読者諸氏もよろしければ閲覧いただきたい。

今後もオンラインを活用した交流を
学校周辺では誰彼問わず挨拶をする素敵な人が住むところ
宮崎県の課題でありつつ魅力が満載の坪谷小学校なのである。


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やるだけやる実行力の先にー若山牧水に学ぶ

2023-03-08
考えたら実行すること
ときに動きながら考えること
牧水の実行力を慕いつつ動く

何かを「実行」しようとするとき、背筋から尻のあたりにむず痒さのようなものが走りワクワク感に支配されることがある。これは幼少の頃からそうで、「(考えたことを)やってみたい」という僕の衝動のサインなのである。人間は「考える」ことが存在理由の根元にあるが、肝心なのは「実行できる」か否かである。僕は幼稚園から小学校3年生ぐらいまでは引っ込み思案で、例えば観光地のハワイアンショーなどで舞台に招かれても照れ臭くて「実行できない」口だった。だが実は、前述のような衝動が宿っていたのを記憶している。中高の部活動は無謀と思えるほど、やるだけやった。そのお陰で受験勉強も「やるだけやれて」志望校に合格できた。大学では「やりたいことを動きながら考える」ように、次から次へと「・・長」たるものを引き受けた。卒業して教員になってからも「まず実行」の人だった。もちろん、若さゆえの「失敗」もなかった訳ではない。

若山牧水は、大学在学時から歌集出版を実行すべく激しい恋愛と並行しつつ準備を進めた。大学卒業とほぼ同時に第一歌集『海の聲』を出版する。だが出版準備を進める段階で出版社の取締役が雲隠れし頓挫しそうになるのを乗り越えて、何とか出版に漕ぎ着ける。だが歌集の宣伝は儘ならず、発行部数も限られ当時はほとんど世に知られることのない歌集であった。だが後にこの第一歌集が読み返されると、牧水の代表歌ともされる名歌がたくさん収録されていることに気づく。爆発的にベストセラーとなった第三歌集『別離』にも『海の聲』からの再録歌が多いこともあるが、やはり強引にでもこの第一歌集出版を「実行」していたことが後の国民的歌人への足掛かりでもあった。「わが歌を世に問いたい」という衝動も自然に任せて抑制しない、牧水のそんな実行力が窺える。恋愛の面でも『海の聲』出版の年の暮れには、恋人・園田小枝子を迎えるための家を用意している。まさに山から渓流を水が流れるように、牧水の実行力に学びたい。そんな思いを秘めて、今日から1泊で牧水の生まれ故郷・日向市東郷町坪谷に学生たちを導くツアーを実行する。

「実行」すれば必ず何かが見えてくる
「実行力」を讃えていただいた言葉に報いたい
やるだけやる意気地のない人生なんてふざけるな!


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水源を訪ねる欲求ーSDGs歌人・若山牧水

2023-03-07
銚子の壮大な河口から海に注ぐ利根川
その水源はどこか?と求め求めて訪ねる旅へ
旅とは命とは人とは?自然の一部として古代のような懐の深さ

もはや丸3年にも及び人類が悩んだ新型コロナ感染拡大、ようやく以前の日常が回復しつつある。「若山牧水顕彰全国大会みなかみ大会」に参加して、2日目の早朝寝起きに温泉へ向かった。前日の心地よい地酒の香りが残りつつ、浴衣にタオル1枚を片手にホテル館内を大浴場まで歩く。出で湯に浸かり身も心も牧水そのものの気分になり、いざ部屋へ戻ろうとすると「マスクをして来ていない」ことに気がついた。幸い往復のエレベータでは誰とも会わず、特に怪訝に思われることもなかった。爽快な気分を求めるとき、人間は自然な呼吸をしている口鼻を塞いではならないのだろう。今回の「みなかみ大会」で深く考えさせられたのは、「源を辿る」ということだ。牧水『みなかみ紀行』を読むと、明らかに「利根川水源」に辿り着きたいという欲求が読み取れる。「水源」に発した川は次第に幾筋かが合流をくり返し大河となり、やがて大海に注ぐ。眼の前の水を汚せば大海を汚す元となり、大海を汚せば蒸発して雲になり雨となり我々人間の上に汚れが降り注ぐ。

「水源」らしき場所に辿り着いた牧水は、顔に水を浸し頭から被り腹一杯に呑んだとされるが、「水」そのものに自らの身体を同化させている。現代人である我々は、自然の中で偶有な水に向き合ったら、「果たして飲んで大丈夫か?」と疑うことを第一に考えるであろう。その「疑念」は、この100年ほどの人類が作り出した「自然への軽視」から生じる自業自得な傲慢そのものなのではないか。「みなかみ」という牧水が好んだ言葉と場所、「月夜野」「新治」「水上」が合併して行政上の「みなかみ町」になったわけだが、牧水の歌集名や紀行にちなんでひらがな表記にしているのは、こうした「水源」への畏敬の念を含めた「思想」であるようにも思う。胸に手を当てて考えてみよう、自分自身の「みなかみ(水源)」は何処なのだろうか?と。すると自ずと故郷を辿り親を大切にし、自他の命を大切にする思考に至る。この時代、世間では盛んにSDGsが喧伝されるが、既に100年以上前に若山牧水は人類的な視野でそれに気づいていたのだ。

「あくがれ」はすなわちSDGsに他ならず
上越新幹線で東京に戻り自らの水源を訪ねて墓参と散策
自らの存在そのものが自然の一部であることをさらに深く認識したい。


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若山牧水全国顕彰みなかみ大会ー『みなかみ紀行』100年

2023-03-06
大正11年・牧水38歳
長野・群馬・今精峠を超えて中禅寺湖まで
人と出会い歌でつながる旅を『みなかみ紀行』に綴り

「みなかみ町」は、僕にとって特別な処である。まだ小学生の頃、新潟の親戚へ父が運転する自家用車で行くことがよくあった。当時はまだ関越自動車道がなく、国道17号線を埼玉・群馬と抜け難所である三国峠を越えていく約7時間ほどの旅だったと記憶する。深夜2時ぐらいに東京を発つと、夏休みなのでちょうど明け方が群馬県「月夜野町」、そこから峠道に入り「猿ヶ京」「赤谷湖」という地名表示が不思議なほど心に刻み込まれた。「月夜野」という地名の美しさ、猿が出る京(みやこ)?とか、緑色に美しい湖面なのに「赤谷湖」などと当時から言葉に特段の興味があったと言える。国道17号線を左に大きくカーブするあたりに、赤い三角屋根のロッジがあったのを記憶するが、今回の宿泊先はそのロッジを見下ろす猿ヶ京ホテルであった。

顕彰大会初日は公募短歌の表彰の後、伊藤一彦さん・小島ゆかりさん・小島なおさん・田中吉廣さんのシンポジウム「みなかみ紀行100年ー牧水の旅と人と自然」であった。小島ゆかりさんは「大きな自然のスケールで人間は小さいことを自覚するすがすがしさ」が牧水の歌に読めることを指摘。小島なおさんは、「おおらかさと明るさ、秘めていることも歌に詠ってしまう」牧水の自然さを指摘。田村さんは「子どもが大好きで優しい視点がそこに注がれる歌」について好きな歌として挙げられた。伊藤一彦さんは「単なる旅好きではなく、人間にとって旅とは何かを考え続けた」のだと指摘、同じように命とはどういうものか?を理屈ではなく「しらべ」で伝えてくれるのが牧水の歌だと小島ゆかりさん。「孤独だが孤独でない、心が親和する歌人」とは小島なおさん。以上がシンポジウムで僕自身が気になった発言の覚書である。

新型コロナ感染拡大の当初から丸3年。今もなお十分な対策を取りつつ、懇談会が開催された。牧水が歩いた全国の各所から顕彰会の方々などと、あらためてつながることのできる機会であった。牧水は「ただの酒呑み」ではなかった、各所で短歌を学ぶ人たちに乞われ短歌について語り、酒を呑むことで人間的な肌の付き合いを深めた。ゆえに顕彰大会では、同じような意識で多くの人々とつながる場となるのが何より大切だと考える。今回は実行委員会の方々の並々ならぬ企画と準備と心遣いによって、「牧水先生の志」が叶えられたような気がする。牧水は「太陽」のような存在であるとともに、自然そのもののような懐の深さのある存在でもあり、今もこうして住む土地を越えて人と人とを結びつける。

2日目(3月6日)は、赤谷湖畔に新たに建てられた牧水歌碑の除幕式。
「高き橋此処にかかれりせまりあふ岩山の峡のせまりどころに」
今はダム補修工事のため水位が少ない赤谷湖は、むしろ牧水が訪れたダムのない時代の想像を容易にした。その後は、牧水が当時逗留した部屋がそのまま残る金田屋旅館へ。果たして牧水は、此処でどんな会話を楽しみ酒を呑んだのだろう。かくして楽しい1泊2日が過ぎ去り、上毛高原駅で実行委員会の方々に深く御礼を述べて、一路東京への新幹線に乗り込んだ。

没後95年の今年、さらに諸々の機会を持ちたい
そして生誕140年、さらに没後100年
牧水は、図らずも混迷の世紀になってしまった「いま」をどう生きるかを教えてくれる。


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第27回若山牧水賞授賞式・祝賀会ー奥田亡羊氏『花』

2023-02-22
幅広いお仕事とご経験
読者の想像力をどう導き出すか
短歌の進化・攻めの歌集 等々・・・

定例の時期に恒例の会場で、3年ぶりに牧水賞授賞式が挙行された。この3年間は延期や少人数での実施、または時期をズラし別会場での挙行などが続いていた。だがやはり宮崎の季節の風物詩とも言えるこの行事は、この時期に開催されるのが望ましい。今年はさらにWBC熱で観光客も多く宿泊事情もままならない中ではあったが、県外からも多くの方々がこの式典に集まった。受賞者の奥田亡羊さんは、結社を同じくし心の花の同人である。また母校・学部も同じくし以前から親しみ深い受賞者であった。既に10月の決定に際してSNS上でお祝いを述べ、今月10日の歌壇賞授賞式では東京で席をともにした。しかし、この授賞式の場でリアルにお祝いを申し上げるといのが、何にも代え難いものだと「3年ぶり」の感慨を深くする機会であった。

冒頭に記したのは選考委員の先生方の講評の要点である。伊藤先生からは「幅広い仕事とご経験」の作者であることが紹介された。またこれまで多くの受賞者が牧水にあやかって酒呑みであるが、佐佐木幸綱先生は「昨夜は亡羊さんが酒を飲んで驚いた」と語った。さらには、アイディアのある方で短歌二行書きの工夫によって様々な読み手が違って読んでも構わない想像力を導き出す歌であると指摘した。また高野公彦先生は、語彙はやさしいがわかりにくい歌が多いと語り、上句下句の関係性をどう結びつけるか?に短歌の進化があるとも述べた。また栗木京子さんは、テーマ・文体、表記の面で攻めの歌集であると述べ、感情はリアルだが行動があって歌に輪郭があり現場があり包容力があるとも指摘した。これらの講評を受けて亡羊さんご自身は、作品を読んでくれたことへの感謝を述べ、「自分でもわからない」部分があるとも言う。「作品に自己表現はなく、そこに問いがある」という芸術作品の作者の思想も紹介し、「見る人がそこに参加する」ものだとも語った。

授賞式後の祝賀会では、伊藤一彦先生のご指名で僕もスピーチの機会を得た。宮崎日日新聞「牧水の明るさ」に名前入りで研究内容を紹介いただいたことに感謝を述べ、「牧水の朗誦性」に注視したことを受け、亡羊さんご自身の歌にはどんな「声」が描かれているかを語った。

かけていく子どもの声は遠く近く
風にちぎれて耳に咲く花

かと思えば、エロスを感じさせドキリとさせられる身体性に寄り添う次のような歌がある。

ほのぼのと真白きほとを洗いやる父と娘の一日
のおわり

二行書きは「虚構性」、一行書きは「私性」といった「あとがき」の記述が、さらに読者の謎を深めさせる仕掛けになっている。さらには「「花」という言葉とともに多い「石」という言葉。

にんげんの心は退化してゆけよ
石割れば石あたらしくなる

僕のような研究者の「石頭」を割れば「あたらしくなる」ことを教えられるようであった。
概ねこんなことをスピーチとした。

さらに宴席は重ねられ
最後は伊藤一彦先生と久永草太さんらと
ニシタチの夜まで亡羊さんとの語らいは続いた。


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#若山牧水賞・奥田亡羊さん執筆連載「牧水の明るさ」

2023-02-09
「食事を取りながら『おいしい』と口にすると、本当においしく感じることがある。
 散歩で夕焼けを見たとき『きれいだなあ』と言ってみる。すると、
 夕焼けが美しく見えてくるから不思議だ。声には何か特別な力があるらしい。」
(宮崎日日新聞受賞者三連載・奥田亡羊さん「牧水の明るさ・中」より)

非常勤先で試験を実施するため、朝は慌ただしく家を出た。週1日しか赴かないゆえ、試験用紙の印刷も当日の朝になる。印刷室が混まないうちにと思いつつ、早目の「出勤」を心がけた。こんな事情で、朝方にじっくり新聞に目を通すことができないでいた。試験を終えてスマホを確認すると、母からLINEが届いていた。どうやら宮崎日日新聞の何らかの記事に、僕の名前が出ているらしい。それを知らせる文面の結びに餃子に比肩するという意味だろう、「短歌日本一を待っております!」と激励も添えられている。昼休みになって早々に持参していた新聞を開き、可能性のある記事を探した。やはり!それは冒頭に記した奥田亡羊さんの連載だった。「朗詠を通し世界が変化」と題された文面には、「録音が残っていないので牧水の朗詠がどのようなものだったのか、今となっては分からない。だが宮崎大の中村佳文教授が、それを聞いた人たちの証言を収集されている。」とあった。

非常勤先の駐車場の自家用車内にて、早速、奥田さんに感謝のメッセージをお送りした。午後になって奥田さんから早速返信があり、僕が書いた論文・評論などの「研究を宮崎日日新聞の連載に引用させていただきました。」とあった。この5年ほど「牧水短歌の朗誦性」について、『牧水研究』に毎号ごとに書いて積み重ねてきた研究を奥田さんが読み、引用してくれたのは大変にありがたいことであった。実は現在、機も熟したのでこれらの論考をまとめて牧水没後95年となる今夏には出版できるように作業をしている。その先取りとして、奥田さんが牧水の朗詠に注目していただいたのは大きい。短歌の要素として「音楽性や明朗さ」というのが、一般の方々が思う以上に大きなものであることが明らかに示されている。これはやはり奥田さんご自身の作歌態度が「二行書き」などを試みているように、「音楽性」に注視したものであることの証しだろう。奥田さんの文は、次のように結ばれている。

「朗詠を通して(中村注・牧水の)これらの歌が読者の心に浸み、
 同時代を生きる若者たちの理想や青春像を形づくっていった。
 歌がうたわれる前と後で、世界が変わったはずである。」



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この手紙赤き切手をはるにさへー郵便事情と牧水のときめき

2023-01-24
「この手紙赤き切手をはるにさへこころときめく哀しきゆふべ」
(若山牧水『別離』より)
手紙・葉書を出すことの幸福

スマホ全盛の時代にあって、手紙や葉書を出すことはさらに貴重な思いが増すようになった。即座に相手にメッセージが届くわけでもなく時間差があり、いつ届いたかもわからない。SNSであれば「既読」かどうか?と相手が受け止めたどうかがいつでもわかるのと比べ、使用率が下がるのも無理はないのかもしれない。だがその時間差とか届いたかどうかを想像することが、むしろ豊かな心にさせてくれることも少なくない。今年は年賀状の販売数も大幅に落ち込んだと聞いたが、この物理的な1枚が届く感覚は他に代え難き思いを持つ。さらには郵便の配達事情が、著しく悪化している。週末の配達はなし、ゆえに土日を挟んで宮崎から東京などは下手をすると5日ぐらいは要するのではないか?前述したSNSへの皮肉なのか、民営化したにも関わらず郵政会社の怠慢なのか、使用する判断に困惑することも少なくない。荷物などは民間宅配業者が希望配達時間に忠実なのに比べ指定外での配達も目立つなど、その基礎体力の差も目立つようになった。

さて、冒頭に記したのは牧水の第三歌集『別離』にある歌。自らの「手紙」に「赤き切手」を貼るという行為に「こころときめく」としている。たぶん最愛の恋人への「手紙」ということなのだろう。しかし「ときめく」と言いながら、結句では「哀しきゆふべ」と反転するような思いに着地している。恋人への募る想いとともに、「この手紙」をどのように受け止めてくれるか?という行き場のない恋心が「哀しき」につながるのであろう。それにしても現代にして切手のデザインも豊富であるが、明治時代にあっても「赤い切手」を選ぼうとする牧水の洒落た思いも読み取れる。前述した郵便事情が影響し、毎月の短歌結社への歌原稿の郵送も投函日を早くせよと促されるようになった。この日にSNSを見ていると、「新幹線」のデザイン切手を貼れば「早く着く」との洒落に満ちた投稿もあった。結社への短歌を送る方法が、手書き歌稿に郵送というのも深い思いが重ねられてワクワク感に満ちている。届いたかどうか?は3ヶ月先の結社誌に自らの短歌が掲載されるのを確認するまでわからない。自らの短歌が「読まれる」のにこれほどの時間を要し、「ときめく」時間があるのも粋なものだと思っている。

SNSメッセージの手軽さ
手紙文を物理的に手にする重厚さ
「ときめき」を失わずに他者との交流を楽しみたいものだ。


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「いとしの牧水」ー短歌・書簡朗読&トーク公演

2022-11-14
「樹は妙に草うるはしき青の国日向は夏の香にかをるかな」
「或時はひとのものいふ声かとも月の夜ふけの葉ずれ聞え来」
「啼く声のやがてはわれの声かともおもはるる声に筒鳥の啼く」(若山牧水の歌より)

若山牧水との縁は並々ならぬものがあると、あらためて青の国の空を見上げて思う。今回の朗読公演をするにあたり、牧水が延岡中学校からの親友・平賀春郊への生涯264通に及ぶ手紙を読んだ。すると東京の窪町(文京区)に住んでいた牧水が、近所に自らの仕事場を借りていたことが記されている書簡があった。そこは「小石川東京病院の隣」だとあった。なんとその場所は、僕が宮崎に赴任する前に東京で住んでいた場所であった。なんとなく惹かれてその場所を選んでいたが、まさか其処に牧水が住んでいたとは思わなかった。本邦初公開、この日の公演トークでこの奇縁を初めて紹介した。きっと牧水先生は、妻・喜志子との縁を結ぶきっかけとなった敬慕する歌人・太田水穂の邸宅跡近所の産院で生まれた僕を、次第に牧水の仕事場に住まわせ論文を書かせ公募に応募させ宮崎に導いたのかもしれない。研究室の机の正面に掛けてある肖像写真を見上げると、時折鏡のように自らの顔との類似を覚えることもある。若山牧水そして牧水研究第一人者である伊藤一彦との出逢いは、僕にとって必然の出来事であったのだとあらためて噛みしめる一日となった。

「牧水〜!」思わずその純朴さと人情味の厚さに叫び出したい気分にさえなる。「いとしの牧水」今回の公演タイトルは「いとしのエリー」(サザンオールスターズ)にも擬えるようで、聞いている方々にも牧水をさらに「いとしく」思う機会になればと朗読&トークの準備をしてきた。第一部は伊藤一彦先生の牧水の紹介トークと短歌朗読、冒頭に記したのは朗読された短歌の一部である。「ふるさと」である日向を「青の国」と詠み、「葉ずれ」や「筒鳥の声」に自らが同化するような自然との関係性。他にもちろん「牧水と恋」を含み3つのテーマで牧水をよく知らない方々でも楽しめる構成であった。冒頭から「牧水のテーマ」(ピアノ独奏)や朗読の背景には、素晴らしい音楽が流れる。ピアノ和田恵さん・チェロ土田浩さん・フルートと企画プロッデュースに外山友紀子さん、今回はこの素晴らしい生演奏とともに朗読ができるという贅沢な機会を頂戴した。僕の出番は第二部から、「牧水と友情」と題し大学の同級生でともに九州出身の北原白秋・同年齢で雑誌投稿などを通じて新しい短歌をともに目指した石川啄木、さらには旧制延岡中学校時代からの生涯の友・平賀春郊(鈴木財蔵)らについて紹介した。そしていよいよ牧水の書簡朗読、今回は取り組んでみてあらためて牧水の記した文章は身体的な呼吸感に根ざしていることを実感できた。また文字情報がなくとも、明治大正の文章でありながら耳で聞いてよくわかる。漢語より大和言葉を重視した文体の特徴を自ら朗読することで伝えることができたように思う。そして会場となった「サルマンジャー」というホールの音の響きの素晴らしさ、自ら朗読をしていて、これほどに爽快な場所はそう多くはない。誠にありがたき出逢いを重ね、この舞台に立たせていただいている自分の存在に酔った午後であった。

結びには伊藤一彦先生の叙勲のお祝い
やはりライブでこそ伝わるものがある
好評につき再演となりますよう、足を運んでいただいた全ての方々に感謝。


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若山牧水先生没後94年にあたり

2022-09-17
昭和3年(1928)9月17日
今年こそは「牧水祭」が開催予定であったが
台風への配慮で各自で偲ぶことに

昭和3年9月17日の朝方6時30分、主治医の診断を受け葡萄糖注射と100ccほどの酒、卵黄に玄米重湯を口にした牧水。7時20分になり冷や汗が出て心拍が上がり呼吸は浅く昏睡状態に陥った。強心剤の注射も反応がなく、家族・親族・友人・門下の関係諸氏に見守られつつ、末期の水に代わる酒に口を湿させつつ静かに安らかに何ら苦痛もなく午前7時58分に永眠したと云う。この日が来る前の約1ヶ月間は主治医と妻・喜志子は相談し、食事とともに「大好きな酒」は少々ずつ飲ませていたと云う。以上は、主治医である稲玉信吾医師が「病況概要」として記していたものによって知ることができる。94年目の命日に当たる今日、まさに牧水が旅立った時間に重ねて僕は小欄を書いている。43歳という現在にすればあまりにも早逝であるが、生涯に8000首の歌を遺しこの世の自然と親和性のある境地を歌によって切り開いた。牧水はきっと「死」も恐ろしいとは感じていなかったであろう。

新型コロナ感染拡大でこの2年間は、牧水生家のある日向市東郷町坪谷での「牧水祭」は大々的に行われず、若山牧水記念文学館や顕彰会の方々などの内輪で歌碑への献酒が行われてきた。前述したいまわの際にあっても好きな酒を嗜んでいた牧水に、今日もまた「酒」を献じようという深い愛と意志が感じられる。今年こそは3年前までのように「牧水祭」が開催される予定であったが、台風の接近によって諸方面から来訪する方々の安全性も考慮され中止となった。最近、あらためて第一歌集『海の聲』を読み直して感じたことだが、自然の摂理には抵抗することなく流れに乗れ、というのが牧水先生の教えである。今回の台風もこの連休にかけて九州を縦断しそうだが、その大雨によって厳しい状況となるかもしれない。だがしかし、それは自然の摂理とそれに逆らってきた人間が招く所業なのではないか。「牧水」の「牧」は周知のように「母・マキ」の名前から、そして「水」は故郷の「坪谷川」のことだといわれている。さらに言えば、「水」は「海」に注ぎ海面から蒸発し雲となり雨となり台風ともなる。大雨は大地に浸み込み、草木は潤い地中には新しい命が生まれる。今にしてようやく「SDGs」などと盛んに喧伝されているが、明治・大正期から牧水先生は、自然との向き合い方に警鐘を鳴らしていたのだ。

大型で強い勢力の台風
それは我々人類が肥大化させてしまったのかもしれない
今日は自宅でゆったりと安全を確保しながら牧水先生を偲びたい。


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無為自然体ー牧水の「水」にまなぶ

2022-08-18
作為ありありで肩肘張ったガチガチ
「水」はどんな形にも変化しつつ剛強の力を持つ
蒸発しても再び空から降りくるー地球の根源としての「水」

若山牧水についてあらためて第一歌集『海の聲』から考えているが、やはり「牧水(本名:繁)」の意味は大きい。「牧=マキ(母の名)」は自分の生命が生まれ出づる存在、そして「水=(故郷生家の前を流れる)坪谷川」は、海に流れ行きやがて蒸発して雲となり雨となって大地を潤す生命の根源である。牧水の「自然へのあくがれ」は、中国諸子百家の「老子」に通ずるものがあると思うようになって来た。「無為自然」=「作為がなく、宇宙のあり方に従って自然のままであること」と云う老子の考えは、「知」や「欲」を働かせず「自然に生きる」ことをよしとするものである。明治18年から昭和3年までを生きた牧水は、近代化の波の中でむしろ「知」や「欲」にまみれた時代の到来に対して、まさに「無為自然」を短歌によって多くのメッセージを遺したとも言えるだろう。その表現のためには、何より自らが「自然体」でなくてはならない。「川」の流れは、優しくも怖ろしい。「水」のあり方を作為ではなく身体化して、言語表現としてゆく。それが牧水の短歌ではないかと、ふと思ったりする。

明治以降「近現代154年」、この国の人はむしろ「知と欲」ばかりで生きるようになった。教育では「知識」ばかりを詰め込み、活用の方法を悟ることなく序列化され、偏差値が高いことだけに貪欲になる。自ずと「水」のように柔らかく芯の強い存在とは真逆で、硬く揺さぶりに弱い存在となる。「知と欲」ばかりになると一面でしか物事を見られず、自身の殻の中に閉じ籠り「裸の王様」と化してしまう。このことは研究者である僕などには、甚だ自省をすべきことかもしれない。短歌を作っても「研究者の殻」がガチガチに作用し、「知と欲」まみれの表現を吐露ばかりしてはいないか?「先生」と呼ばれる人が注意しなければならないのは、「上から教え込めばわかる」という傲慢な姿勢ではないか。どんなに「上手く話した」と自惚れても、聞き手である学ぶ側のうちに「意味生成」が成されなければ「伝わった」「学びが成立した」とは言えない。短歌もまた同じ、メッセージ性があり読み手の個々の中に多様な「意味生成」が生じる短歌がよしとされるはずだ。いわば「水」のような「柔弱に見えて剛強」な矛盾を孕んだ葛藤ある表現こそが他者に届くということだろう。せせらぎの水、うみの水、あめの水、地下ふかく染み込んだ水、無為自然にして生命の根源としての力が欲しい。

硬直した身体にこそ痛みが出る
知識ばかりをネットで検索し「わかった」と思い込む怖さ
「水」のごとく素朴でやわらかくしなやかではりのある存在でありたい。


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