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第28回若山牧水賞授賞式&祝賀会

2024-02-02
受賞者:永田紅さん
受賞作品:『いま二センチ』(2923年3月1日発行・砂子屋書房)
科学者として、母として、人として、そして家族

今年の若山牧水賞は、永田紅さん『いま二センチ』に贈られた。永田さんといえば、父・永田和宏さん・母・河野裕子さんの娘さんであり、和宏さんは第3回受賞者、裕子さんは第6回受賞者である。両親と娘が受賞するという初のケースであり、ご家族で歌人として素晴らしい作品を世に出したことはもとより、若山牧水賞が第28回という歴史を刻んでいることを実感できる時であった。大変に残念なことに母・裕子さんは2010年に64歳でこの世を去り、もしご存命ならどんなにか紅さんの受賞を喜んだかという声が、授賞式・祝賀会の席の随所で聞かれた。もちろん父・和宏さんと兄の淳さん、さらには紅さんの娘さんが来席していたのが家族の姿を浮かび上がらせた。娘さんを妊娠した際の歌が「いま二センチ」であるが、その成長する姿とともに喜びが分かち合えることに誰もが素晴らしさを覚えた。

授賞式では恒例の選考委員の選評が話されたが、個人的には栗木京子さんの評に大変に共感した。シンプルな歌が多く、言葉も内容も歌に詰め込みすぎない、それでいて深みと的確なものを見る客観性がある。科学者としての才が発揮されつつも、決して理に走らない実感を伴った表現豊かな歌であるということだ。昨今は難しい言葉を詰め込んだり呟きのような歌が目立つ中で、紅さんの短歌は際立っているということ。歌集全体に余白や余裕があり、読んでいて素直に受け止められる歌が多いのである。さらには社会に向けた厳しい眼差しも失わない、まさに短歌を詠む上で見本としたい歌集であるといえるだろう。席上では、和宏さん・淳さんをはじめトークイベントに加わった大松逹知さんらとお話をすることができた。短歌県宮崎にとって大変に大切な1日であった。

「聞くよりも先に字幕を見ることに慣れゆくわれら肉声を忘れ」
「聞き逃せばそれだけのこと夕暮れに多くの字幕は要らないだろう」
個人的な興味から印象深かった2首である。


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中国大陸へ行きたかった牧水の夢

2024-01-13
晩年の朝鮮半島への揮毫旅行
さらに中国大陸への野望があった若山牧水
さあ!それを僕たちの手で叶えよう

昨年12月24日に刊行した『牧水研究』最新27号では、「没後95年特集」として「牧水の書」に関する評論が何編か掲載されているのが特徴となった。その中に昨夏に開催された「若山牧水ー近代日本の杜甫・李白」プロジェクト報告がある。僕も行きたいところだったが、過密日程で断念したシンポジウムの内容が乃上あつこ氏により丁寧に文字起こしされている。篆刻家の師村妙石氏が「四十三歳で亡くなった牧水は中国へ旅するという夢は果たせなかったが、今回の展覧会で牧水の歌が中国各地を巡る夢が叶うことになると信じている」とお礼の挨拶で述べている。その師村氏が中国の懇意にする大学と宮崎大学間での国際交流をしようという構想の相談のために来学された。さらに夜には伊藤一彦先生も交え、書家である宮崎大学の山元氏とともに一席をともにすることができた。

『牧水研究』最新27号の執筆者の中には財前謙氏のお名前も見え、氏とは僕が早稲田大学教育学部非常勤講師をしていた頃、講師室で盛んに書の話を交わした旧知の仲である。書といえば僕自身は現在ではあまり筆を握ることはないが、早稲田大学書道会に4年間属しており確か5年ほど前には記念書展にOBとして自詠短歌を色紙にしたためて出品した。大学入学時に「教師になるなら黒板の字が上手い方がよい」程度の安易な思いで入会したのだが、その意義が今また「牧水(短歌)と書」という観点で再燃しようとしている。さらには今回の大学間交流では、中国で書や詩歌を専門とする先生や学生さんと文化交流を進める計画だ。大学・大学院を通して和漢比較文学を中心に論文を書いてきた僕としては、あらためて日中交流に身を置き中国へ赴く機会が現実のものとなるかもしれない。その思いの根底には、師村氏が語ったように「牧水の叶えられなかった夢を!」という大きな意義がある。もちろん現代の中国に朗誦性の高い牧水の歌を広く知っていただく貴重な機会となる。

短歌を「東アジアの詩歌」として考える
漢詩朗誦が伝統的な中国と韻律について深め合う
もちろんまた近々に自詠短歌を書作品にしたいと思っている。


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牧水研究会総会そしてクリスマスイブ

2023-12-25
『牧水研究』第27号刊行
新たなテーマの評論も多く掲載
総会から帰宅して家族が集うクリスマスイブ

『牧水研究』第27号が昨日付で刊行された。本号には「英文四行詩」や「書を介した日中交流事業」など、新たな牧水短歌への顕彰のあり方を示唆する評論が掲載されている。この日に開催された研究会総会では、2年後の2025年が「牧水生誕140年」さらに5年後の2028年が「牧水没後100年」になるという節目について言及があった。今後の5年間で牧水研究・顕彰は、さらに大きく発展に向かって歩み出したといってよいだろう。前述した新規な視点の評論に加え、伊藤一彦先生の「若山牧水語録」、そして僕は「牧水の歩いた東京【その1】」を同号に掲載し、新たな連載的な評論や評伝が始まったとも言える。僕自身は特に東京出身である土地勘を活かし、生まれ育った土地に近い地域で、牧水がどんな生活をして歌を紡ぎ出していたのかを明らかにしていきたいと思っている。

充実した牧水研究会総会・研究会が17時に終わり、今宵はクリスマスイブであった。帰路に予約しておいた寿司店に立ち寄り四人前を受け取る。この日は朝10時前からケーキ店にも出向き、クリスマスケーキを購入した。というのも前々日にそのお店に寄ると、既に予約を締め切っており当日店頭に並ぶものからの購入だと聞かされた。午前中ならまず売り切れることはあるまいと、9時開店の店に10時に出かけた次第である。誰かの誕生日とともにケーキを必須条件とするクリスマス、物価高の影響もあってお値段もやや高くなった印象である。帰宅して義母と母を迎えて家族のクリスマスイブが始まった。2年前刊行の自著に「日本のクリスマス受容史」を書き連ねた上で、やはりイブは集まれる親族が集って過ごすのが何より大切だと思う。今年の様々を振り返り、そして残るは1週間、家族がこうして平和で仲良くいられること。何よりのクリスマスイブの祈りに通じるのである。

今年の牧水没後95年をあらためて噛み締めてこの先の研究へ
家族がいてこそあたたかいクリスマスイブが
「今年の出来事がすべて好きになる」


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伊藤一彦先生講演「短歌と人生」

2023-10-09
「このことに出会えてよかったのものは?」
「定型・非定型の得体の知れないところ東京、故郷は定型」
「故郷に帰ってこそ牧水に出会い直す」

日向市東郷町坪谷の若山牧水記念文学館では、先月より「伊藤一彦展」が開催されている。これまでの伊藤先生の歌作を中心に交わりのある人々からの肉筆の歌や原稿が展示され、まさに「伊藤一彦の読む交友録」のような趣である。先月の牧水祭の折にも全展示を読んだが、あらためてこの日は目を引く文字を追った。その後、記念講演「短歌と人生」を隣接する「故郷の家」で拝聴した。それはまさに「故郷宮崎論」でもあり、また「短歌による豊かな人生論」でもあった。お話の多くが展示の色彩と同様に「人との出逢い」で形作られていた。もちろん「人」には「ある人の書いた文章・作品」も含まれる。若山牧水はもちろん、大学時代からの親友である福島泰樹さん、そして「五句三十一音」のシンプルだが組み合わせ次第で底知れぬ「奇数の魅力」を発揮する短歌への出逢いと愛情が豊かな語り口で展開した。

「日本人は日本語によって誰もが文学者であることを強いている」という三浦雅士氏の言説を引きながら、「他力の文芸」「日常語だと愚痴になるが歌だとならない」「歌は日常生活のコピーではつまらない、未知なる自分に出逢うものだ」という短歌論が知らぬうちに聴衆を引き込んでいた。作歌の上で大切にしたいことは次の三点。1)上田三四二は「短歌一生」と言ったように、やめないで作り続ける 作ることで新しい自分を発見する。 2)推敲が楽しみな人は発展する 苦しみではなく楽しみにすること。 3)他者から批評を受ける 自分の歌は見えない。またとても印象に残ったのが「家族とはいずれ別れる、だから歌ができる。有限の人間だから歌が生まれる」という弁である。そして「自然あっての人間、災害などで自然は恐ろしいが、どんな恩恵を受けているか」を考えることが肝心だと云う。まさに牧水と伊藤先生の人生観・自然観・短歌観は、深いところで溶け合っていることをあらためて感じる講演内容であった。

その後は宮崎市内へ戻り「心の花宮崎歌会」
懇親会まで仲間と歌を語る時間がありがたい
さらに卒業生と夜が更け行くまで語り合う時間、これも伊藤先生のおかげです。


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ジャケ買いしたくなるような

2023-10-03
音楽はすっかり配信になったが
各曲のジャケットにも注目し続けたい
書籍ならさながら表紙のデザインが読者に響くということ

もはや音楽を個人で聴く場合、配信ダウンロードが一般的になった。数年前まではまだCDを物理的に持っていることがファンの証だと思い本棚に並べていたが、最近のサザンの新曲3曲も「3ヶ月連続配信」という発表の手法が採られている。家の中にCD棚がある訳ではなく、主にスマホの中に大量の音楽を整理して所有することができるようになった。それでもなお大切にしたいのは、配信をダウンロードすると表示される所謂「ジャケット」のデザインである。サザンの場合、その写真はMV(ミュージックビデオ)の一幕である場合が多く、曲のイメージを豊かに伝えてくれる写真や絵が採用されている。かつてレコード店で音楽を買う時代、一枚一枚のシングルやアルバムを見てゆき音楽は知らないが「ジャケットが格好いい」と買ってしまうことを「ジャケ買い」と呼んでいた。曲のイメージから入りどのように音楽を楽しむか?それはそれで大変なワクワク感があった。

僕の新刊著書が発刊になり、半月以上が経過した。市内の書店に出向くと、まずは地元出版社の専門コーナーに表紙がお客さんに見えるように置かれていた。光栄にも隣は、伊藤一彦先生の著書である。この度、出版をお願いした宮崎の地元出版社の熱意が感じられ、誠にありがたい限りである。さらに「短歌」のコーナーに行ってみると、やはり表紙を向けてある名だたる方々の書籍と同じように配架されていた。我ながら思うに内容をイメージとして表現してくれた表紙が、誠に有効にお客さんに訴えているように思われた。表紙に使用した写真は、僕が牧水生家の前で撮影した坪谷川のせせらぎ、また青島で撮影した朝陽の写真である。坪谷川はまさに「牧水」という名の「水」そのもの、青島は第一歌集『海の聲』の歌をイメージした写真である。その川のせせらぎを牧水が耳を寄せて聴いているように出版社がデザインを施してくれた。またその牧水の写真の表情が絶妙に良い、まさに今にも「聲」を出しそうな表情をしているのである。著者みずから変な物言いだが、これなら「ジャケ買い」もありだなと書店を歩いて思ったりした。

お送りした方々から次第に反響も
後期授業ではテキストにも採用
『牧水の聲』Web書店でもまずは表紙をご覧ください。


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さびしくてあくがれていく

2023-09-21
「夏山の風のさびしさ百合の花さがしてのぼるまへにうしろに」
(若山牧水『白梅集』より)
よくなかったことからよかったことへ

若山牧水没後95年にあたり、今月9日特別公開講座と17日牧水祭において、延岡の菓子店「虎彦」の社長さんとさらなる親交を深めた。社長とはもとより母校を同じくし、没後90年の牧水祭では壇上で母校出身者一同が「都の西北」を牧水の遺影とともに大合唱するのを仕掛けたのも社長であった。早稲田大学校歌の制定は創立25周年の明治40年であるからちょうど牧水の在学時であり、あらためて牧水が大学の先輩であることを噛み締めて歌った。社長さんは今月の2度の機会に銘菓「若山牧水」を提供いただく大判振る舞いで、母校出身者の豪快な面を覗かせて嬉しくなった。また特別公開講座の折は「牧水歌ごよみ」もご提供いただき、有志の方々に配布することができた。

この「歌ごよみ」は、大正15年生まれの「虎彦」初代店主が、脳梗塞で右半身が不自由となりながら左手で牧水の歌を色紙に書いて希望者に進呈、その一部が日数ごとに31首書かれている逸品である。ちょうど昨日は、冒頭に記した歌が書かれていた。夏山で風に吹かれるとふと孤独なさびしさを覚える、だが自分の周囲を見回し友だちのような百合の花をさがして前へ後ろへと歩を進めるという、やはり牧水の「あくがれ」の歌である。人は生きていれば、否応無しに「よくないこと・嫌なこと」に出会う。だがその「さびしさ」を吐き出して、「よかったこと・嬉しいこと」に向かって「あくがれる(在処離れる)」ことが必要だ。奇しくもWebで、1日の終わりに「よくなかっやこと・よかったこと・明日の目標」を箇条書きにすると、精神が落ち着くという記事を読んだ。牧水の歌には、そんな人を励ます力があることを再認識した。

日々「歌ごよみ」を声に出して読む
牧水も多くの苦しみを乗り越えるために歌を詠った
人は言葉にすることで新たな希望を見出すものである。


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馬鹿でごめんよー『杜の詩』と若山牧水

2023-09-19
「降ればかくれ曇ればひそみ晴れて照るかの太陽をこころとはせよ」
(若山牧水・全集未収録歌)
「大馬鹿になるための方法」そして今

沼津市のHPを検索すると「ぬまづの宝100選」の中に「千本松原」が数えられている。そこには「日本の白砂青松100選の一つ」ともあり、この松原が、現在へ継承されて来た深い意味が実感される。晩年、沼津に居を構えた若山牧水は、静岡県がこの松原の伐採計画を進めようとしているのを知り反対運動の先頭に立つ。それまであまり社会的な運動に関心を示して来なかった牧水だが、富士を望む大自然の一部である松原の伐採をどうしても許せなかったのであろう。牧水はじめとする反対運動がなかったら、現在の「ぬまづの宝」は大きな一つを失っていたことになる。その地は古来から、多くの詩歌に詠まれたまさに名勝である。長い年月に引き継がれて来た自然を愛する優しい心を、牧水が僕らに「Relay」してくれたわけである。

サザンオールスターズの新曲「Relay〜杜の詩」がリリースされた。国立競技場にほど近い神宮の杜を望むスタジオでデビュー以来、音楽を紡いで来た桑田佳祐さんのメッセージソングである。周知のように神宮の杜は都の再開発計画が進み、多くの樹木が伐採され伝統ある球場や競技場が新たなものに建て替えられようとしている。歌詞では「自分が居ない世の中 思い遣れるような人間(ひと)であれと」訴えている。これを考えた時に、まさに牧水は「自分が居ない」永遠の自然を「思い遣れる」人間であったことになる。歌詞の中でまた目を引くのが標題にした「馬鹿でごめんよ」の一節である。詩歌や音楽に夢中になって生きるということは、ある意味で「馬鹿」ということなのかもしれない。冒頭に記したのは、全歌集に未収録の新発見の牧水の歌。何某に「大馬鹿になる方法」をと乞われて作歌し条幅に揮毫した一首として、宮崎県立図書館に保管されている。「太陽をこころとはせよ」利欲なく自然そのものを敬愛する「馬鹿でごめんなさい」。

神宮外苑には幾多の思い出が僕にもある
それを過去のものとは決してされたくはない
都会のオアシスは100年後の東京の宝のはずだが・・・


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牧水没後95年牧水祭開催ー牧水愛が繋がる空間

2023-09-18
感染拡大で4年ぶりの開催
人と繋がることを大切にした牧水
記念文学館館長・伊藤一彦先生の人の繋がりも企画展にて

第73回牧水祭が4年ぶりに、従来のプログラム構成で開催された。【第1部 歌碑祭】では牧水生家前にある夫婦歌碑にて牧水短歌の朗詠が行われた後、主催者・親族・来賓の方々をはじめ一般の方から夫婦二首の歌が刻まれた歌碑に酒が献じられた。牧水のみならず妻の喜志子に向けても、多くの方々が心を寄せるのが誠にありがたき歌碑祭である。10時20分より場所を若山牧水記念文学館前の「牧水公園ふるさとの家」に移し、「偲ぶ会」が開会。牧水母校の坪谷小学校全校児童による短歌朗詠と歌の斉唱、市長らのご挨拶の後は講演「『牧水と伊藤一彦』〜牧水との出会い、そして今〜」が始まる。冒頭は「牧水の死生観」から、人は自然に生まれ自然に還る、歌は神の前に跪くように、安らぎと穏やかな気持ちになるという牧水の生き方が語られた。そして、伊藤先生ご自身の問題意識として「牧水は故郷を愛しながらなぜ宮崎に帰らなかったか?自らは大学を卒業し帰ってきた身として大きなテーマであった」と明かされた。

講演では18首の歌が引用され、「あくがれの歌人」「目線の低さ」「恋の歌」「身体性」「旅先で名もなき庶民と繋がること」「(稀だが)社会・政治問題」など牧水の魅力を伊藤先生自身が再発見してきた内容であった。僕自身が大変に感銘を受けたのは、妻・喜志子の歌「行きいかば事にも遭はむしかれども今日の嘆きにますことはあらじ」である。牧水を一流歌人にすることに自らの生涯を捧げ、自身も歌人でありながら陰の存在に徹した喜志子である。その姿勢はどこか牧水の無名の人との出逢いを大切にして尽くし、自らも一庶民として社会的評判など「名前」で生きない姿勢に通ずる。没後10年に延岡「城山の鐘」の歌碑除幕式に臨んだ喜志子の歌「千万人来つつ見るとも遂に見ぬ一人のありてたのしまぬ身や」があらためて心に響く。没後の夫の名声よりも「ただあなたにだけ逢いたい」という切なる牧水への愛が伝わってくる。講演後は「懇談会」、弁当を食した後にアトラクションなど。この場では牧水・喜志子の曽孫さんと席を隣とし、僕の新刊で語りたかったことや今後の研究の方向性など、実に有意義な時間を過ごすことができた。

その後は「伊藤一彦展」へ
展示というより「伊藤一彦をよむ」何度も訪れたい内容である
VIVANT最終回を控えつつ堺雅人さんの直筆原稿の文字のまろみに心を打たれた。


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若山牧水没後95年ーその苦悩と仕事場

2023-09-17
詩歌雑誌の発行住所として
妻子がいる家から10分以内の下宿屋など
借金などの苦悩を抱えつつ自らの仕事場として

若山牧水没後95年、まさにその朝を迎えた。主治医の書き遺した診断書によれば、朝6時半頃に葡萄糖注射・日本酒100cc・卵黄入重湯などを朝食として摂るが、7時20分頃になり冷汗をかき脈拍が異常をきたし、家族・門人に見守られながら末期の酒に唇を浸らせつつ静かに眠るように息を引き取ったと云う。自らを自然の一部と考えていた牧水は、死を怖れることなくまさに自然に還ってから本日で95年の時を経た。それにしても生涯、一貫した短歌への情熱は並々ならぬものがあった。明治時代とはいえ「歌人」で身を立てるのは、そう簡単なものではない。父の危篤の報せがあった際も帰郷の旅費の金がなく、歌集原稿を出版社に強引に持ち込み金の工面をしているなど苦悩は尽きなかった。だが牧水は支えてくれる親友・知人を、心から大切にした。生涯の友・平賀春郊はもとより、先輩歌人の太田水穂、瀬戸内の島に住む三浦敏夫など、物心両面で牧水を支援した人々は少なくない。

歌人をはじめ物書きにとって、仕事場というのは実に重要だ。牧水は喜志子と結婚した数ヶ月後、父の危篤の知らせで坪谷に帰郷し後継ぎ問題で約1年間は東京に帰れずであった。その間に妻・喜志子は実家の信州で長男・旅人を産んだ。そして大正2年6月、やっとの思いで牧水は再び上京。小石川区(現文京区)大塚窪町に家を借りて信州から妻子を呼んだ。しかし、心労と発熱などで半年ほど牧水は体調が優れず、借金取りから逃れるとか赤児の長男の夜泣きなどから自宅近くの下宿屋に籠り仕事場としていた。かつて僕も現職教員として大学院に通う頃、実家の旧来の部屋が書庫としても有効なので、自らの住まいから通って論文を書き続けたことがある。個別の籠れる空間があるのは、物書きにとって誠にありがたい環境だ。現在、僕は大学研究室まで徒歩10分、昨日も市立図書館での教養講座を午前中に終え、午後からは研究室で原稿に集中した。原稿を進めるのは苦労と思う時がないわけではないが、基本的には物書きの幸せな時間である。自らの置かれる環境を思いつつ、牧水の当時の苦悩と幸福に思いを馳せている。

人は生活とか金のために生きるのではなく
自らに与えられた天命たる仕事を進めるために生きるのだ
95年の時を経て、いとしの牧水と自らを繋ぐ線を探し続けている。


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恋のちからー牧水を育てたもの

2023-09-16
「大人になると麻疹は重症化する」
喜びより苦しみ多き恋の果てに
牧水が歌人として表現を磨くためのバネ

俵万智著『牧水の恋』が2018年(平成30)に出版され、牧水の若き日の恋の微細な心の動きまでが評伝文学という文体で明らかにされた。そのまとまりを見るまでも、伊藤一彦先生によって歌表現を精巧に読み解くことで様々なことが明らかにされて来た。牧水の生き様を知るに牧水と共に生きた弟子・大悟法利雄の著作の数々は貴重だが、若き恋の顛末についてはある時期までほとんど不問に付されていた。それはやはり妻・喜志子が存命であれば、また恋人であった小枝子も比較的長生きであったこともあり、各個人に配慮して解き明かすのがためらわれていたわけだ。確かに現在でも「牧水の恋」を語る時、ここまで個人的な恋を没後95年に至り話されるのかという思いを抱かざるを得ない。だが偉大な歌人・若山牧水の短歌を語るには、この恋を語らずして全貌は見えないゆえ僕たちは恋の深淵を探究することを止めないでいる。

伊藤一彦先生がよく語るのは「大人になってからの麻疹のような恋」ということ。旧制延岡中学校でもほぼ男子のみの環境で育ち、東京の大学へ行っても詩歌の学びばかり考えていた。そこへ衝撃的な小枝子との出逢い、まさに高熱を出してもおかしくない境遇であっただろう。中学・高等学校が一貫男子校であった僕自身は、牧水の気持ちがわからないでもない。一転して大学は文学部という女子比率が高い学部に進学したが、今思うにその恋愛は甚だ不器用であった。入学して間もない頃からある人にだけ夢中になり、これも今思えば広く様々な女性に視野を広げていればよかったと悔やむこともある。しかし、なかなか意中の人に振り向いてもらえず「なぜ自分の好意は伝わらないのか?」と苦悩したがために、様々な面に眼を見開く大きな力になった。たぶん、社交性も洞察力も他者との関係性も、ましてや服装のセンスなどまでが当時の苦悩によって磨かれたのだと思う。相手の心が掴めず、また己の心が相手に伝わらないという恋の苦悩を若い頃に知るか知らないかで、生きるための社会性にまで大きな影響を及ぼすと思うのである。

不器用な恋から学ぶちから
一途な純朴さと愚直さの先に
恋の底知れぬ思いを「訴える」ために「うた」があるのだ。


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