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学長表彰への思いー学生・久永草太さん歌壇賞

2023-03-01
顧問として身を挺する日々
会にとって大きな存在との出逢い
産科医である学長の短歌への思いも聞かれ

先月の授賞式以来、小欄でも話題にしている久永草太さん。2月尽日のこの日は、宮崎大学学長より表彰を受けた。学生個人や団体において、スポーツなら全国大会上位3位以内の成績などが受賞対象になっていたと規定を記憶する。何はともあれ、学長が歌壇賞受賞の栄誉を認めてくれたことが嬉しい。学長室に行くと他にもボランティア系団体や選挙啓発活動の団体と、1個人2団体が受賞対象であった。和やかな雰囲気の中、学長から久永さんへ表彰状と記念品が手渡される。学長ご自身も新聞掲載などで久永さんの短歌をお読みになったらしく「私は産科医だからわかります。胎児の体温は高いんですね!」と、たぶん「糞尿も牛の身体も湯気たてる朝の直腸検査あたたか」が印象に残っていたのだろう。受賞作は宮崎大学農学部獣医学科での学びの体験がリアルにユーモアも保ちつつ、動物たちの命に寄り添っている。大学が掲げる地域貢献という意味でも、畜産王国の宮崎で学ぶ学生の心として大変に価値が高い。

久永さんは受賞の言葉として「理系の学部に所属しながら、歩いて3分で(文系の)教育学部に行って短歌の話ができる環境がありがたかった。」と大学を讃えた。思い返せば6年前、宮崎大学短歌会は産声を上げた直後で、僕の学部所属講座演習室という決して広くない部屋で歌会を5・6人で行なっていた。図書館と違い飲食可能なので、久永さんがよくお菓子を持参してくれることも多かった。会誌の編集作業とか大学祭の準備など多くの活動をこの演習室で行い、次第にロッカー上のカラーボックスに他大学短歌会の会誌が並べられて行った。(講座の他の先生方には身勝手であったが)僕自身も創作を始めて年数が浅かったせいもあり、こうした歌会には必ず自らも歌を出詠し都合をつけて出席した。この日々の積み重ねを大きく支えてくれたのが、久永さんであった。自らの力が足りない時は、身を挺して活動に自ら加わるしかない。初任校で高校教員であった際も野球経験はあったものの「ソフトボール顧問」として、「ストライクが入らない打撃投手(野球にはないウインドミル投法を習得するのに暫く時間を要した)」を買って出て投げ続けた記憶がある。その結果、5年後には地区大会優勝を朝の朝礼で表彰されるに至った。短歌とスポーツと分野は違うものの、僕が「顧問」を務める際には必ず「傍観しない」という信念があることに、あらためてき気づかせてもらう機会でもあった。

学生が大きく羽ばたくように
顧問として情熱を注ぎ続けることの大切さ
大学関係の方々や多方面の方から僕までもお褒めの言葉をいただき恐縮している。


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宮崎大学短歌会令和4年度追い出し歌会ー題詠「草」

2023-02-24
歌壇賞受賞者の久永草太さんが6年目の卒会
大学院修了そして学部卒の計3名がこのほど
社会人の卒会生も集まり合計14首の詠草にて

2月も下旬を迎え、球春をはじめ春の足音が次第に大きく響く時節になった。卒業のことなどまだ先のことかと思いきや、宮崎大学短歌会の追い出し歌会が開催された。今年は農学部獣医学科で6年間在学し、歌壇賞を在会中に受賞した久永草太さんが卒業・卒会を迎える。『歌壇』の「受賞のことば」においても「宮大短歌会では好き勝手やらせてもらい」と本人は記したが、短歌会にとってはヨチヨチ歩きの赤児を立派に高校を卒業させてもらった、ほど育ててくれた功績があるといってよいだろう。月2回の歌会開催・会誌の制作発行・大学祭企画・日向市マスターズ短歌甲子園出場・角川大学短歌バトル出場・国文祭・芸文祭みやざき2020企画等々があり、その折々の取り組みは顧問としての僕自身を育ててくれたように思う。獣医学科における6年間在籍が短歌会にも活きて、在籍時の歌壇賞受賞に至った。会員個々が久永さんの存在を大きく受け止めているのだろう、今回の題詠は名前の「草太」から「草」となった。

出詠14首、参加14名、宮崎市中心部の中央公民館和室での開催となった。「草」の活かし方としては、「雑草」「若草(2)」「草々」「草笛」「草むら」「草ぐさ」「煙草」「草を結ぶ」「草姿」「七草粥」「緑草」「草原」「草」であった。趣向を凝らした最高点歌は、卒会者の名前の一文字を全て隠題に詠み込んでいた。また「草を結ぶ」という古代の呪術的な発想が詠み込まれた歌は、言葉の中に文化が宿っていることを感じさせた。「雑草」を「児童の頭髪」の比喩も映像的に秀逸であり、「前略、草々」の手紙文より「顔を見て伝える」ことを主張した歌も温かみがあった。社会的事情からすると「煙草」は詠まれないと予想していたが、貴重な人との貴重な機会での一服という場面で健在であった。「ツツジ」が「草笛」に適するか否か?という議論もあり、「七草粥」の歌には他者への思いやりが溢れていた。解題をすると多くの歌が「久永リスペクト」なものが多く、追い出し歌会の題詠として誠に盛り上がる歌会であった。時間もたっぷり3時間、外の雨を忘れるほど詠草に酔い痴れる時間であった。

ようやく普通にできるようになった追い出し歌会
そして次の世代の1年生会員たちが今後を逞しく受け止める
卒会生の個々の思いを存分に受け止める会であった。


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辱(はじ)を雪(すす)ぎ続けて功を成すー歌壇賞受賞のことばから

2023-01-21
敗けを見返そうと奮起する思い
強く思い続ければ必ず新しい朝が来る
学生とともに歩んで来た6年間に感謝

既に小欄でもくり返し記してきたが、顧問を務める宮崎大学短歌会所属の久永草太さんが、歌人の登竜門ともいえる「歌壇賞」を受賞した。その秀作が掲載された『歌壇2月号』が手元に届いた。版元書店さんのお心遣いで代金の振込票に「おめでとうございます!」という付箋が貼られており、なぜ僕が顧問だとわかったのかと不思議に思っていた。「受賞作30首」に続け「受賞のことば」を読むと、その疑問が一気に解けた。受賞者の久永さんが「今日まで僕に筆を置かせなかった多くのみなさま」として、中学校から大学まで短歌に関係した「先生」の名を挙げて感謝の意を書き記していたのだ。これを読むと、思わず熱いものが心の底から込み上げ感涙してしまった。僕は本日が誕生日だが、何よりのプレゼントをいただいた気分になった。同時に人生において「続ける」ことの尊さを深く感じ入った。

彼が入学してきた頃、宮大短歌会は創成期で決して彼にとって有益と言えるものではなかったかもしれない。しかし、僕のゼミ生たちのやる気と彼がいう「好き勝手やらしてもらい」という「創り出す」気持ちが、むしろ彼を育む結果にもなったのだろう。もちろん顧問としてどれほどの「指導」ができたのかと思うが、自らも必ず詠草を出してどんなに忙しくとも歌会に出席する姿勢を貫いて来た。むしろ彼の詠歌や歌評に学ぶことも多く、次第に自らの歌表現も充実して来たように思う。その彼の「続ける」原点は、高校3年生の「牧水短歌甲子園決勝で敗れたこと」だと記されている。まさにゼミ生たちを伴いその舞台を初めて観戦に行った際のことで、まだ縁もなかった久永さんの悔しさの充満した表情を僕は今でも忘れない。「雪辱をバネに続けることで功を成す」それは振り返れば、僕自身の生き方でもある。私立中学校受験に敗れたが、熱烈志望大学に合格したこと。「教授になりたい」と言って笑われたが、現職教員を続けながら博士号を取得し国立大学に就職できたこと。その延長に、親しい学生の成長した栄誉が待っていたこと。彼の受賞は、顧問としての僕にもさらに大きな力を与えてくれた。これからも、まだまだ「続ける」人生を存分に生きてゆきたいと決意するのだ。

「挑戦」するとは「今を続ける」こと
学生から多くを学ぶという教師冥利
くり返そう「辱を雪ぎ続けて功を成す」のである。


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題詠「初」ー宮崎大学短歌会2023新年歌会

2023-01-14
新年「初歌会」
場所を変え楽しみながら語りが弾む
歌壇賞受賞・久永くんがいる歌会として

宮崎大学短歌会2023年初歌会を開催した。新年ということもあり通常の開催場所の附属図書館から場所を移し、「初めての新しい」環境での歌会は実に新鮮であった。僕らが学生の頃は必ずサークル仲間が集うお店があり、多くの者が常連客として店とも親しい関係を結んでいた。そうはいうものの宮崎大学はキャンパス周辺にお店が多いわけでもなく、なかなか常連化するお店も見つけづらい。だが昨年12月に、個室環境があり歌会の議論をするのに最適なお店が新装オープンした。同店は僕が以前から店長と懇意にしており、「短歌会」であることに目をかけてくれている。未だ感染状況は侮れないが、附属図書館に次ぐ短歌会の馴染みの場所にしていく好機だと思う。さて、歌会は出詠12首・参加者11名と積極的な参加が嬉しい。題詠「初」にどんな学生の思いが載せられるか、議論が楽しみな歌会となった。

素材は「初めて」「初雪」「初夢」「初日」「初回」「最初」「初期化」「初日の出」「初」(重複省略)などの歌が並んだ。「初」は「人生に1度しかない機会」という意味合いを考えさせられる歌があった一方で、「初期化」という動作は「二度目」を作り出すものだという発見があった。また自らの思考や嗜好の傾向は無自覚に作られているようだが、実は胎教などの影響を受けているのではという歌があった。「ノクターン」という用語とともに人間の「意識無意識」の狭間を垣間見る歌として個人的には惹かれるものがあった。考えてみれば「初日の出」にしても、人間が作り出した暦の上で「初」なのであって、太陽の立場では日々の巡行をくり返しているに過ぎない。そうした意味で人間は些細な「初」に大きな意義を見出して、人生の出逢いを重ねていることになる。自由な発言が多様に出てくる歌会となり、環境を変えることの効用が大きいことを顧問として初めて知る機会であった。

やはりリアル歌会の学びは大きい
新人たちも鋭く活発な意見を投げる雰囲気
本年歌壇賞受賞歌人のいる日本で唯一の大学短歌会歌会である。


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テーマ詠「サンタ」ー宮崎大学短歌会12月歌会

2022-12-20
「サンタっているんでしょうか?」
幼き日の幻と愛と現実と
いつしか「煙突」などは描かれなくなったのか?

宮崎大学短歌会12月例会、今月は諸々と忙しい者も多いということで歌会は1回のみの開催。テーマ詠は「サンタ」であった。敢えて「クリスマス」ではなく「サンタ」に焦点化されることで、現代の学生たちの「サンタ観」が表現され興味深い歌が並んだ。出詠10首、参加8名、卒会生が遠方から出詠やコメントも寄せてくれたのもありがたかった。素材の多くは幼少の頃から「サンタクロースをいかに信じていたか?」に取材したものが多く、歌会の席上でも「何歳まで信じていたか?」という問いが投げ掛けられたりもした。また「お父さん」がサンタに扮したり、中にはファーストフードの看板となる創業者の像がサンタに扮することを洒落を込めて詠む歌もあった。また「サンタ」を描くことで「クリスマスイブ」の光景が浮かぶ歌も多く、少なくとも77年間は「平和」であるこの国の「クリスマス」のあり方が表現された気もする。

「サンタをいつまで信じていたか?」という問いから、現代の世代間が浮き彫りになった面もある。Web環境が幼少の頃から使用できる現在、あらゆる情報がWeb上にあることで早期に「現実」を知ってしまう可能性も否めない。僕は敢えて昨年のイブに刊行した著書にも書いた「詩と愛とロマンス」こそが「サンタ」への思いとして大切なのではという発言もした。僕の世代であると明らかに「サンタ」は、絵本や紙芝居から感じ取る「愛とロマンス」であった。幼稚園の際に「マッチ売りの少女」をはじめ、紙芝居から得られた「愛の物語」があったからこそ温かく生きて来られたようにも思う。一方で著書でテーマとした「日本にとってクリスマスとは何か?」という命題も大きく背負って近現代154年間が過ぎた。出詠歌の中には「商業主義」を批評的に捉えたものもあり、このテーマ詠の本質をあらためて考えさせられた。学生たちは今週末、どんな「サンタ」に出逢うのだろう?「詩と愛とロマンス」を念頭に、短歌人らしい過ごし方を祈る。

まさに「世界の子どもたちに」
平和にサンタが訪れますように
世界を「詩と愛とロマンス」で包み込むことを諦めない。


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久永草太さん歌壇賞を祝すー宮崎大学短歌会から栄誉の受賞

2022-11-16
宮崎大学農学部獣医学科6年生・久永草太さん
歌人としての登龍門・歌壇賞を受賞!
「短歌県みやざき」の大きな力として

「歌壇賞に久永さん(宮大獣医学科6年)短歌県期待の新星ー『盛り上がり支える』」を見出しとして、11月15日(火)付け宮崎日日新聞社会面(24面)に写真入り記事が掲載された。ご本人からは前日の発表を受けて既に連絡をもらい喜びを分かち合っていたところだったが、記事の大きさと讃え方の素晴らしい筆致にさすが「短歌県の新聞」だと喜びも倍増した。ご本人とのやりとりでとても嬉しかったのは、「みやたん(宮崎大学短歌会)に所属があるうちに受賞できてよかったです」と言ってくれたことだ。思い返せば2017年の4月、まだ黎明期で僕のゼミ生たちと細々と活動していた「みやたん」に、前年の「牧水短歌甲子園」準優勝のメンバーである久永さんが入学直後に門を叩いてくれた。ちょうどゼミ生たちとは、久永さんが闘った「牧水短歌甲子園」準決勝・決勝は観戦に赴き、準優勝ゆえの彼の口惜しそうな表情が僕の瞳には焼き付いて離れなかった。入会後に彼の存在はゼミ生たちの短歌熱をさらに増幅させ、次第に会誌の作成や大学祭での企画へと発展し「みやたん」の活動が大きく活性化した。彼のみならず高校時代の文芸部同級生が「みやたん」に入会するという効果も相まって、一気に活動期を迎えることになる。

短歌は広く多くの人々と交流することで磨かれるものだが、久永さんの行動力による「みやたん」の展開は凄まじい勢いがあった。「牧水短歌甲子園」のメンバーとの交友を活かして「九州大学短歌会」との合同歌会なども開催し、「宮大九大連合チーム」で「全国大学短歌バトル」へ初出場も果たした。(その後、単独「宮大チーム」で1度出場)また大学短歌会合同合宿で交友を広げ、他大学短歌会との会誌の交流も活性化した。僕も個人的に日常の歌会で久永さんの歌や評に学ぶ点も多く、毎回必ず顧問も歌会に詠草を出すというスタイルを貫くことができたことも大きい。特に思い出に残るのは「牧水短歌甲子園」の大人版「マスターズ短歌甲子園」(日向市主催)に出場した際のことだ。朝方になって3人1組のうち久永さん以外のメンバーが急な発熱などで出場できなくなった。僕は顧問として会場へ観戦に向かっている最中にこの連絡を受けた。彼は「独りでも闘う」という意志を表したが、それはあまりにも非情なことと考えに考え抜いた。そして「代役」ができるのは、会員の歌を知っている僕しかいないと車中で決意し選手として出場するつもりで会場に乗り込んだ。その後、急ぎ足で控え室で久永さんと作戦会議を行い、自チームの歌の売り込みや相手チームの歌の攻め方などを集中して話し合った。その際にも感じたのは、久永さんの歌は褒め甲斐があり深みがあるということ。試合では1名欠員の2人で闘いながらも決勝に進出することができたが、残念ながら決勝では敗れる結果となり、久永さんが高校時代に感じた口惜しさを僕自身が実感する結果となった。それにしても僕が「短歌甲子園」の批評合戦に参加できたのは、久永さんの不屈の情熱のお陰だ。翌年になってメンバーを補強し「マスターズ短歌甲子園」でようやく「優勝」の栄誉を勝ち取ることができた。こんな「みやたん」での人と人をつなぐ思いやりと配慮を忘れない久永さんが、来年3月で卒会となる。次年度からは獣医となり「短歌県みやざき」をさらに盛り上げてくれることだろう。獣医としての就職先が県内になった際も真っ先に僕に連絡をくれ、「卒業後も一緒に短歌ができます!」と言ってくれたのが、何より顧問として、一短歌仲間として嬉しい限りであった。

人生にも短歌にも受賞にも「波があります」と
獣医学科学生として6年間の在籍期間であったのも大きい
宮崎大学短歌会の顧問であることの深い幸せを実感する受賞であった。


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テーマ詠「衣更え」宮崎大学短歌会11月例会(1)

2022-11-08
南国の秋「衣更え」にありがちなこと
ポケットに残るものとか身に纏うものへの畏敬
昼と朝晩の寒暖差を実感するなかで

宮崎大学短歌会11月例会、今期は月曜日を開催日として隔週にて歌会が持たれている。出詠10首、参加5名、テーマ詠「衣更え」であった。上級生は忙しい時期でもあるのだろう、参加者は1・2年生が中心となり、新たな時代の運営に希望が持てる展開にもなっている。また「牧水短歌甲子園」経験者で大学職員になった方の参加もあり、多様な仲間が増えて新鮮な環境でもある。サークル活動の継続というのは、意図して上手くいくものではない。日々の地道な活動が波紋を広げ、次なる人々に届いていくかどうか。短歌が世界でここにしかない表現であるとしたら、小さな邂逅を重ねることの魅力に満ち満ちている。サークルの継続もそんな偶然の連続のような気がしている。さて、今回のテーマ詠は「衣更え」、詠草など学生のうちでは「衣替え」の漢字が使用されていたが、やはり「更衣」という平安朝以来の語彙として「更え」を使用したい。季節の「うつろひ」を旨とする日本文化において、大変に重要な概念であると思っている。

僕自身がそうであるが、宮崎に移住して「衣更え」の感覚にだいぶ変化が生じた。春夏仕様の着用期間が長く、真冬の衣服の使用期間が短い。感覚としては「春秋」がいつなのだろう?と思うほど、急に暑さと寒さが到来する印象だ。ここ最近でいえば、日中の20度超えは「暑さ」を覚えるのだが、朝晩は「冷え込み」を実感する。昨日も歌会を終えて図書館を出る際には、「寒い!」と学生らと言い合ったのが象徴的であった。さて出詠で高点を獲得したのは、「衣更え」を経てポケットに残ったレシートを巧みに詠んだ歌。意図して残した訳ではないレシートが、実は自らの生活の貴重な記録なのだという存在価値を考えさせられた。また、「エビフライの衣」に素材を求めた歌には、「衣服」が文化人類学にどうか?我々は「命」に「服」を纏っているのだということを深く考えさせるものだった。「半袖長袖」という選択をどうするか?その併用期間に取材した歌もあり、我々の生活に密着して「衣更え」は重要な文化であることが感じられた。

箪笥の中にしまい込む感覚
制服が冬服になった冴えた引き締まる様子
先の季節へを待つこと、そこに希望と期待がある。


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題詠「バス」ー宮崎大学短歌会10月歌会

2022-10-18
「バス」」への個々の多様な思い
地方におけるバス路線のあり方なども
バスは果たしてecoな乗り物なのだろうか?

後期初の宮大短歌会歌会、今期は定例が月曜日とされほぼ隔週での開催が計画されている。創設時から顧問として、必ず歌会には出詠して参加するという主義を貫いて来た。今回は出張の最中の詠草〆切と帰還して直後の歌会となったため、オンライン参加で主義を貫くことにした。出詠10首、参加者6名(うちオンライン2名)題詠「バス」である。生活に身近な「バス」であるが、実に多様な捉え方や向き合い方があるものだと、詠草を読んでしばし考えさせられた。地方都市では特に「バス」は、重要な交通手段である。しかし、赤字廃止路線の問題など実情はかなり厳しい現実も表面化しつつある。個々に多様な目的を持ち、一つの車両に乗る人々の何を運んでいるのだろうか?「座席」「降車ボタン」「タイヤ」「乗車口」「時刻表」「特定路線」「バス停」などを素材とした歌から、あらためてその存在理由を深く考えさせられた。

今回はオンライン参加によりあまり十分議論に与していないので、いささか僕自身の体験を記しておきたい。幼少時の鮮烈な記憶は、「バス」よりも「都電」である。家の近所の大きな通りに路線がありそこには車庫もあった。祭日などには「花電車」が運行され、沿道で見物をする人も多かった。だがいつしか、路線が次々と廃止され「都バス」に転身していった。今現在、あらためて地球環境への配慮が叫ばれる中、「路面電車」の廃止はいかがなものだったのかと考えてしまう。中学校に入学するとバスの「定期券」を持たせてもらった。だが次第に「歩ける範囲」だと自覚するようになって、バスと競争するように歩くようになった。「歩ける範囲は歩く」という主義は、この頃からの僕の発想の根本にある。今回の山口大学への出張でも、宿泊地や懇親会会場から大学までは2Km少々の距離があった。会場校からは「バス時刻」の案内があり、タクシーを使用する人々も少なくなかった。懇親会へ向かう際も、1便と2便のマイクロバスがあり僕は「2便」に指定されたので30分待つよりは歩けば先に到着すると見越して歩いた。夕刻ゆえに途中でやや道路が渋滞し、路線バスを容易に抜くことができた。2Kmは毎朝のウォーキングの標準的な距離である。イメージとして若山牧水が歩いて各地を訪れ、短歌を作る頭も活性化させていたように、僕は山口でもひたすら歩き続けたのであった。「SDGs」が盛んに喧伝される昨今、過剰に「乗り物」を使用するのは生活習慣病も誘発するだろう。高齢化社会も配慮しつつ、公共交通のあり方が問われている。

確か採用面接の際にも「次のバスを逃すと」と配慮された覚えが
市内への歌会や呑み会に向かうバスの思い出も多々ある
観光バスや高速バスの歌が見られなかったのも一つの特徴であったかもしれない。


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テーマ詠「芋」ー宮崎大学短歌会10月歌会その1

2022-10-04
秋の香りたつ芋
「石焼き芋」の売り声の言い方も議論に
「フードロス」の時代に「芋」の大切さも考える

後期授業開始初日にして、宮崎大学短歌会歌会を開催。今期は月曜開催を月2回定例としていく方針である。この2年半ほど、新学期が始まる際は「オンライン」という措置が続いたが、今年度は全面対面の大学の方針が貫かれている。よって学生のサークル活動及び行動制限も大幅に緩和された状況である。よって歌会も附属図書館の一室での対面開催として、念のために「オンライン」の用意はしたがWebを介しての参加者はいなかった。出詠11首、参加6名、テーマ詠は秋の季節を感じさせる「芋」である。ちょうど野菜売り場には、色のよい「甘藷」が並ぶ。宮崎県内では南部の串間市が産地として有名だが、鹿児島ではないので「薩摩芋」とは呼ばず「甘藷」という漢名をこだわりで使用すると聞く。とはいえ「芋掘り」などに取材した歌は「むかご狩り」の一首のみ、多くが「食品」としての歌になったのも時代を反映していると言えるだろうか。

芋の煮え具合、ゲームキャラ、冷凍ポテト、おなら、ケーキ、芋皿、石焼き芋、甘露煮などが今回の主な素材。果たして「おなら」はテーマ詠として適切かどうか?という点も議論になった。また「石焼き芋」の売り声に関する歌は複数に及び、日本全国でその言い方が定着していることを考えさせられた。「おいも、おいも、おいも〜、いしや〜きいも、おいも〜」というあのリズムはどこからできたのだろう?短歌にする際に韻律面で「おいも〜」は五音分、「いしや〜きいも」は七音分の尺があるなど議論は盛り上がった。また伸ばすと音声の中で「イ段音」が消えやすくほとんど「しやーきいも」に聞こえることを指摘する歌もあった。最近はその売り声を聞くことも少なく、本当に「石焼き」をしていることも知らない若者も少なくない。果たしてどの時代からの文化なのか?などが調べたくなった。

秋としては暑い1日
「芋を食べるとおならが出やすくなる」というのも共通認識か
今期も学生たちの短歌の交流が楽しみだ!


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題詠「空」ー宮崎大学短歌会9月例会(2)

2022-09-21
「大空」のことと「空っぽ」のこと
題詠の文字を初句の最初に使用するのは?
「空の青海のあを」牧水の「空」と「海」と

宮崎大学短歌会9月第2回目の例会、本年度は夏季休暇中ながら前期の定例火曜日開催が安定して継続実施されている。オンライン開催という効もあるようだが、参加者としては帰省しているなどの理由でやや少ない。それでも継続することに、大きな意義を覚える機会となる。出詠10首、参加者7名、題詠「空」の歌が並んだ。題詠を決めた司会担当者によると、多様な「空」の歌が出ることを願っての設定という。だが、全体的にみて「大空」のことを詠む歌と「空っぽ」を詠む歌に二局化した結果となった。「多様な」という意味では、「空気」「空白」などの語義に関連した歌があってもよかった。そんな中で「空中給油機」の歌があったのは、個人的に惹かれた。ただしこの世界情勢にあって、軍事装備を讃えるかのような歌を詠う意義については一考すべきかもしれない。

以前に心の花全国大会に参加した際、選者の谷岡亜紀さんが言っていたこととして「題詠の漢字を歌の最初に置くことの疑問」を思い出し、この歌会でも学生たちに紹介した。谷岡さんはその折に詳細な理由は述べていなかったが、題詠の文字を活かすために一首全体の構造を捉え十分に考えた上での表現かどうかという趣旨であったように思われる。今回の10首の中で、初句の最初に「空」が置かれた歌が4首と半分近くに及んだ。学生らの批評の中で、冒頭に「空」を置くとどうしても「景色の説明」になりがちであるというものがあった。一首全体で言いたい「心」を表現するのが「歌」だとするならば、「人の心」を「種」とせず「文字の説明」に流されて行くという傾向を帯びやすい。短歌構造全体において、「空」をいかに活かしイメージを膨らませ、言いたい「心」を韻律に乗せて言うかが肝要ということだろう。新たに牧水短歌甲子園経験者も加えて、充実した歌会は2時間半に及んだ。

歌会あれば咏い続けるという意義も
この夏季休暇のうちに新たなメンバーも増えて
後期10月からは曜日を変えて開催予定である。


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