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テーマ詠「結婚式」〜宮大短歌会23年度6月歌会(2)

2023-06-28
参列の経験がある人はどれほど?
時代感とともに変化している「結婚式」への見方
さらには「結婚式場」という言い方、「式」なのか「披露宴」なのか

宮大短歌会の今月2回目の月例歌会が開催された。出詠8首、出席6名、黄昏の明るさの残る附属図書館のやや大きな一室に集まった。今回はテーマ詠「結婚式」、現代の学生がどのような「結婚式観」を持っているか?大変に興味深い歌会であった。先日も「日本の恋歌」講義にて紹介した数字だが、「2022年度男女共同参画白書」に拠れば、2021年婚姻数は「51万4千組」で戦後最少、30代の4人に1人は「結婚願望なし」という状況が報告されている。未婚化・晩婚化の社会は少子高齢化社会に拍車をかけ、政府が「異次元の」などと言ったところで大きな改善への期待は望み薄というか手遅れな感さえ否めない。講義でもそうだが短歌を通じて、恋や結婚の素晴らしさを知る機会になればと、老婆心ながら考えている次第である。

歌の素材は「祝福の鐘」「激励」「来場の多さ」「司会者」「ブーケ」「結婚式場」「母親」「花束」であった。歌会では司会者が「結婚式に参列した経験がある人」といった問いも発し、その経験の有無をまずは披瀝する。僕などは自らのはもとより、友人知人の披露宴司会の経験が豊富であり、学生たちの経験とは大きくかけ離れていることが意識された。かつて昭和の華奢な結婚式のイメージは、既に時代を大きく隔てていることを実感せざるを得なかった。果たして「結婚式」とはいかなる存在か?「結婚」をそのものを選ばず、または多様な「結婚」を考えるべき時代、真に伴侶と結び合うとはどういうことか?どうやら戦後最少の数字の陰で、結婚式場も経営が厳しいはずだと気づきも。変な連想であるが、街中には「セレモニーホール」がかつてより目立つ世の中である。いくつかの歌から、そんな背景まで読んでしまう。だがこの現実を学生たちと共有しつつ、昭和の「結婚式観」を伝えることができたという意義が僕の中に生成された。

形式よりも「あなた」と生きるための意志こそ大切
少子高齢化を助長してきたこの国の社会のあり方として
やはり「恋」の素晴らしさを短歌によむ機会を学生たちと共有していきたい。


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自由詠ー宮大短歌会23年度6月歌会(1)

2023-06-14
今の自分を映し出すのか
学生たちの清新な視線を読み味わう
梅雨空のもと図書館に集いて

宮大短歌会6月第1回目の歌会が開催された。出詠10首、出席者9名、梅雨で断続的に雨が降りしきるなか附属図書館の一室に集まった。今回は久しぶりの自由詠、会員の「いま」がどのような歌となるか、その取材と素材のあり方にも興味深いものがあった。出詠歌の素材は「かさぶた」「ヨット」「遺伝子」「虫」「鏡」「ツバメ」「SF」「幼稚園」「真面目」「猫」であった。季節観や生活実感を伴いつつ、学生生活で言いたいことが三十一文字に流し込まれている。

発見としては、既に「コロナ読み」から学生たちは回復していること。僕には「巣籠もりのベッド」と読める歌を、「地震」などと「コロナ禍」には関係ない学生たちの読みが新鮮だった。オンライン講義などにより、「コロナ」による苦労はむしろ教員である僕らの方に染み付いているのかもしれない。また「かさぶた」の状態を心象風景のように詠んだ歌、「ツバメの巣」への温かな眼差しが読める歌が高点を獲得した。僕はなぜか、幼稚園の頃に母に送ってもらう自らの姿を想像した1首を詠んだ。

講義で紹介した「サライ」の一節が脳内を巡り
詩歌によって自らの心が次第に癒されていくのがわかる
歌会前に夕食を済ませるため、母のお手製ハンバーグを食べた。


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テーマ詠「旅」ー宮大短歌会23年度5月歌会(2)

2023-05-24
「人生は旅」と読める歌が多く
学生の等身大の歌は少なかった
現代において「旅」とはなんだろうか?

宮大短歌会今月2回目の歌会を開催、出詠8首、参加者5名であった。テーマ詠「旅」コロナからも解放されつつある今、学生たちはどんな旅を詠うのか大変に興味深かった。概ねこの100年ほどの歴史において、「旅」がこんなにも制限されてしまった3年間を僕たちは体験した。「旅=移動」が感染を拡大させるゆえに、罪悪視もされ各人の行動範囲が自ずと制約された。2020年3月頃から最初の1年間は、僕も東京へ行くことも憚られた。教職員も学生たちも、県外に出る場合は大学に申請して許可が必要だった。学生時代には自らの持っている感覚を打ち破るような「旅」が必要だと思われるが、現在の4年生などは今までなかなかそれも儘ならなかった。こんな意味で、今現在の学生の「旅」への感覚を短歌にすることは貴重な機会だと思えた。

詠歌の素材は、「地図」「ガタゴト」「凧」「星の瞬き」「この星」「・・・ロード」「缶コーヒー」「雪山」であった。概して実際の「旅」というより「人生は旅」という前提を読みたくなる歌が多かった。Web機器や情報が格段に進化したこの15年ほどで、「旅」の手段・方法から楽しみ方も変わって来ているのだろうか?そんな現状において偶有性のある旅、牧水の「あくがれ」に近い感覚の歌が見られたのは頼もしくも感じた。また宇宙観をもった壮大な旅を希求するような歌もあり、人間にとってこの地球に生きることそのものが「旅」なのではないか。大空の星を意識すれば自ずと「亡き人々」への想いも募り、大切な人たちが楽しく旅を続け僕らを守ってくれているような感覚にもなる。せめてこの地球上では、「旅」が制約されることなく自由に思いのままにあらゆるところに旅ができる「平和」を求め続けなければならないだろう。

景色や季節描写の歌や
交通機関の歌は少なかった
さあ!学生よ!自らの常識を超える「あくがれ」の旅をしよう!


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テーマ詠「揚げ物」ー宮崎大学短歌会23年5月歌会(1)

2023-05-10
「揚げ物」は「カリカリ&ジューシー」
家庭の味なのか市販かはてまたファーストフードか
昭和感のある料理の変遷として・・・

宮崎大学短歌会5月歌会の1回目、今月より隔週第2・第4火曜日の開催となる。出詠9首、出席10名、新歓活動の甲斐もあって新入生4名の参加があった。テーマ詠「揚げ物」として、個々の趣向が活かされる歌が並んだ。題材としては、「口内炎」「イカゲソ」「晩酌」「カリカリ」「芋天」「番茶」「ケンタッキー」「カキフライ」「ジューシー」であった。「揚げ物」そのものを対象に詠うのか、それとも家庭で揚げる母などに焦点を当てるのか。個々人の郷愁的な経験とともに、この料理の現在地を学生たちの生活から見るようで興味深い対話が展開した。

僕など昭和の家庭に育った者は、やはり母の揚げるエビフライなどこそ「揚げ物」だと思っている。現在の学生たちにも同様の経験があることに少し安心するのだが、同時に市販の惣菜やファーストフードを詠うものもあり、社会が大きく変化したことを思わせる。なぜかコンビニの揚げ物は詠われなかったが、油を使い火傷などの危険性もある揚げ物は社会の中で分業化されたということだろう。とはいえ、ぼくらの時代も「肉屋さんのコロッケ」は子どもらに人気があった。現在でも東京は谷中銀座などの店先では、50円程度でコロッケを販売している店が健在のはずだ。

「洋食」として明治の「ハイカラ」人気に発する「揚げ物」
約150年の料理文化はこれからどうなっていくのだろう?
新入生の豊かな読みの感性に嬉しさを覚えつつ楽しい時間が持てた。


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テーマ詠「花」ー宮崎大学短歌会新歓歌会(3)

2023-04-26
今月は毎週火曜日が歌会
新歓の春にちなんでテーマ「花」
「花」といえば「桜」という古典を抜け出して

「恋において『名前』とは?」そんなことを考える講義を3限に。短歌では寺山修司の「夏美の歌」、若山牧水の「小枝子」という恋人の名前をそのまま詠み込んだ歌を紹介。併せてサザンの「いとしのエリー」を中心に、甲斐バンドの「杏奈」ばんばひろふみの「SACHKO」など名前が楽曲題に入るものを紹介した。僕はかねてから「名前は命そのもの」だと思っている。「呼び捨て」にすることにこそ親愛の情が湧き、「家」を示す「姓」よりも明らかに「名」で呼ぶことに愛が見える。また前週の課題秀作を4点紹介した。その中に「いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるふたり」(浅井和代)を題材にした2点があり、大切なパートナーを病で失うラジオドラマがあった。朗読して紹介してのち、「医学部のみなさん、どうか癌に苦しむ人を助ける研究・医療を。その他の学部の人たちでも機器開発・支援・地域活動で人々の苦しみを救える人材になって欲しい」と全学部対象科目ならではの訴えをした。生きることが「花」であるとするならば、「名前」があるのがその証である。

話題は講義に迂遠したが、この日はなかなか僕自身が歌会に辿り着けなかった。講義後の1コマは翌日の非常勤講義の準備。その後に会議、新年度初であったため報告内容も多岐にわたり定刻には終わらずにかなりの時間を延伸する結果に。春4月にしては冷たい雨が降りしきる中を附属図書館まで歩み、歌会に顔が出せたのは8時を過ぎていた。出詠11首、出席7名、新入生一人を迎えたが彼が最高得票歌となっていた。題材は「アンスリウム」「不香花」「カーテン柄」「桜花」「花火」「花」「バラ」「花びら」「薄紅の花」「献花」「ヤマトグサ」であった。僕たちにとって「花」とは何か?ある意味で「生きている」ことが「花」なのだろうか?植物の命にも思いを致し、「花」が咲いている時以外にも「花」を支える営みがあることを知る。宮崎では、多くの花に囲まれて生きることができる。「命」を尊むという意味で、この日も短時間ながら歌会に出席できてよかった。

「花に嵐の喩えもあるぞ
 『サヨナラ』だけが人生だ」(井伏鱒二「勧酒」翻訳詩*表記を改めています)
春は穏やかな顔をしているが花を散らす季節でもある。


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テーマ詠「学校」ー宮崎大学短歌会4月歌会(2)

2023-04-19
誰しもが長年の経験を持つ
児童生徒としてどんな体験をしたか
意外な驚きのエピソードなども

朝から1日先の授業準備・講義・移動・附属学校園での会議・移動という隙間のない予定をこなし、1日の締め括りが宮崎大学短歌会歌会という1日。開始時間に30分ほど遅れたが、附属図書館の1室にいつものメンバーが揃っていた。今月は新入生歓迎を意図し、毎週火曜日に定例で歌会を開催している。前の日曜日に「新歓祭」が催されこの日は新入生の来訪も期待できたが、思うほど簡単なものではなかったようだ。世に云う「短歌ブーム」に学生たちの意識は、どの程度呼応しているのであろうか?引き続き、短歌関連の僕の授業などからの勧誘も含めて期待していきたい。さて歌会は出詠8首・参加8名、テーマ詠「学校」について興味深い対話が展開した。誰しもが持つ標準的な「6・3・3=12年」の学校経験、何をどのように素材にするか?自ずと現実の経験を素材にする歌が多くなった。

「新入生」「転校」「早弁」「校長」「追試」「黒板」「理科実験」「ペン」などが素材、いずれも「児童・生徒」視点が主体である歌であった。もちろん僕の場合は20年以上の現職教員経験があるのだが、むしろ自らが高校生の頃の経験を素材にし学生らの歌と並列的になるようにした。対話の中ではむしろ「教師視点」を導入することで、「学校」の二面性が浮かび上がるようで立体的な議論を提供できたように思う。「学校」は小さな「社会」に他ならない。されど「小さい」ながら独特の世界観がある保守的で特異な空間であろう。思いもよらぬ過剰な「悪戯」を描いた歌が「予想だにしないわからなさ」を武器に高点歌となった。また「学校」には偽善的な行為を「学習」の名の下に敢行することがある。「命の尊さ」を教えながら植物を実験に使用する矛盾が詠われた歌に、「学校」の抱える矛盾が透けて見えた。

テーマの核心や矛盾を暴き出す短歌
僕らにとって「学校」とは何であろうか?
次週こそは新入生の顔が見たいものだが果たして・・・


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テーマ詠「夢」ー宮崎大学短歌会2023年度歌会始

2023-04-12
新入生歓迎の方針なども
短歌ブームに乗じて期待する新歓
奇っ怪な願望とか文明批判なども

火曜日3限は基礎教育科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」の日である。今年度も全学部から100名を超える受講生が登録しており、講義棟で最大容積の教室を配当していただいている。コロナ禍にあったこの3年間も、様々な工夫を凝らして講義内容の質を保ってきた講義である。今年はさらに「短歌ブーム」という社会現象もあり、受講生の期待が対面講義の視線に表れているように感じる。「短歌ブーム」といえば、短歌会の新入生歓迎も楽しみである。この日は既存のメンバーを中心に、新年度の歌会始。新歓の方針なども話し合われ、7首の歌に対して家庭的な対話が進む時間であった。

テーマ詠「夢」、過去の夢・文明進化への疑問・時間移動・闘争本能・土と茶碗・まどろみ・巨大化などを素材とし、「夢」とは何かをあらためて考える機会にもなった。映画やヒーロー番組に見られる「悪と闘う」という図式は、過去ならば時代劇のチャンバラから宇宙闘争映画まで時代を問わない本能的な「夢」なのだろう。また『ガリバー旅行記』を思わせる巨大化という願望も「夢」に現れることがある。建物を「擦り合う」という発想は奇っ怪でもあるが、ユーモアがあって豊かな人間の想像力を思わせる。特に近現代150年は、多くの「夢」を現実化してきた。その反面、人為的に取り返しのつかない破壊や加工をしていることも少なくない。真に人類が求めるべき「夢」とは何か?そんな思いも抱きながら附属図書館を後にした。

次週の日曜日が新歓祭、
さらに今月火曜日は毎週が歌会
新たに出逢えるだろう新人の夢を学生たちと見ている。


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学長表彰への思いー学生・久永草太さん歌壇賞

2023-03-01
顧問として身を挺する日々
会にとって大きな存在との出逢い
産科医である学長の短歌への思いも聞かれ

先月の授賞式以来、小欄でも話題にしている久永草太さん。2月尽日のこの日は、宮崎大学学長より表彰を受けた。学生個人や団体において、スポーツなら全国大会上位3位以内の成績などが受賞対象になっていたと規定を記憶する。何はともあれ、学長が歌壇賞受賞の栄誉を認めてくれたことが嬉しい。学長室に行くと他にもボランティア系団体や選挙啓発活動の団体と、1個人2団体が受賞対象であった。和やかな雰囲気の中、学長から久永さんへ表彰状と記念品が手渡される。学長ご自身も新聞掲載などで久永さんの短歌をお読みになったらしく「私は産科医だからわかります。胎児の体温は高いんですね!」と、たぶん「糞尿も牛の身体も湯気たてる朝の直腸検査あたたか」が印象に残っていたのだろう。受賞作は宮崎大学農学部獣医学科での学びの体験がリアルにユーモアも保ちつつ、動物たちの命に寄り添っている。大学が掲げる地域貢献という意味でも、畜産王国の宮崎で学ぶ学生の心として大変に価値が高い。

久永さんは受賞の言葉として「理系の学部に所属しながら、歩いて3分で(文系の)教育学部に行って短歌の話ができる環境がありがたかった。」と大学を讃えた。思い返せば6年前、宮崎大学短歌会は産声を上げた直後で、僕の学部所属講座演習室という決して広くない部屋で歌会を5・6人で行なっていた。図書館と違い飲食可能なので、久永さんがよくお菓子を持参してくれることも多かった。会誌の編集作業とか大学祭の準備など多くの活動をこの演習室で行い、次第にロッカー上のカラーボックスに他大学短歌会の会誌が並べられて行った。(講座の他の先生方には身勝手であったが)僕自身も創作を始めて年数が浅かったせいもあり、こうした歌会には必ず自らも歌を出詠し都合をつけて出席した。この日々の積み重ねを大きく支えてくれたのが、久永さんであった。自らの力が足りない時は、身を挺して活動に自ら加わるしかない。初任校で高校教員であった際も野球経験はあったものの「ソフトボール顧問」として、「ストライクが入らない打撃投手(野球にはないウインドミル投法を習得するのに暫く時間を要した)」を買って出て投げ続けた記憶がある。その結果、5年後には地区大会優勝を朝の朝礼で表彰されるに至った。短歌とスポーツと分野は違うものの、僕が「顧問」を務める際には必ず「傍観しない」という信念があることに、あらためてき気づかせてもらう機会でもあった。

学生が大きく羽ばたくように
顧問として情熱を注ぎ続けることの大切さ
大学関係の方々や多方面の方から僕までもお褒めの言葉をいただき恐縮している。


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宮崎大学短歌会令和4年度追い出し歌会ー題詠「草」

2023-02-24
歌壇賞受賞者の久永草太さんが6年目の卒会
大学院修了そして学部卒の計3名がこのほど
社会人の卒会生も集まり合計14首の詠草にて

2月も下旬を迎え、球春をはじめ春の足音が次第に大きく響く時節になった。卒業のことなどまだ先のことかと思いきや、宮崎大学短歌会の追い出し歌会が開催された。今年は農学部獣医学科で6年間在学し、歌壇賞を在会中に受賞した久永草太さんが卒業・卒会を迎える。『歌壇』の「受賞のことば」においても「宮大短歌会では好き勝手やらせてもらい」と本人は記したが、短歌会にとってはヨチヨチ歩きの赤児を立派に高校を卒業させてもらった、ほど育ててくれた功績があるといってよいだろう。月2回の歌会開催・会誌の制作発行・大学祭企画・日向市マスターズ短歌甲子園出場・角川大学短歌バトル出場・国文祭・芸文祭みやざき2020企画等々があり、その折々の取り組みは顧問としての僕自身を育ててくれたように思う。獣医学科における6年間在籍が短歌会にも活きて、在籍時の歌壇賞受賞に至った。会員個々が久永さんの存在を大きく受け止めているのだろう、今回の題詠は名前の「草太」から「草」となった。

出詠14首、参加14名、宮崎市中心部の中央公民館和室での開催となった。「草」の活かし方としては、「雑草」「若草(2)」「草々」「草笛」「草むら」「草ぐさ」「煙草」「草を結ぶ」「草姿」「七草粥」「緑草」「草原」「草」であった。趣向を凝らした最高点歌は、卒会者の名前の一文字を全て隠題に詠み込んでいた。また「草を結ぶ」という古代の呪術的な発想が詠み込まれた歌は、言葉の中に文化が宿っていることを感じさせた。「雑草」を「児童の頭髪」の比喩も映像的に秀逸であり、「前略、草々」の手紙文より「顔を見て伝える」ことを主張した歌も温かみがあった。社会的事情からすると「煙草」は詠まれないと予想していたが、貴重な人との貴重な機会での一服という場面で健在であった。「ツツジ」が「草笛」に適するか否か?という議論もあり、「七草粥」の歌には他者への思いやりが溢れていた。解題をすると多くの歌が「久永リスペクト」なものが多く、追い出し歌会の題詠として誠に盛り上がる歌会であった。時間もたっぷり3時間、外の雨を忘れるほど詠草に酔い痴れる時間であった。

ようやく普通にできるようになった追い出し歌会
そして次の世代の1年生会員たちが今後を逞しく受け止める
卒会生の個々の思いを存分に受け止める会であった。


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辱(はじ)を雪(すす)ぎ続けて功を成すー歌壇賞受賞のことばから

2023-01-21
敗けを見返そうと奮起する思い
強く思い続ければ必ず新しい朝が来る
学生とともに歩んで来た6年間に感謝

既に小欄でもくり返し記してきたが、顧問を務める宮崎大学短歌会所属の久永草太さんが、歌人の登竜門ともいえる「歌壇賞」を受賞した。その秀作が掲載された『歌壇2月号』が手元に届いた。版元書店さんのお心遣いで代金の振込票に「おめでとうございます!」という付箋が貼られており、なぜ僕が顧問だとわかったのかと不思議に思っていた。「受賞作30首」に続け「受賞のことば」を読むと、その疑問が一気に解けた。受賞者の久永さんが「今日まで僕に筆を置かせなかった多くのみなさま」として、中学校から大学まで短歌に関係した「先生」の名を挙げて感謝の意を書き記していたのだ。これを読むと、思わず熱いものが心の底から込み上げ感涙してしまった。僕は本日が誕生日だが、何よりのプレゼントをいただいた気分になった。同時に人生において「続ける」ことの尊さを深く感じ入った。

彼が入学してきた頃、宮大短歌会は創成期で決して彼にとって有益と言えるものではなかったかもしれない。しかし、僕のゼミ生たちのやる気と彼がいう「好き勝手やらしてもらい」という「創り出す」気持ちが、むしろ彼を育む結果にもなったのだろう。もちろん顧問としてどれほどの「指導」ができたのかと思うが、自らも必ず詠草を出してどんなに忙しくとも歌会に出席する姿勢を貫いて来た。むしろ彼の詠歌や歌評に学ぶことも多く、次第に自らの歌表現も充実して来たように思う。その彼の「続ける」原点は、高校3年生の「牧水短歌甲子園決勝で敗れたこと」だと記されている。まさにゼミ生たちを伴いその舞台を初めて観戦に行った際のことで、まだ縁もなかった久永さんの悔しさの充満した表情を僕は今でも忘れない。「雪辱をバネに続けることで功を成す」それは振り返れば、僕自身の生き方でもある。私立中学校受験に敗れたが、熱烈志望大学に合格したこと。「教授になりたい」と言って笑われたが、現職教員を続けながら博士号を取得し国立大学に就職できたこと。その延長に、親しい学生の成長した栄誉が待っていたこと。彼の受賞は、顧問としての僕にもさらに大きな力を与えてくれた。これからも、まだまだ「続ける」人生を存分に生きてゆきたいと決意するのだ。

「挑戦」するとは「今を続ける」こと
学生から多くを学ぶという教師冥利
くり返そう「辱を雪ぎ続けて功を成す」のである。


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