歌とともに「いま」ー「宮崎野菜でサラダ記念日」30年目を祝す

2017-07-07
別れ来し男たちとの人生の「もし」どれもよし我が「ラ・ラ・ランド」
(俵万智さん・新作・「インスタの桜」より 文藝別冊『総特集 俵万智』より)
出版「30年目」を「いま」ここ「宮崎」にて祝す

「もともとはなんでもない日として選んだ7月6日を、こうして誕生日のように・・・」食事会前に行われたトークで、俵万智さんはこう述べた。5日付朝日新聞「天声人語」にも「7月6日はサラダ記念日」の話題が取り上げられ、僕の自家用車のカーナビはこの日の朝「サラダ記念日です」と期待通りに告げてくれた。野菜がみずみずしいい6月か7月の時季から、「しちがつむいか」と語頭に「S音」が響くことを要因に、そして七夕の「7月7日」では「歌」にならないので、という「制定理由」が御本人の口から述べられた。この日は、出版から30年目を迎えたまさに「サラダ記念日」当日、御本人とともに「宮崎野菜」をふんだんに使用した絶品料理に舌鼓を打ちながら、全国で「此処」にいることができたのは限定80名。宮崎県知事・河野さんのご挨拶に続き、出版元の河出書房社長・小野寺さんの出版秘話を含めた乾杯の音頭が、会場の雰囲気を一気に華やいだものにした。

俵万智さんから投げ掛けられた「30年前、皆さんは何をしていましたか?」の問い、「それと同じだけの時間が、私の中にも流れました」と続けられたが、その「何を」の小さな糸が幾重にも織りめぐらされて、「いま此処」に辿り着けたのである。その時間そのものを「歌人」という人生を選んだ俵万智さんは、五冊の歌集に刻み込んできた。『サラダ記念日』そのものは、いまも色褪せず読み継がれ、まさに昭和から平成の「文学史」に燦然と輝く作品である。明治以降の短歌史に位置付けるとしても、「啄木・牧水・寺山修司」に続いて「俵万智」となることは必定である。そのことばのわかりやすさ、誰でも同じように日常を短歌にできそうと思わせる啓蒙力、そしてあらゆることに対する全面的な「肯定性」、冒頭に掲げた新作歌にもそれはよく表れている。過去のどの「男たち」との「もし」を「どれもよし」とは、なかなか凡人では歌にできない。啓蒙力はありながら、実は奥深く簡単には真似できない底から湧き出るような歌の力が感じられる。それは一首の内なる情報量を限界まで削ぎ落とす、実に緻密な潔い過程を経て「歌」として自立し、また「連作」として機能するのであろう。このあたりの「秘密」は、『文藝別冊』に穂村弘さんとの対談をはじめとして様々な評者が述べているので、ぜひこの機にご参照いただきたい。

雨模様の会場に向かうタクシーは
万智さんが「宮崎あるある」よろしく歌にしたように、建物前の交差点でメーターを落とした
「いま」短歌を自分の中にも持っていることに感謝しつつ。

ただ、これだけの記念パーティーの情報量を削ぎ落とすのは誠に難しい。

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第313回心の花宮崎歌会ー互選票を目指して

2017-07-05
「自転車は葉のささやきを聞きいたり蜘蛛の繋ぎし糸電話にて」
「古井戸にいっぴき暮らすもののごと見上げていたりまあるい月を」
(歌会互選最高得票歌より)

台風が北部九州を駆け抜けた一日、その影響も見当たらず第313回心の花宮崎歌会が開催された。これまで宮崎歌会では、投歌順にすべての歌に対して批評を加えていたが、ここのところの人数増加に伴い、互選票で得票を得た上位の歌から時間をかけて批評をするという方式に変更することになった。じっくりと批評を受けるには、まず互選票を獲得を目指すことになる。この日は投歌数40首、うち互選票を獲得した歌が17首、内訳は5票2首、2票5首、1票10首となった。投票そのものにも重要な責任を伴い、事前の「よみ」という緊張感が増すことと、互選や伊藤先生撰と自らの撰が合致するか否かで、歌の「よみ」に対する深浅を確かめて行くことができて刺激的である。しかし考えるに、互選票のためというよりは、自分の歌を素直に表出することによって共感を得てゆくという姿勢が、必要なのではないかと考えさせられた。所謂、「読者」に迎合しない自分としての確固たる姿勢が求められるであろう。

冒頭に掲げさせてもらった2首は、ともに互選5票を獲得した歌であるが、ともに個性がキラりと光る歌となっている。互選歌であれば既に評価を得たという位置にあるので、むしろ厳しい批評も辞すべきではないという伊藤先生のお言葉もあった。冒頭1首目の歌には、「自転車は」の擬人化において「聞きいたり」と「聞きおらむ」ではどちらがよいかという点や、下句に関して「蜘蛛の繋げる糸の電話に」という推敲案が出され、歌作りの構造が可視化されて興味深かった。僕自身としては、「蜘蛛の糸」などはすぐに「払うもの」という乱暴な感覚があるが、それを「糸電話」としたところに、生き物への優しさが感じられ互選候補とした歌であった。2首目の歌に関しては、「井の中の蛙・・・」の諺を連想させることは効果的かどうかが議論された。「いっぴき暮らすもの」とは、どこか「謎めいた」ものを感じさせ、結句を「まるい」ではなく「まあるい」にしているあたりに「出口」という意味を読み取る意見も出された。

歌会は「主体的で対話的な深い学び」のあるところ
「正解」のない自由な対話から新たな「よみ」の価値が見つかる
懇親会での対話を含めて深い宵の口にて、僕自身は「不作」「悪戦苦闘」を乗り越えようと誓う。
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悪戦苦闘の「不作」の後に

2017-06-30
「焦り」「諦め」「力み」
本当の自分でないような硬直
「自分を飾ろうとしていない率直な歌」を

角川『短歌』7月号の特集は「短歌再入門」として、「つまづきのポイント7」について総論を含め8名の歌人の方々が寄稿している。特集を締め括る「つまづきポイント7」は、我が宮崎の伊藤一彦さんで、「体力が続かない」という「つまづき」に対して「心の中に宝物がある」という内容が記されている。「体力とは気力」とした上で、「焦り」「諦め」の気持ちがある人こそが意欲的なのだと、「現実の自分に否定的」になることを反転して捉えるべきと教えられる。そしてまた伊藤さんほどの著名な歌人でも、「できない」「できない」と「悪戦苦闘」しており、締切日前は「薄氷を踏む思い」であると心情を吐露している。さらに後半では宮崎で行われている「高齢者短歌」を何首か紹介し、「自分の心の力みに気付かされ、もっと楽に歌に向かえばいいのだ」という気持ちの大切さが説かれている。

生活の様々な場面でも、「焦り」「諦め」「力み」によって平常心を失うことこそが大敵であることに気付くことが多い。例えば、車の運転でもこの三要素によって、大切な車を傷付けてしまったという経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないだろうか。また野球の打撃を考えても、この三要素が伴っているうちは、試合で安打を放つことなどできない。まさに「楽に」「率直」にただ球だけに向かって素振り通りのスイングをする結果が、知らぬ間に安打を放ち一塁ベース上に立っているというのが、少年野球で初安打を放った際の感覚である。力んで硬直して一本の硬い棒のようになることが実は一番脆弱で、存分な力を発揮できないといった趣旨のことは、『老子』でも説かれていることである。今年も早半分が過ぎ去ろうとしている。7月となり研究室のゼミ生たちは、いよいよ教員採用試験本番を迎える。この時期に及びやはり、「焦り」「諦め」「力み」が大敵であると心して、「飾ろうとせず楽に率直に」臨んでもらいたいと願っている。

梅雨空とともに「悪戦苦闘」
「自分の作風が少しながら変化」する予兆
人生楽しまなくていかにあらむ、と高齢者の短歌からあらためて教えられるのである。
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あらためて「句切れ」を考える

2017-06-29
「君待つと吾が恋おれば
 我がやどのすだれ動かし
 秋の風吹く」(額田王の歌から)

冒頭に著名な額田王の歌を、敢えて三行書きで記した。通常、和歌・短歌は一行で書き切ることができるので、それを読む(特に音読)際には読者の裁量に任されてしまうことが多い。一行の和歌・短歌を読む際に「裁量」がいるのかと思う向きもあろうが、そこが大きな問題だと思っている。『新古今』あたりから確立する七五調の三句切れによる韻律の旺盛、連歌・連句から発句へと到り俳諧そして俳句となって「五・七・五」の独立性が高まったこともあってか、現代の人々がもつ韻律の感覚はほとんどが「七五調」である。『百人一首』カルタの読み札も、上の句・下の句で間を置いて読むのが通例であろう。もちろん、明治時代の『新体詩抄』が「七五調」を前面に押し出して近代詩を確立しようとした意図の影響も大きい。このような様々な要因が考えられる中で、交通標語などの日常的な言葉の韻律としても「七五調」が「常識」になってしまっているように思われる。

例えば牧水の著名な「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の歌などを、様々な機会に音読していただくと、ほとんどの方が「空の青」まで読んででいったん間を置く。だが意味をよく考えてみれば、「哀しからずや」の「や」が文法的に詠嘆になるゆえ、二句目で間を入れることによって「空の青海のあを」を連続的に読みその対照性が生きてくる。さらには「染まずただよふ」が独立性を持つことで、実に重厚な結句として一首全体を受け止める読み方となるのである。『万葉集』においては、長歌・旋頭歌などの歌体との発生起源にも関連し、その相対性の中で「五七調」の韻律が重用される歌が多い。もとより「なぜ五音・七音なのか?」という点についても国語学的に多くの論調があるが、奇数音であることによって各句の中が”均等割”ができないことが大きな要因だと考えられている。その上で五音・七音を比較すると、五音は「三拍」の拍節、七音は「四拍」の拍節であることが大きく作用している。字数はともに奇数で均等割ができないが、「拍節」に関しては「奇数(拍節)」と「偶数(拍節)」が組み合わされているあたりに、やまとうた1300年の歴史の連綿性を見るのである。

「句切れ」そのものがわからない範疇にある
歌の音読そのものがやや閉鎖的な環境に置かれ続けてきた
歌の「音読」そのものの意義をあらためて考えるべきであろう。
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「サラダ記念日30年ーそして宮崎へ」トーク開催

2017-06-26
「日向夏ドレッシングのような明るさにトマトを濡らすはつ夏の雨」
(俵万智賞受賞作・宮崎市・小寺豊子さん)
「畑から曲がったキュウリ連れ帰りサラダ作れば真っ直ぐ美味し」
(一般の部特選受賞・宮崎市・川平陽子さん)
「他人の恋見つつ正午の食堂でオクラサラダをねばつかせおり」
(学生の部・特選受賞・久永草太さん)

今年は、売上280万部のベストセラー歌集『サラダ記念日』が出版されて30年となる。このタイミングで俵万智さんが居住する宮崎に、自分もいることの縁をあらためて感慨深く思う1日となった。宮崎日日新聞社主催で標題のようなトークショーが開催された。新聞社ビル最上階にあるホールは約250人の熱心な短歌愛好家で埋め尽くされたが、聞くところによると入場券は新聞掲載から30分ほどで締切ったらしく、俵万智さんの人気は根強い。また冒頭に記した「俵万智賞」や「特選」に代表されるように、総計971首(一般581首・学生390首)の短歌応募があり、選者となった俵万智さんによれば、そのレベルも高く新鮮であったということだ。日常生活で「あっ」と思ったことを思いっ放しにせず言葉を探す、という「生き方」ができるというのは、短歌をやっている大きな意味であると万智さんの云う。そんな中で宮崎大学短歌会でともに歌を学ぶ久永草太さんが「特選」を受賞したことは、一同の大きな喜びであった。

トークでは宮崎の短歌を長年支えてきた伊藤一彦さんも加え、『サラダ記念日』出版前に伊藤さんが原稿段階で歌集を読んでいたこと、「なぜ本屋に小説ばかりが並び歌集が少ないのか?」という疑問を「自分の本」で改善できた喜びなどから語られ始めた。出版当時、万智さんは高校教員であり「月曜日から土曜まで(教員としての勤務)は平常心で過ごせた」が、「笑っていいとも」「徹子の部屋」などの番組出演や多くの取材を受ける時代の寵児であったことがあらためて紹介された。万智さんの歌は「連作の妙」にあると伊藤さん、短歌愛好者のみならず一般の人々にも受けたのは、「読んでよくわかる、自分が嘗て思っていたことのようで、実は奥深い」からだと云う。まさに「1300年の歌の歴史の最先端」として「定型を守り、文語と口語を自然に織り交ぜた現代語」であると歌壇での評価も高く、「啄木・牧水・寺山修司・俵万智」と明治以降の短歌史に位置づけられる存在であると云う評価は興味深い。その評価観点の一つとして「意味よりもリズム」は、誰でもわかる平易な表現の秘訣でもあり、僕としても諸々と考えてみたい視点である。また万智さんは「今を生きる歌人」であり、住んでいる場所に肯定的なものを見出すと伊藤さん。多くの人々は「辛い過去と不安な未来」に怯えるが、「今を大事に」から宮崎の良さも万智さんに教えられると云う。最後に今回の短歌募集に見られたように潜在的ポテンシャルが高い方々が多い宮崎を、ぜひみなさんの力で「短歌県」としていけるように歌を作り続けたいと、万智さんの抱負が語られて2時間の表彰・トークがお開きとなった。

「原作・脚色・主演・演出=俵万智、の一人芝居」
「生きることがうたうことだから。うたうことが生きることだから。」
歌集「あとがき」が語られると、胸の奥に熱いものを感じたのは僕だけではあるまい。
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「明日あらば明日」を梅雨に思いて

2017-06-23
「雨荒く降り来し夜更け酔ひ果てて寝(いね)んとす友よ明日あらば明日」
(佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』1972より)
「私たちはあまりに多くの問いを持ちすぎている。」と前書きにあり。

運動経験があればすぐにわかることだが、肩肘張った硬直した身体では決してよい動きはできない。打席に入って構えがガチガチに固まれば、球も見えずバットに当たりはしない。倒立は固まっているように見えるが、実は肩の柔軟性によってしなやかに身体が支えられてこそ成立する。「直立せよ一行の詩」という歌集名が、学生時代から好きであった。特に佐佐木幸綱先生の「男歌」たる「直立」への憧れから、むしろ古典和歌の淵源に遡る研究へ眼が向いて行ったのかもしれない。研究とは「問い」を発することである。ある意味で肩肘張って硬直した身体が求められて、順序立てて反論を排し筋道立てて探って行くしかない。それならば短歌を詠むことはどうか?あらためて幸綱先生の歌を読んでみて、その「直立」は決して「硬直」ではないことが”少し”わかった。

「本当は一つか二つの〈なぜ〉で人間は生きられるのかもしれない。」と冒頭の前書きは続く。さらに前に置かれた文として「酒には、〈なぜ〉がないのがよい。」とある。「嘆きの顔」をしていれば、自ずと身体は「一本の棒」のごとく硬直する。打席で思うような結果が出ないと、守備についても精彩を欠き、負の事象は連鎖して「堕落」を招く。野球におけるこのような流れは、プロの一流選手でもあることで、幼少の頃の後楽園球場で当時の「王選手」が打撃練習で思うように本塁打が打てない姿も観たことがある。ちょうど2ヶ月前の4月22日夜、幸綱先生と御次男・定綱さん、そして伊藤一彦先生と四人で兵庫は伊丹の銘酒を深夜まで酌み交わした。まさにその時の僕の身体に〈なぜ〉はなかった。そんな時間的遡及そのものにも、もちろん〈なぜ〉はなくてよい。「直立せよ」への浅はかな理解を自然に超えて行く過程に、意図せず存在する自らの身体を見るのみである。

「無数の〈もし〉の中の一つに選ばれし嘆きの顔ぞ鏡を外れよ」
「機嫌の悪い今日は一本の棒として過さんにああ息の純白」
「言ってみろ君の堕落の質を深さを五月雨の日に誰に問うべき」
「魂極る内に打ち合う石礫六月に入り激しと告げ来」
「あかねさす昼から夜へ飲み通す紫陽花の花咲く昨日今日」
「わいせつの林のみどり色の風さやさやさやに人ぞ恋しき」
(佐佐木幸綱『直立せよ一行の詩』1972より)
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歌は恋歌

2017-06-12
「君は歌を詠むのかね?」
「いえ、和歌研究をしようと思います。」
「失恋でもすれば、歌を詠む気になるよ」

学生時代に学部・日本文学専攻の学生研究班代表委員という役職に就いいた。各時代作品ごとの研究班全体をまとめて、専攻合宿や謝恩会の企画を先導したり助手の方と学生の連絡役のような仕事をしていた。4年生の時、専攻合宿に行くと佐佐木幸綱先生が少々遅れていらっしゃるということで役職柄、合宿先から西武秩父駅まで片道約40分〜50分の山路を車でお迎えに上がったことがある。講義を受講していたにしても、幸綱先生とマンツーマンでこれほどの時間を話せる機会というのは、身に余る光栄であった。その折の先生と僕との会話の契機が、冒頭に記した内容である。そのとき、青臭い学生ながら「歌は恋歌」という感覚が、深く自分の中に根ざしたのを鮮明に記憶している。それでも尚、融通のきかない当時の青二才は、「古今集」の季節詠から順序立ててやろうという杓子定規から抜けられず、恋歌の探求に至るにはだいぶ時間を要することになる。そして今や歌を詠むようになって、あらためてこの幸綱先生との会話を思い出すに「歌は恋歌」だという思いを強くするのである。

古典和歌の「恋歌」は、女性の嘆きを訴えるものが多い。そこには「一夫多妻制」という社会的制度のあり方が大きく関わっているだろう。休日の夜、大河ドラマからの延長でスペシャル番組を観ていると、現代では「夫に怒りを顕にする妻」が多いというテーマを扱っていた。その前提として、「一夫一妻」の歴史よりも、近代社会以前の子孫確保を最優先した「一夫多妻」の歴史の方が遥かに長いのであると説かれていた。特に現代社会は共働きが多く、女性も男性的なホルモン値が上昇してしまい、家庭内でイライラする現象が顕著になってきたと報告されていた。番組では様々な実験がなされており、しっかり相手と向き合った姿勢で話すとか、手を握り合いながら話すことで、「オキシトミン」というホルモン分泌が増してお互いが穏やかに気持ちになれるという夫婦関係の簡単な改善策を紹介していた。要は「何歳になっても恋心」ということなのだろう。こうした意味で幸綱先生の相聞歌はもとより、30年目の『サラダ記念日』を再読・再吟味することが、自らの学生時代から今に至る時間を遡求して再確認する作業ではないかと最近は思っている。男女双方の視点から対話的に読む『サラダ記念日』は、今も尚様々な考え方を起動させてくれる。

通念を踏み外す表現の領域へ
研究者としての計算を乗り超えて
あらためて歌は恋歌とおもう深き宵の口
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「虚実皮膜の論を寂しむ」から

2017-06-08
「一生(ひとよ)かけて愛してみたき人といて
 虚実皮膜の論を寂しむ」
 (俵万智『サラダ記念日』)

出版30年ということで、あらためて『サラダ記念日』の歌を読み直している。教科書教材になっている歌、そして講義などを通じて紹介してきた歌などが、また新しい表情でそこに立っている。出版された当時は僕も新米高校教員となった頃で、同世代として「どう生きるか?」について諸々と考えた記憶がある。そのくせ、「一生」などというものはなかなか文学のようにはいかない。現場での喧騒に紛れて文学への繊細な感性を一時期失ってしまっていたようにも振り返ることができる。それはそれで悲喜交々の「物語」があったのであるが、「一生」たるや決して一本道ではないということを感じさせられる。そして今や宮崎に住み、あらためて歌と出逢い直した自分がいる。

冒頭に記した一首から、あらためて「虚実皮膜」の語が気になった。小欄の標題にも通ずるこの語は、江戸時代の浄瑠璃作者・近松門左衛門の芸術論である。穂積以貫という人の聞き書きが『難波土産』(三木平右衛門貞成著)という書物に紹介されており、「(近松答曰)芸といふものは実と虚との皮膜(ひにく)の間にあるもの也(略)虚にして虚にあらず実にして実にあらずこの間に慰が有たもの也」と云う。所謂、虚構論の先駆とされている論であるが、文芸を考える際には押さえておきたい。時は巡り現代の社会では政治のあり方や生活環境の変化から、また違った意味で「虚実」が曖昧なものになって来たように思う。若い世代が「恋愛」を遠ざけることや、生涯独身者が増加している背景には、こうした点が無関係ではあるまい。などと考えて学生たちの爽やかな相聞歌を読むと、どこか安心した心持ちにもなる。そのあたりに、短歌が「生きる」ことそのものを考える文芸であることを再認識するのである。

この日はきっと僕しか成し得ない発見も
読み詠むことの醍醐味がある
「七月六日」に向けてまた様々に考えてみようと思う
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心の花宮崎歌会六月ー晋樹隆彦さんをお迎えして

2017-06-04
酒にはいくら、煙草にいくら、を費やして来た
そして歌人としては野球に一番詳しいと
歌人・晋樹隆彦さんの魅力

心の花宮崎歌会では、毎年6月にお客様をお迎えして開催している。今年は第18回若山牧水賞(2013年)受賞者である晋樹隆彦さんをお迎えした。個人的には、昨年の「心の花全国大会」でご挨拶した折から御礼状を差し上げたのを契機に、晋樹さんが社長を務める「ながらみ書房」出版の短歌誌『短歌往来』本年3月号に評論を寄稿させていただく光栄に預かっていた。3月に上京した際には、ながらみ書房の事務所に急ながら立ち寄ったが、残念ながら晋樹さんはおらず、お会いできなかった。こうした意味で、直接の御礼をはじめとして様々なお話を伺いたいと思っていたもので、またとない機会となった。会の冒頭では晋樹さんから、短歌や「心の花」に関わりはじめた頃の、貴重なお話が伺えた。1971年出版の『男魂歌』までの経緯をはじめ、佐佐木幸綱さん・伊藤一彦さんとの若かりし日の交流のこと。そして様々な歌人の方々との交遊録が紹介されて、その懐の深いお人柄をあらためて窺い知ることができた。

歌会に入ると通常通りにまずは各歌に対して会員が順番に評をつけ、その後は晋樹さんから評をいただくという流れで進行した。この日は歌も43首、参加者は50名以上に及んでいたようで、一首に費やす時間も限られたが、伊藤一彦さんや俵万智さんの評も随所に加わり、充実した評を聞くことができた。それだけにあらためて、歌を評する際の適切な視点や要所を抑えたコメント力について深く考えさせられた。短歌そのものが精緻に集約された表現なのであるから、その評も冗長なものは避けるべきであろう。「言葉を選び、誰にでも伝わる表現を創る」このような点で歌人の方々が非常に長けた力をお持ちであることを再認識するのである。この点は、研究者として心から見習いたい感覚である。

さて、個人的には晋樹さんとの野球談義が実に盛り上がった。「歌人で一番よく野球を知っている」と豪語される晋樹さん、「野球を」となれば人並みには負けない自信が僕にもある。過去の「後楽園球場」に幼少期から出向いていた経験が、年齢を超えて晋樹さんの記憶と重なる。その当時(昭和40年代)、1塁側ダッグアウト上で私設応援団のリーダーを務めていた人の名前と職業を僕が父から伝えられて知っていたことには、さすがの晋樹さんも驚いている様子であった。以前に葉書のやり取りをした際にも、晋樹さんの「中西太」を詠んだ歌に対して、「私も野球詠を」と応えながら、まだこれといった短歌を創り得ていない。過去の「後楽園」の記憶のみならず、今後はぜひ短歌でも晋樹さんを唸らせるものを詠もうと決意した宵でもあった。最後に晋樹さんの宮崎歌会の印象として挙げられたことを覚書としておこう。「背伸びをしない。日常の思いから言葉を積み上げる。そんな歌が多いように思います。」

「飲みながら癒していきましょう」医師のことば天の韻(ひび)きのごとく聞ゆる
(晋樹隆彦 第4歌集『侵食』より)
やはりよき歌の源には「酒あり」のようである。
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和歌文学会第63回大会準備進行中

2017-05-21
本年10月21日(土)シンポジウム
翌22日(日)研究発表会
翌23日(月)実地踏査

本年10月、上記日程にて和歌文学会第63回大会を宮崎で開催することになっている。昨年来諸々と準備を進めて来たが、いよいよ5ヶ月前となり学会委員会で3日間の予定について提案し審議をいただいた。初日のシンポジウムは、宮崎の歌人・伊藤一彦氏と俵万智氏に加えて、新進気鋭の若手歌人・小島なお氏にパネリストをお願いした。そこに和歌文学会会員で、若山牧水賞受賞者でもある内藤明氏にも加わっていただき、現代歌人が「和歌」の伝統を如何に引き継ぎ作歌活動をしているかといった視点から、「和歌研究と近現代短歌」(仮題)としたシンポジウムとなる。また、「和歌」や「短歌」が国語教育の現場で如何に教材化され未来の子どもたちに継承されているかといった視点で、開催校が教育学部であることの特徴も出してみたいと考えている。

もとより「やまとうた」1300年の歴史を考えるに、「和歌」研究と明治以降の「近現代短歌」は、より積極的に交流は図るべきだと考えている。諸分野において研究状況が細分化して来たことで、「和歌(国文学)」研究者が短歌創作に携わり仕事を両立することが少なくなって来ている。明治時代を考えれば、佐佐木信綱・窪田空穂らに代表されるように国文学者としての仕事と歌人としての仕事が両輪となって、味のある業績が積み重ねられていたと考えられる。また、現代短歌であっても、必ずどこかで「古典和歌」を継承していない訳はない。本年の『角川短歌』新年号では、馬場あき子氏と俵万智氏が、島内景二氏の司会によって『百人一首』に関する対談を展開している。そこではやはり「現代短歌」創作にあたり『百人一首』を身体に通しておくことの重要性が語られているように思われる。「短歌県」を目指そうとする宮崎において、和歌研究と現代短歌の新たな出逢いが模索できればと願うのである。

2日目研究発表者募集中(6月24日〆切)
大会開催場所は「宮崎市民プラザ」
シンポジウムは300名定員の一般公開とする。

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