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佐佐木幸綱の一首(『心の花』2020年9月1463号)執筆

2020-09-08
学生時代の出逢いから
宮崎に赴任してからの再会まで
佐佐木幸綱先生の「酒の歌」について

学生のレポート、とりわけ基礎教育科目「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」についてのそれを読んでいると、自らの学生時代のことを思い出すことが多々ある。学生はこんな恋愛を思い抱いているのか、その若さの素晴らしさと自由さと蒼さについて自らの当時をひき比べる作用である。「失恋でもすりゃ歌を詠むようになるよ!」そんなお言葉を大学4年生当時の僕は、佐佐木幸綱先生に一対一で語り掛けられた。文学部日本文学専修学生研究班代表を務めていた僕は、その夏合宿の際に所用で遅れて参加される先生を西武秩父駅に車でお迎えに上がり、埼玉の山間部の大学生協の運営する合宿施設まで同乗した。今にして思えば、日本の短歌会の牽引者を一介の学生が運転する車で山道を小1時間も走行するのはあまりにも大胆で危うい行為のようにも思える。しかし、何らかの縁がこの時に起動していたように思うのだ。

若き日の僕は、その合宿での幸綱先生とのやりとりを克明に覚えている。合宿から帰るとノートに「短歌らしきもの」を書き散らした覚えはあるが、当時は卒論『古今和歌集と中国文学』を執筆することに夢中になり、再び和漢比較文学的研究方法による論文に向き合う時間が大半となった。学部卒業後は、勢いに任せて中高教員への道を歩む。中高生と日常をともにする教員生活は、部活動を含めて実に楽しい日々であった。しかし、30代になって再び古典和歌論を極めたくなった。「うた」という意味では僕の歩んだ道は一貫している。学位取得に至り全国場所を選ばない公募採用に向けて模索の日々を経て、宮崎への赴任が決まった。その後、宮崎を拠点に活躍されている伊藤一彦先生に出逢う縁もいただき、日向市で開催された「日本ほろ酔い学会」(2015年)にて僕は佐佐木幸綱先生と再会した。それを機に劇的に前述した学生時代の経験が反芻されて以後、「牧水賞授賞式」「ほろ酔い学会」には必ず参加するようになった。そして遅まきながら、ようやく自らも短歌を詠むようになったのだ。様々な意味でだいぶ迂遠してしまったようだが、人生はまだ半ば。この度は伝統ある『心の花』誌に標題の原稿を掲載いただく次第となった。

「大事なものは若さじゃなくて 素顔のままのしなやかな日々
 振り向くほどに人生は悪くない 明日を信じるならば」
(サザンオールスターズ『DIRTY OLD MAN〜さらば夏よ』より)


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新しい歌会様式で新しい発見

2020-08-03
Zoomを利用して広い地域の方々と
世代も超えて様々な素材の歌が
暫くは新しい歌会様式で

コロナ禍に加えてここ連日の猛暑、平日よりやや遅く起床し恒例の朝のトレーニングと散歩。「やや」はせいぜい誤差1時間であるが、早朝から太陽熱は容赦なく人体を攻め立てる。そのまま朝食となったが、牛乳のみ飲んでいたからか身体に熱が溜まったような状態を自覚した。コロナ禍によって体調管理に敏感になっており、身体の微妙な変化でも気になる。常に自己の心身の内面と向き合うことは、よいことであるとは思うが、聊か難儀であることも確かである。炎熱とコロナの二重苦、となれば家で適温に調整してできることに臨むしかない。この日は懇意にする歌人の方に結社を超えた歌会にお誘いいただき、午後2時間ほどをZoom画面に向き合った。

参加者の世代も背景も様々で詠草にも多様な歌が並んだ。「蝉」「花火」「風鈴」などの夏定番のものから、「能」「マント」「薄(すすき)」など深読みを求めるものまで。またコロナ禍で特徴的に表出した「オンライン授業」など、世相が反映した歌も。また「(電車の)車両」など公共交通の歌などに、現状の社会を重ねて読んでしまう「コロナ読み」といった傾向も見られ様々に勉強になった。素材として特筆すべきは「メアリー・マローン」の固有名詞を詠んだ歌、この名前は「世界で初めて臨床報告されたチフス菌の健康保菌者。(無症状感染者)」であると云う。家政婦として料理が評判であった彼女が雇われる家から、次々と感染者が出るという事例が繰り返されたという事実があるらしい。コロナ禍でも若者の無症状感染者がウイルスを拡散させているという指摘がある中、我々はこうした「歴史」に真摯に向き合わねばならないであろう。

自宅で世界観を拡げるための工夫
ありがたきかなZoomの普及
短歌とともにこの世相をいかに歴史に刻み付けるか


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33年目のサラダ記念日

2020-07-07
恋の歌を読み湧き出づる力
素朴でわかりやすい言葉の中に人を動かす力が
『あなたと読む恋のうた百首』(文春文庫)を学生たちと読んで

出勤する際に自家用車を始動させると、カーナビが「今日は・・・・・日です。」と何らかの「今日」を告げる。中には「?」を感じざるを得ない「日」もないことはないが、毎年「七月六日」になると「サラダ記念日」と言ってくれるのが嬉しい。世間の人の中には「なぜサラダ記念日?」と疑問に思う人もいないわけではないだろう。また理由を知っていても「あの”俳句”のね!」と僕ら短歌関係者からすると、「そうは言わないで」と思う誤りをしている人も少なくない。いずれにしてもカーナビの365日で「短歌」に関係するの日を告げるのは、この「サラダ記念日」のみだろう。この日は出版から33年目、今も色褪せないその歌集から学ぶものは変わらずに大きい。現状で「短歌史文学史」に刻まれる歌集が『サラダ記念日』であろう。

「今も色褪せない」と記したのは、現在の学生に『サラダ記念日』の短歌を紹介しても、あまり解説などしないと同世代の歌だと思っている場合があるからだ。確かに同歌集は二十代前半の恋を中心にした「若者の日常」を題材としており、短歌表現も口語的で若者が馴れ親しみやすい。現在はSNSが革新的に発展し、若者の相聞(恋)のやり取りの様相も変化した。だがそれだけに言葉の粉飾や誤解なども激増しているようで、SNSでは心が通い合わないが会って対面で話すと理解し合えるということを講義課題で記している学生もいた。この時代の若者にして『サラダ記念日』は、むしろ若者の恋心に火を灯す可能性が高いという感触がある。小欄でも繰り返し紹介している「日本の恋歌」基礎教育科目では、『あなたと読む恋の歌百首』をテキストにしている。二十歳前後の若者には、この「恋の処方箋」が「学修」以上に必須なのではないかと思う33年目である。

「恋を考えたらあらゆることにやる気が出た」と学生の弁
簡潔に素朴な姿こそが名歌の証
「宮崎野菜でサラダ記念日」30周年パーティーに出席できた日から3年目となる。


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オンライン歌集読書会ー『禽眼圖』『黒い光』

2020-06-22
「闇」「光」は「静」「声」にも
「二〇一五年パリ同時多発テロ事件・その後」
対照的でもあり共通項もあり

大阪在住の歌人の方からお誘いいただき、題に示した2冊の歌集のオンライン読書会に参加した。対面であればたぶん関西地域でのみ行われた読書会であったかもしれないが、季節が反転しているオーストラリアからも数名が参加し、国内は東京から宮崎(私)までと東西に20名近くが参加し賑やかな読書会となった。僕としても初対面の人も多く、様々な世代の方々の参加で大変勉強になった。垣根を超えた多様性が求められる時代において、オンラインの普及は新たな意識変革を生み出すであろう。既にテレワークの議論で指摘されているが、何も人口が集中する都市部に無理して居住する必要はない。僕のような地方在住者が、このような読書会に参加できる環境が生み出されつつあるのだ。

今回は2冊の歌集の読書会であった効用も大きいと思う。比較相対化されることでそれぞれの歌集の特長が読書会の中で浮き彫りになった。内面の闇に正対し他者との関係性の中にいる自己存在に、承認を求める心の動きを写生的に描く『禽眼圖』。パリにおけるテロ事件の現実とその後の日常を、モノクロ写真と精選された短歌で描こうとする『黒い光』。僕自身は両者ともに「声」という視点から批評を試みた。「朗読の声の途切れて右耳からざんと抜けゆく白き両翼」など『禽眼圖』の歌では置かれている自己へ届く声を自覚的に描写する歌に惹かれた。また『黒い光』では、「声にならぬ声響きをりモノクロの排水管よりいつの世の風」には写真家・ユージン・スミスの『水俣』が意識され、「写真は小さな声だ」「写真はときには物を言う」というユージンの信念にも通ずる社会的な訴えを読むことができる。「声」とは時に内面的に保持され心の呟きで外部と関係を結ぶ葛藤と対立の中に誰しもその存在が必要なものだが、短歌という形式が社会的な現実を見つめる客観的な成果となることもある。あらためて「短歌=声」という概念も多様であり、近現代約150年間の今に生きる僕らに「短歌を詠む」=「声を上げる」ことの大切さを教えてくれた読書会となった。

あらためて参加者の方々と肌感覚で話したくなる
2時間半を自宅の書斎で大阪まで行った気分に
僕たちの短歌は決してコロナに負けないことを悟る。


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永遠のうちなる「雨の粒ら」

2020-04-25
「遥かよりわれに近づき落ちきたる雨の粒らは永遠を知る」
(伊藤一彦『待ち時間』より)
永遠の宇宙のうちなる地球、2020年をともかく生きる

「なぜこんな世界になってしまったのだろう?」と、誰しもが個々の置かれた厳しい状況の中で考えているのが「今」の地球であろう。20世紀は「戦争」という人為的な惨禍が絶えなかったが、21世紀は様々に形を変えて人類を苦しめる惨禍が断続的に続いている。自然そのものが変容し人類の生活に影響を及ぼすのか、それとも近代化による人為的な行為がやはり自然を変質させ、その見返りを人類自らが被っているのか、それは「サル知恵」に過ぎない人間では、どんなに叡智を集積しても今はわからないことだ。科学は何でも解決する、といった20世紀の誤った全能感のような傲慢に矯正が必要であることを示唆しているのだろうか。いずれにしても僕たちは、この日本の世界の地球の宇宙の「永遠」の中で、今与えられた環境を活かして生きていくしかないのである。

外に飛び出したいような空、今朝もカーテンを開けた妻が「日向の青」を声をあげて讃えた。だが変わらず僕らは「家にいよう」という社会的要請の中で生きている。誰しもが享受できる自然としての空模様にも、様々な物語を読むことができる。冒頭に掲げた伊藤一彦先生の歌は、人間が傘などをさして避けたいと思っている「雨の粒ら」こそが「永遠を知る」と説く。「(雨の粒)ら」とされてることでむしろ雨の一粒一粒が自然の一部であることが読める。僕自身が小学校の時の授業内で初めて行った「研究発表」では、「水の循環」を課題としたことをよく記憶している。雨は大地を潤しまた川となり大海に注ぎ、海水は蒸発し雲となりまた潤いの雨として動物たちの住む地上に降り注ぐ。「雨の粒ら」は個々に想像も絶するほどの壮大な旅を繰り返している。海が生命の源だと云うのは、「粒ら」はその環境にも存在し円環的に「遥か」な空から僕らに降り注ぐのだ。ゆえに地球は「青空」ばかりでは、円環が停止してしまう。「今」まさに比喩的にたいそう厳しい「雨」が、地球上に降りかかる。だがそれも「永遠」のうちなる地球や宇宙の営為なのであろう。

「今」あるもので僕らは何ができるのか?
この永遠の円環を否定しても始まらない
あらためて「文学」や「歴史」の人文知が求められる世を目指さねばなるまい。


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「迎へか行かむ待ちにか待たむ」相聞歌のこころ

2020-03-19
「君が行き日(け)長くなりぬ山尋ね迎へか行かむま待ちにか待たむ」
(『万葉集』巻二・磐姫皇后、天皇を思ひて作らす歌 より)
人への思いやり、そして愛すること

冒頭に記したのは『万葉集』巻二・巻頭に置かれた相聞歌である。旅先から長く帰らない仁徳天皇を思い慕い磐姫皇后が作ったとされる四首のうちの最初の歌。もっとも『万葉集』中で実在の人物として確認できるのは三十四代・舒明天皇であり、磐姫皇后は神話の時代の存在と考えられ、『古事記』『日本書紀』にもその名が見える。よってこの歌は、磐姫皇后をモデルに後人の手による代作的なものとするのが定説であるが、それにしても伴侶を思う哀切な相聞のこころを抒べた秀作といえよう。心を寄せる人がいづこかへ出向き、なかなか会えないのは辛く苦しいものである。ならば、「迎へか行かむ」がいいのか?それとも「待ちにか待たむ」がいいのか?愛するこころは葛藤で逡巡するのである。

思い人へのこころは、あらゆる日常を支えてくれる貴重なものだ。特に多様なストレスの多い現代社会では磐姫皇后が想定された古代とも違い、外部からの圧迫を共有し語り合うことでお互いのこころを緩和することも必要ではないかと思う。僕の恩師はそんな伴侶のことを、「山の神」だと喩えて語る。自然神が多く存在するとされる民間伝承では、「山の神」は女性であるとされる。伝承は多種多様なものであるが、その霊力をもって様々な加護を人々にもたらせる存在だ。思い慕うこころは、相手のすべてを肯定し固く信じて疑わない、それを深いところで共有してこそ、「愛」が言動として実感できる。磐姫皇后の歌が、「山尋ね」とするのも偶然ではあるまい。「迎へ」という能動的な実行動に出た方がよいのか?それとも「待ち」という苦境の中で力を尽くした方が相方のためになるか?その双方の気持ちが偶然にも合致を得た時、それが「思いやり」「愛」が結実した瞬間である。

連絡をしようか、しまいか?
偶然にも双方の思いが合致したとき
まさに相聞のこころが着地する


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短歌は時間を遡及する

2020-03-07
「待つなどと吾が講ずるを聴く母の眼に孕りし日の四畳半」
(『心の花』2020年3月号掲載・自詠作品)
あの人が集まれた年末にことばで遡及する

用向きがあって街に出たので、年末に「まちなか文化堂」の出前講義でお世話になった本屋の店長さんにご挨拶に伺った。「もうお店で日時を決めてイベント開催などは全くできない状況です」と哀しげな言葉が印象的であった。それなりにお客さんはいるものの、金曜日の夜にしては人影まばらである。年末に講義した会場を見てみると、何だか非常に懐かしい気持ちから、ある種の虚しさに襲われ涙腺が緩んだ。あの「人々が集まってくれた街」が今や喪われてしまった。その足でスポーツジムに向かうと、駐車場に車があまりに少なくおかしい?と思い、妻が車から玄関に行くと「当面の休館」の掲示があった。都市ほど過密でない宮崎の街中でも、既に日常生活が喪われつつある。ましてや飲食店などのことを思うと、馴染みのお店の旦那さんの顔などが心に浮かび辛い思いを抱きつつ帰宅した。

こんな生活の状況下でも、変わらず届くのが所属する結社誌『心の花』である。編集に携わっている方々への感謝とともに、普段以上にそこに載っている様々な短歌が恋しく愛しく思えるのは僕だけだろうか。自らの短歌が5首ほど選歌され掲載されているが、そのうち一首が小欄冒頭に記したものである。前述した「まちなか文化堂」には、妻のお母さんやお姉さんに姪っ子、そして僕の両親も足を運んでくれた。当該の一首は、その際の講義を「聴く母の眼」に焦点を当てた作である。「待つ」ということは、人間が生きる上で根源的なテーマ。僕自身の命が宿ったことを知った母は、当時の家の四畳半の部屋でどんな思いで僕が産まれるのを「待った」のだろうか。短歌というのはたった三十一文字でありながら、僕が生命をいただいた時間までも、そして年末の「まちなか」講義の時間へと思いを馳せさせてくれる。この何に怒りを向けてよいのかわからぬ不条理な世情で、やはり短歌の時間的遡及力には大いに癒されるものである。

「聴くことは待つことにして機長より『強い揺れ』など告げられてをり」
(同『心の花』2020年3月号掲載・自詠作品)
この世界を激震させている感染症から、僕たちはいつ安定した飛行に戻れるのだろう?


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「木漏日のかげに坐りたる犬」太陽のちから

2020-02-07
「杉の木(こ)の間(ま)ものおもふわが顔のまへ木漏日のかげに坐りたる犬」
(若山牧水・第四歌集『路上』より)
「ひなた」降り注ぐ県にて思うこと。

研究室の窓は南側であるため、晴れた日の昼間は自ずと「ひなた」であり太陽の暖かさの恩恵を受けている。ゼミなどを実施する演習室は建物反対の北側であるが、90分間いるだけでかなり寒い印象を受ける。まさに太陽の力は生の根源を生み出し偉大であるとともに、地球温暖化を考えると脅威でもある。そんな「太陽」を自然として意識する生活から、近現代化はみるみる遠のいてしまったのであろう。たぶん恩恵を忘れた地球人に、太陽は警告を発しているのが温暖化の意味なのかもしれない。「日向国(ひゅうがのくに)」と旧国名があるように、宮崎は真東が海岸線に面する地形で日の出を見るには遮るものがない。大学の建つ高台からは日向灘に昇る太陽の眩しさで1日が始まり、おおよそ天中する2時を経て夕刻に至るまでキャンパスは太陽の光を浴びている。

太陽の光は様々なかたちで、我々に向けて降り注ぐものだ。冒頭の牧水の歌は「木漏日」という語が使用されているが、『日本国語大辞典第二版』見出語で検索すると第一の用例として採録されている。『日国』の用例は原則として「初出」であるとするならば、「明治語」として使用され始めた語彙のうちではないかと興味が湧く。一首は「杉の木の間」に「ものおもふ」て耽っていると、私の顔の前に降り来る「木漏日」の影に坐っている犬がいたものだ、という自らが置かれた場の情景を素朴に詠んだものである。木蔭に「ものおもふ」牧水の沈思黙考する姿とともに、「顔のまへ」に鮮烈に降り注ぐ「木漏日」が印象深く表現され、自らが孤独かと思えば其処に友だちのような「犬」がいることに気づくフリをするような表現が心憎い。「杉の木」「木漏日」「坐りたる犬」とその場に居合わせた「自己」の発見。太陽はスポットライトと化したように、生命を照らすのである。

我が家を含めて南側の部屋の恩恵
冬こそ暖かさに感謝し太陽と喧嘩しない文明でありたい
自然と親和的な牧水の歌に学ぶ。


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「自分の眼で現実を見る」ちから

2020-01-29
短歌という形式を選ぶ意味
「他人の借物ではなく」
志・心を種として・有のままに写す

なぜ「短歌」という形式を選ぶのだろう?「俳句」と混同されると、不思議な抵抗感を覚えるのはなぜだろう?そしてまた馴染まない人々には、なぜ敷居が高いと思われてしまうのだろう?小中高とあらゆる校種で必須の教材ながら、「国語教師」で扱うことに消極的な人々も少なくない。だがしかし、日本語日本文化の形成に漢文が必要不可欠であったゆえに教材とされているのと同等かそれ以上の理由で、「短歌」の学びによって1300年の文化の命脈の上に身を置くことになる。このように述べればそれに抵抗感を覚える輩も少なくなく、ときに研究者であっても偏見視する度量しか持ち合わせない場合さえある。元を正せば「惚れた腫れた」の問題かもしれないのだが、文学そのものの価値が社会的に貶められている今こそ、声を大にして「短歌」を熱く語りたい。

日本文学史の上で歌論を辿れば、やはり『古今和歌集仮名序』の「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」をまずは挙げねばなるまい。その根本的な発想は、中国の詩論「詩は志を述べる」に由来する。何よりは人間が人間たる存在価値ともいえる「心を抒べる」ものが「歌(やまとうた)」であるという点を押さえておきたい。この平安朝からの和歌としての伝統は、中世の爛熟期を経て江戸時代まで続く。明治になって正岡子規による短歌革新運動が為され、「写実・写生」が唱えられることになる。以後、様々な近代化の波に「短歌」は耐え得る詩型なのかという問題意識が繰り返されたが、「他人の借物ではなしに自分の眼で現実を見るということ」を肝要とすることを佐藤佐太郎などが述べ、(大雑把であるが)塚本邦雄が前衛短歌でその衝撃力を古典を存分に踏まえて作品化・理論化したことで、韻律と言葉のちからによる己の存在証明を日常の中に見出す詩型が自覚され今に到るのであろう。この命脈を軽んじる者に、少なくとも日本文化を語る資格はないだろう。ゆえに迷うことなく「短歌」を熱く推したいのである。

「現実」を見るための日常
「短歌」を詠もうという意識が生き方を変える
常に新しい己を言葉のちからで築くのである。


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「新しき靴」いかなる方位へ歩かむ

2020-01-20
「新しき靴履きて立つ街角にわが望郷の方位をさがす」
(内藤明・本年歌会始「選者」としての詠進歌)
靴は方位をさがす

靴には並々ならぬこだわりがある。今年の箱根駅伝以来、長距離競技では「ピンクの靴」が高速記録を連発する道具として注目されているが、靴の機能が人間の身体能力の限界を超えようとしているようで考えさせられる事例である。果たして、人間の身体は靴の反発力に耐え得るのであろうか?高次元にトレーニングをしている選手であるからこそ履ける代物ではないかと、あれこれ穿った見方をしてしまうものだ。それほどの次元の効果ではないにしても、凡人の我々も日常生活で靴によって身体は大きく左右されているように思われる。ゆえに脚に合うもの、衝撃吸収力に優れ脚を圧迫しない製品を高価であっても選ぶようにしている。

大地と自分を接する大切な役割を担う靴。日常では省みられることも少ないようだが、その歩みは人生そのものであると思う。どんなに身だしなみを整えても、足先に気が遣われていないのは嫌だ。家を出る前には、必ずひと磨きするのが習慣になっている。さて先週行われた「歌会始の儀」で、選者を務めた内藤明さんの歌を冒頭に記した。題詠「望」は「望郷」という漢語として使用されており、「新しき靴履きて立つ」という表現に、新たな人生の歩みを始めるような思いが読める。「街角」の語は喧騒のイメージを感じさせ、「方位」さえ見失いがちな雑多な都市の中で自らの「望郷」の思いを探る心が伝わってくる。「新しき靴」が原点たる「望郷」への一歩となる。「靴」そのものにやはり、大いなる「望」があるものだ。

「センター試験」という名称は終了した
「新しき靴」に希望ある高校生が道に迷わぬように
「入試」こそが今「望郷」ならぬ原点を見据えるべきかもしれない。


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