故郷・恋・自然ー若き牧水から現代へのメッセージ
2023-09-10
「父母・恋人・旅人」人はどこから来てどこへ行くのか?
内に外に世界を多面的に見るために牧水から学ぼう!
若山牧水没後95年特別企画公開講座「若き牧水から現代へのメッセージ」開催当日となった。夏季休暇中で学生の姿もまばらなキャンパスに、遠くは延岡など県内から多くの方が聴講に来ていただいた。公共交通機関の利便性が高いわけでもない郊外型キャンパスでの開催は、常に来場者の人数が懸念材料となる企画でもあった。数年のうちに宮崎駅付近に新キャンパスが完成し、大学の機能の一部(現キャンパスはもちろん存続するが)を移転することになっている。このような昭和・平成と歩んで来た土地造成と自然との関係という課題を私たちはどう受け止めたら良いのだろう?今回の講座では、若山牧水の23歳から27歳頃の短歌、第一歌集『海の聲』第二歌集『独り歌へる」第三歌集『別離』第四歌集『路上』の歌から、どんな現代へのメッセージが読み取れるかをテーマに、若山牧水記念文学館館長・伊藤一彦先生と若手歌人(当時の牧水と同世代)狩峰隆希さんをゲストにお迎えしてのトークを開催した。
若き牧水の歌を考えるに自ずとテーマは「故郷・恋・自然」となった。「故郷」は引き剝がし難く「父母」への思いへ連なる。「父母よ神にも似たるこしかたに思い出ありや山ざくら花」という伊藤先生が引かれた歌には、父母への畏敬の年が滲み出る。誰しもが例外なく思いを抱く父母との関係、親の意に反し故郷を離れた牧水の思いには複雑で哀切な心を読み取ることができる。家族の問題が様々な波紋を投げかける現代社会、明治以降の家族観念の変化を相対化するためにも牧水の歌から学ぶことは多い。三者が意図せず選んだ歌が、『路上』の連作部分であった偶然もよろしき資料の構成になった。父母への思いをいつしか上回るのが「恋人」への思いである。若き牧水の熱烈な恋には、身を潰すほど生命を賭した純朴さがその歌から読み取れる。情報過多な現代にあって、果たしてわたしたちは「恋」をあまりに軽薄に考えていないだろうか。こうして人は父母・恋人やがて伴侶との人生を歩み行く。その歩みそのものが「旅」であり、特に牧水は「自然」と親和的にその身を等価に考えている。自然を捉えるのは眼ばかりではなく聴覚を始めとする五感のすべてである。スマホが全盛の社会でわたしたちは、このような本来は「自然」たる人間の知覚を忘れているのではあるまいか。講座内容はまだまだ書き尽くせないが、大筋を示すことで本日のところは筆を置きたい。
沼津千本松原伐採反対の論陣を張った牧水
故郷・坪谷への深い哀切は「母=マキ」に託し「牧水」の「牧」として背負う
読めば読むほどいとしい、生誕140年は2年後、そして没後100年に向けてさらに愛し続けたい。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第3章「眼のなき魚『路上』」
2023-05-28
「海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり」(若山牧水・第4歌集『路上』巻頭歌)
東京での懊悩による自虐ー旅に出れば魂が再生し歌が響く
昨年度から開講した宮崎大学公開講座「牧水をよむ」。今年度は各期の回数を減らしはしたが、没後95年という節目の年として牧水の命日に近い9月9日(土)には、特別公開講座を大学の木花キャンパスで開催(定員80名)する予定だ。その際は昨年度から読んで来た牧水第1期歌集(『海の聲』『独り歌へる』『別離』『路上』)を取り上げ「若き牧水から現代へのメッセージ」というトークを伊藤一彦先生に加えて若手歌人とともに展開するつもりである。今回はその前提として「第3章ー眼のなき魚『路上』」として昨年度までのように「まちなかキャンパス」にて開催した。牧水の同時代的な状況としては『別離』が青春歌集として売れ行きも好調となる中、恋人・小枝子との仲に終止符が打たれ約5年間にわたる苦悩の恋愛生活から抜け出した時期である。だがしかし、牧水の心は簡単には恋愛の深い淵から抜け出せず、さらには雑誌『創作』に意欲的になりながらも経済的な工面や編集の労で魂を擦り減らす東京生活が続いていた。今回の資料として伊藤先生と僕が共通して選んだ歌として、『路上』巻頭歌は冒頭に記した通りだ。
「眼のなき魚」とは「海底(うなぞこ)」の深海魚だろうが、何も見ないで生きているその「魚」が恋しいと詠う。過去のことが蠢くあらゆる現実がある中で、牧水は「眼のなき」状態で生きたかったということだろう。その懊悩の渦中で必然的に「酒」に身を漬す日々となり、歌の上でも単純に「酒」の文字が入る歌が「43例」と全歌集中で一番多い検索結果となる。歌集『路上』の収載歌を俯瞰すると二面性を読むことができる。前述した懊悩の現実がある「東京での歌」、それに対して信濃などに旅に出た際の「洗練な調べのある旅の歌」である。前者は自虐的な己の姿を客観視するような表現が多いが、後者は自然を身近に接することで清廉な調べが響き名歌とされる歌も多く詠まれた。例えば「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ」「かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」などである。この状況は、牧水が「旅と酒の歌人」とされる礎が築かれたのだとも言える。旅に出ればさらなる旅へとあくがれる、酒を飲めばさらなる酒に心酔する、その心の躍動の中で「さびし」を洗練させたところにこの歌人の大きな詩境が生まれたのではないか。他にも「市街の電車」「かなしむ匂い」「(自殺を思い)砒素をわが持つ」さらには「病む母」など、多くの懊悩が牧水調の韻律に載せられていく。また特筆すべきは「大逆事件」の死刑囚の一人が牧水の『別離』を読んでいたという歌もある。今回も伊藤一彦先生とともに受講者の歌への感想も交えて、対話的な講座を展開することができた。
「さびし」の語の数も大変多くなる歌集『路上』
青春の苦しさの中から歌人としての礎石を築いた牧水
次回(9月9日)は第1期4歌集から「現代へのメッセージ」を読み解いていく。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第2章「孤独と別離」その4
2023-01-22
「草ふかき富士の裾野をゆく汽車のその食堂の朝の葡萄酒」「離れたる愛のかへるを待つごときこの寂しさの咒(のろ)ふべきかな」
「春白昼(まひる)ここの港に寄りもせず岬を過ぎて行く船のあり」
(牧水第三歌集『別離』より)
今年度公開講座も最終回となった。前期4回・後期4回と合計8回を、ゲスト講師に伊藤一彦先生をお迎えして(伊藤先生は所用で11月は欠席)開催することができた。今日本で考えられる一番贅沢な「若山牧水の読み」ができる機会であろう。8回の講座で第一歌集『海の聲』第二歌集『独り歌へる』そして今回は第三歌集『別離』までを読むことができた。『別離』は明治43年4月10日刊行で総歌数1004首新作133首、多くは『海の聲』と『独り歌へる』の再録歌が多い。だが第一・第二歌集が宣伝も行き届かず発行部数も少なく、ほとんど歌壇に知られなかった。しかし第三歌集は詩歌専門出版社である東雲堂の発行で、同出版社の詩歌総合雑誌『創作』の編集も牧水に任されていたことで大ベストセラーとなった。早稲田大学周辺の書店でも平積みの山が顕著に減り、どれだけ再版したかわからないほどの売れ行きであったと云う。しかも当時の若い人たちの間で盛んに読まれ、青春恋愛歌人として歌壇での地位を牧水が得た初めての歌集であった。
明治43年というのは、牧水と同年代の歌人たちの歌集出版が相次いだ年である。現在も「短歌ブーム」と言われているが、明治期に出版文化がようやく隆盛となり多くの人が短歌に親しみ出した近現代の始発といっても過言ではない。この日の講座では伊藤先生と僕とで10首ずつ歌を選び、受講者にもそこから各1首ずつを選んでもらいコメントをいただきながらの対話を展開した。僕は特に「葡萄酒」を詠んだ歌を3首、また「白鳥」を詠んだ歌を2首、そして『別離』という歌集名からもわかるように、「哀し」「寂し」が含まれる歌を選んだ。また「この少年にくちづけをする」という歌も選んだが、伊藤先生も再発見だと仰っていた。「葡萄酒」や「汽車の食堂」が当時どのようであったかは、かつてMRTラジオが「都農ワイン」を特集した際に調べた内容があると伊藤先生の弁。「上野精養軒」が営業し牧水の歌通り「葡萄酒」が出されたのだとすると、明治ハイカラな洋食が振る舞われたのであろうか。また伊藤先生が選ばれた歌は、あらためて自然に向き合う牧水の視点が鮮やかで、「秋くさ」「落葉」「栗」などの比喩から「別離」の情を深く読み取ることができた。冒頭に挙げた3首の3番目は、歌集巻末の歌。「ここの港に寄りもせず」という船の描写は、「春白昼」の気怠さと相まって牧水の恋愛の結末を思わせる。されど、恋人・小枝子への未練は簡単には断ち切れないことは、歌の中からも深く読み取れる。諸問題も勃発し歌集が好調なのに反して、牧水は心身ともに疲弊するということを併せて考えることができた。
終了後は伊藤先生と年間を通して受講してくれた方々と
牧水が苦労の末に歌壇で認められるようになった物語り
次年度も開催頻度は調整しつつ伊藤先生とともに講座を継続しようと思っている。
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「イブを待つ」宮崎日日新聞「くろしお」欄に自著が!
2022-12-25
「待つ間に膨らむ期待が心を豊かにさせる。また喜びも倍加することを同書は教えてくれる。」
刊行1年「今年の思い出にすべて君がいる」ようなイブを
今年もクリスマスイブを迎えた。大好きな曲「Kissi’n Christmas(クリスマスだからじゃない)」(作詞:松任谷由実・作曲:桑田佳祐)の一節に「今年の思い出にすべて君がいる」「今年の出来事がすべて好きになる」がある。「クリスマス」が「恋人と過ごす」という「強迫観念」が社会的に刷り込まれた80年代の曲にして、実は曲全体ではサブタイトルの「クリスマスだからじゃない」という思いの芯が響く曲だ。仮に「クリスマスが特別」だとしても、その日に至るには「今年の思い出」「今年の出来事」を積み重ね、日々を愛する人たちとどのように重ねてきたか?が年末にして問われる日でもある。ちょうど昨年のイブを刊行日とした自著を世に問うて、1年を「待った」ことになる。朝一番から若山牧水記念文学館の懇意にする方からメッセージが届く。先行して小欄を執筆するゆえ、「宮日新聞に何が載っているのか?」と想像しながらポストの新聞を手に取った。まずは開いて文化欄などを探すが目を惹く記事はなし、「もしや!」と思って1面コラム欄「くろしお」を読むと、自著のことが名前入りで丸々書かれていた。冒頭にあるような自著の読みは著者の思いを超えており、誠に深くお読みいただき社会にそれを投げ掛けてくれたわけで感謝しかないありがたさだ。誠に宮崎のイブは温かい。
さてイブ当日であるが「第四土曜日」に設定している公開講座「牧水をよむ」を、伊藤一彦先生をお迎えして開催した。ある意味で受講者の方を含めてお忙しい中、宮大「まちなかキャンパス」まで出向いていただいた。キャンパスの前の若草通りアーケードではクリスマス飾りの手作り教室が開催されていて、幼い子どもたちが親御さんとともに手作りに挑む姿は微笑ましかった。牧水が若き頃、1905年(明治38)日露戦争戦勝に沸き返ったことを契機に日本の「クリスマスの大騒ぎ」が始まったとされるが、牧水短歌を検索してみてもエッセイを読んでもほとんど「クリスマス」を題材にはしていない。1歳年下で懇意な関係のあった詩人・萩原朔太郎が詩や新聞投稿で「クリスマスへの羨望と違和感」を述べていることからすると、牧水の意識が敢えて「クリスマス」に向かなかったのだと考えられる。朔太郎が詩に「耶蘇教」と表現するように、明治大正の流れの中では未だ「宗教観」を根にした「クリスマス観」があったのだろう。他の宗教を含めて牧水の意識は薄く、むしろ自然への親和と同化に牧水の生き様はあったと伊藤先生との対話で至った結論である。講座では昭和から平成の「クリスマス短歌」10首に対して受講者から所感を述べていただき、同時に日本のクリスマス受容のあり方を紹介した。自著出版の背中を押してくれたことをはじめ、「短歌県づくり」活動や日常の歌作に研究まで、「今年の思い出にみな伊藤先生がいる」と思える時間であった。
帰宅して妻と義母と僕の両親とクリスマスパーティー
家族はみな、お互いに支え支えられて「今年の出来事」を乗り越えてきた
家族とともに「日々に生きていることが好きになる」ことを誓うクリスマスだった。
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匂ひとひかりとあたたかさとを失わぬー親友は恋人
2022-11-27
「さうだ、両人とも恋人のつもりで一生を暮らさう。」若山牧水と平賀春郊の生涯264通の手紙のやり取り
「若山牧水書簡集『僕の日記である』日向市若山牧水記念文学館」刊行
本年度後期公開講座第2回目「牧水をよむ」、毎度お迎えしているゲスト講師・伊藤一彦先生が外せないお仕事のために、今回は僕が単独担当で開催した。2週間前に公演した「いとしの牧水」は、音響効果が実に優れた閑静な場所にある小ぢんまりした会場ゆえ、チケットが早々に完売となった。感染対策も考慮せねばならず、ご興味がある方々までチケットが回らなかったと聞いている。公開講座受講者で牧水へ興味がある方でも、公演にいらした方は少ない。そこで今回は第一歌集『海の聲』第二歌集『独り歌へる』から第三歌集『別離』に至るまでの時期の牧水の書簡を読むことで、作歌の背景を理解する内容で展開した。あらためて公演で実施した朗読も披露し、文字情報を提供しその内容について受講者の方々とともによんだ。短歌同様に牧水が書く文体は耳で聞いてもわかりやすく、「聲」で味わうべきことを実感させてくれる。生涯の親友・平賀春郊(鈴木財蔵)を読み手とする文章の昂ぶりに、牧水の心が透けて見えてくる。
生涯264通、それを「出来るなら僕の手紙を破らずにとつておいて呉れないか。僕の日記である。」と明治40年11月22日の手紙の末文に記されている。その牧水の言い分をその通り真に受けて、実際に保管しておいた平賀春郊の友情の厚さにも感服する。お陰で僕たちは牧水の手紙上の「肉声」をよむことができるのだ。それにしても牧水の「心酔力」とでも言おうか、愛しい人や物事に惚れ込む力は凄まじいものがある。恋人であった小枝子への命懸けの恋、妻・喜志子や子どもらへの愛情、好きな酒へのとめどない愛好、もちろんこれこそ生きる道と決めた短歌への情熱、人間はここまで「惚れ込む」気持ちで生きられたら実に幸せだと思えてくる。平賀春郊に対しても冒頭に記したように、「恋人のつもりで」とその友情の厚さを表現している。その証拠が身の内のあらゆることを包み隠さず伝えた書簡の存在であることは言うまでもない。僕らが「親友」と思う人に、どれほど自らの弱いところや情けないところまで明かしているだろうか?と考えさせられる。だが僕にも「親友」と呼べる人が何人か思い浮かぶが、やはり「会わずにはいられない」「語らずにはいられない」という感覚がある。人間は他者を批判ばかりして生きれば、自らが孤独で醜くなるだけである。「クレーム社会」と言われる昨今、牧水の書簡の言葉が僕たちに「他者への友愛」を存分に教えてくれるのである。
人を惚れ抜くこころ
思いを向ければ相手も愛情で応えてくれる
人間としての大切なこころである。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第2章「牧水の孤独」その1
2022-10-23
ゲスト講師:伊藤一彦先生第二歌集『独り歌へる』(明治43年1月1日出版)
「いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや」
後期公開講座が開講し第1回を迎えた。前期に引き続き「第四土曜日」、ゲスト講師に伊藤一彦先生をお迎えし4回シリーズで1月までお送りする。前期の後を受けて今期は牧水の第2歌集『独り歌へる』第3歌集『別離』をあたらめて読み直していく計画だ。第1歌集『海の聲』によむことのできた、恋愛が結ばれた高揚感と相手への疑問や不安感。「結ばれた」とはいえ、恋愛はそこから苦悩が始まるといってよい。前期公開講座記事にも書いたが、今でこそ牧水の恋人・小枝子の複雑な境遇を僕たちは知っている。だが歌集出版当時は、牧水の恋愛の相手が誰だかも明かされるはずもない。決して第二歌集までは好調な売り上げではなかったわけだが、牧水が短歌に刻み込み普遍的な人間の苦悩を描くことは。次第に当時の若い人々に受け容れられていったのだろう。明治43年といえば、当時の若手歌人の多くが歌集を出版した当たり年だ。前田夕暮・与謝野鉄幹・土岐哀果・吉井勇・石川啄木など、今にして名の遺る歌人たちの歌集が目白押しだ。伊藤先生の指摘では、現在においてSNSを通じて若い人が短歌を発信し、比較的に簡易に歌集が出版できる状況と類似していると云う。「SNS」はさながら「文芸雑誌」、牧水が中心になって雑誌『創作』を発刊したのも明治43年であった。
「とこしへに解けぬひとつの不可思議の生きてうごくと自らをおもふ」永遠の「不可思議」であると牧水は自らの「生きてうごく」ことを思い詰める。自己存在のわからなさ、若さにあって誰しもが覚える「自我」への向き合い方、自己承認の壁。さびしさに向き合い恋人との逢瀬があったものの、相手と自らの「さかひ(境)」には「一すぢの河」があると云う。「杜鵑(ほととぎす)」の声に触発され、さびしさはさらに増し「涙とどまらず」「一滴(ひとたま)のつゆより寂し」と詠う。大学を無事に卒業して帰省すると、父母の髪は「みな白み来ぬ」を目の当たりにするが、それでも「子はまた遠く旅をおもへる」と故郷に留まれない自分を客観的に詠む。恋人とはいっそ結婚してしまおうと思い詰め歌には「わが妻」と表現し、新婚の家まで用意するがそこに恋人は来ない。「男二十五」の若さならば「あるほどのうれひみな来よとおもふ」と孤独と苦悩を自虐的に受け容れようとする表現も見える。そして「あめつち(天地)」という宇宙の母胎の中に存在する自分を、歌表現で確かめようとする。「ひとり」という語彙使用も甚だ多く、何にも囚われることのない「ひとり」を楽しむかのような境地を、牧水は歌によって発見したのであろう。この孤独の苦悩がなかりせば、牧水はここまでの歌人になっていなかったと伊藤先生の見解が印象的であった。
「あめつちに独り生きたりあめつちに断えみたえずみひとり歌へり」
話題は恋愛とは孤独とは、現代社会が抱える恋の問題まで
牧水は現代の社会においても諸々のことを考えさせてくれるのである。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第1章その4「牧水の青春」
2022-08-28
「真昼日のひかり青きに燃えさかる炎か哀しわが若さ燃ゆ」「わが若き双のひとみは八百潮のみどり直吸ひ尚ほ飽かず燃ゆ」
「春哀し君に棄てられはるばると行かばや海のあなたの国へ」(牧水『海の聲』より)
宮崎大学公開講座「牧水をよむ」前期4回の最終回。牧水の第一歌集『海の聲』を4つのテーマに分け、あらためて読み直してきた。出版当時は引き受けた版元が雲隠れして、借金の末にやっと世に出した歌集。宣伝などもままならず、歌壇で評判になることもなかった。だが今にしてこの歌集を読み直すと、牧水の「名歌」といわれるものが多数含まれている。僕たちが「牧水」を考えるとき「旅・酒・恋」の3つは必須の題材だが、その要素が既に『海の聲』には多く見られる。しかもそれぞれのテーマが「海」「空」「日(陽)」など「自然」に寄せた詠み方をしている。冒頭に挙げた3首は今回の資料の「10首」に僕が選んだ歌であるが、まさに「牧水の青春」が素材にも使用語彙にも感じられる歌である。既に園田小枝子への激しい恋慕を燃やしつつ、自らの「かなしみ」に向き合うことで短歌表現を紡ぎ出している印象を受ける。「若さ燃ゆ」とはあらためていいものだと、読み手として自らの若い頃に思いを馳せることのできる歌たちだ。
講座の冒頭には、先週開催された「牧水短歌甲子園」について審査委員長の伊藤先生からいくつかの歌の紹介があった。「モータル」「リリカル」といった語を駆使しながら、現代の若者らしい世界観が表現された歌へ着目されたのはこの大会の新しい風。どこか「読み」の中に「謎」を残すような、明らかにわかりやすい歌との違いに「若さ」が見えるということだろうか。また「戦争」に対して等身大の高校生がどう向き合うか、というテーマの歌の紹介も受講者ともども多様な世代の者として共感できるものがあった。短歌甲子園の歌への批評は、牧水もその「かなしみ」を「自分の外側に独立したものとしてあった」という若き牧水への伊藤先生の見方に連なる。「波」が立ちやすく「霧」の中に置かれたような、若き日の哀しみと苦悩。「安らに君が胸に死(は)てむ日」という下句の歌などには、牧水がその恋に命懸けであったことが知られる。恋に限らず牧水には「対象を好きになる力が高かった」という見解が、伊藤先生から述べられた。恋人も旅も酒も母も家族も、みんな徹底して好きだった。家で酒を飲んでも家族らは決して嫌な思いをしなかった、むしろ子どもらにも愛されたという牧水。現代のクレームや批判が多い世の中で、あらためて「好きになる力」を僕たちは牧水から学びたい。
第一歌集『海の聲』をよむ4回が完結
10月からは第2歌集『独り歌へる』第3歌集『別離』をよむ4回シリーズ
まだまだ牧水の再発見はこれからだ。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第1章「永遠の旅」その3「恋」
2022-07-24
「海見ても雲あふぎてもあはれわがおもひはかへる同じ樹陰に」「風わたる見よ初夏のあを空を青葉がうへをやよ恋人よ」
「髪を焼けその眸つぶせ斯くてこの胸に泣き来よさらば許さむ」(第一歌集『海の聲』より)
宮崎大学公開講座本年度第3回目、第一歌集『海の聲』によむ「恋愛ー牧水と小枝子」を開催。この日は宮崎市中心で「えれこっちゃ宮崎」の祭りが開催されており、多くの人々が浴衣姿やダンスの装束などで沿道に溢れかえっていた。こんな暑い夏を感じさせる光景を見つつ、宮崎大学まちなかキャンパスに向かった。今回はまさに夏の暑さに負けじと劣らない、若き牧水の「恋愛」を歌から読み解く講座内容である。まだ牧水が学生だった頃、親友の人間関係を理不尽だと憤慨し既に日向まで帰省していた牧水は神戸へと引き返す。そこで偶然にも出逢ったのが、園田小枝子という女性である。もとより現代では考えられないほど友情に厚い牧水の純粋な心が、小枝子という魅惑の存在に触れて突如として発火したような恋の始まりである。冒頭に挙げた一首目は、伊藤一彦先生が選んだ歌、東京の武蔵野を二人で歩いた後に帰省の途次に中国地方を歩いている際の歌。二首目が僕の選んだ歌だが、いずれも爽やかな恋人との恋愛がよめる歌である。伊藤先生曰く、旧制延岡中学校での生活は周囲に男性ばかりだったこともあり、大学生となり東京に出た後に知り合った小枝子にには、「大人が麻疹(はしか)にかかるように高熱が出た」のだと云う。日向に帰省した際の牧水もまた、常に小枝子のことが脳裏から離れない歌が多く見られる。
「ああ接吻海そのままに日は行かず鳥翔ひながら死せ果てよいま」伊藤先生と僕が共通に選んだ歌は近代短歌史上、究極の「接吻(きす)」の歌。俵万智さんの『牧水の恋』(文春文庫)に詳しいが、千葉の根本海岸で牧水が小枝子と結ばれた際の絶唱である。この根本海岸で二人で過ごした時間こそが二人の恋愛の頂点でもあり、次第に坂を転がり落ちるように恋に陰りが見え始める。もとより小枝子は人妻であり、姦通罪がある当時としてはまさに禁断の恋。根本海岸にも小枝子の従兄弟に当たる赤坂庸三ふが同行しており、俵さんは「カモフラージュ」も施していたと読み解いている。冒頭の三首目の歌は、思わせぶりながらどっちつかずの小枝子に身を削って詫びを求めるような歌。伊藤先生は「君かりにその黒髪に火の油そそぎてもなほわれを捨てずや」を選んでおり、激しい「怨言(かごと)」などを投げかけた牧水の心の苦しさも伝わってくる。「君を得ぬ」とは言いながら、愛の海に「白帆を上げぬ」と邁進しようとしても「何のなみだぞ」と自問する牧水。どのような状況であっても、牧水の純朴さがまずは読み取れる歌に真に人としての良さを感じ入ってしまう。この純な牧水の恋の思いに、受講者とともに若き日の自らの恋とも重ねわせ、実に豊かな「永遠の恋愛」が各自の中に宿るような講座内容となった。
「山ざくら花のつぼみの花となる間(あい)のいのちの恋もせしかな」
激しい恋愛に磨かれて表現者として成長した牧水
愛する相手にも文学にも、向き合うのは命懸けであることをあらためて学ぶのである。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第1章「永遠の旅」その2「故郷」
2022-06-26
「われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ」「父母よ神にも似たるこしかたに思ひ出ありや山ざくら花」
「しとしとと月は滴る思ひ倦(う)じ亡骸(むくろ)のごともさまよへる身に」
毎月第4土曜日に開講している公開講座「牧水をよむ」第2回目。ゲスト講師に伊藤一彦先生をお迎えし、宮崎市中心部「まちなかキャンパス」で実施している。「第1章」としたのは、牧水の第一歌集『海の聲』をテーマごとに読んでいる。毎回、テーマに即した歌を伊藤先生と僕の双方が10首を選び資料としている。同じテーマゆえに共通した歌もあるが、双方の問題意識で違った歌があることも大変に興味深い。これこそが短歌や牧水の多様性であり、一面的な見方に終始しない短歌史に名を遺す歌人の普遍性のようにも思う。各自が創作した歌会でもそうだが、「わかりやすく人気を集める歌」が秀でているとは限らない。多様な解釈を赦し永遠の問い掛けに呼応する歌こそが名歌と言えるのだろう。今回はそのような「歌会」の方法も講座の展開に応用し、受講者のみなさんに資料の中から「好きな歌」をそれぞれ1首ずつを選んでもらった。その歌にコメントをいただいた中には、受講者のみなさん自身の「故郷観」がよく表れていた。「故郷の地形」「父母の影」「みやざきの素晴らしさ」等々、牧水が歌として遺した「永遠の旅」の中で、よむ我々の人生が投影される機会となる。
第1歌集のしかも巻頭歌は、大変に重要だ。冒頭に記した1首目が牧水の巻頭歌で、「歌をうたへり」ということの様態が「故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ」だと云う。「かなしみ」をひらがなで表現しているのも多様な語義への解釈を許容し、「哀し」「悲し」「愛し」など古語への思いが広がる。読者は巻頭歌で「謎かけ」をよんだ気分になり、先の歌をさらに読みたくなる。また「あとがき」も重要であり、そこにある歌人の思いや訴えにこそ歌集を読み進める誘惑があると伊藤先生の弁。意図せず「第1歌集制作論」も披露され、歌作に取り組む方々には大変参考になる内容となった。また牧水は「世にみなし児のわが性(さが)」と詠むが、「涙わりなしほほゑみて泣く」とあるように孤独の心の二面性を詠む。富国強兵政策が吹き荒れる明治40年代にさしかかる頃、これほど「(男が)かなし」を詠むことには勇気が必要だっただろう。だがその素顔の心を詠むのも、牧水の純朴さである。そしてやはり「故郷」といえば「父母の歌」、「母恋し」「父母よ」「日向の国」など「初句切れ」の韻律を模索しつつ、「父の威厳」そして「母への絶えない慕情」を詠む。十二歳から故郷を離れ延岡で学校生活を送った牧水、二十歳には文学を志して東京へ。思春期に母とともに過ごしていないことが、一生涯にわたり「母」を慕う要因にもなったのではと伊藤先生。「故郷」の旧友たる日高秀子の夭逝、「蟋蟀(こおろぎ)」の声に「涙もまじるふるさとの家」、そして「大河」は「海避(よ)けて行け」という思いは、やはり故郷の坪谷川が世界に宇宙に連なるもので、自らが旅に自然に永遠に歩み続ける象徴でもあっただろう。
宮崎県南部の無医村に出張していた父を訪ねた際の歌も
「わだの原」「檳榔樹」「都井の岬」
次回7月はいよいよ「牧水と恋」の回となる。
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宮崎大学公開講座「牧水をよむ」第1章「永遠の旅」その1
2022-05-29
「あくがれて行くー牧水永遠の旅」なぜ第一歌集『海の聲』に名歌とされる歌が多いのだろう?
ゲスト講師に伊藤一彦先生をお迎えし対談形式の新講座開講
いくつかの「何年ぶり」がある中、新講座が開講日を迎えた。感染者数はそれなりに高止まりだが、大学でも全面対面講義が実施されることもあり、公開講座もまちなかキャンパスに定員20名は遵守されつつも対面開講できた。もとより僕自身がもう5年ほども学部業務や役職で公開講座を開講できていなかった。赴任2年目から3年間ぐらいは「朗読」で多くの文学作品をともに読む講座を実施していた。その後、伊藤一彦先生との深い出逢いに恵まれ短歌と牧水に執心し、2016年頃から『牧水研究』にも毎号評論を執筆してきた。牧水の命日たる「牧水祭」においては、2019年に伊藤一彦先生との対談もさせていただき、「牧水短歌の力動性」という自分なりの牧水研究の切り口も見つけることができた。こうした長年の蓄積があって、今回はゲスト講師に伊藤先生をお迎えしての講座を開講できたことは誠に嬉しい限りである。そこであらためて牧水短歌を第1歌集から読み直してみようという試みを掲げ「第1章:永遠の旅」というタイトルの4回シリーズを本年度の前期に計画した次第である。
牧水の代表歌とされる「白鳥は」「けふもまた」「幾山河」などの名歌は、いずれも第1歌集『海の聲』に収載されている。だが早稲田大学卒業の頃の若き牧水は、出資予定者が隠遁してしまい師匠の尾上柴舟に借金をし700部ほど出版するものの、ろくに宣伝もしなかったことから歌壇・文壇で認知されることはなく大いに落胆したのだと云う。しかし後に歌人として著名になってからは、もちろん重複をして後の歌集に再掲した歌があったのも確かだが、今でも高い評価を受けている歌が多い。この日の講座で伊藤先生の弁によると、「第一歌集というのは歌人が意識・無意識を問わず自分の全てを出してしまう」のであるという興味深い見解が聞けた。それは与謝野晶子『みだれ髪』、斎藤茂吉『赤光』塚本邦雄『水葬物語』佐佐木幸綱『群黎』俵万智『サラダ記念日』などを見ても同様だと云う。いわば、その歌人の骨格たる歌が第1歌集に見えるというわけである。牧水の代表歌は何といっても「白鳥は」であるが、『海の聲』の中には他にも多くの「白鳥」を題材にした歌が見える。そうした同じ題材を多様に試作する姿勢があったからこそ、究極に素朴で普遍的な名歌として「白鳥は」の歌が人口に膾炙したということだという見解が具体的な資料とともに示すことができた。また僕が選んだ10首の牧水短歌は、「韻律の冒険が見える」という伊藤先生の指摘も重要であった。単なる五七調ではない「句割れ」のような歌作試行がこの時期の短歌に読める。「海」を甚だ意識することは「山」を意識し、双方をつなぐ「川」も意識することになる。その円環が「聲(反転した沈黙・しじま)」により循環するという牧水短歌の真髄が、既に第1歌集『海の聲』に読めるという再発見の講座となった。
次回(6/25)は「故わかぬかなしみどもー牧水と故郷」
伊藤先生と双方の資料から再発見のある講座
短歌を求めることそのものが「永遠の旅」であると再認識する機会であった。
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