2017前期公開講座ー牧水短歌の力動を読む

2017-07-02
「雲見れば雲に木見れば木に草にあな悲しみの水の火は燃ゆ」
「相見ねば見む日をおもひ相見ては見ぬ日を憶ふさびしきこころ」
(若山牧水・第一歌集『海の声』より)

公開講座を開講して四年目となるが、今年は学内教務実習担当であることや、秋に和歌文学会大会を控えて準備に当たっていることもあって例年通りの回数ができず、期待していただいている方々には申し訳ない思いでいっぱいである。それでも初年度から継続的に受講いただいている方を拝顔すると、誠に自らの使命を再確認するようで嬉しい気持ちでいっぱいになる。制度としても前期・後期分割募集となって、会場も新設された「まちなかキャンパス」の使用が推奨されている。という事情ながら、前期唯一1回の公開講座を「まちなか」で実施した。今回は牧水短歌を声に出して読むことで、その「力動」を実感しつつ、第一歌集が『海の声』と称されている意味を再確認できればという趣旨設定とした。

牧水が青春時代を過ごし歌人として登場してくる明治30年から40年代にかけては、庶民の読書環境が大きく変化した時代である。つまり従来が「音読(音声)」を中心にした享受が為されていたのに対して、社会環境の大きな変革によって「黙読(文字)」することの方が「高度な読書法」として定着し始めたというわけである。このあたりの事情については、牧水研究会発行『牧水研究第20号』(2016年10月発刊)に「牧水の朗誦性と明治という近代」と題する評論に、先行研究資料も引用して詳述したので、そちらを参照願いたい。この日の講座には、事務局長以下、牧水研究会会員のみなさまも多く参加いただき、短歌を牧水をともに考える仲間として、大変ありがたい限りであった。こうした人と人との繋がりが、”日本のひなた”宮崎は実に温かい。

さて今回の「力動」というキーワードは、著名な評論『声の文化と文字の文化』(W・J オング著・桜井直文他訳・藤原書店・1991年)によるものである。英語では「dynamic」であり、むしろ外来語として「ダイナミック」と日本語の中で使用してしまうので、その本質が朧になっている語彙であるようにも思う。当該書に示された「声の文化」としての考え方としては、「活字に深く毒されている人々は、ことばとは、まず第一に声であり、できごとであり、それゆえに必然的に力によって生み出されるものだ、ということを忘れている。」とされている。また「テクストを『読む』ということは、音読であれ黙読であれ、そのテクストを音声にうつしかえることである。」として、「ことば」が「意味」をもつためには「声」が必然的に介在することを述べる。さらに「声の文化」の特徴として、「累加的・累積的」「人間的な生活世界への密着」「感情移入的参加的」「恒常性維持的」などが挙げられるとされている。今回はこうした特徴に当て嵌めて『海の声』所載の短歌を類別し、受講者とともに声で読みながらその内容について対話の時間を持った。歌の内容からして、牧水若き日の小枝子との恋愛に関する歌も多くなり、現在、文芸雑誌『文學界』に連載中の俵万智さん「牧水の恋」における歌の読みも時折紹介しながら、伊藤一彦さん選の岩波文庫版『若山牧水歌集』には掲載されない歌も多く、受講者の中からは、新たな発見があったという声をいただいた。

「青の海そのひびき断ち一瞬の沈黙(しじま)を守れ日の声聴かむ」
「空の日に浸みかも響く青々と海鳴るあはれ青き海鳴る」
「わが胸ゆ海のこころにわが胸に海のこころゆあはれ糸鳴る」
「わがこころ海に吸はれぬ海すひぬそのたたかひに瞳(め)は燃ゆるかな」
「悲しきか君泣け泣くをあざわらひあざわらひつつわれも泣かなむ」
「夜半の海汝はよく知るや魂一つここに生きゐて汝が声を聴く」
「悲哀(かなしみ)よいでわれを刺せ汝がままにわれ刺しも得ばいで千々に刺せ」
(公開講座引用歌の一部・『海の声』より)
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公開講座「百人一首の響きー『ちはやふる』解説本を読む」

2016-12-18
みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに(源融)
ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは(業平)
このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに(道真)

本年度公開講座第5回目は、標題の内容。『百人一首』カルタ競技を題材とする先頃映画化もされた、アニメ『ちはやふる』「公式ガイドブック」(Amazon「百人一首」部門売り上げ1位)の著書・あんの秀子氏をお迎えした。あんの氏は以前から諸方面でライターとして活躍しており、『百人一首』関連の書籍を数多く執筆され、最近の『百人一首』ブームで活躍中の方である。実は僕の大学学部時代のサークルの先輩でもあり、卒業後も様々に交流があった方でもある。空港までお出迎えに上がり、宮崎の青い空と海山をご覧になり一言「心が洗われるようだわね」と。研究室で軽い昼食をとっていただいた後、午後の講座を開会した。講座前半は主に「百人一首の魅力」と題してあんの氏の講演。時折、僕が対談的に話題を差し入れ歌人の背景や国語教育との関係など多方面に話題は展開した。カルタ取りをすると和歌そのものの内容はあまり重視されず、札を取ることに興味が集中すること。藤原定家撰の百首ということで、定家や俊成の筆跡の比較を古筆図録などを使用して紹介。百首がどのような配列構造になっているかなど、その基本知識から奥深い点まで、受講者のみなさんを納得させる話が披露された。

『百人一首』になると、どうしても個々の歌一首のみで歌を読んでしまいがちだ。歌の場面や背景は、各歌が元々収められている勅撰集を参照すればより一層理解しやすくなる。僕に与えられた解説の要点は「六歌仙」と「道真」であった。アニメタイトルともなった「ちはやふる」は冒頭にも掲げた業平収載歌の初句であるが、恋の歌が多い業平には珍しく「もみぢ」を題材とした歌が取られている。『古今集』を見るとこの歌は、素性法師の「もみぢ葉の流れてとまるみなとにはくれなゐ深きなみや立つらむ」(293)と並んで配列され、「龍田川にもみぢ流れたる」が描かれた屏風絵を題材として詠まれたという背景が詞書からわかる。この業平歌に代表されるように、六歌仙とは漢詩文全盛の時代下において、新規な和歌の試みに積極的に関与した存在である。『後撰集』雑などに収載される「石上寺」での小町・遍照の贈答歌などを読むと、褻(け)の歌の遊戯的な贈答として実に面白い。また、菅原道真はまさに漢詩文に長けた秀才であったわけだが、「このたびは」の歌には隠れた背景がある。宇多上皇の吉野行幸に同行した道真らは、奈良で紀長谷雄という漢詩人が馬に足を踏まれて怪我をし帰京を余儀なくされる。長谷雄が同行し続けたならば、道真とともに優れた漢詩を行幸中に数多く詠んだことだろう。しかしそれが叶わなくなって招聘されたのが、素性法師なのであった。結果的に和歌の得意な「代打」の影響から、行幸中に和歌も多数読まれることになった。道真の歌に「ぬさもとりあへず」といっているのは、長谷雄の不測の事態を受けて、「とりあえずは美しい紅葉を神に供奉しよう」という旅の安全を祈る一行の願いでもある。ここで取り上げた業平・道真の歌にはともに素性法師が関係している点も興味深い。

やまとことばは和歌の伝統があってこそ生き続けている
歌を読めば日本の文学史は多角的に理解できる
あらためて『百人一首』を読み直し、歌のちとせの伝承の偉大さに酔ふ宵の口。
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2016公開講座第2回「ファンタジーの響き」

2016-07-17
読み語る「声」と「こころ」
対象年齢を超えて味わいたいファンタジー
そこに「葛藤」があり、「葛藤」は人生の中心だから。

今年度公開講座第2回「ファンタジーの響き」を開講。来月実施する地域連携群読劇「星の王子様」へ向けて、受講者の方々と「読み語り」の意義とともに「声」で絵本を味わう大切さを体験する内容とした。よく講習等を通じて「絵本は何歳ぐらいまで読んであげたらよいのですか?」、という質問を受けることがある。その際に僕は「絵本には対象年齢はありません。高齢の老人でも大人でも味わうことができます。」といった趣旨の回答をすることにしている。実際問題として大人の方が絵本の中で描かれることを味わい、穏やかで優しい気持ちになったという報告を聞き、この回答に確信を持つことがある。僕自身は幼児の頃から、絵本が大好きでよく一人で本を読んでいた。その中に出てくる人間社会の様々な「葛藤」に、幼心が大きく揺さぶられたのだと今にして思う。ここに「ロバート・ペン・ウォーレン」の「「フィクションを読む理由」を引用をしておこう。

「フィクションが好きだから。
 フィクションには葛藤があるからーそして葛藤は人生の中心だから。
 その葛藤がわれわれを日常の退屈さからめざめさせてくれるから。
 フィクションはわれわれの感情を、涙、笑い、愛、憎しみなどで発散させてくれるから。
 そこに記された物語が自分自身の人生の物語への手がかりを与えてくれるだろうから。
 他人の生活に逃げ込むことによって、生活の重圧から解放されるから。」


「ファンタジー」はもちろん虚構である。だが「虚構」にこそ人生の「真実」が埋め込まれている。僕たちは社会という荒波の中で、ともすると自分を見失い「見るべきものも見ないで」過ごしていることも多い。そんな荒涼たるこころに一滴の「フィクション」を差せば、遥かに「こころのかたち」が見え易くなる。自らを対象すべき「物語」の中に置き、相対化することで初めてこころは豊かに起動し始めるということだろう。元来、「文学」とは僕たちの「生活に意味を与えるもの」なのである。ところが学校空間では、それを「ワークブックに押し込めたり」とか「学問的に解剖する」など、「論理的」などという体裁の上で技術的に扱うことのみに終始するので、「本来の目的」を失ってしまう。「感想文」「語彙テスト」「答えを得るため」といった狭量で権威威圧的な作為で、豊かなはずの文学を歪めているのも事実であろう。僕は幸いにして幼稚園の時に、学校空間に先行して「豊かなこころの窓口」に出逢ったということになろうか。最後にまた「ゲイル・E・ヘイリー」の言葉を引用しておくことにしよう。

「生きいきと受け答えをしてくれる大人に、じかに話しかけられたことのない子供は、ちゃんとした話し方を身につけることはないでしょう。尋ねても答えてもらえない子供は、尋ねることをしなくなるでしょう。そういう子供は、ものごとへの好奇心を失っていくでしょう。そして、お話をしてもらったり、読み聞かせをしてもらったりすることのない子供は、本が読めるようになりたいとも思わなくなるでしょう。」

今夏、1人でも多くの子どもたちと大人たちに
こうした文学との豊かな邂逅をしていただき
穏やかなこころで人生を歩んでもらいたいと思っている。

群読劇公演は、8月6日(土)7日(日)18:00〜
宮交ボタニックガーデン青島にて開催。(詳細は後日小欄に掲載します)

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3年目の公開講座始まりました

2016-06-05
地域の方々との出逢い
「朗読で味わいを深める日本文学」
毎年受講してくだる方々も、新たにいらした方々にも感謝

地方大学の大きな役割として「地域貢献」がある。東京在住時は、私立中高教員であったり大学非常勤講師であったりで、ほとんどこのようなことを考えることもなかった。だが、居住地周辺の自営業店舗を大切にしたり、マンションの管理組合運営に協力したりと(理事長を2期経験)、「地域」への意識は高かったと自負できる。それゆえに現在の勤務校では、格好の条件で「地域貢献」に取り組むことができる。中でも自らが深い研究対象としてきた「日本文学」を通じて地域の方々と交流し、その魅力を享受していただける公開講座の機会は、誠に充実し楽しい時間となる。それは「地域貢献」も仕事のうちとして、無償で実施しているので尚更、この気持ちに自らが支えられているということにもなる。2年前の5月に十数名の受講者にいらしていただき開講してから、2年の月日が経過した。

今年度も諸々の仕事とゲスト講師の調整に追われ約1ヶ月ほど遅れて、ようやく開講した。初年度から必ず受講してくださる方々が再び教室にいらしていただき笑顔で挨拶をいただくと、誠に心温まる思いである。また新たな顔ぶれの方、そして地元の短歌で懇意となった方々にもいらしていただき、次第に広がりある受講者の面々となってきた。今回は原点に帰って、古典を題材として『伊勢物語』を丹念に朗読していくといった内容で実施した。和歌が人の心情の高まりを実に見事に切り取って表現する文学の粋たる存在であることが、この歌物語を声に出すと体感できる。「文字」を読むこと全盛の時代にあって、「声」による享受が優位であった時代の文学もあったことが実感として理解されてくる。序詞・掛詞・縁語などの和歌技巧を、知識として理解するのではなく、「音」から聴き取ることで、和歌に対する考え方も多様になる。「なまめいたる」「物語す」などの古語は、意味のみならず語音を味わってこそ物語の魅力も増すというもの。3時間の講座を受講者のみなさんとともに、文学の楽しさを実感しつつ過ごすことができた。

豊かな心を共有する機会
自分自身のためにも大切な時間
この地域の優しく穏やかな受講者の方々への感謝を常に忘れずに。
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2015第5回公開講座「詩歌の力」

2015-12-20
「(原文の)句読点と伝わる声とは違う」
「一気に読み切る時もあり、スローダウンする読み方も」
ゲスト講師であるアナウンサーの方の指摘が光る!

昨日の小欄にも記したように、ゲスト講師に地元放送局の名パーソナリティである薗田潤子氏をお迎えして、今年度第5回目の公開講座を開催した。薗田氏は「語り」を深く学んでおり、主に現代小説を身体化するレベルまで読み込み「語る」という、アナウンスのみならず”ことばの伝道師”といってもよい存在である。僕自身のラジオ出演を契機に、ことばのこと、朗読のことなど様々に学ぶ機会をいただいていたが、今回ようやく共演できる幸運が巡り来た。長年のアナウンサー経験がありながらも、更にことばを伝えることの深層を学びたいということで「語り」の師匠に入門したという。それでもなかなか「詩」を朗読する機会は少なかったと薗田氏。彼女にとっても今回は新たなる挑戦の機会となったと僕は受け止めていた。結婚式などで披露されることの多い「祝婚歌」を読んでみたいという薗田氏のご希望もあり、僕自身もこの1年ほど吉野弘の詩を教材開発してきた経緯もあって、前半は「吉野弘の世界」と題して朗読を展開した。「祝婚歌」「I was born」「創世記ー次女万奈へ」と三作品を薗田氏、「生命は」「香水ーグッド・ラック」「夕焼け」の三作品を僕が朗読した。誰もが経験し得る日常にある光景ながら、なかなかことばにはできず「見えていない」ものを「見える」ようにする吉野弘の詩。人は「他者」との関わり合いからすべてが始まり、生命が生まれ引き継ぎ死を予感する。そんな人間世界の常道を、繊細なことばで紡ぎ出した詩の余白に、朗読していても圧倒される瞬間がある。今回、薗田氏の朗読も聞いて、あらためて吉野弘作品を学校現場を始め、様々な場に提供し多くの人が「生命」について「人」について考えるべきだと思いを新たにした。

その後、学生による谷川俊太郎の詩の群読。2年生有志がここ3週間ほどで作品決定、脚本構成、声に出す練習、演出、発表形態など様々なことを自ら模索し作品を制作して来た。彼らも決して時間的に余裕があるわけでもなく、昼休みや空き時間を利用して全員が集まれる時間を確保し、彼らなりに苦闘しながらこの日の発表まで漕ぎ着けた。前日夕刻遅くまでのリハーサルでその成果は顔を覗かせていたが、本番となって更に作品は聞き応えのある段階に飛躍していたといってよい。「群読」を小中高校大学での学習機会に数多く制作して来た僕であるが、いつでもどこでも緊張度の高いそれなりの発表機会があることが、児童・生徒・学生を逞しく育て上げる。吉野弘の詩にあるように、人は「他者」との関わりがないと「衰滅」してしまうのである。内向き志向といわれる現在の学生たちゆえに、こうした発表機会は貴重である。教員志望であれば尚更、こうした「他者」にライブで発表する機会から学ぶことは計り知れないであろう。学生たちの健闘を讃えるとともに、教員養成学部にいる僕自身がすべき仕事の意味を再確認する機会となった。更には「受講者とともに朗読するコーナー」では、「初恋」「山のあなた」「道程」「汚れつちまつた悲しみに」などを受講者の方々とともに朗読。各詩に薗田氏からワンポイントアドバイスが即興で加わり、受講者のみなさんの声が生き生きして来る。薗田氏の指摘には「解釈」をどのように「伝える」ことに昇華させるかという点で、学ぶ点が多かった。最後は「平和を祈る詩歌」として僕は竹内浩三、薗田氏は『第二楽章』と谷川俊太郎の『戦争しない』を朗読。戦後70年の節目の年が暮れなむとしているが、いつまでもどこまでも変わらぬ平和の誓いを、僕たちはことばで声で表現していくべきであろう。ちょうど山田洋次監督作品「母と暮らせば」が封切りになったばかり。会場の受講者で戦争経験者の方が「なかなか子や孫に体験が伝えられない」という悩みを吐露された。「しかし、今日の講座を聴いて、詩などを子孫に聞かせて、そこで私の体験を起ち上げて伝えて行けばいいことがわかりました。」という貴重なご意見をいただき、この日の講座は幕を閉じた。

ことばに学びことばを伝える
薗田氏・受講者・学生たちと創った3時間
詩歌を学ぶことを人生の選択とした、自分自身の幸せを感じるひとときでもあった。
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2015第3回公開講座「読み語りの力」

2015-10-04
呼吸と声と文体と
「届く声」の正体は「息」である
一期一会のLIVE創作に酔い痴れるひととき

今年度第3回公開講座テーマは、「読み語りの力」である。この地にいらして3日目のとなる下舘あいさん(女優)と下舘直樹さん(ギタリスト)をお迎えして、「小説・絵本を読む」といった内容とした。冒頭お二人の挨拶代わりに詩『おぼえておいて』の朗読。僕たちは「風の中で耳にした声」をあらためて聴いて、ことばを語り継ぐことの掛け替えのない尊さを実感するのである。次に「小説冒頭文の力」というコーナー。あいさんは芥川龍之介『蜘蛛の糸』、僕は漱石『草枕』冒頭文を題材に朗読とトークを展開。芥川の文体というのは、実に「息」と合致して句読点が施されているので、大変読みやすいとあいさん。漱石は漢詩・俳句にも才能を発揮した文豪であるゆえ、語の音律にも敏感で「智に働けば角が立つ・・・」といった七五調の軽快な音律のある文体で小説を書き出している。明治・大正・昭和の文学においては文語体から口語体へ様々な言語的変遷もありながら、音律も大きく変化して来たことだろう。比較の意味で今年の芥川賞作家である又吉直樹さんの「火花」の冒頭一部を朗読で僕が紹介したが、やはり「書き言葉」であり「文字全盛の時代の文体」になっている印象だ。それでも「又吉さん御自身が読んだら合う文体ですね」とあいさんのコメント。

講座の後半は、あいさん&直樹さんの真骨頂である『リトルツリー』。絵本作家・葉祥明さんの作品を、見事な語りでその場に再現してくれる。表情と身体の動きに息づかい、いずれも自然の中の生き物すべてが共存しているということを体現しているようなあいさんの語り。そして自然という概念を超えて優しく包み込むようなギターの調べが声と交響する。「あなたはあなたになるために生まれてきたのよ」という生物存在の根源に語り掛けるようなことばが、聴く者のこころに柔らかく囁いて来る。100年単位の時の流れ、人間と云う存在の醜さ浅はかさ、そして樹木をはじめ動植物の素朴で素直な生きるという歩み。だいぶ久し振りにこの作品の語りを聴いたので、僕自身も自らの存在如何に深く思いが及び、ついつい涙腺が緩んでしまった。その後、会場の方々から多くの賞讃とともに、お二人への興味深い質問が為され、生きる者としての豊かな「対話」が為されたのであった。

声は限りない創造性を持っている
そして「語り」は毎回違った「生き物(LIVE)」にほかならず
あいさん&直樹さんとともに、また新たな「生」が僕自身の中にも芽生えた気がした。
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古典の力ー公開講座の共感性

2015-07-12
学びたいという意欲が
深い共感性を呼ぶ
受講者とともに朗読するひととき

古典を身近に親しみを深めるというのは、現在の国語教育の大きな一課題である。教員を目指して来た大学生であっても、なかなか古典に親しみを覚えて学んで来た者は多くはない。だが一転して公開講座受講の方々は、古典への興味が深いように見受けられる。それがまさに、人生の年輪と正比例するということなのか。先週、サザンオールスターズのLIVEを久し振りに堪能し、「共感性」とは何か?ということを自己の課題として考えていた矢先であった。講座開始直後には「イヤな事だらけの世の中で」というサザンの曲をBGMとして、自然とその歌詞が「聞こえる」ような仕掛けを施した。そこには京都の「四季」を描いた極めて日本文化の象徴的なフレーズが含まれている。そして古典和歌の持つ、四季の到来と辞去を言葉で咀嚼する表現の朗読を開始した。

和歌とは抒情性があり、「天地(あめつち)」や「鬼神(おにがみ)」を動かし、「男女(おとこおんな)の仲」をも和らげるという「力」があると解していた『古今和歌集仮名序』から朗読開始。更には『万葉集』額田王・持統天皇・山部赤人・大伴家持らの季節を詠んだ歌を朗読していく。そして『古今和歌集』から、季節の境界をどのように意識していたかを、ことばで切り取った和歌の数々を読んで行った。我々は自然の巡航の中に身を置いている。そして人間としての独善的な発想で、その「自然ー四季」を統御しようとして来た。それは決して科学を「叡智」と呼んで強引に引き寄せようとして来たわけではない。そのような傲慢の極みの歴史は、たかが100年程度のことなのである。自然から受けるのは恩恵のみにあらず。人間にとって様々な困難も自然は提供する。それを強引に拒絶するのではなく、自然の巡航に敬意をもって接していた時代のことばを、古典は私たちに教えてくれる。講座の最後には、『徒然草』から滑稽談と自然への接し方を述べた段を原文で朗読し、その内容に受講者とともに共感した次第である。

随所に笑いを交えて楽しき3時間
非常に高い共感性を得た思いである
受講者の方々の豊かな心が、僕に学生たちに伝える意義を再認識させてくれた。
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「名言の力」が偉大である理由

2015-05-10
偉人が残した名言の力
どこか生きる機微を伝えてくれる
文学ならぬ生き様を語った珠玉の言葉

本年度公開講座「朗読で味わいを深める日本文学」第1回目を、ゲスト講師に真山知幸氏をお迎えして「名言の力(偉人の名言を読む)」と題して開催した。真山氏は著述家・人物研究家であり、歴史上の偉人や大富豪など名言集の著作が多数ある。僕が名言の数々を朗読し、真山氏にその背景や裏事情など、雑学的な部分に及ぶまでの解説を加えてもらい、味わいを深めた後に受講者全員で、その名言を”体験的”に声に出して読むという構成である。在京時に一度、あるワインバーで同種のささやかな朗読会を開催したことがあるが、それを公開講座という開かれた場で実施しようと試みたものである。

真山氏が選定した名言は、第1部「親子関係で読む名言」第2部「大富豪の名言」第3部「今を見つめ直す名言」の三部構成となっていた。偉人たるや、やはり親の一言を契機として、その偉業への扉を開けるというケースが多いようである。当人のみならず親が子に掛ける言葉の影響力を存分に感じられる内容であった。また第2部の「大富豪」に見られるように、破天荒で人並みはずれた人物が、その生き様を語った言葉には、妙な力が宿っているものである。更には立川談志師匠の「現実は正解だ。現実は事実なんだ。」といった趣旨の言葉には、様々な年代を生きる我々に現状(今)を受け容れることの大切さを考え直させてくれる。

我々は自己の生活の中でも、様々な人物と出逢いを繰り返すことで、その相手の反応によって己を知り、その己をどのように仕立て言葉を紡ぎ出し、前に向かって生きて行こうかと模索する。「生きる」とはまさに人と関わることに他ならない。だがしかし、一生かけても出逢うことのできる人物は限られている。そこで文学で人の生き様を知る読書が、生きる意味を見つけるためにも有益な手段となる。そして文学のみならず、歴史上に名を遺した偉人の言葉を読み、それを自己を起ち上げて味わい考えることで、羅針盤のように生きる方向付けが為されることがある。ことばの力というものはまさに偉大なのであるが、偉人が偉人たる所以はことばのみに宿っているのである。こうした意味で、「名言の力」を再考する意義深い講座となったと自負している。

ことばを以てしてしか、人は物事を認識できない
偉人と呼ばれる人物がなぜ「偉大なる人」なのか
名言集によって生きる意味を問い直す。
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今年も公開講座はじめます

2015-04-24
全6回
うち4回はゲスト講師招聘
今年も公開講座はじめます

昨年度、初めて公開講座「朗読で味わいを深める日本文学」を開講し全8回を実施し、受講者からは好評の声をいただいた。1月の最終回には「次年度はよりパワーアップしたラインナップでお送りします」といった趣旨のことを公言したので、様々な模索の末に今年度は冒頭に記したような内容となった。名言集を手がける著述家による偉人たちの解説。女優さんとギタリストのコンビによる読み語り。落語家による入門編と古典落語。語りに定評のあるアナウンサーによる詩の朗読。以上のように多彩なゲストをお迎えして、6回の講座を展開することになった。

パンフレットやチラシも完成し、居住地周辺で懇意にする方々に依頼し、パンフの配布を始めている。お世話になっている銀行、洋食屋さん、焼肉店、小料理屋、地元産直市場、パン屋さん等々に僕の公開講座パンフを置かせてもらっている。みなさん「喜んで」といった風に扱っていただき、誠に感謝の念が絶えない。ぜひともこれが功を奏し、昨年度の受講生に加えて多くの方々に受講いただきたいと思っている。ちなみに第1回は、連休明けの5月9日に開講となり、人物研究家で著述家の真山知幸氏(小欄リンクからブログに行けます)をお迎えすることになっている。

さて今年度も地元市民の方々と
声の魅力を存分に味わおう
本年度の副題は「ことばの力・声の力」である

詳細は大学HP平成27年度公開講座「朗読で味わいを深める日本文学」にあります。
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希望の一番星を求め続けよう

2015-01-11
「絶望之為虚妄、正与希望相同。」(魯迅の日記より)
(絶望の虚妄なること、正に希望と相同じ。)
この逆説に一番星を求め続けたい。

今年度公開講座の最終回(全8回)。受講者の方々に「朗読したい題材」を選定してきてもらい、その朗読に基づき「対話」を醸成するという趣向とした。これまで文学作品冒頭文・詩歌・『走れメロス』『平家物語』などを僕の方から題材を提供して来たが、その効果よろしく多彩なテキストを選定していただき、充実した対話を創り出すことができた。そして「なぜその作品を選定したか?」という点に、みなさん深い思い入れがあった。

「思い入れ」とは何であろうか?僕たちの豊かな読書生活を可能にするのは、「自己」を起ち上げてテクストに向き合うからであろう。人生で出会う様々な喜怒哀楽、そして苦難に向き合った際に、自己を相対化する読書があるかないかで、その乗り越え方に大きな違いが生ずるように思う。受講者の方々も、自己の人生を鏡に映し、そしてまた「後ろ鏡」にも複眼的に映し出すことで、各自の「生きる」を支えていらっしゃることが十分に伝わって来る朗読であった。

仏での事件を新年から眼の当たりにし、
戦慄の時代に既になっていることを自覚する。
文学を愛する受講者の方々の感性は、僕と同線上かそれ以上に豊かであった。

それが僕の一番星!
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