時代は再開発ではなく
2023-09-20
高度経済成長と都市開発の波もはやあの過去の上塗りでいいのだろうか?
西洋列強への劣等感でも戦後復興でもない新しい選択を
東京駅付近の再開発現場で起きた痛ましい事故の報道を見るに、果たして再開発に邁進する都市の工事に無理はないのか?という疑問を抱く。亡くなった方には、謹んでご冥福をお祈りしたい。東京のビルの高層化は歯止めがなく、高度経済成長期の建物が60年以上を経て老朽化したということもあるのだろう。さらに高層化が促進し今や「高層ビル群」は「新宿」のみの代名詞ではない。その地下には網の目のように地下鉄が走っていることを考えるに、元々は河口付近の沖積低地が多い「江戸」の地盤は果たして大丈夫なのかと思う。高層化は膨大な床面積を生むのだろうが、それほどのスペースが未だに足りないというのだろうか。
単純化して考えるならば、都市の米国化と言い換えられそうで、決して都市の欧州化ではない。明治時代は英国・独国などに学ぶことも多く、その延長に文化的な風潮が胎動したのも確かだろう。しかし戦後の開発の波は、明らかに米国化一辺倒であり強引で歯止めの効かない社会を生み出したのではないか?さらに時代は変化し世界は新たな持続可能社会へ舵を切ったにもかかわらず、この国は未だに過去の米国化の波から脱することはないように思う。すると明治・大正期までに継続・維持された文化的な価値まで、強引な開発で壊してしまいかねない。今こそ日本の近現代史という広い視野の上に立ち、あらゆることを自己省察し改めなければならない瀬戸際なのではないかと思う。関東大震災から100年、その教訓も忘れてしまい東京はさらに肥満となり「成人病」の症状があらゆるところで露呈し始めているのではないか。
「西洋は自然に対峙」はもはや過去のこと
近現代史の傲慢を悔い改める曲がり角にある
我が故郷の東京よいづこへ・・・・・
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神宮は故郷〜「杜の詩」に寄せて
2023-09-04
あの球場での劇的なドラマ美しい杜のために通ったバイト
東京六大学野球の聖地として・・・
サザンオールスターズの3ヶ月連続新曲配信・第3弾が、2日のラジオ番組で初オンエアされた。「Relay〜杜の詩」それは3月に亡くなった音楽家・坂本龍一さんが訴えていた「神宮の杜再開発反対」のメッセージを引き継ぐ内容であった。坂本さんを筆頭に音楽家の社会活動は、欧米では一般的だが日本ではあまり為されない。昨年来のウクライナ侵攻に反対の曲を出したのも桑田さんの声掛けで同級生ミュージシャン5人が集結した「時代遅れのRock’n Roll Band」ぐらいであった。このような意味で、サザンとして今回の曲を世に送り出すことの勇気と意義に大きな賞讃を送りたい。サザンもデビューの頃から45年、神宮の杜を見渡す一角にあるビクタースタジオで曲作りやレコーディングに取り組んできたわけで、まさに「故郷喪失」への訴えということにもなる。
僕自身も神宮の思い出は、数多く尽きない。大学時代は六大学野球に足繁く通い、対東大戦の際は球場へ向かう杜の一隅で東大応援団に所属する小学校の同級生に偶然出逢ったことがある。また早慶戦の際は前の晩の終電で信濃町駅に着き、杜の中へは立入禁止ゆえに駅前の歩道橋上で先輩たちと一升瓶で酒を酌み交わしたことがある。(現在なら取り締まられているだろう)またあまりの神宮好きが高じて、バイトで東都大学のグランド整備やプロ野球の会場係り、さらにはバッティングセンター係員もしたことがあり、現場の職員さんに可愛がられたこともある。プロ野球後のスタンド掃除は大変な作業で、最後は終電に間に合うように駅まで走るという体力勝負であった。もちろん教員になって初任校の東東京大会での幾多の激戦の応援は、簡単には語り尽くせない。あの杜が、あの球場が無くなってしまうという「文化喪失」的な再開発?坂本さんに、サザンに賛同し僕も声を上げる一人でありたい。
アメリカでは110年を超えるボールパークが大切にされ
パリの街並みはいつも整然と文化の香りを漂わせている
「馬鹿でごめんなさい 意志を継ないで」
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関東大震災100年に考えること
2023-08-31
1923年(大正12年)9月1日(土)午前11時58分相模湾北西部震源マグニチュード7.9の大地震
直接死・行方不明10万5千人(うち焼死9割)
明日で関東大震災から100年目となる。僕の世代であれば小学生の頃からよくこの震災を教訓とせよと教えられ、当時の2学期始業式である9月1日には必ず防災訓練が行われていた。いざというときの避難用荷物をリュクにまとめ、小学生の頃はベッドの下に保管していた記憶がある。また震災発生時間が昼食時で大規模火災が起きたことから、「揺れたらまずは火を消す」ということも徹底して教えられた。関東大震災は相模トラフを震源とする海溝型地震であり、東京直下というわけではない。などと考えてもその海溝のプレートがその後100年間は動かずに来たことをまずは驚くべきかもしれない。次はいつ動くのだろうか?という不安は、東京に行く際にいつも抱いている。もちろん宮崎では、日向灘震源を常に想定しつつである。
昨日放送のNHKクローズアップ現代では、「集団の”狂気”なぜ〜関東大震災100年”虐殺”の教訓〜」が放映された。今年、存在が明らかになった当時の小学生の未発表作文の中に朝鮮人などの殺傷に関する記述が多数含まれていることがわかった。当時の現実を、どう受け止めておくべきなのだろうか。また映画監督・作家の森達也さんが行商の日本人を朝鮮人として殺害してしまった千葉県福田村(現・野田市)の悲劇を映画化しており、森さんが描きたかったことへのインタビュー取材の内容に胸が傷んだ。「集団」になった際に「暴徒化」する人間の宿命、生きるために助け合うための「集団」には副作用があり「みんなが同じように動く」のだと云う。この「同調圧力」に対して政府の広報やメディアの喧伝が作用すると、臨界点に達していたものが一気に暴徒化する怖さがあると知った。また排外主義的に「敵」を作ることで、自らが多数派となりより強く連帯する。小さな「村」で起きた悲劇は、その範囲をさらに「国」までに広げていくことで「戦争」と化すのである。「戦争」は実際に「国」が起こすものだろうが、実は私たち個々の行動の中に火種があることがよく理解できた。現在でもそうだ、果たして外からの声に私たちは冷静に耳を傾けているのだろうか?
個人的には「千葉県野田市」の悲劇の歴史は衝撃だった
集団に属して自分を捨てないために「僕」「私」という主語を維持する
まずは身の周りの小さな「集団」に属する際の自らのあり方を考えてみよう。
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未来のために地球のために
2023-08-27
「科学的根拠」はどれほど信じられるか戦争が続き戦争の火種が絶えない21世紀の現実
僕たちはどう生きるか?
果たして世界の海洋に「まったく影響がない」など、誰もわからないだろう。「フクシマ」からの放射性物質の冷却水を処理は施しながらの海洋放出についての真実は、きっと誰もわからないのではないか?この方法が未来のために地球のために唯一無二で最善なのか?まさに地球規模で議論をすべきことではないのか。SDGsなど叫ばれる中、未来へ向けて持続可能なのかという視点が何より肝心なのではないか。
少なくとも僕らの時代は「公害」による人体への被害を具体的に学び、海や川への排水投棄という行為自体が問題ではないかと思ってしまう。九州では水俣病が大きな問題となり、会社も政府も「排水と病気の因果関係はない」と言い続けたことで被害は拡大したという経験を持つ。水俣は3度ほど訪問しているが、地域住民たちの被害やその後の歴史を目の当たりにした。地域のみならず昭和の学校では、世界的に戦後の負の歴史として学ぶべき事例であった。
「ヒロシマ」「ナガサキ」「オキナワ」
「MINAMATA」の映画も観た
個々人が安心して暮らせる地球を護らねばならないのだが・・・
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流れる雨雲を追いかけて
2023-08-19
スマホアプリで向こう1時間ほどの予想を晴れたと思うと急に激しい雨に見舞われる
賢く雨雲を避けて外を歩こう!
台風6号・7号が各地に爪痕を残し去ったが、それでもなお大気の不安定な状態が続いている。僕らが小学生の頃は、「日本はほとんどが温帯気候」と習ったものだが、現在は「多くが亜熱帯」に修正しなければならないのかもしれない。やはり小学校学習の記憶を辿ると、「亜熱帯・熱帯の雨季にはスコールという特徴がある」と習った。わたしたちが今現在体験しているのは、まさに「スコール」ではないか。急激にかつ激しく降りつける雷雨は、容赦なくわたしたちの生活を直撃する。遭遇してしまったらほぼ衣服のズブ濡れは覚悟で、歩行していたら危険が及ぶかもしれない。また雷への注意も厳重に行わなければ、重大な事故にもつながりかねない。
豪雨・雷雨対策として、スマホに「雨雲レーダー」のアプリを入れて活用している。使ってみて思うのは、実に的確に雨雲の状態が予想できることだ。あと「15分後に雨が降る」など的確に検知することができる。この日も母が外出するというので、帰宅の時間帯の雨雲の様子を検知した。約20分後ぐらいに厚い雨雲が迫っていたので、LINEによって状況を報せることで回避できたようだった。またこの日は、本日から2日間開催される「牧水短歌甲子園」の出場者や審査員が日向市に集まる日でもあった。懇意にする笹公人さんの投稿によると、宮崎から日向市までの特急が運休で市が用意した自動車での移動を余儀なくされたと云う。しかも情報によると、東九州自動車道が一部通行止になっていた。このような困難はあったが、夜には俵万智さんを含めて審査員も高校生たちも到着したとのご連絡をいただいた。それにしても、悩ましい雨なのである。
一連の雨で今月の歩数記録は大幅に減少
脆弱な人間を襲う異常気象にわたしたちの対応
せめて文明の利器は使用してうまく回避せねばなるまい
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戦時中を読むー肉筆の書簡と葉書
2023-08-16
妻の祖父の御兄弟戦時中の書簡・葉書が保管されていて
肉筆を読み解く78年目の夏
78回目の終戦の日、今年は台風7号が近畿から山陰地方にかけて縦断するという1日だった。水害への警戒や公共交通機関の混乱など、現在も国民の命への脅威が自然災害という形で忍び寄る。だが78年前には「国」という概念に抗えない人々が、無念にも多く命を落としたのであった。個々人の尊い「命」があってこその「国」、だが社会の流れが狂気を帯びてしまうと「国策」の名の下にこれが反転してしまう。78年前の反省に立ってこの間の「平和」があるのは間違えないが、「戦争経験」なき無自覚がこの「反転」への燻りとなることをわたしたちは声を上げて揺り返さなければならないだろう。
妻の実家にて、仏壇の引き出しに眠っていた戦時中の肉筆書簡や葉書を読み解いた。祖父の弟さんが戦時中に所属先の部隊から送った葉書には、「検閲済」の判が押されている。横須賀の部隊で自分は護衛艦に配属になったと記し、国への忠誠を誓いつつ家族に安心せよという趣旨の文が綴られている。また祖父の妹さんは、満州に渡って製紙会社勤務の暮らしをしていたようで、こちらへ来たらよいと家族を誘う内容であった。しかし弟さんは戦闘で海上に命を落とし、妹さんも満州の地で病気になって命を失っていることがわかった。ともにまだ二十歳を少し過ぎたぐらいの年齢、家族とともに日本で平和に暮らしたいという思いがないわけはない。だが郵便さえも検閲されるので、正直な心根など書けるわけはない。そこに「個」を喪失させる、社会的装置の脅威を覚えざるを得ない機会であった。
「第二世代=親が戦争経験者」とされる
僕らはどこかで「戦争体験者」なのだ
肉筆の文字を読み解く大切な時間が今年の8月15日であった。
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予断を許さない航空便
2023-08-10
まだまだ確実なものは何もなし「出発地悪天候のため天候状況を確認しています」
なんとか本日中に東京へ着くことを祈る
今朝起きてみると、航空会社からのメッセージがあり「天候調査のお知らせ」とあった。予約便を振り替えに振り替えて本日の当該便に至ったのだが、今もまだフライトに「注釈」が付くことになんとも言えない気持ちにさせられた。もとより本日が目的たる「国語教育全国大会(日本国語教育学会主催)」の初日で、東京都文京区の筑波大附属小学校で「公開授業」と「研究協議」が行われるのだ。当学会では「教育実践」を研究の中心に据えており、実際の児童たちによって行われる「公開授業」が大きな目玉となっている。それを大きな学びの楽しみとしていただけに、今回の台風への恨みは大きい。だが「自然には抗えない」などと思い込もうとしたり、かと思うと「こんな地球にしてしまった近現代の人類」に思いを致したりもしている。それにしても航空機の運航というのはまったく予断を許さないものだ。こうして小欄を書くうちにも、さらに「注釈のない便」への振り替えを敢行した。
今現在、書斎の窓を開ければ雲は厚いが雨は降らず風もほとんどない。あくまで素人判断ながら航空機に問題はないと今の僕なら考える。だが長引く台風通過のため、航空機の機体ぐりの上で東京から搭乗機が果たして宮崎まで飛んで来られるのか?など実情を深く想像して冷静に判断をしなければなるまい。「定時運航率」が高いこの国の公共交通機関は気象状況に大きく左右され、何より利用者の「定時で当たり前」という感覚が無用な混乱を生む場合も多い。海外旅行のご経験がある方なら感覚が違うと思うが、常に「予断は許さない」と思っていないと特に航空機には乗れない。こんな心の面は「安定=平和が当たり前」とする、この国のいわゆる「平和ボケ」の構造と類似している。「定時運航」は航空会社の一人ひとりの社員が、あらゆる可能性を考えて日々の仕事に真摯に向き合っているから成されているのだ。ゆえに航空会社は決して責められない。などと気を落ち着けて、本日のフライトに問題がないことを祈っている。
近現代が産み出した社会構造を見直すときが
自分自身と他者へのやさしい想像力が求められる
若山牧水が考えていた近現代と自然との関係をいま一度。
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誰もが台風の当事者として
2023-08-09
沖縄地方に停滞しての被害それをニュースで観ていたわたしたち
遅速なる台風を生み出してしまったわたしたち
台風6号の影響があまりにも長引いている。昨日来、九州南海上から北西に向けて気象予報で「速度」が表示できないほど「ゆっくり」と進んでいる。たぶん「時速10Km以下」なのだろう。僕がウォーキングで目指すのが「時速7Km」ほどであるから、それほど変わらない速度と考えたらよいだろうか。それゆえに「台風が来るぞ来るぞ」という警戒の時間も長く、まだ風雨が強まらないが「台風モード」で大学研究室での仕事となった。この日に予定されていた会議は、オンライン開催や中止となった。そんな最中に何よりも悩ましいのは、9日(本日)からの研究学会への上京のためのフライト状況である。一昨日に既に予約便は欠航が決まり、1本後の便に振り替えた。するとこの日の昼食前に当該便も欠航の連絡がスマホに届き、さらに時間を遅らせた便に振り替える。さらには午後2時前になって9日の宮崎空港発の便のすべての欠航が決まった。この時点で10日の研究学会への参加が部分的か不可になることが確実になった。
やむなく10日の便への振り替えを試みたが、かろうじて13時台の便の予約を確保できたが、この時点で研究学会初日への参加が不可能となった。かつて海外に行く際の「フライト運」で誠に悩ましい思いをしたことがあるが、今回はそれに類似するほどに悩ましい決断を迫られ続けている。何ヶ月も前から計画していた9日夜に予定していた「在京卒業生会」も、忍び難き思いで中止にせざるを得なくなった。今もまた10日の便が予定通り飛ぶのかは、疑心暗鬼な思いを拭い去れない。考えてみれば先週のニュースで、台風6号が沖縄地方に停滞し冠水や突風の被害を受けている様子、また観光客が何日にも及び足止めを食っている様子を目にした。その際のいささかの「他人事」感覚を、今は甚だ省みたりしている。「こんな台風に誰がした?」と問いかけるならば、それは「わたしたち」一人ひとりが便利な生活に甘んじてきたために自然が反撃をして来ているに他ならない。今こそ誰一人として「他人事」ではない、地球温暖化への危機感を共有すべき時なのだろう。
振り替え便は欠航が再開し少し待つぐらいがよし
自然の前に無力な人間だが、なぜここまで猛威を奮う台風を育ててしまったのか
長崎の平和祈念式典も会場を屋内に移して、そう!あらゆることを当事者の目線で考えねば。
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「網目の法則」から平和を築ける世界へ
2023-05-22
「人はーほんとうは人だけでなくあらゆるものがー互いにある深度で交わりながら存在している。目にみえない関係のなかにいる。
それはまるで、網の目のようにつながりあっている。」
(『読み終わらない本』若松英輔 P92より)
冒頭に敢えて引用したのは、ここのところ一章ずつ噛み締めながら読んでいる若松英輔のエッセイから。有名な吉野源三郎『君たちはどう生きるか』を紹介し、そこに説かれた大切な世界観を若い人向けに平易に説いている。世界を「体験」する「情報」だとしか考えない者に、この「網の目」は決して見えない。同書には「情報は道路の標識のようなもので、真の目的はその先にある。」(P81)ともある。その上で「真に経験と呼ぶべき出来事は、その人のなかで種になって時間をかけて育っていく。」(P82)ともされている。道路標識の「止まれ」を道交法上の「情報」としてだけ受け取っていては、その路地に子どもが飛び出してくるかもしれないという想像は働かない。「法律により引かれた白線の手前で車を一時的に完全停止させる」という行為をして「違反取り締まりに捕まらないため」というのは浅はかな体験的行動に過ぎない。「自分の母親がその道路を横断している」ことを想像し、「車を完全停止させて安全を確かめる」ことを思う人でありたい。
G7首脳の広島平和記念資料館での見学内容は「非公開」だと報道された。さらに昨日は、ウクライナのゼレンスキー大統領も緊急来日し平和記念公園を訪れる映像をみた。G7各国首脳らは果たしてどれほどの「深度」で見学し、「その人のなかで種になって時間を掛けて育っていく。」つまり若松のエッセイに云う「経験」にできたのだろうか?と疑問に思う。そこに「網の目」を見られたかどうか?その「深度」を世界に報じるのは、「不都合な真実」の箱が開いてしまうのだろうか?「非公開」と云うメッセージに、むしろ「だから核兵器は無くならない」という失望が含意されていないだろうか?前項で述べた「一時停止の路地」に「子どもや自分の母の横断」を想像する人間が本来もつべき「こころ」を、せめてこの地球で「先進国」などと呼ばれる国の為政者としてもっていただきたい。世界の「網の目」がどこかで破れていると、「次第に全体が壊れていく」(若松同書P92)ことになる。「G7の結束」否、人類の叡智とは、あらゆる世界の人々が文学的想像力で目に見えない「大切な人への愛情」を「一時停止」の際に思うべき社会を築かなくてはならないのだ。
祈れば必ず通じ合える「コトバ」
友とはお互いの「網の目」をわかり合える人のことだ
研究学会や友との大切な「網の目」を東京で感じ、夜に宮崎に帰り着いた。
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ChatGPTそして「寺山修司ー情念の反動化への挑戦」
2023-04-17
AI(人工知能)が生成してくれる文章「答え」を導く「計算性・合理性」として優秀
そして観た映画「日の丸ー寺山修司40年目の挑発」
いまあなたが読んでいるこの文章、一定の人間たる執筆者が書いていると確信が持てますか?もしかしたら、AI(人工知能)がテーマの情報を合理的に集積し瞬時に書いているのだとしたら、小欄の価値や読もうとする意欲は萎えますか?「ChatGPT」とは、「言語表現の生成可能な事前学習済み変換器」とでも言ったらよいだろうか。質問を入力すると幅広い分野の回答を人間らしく自然に感じられるように生成できる人工知能で、昨年の11月に公開されいま様々な分野で話題になっている。例えば、我々が大学講義で課すレポートなどもかなりの質の高さで生成されると、実際に試してみたという同僚に聞いた。データ集積・計算性・合理性では、既に人間レベルかそれ以上である可能性もある。「AI(人工知能)」の活用など未来の話と思っていると、既に開発・公開・拡散の速度は我々の予想を超えて進化している。果たしてこれから先、僕らはこの進化に対応していけるのか?大学の学び一つを考えても、早急な対応が必要に思われる。
昨日の午後は「日の丸ー寺山修司40年目の挑発」というドキュメンタリー映画を観た。1967年に「日の丸の赤は何を意味していますか?」等の挑発的な質問を街頭にて、ある意味で「情念」を交えず機械的にくり返す様子をそのまま伝えるTVドキュメンタリーがあった。放送直後から抗議殺到、「偏向報道」だと閣議でも問題視された曰く付きの番組である。それから55年経った現在、同じ質問を街頭でくり返したら何が見えてくるか?双方の映像を交錯させながら、まさに「国家とは?」「日本人とは?」を問い掛ける現代に蘇る「挑発」の作品といえるだろう。67年当時の番組に関わったのは寺山修司、僕の場合はその短歌に喩えようのない「格好よさ」を感じるが、文芸に限らず、脚本・エッセイ・評論・劇団主宰など数限りなき才能を発揮したマルチな思想・表現主体である。没後40年となる寺山が、現代においても何を我々に「挑発」してくるのだろう?このドキュメンタリーの単調で本質的な質問は、インタビュアーをChatGPT化したような印象を持った。だが答えるのは錯綜した社会を生きる生身の「我々」なのである。突然に問われることで「自己」と「国家」とか、「自己」と「外国人」などの隙間の渦に溺れそうになりながら「反動化」の作用を引き摺りつつ答える「情念」を持った一人の「民衆」が映し出される。それは奇しくもChatGPTが提供する「計算性・合理性」に対して「反動」的な「共感・愛・情動」の機微を浮かび上がらせているようにも見えた。寺山は果たしてAIなどを想像し得ていたのか?この時において出逢った映画として、自らの情動の揺れを挑発された思いである。
1964年東京五輪・ベトナム戦争・1970年大阪万博
2021年東京五輪・ウクライナ侵攻・2025年大阪万博
この55年の相似形において、僕たちは過去にはなかった人工知能にも向き合っている。
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