1年後は研究学会大会

2016-10-29
会場使用申請を終えて
1年後には研究学会大会を開催する
「歌」の縁が結ぶ僕がすべき仕事

ちょうど1年後の今月、「第63回和歌文学会大会」を本学を主催として開催する。本学は市内から10Km以上あり、空港からの公共交通機関も本数に制約がある上に、最寄駅から徒歩20分という外来者にとっては誠に不便な環境にある。それゆえに自然に囲まれた好環境があるとも言えるのだが、100名以上の和歌研究者の先生方をお迎えするには、誠に心苦しいロケーションである。

そこでこれまで約1年間ほどかけて、大会会場に適した場所を市内で模索してきた。幾つかの候補から様々な条件を考えて、「市民プラザ」の施設を使用することに決定した。施設の使用にあたり短歌会でお世話になっている伊藤一彦先生にご相談したり、コンベンション協会との協議を重ねた結果、「招致事業」として開催できるということで会場の申請と使用料の支払いを昨日完了した。

この大会を引き受けたのは、研究学会で開催校を決定する担当者が、同窓で学部時代からお世話になっている先輩であるからだ。昨今「文学系研究学会」では、事務局を担当できる大学が極端に減少しているという憂い深き事態となっている。「文学部」の縮小や大学院生の減少などがその大きな原因である。学会運営の中心はやはり院生たちの力による点が大きかったが、その構造が崩壊しつつあるのだ。

今月から和歌文学会の事務局も移転し、やはり同窓の親しい研究者の方が引き受けた。だがやはり、院生に頼れる学内環境ではないと聞く。かくいう僕自身の勤務校も教職大学院はあるものの、学会運営に協力してくれる院生は皆無で、実働戦力は「学部生」である。しかし物は考えようである、「教師」を目指す学生たちにとって、多くの方を迎え入れる「おもてなしの心」はきっと将来の糧になると信じている。そしてまたこの大会開催の機会が、「宮崎県」にとっても貴重な機会となるように運営を進める決意である。

さて「五輪」ならぬ「大会」の旗を受け取った
1年後とはいえ、「東京都」よりも会場準備体制は整ったか
研究者としての僕が、一生のうちでできる貴重な機会であると思いを新たに・・・
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自分を支えるために書く

2016-10-24
研究に向き合うということ
自分が何をどうしたいか見定めること
「書く」ことは人を支える

いつもそうであるが研究発表を聞くということは、自問自答の時間でもある。発表者の問題意識と、自己のそれとを向き合わせて、何を知っていて何を知らないかを見定めながら、己にしかない観点からどんな質問が可能かを模索する。特に発表題も多方面に及ぶ中古文学会などの場合は、その模索の振幅も自ずと大きくなる。この日も午前中の発表の後半は、「和漢比較」を視点とするものであったので、僕自身の問題意識とも通ずるものであり、質問者はすべて「和漢比較文学会」の会員の先生方であった。僕もその中の一人として短い質問をし、特に和歌の流れの中でどう位置付けができるかという趣旨のことを問い掛けた。もちろんこれは発表者への質問であるとともに、「自己」の「仕事」だという自覚を高めるためでもある。その問題意識の上で、まだ自分で「書いていない」ものを「書くべき」とあらためて心を奮い立てる時間でもあるのだ。

昼休みに大学の同窓の大先輩たる先生や院生と、昼食弁当をともにした。さる先生はいつも小欄に関心を寄せていただいている「熱心な読書」のお一人である。小欄に「ジムでのトレーニング」のことなどを記しているゆえ、その内容は「どんなことをしているのか?」といった趣旨の質問で場の話題が作られる。そうこう懇談していると「中村さんは(小欄を)書くことで自分を支えている」といったことを仰っていただいた。あらためて考えるとまさにそうなのである。「日々、自分は何をしたのか?」という実感を持つためにも、こうして「書くこと」を習慣化し、今なども大阪の空港で帰りの便を搭乗待ちしながら、この内容を綴っている。そして自分で「書いた」牧水研究の評論をさる先生にはお渡しし、この面でも自分の「書くこと」によって、あらたな面をご提供できたと思うことができた。

宵の口は再びゼミの卒業生と会食
初任者教員としての様々な話を聞いた
彼の中でそれらを「話した」ことが、明日からの糧になると信じるひと時であった。
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音を歌に詠むこと

2016-09-25
「唐衣うつ声きけば月清みまだ寝ぬ人を空にしるかな」
(『貫之集』第一・25)
音を詠み込んだ和歌について

和漢比較文学会大会に参加し、京都大学の大谷雅夫先生の御講演を拝聴し、「音」を歌に詠み込むことについて考えさせられた。冒頭には著名な杜牧の漢詩「江南春」を引用し「千里鶯啼緑映紅」(千里鶯啼いて緑紅に映ず)の起句において、千里(500㎞)四方に「鶯が啼く」とは、実に多くの鶯の啼き声を描写しているという指摘があった。この詩は僕個人としても大変興味があるもので、転句にある「南朝四百八十寺」(なんちょうしひゃくはっしんじ)という原詩の韻律がほぼそのまま訓読に反映され、平仄のことも考慮して「はっしんじ」と読むことには、高校時代から気になっている詩であった。複数性の「鶯の声」を題材にしつつ、漢詩全体が「韻律」に対して大変鋭敏な感覚で創作された詩であると評しておこうか。そんな意味で、教科書編集に携わった際も、この詩を筆頭に掲げて「漢詩のリズム」という点に光をあてる内容としているのである。

一方、和歌では「花も匂ふ春の燈消えやらでかたぶく月に竹の一こゑ」(『夫木和歌抄』春部ニ「鶯」)のように「鶯の声」は単数で詠み込まれているというのが、大谷先生の指摘である。確かに我々が「鶯の声」を想像するに、ほぼ例外なく「一羽の鶯」であろう。周囲の静寂な環境でその「一声」に心を動かされたという趣旨で歌になる場合が多いように思う。少なくとも「あちらこちらで鶯の啼く」といった描写には、例え現実がそうであっても歌にはならないように思われる。表現創作者の立場となれば、「独り静かに耳を澄ます」という立場がよく、だからこそ歌心に訴える表現になる。どうやら我々は伝統的にそのような単独の聴覚性のなかで、詩歌を創るという観念的な共同体の中に置かれているような気がしてくる。冒頭に掲げた『貫之集』の歌は、「砧声」を詠んだ屏風歌である。漢詩に典型的な、女性が空閨にて夫のことを思い「衣」を夜なべで打つ「音」を描写している。これもまた「鶯の声」同様に、中国詩文での複数性と和歌での単数性が対照的な素材であるようだ。元来、空閨の女性の姿を「三人称的」に描写する詩を「閨怨詩」と称する。漢詩のあくまで客観性に徹した描写に対して、和歌はどうしても「一人称性」が常に意識される。この歌も屏風歌ながら、広域な場面ではなく限定された空閨からの「声聞けば」という状況で「まだ寝ぬ人」を知るという歌に仕立てているのである。あらためて、創作者視点や場面設定の問題として、和漢の詩歌を見つめてみると大変おもしろい点が見出せそうな思いを抱きながら、講演を大変興味深く聞かせていただいた。

聴覚を歌に詠むこと
素材の複数性と単数性
やはり相対的な比較の視点からこそ、歌が初めて読めてくるものである。
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越境する心 蠢めく志

2016-08-14
和歌・短歌研究・国語教育・詩歌研究
越境し合う研究分野をどう繋いでいくか
「短詩系文学」を志す若者の感性との融合も目指して

20代の頃、新卒ですぐに中高一貫校に赴任した際には、脇目も振らず毎日の学活・授業・部活において、生徒たちと向き合っていた。「学校」そのものも楽しい環境で、同僚の先生方も顰めっ面で融通の利かない人々がいないわけではなかったが、概ね「遊び心」があって毎日の職員室が楽しかった記憶がある。昼飯は何にしよう?とか夕方になればどこに呑みに行くとか、同僚間のコミュニケーションも十分過ぎるほどで、学生時代の「青春」がそのまま続いているかのような感覚があった。だが30歳を過ぎるにつれて「楽しさ」ばかりでいいものか?という疑問を抱くようになり、再び「和歌研究」に勤しもうと現職は続けながら大学院修士に入学した。元来僕は、こうした身分上においても、型通りではいられずにすぐに「越境」を選択する傾向がある。「和歌」において「比較文学」の立場で修士論文を書き、後期課程にそのまま進学すると、現職教員である立場を活かすには「国語教育」の実践論文を書くべきだと思い立ち、「漢詩」や「和歌」の教材論や授業方法実践理論に関しての論文を書いた。昨年もある機会に、他の国立大学法人に勤務する先輩に言われたことがあるが、「現職経験がある」(しかも20年以上)という点が、今や「君の強み」であると云う。元来が「文学研究」から出発した僕であるゆえ、その内容的探究なくして、「国語教育」の実践は決して良くはならないという信念がある。「越境」とは言うのだが、もとより「境」にこだわること自体が「狭量」な視野ではないかと思う。

先月の新刊・岡井隆『詩の点滅 詩と短歌のあひだ』(角川書店)を読んでいると、まさに詩歌ジャンンルの「境界線」について深く考えさせられる。その帯にあるように「侵食する詩歌の境界線 短歌、俳句、川柳、現代詩」といった視点は魅力的だ。岡井隆だから書けるといえばそれまでだが、様々な意味で危機に瀕している「文学研究」においても、やや技術的な方向に偏りを見せる「国語教育研究」においても、こうした「侵食」の視点こそ突破口として大切なのではないかと思うのである。そんなことを考えつつ、昨年10月に開催された和歌文学会大会(岡山大学)のシンポジウムを元にした論文を読み返してみた。「和歌リテラシー」を提唱する筑波大学・石塚修氏の論文では、「読む」のみならず「詠む」、所謂「書く」分野まで(朗誦まで広げれば「話す 聞く」も含めて)間口を広げて「和歌」から「日本語」としての大切な要素を扱う学習活動の構築について提言されている。「近世文学・国語教育」を専門とされる石塚氏が、このような発言をする点が、まさに「越境」的であり魅力的である。その後、若手の短歌・俳句創作者との連携を模索する出版活動に従事する先輩へと連絡。既に若手創作者の間では、こうした「侵食」が心地よく成されているように僕は受け止めている。来年(2017年度)には、本学で和歌文学会大会の開催が決定しているが、前述した岡山大学でのシンポジウムを継承し発展させる企画を模索しつつある。「文学」として「和歌・短歌」はどう進みゆくべきか?そして「国語教育」の中で、どのようのその真価を伝えていくべきか?そんな展開への志が、僕の中でひしひしと蠢き始めている。

「遊び心」も大切に学んでゆきたい
越境し侵食していると、いつしかそこに「境」はなくなる
殻に閉じ籠ることなく、自分を追い越して行きたいと思うことを「志」と呼ぶ。
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明治時代を考えてみると

2016-06-21
文語の表現力
「国語」を定めるための尽力
「明治は遠くなりにけり」いや・・・

必要があって、明治時代の「言文一致」や「国語」制定の問題に関する資料を紐解いている。「漢字廃止論」や「漢文廃止論」といった極端な西欧化に類する動きがありながらも、短期間で近代国家の仲間入りをし、西洋列強に肩を並べるに至ったこの国の人々の向上心には、感服せざるを得ないものがある。先日の短歌トークでも、「心の花」創刊の中心であった佐々木信綱について語られた際に、伊藤一彦先生がその学者としての凄まじい仕事ぶりに言及していた。帰宅して玄関に入るや否や袴を脱ぎ去り、すぐに書斎の机に直行し原稿を書いたという逸話である。「明治時代の学者は、自分の仕事が遅れると日本の国自体が遅れる」といった自尊心と責任感を原動力に、国文学や短歌研究に勤しんでいたわけである。よってその仕事内容も多岐にわたり、一つのジャンルができれば「学者」であるというわけでもないといった矜持があったように思われる。

時代は変遷し平成の世の中となって。早28年が過ぎた。僕自身が志してきた学問とは何であろうか?などとその原点をあらためて考えさせられている。明治時代の学者の書いた文献に眼を通して、その大局的な物の見方に感心させられる。また国語・国文学へのこの上ない愛情の深さに溢れ、それゆえの開拓的な仕事の数々が心に響いてくる。そしてまた自分自身の言語表現に関しても疎かにせず、創作への妥協なき態度が神々しくさえある。それゆえにジャンルを問わない人間関係においても潤沢なものがあり、人間の器そのもののスケールが大きいように見受けられる。その「明治」という時代は、遥かに遠いものなのだろうか?これまた短歌トークで語られた話題だが、「教科書に載っている作者というのは、亡くなった人である。」という感覚を、小・中学生は持つと云う。否、僕たちの生きる時代は「昭和」と深く連接し、「大正」の豊かな教養主義、そして「明治」の文明開化にも連なるのである。「国語」を教えるにも、こうした時代感覚が求められるのではないだろうか。

そもそもなぜ「国語」なのか?
明治35年(1902)にも起こった「教科書疑獄事件」
僕の祖父母を考えれば、ことばは綿々と受け継がれて来ているのである。
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実践こそ研究の極意

2016-06-11
「私生活」「大学運営」「教育」
すべてが自分の「大事な暮らし」
これぞ「実践」との融合たること

登録している言語教育系のメルマガに、冒頭に記したような趣旨の記事があった。直接的に僕の研究分野に関係する先生が主催しているわけではないが、このメルマガの記事に示唆を受けることは多い。研究者は、如何に理論と実践を融合して現場に実利を還元していくか。昨今、急速にこうした立場が、社会的に求められるようになってきたようにも思う。僕が大学学部時代頃までは、特に文学部たれば、「現場の実利」にむしろ適わないことこそ研究者の「生きる道」といった矜持さえあったように回想できる。元来、「役に立つ立たない」は誰にもその場では分からず、だからこそ「文学」を読むのが人生だといった研究に対する誇りとでもいおうか。その「文学」を始めとする人文学の肩身が狭くなってしまった現代の狭量な社会は、何かにつけて「実利」「成果」「対費用効果」などとの相関ばかりを重んずる、”つまらない”社会になってしまった。

だがしかし、社会の潮流の中で僕たち研究者はどうしたらよいのだろう。「文学」が虐げられて来たのならば、むしろ「ピンチはチャンス」と考えるのも「文学的」は発想かもしれない。「ペンは剣よりも強し」と思われるから、狭量な側にいる面々から恐れられる存在なのかもしれない。誤って「文学」が実効力を持ってしまったら、軽薄な威厳でしか生きていけない輩は、到底太刀打ちできなくなってしまう。このように逆説的・楽観的に時流に対応していくのも悪くない。もとより新卒時は「研究」よりも「実践」をせずにはいられず、教育現場に真っ向から飛び込んだ僕である。やはり「理論」と「実践」の両立にこそ、「生きる道」があるように自認する。このような前提で、冒頭の記事を読む。「私生活」も楽しむ、「大学運営」も必ず自己の研究成果に還元される、「教育」は言わずもがな、ということであろう。更には「地域貢献」に奔走すれば、自己に新たな気づきを与えてくれる出逢いがある。短歌を創作し深く考えれば、自己の研究が一本の糸で結ばれてくる。これ以外にも、すべてをひっくるめて「自分の大事な暮らし」に他ならない。要は「生活」することそのものが「実践」である。その「総合的生活者」が「研究」をしているという視点もあるのだと考えさせられた。

見えなかった錯綜した糸が繋がり始める
なぜ僕はこの地にいるのか?かの大学で学んだのか?
人生そのものが「文学的」であるからこそ、生きる価値もあるということ。
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学び続けるいつまでも

2016-06-03
「三人行えば必ず我が師あり」(『論語』)
あらゆることが学びだと思うということ
「教師」が持ち続けなければならないもの・・・

学部3年生の講義では、9月の教育実習に備えて「模擬授業」を開始した。5人一班を構成し教材ジャンルごとに指導案の骨子を対話して創り上げて、決められた担当者が15分間に凝縮して模擬授業を実施する。構想から模擬の実施まで、1週間という時間があるが、これは長いか短いか?先日参加した全国大学国語教育学会では、「課題研究」として「理論と実践の融合」、つまり「研究者が現場とどう関わるか?」といった内容が討議された。その中である大学の先生の実践報告では、「完成度より冒険的な模擬授業を実施する」ことや「迅速に作って実践しその後に十分な対話を持ち練り上げていく」ことの重要性が説かれていた。綿密な指導案作成においては、特に実習生であれば大きな意味があるが、現場に出たらそれほど十分な時間があるわけではない。もとより「授業」は「生き物」である。手際よく料理を作り熱いうちに食べるのが賢明だということにもなろう。細部や形式はいつでも変えられるが、その「授業」の「核心」は何かということを、常に考え続けることが肝要であるということだろう。模擬授業を実施したら、それを元にさらに綿密な指導案を作成し続けるということだ。

新卒で教師になった20代の頃、僕は現場の仕事に無我夢中であった。授業も部活動も学校内での人付き合いも、どれも全力で向き合っていたように思う。同世代の同僚にも恵まれて、「学校」にいることが日々楽しかった。だが10年ぐらいすると、学び続けていない自分に不安を覚え、再び大学院修士課程の門を叩いた。学校を転勤すると更に研究することが尊いことに思えて、30代の無我夢中が訪れ、研究発表や論文執筆に躍起になった。勤務校の進学指導関係の行事として大学教員が来訪し「大学模擬講義」を実施するや、自分もその立場で「講義」を行いたいという野望の炎が燃え盛った。「大学教員になりたい」という希望について親しい先輩に話すと、「なぜ高校教員ではいけないのか」といった根本的な問いを返していただいたこともあった。ひとえにそれは、「学び続けたかったから」と答えることができる。翻って考えれば、「大学教員」だからといって「授業」が上手いとは限らない。「理論」を中心に「文字言語」の上では秀逸な実績があっても、「授業」となるとまた違うということも実感している。前述した学部講義での「模擬授業」であっても、実習生の「研究授業」であっても、まずは僕たち研究者にとっての「学び」であることを忘れてはならないであろう。教師を目指す学生を指導するにあたり、自らも言い訳のない「授業者」でありたいと、いつも思うのである。

小中高大すべての校種で「授業」経験あり
「現職」であるからこそ学び続けるということ
学生の青々とした芽生えから、学ぶことも多いと日々思うのである。

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口頭発表の妙

2016-05-23
時間内に的確に正確に伝える
研究発表の話し方と質疑応答のあり方
そしてまた話芸のプロたちの競演

2日間の中古文学会に出席して、自分自身の課題が何処にあるかを再認識した。平安朝文学と現代に繋がる糸を辿り、和歌を中心に日本語日本文学の表現の深層を探るということ。そしてまた古典そのものの意義を「国語」という教科の中で、適切に学べる環境を整えていくこと。何より「文学」というものの価値を再考すべく、社会全体に訴え続けること。「文学」を的確に研究した上で「国語教育」を語るということ。研究発表やその質疑応答、そして書店の出店を見回りながら、自身のことをどこかで相対化し続けた2日間であった。これまでの道、これからの道を見据えながら。

そんな中で、いつも気になるのが口頭発表のあり方である。「音読・朗読」の問題を考えてからというもの、この視点はいつも僕の問題意識の中にある。伝わる話し方、そして的確に正確に読み、時間内で効果的に語るということ。「国語教育」系の研究学会に比して、概して「文学」系の学会は、この口頭発表そのものへの配慮が薄いように感じている。日常の講義でも持ち時間は90分と決まっているゆえ、その内で如何に効果的な内容にするか。口頭発表でもその主旨が的確に伝わる口頭表現を考えるのが、日本語日本文学を研究する立場として重要であると思う。また「枕詞」という文化があるせいか、質疑応答でもなかなか質問の核心を述べない方も目立つ。これが「文学」系の流儀だと僕も思っていたが、以前にそのような質問を「国語教育」系の学会で行ったら、「時間に限りがあるので端的に質問をせよ」といった叱責の言葉をいただいたことがある。「人文学」への風当たりが社会全体で逆向きな中で、僕たち研究者が考えねばならないのは、内容とともに口頭発表での訴え方なのかもしれない。などと考える前に、「文学を研究せよ」と言われそうであるが、こうした意識の両立が僕自身の生きる道であるとも思う。

研究学会後は寄席に立ち寄る
懇意にする落語家さんの主任高座
時間内で笑いをとり、また寄席まで足を運んでもらうよう効果的な口頭発表であった。
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研究学会開催校の苦労

2016-01-31
雪の予報に過剰さがあるのか?
交通機関の混乱などが予想
研究学会開催校の先生方のご苦労に思う

前日からの雪の予報に、研究学会の会場校まで辿り着けるのかなどと不安が増大する。首都圏では前回の積雪で私鉄を中心に交通機関の大幅な混乱が見られたので、天気予報もその「責任」を過剰に意識するのか、積雪予報で甚だしい注意を呼びかける。何事も「想定内」と言う為の、意図的な偏向を感じざるをえない場合が多い。そんな最中、東京から北へ約100㎞弱、北関東は群馬の地で研究学会の例会が開催された。早目に会場に到着すると、該当校の先生がちょうど玄関付近にいらした。「九州は暖かいでしょう」というお言葉に、「今年は異常な寒さもありましたが、居住地の平野部だけは雪を逃れました。」と応答した。

すると、その先生は「昨夜は何度も起きて積雪の状態を、確認しました」とおっしゃった。その瞬間、開催校の立場が実に大きな責任を背負っているのだと痛切に感じられた。研究発表に先がけて行われる「理事会」にも、参加する先生方が少な目である。開始時間が近付くと「今日はこれだけか?」といった聊か自虐的な雰囲気となる。それでも次第に先生方が集まり、様々な議題が議論された。結果的に研究発表の段になれば、「例会」に見合った人数の参加となった。開催校の先生は、発表後の懇親会予約についても深く心配されていたようだ。20名で個室的な座敷を予約してあったので、「集まらなかったら4名で此処で呑もう」と開催校の何人かの先生方で慰め合っていたと云う。そう遠くない将来に、僕も開催校責任者となる身として様々な配慮と責任を、痛感する機会であった。

自然天象とどう付き合うか
この過剰になってしまった「責任」社会
当該校の先生の優しい心遣いに、人間的な深みが感じられることが救いであった
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プロトタイプで突っ走れ!

2015-10-29
試作を現場で実践してみる
様々な長短所が見えて来る
現実的な問題提起をせずして進歩なし

嘗て自動車のラリーが好きだった頃があった。ラリーにもいくつかの種類があり、「WRC」といって世界各地を転戦して年間総合成績で競うものが有名だ。各地の特徴を活かした悪路を走るのだが、自然の過酷さと対決するというよりも、車の性能とメーカーの威信をかけたスピード合戦といった様相がある。それに比べて通称「パリダカ」というアフリカの大自然の中を走破するラリーに、むしろ僕は惹かれていた。パリからアフリカ西海岸のダカールまで、壮絶な距離を過酷な自然の関門を何度も越えて走り切る。リタイアする車も多いのだが、部門も四輪・二輪・トラックといったカテゴリーがある。もちろん競技に参加しているのと同時に、トラックは最先端を走る「プロトタイプ」と呼ばれる試作車のサポートをし、開発したメーカーの次世代の夢を支える存在でもある。そんな理念の冒険的開拓の意味をもったラリーに、僕はある種人間としての憧憬を抱いていたのであろう。

さて、附属小学校6年生の児童を対象に、僕が研究授業を実践した。小学校6年間で「音読・朗読」の学びはどのように蓄積され発達して来ているのか。小中一貫も視野に入れて、その接続点でどんな学力として確認しておいた方がよいのか。このような問いを実際の授業で展開する、まさに試作車走行のような内容であった。一次言語(音声)から二次言語(文字)に移行する低学年の頃に身に付けたことは、意識化されているのか。「文字」を使用しない「ことばあそび」を体験させることで、無意識を炙り出す試み。「響き」の内実は何かを可視化(体感)するために、手拍子を打ちながら詩を読む試み。教室全体を左右に分けて「聞き合う」ことで、音声から内容を理解し、更に黙読をすることで「自分が心の中で読む声をもう一人の自分が聞き合う」といった試み。2人1組となって、相手に分かるように音読し合うという活動。そして4人1組で詩に対する感想を短いコメントにまとめ、その「思い」を他者に対して伝えるには、どのように朗読したらよいかを考案し発表する活動。ざっとこのような授業を試案して実践した。まさに「試作車の如き走り」になったわけで、全てが潤滑に走れたわけでもなく、不具合を生じる箇所も散見され、自分自身ではまったく納得のいかない授業となってしまった。されど、それでこそ研究者教員が実践する「授業」なのだと自分で着地点を見つめる検証が、今後求められるのであろう。

安定した走りをするのが目的ではない
より高度で効果的な実践を開発すべく走るのだ
嘗てパリダカを制覇した車は、日本でも一世を風靡したことがあったのだから。
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