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夏バテ疲れにやっぱりサザン

2020-08-23
6月25日「デビュー42周年無観客配信ライブ」放映
2019年「ふざけるなツアー」も再放送
夏バテか講義終了の燃え尽き感か?落ち込んだらやっぱりサザン!

前日までに、学部の定期試験期間を終えた。このことは3月4月の頃の感覚からすると、大きな快挙のようにさえ思う。新型コロナ感染拡大によって通常の対面講義ができなくなり、遠隔講義へと舵を切り約1ヶ月遅れで始まった前期。実技・実験系での対策を施した対面講義の設定、さらには一部対面希望科目の実施可能期間などを組み込みつつも、「原則遠隔」という中で講義方法への模索が続いた。学生たちも課題の多さやオンライン講義の不自由さ、Web環境などと幾つもの問題を個々に抱えながらここまで来た。同時に課題対応や遠隔講義の制作時間と労力は我々教員を苦しめ続けたといってよい。そんな相互の無理難題を、ようやく「定期試験」まで終えることができたのだ。個人的にある種の達成感が湧き上がり、今週はやや「燃え尽き感」のように気持ち的に疲弊している自分を顧みた。

この日は、WOWOWで冒頭に記したサザンライブが放映になる日。ともに既に本番もまた2019年開催の後者はDVDも購入して観ているのだが、やはりまた入念に観たくなるのがファンの性(さが)だ。いつ何度観ても、サザンのライブはでは曲や演奏の機微に新たな発見がある。その一つは、最近のライブ映像は「歌詞」が字幕で流れる。「音楽」のみで聞いていたサザンと「歌詞対照」で聴くサザンでは、大きな違いがある。音声化する単語の元は通常では読めない「漢字」であったり、例えば「地球(ほし)」「純恋(すみれ)」などのことである。文語を歌詞にした曲もあるが、そこではなおさら英語も混在しつつ、複層性のある歌詞となっていたりする。「東京VICTORY」を始め最近の有名な曲から力を貰うこともあるが、アルバム内にある僕が20代ごろの曲もまたいい。またあらためて、スタッフの方々総勢400名にも及ぶという無観客配信ライブの社会的な意義も考えさせられた。放映後23時からは「桑田佳祐のやさしい夜遊び」、新たなCM曲「金目鯛の煮付け」も全編初オンエアとなった。

音楽こそが僕たちの日常を笑顔にしてくれる
希望の明日へと導く曲の数々
ありがとうサザンオールスターズ!!!


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悲しみを大声で歌おう!

2020-06-29
「ロックとは悲しみを大声で歌うものさ!」
(桑田佳祐さん・ラジオ番組「やさしい夜遊び」の弁より)
こうした時だからこそ音楽がある!

「聞き逃し配信」というのがWebにはあって、リアルタイムの配信時間に視聴できなくとも、また何回でも視聴できる仕組みである。先日のサザン無観客特別ライブも日曜日の23時59分までは視聴可能であったが、時間的な余裕がないこととともに、やはり1度の視聴に賭けるという意志も重んじたくなる。だがラジオ番組は別で、土曜の夜放送の「桑田佳祐のやさしい夜遊び」を休日出勤の妻が帰るまで夕食を作りながら再度聴いた。また食後には妻がもう一度聴きたいというので再び配信しつつ、僕は風呂に入った。そのDJの中で桑田佳祐さんが先週のライブを振り返りつつ語っていたのが冒頭に記した言葉である。コロナ禍の逆境を逆手にとって音楽を多くの人に伝えていく。どれほどの人が再び勇気と希望を持ったことか。人生に「悲しみ」はつきものである、ゆえに和歌短歌もそうであるが「悲しみ」を歌うのである。

最近は「悲しみ」を、「ネガティブ(否定的)」だと言って避ける者も少なくないと聞く。もちろん「ポジティブ(肯定的)」だの「前向き」だと言うことも大切だ。だが、この両者のどちらかに偏るのが世の中ではない。青少年期の考え難い犯罪行為増加の背景に、「悲しき音階」を聞くことを避ける傾向があると書物で読んだ。「悲しみ」を擬似的にもで体験しなかった者は、人の苦しみや死を安易に仮想的な現実のように考えてしまいがちであると云う。恋愛の「悲しみ」や「苦しみ」もまた同じ、その苦悶を「ネガティブ」だと避けるがゆえに現実の「恋愛」に一つも踏み込めない若者が多い傾向が窺えるわけである。この夜は鈴本演芸場の寄席がYouTubeで生配信され、親友の金原亭馬治師匠が主任(トリ)の高座に上がった。落語には生きる悲しみが存分に描かれ、そこから再起する生き方が語り出される。長編の噺(唐茄子屋政談)を途中までで止め「この続きは来月の鈴本演芸場で」と幕を降ろす師匠の粋なWeb配信生中継であった。どうやらこちらは「聞き逃し配信」はなく、寄席にリアルに足を運び「ライブ」こそ演芸ということを見据えているような気もする。

悲しみの声こそ大声になるもの
映画も音楽も「悲しみ」を避けず追体験しよう
人間は奮起と再起の動物なのかもしれない。


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#KeepSmilin 笑顔で明日を生きることさ!

2020-06-26
「人生は過去に憂えること〜じゃなく〜
 笑顔で明日を生きることさ〜みんなのうたよ〜!」
(『みんなのうた』序曲より)

どうしても外せないことに向けて生きる1日がある。天候気象あらゆる環境条件もこのことを阻害しないで欲しい。もちろん仕事も生活も普通にこなすのだが、願うように祈るように過ごすのである。大好きなサザンオールスターズがデビュー42周年記念日に当たる6月25日に、横浜アリーナから無観客Web配信特別ライブ2020を敢行した。でき得る限り早く帰宅し夕食を済ませ、PCを起動し視聴サイトにアクセス。直前でWebがつながりにくくなる事態に、巻き込まれるのはどうしても避けたい。発売当初の早朝に購入した視聴券の方法でログイン、すでに公演前のSEが流れていた。定刻の20時になるがなかなか始まらず、これもライブではよくありがちなこと。約10分後に画面は横浜アリーナのステージを映し出した。「前説」も生ライブ同様に行われる凝りようである。

視聴券18万人が購入、視聴者は推定50万人とメディアの報道。昨年のアリーナ&6大ドームツアーが総計55万人動員というので、一夜でそれに迫る人数がWeb画面の前でサザンに興じた。全19曲にアンコール3曲の計22曲、約2時間超のライブが日本全国を笑顔にすべく配信されていく。心酔するファンとしては、もう少し各アルバムのコアな曲をセットリストに入れて欲しかったが、一斉配信とコロナ禍の社会を笑顔にしたいという意図の中で、所々の歌詞を改変しメッセージを込めた楽曲の数々に納得した。「希望の轍」での「大変な毎日をご苦労さま!今日は楽しく行きましょう!」また「勝手にシンドバッド」では「いつになればコロナが終息するのかな?お互いにそれまではグッと我慢の生活を続けましょう!」といった趣である。それにしても感激して泣けたのはアンコール最後の1曲「みんなのうた」、この曲は大抵のライブで定まった歌詞の前に当日なりのメッセージある序曲が歌われることで始まる。冒頭にこの日の序曲の一部の歌詞を掲載した。医療従事者の方々への感謝、コロナ禍による暗く苦しい生活から、僕らを元気にしてくれる心あたたまるメッセージであった。

「あなたに守られながら
 わたしはここにいます
 笑顔になってください」笑顔の明日を!!!


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#四六時中もサザンを聴いて

2020-06-07
WOWOW緊急無料放送
サザン桑田佳祐12時間スペシャル
やはりほとんど観て聴いての1日

いくらでもやっていられる事が真に好きなこと、その「いくらでも」を試す機会もそう多くはあるまい。冒頭に記したスペシャル番組、既にほとんどのライブDVDは所持しているのだが、結果的に夕方の買い物時間以外は全てを視聴してしまった。「#四六時中もサザンを聴いて」がTwitterに流れていたが、もちろんサザンの「真夏の果実」の歌詞「四六時中も好きと言って 夢の中へ連れて行って」からもじったものである。成句として「四六時中」は「四×六=二十四時(間)中」であり、時刻に十二支を配し十二刻であった時代は「二六時中」と言っていたようだ。ここは正確な成句の意味はともかく、「四六時中」の誠によい響きに免じて使用したいところだ。文学的な意味で「成句」とは「古人が作った詩文の句」という意味もあり、前述した歌詞を典拠としてその響きを楽しみたいものである。

ライブ映像では様々な曲が登場したが、間違いなく1曲も重ならないように12時間のセットリストが組まれていたのは、さすがWOWOWである。親友とライブで観た「ひとり紅白」の舞台や、妻と指輪を買った思い出の地・福岡でともに観たライブの曲に浸りサザンが人生の歩みに伴走してくれていることに気づかされる。いやいや傲慢な!サザンの8年後を常に追いかけているのが自分の人生と言った方が適切かもしれない。「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」という基礎教育の担当科目では、この無料放送の紹介もした。遠隔講義でサザンの曲を扱う際にこちからか配信するわけにもいかず、YouTubeや歌詞検索サイトで各自が視聴することで「教材」としている。そんな中で格好の「無料放送」であったが、「BS視聴環境」がある事が前提となるため「紹介」にとどめた。12時間が終わってのち、23時からは「桑田佳祐のやさしい夜遊び」が生放送でオンエア。その中で企画に感謝の意を述べつつ桑田さん自身がこのWOWOW放送を観たことを語っていた。そのコメントの中でも、「反省するところがたくさんあった」と述べていた事が印象的だ。自らの業績に微塵も傲慢にならず、変えていく方向性を見出そうとする姿勢。番組内では横田滋さんへの哀悼の意も語られ「Missing Persons」(拉致被害者への思いを歌った曲で、歌詞中に “Megumi come back”と訴える部分がある)流したあたりも懐の深い人間性が感じられた。

「ライブがしたい」と言う桑田さん
やはり映像ではなく「ライブで観たい」
僕の「四六時中もサザンを聴いて」人生は永遠に続く。


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「竿だけ一本勝負」のライブ感に学ぼう

2020-05-10
「桑田佳祐のやさしい夜遊び」特別企画
「Keep Smilin’〜出来ることからちょっとずつ〜」
「お家でRADIO2〜竿だけ一本勝負」

妻の誕生日と母の日の間ということもあって、両親と四人で食事をした。この情勢で家でほとんど過ごしている母とは、なるべく日々LINEで情報交換をするようにしている。父はスマホも所持していないので(携帯はあるが)なかなか話せる機会もない。食事の時に父は「1週間か10日に1度は食事がしたいね」と漏らした。母はもちろんライブで僕ら夫婦と話せる機会が、とても嬉しいとばかりよく話をする。「人との接触」が忌避されてしまうなか、いかに「対面ライブ感」を保つかは人間として大切なことではないかと思う。毎週土曜日の夜は、冒頭に記した桑田佳祐さんのラジオ番組を楽しみに聴いてから就寝する。この日は「竿だけ一本勝負」という特別企画で、「竿」とは「ギター」の比喩(もちろん「竹屋竿だけ〜」に掛かっているのだろう)、『日本国語大辞典第二版』によれば、「三味線の胴から上の弦を張る長い柄の部分。また、転じて三味線の称。」とあり、「ギター」に転じたのもここに由来するのだろう。(またこれも辞典項目にあるが、あるものの「俗語」であるのも桑田さんらしい)

音声のみを伝える電話やラジオが見直されているように思うが、当該番組は「自宅からテレワーク」と言いながら、桑田さんと妻の原さんの自宅共演にスタッフがコーラスなどに加わった(オンラインなのか?)、さながらアコースティックライブであった。作詞作曲の桑田さんがアコギを自在に操り繰り出す曲たちは、歌い方もレコーディングとは違って自由奔放で楽しい。合いの手や間奏に挿入する小さな言葉が、ライブ感を演出する。想像するにたぶん桑田さんは、こんな風にして曲を書いているのだと思わせる雰囲気が伝わってきた。仮に素人の「カラオケ」が画面上に映る歌詞をなぞって読み上げているとするなら、玄人が自らの楽曲を自らギター演奏して弾き語るのは当然ながら明らかに違う。個体が持つ心の叫びを、韻律に乗せて表出する。しかも曲と詞が極限まで同化しているような印象を聴く者の心に「棹差す」ように投げ掛けてくるのだ。番組内で桑田さんも「ライブをまたやりたいね〜」と漏らしていたが、アコースティックなライブをぜひ生で体験したいと切に願う。真の「玄人」こそ、ラジオでも「竿だけ一本勝負」ができる。僕たち大学教員は、遠隔授業でどれほど学生たちにライブ感をもって授業を提供できるか。それぞれのプロ分野における、真の価値が問われているのではないか。

人間にとって「対面性」とは何か?
空虚な「文字の読み上げ」が横行するからこそ考えたい
桑田さん!またまた貴重な学びをありがとうございました。


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桑田佳祐のお家でRADIO

2020-03-23
テレワーク形式「桑田さん家(ち)」
スタジオ生歌ライブをRADIOから
社会を支えるミュージシャンのちから

東日本大震災の際も、半年後に宮城ライブを敢行し被災地の人々に勇気を与えた桑田さんであった。その際に作った「明日へのマーチ」という楽曲は、今回のコロナ禍でも多くの人々を救う歌声となる。標題のRADIO番組が、この3連休に渡り全国の民放ラジオ101局で放送された。スマホを使用すれば20日から他のエリアの放送を聴くことができたが、地元宮崎放送がオンエアされるこの日の19:00まで待ち、楽しみを後に取っておく形となった。最近はなかなか僕自身もRADIOを聞く機会もなかったが(自家用車の中でもサザンや桑田さんの音源が殆どで)、もとより深夜放送世代であるからかRADIOの音を部屋に流しながら過ごす時間は、聊かの懐かしさを伴い気分も上々にあらたまる機会となった。

桑田さんと原さん夫妻が寛ぐ家に、ギタリストの斎藤誠さんやキーボードの片山敦夫さんらが訪れるという「テレワーク」を演出した形式で番組は構成されていた。さらに豪華なサポートメンバーを加えて、サザンや桑田さんのソロ楽曲が楽しい語り合いの中で演奏された。もちろん最新曲の「SMILE〜晴れ渡る空のように」も流されたが、もはや「東京五輪応援ソング」というよりも、このコロナ禍を乗り越えるための激励ソングのように聴こえて来て、桑田さんの曲の懐の深さが知られた。映像ばかりに慣れ切った感覚が全盛な時代であるが、RADIOから流れる声から想像する感覚は新鮮だ。しかも、RADIOなら料理など並行して、それが捗るという効用も確かめられた。

みんな自分の持ち分で社会を支えよう
また桑田さんの歌をライブで聴ける日を心待ちに
「今この時代(とき)を生きて」


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「立ち会う事を 奇跡と呼ぶのだろう」

2020-01-25
「SMILEー晴れ渡る空のように」
桑田佳祐作詞・作曲 民法共同企画応援ソング
「情熱を消さないで 一人背負わないで」

2020東京五輪まであと半年に迫った。五輪招致や決定した頃には、まだだいぶ先の話と思っていたが、あっという間に眼の前に現実として現れつつある。少なくともあの「TOKYO」という字をIOC会長だかが宣言してから、今日まで僕は無事に生きてこられた。地球の近現代という歴史の中でオリンピックが4年ごとの祭典として世界の平和の定点観測点になっているとするならば、人生で何度立ち会えるということになるのだろう。日本の平均寿命を概ね80年超とするならば、赤子の時代を含めて20回ということになるのだろうか。1964年の東京五輪から今年まで14回の祭典があってそれに出逢える。それは「奇跡」と呼ぶのだろう、そんな歌詞の歌い出しにして様々なことを考えさせられた。

放映権を含めて巨額の商業主義的基盤に成り立つという、「平和の祭典」という概念と矛盾するかのような競争的な資本主義による舞台。各国がそれぞれの誇りを賭けて、スポーツによる威信を競い合う。だが、桑田さんの歌詞にあるように、「栄光に満ちた者の陰で 夢追う人がいる」のである。スポーツという究極の身体的活動において、「愛情に満ちた神の魔法も 悪戯な運命にも」めげずに立ち向かう選手たちの姿をこの曲は語り出す。さらにそんな華やかな舞台の陰で「世の中は今日この瞬間も 悲しみの声がする」のである。世界にはオリンピックどころではない人々の比率の方が遥かに多いことを忘れてはなるまい。物事を一人で「背負わないで」という慈愛に満ちた歌詞から、この「平和」の祭典であるからこそ考えるべきことを僕たち一人ひとりが考えるべきだろう。

桑田さんの長年のレコーディングスタジオ
まずは日々が何より平和で穏やかな世界へ向けて
「晴れ渡る空のように」宮崎の空のように。


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「轍」となる「今」を前に進む

2019-07-09
「希望」とは何か?
「今」はこの時からすぐに「轍」と化し
僕らの生きるを知らぬ間に跡付ける

サザンオールスターズの「希望の轍」について先週の講義で扱い、学生の「対話記録」を読んでコメントをつけていた。昨年大晦日の紅白でも歌われたこの名曲について、あらためてその歌詞内容から考えさせられることが多かった。もとより「轍」とは「車が通り過ぎたあと地上に残る車輪の跡」(『日本国語大辞典第二版』より)という意である。走った道を振り返ればそこに必然的に「轍」ができる。だが人はその「轍」に対して無自覚であったり、敢えて目を向けるのを避けてしまうことも多い。どのような意識であっても人生の「轍」は跡付けられ続けており、常に「今」この時が次の瞬間には「轍」となる。時間軸が止まらない限り、常に人は「轍」を形作り続けるのだ。

「人生が旅」であるとは、古来から様々な詩歌で表現されてきたことだ。「通り過ぎる街の色 思い出の日々」を常に見続けながら、人は歩み続ける。「風の詩」を聴き「黄昏」をいくつも乗り越えて、「ためらい」と「あこがれ」を胸にまた明日の「希望」へと向かって歩む。学生たちの対話記録にも多く記されていたが、「希望の轍」という曲名に含まれる語彙はこの歌詞では一度も登場してこない。前述した「 」引用のような語彙によって描写される人の置かれた境遇が想像され、自ずから「希望」へと向かう前向きな気持ちをメロディやアレンジで巧みに表現し伝えてくる隠喩性のある表現になっている。どのような「轍」が跡付けられようとも、車は前に向けて進み続ける。現代の学生たちにとっても、応援歌となるような名曲であることを再確認できる機会であった。

「情熱の重さは夜の凪 さまよう夏の日の陽炎」
前に前に進め進め若者たちよ
永遠の青春賛歌であり恋歌を胸に「熱く熱く」


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表現者の表現の場に立つ

2019-05-20
楽曲に向き合う狂騒的身体性
曲の調べと歌詞と楽器と声と
あらゆることを吸い込むライブ空間

「伝える」ことは決して「説明」ではないと、最近はつくづく実感している。「教える」ことも
総じて「伝える」ことの一環であるとすれば、なおさら「説明」は説得力を持たないという逆説に気づく。「国語」の授業の場合の多くは特に、「説明」されると学習者の毛嫌いの大きな要因となる。「説明」ならまだしも、「説得」的な押し付けになってしまう場合も少なくなく、そこに「国語」がつまらない原因の多くが存在することに自覚的になるべきだろう。実習生の授業などを参観すると、短歌教材でも写真や図版などを使用して「理解させよう」と努めている。だがその「写真」の選択そのものが、実習生の恣意的な一解釈であり、それを学習者に暴力的に浴びせているに過ぎないのではないかと思う。

サザンオールスターズの6大ドーム全国ツアー福岡公演を観た。最近は特にサザンの楽曲を歌詞を中心に詩歌との関連性を考えているだけに、執拗にどうしても体験すべき場であった。音源とライブではどちらが入り込めるか?という話題を妻としていたが、僕自身はいつも圧倒的に「ライブ」支持派である。音源が一つの「基準」とするならば、「ライブ」はあくまで表現者の表現の場であると強く思う。4万人前後という掴みどころのない入場者数を塊ではなく、一人一人の「こころ」と捉えて、自分たちの音楽を伝えようとする意志を強く感じることができる。40年間という長きに渡り日本の音楽界を席巻してきたサザンの、デビュー当時から変わらぬライブへの姿勢であるように思う。「伝えたい」ことを、曲と歌詞に乗せて「歌うことしかない人生」と謙遜しつつ主張するそのライブは、何度も「抒情の矢」で自らの胸を射抜かれるような体験の場なのである。

大胆かつ精巧に積み上げられてきた楽曲
なぜ「ライブ」があるかの意味を考えさせてくれる
「体験」でしか人は本気で「わかった」とは言えない。


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平成30年度第3回ひとり紅白歌合戦ー桑田佳祐さんAAA活動

2018-12-04
2008年第1回はライブで
今年は宮崎でライブビューイング
Act Against AIDS 啓発活動

2008年12月、偶々発売日に家で過ごすことができた僕は、午前10時の発売と同時にPC画面をクリックし幸運にも競争率の高いチケットを2枚引き当てた。長年、桑田ファンであった親友と2人でパシフィコ横浜へ行き、「ひとり紅白」の長時間ライブに酔い痴れたことを鮮明に記憶している。あれから10年、1993年12月1日「世界エイズデー」に武道館で始まった”AAA”コンサートも26年、2020年7月でこの啓発活動も終了するらしく、2008のあとは2013、そして今年開催となった「ひとり紅白」も今回で完結になると云う。2008年の興奮未だ身体内で冷めやらぬ中、今年は宮崎のセントラルシネマでライブビューイングにより、この歴史的なライブを観ることになった。桑田さんの長年のチャリティー活動は、音楽家として大変に意義深いものである。音楽の社会でのちから、その啓発性については「文学」も参考にすべきものがあるように思う。

師走になって俄然、「平成最後」という文句が巷間に踊るようになった。年賀状を準備すれば「平成」と表記できるものはこれで最後、来年の手帳には未発表の新元号を自らの手で書き込むことになる。昭和・平成、そして・・・と僕自身も3代にわたる元号を生きることになる。幼少の頃に祖母が明治生まれで、大正・昭和と生きて来たと知った時には、ある種の「歴史」を感じ取った。だが今や僕もそんな「歴史」を跨いだ生き方をしていることに聊かの驚きを覚える。さて、「ひとり紅白」の意義は、昭和・平成の大衆音楽の素晴らしさを再認識する音楽性に長けたものでもある。今回は特に「平成」の歌謡史を辿る選曲が多かった。それ即ち、自分自身の30年間の生き方を遡及する記憶の棚の整理のような感覚があった。それは大切に保存したい記憶もあれば、凍結して決して解凍したくないものもある。桑田さんの57曲という離れ業に酔い痴れつつ、何度か涙腺が緩む時があった。”YMCA”とともに「百万年の幸せ」(「ちびまる子ちゃん」エンディングテーマ」)の2曲は特に、西城さん・さくらさんの追悼の意を込めて時代の区切りを深く意識させた。

桑田佳祐の持つ社会的音楽性の深み
昭和の懐かしさが彼の音楽の中にいつも輝く
平成30年12月2日、このライブビューイングを僕はいつまでも忘れないだろう。


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