検索による過大評価の落とし穴

2017-04-05
相応の知識とリテラシー
PC再起動までの喩えようのない時間
「偏向した自分の意見を補強する材料を手に入れるだけ」

朝は新入生オリエンテーションの受付業務から。昨日の入学式とはまた違った表情の新入生が、大学の教室を目指してやってくる。これから4年間のうち、何らかの形で彼らと接することになるが、そこで僕は何を提供することができるか。大きく成長した姿で4年後の卒業式を迎えてもらいたいなどと先走ったことも考えつつ、新鮮な学生たちの姿に「学ぶ」ことの原点を顧みたりもする。先月19日付朝日新聞書評欄に『クラウド時代の思考術』(ウィリアム・バウンドストーン  青土社2017)が取り上げられており、その評に次のような趣旨のことが書いてあった。「能力の低い人ほど自分を過大評価する」という現象があり、「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれているのだと云う。Web検索旺盛の時代にあって、簡単に検索するだけで自分が物知りだという自己認識が肥大するが、それは「偏向した自分の意見を補強する材料を手に入れるだけだ」と云うのだ。誠に至言であると考えさせられた。

スマホの普及により、学生たちも何でも即座に「検索」するようになった。本来ならば重厚な研究書や全集などの書籍で調べるべきものを、簡易に「その場」で検索して「知識を得た」気になってしまっている。「検索」を掛けた段階で、多くの候補から無意識に自らに都合のよい情報だけを取捨選択している可能性が高い。前述の書評にあるように「知識がない人ほど、楽観的」ともいえるようである。また反対に「科学的知識が豊富」であっても、「自分の政治イデオロギーに適した解釈を下す傾向が強い。」という指摘もある。同書では対応策として、「新聞やテレビなど、プロによって編集された従来型マスメディアの重要性を強調」するのだと云う。「興味のない情報」にも触れて、全方位的な視野から物事を判断する必要があるということであろう。ちょうど夕刻に、PCソフトの構成を整えていると再起動に異常に長い時間を要する状態になってしまった。「自分の都合」では全部で30分もあれば終わると踏んでいた作業が終わらなくなった。開き直って待ち時間に夕食をしに行って帰ると、しっかりPCは使える状態で待ってくれていた。やはり僕自身も、「自らに都合のよい」判断で行動していたのだ。

新入生に身につけて欲しい思考
様々な知識とリテラシーが新時代を迎えている
いずれにしても「独善を排す」ということは、いつの時代も同じである。
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整理と引き継ぎの思考

2017-03-29
研究室の今年度分の整理を進める
学内の仕事も次年度への引き継ぎが
研究・執筆・創作もこうした思考が必須かと


春休みながら年度最終週は、重点的に研究室の整理を進めている。本年度のレポートや授業レビュー、様々なファイルにある記録の整理・保管をして、次年度の講義に支障のない環境を整備する。不要な書類はシュレッダーに破棄し、引き出しや保管庫を整えていく。それでも昨今は、教授会をはじめとして資料のペーパーレス化が進み、だいぶ資源の無駄使いは少なくなったように思う。このような行動をしていると、この1年間を振り返る思いが湧き上がってくることがある。特に学生たちが講義の最後に肉筆で書いた担当者へのメッセージなどを読み返すと、自らがやってきたことが報われた思いとなり、奥へ仕舞い込まずに見返せる位置に保管したりもする。「印字」ではなく、肉筆の「文字」の意義を再考するひと時でもある。などという感慨に浸ると整理は滞るのであるが。

学生時代に読むべき書籍のベストセラーに、外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)がある。複眼的視点で物事を捉えて知的生活を勧め、思考をいかに整理し表現するかを説いた好著である。学生諸君でこの書物を知らない者は、急いで人の知らぬ間に読了し、「当然知っています」という顔をして欲しいほど、基本中の基本の書籍である。書名に示される通り、内容は「整理学」である。研究をはじめ執筆・創作となどの知的活動は、「整理」することでもある。「文章」は「思考」を表現したものであり、それが他者に伝わらなければ意味を持たない。「伝わるか」「伝わらないか」を自ら判断できる客観的な視点が求められる。また、研究・執筆・創作いずれも、「運動」と同じように絶え間なく「続ける」ことが上達の秘訣でもある。この1年半ほど「短歌」を創り始めて、誠にそれを実感している。そしてまた、「短歌」という表現に自らの「心」を収斂させるのもまた、「思考の整理」と「言語表現」を擦り合わせる所業に他ならないだろう。

デスク周辺はほぼ終了
本日は棚の整理を予定している
進めるごとに「知的生産意欲」が倍増するように感じている。
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ビブリオバトル九州Dブロック予選会(宮崎大学)

2016-11-27
今年はホスト校として本学図書館にて
知的書評合戦として8名が参加
鹿児島・宮崎の大学生たちの競演

勤務校の附属図書館にて、標題の大会が開催された。昨年来、附属図書館運営委員となったこともあり図書館活動の推進にも従事している。今年は様々な他の行事と重なってしまい、2度に渡る学内予選の参観やゼミからの出場者を出すことができなかったのことが悔やまれる。昨年はゼミの4年生が参加し見事に大学代表となり、鹿児島大学まで応援のゼミ生とともに乗り込んだことが懐かしく思い出される。「ビブリオバトル」とは冒頭にも記したように、「知的書評合戦」である。出場者が自分で選んだ本に関して3分間のプレゼンテーションを行い、その後2分間のディスカッション(質疑応答)を行い、会場に参加している方々に本の魅力を伝えるというもの。審査員は会場にいるすべての人で、最終的に「どの本が一番読みたくなったか」を基準に投票し得票数の多い出場者が勝者となる。プレゼンの内容や知人・友人であるかといった贔屓目ではなく、あくまで「どの本を読みたいか」を基準とするのが肝要である。

今回の大会で取り上げられた本は以下の通りである。
1、甲賀忍法帖(山田風太郎)
2、変身(東野圭吾)
3、少女は卒業しない(朝井リョウ)
4、ちいちゃな王様
5、歌うクジラ(村上龍)
6、てい先生(ゆくえ高那)
7、四畳半神大系(森見登美彦)
8、脳の右側で描け(ベティ・エドワーズ)

僕自身が投票したのは、5番目の『歌うクジラ』である。発表者は冒頭に「僕は今日、皆さんに警鐘を鳴らしたいと思います。」と始まり、該当書がフィクションとして描く「現代社会の行方」がどれほどに壮絶かが紹介される。人間の徹底的な階層化と政府の管理下に置かれる社会。身の回りのものは「共通化」され、日本語の大きな特徴である「敬語の喪失」などが起きる。プレゼンを聞いているうちに、どうやらこれは「フィクション」ではないような気にさせられる。僕は発表者に質問をした。「この本が書かれてから11年ということですが、既に起きている危機的状況は何であると思いますか?」と。すると「自動運転」など機械による「行動管理」のような現象はその兆候であるという答えをいただいた。スーパーのレジの「セルフ化」なども進むが、こうして「機械」が「人間の仕事」を既に奪い始めている。あと20年〜30年もすれば、失われる職業はかなりの量と職種に及ぶということ。囲碁や将棋の名人が人工知能と対決することが試されているが、時に「名人の敗戦」の報に触れると、まさに人間の知力とは何かと考えさせられてしまう。そんな壮絶で暗黒な社会を助長するかのような政治・経済の動きに、僕たちは果たして無頓着でいいのだろうか?『歌うクジラ』ぜひ読んでみよう。

優勝本は『脳の右側で描け」に決定。
「描画」という人間の豊かな脳のあり方に注目が集まる
大学生の「知的」を支援するイベントとして今後も注目したいと思う。
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笑顔があるかないかの空間は

2016-11-20
大学「祭」の警備担当
日常性から解放された学生たち
これぞ学生たちの素顔のはずと思いながら・・・

この週末の勤務校は「大学祭」が開催されており、本年度は教務委員なので「警備」担当として出勤。今まで向こう3年間は、あまり学祭見物をすることもなかったが、構内を巡り歩くよい機会に恵まれた。炭火焼の煙が立ち上る模擬店テント、食べ物を売り歩く学生たち、各ステージではバンドの演奏が展開され、子どもたちなど一般の来校者の姿も多く見受けられる。「日常性からの解放」が「祭り」の定義であるから、学生たちも普段とは違った笑顔を見せている。もちろん今や「大学祭」なのであって、「文化祭」とは呼ばない方が相応しいのだろう。もちろん「音楽」も文化であるに違いないが、従来からの「文化祭」に見られた色彩は薄い。構内を巡りながら、僕自身は「大学文化祭」となると、いつも書道展の準備・展観・片付け・打ち上げに専心していて、大教室2室に自分たちの「書道」たる表現を最大限に披瀝しようと躍起になっていたことが思い返された。そこにはもちろん「笑顔」もあったが、作業の辛さや恋愛を含めた人間関係の混沌に身をやつし、「苦悩」も多く経験したことが記憶に刻まれている。

それでも日常から「大学」へ行くことは誠に楽しく、「笑顔」で行動していたのが僕の学生時代であった。「大学」に限らないが、高校・中学校時代を思い返しても「学校」は実に「楽しい」空間であった。「大学」であれば指導教授の先生や研究会の先輩後輩たちと酒を飲み、様々な話題を語り笑い合っていた。高校でも「授業」はともかく、様々に楽しい話題が生徒間にはひしめいていた。中学校ならば休み時間はテニスボールの野球に興じたり、プロ野球だのプロレスだのと仲間内で語り合い、学校から「後楽園」が近かったせいもあって、実際に生の野球やプロレスを見物に出掛けていた。休み時間などはいつも「笑顔」に包まれていたように記憶する。それゆえに僕は、「学校」へ行くのがいつでも好きだった。だが最近実感するのは、「学校」に「笑顔」が少なくなったこと。諸々の所用で「学校」を訪れると、先生方からして「笑顔」が少ない印象を持たざるを得ない。今週の「芸術家派遣活動」で「落語ワークショップ」を実施しても、一番「笑えない」のは先生方であったように感じている。そこからの連鎖で、子どもたちも心底から「笑顔」になる環境がないように感じられる。「授業の一環」となれば、やむを得ないとは思いながら、「学校」とはもっと「楽しい」ところではなかったのか、という思いを抱かざるを得ない。「大学祭」を見物していて、こんなことも考えた。

「楽しもう」と宣言するのは「楽しめていない」から
あの「笑顔」に溢れた学校空間はいづこへ
教員養成の必修単位に「笑顔教育研究」なぞ、まずはせめてゼミで新設しないと・・・
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保護者との対話があって

2016-11-07
大学で開催する保護者懇談会
今や全国的に実施されているのが実情
各自がお互いを思い遣る時間であれば・・・

「大学」で「保護者会」と聞くと、実情を知らない方々には何ということだろうと驚くかもしれない。「大学生」ともなれば、独り立ちして「入学式」や「卒業式」でさえも、親に対して「来る必要はない」と学生本人が豪語した時代もあった。現在は「入試」の折も含めて保護者控室の設定が重要であり、「入学式」「卒業式」は祖父母の来場するご家族も多く、座席数が足りなくなることもごく一般的な事例である。大学側としても少子化の波を鑑みて、保護者対応やご家族を積極的にアカデミックな場に引き出す施策を検討する必要があるのかもしれない。公開講座などを通じて学生のご家族も大学で学ぶような環境が、今後の日本社会には求められているようにも思う。少子化・晩婚化などの現象が今後の社会に与える影響は未知数であり、貧富の格差や衝動的な理由なき犯行などの社会の変質に、「大学」という場が今後どのように応えていくかということも大きな課題だと思われる。

「独り立ち」という観念に対して、この国の社会は甚だ曖昧なままに多くの人々が甘受してしまっているようにも感じられる。だからこそ「子ども」の本音、「保護者」の本音を分かり合える機会も必要なのではあるまいか。この日に行われた本学の保護者懇談会では、現4年生で教員採用試験に合格した学生と対話形式でのトークが行われて、まさに「大学生」として「保護者」にどのような対応をして欲しいかなど、参考となる意見が多数披露された。「学校」の授業が今や「対話型」「活動型」に変質している以上、こうした懇談会の形式にも工夫が求められれるであろう。「教員」視点のみの「説明」では、いかにも旧態依然としているということになる。「責任追及」「一方的批判」「開き直り」「権威・権力の押し付け」などが横行する社会にあって、「対話」を築くことこそが、あらゆることを改善するようにさえ思う。その基本は「双方が心から尊重し合う」ことに他ならない。「学校」では「一人ひとり」が尊重されてこそ、「対話」理念の授業は成立するのだ。

ゼミ学生の御両親と豊かな「対話」が
繰り返すが「双方が心から尊重し合うからこそ」
このくにの再生のための「小さな一歩」だと信じている。
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オープンキャンパスの希望と夕陽

2016-08-11
大学への学びの志
高校生たちの希望に満ちた眼差し
模擬講義2コマ担当し帰宅する駐車場の夏の夕暮れ

僕らの時代にはたぶんこんな行事がまだ、一般化していなかったように思う。それゆえに学祭を自ら見に行ったり、夏休み中にキャンパスを独りで歩き回り諸々を覗き込み、大学の「雰囲気」を勝手に察知した記憶がある。オープンキャンパス、今や高等学校でバスを仕立てたりする施しも為され、高大間相互のお決まり行事のようになった様相である。朝一番から受付を担当して、来場する高校生に資料の袋を手渡していると、何か大きな「希望」を受け取ってくれているように思えて来て、誠に嬉しい気持ちになった。その面々を見るに、僕が高校生の頃に「文学部」か「教育学部」かと迷っていた頃の、希望とともに連れ添う混沌とした意志を思い出した。今や「教育学部所属教員」となって、あらためてこうした高校生たちを迎え入れて「教師」へと育てるといった使命感を噛み締めるのである。

午後一番から2コマ(同内容)の模擬講義「詩歌と声と子どもたち〜響くのは誰の胸に」を担当。短歌教材を中心に据えて「音読・朗読」の効果と、それを「子どもたち」に如何に伝えていくかといった「教育」のあり方を浮き彫りにさせたつもりである。尚且つ、全国でこの「宮崎」にしかない大学の特長を随所に織り込んで講義を展開した。1コマ目は来場者も多く、講義等で一番大きな教室中に、来場者が短歌や詩を読む声が響き渡る。そしてまた、ゼミ生を中心にした補助学生たちにも「オープニング朗読」や、来場者を先導する朗読役を提供し、学生がどのように育っているのかを多くの来場者に肌身に感じてもらうよう配慮した。概ね反応はよく、特に「たんか県宮崎」に4月に移住されてきた俵万智さんの最新作短歌を紹介すると、地元宮崎県民の高校生が多かったせいか、彼らが「自己」を起ち上げて考えているような反応を見て取ることができた。学生たちの協力と、またこの企画を経験したことによる成長を誠に逞しく感じるひと時であった。

「宮崎は地味」と言われてもうすでにムッとしている水無月の夜(俵万智さん最新短歌)

終了後にしばし補助学生たちと研究室で懇談
帰宅時の夕陽を無意識のうちにスマホで撮影し、
その象徴たる姿の先にあることは自分で自分がわからなくなるほどの宵の口であった・・・
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組織を支える人

2016-05-27
PCのOSとソフトの関係で困惑
これぞ救世主のごとき方に助けられる午後
組織は多くの職員さんの良心で支えられている・・・

研究室デスクで使用しているやや大型のノートパソコンであれば、問題なく再生されるDVD。これが新規購入した新型OSを搭載した携帯用の代物であると、どうしても再生が成されない。それでも数日間のうちに、最初よりは再生の可能性がある段階まで自力で至らしめたのであるが、最後には「有償ソフト」の購入をWeb上から要求された。だがこの「有償」を購入したら再生される保証があるわけではない。困惑し尽くして大学のしかるべき部署の方に、アドバイスを乞おうと連絡をしてみた。すると予想を遥かに超えて丁寧に対応してくれて、内線のみならず研究室までいらして直接対応してくれた。中高教員だった頃は、数学科の特定の先生がその分野に詳しいという理由で、学内のPC関係を一手に任されていた。大学院研究室でも、大変詳しい方がいて「2000年問題」などの折は、その対応ですっかりお世話になった。だがこの両者ともに、まったく個人の「良心」でパソコン技術が提供されていたことに他ならない。それで今回は・・・。

しばらく研究室で検証を重ねていただいた後、職員の方は問題となる僕のPCを引き取り、「センター」たる部署まで持ち帰って対応していただけるという。誠にありがたき御丁寧な対応に、頭が下がる思いであった。過去の職場においても、時に大変丁寧に対応してくれる職員さんがいらしたこともあった。現在の職場でも、そのように感じられる方が学部にもいないわけではない。しかし、自分がまったく対応不可能な領域で困惑し尽くした後に、このような対応をしていただけたことは、僕にとって自らが所属する組織を見直すという意味でも、大変貴重な機会になった。もちろん、未だ僕の思惑通りにPCが動くようになる保証はない。だがそんな利己的な感情を超えて、こうした「良心」に触れることで、硬直していた心がふと溶けたような思いに至った。夕刻になって、当該の職員さんから連絡があった。メールでは、どうやら不具合はやはり「有償」を求めるしか道はないといった趣旨のことが書き込まれていた。半ば諦めて研究室でPCの到着を待っていると、僕の予想もしなかった結果が得られていた。

これで週末の学会で、思い通りの発表ができる
「研究を支えたい」という職員さんの尊き意志
研究者も職員さんもひとり一人が「良心」を失わざれば、組織は発展するのだろうが・・・
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入学式の希望

2016-04-05
真新しくもぎこちないスーツ姿
広い世界へ踏み出す一歩
大学入学式の頃に抱きし希望を思い出して・・・

4学部と大学院を含め1300人ほどの新入生を迎える入学式。もちろん参列する保護者と関係者を含めると、2倍から3倍の人数となる。学内にその人数が一堂に会する場所もないゆえに、キャンパスから18㎞ほども離れた県下随一のシーガイアコンベンションセンターで、本学の入学式は挙行される。地方放送局のTVニュースではトップでその様子が伝えられ、今年度は特に新学部である「地域資源創成」への注目度が高いようだ。そんな地理的条件での入学式ゆえ、先生方も参列する方は限られているようである。かくいう僕も、赴任時には「大学を知る」ために自ら参列したが、それ以後はキャンパスに留まり自分の時間を持つことにしている。今年度から「教務」となったゆえ、来年は必然的に「受付」として入学式会場に向かうことになりそうである。

それでも午後になるとスーツ姿の新入生と保護者の方々が一部、キャンパスに来訪する。仕事の合間に学食で昼食をとると、そんな光景が随所に見られた。思い出すのは自らが18歳だった頃の入学式である。学ラン角帽姿に身を固め憧れのキャンパスでの入学式は、移動すら大変なほどに混雑していた記憶が鮮明に残る。「文学を学ぶ」ならばこの大学しかないと志望を膨らませた高校時代の結実がその1日に集約されて、一気にこの身に背負うかのような感慨があった。その後の数知れぬ人々との出逢いは筆舌に尽くしがたいが、全てはあの日が出発点に他ならない。「井の中の蛙」でしかなかった僕が、荒波に揉まれるが如く大海に飛び込んだ日でもある。今でも新入生の希望と不安の入り混じった表情を見ると、あの日の自分を思い出すのである。

入学式の気持ちを忘れずに
今まさに学びを提供し支援する立場となった
今日からのオリエンテーションに、そんな気持ちで臨もうと思う。
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新年度に吹く風は

2016-04-02
新学部スタート
諸々の打ち合わせで風向きを予測する
さて新年度はどんな風に乗ろうかと・・・

勤務先の所属学部が改組により、「教育文化学部」から「教育学部」と「地域資源創成学部」となってスタートをした。研究棟の入口にある左右の柱には、両学部の名称が金文字で刻まれた看板が掲げられていた。もちろん僕は「教育学部」所属となるのであるが、その上で赴任4年目の新年度初日として意識の変化も必要ではないか、などと考えながら4階の研究室まで、いつものようにエレベーターを使用せず階段を踏みしめた。「現状維持」であれば、それは「発展」なき「停滞」になりかねない。少子化に伴い激化する国公立私立の存続を賭けた競争の風が、容赦なくあらゆる大学に吹き付けているのが実情だ。FBを見れば、多くの友人たちが様々な記事を挙げている。中でも大学における環境変化を報告する内容には、驚かされること少なからず。いやいや「驚いて」ばかりもいられない、まさに当事者意識を持ってその「逆風」に立ち向かわねばなるまい。

年度末に急展開で決定した役割に関する打合せが持たれた。特に今年度は夏季休暇中における講習担当も非常勤を含めて複数に及び、かなり予定が緊密である。そこに新たな役割の予定が、一気に押し寄せたと感じざるを得ない。講習等の予定調整が約3ヶ月前から実行されていたことを考えると、こうした役割担当の目処もその程度の期間を持って決定してもらいたいとも思う。最近はもっぱら手帳の「年間計画」欄を使用することが多くなった。研究学会関係の航空機の予約を始め、3ヶ月から半年単位で先を見据えている。とはいえ拝命した役割へと踏み出した新年度は動き出した。そう!忙しい時こそチャンスであると考えてはどうか。忙しいから「読書」も進む、忙しいから「研究」時間も確保する、忙しいから「私事」も大事にするのである。そういえば先日の京都でお会いした高校教員の方のお知り合いが、内田樹さんと知人であるというのだが、内田さんのメール返信の早さは、驚くばかりだという話題が出た。忙しい方こそ、小まめに仕事ができるのである。

「人は誰でも公平に持ち時間は24時間」
夜なべ仕事に精を出す父の言葉が思い出される
新年度に吹く風を良好な流れにするのもまた己次第である。

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「ラーニング・コモンズ」という空間

2016-03-30
学ぶ場は静粛なのが常
否、語り合い相談し発表し合う
活動型学びを創造する空間

大学附属図書館運営委員としての出張で、京都は同志社大学を訪れた。目的は「日本最大級」を自称する「ラーニング・コモンズ」を見学することである。地下鉄駅と直結する「良心館」なる新しい校舎の2階3階に、そのスペースがガラス張りで透明性も高く設置されている。受付に申し出てビジター証を首から下げ、いざ見学へ。すぐ右手には「global village」と称した「日本語禁止区域」がある。春休み中で学生たちの積極的な会話の光景は見られなかったが、楽しみながら外国語の活用を学べるオープンな場として有効だろう。その隣は「プレゼンテーション・コート」と表示してあり、円形状のスペースの四方にホワイトボードとプロジャクターが設置されている。人数に応じて自由に椅子の設定はできて、ゼミ単位やら60人ぐらいまでなら小さな発表会が開催できそうである。更に奥に進むと、勾玉型の机が2つ合わされて液晶画面が設置されている「グループワークエリア」があり、天井吊り具も設置されていてポスターセッションもできる。その先は「インフォダイナー」と名付けられ、ファミレス風ボックスとプロジャクターが設置され、白板に投影した内容にマーカーで書き込みもでき、学生同士がリラックスして打ち合わせが可能である。確かにファミレスで学習に勤しんでいる学生を、全国どこでも見かけるものである。他に特筆すべきは、畳状の座卓があり掘り炬燵風になっていたり、児童館のようなソファーが設置されていたり、「お行儀よく」背筋を正して静粛に学ぶ姿勢というのが、過去のものになりつつあるのが感じられた。(もちろんこれらは、米国の大学を範にとして設計されているのであろうから。)

見学していると事務員の方が声を掛けてくれて、3階で先生がお待ちですと言う。事前にアカデミックサポートエリア勤務の助教の先生に、連絡をとっておいたゆえである。そこでは個人やグループが様々な知的探究についての相談ができるスペースで、1人30分を限度に対応していると云う。レジュメ・レポート・論文の書き方など「教えてもらう」のではなく相談し対話することで自己を相対化する作業により、自ら気付くという方針のようだ。助教の先生曰く「魚を獲ってあげるのではなく、魚の獲り方を教える」ということ。初年次教育との連携やゼミ・講義との連携を進める先生方も積極的にこの場の活用を促しているらしい。するとやはり学生のアカデミックライティング能力は高まっているという成果が見えてくると云う。そこには院生のチューターも常駐していて、彼ら自身の「教育経験」実績にもなり、相互に有効な活用が期待できるとも。そんなお話を助教の先生は談笑を交えながら通常の声でエリアの中心部で語ってくれた。僕などは学生時代からの癖で、こうした学習エリアに来ると「ひそひそ声」になってしまうが、どうやら声を出してよい雰囲気であるのが、新しい学習エリアたる所以でもあるようだ。その後も暫くは様々なエリアを見学して、自らの大学では何からできるかを模索する時間が続いた。

夜は大阪府の高校国語教員の方々と懇談
その折の話題はまたの機会に記すこととしよう
鴨川の風に吹かれ、坂本龍馬気分と浮かれた宵のうち。

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