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大学教員の「新しい生活様式」

2020-08-21
1日10000歩を目指したい
日常動作でどれほどに歩いているか?
遠隔講義で研究室に居座る時間が長く

全国的に猛暑いや酷暑が続き、日中に屋外を歩くことも憚られる。最近はスマートウォッチを装着しているので、1日の活動歩数が確実に記録されている。年平均のグラフを見てみると、3月までの時期より5月以降が明らかに歩行数が減少している。遠隔講義の開始が5月、そこから4ヶ月間は研究室で講義を制作し研究室からオンラインで講義をすることが日常となった。その影響が、明らかに出ているといってよい。教室で教壇上から語り、机間巡視し班活動の対話に助言する。このような90分間においては、かなりの歩数となりカロリー消費も高いわけである。しかし遠隔講義は、尽く大学教員からその身体性を奪ったという訳である。

もとより論文執筆などの研究活動は、座り続ける時間が長いのは確かであった。ただあまりにそればかりが続くのも、身体的に不健康であるとは思っていた。そうした意味で教室での講義は、身体を動かすには大変にありがたい時間でもあった。授業準備に費やす時間が長くなり、それが終わったとしてもそのまま研究室のPCの前で講義をすることになった。その上にこの暑さが加わり、冷房をかけた部屋に1日中籠ることも少なくない。どうしても1日の生活歩数は減少し、やがては脳の血液循環が悪くなったのではないかという感覚に至る。せめて資料読みは図書館に行くなど、最近は意識して対策を講じているが、それも遠隔講義期間が終わり定期試験期間になったから。講義制作と課題対応の連続で、研究室から出られる余裕もなかったのが実情だった。

あらためて意識して動こう
身体の固着は脳の血液循環もよくならない
感染対策のみならず「新しい生活様式」が大学教員にも求められている。


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季節と学事暦のかかわり方

2020-08-07
まだ終わらない前期講義
梅雨明け十日からすぐに立秋へ
時節を問わない感染対策も続く

今朝は小欄を書こうと思い書斎の窓を開けると、足元にどこからともなく涼風が吹いた。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」という『古今和歌集』秋の巻頭歌を現実に体験する思いである。本日は暦の上では立秋、「梅雨明け十日」という成句があって晴天が続くということらしいが、たった「十日」の「夏」から既に「秋」になってしまうような本来の季節観からすると不条理な地球を生きなければならない。今朝の東の空は妙に朝焼けがオレンジ色に広がっていたが、繊細な心を持てば季節は正直に僕らの前に顔を出すということかもしれない。

通常であればこの時期は前期末の定期試験期間、半期を締め括り夏の現職教員対象の研修なども始まり夏期休暇へ向かう構えをする時節である。それにしても長年の教員生活で染み込んだ学事暦の心身へのへばりつき方は、かなり執拗なものがある。コロナ禍で俄かに湧き出るごとく「9月入学」が頭を擡げ即座に消えて行ったが、何より現場を支える教員のメンタル面が転換しようがないほど春夏秋冬と深い心身との相関関係があるようだ。世間はお盆の帰省云々と喧しいが、もとより急速なコロナ禍で4月に前期を始められず、お盆を跨いで今月3週までは前期授業+定期試験期間が続く。

遠隔講義でなんとか終盤まで遂げた気持ちと
日々の講義制作に費やす時間的に大きな負担を思う
暦と時節、この国では何に囚われて人々は生きているのであろう。


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書店・図書館・街と郊外

2020-07-23
Web販売と街の本屋さんと
まちなかと郊外の人の往来
リアルとオンラインといかなる融合を成していくか

子どもの頃からの大きな楽しみは、街の本屋さんに行くことだった。『小学◯年生』などの定期購読本を、母と商店街の買い物がてらに書店で受け取る日がたまらなく楽しみだった。小学校も高学年ぐらいになると少し離れたところに大きな本屋さんがあるのを発見し、その店内ではどこにどんな本があるかを把握するようになった。特にお気に入りのコーナーでは、「この本が売れてしまった」など本屋さんの在庫管理並みに把握していたことなどが思い返される。本屋で参考書を選ぶことは、受験の意志を強くする一歩として大きな動機付けであった。さらに大学生になるにつれ、神保町の古本屋街で自分なりの巡り歩く「コース」ができた。リアル書店の存在は、僕の若かりし頃の成長を大きく支えてくれていた。だが、宮崎に移住してからは市内から居住地が離れていることもあり、Web書店に依存するのが実情だ。研究室で読みたい本があればすぐにスマホから購入することができ、数日以内には確実にメールボックスに届く。もちろん市内に出向けば、リアル書店さんの店内を巡り歩くのであるが。

市内にある大手書店会社の懇意にする方が、本学附属図書館を見学のために来校した。昨年末に県庁文化振興の仲介もあり、書店の閲覧スペースで出前講義を2回やらせていただいた。通常はなぜか高校生などがかなりの人数集って、勉強をしているスペースだ。決して静かでもなく人通りのあるスペースを、なぜ高校生は勉強場所に選ぶのか?たぶん僕の経験の中にもあるような、「学ぶ」動機付けが書店にはあるのだろう。その閲覧スペースを利用したイベントも、現在はコロナ対応で使用ができないと云う。「まちなか文化堂」と名付けて来たるべく「国文祭・芸文祭2020」(来年に延期となったが)を盛り上げる企画を展開したいところだ。実施の可能性は「オンライン」にあり、附属図書館には限られた講演者・出演者・スタッフのみが密を避けて集い、企画内容をオンラインで配信する。大学附属図書館ならば「感染対応ガイドライン」も整備され、遠隔講義を実施している方法も熟知している。次第に市民の方々も大学附属図書館の存在を「利用できる」と知るようになる。書店と図書館が繋がった展開を見せる先例が目立ち始めている昨今、街と郊外という距離を超えて販売と閲覧、企画と公開という線で「本屋さん」と大学が繋がるチャンスであるように思われる。

「本屋さん」で抱く知的興奮
地域の小中高校生にも広く開放して行きたい
郊外である大学キャンパスに人を呼ぶための仕掛けを模索している。


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附属図書館リニューアルオープン

2020-07-16
「共創の場」として新たな機能
さらにはオンライン対応機能も附加すべく
2016年からの改修計画・創発考案の成果が今

改修計画についての検討会議の最初は「2016年でした」という館長の挨拶に、4年以上にわたり自らが関わってきたことを思い返した。大学に赴任してそれほど経たぬうちに、初めての全学委員として図書館運営委員になった。「国語教育・日本文学」という研究・専攻の上でも、大学図書館の運営には大変に興味があった。その「在り方」を考え大学の学びが大きく変革する時勢に併走し、単に本を読みひとりで学修する場ではない創発的な機能の充実を考案する日々が続いた。2年前からは「副館長」のご指名を受けたこともあり、図書館協会の主催するシンポジウムを東大まで聞きに赴いたり、同志社・玉川・早稲田などの私立大学の充実した設備や施設の概念の見学にも足を運んだ。図書館の改修は一日にしてならず、新たな方向性へ改善しようと努力しているところへ予算措置がなされる。紛れもなく5年以上の日々が、そこにあることが館長挨拶の間中、僕の脳裏に走馬灯のように流れていた。

新たな情報、新たな人々と出逢う、カフェやプレゼンテーションコートのある1階は「交流」の拠点となる。地元宮崎のテーマごとに分類した書籍の展示的配架、もちろん其処には「短歌県みやざき」もある。2階は「黙考の杜」従来の図書館のように静かに個々が学修するスペースである。キャンパス周囲の緑を見ながら。全ての窓際にカウンター席が設置されている。3階は1階での出逢いと2階での知識修得を展開する、まさに創発の場となる。米国福岡領事館の支援を受けた留学デスクも常設。5台のプロジェクターを備え遥か日向灘も見える「hidamari(陽だまり)」では、このコロナ禍で急に需要が高まった遠隔オンラインへの展開も期待できる。県内外の教育機関などの空間を五ヶ所までオンラインでつなぎ、多様な対話を創造する可能性がある。また土足禁止の「itanoma(板の間)」では、日本文化に根ざした企画や地域のお子さん連れのお母さんたちが読み聞かせをすることも可能だ。また多分野の教職員らがともに語り合い大学を創ろうと集う「katarai(語らい)」もある。各部屋の理念や名前そのものにも、この約5年間の個々の検討場面が思い返される。僕にとっては子どものような存在の図書館が、いま産声を上げたわけである。

県庁文化振興課の方々もオープニングに駆けつけてくれ
「短歌県」を始め知と文化の交流拠点として地域にも開いていきたい
学生・教職員のみならず多くの一般の方々にもご利用いただきたい。


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社会的距離と対面性を考える

2020-06-27
座席を離しての対面講義
ビニールシートなどで仕切られた学生窓口
マスクで塞がれた顔と顔

大学で廊下を歩いていると、遠目から怪訝そうな顔で同僚の先生が僕を見つめて近づいて来る。どうやら話したいことがあるらしく、「社会的距離」まで近づいて僕だと確認し立ち話。マスクをした顔はなかなか当人と判断し得ない状況があるのだと自覚した。久しぶりに会った学生などでも、僕も当人かどうか確認してから話しかけた場合もあった。顔の三分の二をマスクで覆っているだけで、対面情報が限定されてコミュニケーションが滞留するような状況を経験する。会議などでも、なるべく距離をとって座るようになった。発言や応答の通い合いは、やはり以前よりは形骸化した印象が拭えない。「社会的距離」の励行により、対話の環境が変化しつつあるようだ。

この数年間大学教育に求められてきた「アクティブ・ラーニング」、班別の学生同士の対話を取り入れて講義を進める方法を中心に採ってきた。なるべく「密」になってお互いの相違する考え方を対話することで、学生各自の思考傾向を客観的に知覚して気づきの学びを進めるということ。学部内で分散し開始した対面講義においては、「社会的距離」を保つ座席を指定し教室の収容率も定員(座席数)の50%まで、以前は指導しなければ後ろに固まっていた学生たちが、教室全体に均衡に拡がって着席している。僕は従来、教壇から学生までの近い距離が重要であると考えて、なるべく教室の前半分に座るように勧めていた。班活動をする際も机を向き合わせて対面度を上げて実施するようにしていたが、尽く反対のことをしなければならなくなった。試みに「社会的距離」を保った班別対話も行なってみたが、どうも煮詰まったものにはならないような印象だ。サザンのWeb配信ライブでも、メンバー同士やダンサーと桑田佳祐さんは「社会的距離」を考慮したと云う。「またみなさんとライブでお会いしたい」というメッセージに、やはり「ライブ」は「生きた」上での対話なのだと思う。こんなことを考えつつ、「教育に対面性はなぜ必要か?」という命題を考えている。

人と人とが遠ざかる
文化として持つ対人的習慣による感染の差もあるか
以前から考えてきた「ライブ性」を多面的に考えなければならない時代になった。


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附属図書館カフェ グランドオープン

2020-06-11
長年の夢のような憩いの場所
附属図書館入口にカフェが誕生
未だ遠隔講義が多く学生のまばらなキャンパスに

副館長を務める大学附属図書館が、全館のリニューアルオープンを前に目玉となるカフェがグランドオープンした。長年、キャンパス内にはゆっくりお茶を飲みながら寛ぎ談笑できる場所がなかったが、ようやく願いが叶った形となった。都会の大学がある街の著名なチェーンのカフェでは、大学生が学修する場所を求め常に満席な状況の場合が少なくない。自然豊かな我らがキャンパスには、学外にそのようなカフェも見当たらず、学生たちにとっても待望の環境ができたことになる。カフェを営業する業者も地域に根ざした会社であり、宮崎の食文化を意識したメニューを学生向けの価格で展開すると云う。本来ならオープンから学生が多く集まる場所となったはずだが、感染拡大防止の影響でまだ人影はまばらである。

窓際には外を向いた一人席、数人の席や大きめの平机もあり席のバリエーションも著名なカフェ並みの誂え。壁は木目を活かした明るい色調で照明器具もお洒落な印象である。僕も幾つかの大学図書館に視察に訪れたが、職員さんらがインテリアをはじめとする選定などに労力を惜しまずに尽力した成果が顕著である。全館がオープンした後、カフェ営業の時間は限定されるが学修場所としては24時間の開放を予定している。附属図書館が、新たな学生らの学びの活動拠点となることを目指したい。もちろん新型コロナ対策を考慮せねばならないが、それも踏まえた新たな大学図書館の運営を模索していくことになる。

この日は昼食にサンドイッチをテイクアウト
将来的には地域の人々の利用なども促進したい
ピンチはチャンス、新たな大学像を求めての開館を目指す。


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教員とは命に向き合い育てる仕事

2020-04-07
「この子らを妊りし日の母のことふと思う試験監督しつつ」
(俵万智『サラダ記念日』より)
命を迎え命を育てる人材へ育てること

新型コロナ禍は、社会機能そのもののを破壊してしまうことが大きく懸念される中、所属学部の新入生オリエンテーションが実施された。果たして「学校」の新学期はどうなるのだろう?宮崎県でもここのところ毎日のように感染のニュースが報じられ、小中学校に関しては休校が延長された。大学の決定した方針としては、オリエンテーションを実施し学生に新型コロナの怖さについて啓発をし、2週間の自宅待機と健康観察を旨とする期間を設定すべく授業開始を繰り延べた。先の見えない暗闇の中で、手探りではあるが「授業開始」を模索する苦肉の策と考えている。県内外を問わずにまずは学生の移動を止める、様々な考え方はあろうが僕はこの船に乗っている。

新入生への啓発として繰り返し話したのは、「教員とは命に向き合う仕事」であるということ。「教員志望であるみなさんは、まずは自らの命を大切に思い向き合わなければならない」と述べた。冒頭に記した俵万智さんの歌は、事あるごとに「教員の基本的な心構え」として学生に紹介している。教員とは「命を育てる命」であることを自覚せねばなるまい。世界では若い世代の重症化も少なくはなく、国境や世代を問わずこのウィルスに立ち向かわなければならないのが実情だ。大学そのものが「教育」の場であるが、あらためて次世代の若者を育てる現場こそが、甚だしい難渋と引き裂かれそうな心を持ちこたえ、未来に希望を見出すしかないのであろう。「大学の生活」について話した僕の言葉も自ずと本来のリズムを失い、十分に納得したものにはならなかった。されど、「命に向き合う」大学教員として僕は前に進むしかないのである。

東京の大学での状況も次々と仲間たちから伝えられ
「オンライン授業」へ既に舵を切った大学も多い
自宅に帰りふと我に帰ると泣きそうな日々が続いている。


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閉式の辞ー手作り卒業証書・学位記授与式

2020-03-25
昨日は教育学部において、卒業証書・学位記授与式が挙行された。学部120名をコース構成に即し50名・40名・30名に三分割して各20分、時間差をつけて3教室での実施となった。事務職員さんらは会場作りから証書類の座席机上配布、入り口での手指消毒などの準備を万全に施してくれて卒業生も安心して式に臨むことができたようである。本日は、各3回の式のそれぞれにおいて、僕が「閉式の辞」として卒業生らに贈る言葉の全文を掲載しておくこととしたい。

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みなさん、ご卒業おめでとうございます。

 あらゆることは自らの思い通りにはならない。この二か月ほどの全世界の成り行きを見て、こう考えました。しかし、みなさんは「思い通りにならないこと」をどのように超えていくか、その術を教育学部で学んだはずです。本日はこのような卒業証書・学位記授与式となりましたが、特に事務職員の方々の温かい心が伝わる手作りの会場で、みなさんの門出を祝うことができました。祝賀会も開催できずに残念でしたが、学部後援会よりみなさんに宮崎が誇る県産の杉を素材とした記念のペンをお贈りすることにしました。四月より活躍する教育現場などでお使いください。

 さて今まさに、宮崎大学で過ごす最後の時間となりましたが、ぜひ教育学部で過ごした日々に出逢った人たちの顔を一人でも多く思い出して欲しいと思います。講義やゼミで出逢った先生・友人たち、教育実習の研究授業をともに創った児童・生徒たち、実習最終日には涙を流して皆さんを励ましちからを貰ったはずです。その一人一人との出逢いこそが、みなさんがこれから長い人生を歩んでいく大きな財産です。

 「先生の先生ですか?」と聞く子らの瞳に学生の板書トメハネ

 私がみなさんの実習を参観し創った短歌です。

 教育とは、生きる力として学んだ叡智を、次の世代の子どもたちに伝えること。みなさんが書き順やトメハネを慎重に意識して板書した文字は、児童生徒の一生の学びの一部になりました。教員を目指すみなさんの歩みを、私たち教育学部教員が支えられたことを、今日この時にあらためて、お互いに深く噛み締めたいと思っています。

「先生の先生ですか?」と聞く子らの瞳に学生の板書トメハネ

 お渡ししました卒業証書・学位記の番号は、教育文化学部の方は長き伝統の上に、新たな教育学部の方は「教育第一号」から始まっています。まさに新しい宮崎大学教育学部の節目として本日、晴れ渡る空に向かい飛び立つわけです。最後にやはり、若山牧水の歌をお贈りしたいと思います。

親竹は伏し枝垂れつつ若竹は真直ぐに立ちて雨に打たるる

竹の節と節の間を「世の中」の「世」と言います。この教育学部を飛び立つみなさんを、私たちは今後も伏せて枝を垂れるように陰となって、見守り続けたいと思います。教育現場では「雨に打たるる」ことも多いと思いますが、ぜひめげることなく、「真っ直ぐに立ちて」、もし苦しい時にはこの母なる学び舎に顔を見せて下さい。

親竹は伏し枝垂れつつ若竹は真直ぐに立ちて雨に打たるる

 そして、本日のこの会場でみなさんの晴れ姿を見たくても見られなかった親御さんの顔を思い浮かべ、感謝の思いをあらたに深く抱いてください。

みなさんの前途に幸多かれと祈ります!
本日は、誠におめでとうございました。

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新しい大学図書館の機能と名称

2020-02-04
各部屋の機能・構造・配置場所
名は体を表すか
公式な名前と関わる人が創る俗称と・・・

副館長を務める大学附属図書館が、現在改修工事中である。概ね年度内には工事を終えて蔵書を始めとする引越しに1ヶ月以上の期間を要し、五月の下旬ごろまでにはリニューアルオープンの運びとなる。改修工事の新たな目玉としては、エントランス周辺にカフェが付設する部屋が設置され(カフェには営業時間があるが)24時間開館される。また館内には学生が交流し情報を多様に交換し対話をして学びを深めるような階や、テーマごとに目的を一にするグループなどが学びつつ実際の活動の構想を思考できる階、そしてもちろん個々が独りで深く思考する閑かな階などと、使用目的によって各階に特長ある館内構成となる。

事務の方々の並々ならぬ努力も積み重ねられて、各階部屋の名称考案をする段となった。従来の図書館といえば「閲覧室」とか「視聴覚室」といった名称に終始していた。だがこの改修にあたり全国の大学の図書館を何軒か視察したが、最近は様々な新しい概念により名称が付けられていることを知った。もとより「図書館」という名称そのものが疑われるほど、大学図書館の機能は変革しつつある。従来の「籠って蔵書を調べて閑かに孤独に学ぶ」のではなく、「他者と協働し情報を比較し精査し、対話をすることで自ら学びを創造する」場となった。さらにいえば、他の大学には真似のできない宮崎ならではの大学図書館のあり方が求められている。地域に貢献する地方大学としては、県内各所と繋がって展開することも重要である。既に県立図書館とは連携協定を結んでいるが、さらに米国の福岡領事館のご支援で留学情報デスクを設置することになっている。そんな機能を展開する附属図書館の各部屋に果たしてどんな名前がつけられるか?乞うご期待である。

学生が自ら活動するように
そして地域の住民の方々も広く利用してもらう
新しい宮崎の学びを此処に創ろう!


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大学生の「性」についてのシンポジウム

2019-12-18
「対等・平等・合意・納得」
「性体験率」の年代による変化のことなど
「愛」「恋」「性」を教えない学校教育

学内の安全衛生保健センター主催の標記のようなシンポジウムが開催された。3名約1時間の基調講演をもとに30分ほどの討論会であったが、基調講演の筆頭を僕が担当することになった。学士力発展科目で「日本の恋歌」を担当していることもあり、「短歌によむ恋と性愛」というテーマで30分の持ち時間をいただいた。日本の恋歌史の始発は神話における「山幸彦」と「豊玉姫」とのものであるとされるが、その舞台となったのが大学にほど近い青島の地である。そこではかの若山牧水が帰郷した際にも東京の恋人を思う歌を創っている。牧水や与謝野晶子の恋歌は、明治期としては鮮烈なものがあり、深い苦悩の恋愛の中から自然観の豊かな心情や女性ながら挑発的な心情が奔放に詠まれている。「恋って何?」「恋はつむじ風」「原始と文明の愛」「花かジャムか」「若き性愛」などのテーマで26首の短歌を紹介しつつ、「性愛」についてまずは思考を開放する役目を僕は担った。

後半のジンポジウムでは、安全衛生センターのお二人の先生方の講演から、身体的な関係の深まりとともに「別れたい」という感情や暴力的行為なども現れるという相関性がある点が発見であった。こうした男女関係の段階とともに、大学生世代の性体験率とか「デートレイプ」と言った社会的な事象を指摘してくれた先生の話題を融合させ、「恋」「愛」そして「合意」とは何かという話題で口火を切った。サークル活動を足場にした集団的組織的レイプの事例など、未成熟ゆえに大学生の時代の「性」は大きな危険も孕んでいる。また年代別の性体験率の変化が、X’
masを恋人と過ごそうという社会風潮の高まりとともに上昇し、その熱が冷めると下降していることは一つの発見であった。「フェニルエチルアミン」という恋の心を高める分泌成分は、「可燃性」であるという指摘も興味深く、「恋の火」を心に灯すことこそ人間の性の根源であり、身体と心が相まって「愛」という人類の幾多の物語を生み出して来たのであろう。

「水族館でタカアシガニを見てゐしはいつか誰かの子を生む器」(坂井修一)
「今我を待たせてしまっている君の胸の痛みを思って待とう」(俵万智)
相手の尊厳を深く意識して生きる、いつの時代も変わらぬ愛の基本である。


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