恩師からいただいたちから
2023-07-10
卒論指導の基本形として恩師からいただいたちからは学恩のみならず
この学生たちとの出逢いなくして現在の自分はなし
15年間毎年欠かさず、まさに七夕のように逢う仲間たちがいる。今「仲間」と書いたが、もとより彼らは学生として貴重な機会を僕にもたらせてくれた。15年前の7月、僕の大学院指導教授が67歳の若さで急逝された。不調を訴えて入院のために大学講義の代講を依頼いただいたのが4月、前期のみで後期からは復帰されると信じていたが4ヶ月で帰らぬ人となってしまった。代講にあたり僕自身に受けるや否やの葛藤がなかったわけではないが、今にして思えばこの機会を受けていなかったら今の自分は無いと思えるほどに人生において貴重な機会となった。なかでも、卒論指導を行う「特殊演習」を受講していた学生たちには、実に様々なことをむしろこちらが教えてもらった。現在の大学教員としての礎は、彼らとの出逢いにあると言ってよい。
この日は、当初に予約した航空便が機体ぐりの関係で欠航となってしまい、予定していた計画に大幅な修正を余儀なくされた。それでも僕のために諸々と調整をしてくれる人がいて、やはり人のありがたさを感じた。結果として恩師の墓参にまでは行くことができなくなってしまったが、前述した「仲間」たちが15年目もまた集まり「逢瀬」を遂げた。昨年までの3年間は「リアル開催」はできず、「オンライン開催」でこの貴重な機会を繋いできた。オンラインはオンラインで子育てをしているメンバーには参加しやすいという利点があったが、やはり「リアルで逢わないと」という思いを強くした。22歳で卒業した学生たちも今や30代後半となり、全員が立派な家庭を築いている。15周年という節目を飾るにふさわしい会話が、この日も存分に楽しめた。そして当時に行った「京都源氏物語卒業旅行」を5年後の20周年に再び実行しようということになった。少しずつ恩師の年齢に近づく僕にとって、真に財産と言える貴重な「仲間たち」なのである。
お子さんたちの成長から学ぶことも
きっと恩師もこの集まりに臨席していたであろう
あらためて恩師からいただいたちからをもって前に進む自分を確かめた。
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研究授業に遅れず到着するために
2023-06-03
台風が南岸を通過するに伴い前線が刺激され朝から豪雨が降りしきる
市内に向かうに予想もしない渋滞に巻き込まれつつ
小欄に何度か書き込んできたが、今週は毎日どこかの小学校にゼミ生の教育実習視察へ訪れた。今年度の4年生は6名在籍しているので、毎日1名ずつと水曜日は2名をハシゴ。それに加えて、火曜日は全学企画「イブニングセミナー」のコーディネーターとして夕刻からオンラインの司会を務め、水曜日は学部附属共同研究全体会を委員長として切り盛りした。もちろんその間に、水曜日以外は通常の講義やゼミが1日に最低1コマはある。さすがに金曜日の講義を終えると、夕方になって疲労の度合いが激しかった。それでも1週間が充実していると感じられるのは、ゼミ生の成長した姿を見るからである。公立学校の教壇に立つ学生の表情と、コロナがまだ得体も知れず蔓延しはじめた2020年5月(講義開始が1ヶ月遅れた)の不安だらけの中で入学した頃の表情を比べる想像をしたりする。あの年の4年生はこの公立実習さえもできなかったことを思うと、1・2年生でオンラインで苦労したが、現4年生が教壇に立つ姿は感慨が一入である。
さてこの日の宮崎地方は太平洋側の他県同様に、朝から激しい豪雨に見舞われた。公立学校への実習訪問で大きな課題は、授業開始に余裕を持って各校に僕自身が到着することだ。どんな場所であっても授業開始時刻の30分前には現地に到着するように、自宅の出発時間を設定する。カーナビには「現地予想到着時間」がやや余裕を持って(つまり遅目に)表示される。それを目安にしていると、現地に近づいて至近のコンビニで時間調整などをすることもしばしばだ。だがこの日は、市内中心に向かう方面にある公立学校へ同様の設定で家を出たのだが、渋滞は回避する意図で選択したルートでも、途中で車列が続き通常では考えられない渋滞に入り込んだ。数分はそのまま流れるのを待ったが、どうやら埒が明かないだろうという思いに至った。即座にルートを少々逆戻りし、別ルートから有料道路も使い目的の小学校へと向かった。それでもなお、小学校の門がある路地に入る道に右折する道がまた渋滞している。何とか15分前ぐらいには小学校の受付で挨拶をすることができ、この日は「1日担任」として朝の会から担当しているゼミ生の姿を授業10分前から見ることができた。我ながら「カーナビ」ならぬ、自らの機転を利かせた回避判断が実に功を奏したなどと、まだまだデータ・機械には負けない判断力があるものだと自惚れる朝であった。
各小学校の校長先生をはじめ先生方と出逢う機会としても遅れず行くこと
昨日の小学校では研修に来ているゼミの卒業生や附属小の先生にも
僕たちが県内の教育現場を体験する意味でも貴重な1週間であった。
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教師だけが知っておく厚みー言葉の「リズムが良い」とは?
2023-05-30
授業に臨む際の教師の「メモリ(作業台の大きさ)」小学生にそのことは直接教えないが知っておきたいこと
背景と奥行きを知っていてこそ「楽しい授業」を演出できるものだ
今週はゼミ4年生が公立(応用)実習の2週目となり、それぞれ研究授業の視察に訪問する。今年度の4年生は6名いるので、一週5日間となるとどこかで2校を訪問するハードな日程となる。それでもゼミ生たちが実習校と入念に調整してくれ、また仲間同士が連携して僕の訪問に支障のないように予定を組んでくれた。まずは「実習校との交渉力」という面においても、応用実習としての学びを経験させることは重要だと思っている。教員の仕事は決して「教科指導力」のみにあらず、組織としての学校内でいかに支え合い学び合いを念頭に振る舞うかが肝要である。僕自身が初任校に赴任した頃から、学校での人間関係を重視していた経験は現在のゼミ生の指導にも大いに役立っている。昨今、教員に就職しても休職や離職に追い込まれる人の数が多いと聞く。あまりにも厳しい時こそ、学校の「チーム」に助けられ上手く心を癒したり休めたりする適切で人間的な環境に身を置けるならと願う。そんな人間としての繋がりを、ゼミ生には大切にしてもらいたい。
さて初日月曜日は、大学から概ね1時間は要する小学校を訪問した。ゼミ生の研究授業は4年生の「俳句」教材。自ら音読をすることができそのリズムの良さを体感し、好きな一句を理由とともに述べられるようになることを目標とするものだ。肝心なのは「俳句のリズム」を「調子が良い」ものとして学習者がいかに音読しそれを経験できるかである。授業を参観していて思ったことは、学習者は「リズムが良い」ということを身体で感じ取ればよいが、指導者は「なぜリズムが良いか」という奥行きに自覚的であると、より学習者に体感させやすい授業にすることができることだ。中高専任教員を20年以上勤めてきた僕自身の実感だが、教材研究を「100」としたら授業で使用するのはせいぜい「3割から4割」である。あとの「7割6割」は授業方法の礎石として作用させることが望まれる。反転して述べれば教材研究の厚みと奥行きがないと、学習者が納得する授業をすることはできない。「音読で体感し楽しむ」授業であればあるほど、その「秘密」を指導者だけが知っておく必要があるのである。
なぜ俳句は日本語として「リズムが良い」のか?
教科書には「いろはうた」の音読補助教材もあり
教員養成課程で僕自身が何を教えておくべきか?を深く学んだ機会になった。
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月があまりに綺麗すぎてー旧暦二月十七日
2023-04-08
旧暦「閏二月十七日」月の素晴らしさに思わず海まで
小さな眼の前の美しさを逃さず
新年度が始まり今週は、新入生・在校生のオリエンテーションが続いた。新入生の支援教員(担任)ではないので、もっぱらゼミ生らとの面談がこの2日間続いた。1年間付き合ってきた新4年生は、採用試験や卒論の方向性について深い話をすることができる。特に3月に日向市東郷町坪谷へ「牧水ツアー」1泊を催したこともあり、より深い関係性が築かれたように思う。やはり「寝食をともにする」という言葉があるように、宿泊と座を囲む機会は人と人とを深く結びつける。感染拡大により新入生の頃からオンライン講義などに耐えて来た現4年生に、ようやくご褒美の機会ができたような気もする。
また新たにゼミに入る3年生との面談では、それぞれの長所を伸ばすことを話した。行く道には誰しも不安があるものだが、それを超えて切り開いて行くには自分の「強み」をさらに成長させることだ。これはゼミ生に限らない、職場でも家庭でも人と人とがつながる基本であるように思う。夕刻になって所用で街まで車で出たが、その帰路に東の海上から綺麗な月が出ていた。帰り道に意図していた道路を思わず変更して、海がよく見えるルートを取った。さらには自宅に近づいたが、衝動に駆られて青島方面にハンドルを切った。やや風が強く波が荒い海岸であったが、旧暦二月十七日の月は穏やかに僕に微笑んでいた。今年は旧暦では「閏二月」があり、「二月」が二回くり返されている。「春」が長いというか、一気に「暑い」まではいかない宮崎である。
太陽のみならず月の美しさを愛でよう
自然とその魅力に惹かれて行く衝動のような
ゼミ生と腹を割った対話こそが、彼らの未来につながる。
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卒業式への思いー「発達段階の移行の完遂」
2023-03-25
通過儀礼としての「卒業式」学びの集約とその後へ引き継ぐ思い
「心の故郷」と思われるように学生に向き合えたか?
所属大学の卒業証書授与式が、フエェニックス・シーガイア・コンベンションセンターで挙行された。近々にこの会場では、「G7農相会合」が開催される国際的基準を満たした場所である。東京にある大学が武道館などを借りて挙行しているのを考えると、決して引けを取らないかむしろ豪華な会場と言えるかもしれない。学生たちにとって一生に一度の時間にあたり、このような場所が用意されるのは誠にありがたいことだ。毎年のように小欄にも書いているが、僕は卒業式に特別な思いを持っている。自らの小学校・中学校・高等学校・大学・大学院修士・博士号授与式と自らは人生で6回の「修了」の儀式に臨んだ。だが高等学校については、大学入試日と重なり欠席をせざるを得なかった。そんな意味で高等学校での締め括りや引き継ぎの記憶や思いが曖昧で、心に特別な思いを抱き難い。「卒業」という事実は何ら変わらず、いただく「証書」にも変わりはないのだが、やはり「通過儀礼」の一つとしてその場にライブで臨席することの意味は大きい。
「通過儀礼」とは辞書によると「人が生まれてから死ぬまでに経過する、誕生、成人、結婚、死亡などに伴う儀礼」(『日本国語大辞典第二版』)とある。さらに「ユング心理学」によると、「イニシエーション」と呼ばれ、「『死と再生』のテーマが、原初的な無意識のイメージ(元型)として人類に共有されており、これが発達段階の移行を完遂させる役割をもつ」(『有斐閣現代心理学辞典』)とされる。この考えに拠るならば、学びの「発達段階の移行の完遂」を確かめ合う儀礼として「卒業式」は大変に重要だということになる。このような面が意識化していた大学・大学院の「学位授与式」としての意味合いは、僕自身にとっても大変に大きかった。その「儀式」に参列したことで初めて「母校が母校になる」ような感覚となり、「心の故郷」として燦然と自らの精神史に刻まれるのだ。このような意味で、新型コロナ感染拡大で普通に挙行できなかったこの3年間にも「儀礼」としての思いだけは届けたいという大学教員としての強い思いが僕にはあった。参列は卒業生と教職員に限られたが、華々しく着飾った卒業生らとともに僅かでも時間が共有できたことに、この上ない喜びを覚えるのである。
自らが4年間をいかに指導してきたか?
ゼミの学生たちの独り立ちの日としての喜び
学生生活の四分の三がコロナの影響を受けた学生たちがその思いを未来へ繋げる。
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「卒論」によって育むものは
2023-02-15
ただの卒業のための単位ならず課題発見・探究・調査・実践・見解そして積み重ねの努力
「学士」として「教員免許取得見込者」として
文学部出身だからであろうか、「卒論」にはひとかたならぬ思い入れがある。あの頃の苦労と努力の積み重ねは、今も僕自身を支えていると思う。指導教授の厳しさと温かさが身に沁みて、その影響で迂遠したかもしれないが同じ職業に就いた。当時はPCなどなく「手書き」による制作であったため、清書ではペンだこを潰しながら3日3晩、意識朦朧としながら書き続けたのも今ではよい思い出であり心の糧である。30代になってからの修士論文ではPC使用が導入されたが、むしろ画面を見続け過ぎて首が回らないほどの肩凝りに見舞われ、近所の接骨院の先生なくして書き上げられなかった。博士論文は年次の雑誌論文の積み重ねであったため、むしろ苦労は分散型であった。だが公開審査の際、4名の審査の先生方からの厳しい質問は生涯忘れることはない。というわけで、自らがどれだけの価値をもって取り組んだか、その経験によって後の仕事の基盤になる資質・能力になっているか、という点を重視して今は学生たちの「卒論指導」に取り組んでいる。
動物たちが産まれて初めての経験に「親」の存在を本能的に認識するように、大学教員としての「初卒論指導」は実に大きな経験であった。大学院指導教授の急逝による代講として、そこで向き合った学生たちとは既に15年ぐらいになるが、今もオンラインも活用し毎年恒例で飲み会を開いている。彼らの自主的自立的な対話と探究の姿勢は、僕の中で一つの基準となって「卒論指導」で「求めたい姿」になっている。僕の指導教授がそうであったが、自らの考えを押し付けるのではなく、学生個々が主体的に学び合う対話を聴きつつ肝心な点を舵取りする姿勢を僕も貫いているつもりだ。指導教授が一対一で自説を述べれば、学生の卒論は「二番煎じ」に過ぎないものとなる。いかに学生自身の「個性」を立たせつつ、穏当な方向へ導くか?「個」で考え込んだ独善的な内容から、いかに客観的な根拠により説得力のあるものに仕立てるのか。この日は講座4年生の卒論発表会が開催された。諸々の思いを込めて、学生たちに丁寧に質問する自分がいた。
「卒論」は一日にして成らず
どれだけの時間と書籍と経験に寄り添ってきたか
教師として現場で仕事をするための多くの要素が育まれているのだ。
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生徒・学生の方を向いているといふこと
2022-12-27
初任の高校に勤務した時「生徒の方を向いている先生」と言ってくれた先輩教員
向き合う心なくして自らの心も見えない
クリスマスが終わると、一気に年末モードになる日本社会。「もういくつ寝るとお正月」と言うための狼煙(のろし)が日本のクリスマスともいえよう。講義は先週で終わっている大学に行くと閑かな佇まい、〆切原稿1本といくつかの残務を集中して終わらたいと思っていた。だが今月21日付小欄に記したように、この時期は「卒論」の追い込み時期である。学部の最終〆切は1月末日だが、ゼミでは「仮提出」を毎年「成人の日」明けに設定している。あと2週間というこの時期にあって、凝り固まった頭をほぐす必要のある学生がいる。というわけで、オンラインを活用して午前中にゼミ生1名の卒論に対する「対話時間」を設けた。本来なら自らの仕事を集中して終わらせるとも考えたくなるが、学生の要望には極力応えたいと思っている。「対話」の時間を進めると次第に自らがこのクリスマスに考えていたことと重なる点が炙り出され、日本の近現代社会における「アイデンティティ(自己同一性・この用語の翻訳自体に大きな問題を孕む)」の問題について興味深く話している自分がいた。学生にはいつも教えられる、と考えるのが教員としての学びだ。
午後にはゼミ卒業生が帰省し「夏に出産した赤児を見せたい」と家を訪ねてくれた。昼食がてらいったん帰宅し、彼女を出迎えた。年末の予定としてこの日しか合う日がないこともあったが、1時間でも再会の時間を取ることが大切なのではないかと思った。「教員」としての最上の喜びは、卒業生が立派に活き活きと生きている姿を見ることだ。この日もすっかり「お母さん」になった彼女の姿に、大きな元気をもらった。再び大学に戻り事務関係にご挨拶もして、原稿の最終仕上げに入る。午前・午後と時間を限定したことで、むしろ原稿の執筆具合は良好となった。我欲ばかりで「この日は自分の時間」などと思うと、むしろダラダラと頭が凝り固まることもある。学生・卒業生に元気をもらい、集中モードを作るのがむしろ得策だった。冒頭に記したように、初任校に勤務した際に採用面接から担当してくれた国語科の先生が「生徒の方を向いている」という賛辞を僕に送ってくれたことがある。考えてみれば、その先生も「生徒」や「後輩教員」の方を向いてくれていたのだ。その先生が「教員1年目」にして僕の目指す目標でもあった。既に鬼籍に入られたと聞くが、あらためてこの日は先生のことを思い出した。こうして「教員が後輩や生徒の方を向く」という姿勢が、受け継がれていくのだ。少なくとも僕は今、「教員養成」の最前線にいる。この大切な「リレー」のバトンを、次の世代に確実に渡さなければならない。
今この時を生きて
日々に向き合う人々からいただくちからがある
生徒・学生の方を向かなくして、どうして自分なりの短歌ができようか。
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つづき続いて14年ー今年も新鮮に卒業生は集う
2022-07-17
卒論担当教授の急逝代講のご依頼を受けて出逢った学生たち
卒業して14年目に今年もまた集う
僕の大学教員としての初めての経験、それはあまりにも突然に訪れた。新年度を迎えて間もない頃、夜になって大学院の指導教授から電話があった。ご自身の学部担当科目の代講をお願いできないか、という内容であった。指導教授は病いが発覚し治療のために、数ヶ月の入院をせねばならないと聞かされた。前期のうちには退院できそうなので、まずは前期講義をお願いしたいということ。担当を依頼いただいた2科目のうち1科目は学部3年生の演習、もう1科目は「特殊演習」と名付けられた4年生の「卒論指導」であった。指導教授を慕って当該ゼミを選択していた学生たち、急に経験も浅い僕などが担当して誠に気の毒なことになったという思いも持った。僕自身も博士学位請求を控えており、指導教授の入院に少なからず影響を受けた。だがその際に僕が行動したのは、学部4年生の卒論テーマに関する参考文献を読み漁ることだった。GW前に多くの参考文献を買ったり借りたりし、必死な思いで学部4年生の思いに応えようと思った。3ヶ月が経過し指導教授は退院どころか、急逝され帰らぬ人となってしまった。
指導教授に前期の指導内容を引き継ぐために計画していた夏合宿、その場でさらに学部4年生のメンバーの結束は固まった。もとより仲のよい仲間意識の強い人たちで、お互いに妥協なき議論ができる雰囲気を作っているメンバーであった。忌憚なく意見を言い合う、日本人の学生はそこに到るまでの指導こそが大変である。しかしこのメンバーには、指導教授を慕うがゆえに「学生こそが主体的に議論する。(指導者はそれを見守り適切なところで支援する)」という方針が浸透していたように思われた。後期も引き続き「卒論指導」が継続し、そして12月末の〆切となった。その後は2月に「源氏物語名所めぐり」というゼミ卒業旅行が企画され、僕自身も歓迎されて同行させてもらった。そして彼らは無事に卒業式を迎えた。初めての卒論指導であったにも関わらず、彼らは「先生のおかげで卒業できた」と今も口々に言ってくれる。指導教授の命日に近いこの時期に、今年で14年目となるが必ず参集し宴を開いている。この3年はオンライン飲み会、今年も対面の可能性を模索したが、結果的にオンラインが妥当な状況となっている。今もメンバーたちの忌憚ない会話には、僕自身が学ばせてもらうことが多い。昨晩も18時開宴で最終は23時半まで、妥協なき語り合いが実に楽しい時間であった。
来年は卒業15周年となる
あらためて「20周年京都旅行企画」などの話題も
僕を大学教員として導いてくれた大切な卒業生たちである。
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わたしはひとりじゃないー孤独を抜け出す朗読
2022-07-15
表現するとはつながること観客と仲間とそして文学と
朗読によって抜け出す孤独
全国で再び感染状況が大幅に増加に転じた。だが今までと違うのは、経済活動を止めないという方針が根底にあるようだ。国や県も緊急な対策を、講じようとはしていない。それだけに個々人がそれぞれに身を護ることが求められるであろう。マスク・換気・距離の対策は、慢性的になり慣れてしまったが、今こそあらためて見直すべきだろう。経済活動が止まらないからといって、決して「感染しても仕方ない」というわけではない。このような状況から、ゼミ活動は久しぶりにオンラインで開催した。多くの者が自宅から他者との接触を避けて参加することができた。この2年間に培った方法は、適宜活用すべきである。この日のテーマ一つ目は、「現況の社会状況について思うこと」とした。この1週間、安倍元総理の銃撃事件、そして参議院議員選挙へと連なった世情を学生たちはどう考えているか。将来、教員として羽ばたく学生たちが忌憚なく意見を言う姿には、逞しさを感じるほどだった。メディアの偏向やネットリテラシーの問題など、現代ならではの視点も多く、まさに「時代を語り合う」時間となった。
後半は先週の「七夕朗読会」を開催して何が得られたか?についての対話。人前で朗読することで実習等へ向けて大きな自信になったという声も多く聞かれた。音声表現は「動作の程度」によって出る声が変わって来る、という体験的な学びもあったようだ。そして多くの学生が学び取ったのは、「表現することはつながること」ということだ。仲間がいて観客がいて文学がそこにある、自己を取り囲むものたちへ「声」を媒介としてつながる。本来は僕たち人間が必然的に社会の中で体得していることかもしれないが、新型コロナの2年間のトンネルもあってそれを再確認する必要があることも実感した。「朗読」にとって「聴き手」の存在は、大変に重要だ。言い換えるならば、「文学作品」にとって「読み手(黙読であっても心の中で声を出して読み、単なる文字表現を生きたものに変換する)」の存在があってこそ「文学」として成立できるということ。そして何より「朗読」することで「わたしはひとりじゃない」ことが強力に自覚できる。ゼミの学生たちは、「声でつながる」ことを体験できた。実習で実利がある、などという小手先な問題ではなく、彼らの人生が確実に豊かになったはずだ。
大学祭で朗読発表はできないのか?という提案も
県レベルで年代を超えた「文学フェス in みやざき」の企画も
わたしはひとりじゃないー「朗読は人をつなぐ」
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見上げてごらんー創発「七夕朗読会」開催
2022-07-08
「声」が悪者であった2年間を超えて僕らはここに声を出し、平和を祈り多様な命に気づきたい
附属図書館で学生たちが自ら創造し発信する活動として
七夕には、笹の葉に願い事を「文字」で書き付けた短冊を吊るす。大学ともなるとこんな年中行事であっても何も意識されない。小中学校であれば笹の葉を校内に飾るところもあるだろう。だが果たして「七夕」という行事はどんな意識で何をして過ごすのか?文化の継承という意味では、誠に心もとない世情である。偶然、ゼミ設定日である木曜日が「7月7日」であったことも手伝いゼミ主催により附属図書館創発活動として朗読会を開催した。新型コロナに惑わされてきた2年間、そして世界の平和を揺るがすウクライナ侵攻という事態、世界共通の願いとして「平和」を特筆せなばならなくなった。僕たちは一人ひとりが「声」を出して文学を読むことで、自らの多様な命に気づきたい。「命」に気づいていない人などいるか?と言われそうだが、現実に「命」への意識度は薄くなってきてはいないか?「命」より大義、「命」より体裁、物価高が現実的な問題として知らぬ間に押し寄せ、僕たちの「命」の首を締めようとしている。これまでも多くの詩や歌が「命の尊厳と多様さ」をうたって来た。短冊ではなく「生の声」によって、僕たちはそれに気づきたい。
ゼミの仲間とともに、共有した「詩」に「声という命」を吹き込む。書物の中で「文字」として眠っている「詩」は、「声」を与えられることで「いのちのことば」になる。録音でも動画でも駄目だ!生身の人間が生身の身体で集まり、この地球の上の何処かで響き合う「声」を発して聴き合う。詩人たちがこの世に遺してきた「声」、詩人たちがあれほど警告していた「声」、詩人たちがいかに人を愛してきた「声」、僕らは再び詩を「声」にすることで初めて気付くことができる。自ら閑かに心の中で「声」を出すのもいい、そしてまた誰かとつながるために「声」を空間に投げ出してみる。教員を目指すゼミ生たちが、こうした意識ある「声」に自覚的になることは机上の空論よりも大切なことと考えている。教員になって児童・生徒らと向き合う際のことばは「届く声」でなければならなだろう。いたずらに「大きく」出せばいいのではない、穏やかに他者の心を傷つけぬよう、穏やかに柔らかく「届く声」を目指したい。朗読会には、以前から懇意にする詩人で高校教員の方が「特別ゲスト」として朗読参加してくれた。今後も季節ごとに、さらにゼミ生以外の朗読も受け入れながら、附属図書館で声を創発していきたい。
いま文学にできること
明日への希望へ進め、進め、
雲の多い宮崎の七夕の星たちへ、僕たちの声は届いただろうか。
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