君たちは教育のプロ選手を目指しているんだ

2014-12-04
プロスポーツ選手への批判は手厳しい
だが、他の職業人に「プロ」意識はあるか?
教師は教育のプロ選手にほかならない

「プロスポーツ選手になった教え子が多い」と、僕は自己紹介で語ることがある。教室で「国語」を教えた彼らが、フィールド上で活躍する映像などを視て、むしろ励まされて来たのも確かだ。「プロスポーツ選手」は実績を問われるが、「国語教育のプロ」は実績を問われなくていいのか?という疑問が湧き上がったのも、彼らの勇姿のお陰である。それによって中高現職教員だった僕は、研究活動を再開し現在の位置に至った。こんな感慨を、この日も学部1年生のオムニバス授業の冒頭で語った。「君たちは、教育のプロ選手を目指しているんだ!」と。

教え子が社会で活躍する姿を見聞するほど、教師冥利に尽きる瞬間はない。もちろん多様な職業での活躍でもそうだが、特に「プロスポーツ選手」で「日本代表」などとなると格別であった。その際には、いつも彼らが学生時代の「国語」への取り組む姿勢を思い出した。概して、トップレベルに至る選手たちの、勉学姿勢は悪くなかった。むしろ、どこか輝く才能を持っているように感じることが多かった。作文を書いても情報処理能力が高かったり、学級のコミュニケーションを活性化させる、推進力ある発言力に長けていたりしたものだ。

その中で、最たる人物が中田浩二くんだ。ちょうどこの日、僕がそんな趣旨のことを冒頭で語った1年生の授業を終えて研究室に戻りスマホをみると、彼が「引退表明」をしたという記事が眼に止まった。卒業謝恩会で激励して、鹿島アントラーズに送り出して16年の月日が経過した。日本代表や海外チームにも所属し、実に賢智なる選手であった。2002年日韓共催W杯の際、ロシア戦で左サイドから彼のアシストを僕は忘れられない。その”虎の子”の1点で日本は勝利したのだから。そんな可視化される活躍をしてきた教え子が、現役選手を引退するというのも、なかなか感慨深いものがあった。早速、彼にメッセージを送信した。

スポーツ選手に限らず
僕は「プロ」を養成しているという意識を持って
僕自身が何より「プロ」であるべきだと、あらためて教えられた日でもあった。
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最後なのか!大雪の国立競技場

2014-02-09
あの時、彼は悔しさを滲ませながらも、
冷静な表情で立ち尽くしていた。
左腕に付けられた蛍光色のキャプテンマーク。
2−1という”惜敗物語”を演出した舞台は、
大雪に見舞われた国立競技場のピッチ上であった。

試合後の慰労会に行かずにはいられなかった。高校サッカーの頂点にあと一歩届かなかった悔しさとその奮闘ぶりに、教員としてせめてもの慰めと讃辞が送りたかった。だがその状況の中で的確な言葉を多勢の前で表現したのは彼であった。教員としてあまりにも無力であることを感じた。それほど彼の冷静さと堅実さは光を放つものがあった。そこで芽生えた確実な僕自身の彼に対する”敬意”は、今となっても確実に継続している。1998年1月8日から・・・

彼の名は中田浩二、現在鹿島アントラーズ所属の現役選手である。2002日韓共催WCの際は、左サイドバックとして活躍し、対ロシア戦0−1で日本が勝利した試合でのアシストを、僕はいつでも映像として脳裏に描くことができる。だが、元来がMFということもあり、代表チームでのポジョン変更に苦悩した時期もあるという。それを乗り越えて自分が出逢ったポジションを冷静に受け止めて成功したという逸話は、小学校「道徳」の教科書に掲載されている。技術のみならず、常にメンタル面での調整や均衡に長けている。そしてまた何より人間としての魅力が一杯な好人物だ。

その中田浩二くんと、幸運にも昨年から再会する機会を得ている。僕の勤務地から至近にある運動公園で、チームがキャンプを張っているからである。昨年2月、そして代表戦で国内試合が中断していた6月、そして再びこの2月。彼がこの地を訪れるたびに競技場まで練習を観に出向いている。練習後のバスに乗り込む僅かな時間であるが、毎回質の高い”思い出話”ができている。それも彼が僕のSNS上の問い掛けに返信をくれて、「練習を観に来て下さい」といった言葉をくれるからだ。やはり彼が高校3年生の時に僕が抱いた”敬意”は誠だったという思いを抱き、教師冥利に尽きるのである。

そんな気持ちを抱くのは、彼ぐらいのプロ選手(日本代表や海外移籍の実績)となれば、たかが高校で教科を担当していた一介の”教師”などは、あまり視野に入れない人物もいるからである。正直なところ、そうした選手(=”教え子”)もいないわけではない。福祉施設に勤務する友人が、その施設の子どもたちがその選手の大ファンなのでサインをいった意向を僕に寄せたことがあった。僕は連絡手段もなく、ファンレター球団窓口の宛先に丁寧な手紙を送ったことがある。だが本人が読んだか否かも不明であるが、何の応答もなかった。まあむしろこの程度の扱いで、仕方ない立場であると思うのだが、その相対化の中でも、中田くんの人柄は絶賛したいほど長けていると繰り返し強調したくなるのである。

「僕が君らを教えていた歳に、(君が)なってしまったね。」
その会話には、僕が高校教員から大学教員となる迂遠した足跡が埋め込まれている。
世界を舞台に活躍できる力を、今思えば僕は高校の〈教室〉で実感できる幸運に出逢った。
”敬意”を払うことのできる教え子を見出すことこそが、「教育の奇跡」なのである。

奇しくもこの日、東京は記録的な大雪。
もはや”あの国立競技場”のピッチが、降雪で白くなるのも最後かもしれない。


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パス精度は究極のコミュニケーション

2013-06-14
サッカーの醍醐味を創り出すものは何か?
1試合の中で限られた得点場面。
ゴールに球を押し込む得点者が至って目立つ。
だが、そのタイミングと場面を演出するアシスト、
そのパス精度の絶妙さこそ肝心要なのだと改めて思う。

僕の勤務地で、Jリーグ鹿島アントラーズが短期キャンプを行っている。代表戦のためリーグが一時中断しているからだ。鹿島には、高校時代に学年担当で国語を教えていた中田浩二くんがいる。今回は、ちょっとしたことで彼に連絡をしたところ、ちょうどキャンプでという返信をもらった。そこで仕事の合間を縫って、練習が行われている競技場に足を運んだ。

中田浩二くんは、高校時代からいわゆる”ボランチ”の位置で、パス供給者としての役割においては実に巧妙な選手であった。かと思うと、果敢にゴール前で得点する攻撃的な面があり、もちろん守備面で相手方のチャンスを潰すという万能な役割をこなしていた。彼が高校時代にプレーしているのを見て、サッカー素人の僕は、その戦術や構成に対してだいぶ明るくなったという記憶がある。

その中田浩二くんが、小学校「道徳」の教科書に話題として掲載されている。それを知ったのも教育実習生の研究授業参観に赴いた時のことだ。当該授業では違う話題が扱われていたが、提供された教科書をパラパラとやっていると、中田くんの写真が眼に止まった。そこには日本代表として彼が大成するまでの紆余曲折が書かれていた。U-20でアフリカ遠征に行った時の苦労話。本来のボランチという位置からバックへのコンバート。どの位置でも試合に出たいという気持ちが、2002W杯においての彼の活躍に繋がった。当時のトルシエ監督の戦術を一番理解して実行できる選手として高く評価された。僕自身も、彼が左サイドバックから、精度の高いパスを出して得点に繋がった対ロシア戦の記憶は今でも鮮明である。

現在彼は、プロ選手として16年目のシーズン。既にベテランの域である。練習を見ているとやはり彼のパス精度の高さが目を惹く。その精度とは位置という空間把握のみならず、ゴール前に上がる選手に対して格好のタイミングでボールを出すということ。味方選手との”息”を絶妙に把握しているということ。いわばコミュニケーションの観点で述べると、相互理解・承服・実行が一瞬のうちにかなりの高い精度で行われるということ。アイコンタクトという単純なレベルではなく、サッカーで生きている本能的な嗅覚で、そのタイミングを嗅ぎ取るようなものを感じる。まさに究極のコミュニケーションなのであると僕なりの理解をすることができた。

練習後に少々の時間であるが彼と歓談できた。「相変わらずパス精度は高いね!いや熟達した感じがする。」と僕がいうと、「いやもう動けない分、精度を高めないとと思いましてね。」と謙虚な応え。高校時代からそうだが、彼の選手としての実力は、この謙虚さが支えて来たのだと改めて感じる。技術はもちろんルックスも上々の彼であるが、プロ選手となっても謙虚で前向きな姿勢を崩さない真摯な態度に改めて感じ入るものがあった。それは、高校生の時に「国語」という教科担当者であったというだけの過去を、忘れずに大切にしてくれることからも窺える。この日も、一旦はバスに乗り込んでしまってから僕の姿を見て急いで降りて来てくれたことからも明らかだった。

パス精度の高さは謙虚さに支えられているのかもしれない。
僕たち教育者が、学ぶ者に精度の高いパスが出せるか。
そんな二重写しを頭の中で描く。

高校卒業から15年という間、プロ選手として活躍して来た中田くん。
彼の選手生活の年月は、そのまま僕の研究生活でもある。
当時、高校国語教員だった僕はこう考えた。

「教え子がプロ選手になれば即座に実績を問われる。日々の試合が彼らにとって勝負なのである。ならば国語教員として僕自身の日々の授業はどうなのだろうか?扱う教材である文学が精度高く読めているのだろうか?国語教員として実績が問われなくていいのか?教える者が甘えていていいのか?」

こんな疑問が僕に、今一度研究に真摯に向き合ってみようという心を起動させた。
「道徳」の教科書で、そして現実に中田くんと再会できて、
15年という歳月を感じるとともに、今こうしてある僕の分水嶺が再認識できた。
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15年前、雪の国立競技場から

2013-02-07
降りしきる雪の中その決勝戦は続行された。
次第にボールがフィールドを転がらなくなる。
雪面と見分けがつくよう蛍光色のボールが投入される。
スタンドも凍えるような寒さであるが、試合の行方を見守り続けた。
全国高校サッカー選手権史に残る名勝負。
そのフィールドの中心で彼は常にチームを牽引していた。

彼の名は中田浩二くん。現在、Jリーグ・鹿島アントラーズの一員である。2002年日韓共催W杯の折には、監督トルシエの標榜する組織サッカーの申し子として左サイドバックで大活躍した。サッカー好きの方なら、そのW杯ロシア戦で左サイドからゴール前への“グランダーパス”が得点に繋がり、試合展開上貴重な役割を果たしたことが記憶に刻まれているだろう。その後も、日本のトップ選手として欧州でのプレーも経験。再び鹿島の選手として奮闘している。

彼が高校生のとき、僕が「現代文」の担当教員(隣のクラスの担任)であった。授業を担当し始めた年度始め頃、作文を課すとかなり早く書き上げて「できました」と言っている一人の生徒がいた。その原稿用紙を見てみると400字詰2枚において、課題に対して的確な内容の文章が書き尽くされていた。未だ周囲の生徒は5行と書いていない状態であった。教員の先入観というのは嫌味なものである。その作文能力に優れた生徒はサッカー部であったが、たぶんサッカー選手としての能力は低いのだろうなどと勘ぐってしまった。裏を返せば、勉強で進路を決めて行けるほどの学習能力の持ち主であると思ったのである。彼が中田浩二くんであった。

所用で宮崎を訪れており、鹿島アントラーズがキャンプに来ていることを知った。「そうだ!中田浩二くんに久し振りに会いたい。」と思った僕は、その練習場となる県総合運動公園陸上競技場に足を運んだ。朝方までの雨があがりやや遅目の練習開始。野球ばかりではなく時にはサッカーの練習を観るのも勉強になる。監督が外国語で指示を出すのを通訳の方が大声で選手全体に伝えて行くのも面白い。サイドチェンジからのクロスボールでゴールを狙う3人の連係プレーを観て、野球と違う創造的で個性的な選手の動きに魅了された。そして相変わらず中田浩二くんの“左足”は健在であった。

午前の練習が終わり、選手達がバスに乗り込むところに多くのファンが詰めかけている。そのフェンス越しに中田くんがサインに応じていた。これぞ格好の機会とみるや、サインを貰ったファンの方の隙間から「中田くん!」と声を掛けた。キャップにサングラス姿の僕にきょとんとした中田くんの表情は、高校で教室に座っていた時と何ら変わらなかった。僕がサングラスを外し「久し振り、覚えているかい?」と問い掛けて、更に「高校の時の、国語を・・・」と言い掛けると、「あっ!どうしたんですか?(どうしてこんな所に来ているのですかというニュアンス)」と応じてくれた。「うん、ちょっと宮崎に所用があってね。君に会いたいと思って練習を観に来たよ。」などと会話が展開した。周囲のファンの方々は、何となくあっけにとられていた。その謙虚で飾らない人柄も、高校当時と何ら変わらない。日本代表に選ばれたほどの名選手でありながら、鼻高々なところが一つも見えない人柄に僕自身はいたく感激した。短い時間であったが、このように教え子と旧交を温められるのはありがたい機会だ。僕の名刺を渡して現在の立場を話し、彼はバスに乗り込んで行った。


そういえば、中田くんを〈教室〉で教えていた頃、
僕は次のようなことを考えていた。

高校選手権という場で、高レベルでスポーツ競技に取り組み、
その後、自分だけが頼りのプロ選手として人生を歩む教え子たちがいる。
一つの競技に対して妥協なく“結果”を出さねばならない。
果たして、僕自身は〈教室〉でプロの教員として、
どんな“結果”を出しているのだろうかと。
独善的ではいけない、大きな舞台で自分を試さねばならない。

僕が現場の教員をしながら研究者としての道を併走しようとした
一つの契機である。
もちろん中田くんだけではない。
サッカーと野球に取り組む多くの教え子たちから学んだことだ。
「教員としてプロであるべき」と。

奇しくも、今年の高校サッカー選手権は雪で順延となった。
あの雪の国立競技場から15年の月日が経過するのだろうか。
宮崎の地で中田浩二くんと再会し妙な興奮で心が躍った。
今までの人生における様々な運命の糸が交錯し、
いまこの地に“降臨”しているかのような興奮であった。
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