自然と対話するこころ

2017-09-17
増水し文明の象徴たる車を呑み込まんとす
「現代」がなんでもかんでも万能だと思う傲り
南国で台風に直面してわかったこと

台風18号が接近している。台風本体の接近以前に、太平洋上の秋雨前線が極度に刺激され、16日の未明から朝にかけての降雨は経験したことのないほど激しかった。自宅前の道路は冠水し駐車場にも水が流れ込んだ。幸い自宅駐車場は、基礎部分ほどの高さの傾斜を経て庭に連なるゆえ、その最高位まで車を上げて庭へ尻を入れる形にしておいたので難を逃れた。昼前に風雨も小康状態になったので街へと用を済ませに行くと、道路端で水を被り動けなくなった車を何台か目にした。明日は我が身と警戒を強め自然の「水」と、どう付き合うかという点をあれこれと思案した。ここのところ都市部での短時間豪雨などのニュースをはじめとして、人間の「水」に対する傲慢さがむしろ危うさを招いているような気もする。洪水・土砂崩れなどは我々に大きな警告をしているのだろう。しっかりと「自然」と対話するこころを持つべきである。

夜は近所の親友宅にお招きいただいて、美味しい料理をいただきながらしばし楽しく過ごした。親友は「うちは避難所やから」などと笑って、彼の友だち夫妻や子どもたちも集まっていた。子どもたちの無邪気な笑顔や美味しく食べる姿を見ていてすっかり癒されつつも、今朝方の増水について各人が体験した状況などを紹介しあった。通常では平然と走っている道路が通れなかったこと、近所の河が氾濫危険水域を超えた等々、やはり地元の方々との情報交換は貴重である。何よりこうした際には、助け合える「仲間」がいるかいないかが大変重要であろう。「台風はまだ接近してこないのか」などと次第に気勢も上がり、やはり食事と酒の力の偉大さを思う宵の口であった。

もちろん台風本体はこれから
牧水祭は18日に延期となって
伊藤一彦さんそして牧水のお孫さんらとともに歌碑祭に出席する。


スポンサーサイト
tag :

宮崎牛の栄誉ー3連続日本一に寄せて

2017-09-12
肉牛の部8区で内閣総理大臣賞受賞
優等主席は9区分中3区分で獲得
県の悲願ー3大会連続日本一の称号

地元紙・宮崎日日新聞が号外を出した。「宮崎牛 肉牛日本一」の大きな見出しが紙面に踊る。「肉質 最高級の証し」そして「和牛五輪 3連続総理大臣賞」と、見出しを見るだけで県民にとって大変重要なニュースだということがわかる。先週から宮城で開催されていた「全国和牛能力共進会」での成果である。この大会は5年に一度開催されるようで前回は2012年、となると小生が宮崎に赴任してからは、初の受賞の時が来たということになる。その報を目にした時、泣き上戸なこともあるが、思わず熱いものが心の底から湧き上がり涙腺が緩んだ。畜産王国として従事する方々の絶え間ない努力、特に口蹄疫からの復興には想像を絶する困難があったことを思えばである。いずれにしても「宮崎」の「生き方」が全国的に評価されるのは、心から嬉しいと感じる自分を発見できた。

宮崎に来てからというもの、両親が来訪した折などに宮崎牛の店に足を運んだ。受賞とともにお値段も高額になるようだが確かに美味しい。また高級店ならずとも、COOPでは毎月「29日」に特売を開催しており、「宮崎牛5等級」であっても東京などからすると信じ難い値段で手に入れることができる。また近所の馴染みの焼肉店でも、実に手頃に「宮崎牛」を堪能することができる。こうなると県内では「裾野が広い」ということになるのだろうか、探せば実にリーズナブルな値段で美味しい肉を提供してくれる隠れ家的なお店も少なくない。巷間のグルメブームに乗って、こうした食材への注目が集まる一方で、一次産業を含めたフードビジネスの活性化が県全体においても今後の生きる道の鍵となるだろう。もちろん和牛に限るものではない、豚肉も鶏肉もかなりの上質なものが流通する。また野菜の地産地消としての新鮮さも、どの土地にも負けないほどであろう。もちろん黒潮にのって日向灘で漁れる魚も見逃せない。

我々の食はいかに支えられているのか
都会ではほとんど考えに至らないこと
「食」を含めた宮崎の文化興隆に貢献していきたい思いあらた

tag :

閉店間際が重なって

2017-08-27
営業時間とラストーオーダー
偶然ながら2軒の店で似たような状況に
さてお店はいかに対応してくれたか・・・

前日が休館日で実行したいプログラムを消化できなかったので、珍しく午前中からジムへ。ストレッチで関節の可動域を広げ、筋トレで各部筋肉を刺激することで、心身全体のバランスを保つことができる。これに加えて水泳など有酸素運動が加われば、さらに脳は活性化する。運動はすでに生活の一部である。運動に連動して意識したいのが食事で、筋トレをすれば良質なタンパク質の補給が不可欠。最近は自然にタンパク質を身体が欲するようで、比較的自らの身体の欲求に任せているところもある。通常は夜のトレーニングゆえ、食事は事前に済ませる。だが昼となると前述したように、身体が食事を求める状況になる。

ジムの帰り道に以前から気になっていた焼肉店がある。「ランチ大満足890円」という看板に誘われ初挑戦となった。店の戸を開けると「2時ラストオーダーですが」と若い女性店員さんが言い、その時点であと15分ほどしか時間はない。雰囲気としては「もうランチ営業は終わり」といった「意思」が口調から感じられた。こうした際に大切なのは「鈍感力」ではないか、平然と「いいですよ」とか言って店内に進むのである。注文は「良質の」にこだわり、脂の少ない「ランチ・ハラミ定食」(1200円)とした。もちろん裕に2時は過ぎたが、ご飯を半分お代わり。店を出る頃にはあの若い女性店員さんは、「まかない」作りに勤しんでいた。その後、しばし研究室で仕事。この日は休もうと思いきや、やはりやっておくべきことがある。昼は重量級の食事だったので、夕食は軽めといつも昼に行く茶屋で蕎麦を。ところが戸を開けて店内に入ると、「外の看板に書いてありますが7時半でラストオーダーです」と言われた。「あっ!知らなかった」とこれは本当に外の看板を読んでいなかったのだが、困惑していると厨房の奥から「じゃあ、特別にやりましょう。他の人に言わないでくださいね」との図らい。それを小欄に書くのも約束を違えるようだが、こうしたお役所的ではないこころが嬉しい。この両店とも、ラストーオーダーの頃合いも分かったので、次回からはお店のことも考えた時間に行くことにしよう。

”のんびり”時間に縛られず
公共温泉でも閉館時間直前まで湯に浸かる
元来は”おっとり”である自分を発見したりしている。
tag :

つなぐ人つながる歌

2017-08-26
郷里・土地・人とのつながり
縁ある機会には時間を惜しまず
やまとうた1300年に通ずるこころ

朝10時に印刷業社の方が、校正原稿を研究室に取りにいらっしゃる。ということもあって、早朝から切迫感を持ちながら原稿に向き合った。〆切があるということは厳しい反面、妙な集中力を生むものである。その後も研究室で諸々の仕事をしようと思うと、ある短歌関係の方からメッセージをいただいた。いささかの問い合わせ的な内容であったが、そのことばにある「人をつなぐ」という文面にこころが動き、午後から実施される伊藤一彦先生の講演へと出向くことにした。「西日本地区国語問題研究協議会」の締め括りが伊藤先生の「短歌の世界」の御講演である。もちろん伊藤先生のお話から学びたいという思いが強かったが、同時にこの協議会に参加している大学の先輩を「伊藤先生に紹介したい」という気持ちがとても大きくなっての行動である。昨晩交わした先輩との「歌談義」に加えて、伊藤先生の御講演がまた新たな意識を醸成してくれる。

御講演の内容は、奇遇にも先輩と共有していた問題意識に通ずる内容であった。長年、学校現場でカウンセラーの御経験もある伊藤先生、「相手の言動には必ず理由がある」という立場で「午後は誰しも眠くなる時間、それはこの協議会で皆さんが頑張った証拠」と、聴衆を掴む話ぶりにも温厚なお人柄が溢れている。1000年にも通底する「形式」とは?という問い掛けに始まり、茂吉と方言について(この協議会でも方言についての議論があったゆえ)。上京しても「大切なもの」として方言を直したくなかった茂吉は、「話し言葉が思うようにならないゆえ、書き言葉に傾斜した」という指摘も紹介し、歌とことばと風土を考えさせられる内容であった。その後はもちろん牧水の話題へ。五七調を万葉集などの古典和歌に学び、「やまとことば」の使用率が高いことなどを挙げて、特に二句四句で切れる歌の韻律を万葉集などの歌を含めて紹介。自分自身では体内を通って自分の声が聞こえているので、他人が聞く声と自分自身の認識は違う」という生理的心理的な点を指摘。「こうして話している僕の声はみなさんの身体の中に入る。身体の一部が他人の身体の中に入る。凄いことではないですか」というお話には実に共感した。さらには俵万智さんの歌の魅力、学校で行いたい短歌活動などの紹介もあって、聴衆は眠くなるはずもなく90分間があっという間であった。

御講演後に先輩とともに楽屋へ
先輩の娘さんは俳人であることもお伝えする
空港まで先輩を見送り、あらためて「宮崎・人・縁」に感謝した1日となった。

tag :

遠慮するなよ

2017-07-24
原稿に集中した休日
自己内対話と思考の沈殿
ふと誰かと話したくなると・・・

早朝に自宅PCの具合が悪く、こうした時間帯の投稿になった。どこかのWeb投稿で読んだが、こうした文章を書くにも、誰か具体的な読み手を想定しているか否かで、大きく文体や内容が変わると云うのだ。ブログという聊か一方的なWeb表現ツールではあるが、ここを起点にしながらむしろ生活そのものの中で「対話」を醸成する上での意義も感じることがある。毎朝の更新を待ってくれている人がいる。ただそれだけで「書くこと」の意味が「生きる」ことに通ずるものだ。

この土日は、すっかり原稿に専念できた。「全部自分に使える日」というのは誠に貴重である。時にこうして、自己の内面と徹底的に対話することも必要だ。他者との対話性を重視するということは、自己内対話も重んじる必要がある。簡単に他者と交信できるようになった時代であるが、それだけに無節操な言葉も飛び交いがちだ。自己の中にある考えが静かにゆっくりと沈殿するのを待つ時間が欲しくなる。そうこうして原稿の目処が立つと、独り近所の店のカウンターへ。さらなる自己対話をと構えていると、腹心の親友御夫妻が偶然にもやって来て「遠慮しないで電話しなよ」と笑顔。すっかり充実した休日となって、気持ちよく就寝となった。

考えてみれば
この親友御夫妻とはWeb上の交信がない
常に対面ライブで話すことに、この上ない関係が構築されている。
tag :

隠れメニューと常連客

2017-07-23
「えび0.5」
「ヒレですね」
馴染みの飲食店にて・・・

ほぼ1日中、研究室で原稿を書いていた。休日のキャンパスは人影もまばらで、何より閑かなのがよい。研究室を訪ねてくる人もおらず、廊下には足音も聞こえない。まるっきり自分のために使える時間があるというのは、実にありがたいものである。それでも籠りっきりになると頭も回らなくなるので、必然的に食事の時間が楽しみとなる。それでも昼食はあまり重くならないようにと配慮し、馴染みのうどん屋さんへ。その店では、メニューにない常連ならではの注文方法がある。メニューにある「えび天うどん」を注文するとかなり大きなえび天が2本も麺の上に乗ってくる。嫌いではないが昼から2本はややこたえるので、「かけうどんにえび1本(をトッピング)」と注文する。前払いカウンターで店員の方は、奥の厨房に向かって「えび0.5」と声をかけて、「かけうどん」と「えび1本分」の値段を加算するために計算機を叩く。ちょうど「500円」、ワンコインだともちろん僕は計算機の結果を待たずに知っている。この注文が可能だということは、地元の親友に聞いた。物理的には”簡単”にできることでも、注文するとなると尻込みすることも多い。自分で勝手に思い込んでいても始まらない、何事もまずは聞いてみる「挑戦」をすることである。

夕食はどうしようかと思いきや、身体が栄養を欲していたので、やはり馴染みであるとんかつ屋さんへ。この店のとんかつは、東京を市場としてもかなりのレベルであると思う。着席してしばらくすると、優しそうな旦那さんが麦茶を持って席にやって来る。おしぼりとともに一通りのセッティングをすると、先方から「ヒレで」と笑顔で問い掛けてくれる。旦那さんは僕が「ヒレ好み」であることを心得ており、席に座ると「確認」でオーダーされる程である。店内には「ちあきなおみ」あたりの昭和歌謡が流され、壁には野球選手が来店した時の写真でいっぱいである。この日は帰り掛けに旦那さんが、「来週は休みますから」と声を掛けてくれた。後から考えて僕自身の来店頻度がどれほどかと考えたが、旦那さんが「常連」だと認識してくれている証だと、心の繋がりを感じ取る一言であった。

外食頼りではあるが
それだけに地域の飲食店に支えられている
常連となる店を持つ、今の学生たちにはこうした感覚はあるのだろうか?

tag :

新たなる守護神登場

2017-07-20
玄関を開けると宅配の方が
「いま上から降ってきました」
と驚く状況に加えてさらに・・・

その名称としては「守宮」とか「家守」という漢字が当てられる。『日本国語大辞典第二版』の用例には白秋の『思ひ出』柳河風俗詩・沈丁花「ふっととだえたその窓に守宮吸ひつき、日は赤し」が挙げられており、壁や窓や天井にはりつく性質がある。我が家では以前から、玄関扉に張り付いていたり、その扉の隙間が居心地がよろしいようで、この時季になるとしばしば姿を現していた。最初はそのような想定もしなかったので、不意に玄関扉を開けるとその振動で耐え難くなるのだろう、扉から玄関前に落下してしまい「ピチッ」という比較的、はっきりとした身体を床のタイルに打ち付ける音が印象的であったゆえ「ピチ太郎」と名付けて共存していた。先日、不意に宅配さんが玄関ベルを鳴らしたので、出てみると冒頭に記したように彼の眼前に落下したようなのである。その際には、特に音は聞こえなかったのであるが・・・

ところが先日の出張から帰ると、勝手口側の台所の窓にも張り付いている「新ピチ」を発見するに至った。網戸には手足の毛状突起の吸盤を使用しやすいのであろう、そのあたりに頻繁に姿を見せるようになった。一度は勝手口扉にも張り付いていたので、意図して扉を開けて「ピチッ」さながらな状況を体験してもらった。この辺りは棲む場所ではないんだよ、と教えたつもりであったのだが、どうもこうした扉周辺を好むのは何か理由があるのだろうか?『日国』に拠れば、「夜活動して昆虫を捕食。動作は敏速で、驚くとごく弱い声でキーッと鳴いて逃げる。無毒。」とある。僕自身はまだ、この驚いた際の鳴き声を聞くすべもないのだが、特に害もなく虫を食べているだけに駆除するものでもないと考えている。特に漢字表記の「家守」からして、まさに守護神であると思うしかないのであろう。これぞまさに自然との共存なのだと考えてはいるが・・・

宮崎に移住して出会った生き物たち
ベランダが煤煙で黒くなる東京のマンションに慣れ過ぎたのか
「生きているということ いま生きているということ」(谷川俊太郎「生きる」より)
tag :

温かく温めて夏も

2017-06-27
「あんた、なに氷を入れてるん?
 夏でもお湯で飲むとよ」
珈琲もまた同じ、そして公共温泉のことなど

中高現職教員の頃、部活動顧問として夏場の試合などに行くと、夕刻が近づくにつれて水分を補給しない先生がいた。冗談混じりで「思惑があるので」と言っていたが、試合後の懇親会でビールを美味しく飲むためだとすぐにわかった。確かに丸1日屋外で試合をして、顧問教員は審判なども務めてかなりの汗を流し、その後のビールが「美味い」のは確かだ。その流れに乗じて僕も「真似」をしていた20代の頃の思い出がある。だが、今考えてみると酷暑の中「適切な水分補給をしない」ということが「自殺行為」に等しいことと思えて背筋が凍る思いである。水分が奪われた身体内の血液は確実に”ドロドロ”と化し、しかもそこへ冷え切ったアルコールを流し込んでも、決して水分補給にはならず、さらに水分を奪っていく可能性がある。だいたいにして急激な温度変化を身体内にもたらすのは、確実に危険であると思われる。

宮崎に来た当初、街の呑み屋のカウンターで隣に座っていた老人から冒頭のように教わった。東京で焼酎を飲む際には「ロック」か「水割り」を通例としていたが、「夏でもお湯」ということばの響きにも妙な「温かみ」を覚えた。実際に宮崎の芋焼酎は、お湯で呑むのが何より美味しいことに感激し、その後は「夏でもお湯」を実践している。もう一つ呑み屋での面白いと思う会話は、「お湯で呑むと楽」という類のことばだ。”深読み”をすれば「自ら進んで金を払って行なっている酒を呑むことが苦行で、せめて”楽”な道を選択する」と偏屈な解釈をしてしまうことがある。”酒呑み”としては確かに「お湯は楽」だという感覚は納得しつつである。「お湯割」の影響は珈琲にも及び、最近は「夏でもホット」が原則になった。さらには自宅至近に公共温泉があるため、時間さえあれば行くようになった。概ね行く時間が一定して来たので、最近は常連さんたちから声を掛けられるようになった。その裸同士の会話の温かさ。やはり心身は温かく温めて、などと湯煙の中で痛感するのである。

「あたたかさ」とは何か?
闇雲に身体を冷やす行為の愚かさを知る
こころもからだも温かく温めて夏も・・・
tag :

Web遠距離補助の孝

2017-06-11
1200Kmの距離
それでもできる補助がある
Webの有効活用が地方生活を変えている

宮崎に居住するようになってから、確実に両親との関係性は深まったように思う。東京でマンション暮らしをしていた頃は、実家までバスに乗れば15分ほどの距離であるにも関わらず、むしろ電話や会う機会も今よりは格段に少なかった。東京在住者が東京の観光名所を訪れないように、「いつでも」という状況はある意味で怠惰を助長する。携帯電話を共通な会社にして「通話料無料」にしたり、出張その他で東京に行けば必ず食事をともにする機会を持つ。その都度、駅や空港での別れ際に、お互いが「また次に会うまで頑張ろう」という表情をすることができる。誠にこの1200Kmという距離によって、親孝行する気持ちが充実したといってよい。

さらに実感するのは、PC・デジタル環境には疎い両親において、検索・調査などをWebを介して宮崎から補助できることが誠にありがたい。これまでにも航空券の予約をはじめ、名医を検索・調査して紹介するなど、遠距離からの生活支援ができて満足した事例も多い。もちろん、小欄を記すことで僕自身がどんな仕事をしており、どんな日常を過ごしているかについても、日々伝えることができている。様々な申込や価格比較などにおいても、広い情報から取捨選択して提供することができる。さながらこれが、新しい地方での暮らし方といっても過言ではないであろう。地方ならではの自然豊かな環境や食材を享受しつつ、Web環境を利用して都会との距離を縮める生活。こんな面から、東京一極集中を避けるくにづくりを正面から考えるべきではないか。地方にこそ「正常」さが生きていることを、居住者が声高に叫ぶ必要があるようにも思われる。

親孝行はどこに居ても
気持ちは距離にあらず
先進のものを有効に使って人情を厚くせり
tag :

信念を支える焼肉

2017-05-24
親友とスタミナ補給
諸々の話に信念の共通点が
明日のために力をつける宵の口

自宅近所の親友が、焼肉に行かないかと誘ってくれた。大学や研究の関係者ではなく、様々な縁が織り重なって知り合った仲である。ただ共通点は、東京からの移住であるということ。それゆえに宮崎での「先輩」として、様々な生活上の「コツ」などを学ばせてもらっている。この日も、焼肉に舌鼓を打ちながら、宮崎の経済状況や店舗情報など地元ならではの話に花が咲いた。往々にして研究者というのは、閉鎖的な環境で生活しがちであるが、このように商売に真摯に取り組む親友との談笑から学ぶことは多い。

とりわけ親友がいま取り組もうとしている商売の新たな方向性と、僕自身が取り組んでいることが「信念を貫く」という意味で、とても重なっていることに気がついた。一つの殻に閉じ籠らず、時代の趨勢に適応して新たな可能性を模索すること。時季とその場の状況に応じて、手法を変化させていくこと。まさに現在、人文学が置かれている立場には、このような適応が求められているように思われてならない。ただ「価値があるから重視せよ」などと、社会的価値に疑問を持った輩に訴えても十分な説得力を持ち得ない。新たな学習指導要領も掲げている「社会生活」をテーマに、その価値を内輪の議論ではなく具体的に語る必要性があると思うのである。

何事にも「信念を貫く」
短歌の仲間はまたある立場で「信念を貫く」
心身ともに栄養をもらった宵の口であった。
tag :
<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>