遠慮するなよ

2017-07-24
原稿に集中した休日
自己内対話と思考の沈殿
ふと誰かと話したくなると・・・

早朝に自宅PCの具合が悪く、こうした時間帯の投稿になった。どこかのWeb投稿で読んだが、こうした文章を書くにも、誰か具体的な読み手を想定しているか否かで、大きく文体や内容が変わると云うのだ。ブログという聊か一方的なWeb表現ツールではあるが、ここを起点にしながらむしろ生活そのものの中で「対話」を醸成する上での意義も感じることがある。毎朝の更新を待ってくれている人がいる。ただそれだけで「書くこと」の意味が「生きる」ことに通ずるものだ。

この土日は、すっかり原稿に専念できた。「全部自分に使える日」というのは誠に貴重である。時にこうして、自己の内面と徹底的に対話することも必要だ。他者との対話性を重視するということは、自己内対話も重んじる必要がある。簡単に他者と交信できるようになった時代であるが、それだけに無節操な言葉も飛び交いがちだ。自己の中にある考えが静かにゆっくりと沈殿するのを待つ時間が欲しくなる。そうこうして原稿の目処が立つと、独り近所の店のカウンターへ。さらなる自己対話をと構えていると、腹心の親友御夫妻が偶然にもやって来て「遠慮しないで電話しなよ」と笑顔。すっかり充実した休日となって、気持ちよく就寝となった。

考えてみれば
この親友御夫妻とはWeb上の交信がない
常に対面ライブで話すことに、この上ない関係が構築されている。
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隠れメニューと常連客

2017-07-23
「えび0.5」
「ヒレですね」
馴染みの飲食店にて・・・

ほぼ1日中、研究室で原稿を書いていた。休日のキャンパスは人影もまばらで、何より閑かなのがよい。研究室を訪ねてくる人もおらず、廊下には足音も聞こえない。まるっきり自分のために使える時間があるというのは、実にありがたいものである。それでも籠りっきりになると頭も回らなくなるので、必然的に食事の時間が楽しみとなる。それでも昼食はあまり重くならないようにと配慮し、馴染みのうどん屋さんへ。その店では、メニューにない常連ならではの注文方法がある。メニューにある「えび天うどん」を注文するとかなり大きなえび天が2本も麺の上に乗ってくる。嫌いではないが昼から2本はややこたえるので、「かけうどんにえび1本(をトッピング)」と注文する。前払いカウンターで店員の方は、奥の厨房に向かって「えび0.5」と声をかけて、「かけうどん」と「えび1本分」の値段を加算するために計算機を叩く。ちょうど「500円」、ワンコインだともちろん僕は計算機の結果を待たずに知っている。この注文が可能だということは、地元の親友に聞いた。物理的には”簡単”にできることでも、注文するとなると尻込みすることも多い。自分で勝手に思い込んでいても始まらない、何事もまずは聞いてみる「挑戦」をすることである。

夕食はどうしようかと思いきや、身体が栄養を欲していたので、やはり馴染みであるとんかつ屋さんへ。この店のとんかつは、東京を市場としてもかなりのレベルであると思う。着席してしばらくすると、優しそうな旦那さんが麦茶を持って席にやって来る。おしぼりとともに一通りのセッティングをすると、先方から「ヒレで」と笑顔で問い掛けてくれる。旦那さんは僕が「ヒレ好み」であることを心得ており、席に座ると「確認」でオーダーされる程である。店内には「ちあきなおみ」あたりの昭和歌謡が流され、壁には野球選手が来店した時の写真でいっぱいである。この日は帰り掛けに旦那さんが、「来週は休みますから」と声を掛けてくれた。後から考えて僕自身の来店頻度がどれほどかと考えたが、旦那さんが「常連」だと認識してくれている証だと、心の繋がりを感じ取る一言であった。

外食頼りではあるが
それだけに地域の飲食店に支えられている
常連となる店を持つ、今の学生たちにはこうした感覚はあるのだろうか?

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新たなる守護神登場

2017-07-20
玄関を開けると宅配の方が
「いま上から降ってきました」
と驚く状況に加えてさらに・・・

その名称としては「守宮」とか「家守」という漢字が当てられる。『日本国語大辞典第二版』の用例には白秋の『思ひ出』柳河風俗詩・沈丁花「ふっととだえたその窓に守宮吸ひつき、日は赤し」が挙げられており、壁や窓や天井にはりつく性質がある。我が家では以前から、玄関扉に張り付いていたり、その扉の隙間が居心地がよろしいようで、この時季になるとしばしば姿を現していた。最初はそのような想定もしなかったので、不意に玄関扉を開けるとその振動で耐え難くなるのだろう、扉から玄関前に落下してしまい「ピチッ」という比較的、はっきりとした身体を床のタイルに打ち付ける音が印象的であったゆえ「ピチ太郎」と名付けて共存していた。先日、不意に宅配さんが玄関ベルを鳴らしたので、出てみると冒頭に記したように彼の眼前に落下したようなのである。その際には、特に音は聞こえなかったのであるが・・・

ところが先日の出張から帰ると、勝手口側の台所の窓にも張り付いている「新ピチ」を発見するに至った。網戸には手足の毛状突起の吸盤を使用しやすいのであろう、そのあたりに頻繁に姿を見せるようになった。一度は勝手口扉にも張り付いていたので、意図して扉を開けて「ピチッ」さながらな状況を体験してもらった。この辺りは棲む場所ではないんだよ、と教えたつもりであったのだが、どうもこうした扉周辺を好むのは何か理由があるのだろうか?『日国』に拠れば、「夜活動して昆虫を捕食。動作は敏速で、驚くとごく弱い声でキーッと鳴いて逃げる。無毒。」とある。僕自身はまだ、この驚いた際の鳴き声を聞くすべもないのだが、特に害もなく虫を食べているだけに駆除するものでもないと考えている。特に漢字表記の「家守」からして、まさに守護神であると思うしかないのであろう。これぞまさに自然との共存なのだと考えてはいるが・・・

宮崎に移住して出会った生き物たち
ベランダが煤煙で黒くなる東京のマンションに慣れ過ぎたのか
「生きているということ いま生きているということ」(谷川俊太郎「生きる」より)
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温かく温めて夏も

2017-06-27
「あんた、なに氷を入れてるん?
 夏でもお湯で飲むとよ」
珈琲もまた同じ、そして公共温泉のことなど

中高現職教員の頃、部活動顧問として夏場の試合などに行くと、夕刻が近づくにつれて水分を補給しない先生がいた。冗談混じりで「思惑があるので」と言っていたが、試合後の懇親会でビールを美味しく飲むためだとすぐにわかった。確かに丸1日屋外で試合をして、顧問教員は審判なども務めてかなりの汗を流し、その後のビールが「美味い」のは確かだ。その流れに乗じて僕も「真似」をしていた20代の頃の思い出がある。だが、今考えてみると酷暑の中「適切な水分補給をしない」ということが「自殺行為」に等しいことと思えて背筋が凍る思いである。水分が奪われた身体内の血液は確実に”ドロドロ”と化し、しかもそこへ冷え切ったアルコールを流し込んでも、決して水分補給にはならず、さらに水分を奪っていく可能性がある。だいたいにして急激な温度変化を身体内にもたらすのは、確実に危険であると思われる。

宮崎に来た当初、街の呑み屋のカウンターで隣に座っていた老人から冒頭のように教わった。東京で焼酎を飲む際には「ロック」か「水割り」を通例としていたが、「夏でもお湯」ということばの響きにも妙な「温かみ」を覚えた。実際に宮崎の芋焼酎は、お湯で呑むのが何より美味しいことに感激し、その後は「夏でもお湯」を実践している。もう一つ呑み屋での面白いと思う会話は、「お湯で呑むと楽」という類のことばだ。”深読み”をすれば「自ら進んで金を払って行なっている酒を呑むことが苦行で、せめて”楽”な道を選択する」と偏屈な解釈をしてしまうことがある。”酒呑み”としては確かに「お湯は楽」だという感覚は納得しつつである。「お湯割」の影響は珈琲にも及び、最近は「夏でもホット」が原則になった。さらには自宅至近に公共温泉があるため、時間さえあれば行くようになった。概ね行く時間が一定して来たので、最近は常連さんたちから声を掛けられるようになった。その裸同士の会話の温かさ。やはり心身は温かく温めて、などと湯煙の中で痛感するのである。

「あたたかさ」とは何か?
闇雲に身体を冷やす行為の愚かさを知る
こころもからだも温かく温めて夏も・・・
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Web遠距離補助の孝

2017-06-11
1200Kmの距離
それでもできる補助がある
Webの有効活用が地方生活を変えている

宮崎に居住するようになってから、確実に両親との関係性は深まったように思う。東京でマンション暮らしをしていた頃は、実家までバスに乗れば15分ほどの距離であるにも関わらず、むしろ電話や会う機会も今よりは格段に少なかった。東京在住者が東京の観光名所を訪れないように、「いつでも」という状況はある意味で怠惰を助長する。携帯電話を共通な会社にして「通話料無料」にしたり、出張その他で東京に行けば必ず食事をともにする機会を持つ。その都度、駅や空港での別れ際に、お互いが「また次に会うまで頑張ろう」という表情をすることができる。誠にこの1200Kmという距離によって、親孝行する気持ちが充実したといってよい。

さらに実感するのは、PC・デジタル環境には疎い両親において、検索・調査などをWebを介して宮崎から補助できることが誠にありがたい。これまでにも航空券の予約をはじめ、名医を検索・調査して紹介するなど、遠距離からの生活支援ができて満足した事例も多い。もちろん、小欄を記すことで僕自身がどんな仕事をしており、どんな日常を過ごしているかについても、日々伝えることができている。様々な申込や価格比較などにおいても、広い情報から取捨選択して提供することができる。さながらこれが、新しい地方での暮らし方といっても過言ではないであろう。地方ならではの自然豊かな環境や食材を享受しつつ、Web環境を利用して都会との距離を縮める生活。こんな面から、東京一極集中を避けるくにづくりを正面から考えるべきではないか。地方にこそ「正常」さが生きていることを、居住者が声高に叫ぶ必要があるようにも思われる。

親孝行はどこに居ても
気持ちは距離にあらず
先進のものを有効に使って人情を厚くせり
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信念を支える焼肉

2017-05-24
親友とスタミナ補給
諸々の話に信念の共通点が
明日のために力をつける宵の口

自宅近所の親友が、焼肉に行かないかと誘ってくれた。大学や研究の関係者ではなく、様々な縁が織り重なって知り合った仲である。ただ共通点は、東京からの移住であるということ。それゆえに宮崎での「先輩」として、様々な生活上の「コツ」などを学ばせてもらっている。この日も、焼肉に舌鼓を打ちながら、宮崎の経済状況や店舗情報など地元ならではの話に花が咲いた。往々にして研究者というのは、閉鎖的な環境で生活しがちであるが、このように商売に真摯に取り組む親友との談笑から学ぶことは多い。

とりわけ親友がいま取り組もうとしている商売の新たな方向性と、僕自身が取り組んでいることが「信念を貫く」という意味で、とても重なっていることに気がついた。一つの殻に閉じ籠らず、時代の趨勢に適応して新たな可能性を模索すること。時季とその場の状況に応じて、手法を変化させていくこと。まさに現在、人文学が置かれている立場には、このような適応が求められているように思われてならない。ただ「価値があるから重視せよ」などと、社会的価値に疑問を持った輩に訴えても十分な説得力を持ち得ない。新たな学習指導要領も掲げている「社会生活」をテーマに、その価値を内輪の議論ではなく具体的に語る必要性があると思うのである。

何事にも「信念を貫く」
短歌の仲間はまたある立場で「信念を貫く」
心身ともに栄養をもらった宵の口であった。
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「いってきます」ー「ただいま」の関係

2017-05-20

4年前の「いってきます」
「ただいま」「おかえり」のやりとり
変化は如何にこの関係

ちょうど4年前に東京から旅立ち、宮崎の地に赴任した。あっという間に時は巡り、既に5年目が始まっている。振り返りますれば、あの頃、多くの友人たちが宮崎への赴任に際して宴を開いて応援してくれた。声を合わせて「いってらっしゃい」と言ってくれていた。あらためてその厚情を思い出しては、噛みしめることもある。それと同時に、いつまでも「おかえり」と言い続けて迎えてくれる友人たちには、誠にありがたい思いでいっぱいになる。己がどのように変化しようとも、いつまでも「いってきます」ー「ただいま」の位置にあり続けることが、実は信頼関係であり友情として大切なのではないかと思うのである。

となると、「何処にいるか」よりも、人と「どのような信頼関係を結ぶか」が、こうした挨拶の方向性を左右しているようにも思う。居住感覚として、現在はやはり宮崎を「いってきます」であり、航空機からあの海岸線を見るや「ただいま」と毎回こころの中で叫ぶ自分がいる。自宅周辺店舗の、様々な友人たちも「おかえり」と迎えてくれる。そのことばだけで、帰るところがあるという安心感がもてるものだ。人生を「旅」に喩えるならば、「場所」の移動は必然である。それだけに、「如何なる関係を其処にいる人々と結べるか」が、「生きる」ことそのものということになるだろう。

5年の歳月が考えさせること
変わらぬ人々の笑顔
「いってきます」ー「ただいま」大切なことば。

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椎葉村が語りかけるものーその3

2017-05-15
いま此処にいる幸福
時流を感知せず自らを生きる
地方のなかの地方でこそわかったこと

宮崎に赴任した頃、よく地元の方と話をすると「なぜ(東京出身なのに)宮崎に来てしまったのですか?」と言われることが多かった。その物言いがたいていは「来てしまった」である。「よく宮崎に来ましたね」という歓迎の意も心の内にはあるのだろうが、どちらかというと悲観的な受け止め方であることが多いのである。それに対して小生は、「いや!宮崎はとても良いところではないですか」と言って、具体的な素晴らしさを挙げ連ねていくことになる。その「素晴らしいところ」そのものが、都会から来た者としての傲慢な主観であるのか?確かに、都会と同じ土俵で比較すれば、交通の便も買い物事情も芸術展覧・公演場所なども含めて不便であることは否めない。だがしかし、問題は都会と「同じ土俵」に乗る必要性があるのか?という疑問である。この縦長な島国において、あらゆる場所が高速化した交通機関で接続され、「東京化」することが果たして幸福なことなのだろうか、とも考えてしまう。

椎葉村で何人かの方々と話したが、その誰しもが「此処」に誇りを持って生きているように思われた。仕事の上での異動がある方などは、敢えてこの交通が隔絶された村を希望して赴任しているという話も聞いた。学校の中でも、村の内でも、たいていは此処に住んでいる人同士が顔見知りである。標高がそれなりに高く渓谷の急斜面を切り開いた土地での生活は、決して容易ではない。冬は凍結や雪にも覆われ、台風が来れば崖崩れや土石流などの危険と背中合わせである。嫌が上にも生活そのものに、命を賭さなければならない過酷さがある。だが、それだけに村の人々は「自然」に対して親和性が強く、個々の現象を「神」であると崇めるがゆえに、生きることに謙虚であり得る。元来はこうして人と人とが、肩寄せ合って繋がることで「生活」が成り立っていた筈である。このように考えてくると、むしろ都会は「生活」するところではない、とさえ思えてくる。「此処」に住む素晴らしさ、不便を利点とする発想の生き方があってもよいのではないだろうか。

小国寡民・現代の「桃源郷」
椎葉村の語りかけることに耳を傾けての気づき
五輪へ向けて尚一層、東京は住むべき「此処」ではなくなるであろう。
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椎葉村が語りかけるものーその2

2017-05-14
金属化する社会
木材の強度の秘密
最初に寸断されるのは「国道」という必然

昨日に引き続き、椎葉村で考えたこと。平家落人伝説の鶴富姫の御在所であった、鶴富屋敷を見学した。現存するものは約300年前の江戸中期に建造されたものであるが、それにしても澤の上に切り立った崖の続く村の地形を活かした並列(横並びに部屋を配列していく構造)の木造建築として、重要文化材に指定されている。さすがに茅葺は既に管理や修理が難しいということで、銅版が貼られて保護されている。併設する鶴富旅館に宿泊したということで入場料は無料、特別に部屋の内部まで綿密に見学をさせていただいた。その柱や梁の剛強そうな様子、そして扉や戸棚も一枚板で木目が綺麗に表面に見える。今回の出張に同行した先生が木材加工の研究者であるため、様々に専門的な解説も聞くことができた。中でも、「木材」と「金属」との比較の話には興味を覚えた。そこには眼の前にしている、この300年が経過した木造住宅の秘密を垣間見る思いがした。

「木材」とは元来、その構成要素は「スカスカ」であり、粒子が詰まって構成されているわけではないと云う。確かに木材は水も吸収し、呼吸をしているような感覚は理解できる。それに対して「金属」というのは粒子が最大限に細かく詰まっているのだと云う。それゆえに、僅か小さな傷が生じても、そこを起点に大きな亀裂が生じてしまう。これが嘗ての航空機事故でもその原因と指摘された、所謂「金属疲労」である。この話を聞いた時、近代以降の人間は「金属」を過信し過ぎて来てしまったのではないかいう思いに至った。もちろん、現在の生活を考えるに「金属」なしは考えらえない。小欄を成立させている要素を考えても、「金属」は必須である。だがしかし、このくにの多湿な気候に適応する住宅環境というのは、木造が最も適していたのではないか。さらに敷衍して考えた時、近代化と高度経済成長を経て、物質的な材料の「金属化」のみならず、社会そのものが「金属化」したのではないかと痛切な思いを抱くに至った。

それは仕事でも生活でも、綿密に「詰め込む」ことをよしとして、余裕のない追い立てられる社会にいつのまにかなってしまったということ。まさに「現代」では、それに「人」が追いついていない事例をいくつも目にすることができる。それでもなお、「経済」というエンジンを空吹かしし続け、さらなる「金属化」した社会へ向かおうとする幼稚で愚昧な政の舵取りを制止させることができない。「木材」は生きている、もちろん「人」も生きている、では「金属」は?ということであろう。折しも鶴富屋敷見学後に、椎葉村のある女性の話を聞くことができた。こちらが帰路の道路事情などを尋ねると、「台風などの時は、真っ先に『国道』が寸断される」のだと云うのだ。ところが「昔からある道は最後まで通れる」と、祖父などから教えてもらったという話である。要は「金属化」した発想で造られた道は、自然災害に対して誠に脆弱であるということだ。自然に逆らい山に穴を貫通させ、「合理的」と仮定した場所に無理をして道を通す。そこには自然に対しての畏敬はなく、それゆえに自然の力によって否定される要素ばかりということになる。何百年という歴史の中で培われた場所の選定によって造られている従来からの道は、まさに自然との共存を意図して造られて来たわけである。風俗博物館で見た椎葉村の伝統的な年中行事を鑑みるに、そこにはまさに「自然」を神と崇めて畏敬する、謙虚な精神が垣間見えるのである。

近・現代人が失ってしまったものは何か?
21世紀はそれを見直す時代ではなかったのか?
椎葉村という小さな村に、大きな気づきをいただいて帰路についた。

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椎葉村が語りかけるものーその1

2017-05-13
壇ノ浦源平合戦
源氏方の勝利から逃れ九州の山深い村に
平家落人伝説の村が語りかけるものとは・・・

宮崎に住んで5年目となるが、未だ訪れていない場所もないわけではない。まさに「秘境」椎葉村もその一つであった。今回は出張で行くことになったが、その地にまつわる平家落人伝説については、講義などで『平家物語』を扱うたびに話していた内容である。壇ノ浦合戦での平家方敗北の後、「滅亡」とされた平家一門であるが、源氏方の目を逃れて落人となった人々が、九州は山深くに逃げのびたのである。なかでも平清盛の血を引く鶴富姫は、現在の宮崎県東臼杵郡椎葉村まで落ちのびたのだと云う。その後、源氏方にその情報が知られることになり、源頼朝は『平家物語』「扇の的」の下りで著名な、那須与一に追討を命じる。だが与一はその折、病に伏せっていたので、弟の大八郎が追討に赴くことになる。椎葉村まで来た大八郎が見たものとは、平家落人らの質素な農耕生活ぶり。それを目の当たりにして大八郎は、討伐を断念しこの地でともに暮らすようになったと云う。

やがて平家方の鶴富姫と那須大八郎は恋仲となり、姫のお腹には大八郎との子どもを授かることになる。だがこの期にして非情にも、大八郎には都へ帰還せよという命令が下る。身重の姫を椎葉村に置いたまま、やむなく帰還することになった大八郎は、「男子ならわたしのふるさとへ、女子ならこの地で育てよ」と言い、那須家の一本の刀を託す。その後、姫は女子を出産しその娘に婿をとり、「那須」姓を名乗らせたのだと云う。概ねこれが、椎葉村の落人伝説である。今回は、この鶴富姫からして32代目の那須さんが経営する「鶴富旅館」に宿泊した。旅館の横には、約300年前、江戸中期に建てられた「鶴富屋敷」がある。こうした土地まで赴くにあたり、その道は誠に険しく、車の運転には大変神経を使った。さらには低気圧の通過に伴う豪雨も相まって、厳しい条件での山道走行となった。だがしかし、この便利便利な現代にあって、簡単には行くことのできない「秘境」があることの意味を、深く考えさせられた。政治は常に権力を握った者が、「正義」を翳すのである。まさに「勝てば官軍負ければ賊軍」。それゆえにこうした人里離れた山間部には、権力には無関係の場所が存在してもいいのではあるまいか。那須大八郎(源氏方)と鶴富姫(平家方)の愛は、現在の中央が一極集中で国民を「管理」しようとする世知辛い世の中に対して、何か実に大切なものを語り掛けているように思われた。

交通をただただ速く便利にすればいいのか?
椎葉村の生活はまさに自然との共生
穏やかな日本の「桃源郷」に心を洗われる思いであった。

つづく。

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