活かす空き時間

2018-02-15
為せば成る為さねば成らぬ
空き時間に何がどこまでできるか?
予想と現実と・・・

先週で試験期間も終わって、大学教員は採点や評価の時期となった。講義が定時にあるわけではないので、自らの時間活用計画で行動することができる。元来が「裁量性労働」であるゆえ、自己申告で出勤・退勤を決めることができるが、それだけに自己管理能力を問われるのだと思うことも多い。現在、仕事が捗るのは間違いなく午前中、頭の回転はもとより昼までの時間をいかに長く活用するかが焦点である。そして昼食後はむしろ活動的な計画にしておき、身体的に動く作業系に向いている。夕方の沈静化したあたりで再び雑事の思考系を入れて、その後の夕食と運動かリラクゼーションの時間というのが概ね1日の目的別使用方針である。

この日は、宮崎市内中心部まで所用があった。2ヶ所に出向き公の書類申請をしなければならず、昼過ぎから夕刻の会議までで2ヶ所に行けるかどうかやや迷った。役所の書類申請には混雑状況なども関係し、一概に予測も立ちにくい。とりあえずどうしても市内でないと手に入らない申請書類を優先したが、思いの外スムーズに申請が終わり、次の目的地での申請までも可能になった。どうやら地域出張所であったり、最近はコンビニでもこうした公共の書類が申請し印刷できるようだが、僕も何となく市役所まで行ってしまう世代である。コンビニでは高額の納付を含めて、あまり公共のものを”実行”したくない感覚がある。会議へ戻る帰途、コンビニで100円の珈琲を買う余裕まであり、「為せば成る」と呟きながら大学の駐車場に到着した。

時間の使い方再検討
「いま」を生きるを悟ることより
日々を濃密に生きてこそ人生は豊かになる。


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熱き濃きより温み淡きに

2018-01-09
醤油の味付けの如何・・・
そして温泉の加減やいかに?
ぬるみあわきにこの地の筋あり

両親が滞在して1週間が経った。長年にわたって東京生活をして来た両親の生活習慣と、5年間みやざきで生活をして来た自己のそれとを比較して、様々なことに気付けるのがとても面白い。例えば雑煮を母が作ったとしよう。その味付けが「かなり薄いでしょ」と問われるのだが、僕にとってはちょうどよいか、むしろ濃いほどに感じることがあった、もちろん年齢とともに減塩への意識も高めているゆえもあるが、関東と西日本の味付けは基本的に大きく異なる。特に母は雪国・新潟の出身であるから、寒さを凌ぐため余計に濃い味が基準となっている。よく生活習慣病の県別罹患数などが取り沙汰されるが、やはり東北・北陸の塩分過多は相対的な傾向として根強い。沖縄県を筆頭に南国で長寿な方が多いのも、やはりこうした味付けと気候の相乗関係から生じたものであろう。この日もみやざきは18度ぐらいまで気温が上がり、実に過ごしやすかった。血管の収縮を考えれば、負担が少ないはずである。

夕食後に両親にも勧めて、いつもの公共温泉へと連れ立って出かけた。昨年を考えるとこの温泉無くして自分の心身は正常を保てないほど、不可欠な湯治的な場になっている。その湯船の構成であるが、大きな浴槽はこの時季であれば42度ほどの湯温、そして奥に小さな浴槽があり、そこは源泉温度のままに32度ほどの湯が張ってある。僕の感覚としてはこの小さく”ぬるき”浴槽にこそ、この温泉の価値があるように常々思っている。確かに42度という「熱さ」に入るのは、刺激的で十分に温まる感じがする。だが身体の芯から十分に温めるには、32度の”温み(ぬるみ)”が実に適しているのだと痛感する。体温よりも少々低い温度で15分以上の温浴、馴染みになった地元の方々とは、この湯船でいつも談笑している。この日は父がこの湯船に浸かったが、「これはぬるすぎる」と早々に退散したということがあった。それを観ていて2つの要素を感じ取った。一つは15分間湯船に浸かるという時間感覚がないこと、東京生活の時間は数分単位で切り刻まれているのだ。もう一つは刺激の受け方、醤油味付けと比例するかのように「熱き濃き」が父の基準になっているようだ。それはむしろ僕自身が、この地の温度や味付けに馴染んだ証拠であるとも考えられた。

「温み淡き」をよしとする
これぞ角のない「まろび」の感覚
化学的に刺激的な味、人造的な湯温に慣れるのは都会の悪しき生活習慣なのかもしれない。


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酔うほどにお正月こそ楽しけれ

2018-01-02
みやざきで一番の親友たちと
恒例の元日祝いは青島の地にて
酔うほどに新しき年を寿ぐとき・・・

みやざきに居住するようになって、毎年元日をともに過ごす親友ご夫妻がいる。話していて打ち解けると云うか、忌憚がないと云うか、誠に「ともだち」とはこうした間柄のことを言うのだとつくづく思う。この丸5年間のみやざき生活で随所に辛いことも耐え難きこともあったが、いつもこのご夫妻に話をすると心が解放されて元気になる。その相性にはいくつかの要素があるように思うのだが、旦那は東京出身者でみやざきを好んで移住したとうこと。また奥様はみやざき出身者であるが、東京の学校に進学し暫くは東京生活をしていたということ。常にみやざきの現在過去未来を客観的に見つめながらも、大変愛好する土地として敬意を持っているということである。そんな共通点を持ちつつ、仕事関係ではなかなか話せないことを忌憚なく話せる関係がいい。

この元日も僕自身がみやざきに来る契機となる一夜に食事をした「奇跡の店」に昼前から出向き、地獲れの海鮮を肴に新年を寿ぐ盃を酌み交わした。昨年は桑田佳祐さんの年越しライブに行っていたのでこの機会が持てずやや心残りであるほどに、この新年の酒宴が大切な位置にあると自覚できる。ほろ酔い加減よろしく暫くすると、これまた馴染みの産直市場を経営するご夫妻が来ることになった。口数の少ない旦那さんと、これ以上ないほど明るい奥様の素敵なご夫婦。話題はレコ大や紅白の「登美丘高校ダンス部」などに至り、明るい奥様は歌を歌い出し店内に響き渡る様相。最近は「集団化」した歌手ばかりが目立ち、「個人」の力量が見えないなどと語っていると、座敷のお客さんが賛同するなども。さらには二次会で名店を”はしご”して、何もかも忘れるように寿ぐ幸せな元日となった。

この日から僕自身の新たな出発も
無条件にそれを祝ってくれる気持ちがいい
みやざきの素晴らしさは人のよさなり


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海に日は照る そのちからもて

2017-12-19
日向市から宮崎市へ
実に素晴らしい海の光景を観る
そして疲労回復には、ポークステーキと地元温泉へ

東京での和歌文学会例会・忘年会から引き続き、宮崎県日向市での「マスターズ短歌甲子園」の週末が終わった。この間あれこれとメールや電話でご連絡をいただいた方々もいらしたが、なかなか落ち着いて返信等もできず、すっかり失礼をしてしまっている。数日間の疲労もあり、この日は日向市でややゆっくりし、美味しい朝食をいただいて態勢を整え直した。小欄の更新も日曜日に関しては珍しく怠り、羽田空港と機内で原稿は書き上げていたが、通信環境が整った場所で管理画面から記事をアップするのを忘れてしまっていた。ほぼ365日上げない日はないので、余裕のなさを自覚する結果となった。それゆえに、日向市にて2日分を連続でアップした。

午後の講義へ向けて、日向市から宮崎市へ向けて東九州自動車道をひた走る。そこからは、朝陽がきらめくほど美しい日向灘の表情を観ることができる。水平線のまろび、天のちから、そして我が地上でこちょこちょと時に追われ、網の目の中で藻搔いている魚のようにも思えてくる。網の目を破り大きな海で自由に泳ぐがごとく、牧水先生よろしくもっと自然との親和を胸に悠然と構えていればよいなどと、この宮崎の景色からいつも教えられる。午後2コマの講義、教室に入ると不思議と疲労は忘れる。まさに自分の泳ぐべき場所だと、心身が自然に反応する感覚だ。それだけに講義後には、極端な疲労感に再び襲われた。ジムへ行こうと思いきや、「勇気を持って」断念。馴染みの洋食屋さんでまずはポークステーキで栄養補給、まだこの代物が食べられるのなら余力はあるのだろう。その後は近所の公共温泉へ。やや塩分を含んだ独特な泉質が、再び「海の恵み」として心身に力を与えてくれる。帰宅後、すぐさま就寝。何よりも睡眠がこうした状態を回復させる。静寂極まる環境がもたらす安眠も、宮崎の自然がくれる大きなちからでもある。

平常心に戻ろう
心身を落ち着いて見つめ直し
今年もあと2週間となった。


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慌てるなかれゆっくりとあれ

2017-12-16
定時運航常識社会
車内に詰め込まれるように見知らぬ人と衣服を密着させ
慌てるなかれゆっりとあれ

上京のため宮崎空港の待合室にいると、なんともこの空港が素朴で使いやすい空港だとあらためてしみじみと感じられた。東西に主要滑走路が1本通り、10数本の到着ゲートがそれに沿ってあり、離着陸の際にはゲートからそれほどの距離もなく短時間で移動できる。奇しくも空港の大画面テレビでは「空港管制」を題材にしたドラマを映し出していたが、羽田空港の航空機の量というのは、“ドラマ”化するほど「異常」なのかと皮肉に感じられた。それにしても日本の航空会社ほど「定時運航」に執着するのも世界で珍しいように思われる。それは会社の方針というより社会の要請を受けたもので、電車・バスなどの公共交通機関を含めて「定時」を遵守する国民性に起因するものだろう。欧米を含めてアジアや中南米で経験した「公共」の時間は、いい意味で「ゆったり」としていた。

そんなことを考えつつ搭乗便は15分ほど遅れて羽田空港に着いた。機内ではその遅れに対して謝る内容が繰り返しアナウンスされる。東京の街に出るとちょうど帰宅ラッシュにぶつかり、おまけに浜松町から京浜東北線が何らかの事情で遅延しており山手線一本が頼りという状況。やや大きな荷物を携えている僕ながら強引に車内に押し込まれ、見知らぬ男のコートの繊維素材に接触体感する羽目になった。あまりに久しぶりのこの満員電車の感覚、やや眩暈を覚えるほどの嫌悪感を覚えた。その後、用件を済ませてから懇意にするバーに行くと、親友が扉を開けて入店してきた。そこからはこの「慌てる」ごとき時間意識の話題になった。和歌も古代・中世にはゆっくり時間をかけて朗詠されていた。一句ずつの意味を噛み締めて、次の句には何が来るかと予想してことばを自らの中に落として行く。現代において和歌・短歌を読むと多くが七五調で急いで三句目まで読んでしまい、一首全体を咀嚼する滞空時間が失われている。せめて牧水が得意とする五七調で読むと、少しは古代の時間意識に近づけるような気がするがいかがであろうか。

あらゆる分野において「性急」ばかりの世の中で
まさに「そんなに急いでどこへ行く」ではないか
「日向時間」の素朴な温かい心地よさが好きだ。


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「セシコチョル」師走の日々

2017-12-08
伊藤一彦先生短歌日記(8日付・ふらんす堂)に曰く
宮崎弁で「仕事に追いまくられる」こととあり
まさに「せしこちょる」日々の師走

自分がどれほどの仕事量をこなせるのか?それは自分のことながら、なかなかわかるものではない。概ね予想のもとあれこれと想像して請け負うか否かを決めているわけであるが、その許容量の「満水警告灯」がある訳ではない。手帳やスマホなどを利用して、総合的仕事量計測器のようなシステムを構築すればいいのかもしれないが、だいたいにして最初からどれほどの「仕事量」になるかの「予想」そのものが立たない場合もある。もちろんその「仕事量」の中には、自分から進んでやりたいというものもあり、好奇心が旺盛ゆえに学生時代からやや多めに請け負ってしまう癖があるように自覚している。学生時代でいえば、書道会(サークル)幹事長と東京学生書道連盟展覧会の実行委員長を兼任しつつ、学部では日本文学専修学生研究班の全部会代表者にもご指名いただいていた。忙しさは「青春の誇り」だとも思っていた。

今年は人生の中でもたぶん「忙しさランキング」では上位3傑に入るように思う。和歌文学会大会運営委員長、学部では教務委員として教育実習運営副委員長となっている。それに加えて「COC+
地域定着推進事業」のWeb配信講義を学部講義の他に担当している。10月の和歌文学会大会までは、こちらの配信講義の作成になかなか着手することができずに、受講者の方々にはご迷惑をおかけしている。学部講義であれば大学暦通りにその日が来れば実行しなければならないが、配信型の場合は、善かれ悪しかれ手探りでの作成ということもあり定期的に更新することが難しい。講義というのはその「90分」で成り立つわけではなく、前後に見えない準備と事後処理があるものだ。語り掛ける相手のいない静寂な場所で、PCに接続されたヘッドセットのマイクに向かって講義をする。普段の講義では学生たちの反応を見て語り掛けているので、口調も硬さがあるのを否めない。ようやく少しは要領を得てきたものの、作業はトントン拍子には進まない。担当事務局からも「年内配信完了」というお達しもあり、また受講者のためにも何とか完了しなければならなず、「せしこちょる」師走が続く。

まさに「師」として「走」るしかない
配信講義を含めて「短歌」に関係したものであることにのみ救われている
伊藤一彦先生のお忙しさを思うに、僕が「せしこちょる」などと言ってはおれまい。


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ひとりを大切にしておかないと

2017-11-27
注文をすれど飲み物もなかなか来ず
腹を立てずにどういうことか?と考える
地方都市で味わう疑似体験といまの社会風潮なのか

自らがどれほど宮崎の人間になりきれているだろうか?などと考えることがある。九州一番の都市・福岡県の繁華街である博多や天神に行くと、街の渋滞や駅での人の流れからして、慌ただしい都市の感覚が蘇る。今回はライブ会場のヤフオクドームで過ごす時間がほとんどであったが、即日に宮崎へ帰りたかったため、初めて夜行バスを利用した。ライブが終わってやや混雑した地下鉄に揺られて天神へと向かった。バスの出発まで聊か時間があったので、少々腹ごしらえをしようと店を探したが、既に知っている店は早めの閉店。路上の屋台はこの時間でいっぱいのところばかり。仕方なく周囲を見回して、小綺麗なイタリアンバーに入店した。

ライブでは現地購入したツアーTシャツを被りかなり汗をかくので、ラフな服装にスニーカーと小型のバックパック(リック)という外見が聊か作用したのであろうか?土曜の夜ということもあって、多くの人たちが仲間たちと語らいながら飲食をしている。「おひとりさま」なので自ら「カウンター」を希望して着席するが、冒頭に記したように注文してもなかなか飲み物さえも出て来ないありさま。大勢で”やっている”テーブル席とか派手な出で立ちで来店しているカップル席には、次々とビールや料理が運ばれて行く。その後、夜行バスの時間があったので限られた時間だからということもあったが、それにしても「ひとり」ポツんと店内に置き去りにされた感覚であった。極端な物言いをすると、この店ではほとんど相手にされていないような感覚を持った。大切なのはここからである、牧水が旅の最中にその外見で判断されて逗留を断られて追い返されたことを思い出した。時にその疑似体験的な感情になってみるのもよい、などと考えて最後には”即座に”渡された会計伝票に記された”わずかな”金額を払って店を後にした。

さて、損をしたのは誰であろうか?
その場では利益にもならぬ「ひとり」を大切にするかどうか
朝の宮崎、ローカル線の車窓には線路脇の雑草が風に吹かれていた。


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「くに」風土・文化を考えて

2017-11-24
鹿児島から都城経由で宮崎へ帰る
晴天のもとあれこれと考える
「くに」という語の使用もすっかり変化して

「くにはどこですか?」という問い掛けや「おくに自慢」という際の「くに」という語彙を使用しづらくなった、あるいは意味が通らなくなった、という意見をいくつか目にしたことがある。こういう場合の「くに」はもちろん、「生国・郷里・故郷」(『日本国語大辞典第二版』「くに」の項目9)という意味である。だがあらためて客観的に地域の風土・文化を眺めてみると、明治以降に作られてきた行政単位の「県」では収まらない「おくに事情」があるものだと思うことがある。昨日の小欄にも新幹線が通っているかどうか、ということで大きな違いがあることを記したが、それを利点とだけ捉えていいものかという疑問も生じるという趣旨を付け加えておきたい。特に幕末から明治維新の歴史を考えた時、薩摩の果たした役割は計り知れない。だがある意味で対局的に東の日向が存在していたことを、生活をしてみて実感するわけである。

鹿児島との往復は、好んで都城経由を選択している。ここのところ都城島津邸とのお付き合いも生じたので、尚一層その歴史が身近に感じられるようになった。現在の行政区画では「宮崎県」である都城市だが、文化的には薩摩との関係があまりにも深い。歴史上において「県」として独立しようとしていた時期もあったことが、十分に頷けるのである。それだけに都城で食事などをしてみると、宮崎市内とは異なる「味」に出会うこともしばしばである。もちろん宮崎県内でも、飫肥藩・高鍋藩・延岡藩と各地で風土と文化は違う。以前に親友の落語家さんと話していた際に、こうした藩単位での結束を重視した方が、緊急時などにも対応しやすいのではないかなどと話したことがある。「県」と大括りに考えがちであるが、「くに」という単位を活かしてこそ今後の少子高齢化社会には対応するのかもしれない。

あれこれと思索する一日
自らの「くに」意識はいかに?
相対化できる”ことば”を常に持ちたいものである。


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此処にしおればその顔のあるー月下の宵にて

2017-11-06
旧暦9月17日
食事に温泉そして月と語り合う
「此処」にいつもの友あたたかき

好天である週末など、いつ以来であろうか?昼は穏やかな快晴、そして3日文化の日が旧暦9月15日であるゆえ、3日間で望月・十六夜・立待が楽しめた。この3日間は歌会もあったが、この半年ほどの学会大会運営で疲弊しきった心身に、再び充電をするという目標を掲げていた。それをまさに、穏やかな天候が後押ししてくれたような気分であった。連休最終日の宵の口は、「ちびまる子ちゃん」を観てから、カレーが食べたくなって近所の馴染みになりつつあるお店へ。「此処」はゼミ生の1人がバイトをしていて、日によってはカウンター越しにその顔が覗かれる。接客をする奥様の笑顔にもまた、実に癒されるお店である。注文して待っていると、お店の書棚に嵐山光三郎『文人暴食』の文庫があるのを発見。手にとって「若山牧水」の項目を読み始めた。もちろん「暴食」というより「暴酒」のことが歌を引きながら書かれており、個々の事例は知っていることばかりながら、一般向けの文体でこれほど「酒」のことだけに絞って牧水の生涯が語られている視点に聊か触発された。

前述した嵐山の著作がなぜ飲食店にあるのか、その理由がわかった気がした。お店の計らいでゼミ生が配膳したカレーも食べ終わったが、その自らの身体がさらに飲食を吸収したいという衝動に駆られているのである。笑顔で会計を済ませて、その後は近所の温泉へと向かった。老年客の多いこの温泉では、夜7時以降の客は少なくなる。しかし僕自身がいつも閉館間際の時間帯に行くので、馴染みになった常連さんが必ず何人かいらっしゃる。その方々と挨拶を交わしたり、世間話をするだけで、身体のぬくもりとともに心のぬくもりが感じられる。まさに心身をあたためることは、健康にとって大変重要であると思う。その温泉のガラス越しから、ふとまた月がこちらを覗き見ている。軒の僅かな隙間ながら、湯船から見える稀少な角度がある。そのとき、ふと「月」もまた友であるという感覚になった。温泉を出て帰宅すれば、庭先に差し込む月光がやさしい。思わず「月下独酌」を決め込んで、日向の「あくがれ」をお湯で割って一献。肴は牧水の友たる「土岐善麿(哀果)」らの歌である。探さずしても、友は我のまわりにたくさんいるものである。

あの月に人はなぜ惹かれるのか?
美味しい食と酒と友と・・・
そしてまたWeb上のメッセージで友からの親愛なる言葉もあり。


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日常から2020宮崎国民文化祭へ

2017-10-26
日常とはそして将来への希望とは
研究学会開催という大仕事を終えて
横に置いていた仕事に追われる日々

この数ヶ月が、誠に「非日常」であったことを痛感する日々が続いている。そしてまた、大会開催が終わったからといって、息つく暇があるわけでもない。その「非日常」の中で横に置いてしまっていた事に、今度は追われる日々となった。あまり気が抜けないように、などとも考えてこの週末には中古文学会で静岡大学まで行く予定にもしている。どうやら2週続けて台風が列島を睨んでいるらしい。10月としては異例のことであるようで、「日常」には程遠いことを演出されたりもする。大会開催校から参加者へ立場を反転するわけだが、開催校の立場となればやり切れない気持ちで進路予報を毎日眺めているであろう。

様々な仕事を急ピッチで進めながらもまた、諸々と将来構想に希望を見出したりもする。宮崎県では2020年に、国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭が開催される。「山の幸 海の幸 いざ神話の源流へ」が大会テーマであり、宮崎が誇る「食文化」と「神話」を融合した内容で県ならではの文化を発信する機会となる。その企画会議会長が、お世話になっている伊藤一彦先生。テーマに含まれる「いざ」は、やはり牧水の歌言葉を感じさせる。これからの3年間僕もまた、短歌を始めとして県の文化興隆も視野に入れて仕事をして行くことになる。今回の学会大会にて短縮版で上演された神楽なども、あらためて県内随所に観にいきたいという思いが募った。大学内でどのように仕事に関わり、そしてまた県内に地域貢献して行くか。そんな数年間の構想を考える宵の口であった。

大会開催を経て新たなる自分になった
今あらためて足元を見据えて歩み始める
日常を積み上げながら3年後の将来へ向けて


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