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あの「まぐろ丼」から10年

2022-11-23
採用試験面接審査の前泊
空港でも夕食が取れず辿り着いたお店
宮崎と縁を結ぶ「まぐろ丼」に出逢えて10年

今この場所で生きているのは、何のお陰、誰のお陰であろうか?宮崎に移住してからというもの、こんな思いを常に抱くようになった。その延長にはもちろん、この土地への、出逢う人々への、出逢う食べ物など、あらゆるものへの感謝の心につながる。都会の喧騒の中で生きれば、孤高でも生きられるという勘違いをしやすい。だが山と海に囲まれ、鳥たちの声を聴き、太陽や月の巡行を意識して暮らすと、自ずから「生かされている」思いを強くする。東日本大震災を様々な意味で経験したことも、大きく影響しているようにも思う。まずは「生きていることへの感謝」なくして「今日」はない。このように考えると、「今の自分」を成り立たせている多くの人々の顔が浮かぶ。学問研究や短歌の分野のみならず、生活のあらゆる面での出逢いに感謝しなければならない。「幸せ」を感じるのは、多くの人々の存在があってこそなのだ。

Facebook(SNS)から「◯年前この日の思い出」というものが、自動的に知らされる。この日に出てきたのは艶やかな「10年前・まぐろ丼」の写真であった。思い返せば10年前の本日、現所属大学の面接及び模擬講義の対面審査を受けた。確か「10時半までに学部玄関へ」という通知があり、当日ではなく入念に「前泊」の予定を組んだ。非常勤講師の仕事を終え、羽田空港を18時台に飛び立つ便であった。羽田までの行程で夕食を取る余裕はなく、宮崎空港での夕食を楽しみにしていた。予定通り20時過ぎには宮崎空港に到着したが、どのレストランも既にオーダーストップ。いささかの地方空港の現実を感じながら、予定していた電車を乗り継ぎ宿を予約していた「青島」へと向かった。駅を降りれば何か食べられるだろう、それもまた都会人の甘さでしかなかった。駅を出ても真っ暗、仕方なく宿まで歩くと煌々とした電燈で照らされた店を発見した。迷わず入店したのは、既に21時を回っていたと記憶する。そして前述した「艶やかなまぐろ丼」に出逢った。何か喩えようもない力を「宮崎地獲れまぐろ」からいただいた気がした。その後、宿に入り屋上の露天風呂で星に翌日の面接の成功を祈った。この「まぐろ丼」のお店、先週末にも親友とともに赴いた。自然と10年前の感謝が、身体を動かした感じがした。今にして思えば「まぐろ丼」が食べられた背景には、親友となった人とお店とのつながりを始め多くの人々の思いが詰まっていたのだ。眼の前にある食事ひとつでも、感謝を込めて「いただきます」という意味の深さをあらためて知ったのである。

来年3月で現所属校で丸10年
前任の中高専任教員をしていた学校への在籍期間に並ぶ
「今」のあらゆるものに感謝してこそ豊かな明日が見えるものだ。


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「班長われは」ー宮崎市内一斉清掃

2022-11-21
先週から雨で延期
「朗読&トーク公演」で伊藤一彦先生が班長と知る
雨上がりの朝、落ち葉がアスファルトにしがみつくのだが

落ち葉が路上に目立ち始めるこの時期に設定されているのだろう、宮崎市内一斉清掃が1週間延期で実施された。ちょうど先週の「朗読&トーク」公演で控室で談笑していると、伊藤一彦先生やチェロ奏者の方も自治会の「班長」になっており「一斉清掃」の話題になった。通常は朝8時から「一斉清掃」なので、リハーサルのために10時半集合であったことから、とりあえず「中止で時間に余裕ができた」と笑い合った。僕も昨年度は班長であったが、やはり一定の軒数の方々の手前に責任感が生じるものだ。「班長」となる以前はあまり意識も高くなく、「一斉清掃」への参加もほとんどしない「非協力的な班員」だった。今回は特に伊藤一彦先生も「班長」として責任を果たしていることを実感し、その具体的な光景を想像できた。たぶんあの大きな声で班員の皆さんに挨拶し、和やかに清掃を進めているだろうと。「宮崎市内一斉」ゆえ、僕自身も同様の思いができていることに幸せを感じることができた。

清掃の目的は主に落ち葉の除去である。この朝は雨上がりで落ち葉が水分を吸って重く、アスファルトに貼り付いてなかなか剥がれない。竹製の箒や熊手を持参した方が、その効力をいかんなく発揮していた。それでも全てが取りきれる訳ではなく、植え込み内に残す落ち葉もある。清掃をしながら考えたが、本来は「落ち葉は土に帰る」はずだ。僕らが清掃して集められた落ち葉は、「燃やせるゴミ」となって焼却される。特に水分を吸った落ち葉には、焼却にも余計に燃料が必要になるだろう。地球規模の温暖化や燃料費の高騰を考えるに、果たしてこれでいいのか?という疑問も感じた。これは僕だけではなく、一斉清掃をしている班の方々も口々に話していたことだ。宮崎市内でも舗装されていない道路を探すのは大変なぐらいであるが、街路のアスファルト化そのものを問い直す必要があるのだろうか?何はともあれ、班に割り当てられた道路上は綺麗になり、一斉清掃の効果が目視できる薄日がさす日曜の昼下がりになった。

街を綺麗に保つちから
確か伊藤先生の短歌に「班長われは」を結句とするものがあった
居住地域を生活しやすく保つための協力が必要だろう。


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宮崎に生きる価値ー便利さと豊かさの違い

2022-11-07
新幹線が通っていること
様々なお店で何でも買物ができること
否、豊かな自然と食材と柔和な人々と

仙台・東京の旅を続けている間に、伊藤一彦先生が「旭日小綬章」を受賞されたという嬉しい報に触れた。早速、仙台の夜にお祝いの電話を差し上げたが、「思いがけぬ受勲」であるといつもの元気な声で謙遜をされていた。僕としても多分近いうちにこんな機会があるはずだと、最近考えていた矢先で先見的なご縁を感じる機会でもあった。今回の報道記事などでも既に評価されているが、伊藤先生の大きな功績の要因として昨年出版の自選歌集にの副題にもあるように「宮崎に生きる」という点が大きい。歌人として大成するには都会に居住し歌壇に関する活動に取り組みやすい便利さを備えているべき、とされる時代に伊藤先生は生きてきた世代である。しかし、大学卒業後は潔く故郷の宮崎に帰られ、県立高校教諭やカウンセラーとしての仕事でも教育に貢献しつつ作歌を続けて来られた。その結果、高校に取材した作品をはじめ宮崎の自然の豊かさとあらゆるものへの慈しみを詠んだ作品に長けている歌風を確立した。伊藤先生の短歌を読めば、宮崎に生きる素晴らしさが、まさに哲学的に理解できるといってよいだろう。

今回の旅で感じ取ったことは、ここ数日の小欄で記して来た。得たものは桑田佳祐さんライブと友の大切さであるが、副産物のように印象深かったのは「新幹線」と「銀座」である。350Kmほどある東京ー仙台間を1時間半で結ぶ「速さ」は、あまりにも便利と言わざるを得なかった。車窓から感じる速度の実感が相まって、それは「脅威」にさえ感じてしまった。比較するならば1200Kmを1時間半で結ぶ宮崎ー東京間の航空機の移動は、さらに「驚異」の速度とも言えるのだが。またあらゆる店が立ち並ぶ銀座で買物をするに、「物欲」を叶えるにはこれ以上ない場所だとあらためて実感した。長年、生まれ育った故郷・東京であるが、宮崎で10年間の生活を経てそれは「化け物」のように見えてしまう。「物欲」を中心にした「便利さ」がそんなに必要なのであろうかと。隙間なくなるべく交通機関に近く便利なように建てられた高層マンション、短時間で都内の至る所に移動できる地下鉄網など、「便利」に向けて東京は空に向け地下深く「自然」の「人工」による掘削をくり返している。羽田に着陸する際に見えた黄色く濁った大気、「便利さ」の代償として東京は「生きるための空気」を手放して来たようにも見えた。

新型コロナ禍による都会からの移住の動き
溢れ返る人並みの銀座歩行者天国
「豊かさ」とは何か?あらためて自らの心に問いかけている。


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よい気候よい空気で生きている

2022-10-11
今年は例年より暑いのか?寒いのか?
日々に吸っている空気で人の身体は・・・
新型コロナ感染拡大による巣籠もりを経て

対面学会で上京した先週金曜日、東京の気温は12度で12月上旬並みと言われていた。親友からその急な気温降下を報せるメッセージが届き、会った親友からも報せればよかったと言われた。前日あたりまで宮崎では気温20度台後半はあって、上着も必要なくせいぜい半袖から長袖シャツに切り換えた程度であった。東京の状況は頭にあったが、それでもなお薄手の上着を羽織って出掛けた。羽田空港に降り立ちモノレールで浜松町まで行った際、山手線のホームでコートを着ている人が複数いるのに気づき、いささか「失敗した」という気になった。気温は翌土曜日から上昇し、特に「失敗」とも思わず薄手の上着で丁度よいと思えるようになって研究学会参加の2日間を過ごすことができた。思うに、宮崎と東京ではどのくらいの気温差を覚えるのか?あらためて感じた経験だった。

宮崎に住む感覚だともうしばらくは朝晩はともかく、日中は汗ばむような体感温度である。東京在住時よりも春夏物の衣服を長く着るようになり、冬用のコート類の出番は短期間に限定されるようになった。気候が温暖なのは、明らかに身体を健康に保つのにも効果的だと思っている。今回の3年ぶりの対面学会で気付いたのは、感染拡大の巣籠もりを経たかゆえに病弱傾向が出たり老けたと思える方々が多くいた印象を持ったことだ。巣籠もりで「動かない」生活は、人を一気に老けさせるということだろうか?いや「3年ぶり」というのは、それを実感する「時間的距離」
なのだろうか?ともかく「人と隔たる」というのは、「良くない」ことは明らかだと実感する。あらためて僕自身は宮崎に住み、日々「よい空気」を吸って「感染拡大トンネルの闇」も超えて来たのだと思える。もし僕が従来通り東京在住だったなら、今頃はどんな生活でどんな風貌になっていたのだろうか。

日向の太陽と海と山の恵み
鳥たちの声が盛んなように素晴らしい空気
この環境にあらためて感謝して10年目の宮崎を生きている。


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伊勢海老のちから

2022-10-03
9月より解禁
名前の由来の「伊勢」を超える漁場として
母の長寿を願う誕生会の料理として

実際の母の誕生日には1日早いのだが、休日の晴れ渡る青空のもとに誕生会を開いた。計画段階から料理は何がよいか?とあれこれ考えた。季節もよろしき秋、9月から解禁となった伊勢海老がよいということになり、馴染みの海鮮料理店を親友を通じて予約した。僕が宮崎での公募採用面接の前夜に訪れた幸運のお店、あの日から間もなく10年の月日が経過するが宮崎の豊富な海鮮料理からいつも元気をいただける店だ。人気店ゆえに昼の時間帯からお客さんが絶えない店内であるが、当初から父母と訪れると必ず座る水槽の横の椅子席を確保していただいた。注文は既に予約した親友が通してくれていた「伊勢海老定食」、伊勢海老を始めとするお造りを中心にあら煮・小鉢・伊勢海老味噌汁・ご飯と1人分に一尾の伊勢海老が使用された豪華版だ。まさに食欲の秋、誕生日に母にはさらに若返って欲しいという願いを込めて、父・義母・妻とともに僕ら5人の食卓は伊勢海老を食べることに集中してしばし静かな食卓となった。

縁起物である伊勢海老は、名前の由来からして(1)伊勢地方で多く獲れた(2)「威勢がいい海老」(3)「磯海老」の変化、と諸説があるらしい。現状ではまさに宮崎の方が「伊勢」よりもよい漁場ゆえ、「青島海老」「日南海老」あたりの名前でもよさそうだ。(しかし、やはり伊勢神宮へのお伊勢参りが隆盛であった江戸時代までは、この名そのものに縁起物としての意味があっただろうと思う)俳句の季語としては「新年」、赤は「魔除け」の色とされており「祝儀」の際によく使用される所以である。甲殻類としては「長寿」であることも知られており、かつて新年に「年取り」をしたことを考えると誕生日には格好な縁起物だ。他に「脱皮」をくり返し成長するゆえに「立身出世」を願うとか、「兜(甲冑)をつけた武将」のように見えることから、江戸時代までは「武運長久」の縁起物だったと云う。ともかく「身を固く護り跳ねる元気のある」象徴としてこの時期の宮崎においては、元気をいただくことのできる貴重な食材である。家族全員があらためて「伊勢海老のちから」をいただき、新たな次の1年を逞しく生きていきたい。

親友から秋刀魚の差し入れまでいただき
食欲の秋を堪能
食後には青島海岸の波を見ながら海風に吹かれるのが心地よかった。


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倒木や停電ー台風14号の爪痕

2022-09-20
宮崎県内で2名の方が亡くなった
自宅周辺を歩けば大きめの街路樹が倒れ
停電が続いた地域も

台風の被害は抜けてからわかる、そんな実感を強くした。宮崎県内では道路の冠水で自動車が流されるとか、土砂崩れに遭遇したりで2名の方が亡くなった。自動車を容易に流し中に人を閉じ込めたり、山肌がそのまま崩落するような力。自然にはあらためて、畏怖の思いを抱かざるを得ない。未だ余波の風が残る朝、やや霧雨混じりの中で毎朝のウォーキングコースを妻と歩いた。枝葉はもちろん多くの家の周辺に散らかり、遊歩道には小枝などが散乱している。同じ町内でもある地域では住民の方々が出てきて、停電が回復しないようなことを話し合っている。電力会社の車が辺りを巡回し、電線の状態を調べているようんであった。丘の上の公園では、場所が高く樹木が多いせいか、さらに多くの葉っぱや折れ枝が散乱していた。そして帰路には、直線道路の向こうに消防車が停車しているのが見えた。

野次馬根性で近づいてみると、大きめの街路樹が折れて倒れたらしい。道路を塞ぐ樹木を消防団の方々が、チェーンソウで切り刻んでいる。同じ辺りに同じ条件と思われる街路樹で、倒れるものと倒れないものがあるのはなぜだろう?枝の伸ばし方、幹の健全さなど、樹木は樹木で個々の生育とコンディションがあるものと考えさせられた。道路には他にトタン屋根の一部など、家屋の断片も見られた。自宅周りを樋などを含めて点検したが、幸い僕の自宅に被害はなかった。とはいえ、県内での農業や牧畜業などの実質的な被害はまだ明らかではない。ビニールハウスの水没とか、牛舎が水に浸かり牛の足元に水が来ている映像も観た。自然に向き合うことの必然、あらためて我々の命は、吹けば飛ぶようなものである無常を悟る機会となった。

まずは自宅周辺の清掃
一気に秋の空気が増えた
列島に沿って台風は北上している。


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長い昼ー台風14号九州縦断

2022-09-19
願うは九州全域で被害がないこと
万全の準備で自宅に籠りつつ
どんな状況でも「したいこと・できること」

9月18日15時10分 宮崎市に「大雨特別警報」を気象庁は発した。南海上から九州を縦断する進路予想の台風14号、先に鹿児島県には「特別警報」が出されたが、進路の右側に当たる宮崎県にとってもかなり厳しい状況が予想された。昨日の小欄にも書いたが「今まで経験したことのない」という言い方を、気象庁予報官が会見で述べる。類するものとして「数十年に一度」などもあり、話に聞く宮崎の過去の被害のことなどが頭をかすめる。自宅周辺は「たぶん大丈夫」とは思いながら、「最悪」の場合を想定するのが災害対策の基本と考えたい。同時に宮崎県内、いや九州全域、さらには台風の進路全ての地域に被害が出ないように祈る。例によってニュースは同じ内容のくり返しとなり、次第に緊張感を失う効果をもたらすかのようだ。ある意味で自宅から出られない「長い昼」をやり過ごす1日となった。

「特別警報」が出て以降、スマホに「緊急情報」なる表示が音とともに届けられる。「緊急地震速報」と同じ設定らしく、マナーモードのままでも音まで付いてくる。同じように「避難所情報」とか地域に限定した情報が届くのは、スマホの災害時活用としては有効なものといえるだろう。ただただニュースを観ているのもと思いつつ、こんな状況でも読み続けたくなるのはもちろん歌書である。閉鎖的になっている自身の心を、大きな言葉の宇宙の中へと旅立たせてくれる。よく「無人島に行くなら何を一つ持ってくか?」という仮想の問いがあるが、まさに「特別警報」で身を案じつつ「したいこと・できること」こそが、自らの人生の柱ということかもしれない。かなりの強風が自宅の外壁に吹き付け、激しく雨戸を打つ音が絶え間なく続く。大河ドラマを観るまでは日曜日だということも忘れていた。その後、断続的に小さな停電が数回くり返された。次第に風向きが変わり、台風の進路と上陸という変化が自覚できた。家に籠るのも、思う以上に疲れる。人間は何と勝手な動物なのだろう。

鳥たちは、そして岬馬など野生の動物たちはどうしているのだろう?
今後もさらに台風は巨大化して行くのだろうか?
雨戸に守られながらとりあえず就寝へ。


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最近の台風は本当に「経験したことのない」なのか?

2022-09-18
台風14号の接近
920hpa規模の勢力で接近する台風
「今までに経験したことのない」という気象庁の言い方

台風の接近に備えて、朝から家周りを整えた。屋外のゴミ箱や箒類を玄関に入れ、外置きの植木鉢も家の中へ。物干し竿を外し立てる台は寝かせ、家のあらゆる窓の雨戸を閉めた。自宅は高台にあるが区画内が袋小路になっているため、冠水に備えて自家用車は至近の施設のかさ上げしてある駐車場に移動。これでほぼ不安なく、自宅の準備は整った。もちろん、午前中に母とともに食糧の買い出しを済ませ、水は常に一定量が備蓄されている。停電に備えてラジオ付き非常用電灯の電池の確認、スマホ類はいついかなる時も充電をフルの状態にしている。夕方になって休日出勤していた妻を迎えに行き、帰りにスーパーで牛乳などを買い求めたが既に品薄の状態で、驚いたのはスナック菓子などもかなり少なくなっている。その棚の状態に影響を受けて、煎餅などを「万が一ご飯が炊けない時のために」などと理由をつけて多めに買い付けた。

やれることは、ほぼすべてやった。台風関連のニュースを見ていて思うのは、気象庁が「今まで経験したことのない」という表現を使用することだ。現状で勢力は「925hpa」この勢力を維持して上陸した台風は、いま調べる限り「1961年(昭和36)9月16日高知県室戸岬に925hpa」所謂「第二室戸台風」、「1959年(昭和34)9月26日和歌山県潮岬929hpa」所謂「伊勢湾台風」である。概ね930hpaクラスで「史上最強」と呼べるものだそうで、「室戸」や「伊勢湾」というえば当時としてかなりの被害が出たのはよく知られている。1990年以降にこの程度の勢力で上陸した台風は多くはなく、こうした意味では「今まで経験したことのない」は統計上は妥当な気もしてくる。だが我々はどこかで「地球温暖化によるスーパー台風」と考えがちだが、昭和30年代の高度経済成長の盛りの頃にもあったと思うと、そうとばかりは言えないとも思えてくる。こうして今日の小欄を書いているうちにも、かなり風雨が強まってきた。さて果たして実感として「経験したことのない台風」を僕は経験することになるのだろうか?

東京在住時とは桁違いの暴風雨
台風そのものが弱まらずに上陸する南九州
今日1日忍耐の家籠り、そして九州全域に大きな被害がありませんように。


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涼しい風がもたらすもの

2022-09-08
朝晩の心地よい涼しさ
身体はいかなる影響を受けているのか?
日の出の太陽の位置も変わってきた

沖縄方面に停滞し東シナ海から北東に抜けた台風11号、温暖化のためか「西進」するという変則的な動きを伴い、沖縄方面には長い時間にわたり停滞した。台風一過の九州では、一気に秋の空気感となり朝晩の外気が涼しく心地よい。日中はさすがに気温が上がり冷房を入れてしまうが、小欄を書いている早朝などの外気はちょうどよい涼しさをもたらせる。日暮れがだいぶ早くなった夕方、帰宅した後には窓を開放し虫の音を聞きながらの夕食もよい。猛暑であったせいもあるが、今年の秋ははっきりとした輪郭をもってやってきたような印象だ。元来、古典和歌で詠まれた季節観では「涼風」によって「秋」を察知する。「風の音」が変わるというわけだが、「音」の要素には単に聴覚的なものではなく、「触覚」も作用しているように思う。鳥の鳴く音も、虫の囁きを背景に、「聴く肌触り」のような感じが秋を連れてくる。

最近はそうでもないが、若い頃は気温が下がると体調に変化が出ることが多かった。暑さに耐えて身体を維持していた免疫系たちが、少し休養を求めるということだろう。そんな夏の疲れをうまく収めるためにも、食事の内容が重要だと最近は思う。食事・運動・睡眠、この3つのバランスをいつも以上に心がけたい。夏の疲れがあるからと運動しないのはいけない、むしろ「動く」ことで疲れの要素を締め出していく感覚だ。「運動」というと「疲れる」と思う向きもあるが、ストレッチやバランス感覚を整える「運動」を最近は多く選択する。身体を動かさなければ凝りは取れず、自らの力で動かすことで真にほぐれていくと考えたい。また食事で最近特に心がけるのは、良質な「タンパク質」の補給。朝食の「卵」「納豆」、昼食でも「たんぱく質」が入るものを選び、夜は「肉」「豆腐」を意識して食べる。食欲の秋には、必然的な理由があるようだ。

雲の性質がだいぶ変わってきた
虫たちの行動にも変化が見える
9月をうまく過ごして後期へとつなぐ。


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地元産品の買い物ができること

2022-09-03
地産地消の野菜・肉・魚
安さと鮮度と何より美味しさ
物価高の中でありがたみを感じながら

3日間のリフレッシュ休暇を取得した。土日を挟み次週火曜日まで、名ばかりにならず実質的にここら辺で「新鮮」な気分になりたいものだ。平日ながら母と週末恒例の買い物に出向いた。買い慣れたスーパーの店内では、ほぼ「買うコース」が決まっている。まず大きく心がけているのは、「地産地消」ということ。入り口付近に地元産野菜のコーナーがあるので、そこで大好物の「胡瓜」をはじめ、「茄子」「椎茸」などを選んだ。スーパーのある地域の農家が納めている産品で、優秀な品質で値段も安い。輸送費がかかっておらず、収穫後も日数が経過していない。「地産地消」の常識であるのだが、あらためてそのありがたみを感じる。もちろん季節の野菜ばかりで、並ぶ品目が一定しないのも自然と親和的で嬉しい。野菜の次は、納豆や豆腐のコーナーへ。さすがに納豆は隣県に及ぶが九州産を選び、豆腐はやはり宮崎県内で作られた品を選ぶ。麺類などもできれば、県内製造のものに食指が伸びる。

その次は魚介類、日南が一大漁業基地なので「目井津獲れ」などの「かつお」「しび」「ぶり」などがお気に入りだ。昨日は「水イカ」が出ていて、季節の流れも感じられる。魚介においてもほとんどが地産地消の買い物となる。そして肉のコーナーへ、さすがは県内JAが営業するスーパーなので良質の肉を安価に買うことができる。時に「4割引」など「29日」などをはじめとしてかなりお得感ある買い物が可能だ。統計的な「食料自給率」からすると、北海道や東北にま及ばないものの、比較的安定した数字である宮崎県。都市部の「自給率」は惨憺たる数字であるが、比例して物価も高くなる必然がある。宮崎出身の人に聞くと、「東京でも新鮮な野菜はあるでしょ」というのだが、実情は野菜の鮮度はかなり劣るのが実感だ。僕が前述のような買い物を日常としてから、東京のスーパーでは「野菜が買えない」と思っている。値段と鮮度が極端に反比例しているからだ。買い物の締め括りは地元にある惣菜屋の品々、特に中華系店舗の「焼売」が大のお気に入りである。

地方の豊かな生活
食べる食品で健康にも大きな影響があるだろう
今日もまた、地産地消のありがたみをいただきます。


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