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夢でなかった飛距離と球速ー米国MLBの意識を変える力

2023-03-27
外野席の看板や最上段への本塁打
球速は100マイル(160Km)を超えてゆく
もはやスモールベースボールでない本場を変革させる野球へ

今月は本当に久しぶりに野球狂の魂が燃え盛る時間が続き、未だ尾を曳いている。それは「3度目のWBC優勝」というのみならず、日本における野球のあり方を考えるべき時に来ているからだ。一部で報じられる経済効果や視聴率からみる野球人気という点と裏腹に、少子高齢化を迎える社会において「世界」を目指す野球選手を今後もさらに発展的に輩出できるかという不安を拭い去れるのかは大きな課題だろう。確かに高校野球を中心に顕在していた旧態依然の体質も、かなりメスが入れられて来たようだ。科学的なトレーニングが導入され、指導者の隷属的な強制もなくなり選手自らが考えてできる環境が多くはなった。今回のWBCで活躍した大谷翔平・佐々木朗希・山本由伸らが最初から平然と160Kmを超える球速を投げることは、象徴的な現象であろう。また大谷翔平・村上宗隆などの本塁打の飛距離は、東京ドームの看板直撃やMLB球場の最上殿席に突き刺さるものがあり、かつての日本選手とは破格のパワーを見せつけた。大仰にいえば、十分に「ワールドシリーズ」クラスの選手が多数、具体例を挙げたのみならず日本代表の中に存在することを示している。

僕が小学生の頃、シーズンオフの11月ぐらいに「日米野球」という企画試合があった。大人たちはよく「奴ら(メジャー選手)は観光ついでに試合をしている」というようなことを口走った。そして当時の後楽園球場の照明の看板に打球を当てたとか、球速なども計られなかったが「豪速球」などと報道が囃し立てていた。当時よく語られた「メジャー選手は日本選手相手に本気にはならない」というような言い方が、現在も年代によってWBCなどに対して口走る人がいる。しかし2006年2009年の日本の2連覇、そして今年は米国を決勝で破った力を見せつけたことで、「本気でメジャー選手の(日本野球への)見方や意識を変えている」と言えるではないかと思う。特に今回の大会は、犠牲バントや犠牲フライでの得点に結びつく戦術が採られるケースもほとんどなかった。準決勝のサヨナラ場面において、過去の日本代表なら確実に「4番でもバント」である。事実、ある放映の解説者は「村上に代打でバント」と予想をしていた。だが周知のように栗山監督は「4番のお前に任せた」と言い、前打者の吉田も四球を選んだ後に村上を指差して「お前が決めろ」と言わんばかりであった。結果は周知のようにセンターオーバーフェンス直撃のサヨナラ打であった。それが翌日決勝の同点本塁打にも結びつき、さらには岡本の本塁打も呼び込んだ。戦後の長いプロ野球史において、ようやくメジャーと平然と肩を並べる時が来たのだ。3年後の大会に向け、また選手個々はメジャーの舞台に向けて、その上で日本プロ野球をどうするか?この熱狂を「にわか」で終わらせないために、ファン個々が考えねばならない問題でもある。

イチロー・翔平が変革させたメジャーの意識
あらためて多くのファンが日本プロ野球を観戦してほしい
有言実行、4/8(土)に宮崎で開催されるソフトバンク対西武のチケットを買った。


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モード切り替えー広い懐を持つこと

2023-03-24
「プロ」とは切り替えが上手いこと
自分を常に更新できる広い懐が欲しい
後悔せず次の高みを目指しただ前に進むために

巷間では成田空港に多くのファンが出迎えたように未だWBC優勝の熱狂が冷めやらぬ中、米国MLBの開幕を目指し大陸に残った人たちがいる。すぐさま各自のチームのスプリングトレーニングに合流し、優勝の祝福を受けつつも視野は既に1週間後の開幕にある。大谷翔平は、早くも日本時間25日にアリゾナでマイナー相手ながら当番調整をし、30日の開幕投手としての準備をすると云う。吉田正尚はチームに帰り、英語で「疲れているよ」というような本音とも思える返答をしてジョークかのように周囲を笑わせたと云う。入団初年の大切なスプリングトレーニングにも関わらず、チームがWBC参加を許可したことを大会中の大活躍で恩返ししたチームとの良好な関係が見えてくる。素人からするとあれだけの闘いをした後ゆえ、ゆっくり休ませてあげたいと思うだろうが「プロ」の意識はそうではない。2006年の第1回大会から大会開催時期には物議を醸し出しているが、真の日米頂上決戦が現実的になった今、11月などの開催も考えていいような気がする。

米国のMLBに限らず、日本プロ野球も30日にパ・リーグ、31日にセ・リーグが開幕を迎える。源田遊撃手の右小指骨折の影響なども心配されるが、「プロ」とはましてや「一流」とはこうした切り替えができる人のことをいう。モードの違う状況に置かれても適応し切る力、そして栄誉も後悔も引き摺らない潔さだろう。かつて初任校で高校教員をしていた頃、野球部員らのモード切り替えにそんな潔さがあることを体感した。高校生ゆえに時に「栄光」を鼻に掛けてしまうことがないわけではない。僕ら教員への態度に、その先の大会の成績が反映していたと言ってもよいだろう。あくまで謙虚にありながら、勝ち得たものを栄養にさらに成長していく。そんな高校生が「プロ」になるのだと実感した。「国語」を教えていたこともあるが、様々な教材に理解力を示し、自己表現も巧みで文章も潔く書く。そんな態度を備えたものが「プロ」の世界に入って行った。僕は彼らの姿勢を見習い、自らも「国語・文学」の「プロ」を目指そうと思い立ち研究の道に入り25年以上の月日が経過した。同時に周囲や社会情勢を見つめて、広い懐を持つこと。WBCのにわかな熱狂だけで終わらない成熟へと社会が向かうため、選手たちの姿勢から学び取りたいと思っている。

今日を「プロ」として生きるために
3年間の閉塞感から社会として抜け出そう
今日もまた懐の深い心で前に向かって歩こうじゃないか!


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駄目と思わずイメージを紡ぐー北の大地で思い描いた世界への視野

2023-03-23
WBC3度目の優勝!!!
栗山監督「イメージしたことしか起こらない」
「勝つために憧れるのをやめましょう」(MVP大谷翔平・試合前のチームへの声掛け)

「スライダーで空振り三振」不思議と過去3度の優勝場面は全て同じケースになった。大谷翔平がエンジェルスの同僚として親交も深いマイク・トラウトを、3-2のフルカウントから切れ味鋭いスライダーで三振に討ち取った。あるTV解説者は「ストレートによる力と力のぶつかり合いか」と興奮気味に最後の投球を予想したが、当該解説者も現役時代に速球とともに得意としていたスライダーを翔平は選択した。大会全般を通してスプリット(フォーク)が抜けると本塁打を被弾するケースも目立っていたこともあるだろう、制球の上でもストライクが確実に取れ甘く入らない選択であったのではないか。宮崎合宿中にダルビッシュ有が多くの若手に「スライダー」を伝授し、それに応えて若手投手のスライダーの切れが増したことが思い返される。2006年第1回MVPの松坂大輔がそうであるように、世界を斬れるのは日本の伝家の宝刀「スライダー」なのかもしれない。かくして優勝を成し遂げた後に、宮崎合宿初日からチーム作りをしてきた栗山監督の苦労と忍耐とに思いを馳せた。

「物事はイメージしたことしか起こらない。自分が駄目だと思ったら、そちらへ向かってしまう。」こんな趣旨の栗山監督の信念があったと云う。彼のイメージの中には、大谷翔平が優勝投手になること、そこに世代を渡すかのようにダルビッシュ有が繋ぐこと、また準決・決勝で村上宗隆が本塁打や打点を上げることが、宮崎、いやそれ以前からイメージされていたのだろう。日本ラウンドの闘いからすると試合を締めるのは大勢投手であろうが、日本が世界に誇れる宝の豪華リレーを栗山監督は演出した。優勝したので考えるのだが、ダルビッシュがソロ本塁打を被弾して1点差に迫られるのも大きな演出のように思えてくる。2009年の優勝投手・ダルビッシュ有から大谷翔平へ、そんな日本野球界全体を考えた繋ぐイメージを栗山監督は描いていたのだろう。その前提として先発の今永から戸郷・高橋宏斗・伊藤・大勢の日本プロ野球の名だたる投手らの継投も素晴らしかった。それに村上と岡本の本塁打2本、ヌートバーの内野ゴロの1打点、最低限の得点での勝利だった。大谷翔平は「最後に1点勝っていればいい」と語っていた。それもまさにイメージ通り。高校生の頃から「曼荼羅チャート」などで将来の理想のイメージを、大谷翔平が作り上げていたのは有名だ。「二刀流」を一度も「無理」と思ったことがないのもまた、日ハム時代からの栗山監督と大谷翔平が「イメージ」を共有した賜物だろう。「青年よ大志を抱け」と北海道で築かれたイメージが、世界を制したと言えるのかもしれない。

日本の優勝を祝い懇意にするお店へ
即断即決の行動により当日に祝勝会を実施できた
否定しない、肯定的なイメージを持って人生は歩むべきと日本代表は教えてくれた。


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Faithful(信頼できる)ーWe believe 我慢して好機を待つこと

2023-03-22
君は「村神様」を信じていたか?
本人も「バントがよぎったが、栗山監督がお前に任せる」と
そして激しく降る雨の中、僕は牧水にFaithful 吉日

この時代に生きていてよかった!球史に残る試合を、僕たちは生中継で見届けることができたのだ。「最後に1点でも勝っていればいい」と大谷翔平が大会中のインタビューで答えていたが、その通りの試合となった。メキシコに終始、先制3ランを浴びるなど苦しみ続け、本大会打率450(4割5分)の一番打者・左翼のアルサレーナの小憎らしいほどの守備に好機が何度か阻まれた。日本プロ野球の若手2大エースは先発・第2先発の責任範囲の失点で抑えたが、吉田の同点3ラン本塁打が出るまでは、メキシコの先発投手に封じられ明らかに劣勢な試合であった。更なる2失点が重く感じられた終盤、代打・山川穂高の犠牲フライでの1点で首の皮1枚が繋がった。9回裏、何より先頭打者・大谷翔平の打撃と激走、2塁上に到達すると日本ベンチに向かい「盛り上げろ!自分たちを信じろ!」といわんばかりの鬼気迫る眼で大きなジェスチャーをした。続く吉田正尚はこの熱い場面で冷静な四球で歩く。本塁打を打った力みなど何もなかったのもMLBから信頼厚い契約を獲得した要素だろう。この場面では、ベンチも冷静だった。すかさず1塁ランナーに日本一の俊足・周東佑京を送り込んだ。かくして「村神様」を打席に迎える準備が整ったのだ。

「野球」は「間(ま)」と「待つ」競技であると僕は思っている。球を呼び込まなければ好打は生まれず、最後の一瞬に指先で弾かなければ好投はできまい。チーム内ではもちろんであるが、ファンとしても選手を「信頼できる」ことが何より大切なのではないか。また「信頼」とは「盲信」することではない。イタリア戦から村上宗隆の打順を5番に下げたオーダーにしたことには、僕も大賛成であった。結果としてこの打順がこの日のサヨナラ打を呼んだのだ。昨年の「3冠王」であるという誇りだけを妄信をすれば、むしろ本人を追い込むことになるだろう。このサヨナラ打の歓喜の輪を映像で見ていて、宮崎キャンプ初日に村上宗隆に最接近できた時のことを思い出した。選手通路を移動する際に、俯き加減な表情にはやや重圧を背負ってしまった眼が読み取れた。本大会に入ってからの彼は、同様の眼が続いていた。だがこの日のサヨナラ打の後には、ようやく昨年の「3冠王」の眼に戻った。ファンとして日本代表の選手を「こいつは駄目だ」などと言うのは簡単だ。だが夫婦も家族も仕事でも、大切なのは「信頼」ではないだろうか。栗山監督は「我慢の試合になる」とも語った。だが村上宗隆を世界の「3冠王」にするためには、胃が痛くなるほどの想像を絶する「忍耐」があったはずだ。「批判」や「クレーム」ばかりの世の中で、日本代表チームがあらためて「Faithful(信頼できる)ーWe believe」を教えてくれた。

午後は昨年9月17日に台風で中止となった牧水祭の鼎談へ
FaithfulーWe believe Bokusui 詳細はあらためて小欄に記すことにしよう
けふもまた「Faithful(信頼できる)ーWe believe」決勝の米国戦を期待したい。


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「ペッパーミル」ー小さなことを積み重ねよ

2023-03-21
仲間である証の共通した動き
MLBではポストシーズンなどで勝ち上がるチームごとに
ヌートバー選手が提供したチームの牽引力として

WBCはいよいよ日本時間本日朝8時から、準決勝を迎える。宮崎合宿から1ヶ月以上、小欄でもWBCに注目した記事が多くなっている。だが正直言って、宮崎合宿の初日を現地で観た僕は不安が大きかった。投手陣はダルビッシュ有が先導役として、若手投手を牽引する姿勢が早々に見えた。その反面、野手陣の牽引者がいないことが大きな不安だった。2009年にイチローと彼を慕う川崎宗則がいたのとは大違いだった。さらに言えば、日系選手として合宿後に合流のヌートバーには不安を抱く先入観があった。MLB選手が日本代表チームに馴染めるのか?近本・松本・塩見など外野手として戦力になりそうな選手はまだいるのでは?とも疑問視していた。だがそこはさすが栗山監督である、事前調査などが入念であったのだろう。周知のようにヌートバーが合流したことで、野手陣の奮起に火がついた。それを象徴するのが本日の標題である「ペッパーミル」である。

あまりにも有名になったので説明の必要もなかろうが、「コショー挽き」の卓上装置を左右の手で捻るポーズをすることだ。元来の意味としては「小さなことを継続して積み重ねると好機が訪れる」ということだそうだ。料理を最後に引き立てる「コショーひと振り」の行為を億劫がらず積み重ねる。まさに日本で云う「一球入魂」を「食」に置き換えて、的確に伝え合うパフォーマンスなのである。BaseBallでは、いや日本野球では特に重視される姿勢そのものではないか。この「コショーひと振り」が野手陣を盛り上げ、誰かが牽引するのではなくチームの輪がある良好な雰囲気を作り出した。ヌートバー・タツジの試合前の声出しなども、僕はツイッターに映像をReTweetして何度も聞いている。MLBにはチーム内にこうしたジョーク的パフォーマンスが流行することがよくある。10月のポストシーズンを勝ち抜くには、こうした雰囲気が必須とも言える。高度なプレーでありながら「楽しむ!」と彼らが言えるのは、ジョークなどで繋がるからだ。などと考えて隙間のない仕事に追われたこの日は、まさに僕自身が「ペッパーミル」をくり返すような思いで過ごした。

ジョークを放てば心が解放される
重圧ばかりに押し潰されそうになってもコショーを挽いて笑う
「ねばならない」「絶対に」ではない、「小さなことを積み重ねる」のである。


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他国の試合も知ってこそーWBC熱狂に思うこと

2023-03-20
いつぞや「侍ジャパン」という言い方が定着し
多くのTV番組がWBC熱狂を取り扱う日々が
されどサッカーW杯と違い他国の試合はほとんど放映されず

WBCを主催するのはWBCI(ワールドベースボールクラシックインク)であり、WBSC(世界野球ソフトボール連盟)公認の世界選手権である。全世界の参加国は28チーム(うち予選免除16)、本戦参加20チームの規模の大会である。第1回2006年、第2回2009年、第3回2013年、第4回2017年と開催されてきて、2021年に開催予定であったが世界的な新型コロナ感染拡大で無期限延期とされていたが、今年2023年に2年延期で開催される運びとなった。次回の開催は2026年と3年後であることも既に公表されている。当初から参加国の少なさや大会運営に問題が指摘される点も多く、「野球」という競技そのものがオリンピック競技から外されたりすることと関連して「世界のスポーツ」という意味では限定的な面が否めない。冷静に野球が盛んな地域を世界で見回せば、「米国・中南米・東アジア」の3大圏内にほぼ限られると言ってよい。FIFA主催のサッカーW杯との大きな違いは、参加地域・国の少なさであり、日本は世界でも稀なWBC熱狂国の一つであるという認識を持つべきかもしれない。

などと述べて、何もWBCへの現状のような熱狂を否定しているわけではないことはまずお断りしておきたい。研究者の性(さが)であろうが、背景にある状況の冷静で適切な認識をもった上で興じていたいという思いがどこかにある。今回の大会の放映権を持つ放送会社においては、多くのバラエティ番組などを含めてWBC一色に染め上げられている。芸人さんらが「にわかファン」だと称しつつ、日本代表の美徳を語っている。多くの人々がこうした情報を頼りに、「日本代表」に偏った視点で「日本代表」の試合のみを観ているのが現状だろう。一部のWeb配信やBS放送の「スポーツ専門チャンネル」以外では、ほとんど他国同士の試合をこの国では観ることができない。以前にも指摘したが、宮崎のような地方ではNHKに放映権がなく限定された民法系列局しかなければ日本代表の試合ですら放映を観ることができない人々が多い。ひとえにこれも主催機構に関連した、放映権料の高騰と独占に起因する問題である。「国別野球対抗戦世界大会」と言い換えられる今大会にを重視し、1ヶ月以上前から代表合宿を組んでチーム作りをしてくる国は稀であることも我々は知るべきだろう。MLBのチームに所属する選手たちがチームとの契約上、大きな制約を抱えながら参加するのも、この大会の第1回からの問題点である。さていよいよ4強が出揃った。昨日の「アメリカ9対7ベネゼエラ」の熱戦なども多くの人々が興じるべき試合だろう。などという視点を持ちつつ、明日の準決勝を楽しみにしている。

本日は先に「アメリカ対キューバ」の準決勝が行われる
そして春の選抜高校野球は全試合をNHKが無条件に放映する
この国ではなぜここまで野球に熱狂するのか?を考えつつ楽しみたいと思う。


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野球少年の心ー大谷翔平のセィフティバント

2023-03-17
試合がない日々はWBCロス
試合があれば万全の準備で完全観戦
観戦している僕らの意表も突く翔平のバントがチームを目覚めさせる

僕が中学生になって後楽園球場に独りでも行けるようになり、当時の外野自由席が中学生までは500円であった。自由席ゆえにライト側の好位置を確保するにはナイトゲームでも早朝から並ぶ必要があり、自転車で球場に向かい丸一日を後楽園で座り込んでいることがあった。時節によっては薄暗い中を自転車で向かうので、交番で警察官に呼び止められ質問をされることもあった。だがその熱意のおかげで王貞治さんの714号・715号が飛び込んで来た歴史的な右翼席に生で居られたことは人生の貴重な体験であった。現在ではWBCになるとそんな野球少年の心が蘇り、試合が待ちきれない気持ちで数日を過ごしている。2006年は一次ラウンドの日韓戦での僅差敗戦を東京ドームで目の当たりにし、2009年は宮崎合宿にも初日から3日間を訪れ、東京ドームラウンド全試合通し券を購入して日本戦に限らずすべての試合を観戦した。そして決勝のロスの地まで足を運び、歓喜の優勝の余韻に浸った。今回は、そんなWBCへの思いと野球少年であった頃の思いが融合し、あらためて僕を野球狂へと回帰させている。よほど準決勝・決勝の米国マイアミの地へ行くべく一時は航空券の予約状況まで調べたが、仕事や諸条件を考えてやむなく断念した。

準々決勝をWeb配信で観戦していて、やはり先発の大谷翔平の投球には惚れ直した。その日の己の最良のボールを自覚し、状況に応じて決め球を変化させていく投球術は精密な見応えがあった。短所を知ってそれをカバーするように対応する、あらゆることにおいて学ぶべき術がそこにある。さらには打撃面であらゆるファンが、ましてやベンチも長打を欲する場面でのセィフティバント(自分が1塁でセーフになることを意図したバント戦術)はお見事であった。このバントが呼び水となり、6番打者岡本が3ラン本塁打を放つことへ繋がる。大谷翔平はあれほどの技術を持ちながら、「我が我が」という自己中心的な思考をほとんど覗かせない。本物とは「我欲から脱した存在」なのだとあらためて学びの多い場面だった。野球は「打線」で勝負するものと、翔平は知っている。誰しもが野球少年の頃に学ぶことを、プロ野球、いやMLBのスーパースターになっても行動で見せるところがまさに日本野球の宝なのである。そんな野球少年の心でプレーするのは、どこかイチローさんの精神性に共通する。僕自身も小柄で足が速い野球少年であったため、意表を突くバントが決まった際のこの上ない快感を知っている。誰もが純粋な学びを思い出す、WBCにはそんな純化する効果もあることを意識して観戦したいものだ。

いよいよ舞台は米国へ
試合後の深夜「マイアミで応援してきます」と友人から
準決勝は21日、日本代表合宿の地・宮崎でも地上波放送があるはずだ。


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今宵はWBC準々決勝〜一日一勝の思いと危うさ

2023-03-16
一日一生すなわち一日一死
「負けたら終わりの闘い」と大谷翔平
緊張感と一球にかける思いとはいかなるものか?

親友の落語家に宮崎へ来てもらって1週間が経過した。「落語教室」の残務処理などの件で諸連絡を取り合っているが、思いが一致するのは毎晩「WBCロス」であるということ。夜になってWBCの試合がないと、淋しい気分になるわけである。今回のWBC中継の視聴率は、既にサッカーW杯を超えたと聞く。日本中の多くの人が、同じような思いでいるのだろう。こうした意味からすると、民放2局の宮崎県では日本代表のキャンプ地でありながら、さらに放映枠が限られていて「ロス」の度合は深い。TBS系列とテレ朝系列のみが中継しNHKが全く中継できない今大会は、放映権料が莫大であるという指摘もある。僕自身はかろうじてWeb配信で日本代表の全試合を観ているが、本来は野球好きである宮崎県民にとっては大きな問題だ。もはや地上波ではなくWebによる視聴が主流になりつつあることは、W杯の時にも実感したことであるのだが。いずれにしても「野球の世界大会」が大きな力を持ち、一気にこの国の人々を束ねる現象には自ら興じつつもいささかの危うさも感じざるを得ない。つまり、日常ではあまり野球にこだわっていなかった人々までもが心を傾けて心酔している図式が、正統なる社会性なのかどうか?と思わないでもないからだ。

今回はあまりメディアにより言及されないが、前述した放映権料をはじめWBCを主催するMLB機構の「帝国主義」とも言える権限には疑問が少なくない。MLB所属の選手らの大半が宮崎合宿に参加できなかったのも、その権限の大きさを物語るものだ。今宵の準々決勝以降のMLB所属投手の登板の可否などにも、所属チームの意向が影響を及ぼしていると言われている。本大会の過去4回を振り返るに、権限がありながら主催機構のある「米国代表」の優勝が1度に限られるのも皮肉な結果である。MLBの各チームがシーズンを重視するために、「真の米国代表」が選出できていないというのも一つの大きな要因である。開催上の問題はさておき、いよいよ今宵は準々決勝である。かつて昭和の時代は日本シリーズもシーズンの試合も、贔屓チームの勝敗に一喜一憂する人々が多かった。長嶋茂雄などの選手の奮闘ぶりに力をもらい、社会が高度経済成長を成し遂げたといっても過言ではない。今宵は再び大谷翔平がかつてのON以上の躍動を見せ、この数年間の閉塞感を打破してほしいと願う。あくまで「なぜ?」を忘れぬように、「一日一生」の思いで好きな野球を観たい。

既に自宅観戦の準備を始めた
宮崎合宿から日本で開催される最後の試合までの思いを胸に
「今日を生きる」ことの大切さを僕たちは野球に学んでいる。


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分かち合う心ー野球が生まれた国に捧ぐ

2023-03-15
大谷翔平のホームランボール
佐々木朗希は死球を当てた選手にお菓子を
野球が生み出す「平和の作り方」を発祥の国へ

WBCというと2006年第1回大会米国戦、イチローの先頭打者本塁打とともに、同点となる好機に西岡剛のタッチアップがアピールプレーによって判定が「アウト」となった、所謂「ボブ・デービッドソン主審事件」が忘れられない。その際に試合後の会見で王監督は「野球が生まれた国で、こんなことが起きるのはあってはならないことだ」と冷静に語ったのを記憶する。走者に一番近い三塁塁審は米側のアピール後に「セーフ」の判定、だが主審が理解しがたい権限で判定を覆したのだ。誰が見ても現在なら「チャレンジ(ビデオ判定)」でも、明らかにタッチアップは成立している。米国代表の勝利を演出するかのような「自国忖度判定」が「自由と公正と民主主義」を旨とする国で起こったのは、僕ら野球ファンには許しがたい事件であった。だが「野球の神様」がいるとしたら、メキシコ代表の奮闘により僅かな得失点差で日本代表が勝ち進み、初代優勝を手にした演出に「ボブの忖度」は敵わなかったことになる。この事件のように、WBCは野球を通じて背後にある悪辣な文化も浮き彫りにし、反対に各国の持つ友好の文化の品評会のような性質を持つものだと思っている。

今回は日本代表が1次ラウンドを無敗で勝ち進んだ中で、「文化」的にMLB中継などが賞讃したことを記しておきたい。まず大谷翔平の豪州戦での本塁打のボールをスタンドで確保したファンが、周辺の他の観客にそのボールを順番に回覧して触れたり写真に撮ったりさせたことである。翔平の記念すべき歴史的なボールゆえ、仮にMLBの米国の球場なら乱闘まがいの争奪戦になっていたであろう。それを「(日本では)幼稚園から教わる分かち合う心」だと米国放送の実況アナは紹介したと云う。町内会の回覧板という慣習も未だに健在だが、僕らは「分かち合う」「助け合う」ことが文化として身についていることをあらためて確かめる事例であった。またチェコ戦で佐々木朗希が、死球を当ててしまった選手の振る舞いも忘れ難い。かなりの激痛で打席で倒れ込んだが、佐々木を怨む素振りも見せず一塁まで歩き、その後「大丈夫だ」と言わんばかりにファールグランドを走って見せ、佐々木に無用な心配をかけないような爽やかな配慮が見えた。そのチェコ代表のウィリー・エスカラ選手に対し佐々木は、宿泊しているホテルにお菓子を持参で謝罪に出向いたというのだ。MLBの慣習として死球を受けると相手投手を睨みつけ、場合によると自チームの投手が故意とも思える「報復死球」を打者に仕掛ける。まさに「戦争の論理」なのであり、乱闘に発展しかねない。日本野球には投手が死球を当てると脱帽して詫びる慣習があるのとは正反対である。死球を当てた「敵を攻撃」するのではなく、友好的に「お菓子」をお詫びの印とする。日本が歩んできた「野球」の歴史として、野球が生まれた米国へ捧げたいものは少なくない。

試合後の観客席でゴミ回収という方法もMLBは逆輸入した
あくまでフェアにあくまで爽やかにプレーする大谷翔平のように
WBCは勝負のみならず、文化の交差点であることも忘れてはならない。


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チェコ代表に学ぶものーWBCを通じて友好と平和を

2023-03-12
チェコ代表も宮崎合宿をし宮崎大学と練習試合
「日本全体で試合をしている」(ダルビッシュ有投手のTwitter)
さらに友好と平和のための野球であるために・・・

WBCはさながら「侍ジャパン」という言い方で、日本中を席巻しているように見える。だがこの日のチェコ代表との試合は、宮崎県では地上波デジタル放送での放映はなかった。僕はあるWeb放映をする業社の会員になっているのでかろうじて観られたが、Twitterで帰宮している歌人の吉川宏志さんとやり取りすると「(吉川さんご自身のお父さまような)高齢者には難しいです」と返信をいただいた。ごもっともと思いつつ、宮崎で合宿をしたチェコ代表の試合が地元で観られないのは寂しい。Web放映で紹介によると、チェコ代表のある選手が宮崎のスポーツ店でスパイクを買ったというエピソードがあるそうだ。野球が盛んでない欧州においては、今もなお野球用品の取得が難しいことを考えさせられる。チェコ代表は宮崎大学とも練習試合をして、友好を深める機会もあった。残念ながら僕自身は「みなかみ町」へ出発する日に当たり、試合は観戦できなかったが、野球は決して「(MLB)メジャー」や「侍ジャパン」のみではないことを知る意味で貴重な機会であったはずだ。

チェコ代表の選手たちは所謂「プロ野球」ではなく、各々が仕事を持っているのだと云う。監督は、医師であるとも聞いた。つまり日本で言えば「社会人野球」なのであるが、昨日の試合の序盤の優位に進める展開は見事であった。さながら優秀な選手を強引に掻き集めた私立高校が、選手自らが工夫を凝らして野球をしている公立高校と対戦しているようであった。かつて野球強豪校であった初任校赴任時に幾度となく眼にしたことがあるが、球速の遅い公立高校の対戦相手投手の球を打ちあぐねる傲慢な上から目線の高校生の姿と「侍ジャパン」の選手が重なった。野球用品の取得のみならず、データ解析などにおいても巨額の費用を投じている「侍」とは桁違いの次元で試合に臨んでいるはずだ。それだけに序盤の健闘のみならず、死球を膝内側に受けて激痛の中を立ち上がり投手の佐々木朗希を睨むことなく一塁まで歩き、走れるかを試すためにダッシュまでした選手の野球への敬虔な姿勢などは讃えるべきものがある。何よりチェコ代表チーム全員が、友好的に試合に臨んでいる証拠である。サッカー・ラグビーのW杯同様に自国代表の勝利ばかりに「日本中が熱狂している」と云うメディアの喧伝には、ある意味の危うさがある。「野球」そのものが社会的に「負の価値」を意味づけされて生き延びた歴史を、僕らは謙虚に受け止めるべきだ。誤解のないように言っておくが、僕自身が「日本代表」を応援していない訳はない。大会に参加するすべての国と友好な関係が結べることを祈りつつ、大好きな野球は平和のためにあることを願っているのだ。

ポーランドと隣国であるというチェコ共和国
こうした機会に相手国への敬意を忘れないことだ
毎試合の序盤にもたつく日本代表に勝利は当たり前という傲慢はないのかと思いつつ。


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