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投球の精度と守備力ー「日本野球」が目指してきたもの

2021-08-08
五輪野球競技初の優勝
長嶋監督をはじめ野球関係者の悲願
投手を中心にした守備力こその「日本野球」

昔年、少年だった僕はMLBのシンシティ・レッズが来日する日米野球を後楽園球場の外野席で観ていた。レフトの照明灯の支柱を直撃するジョージ・ホスターのHR、ジョニー・ベンチの座ったままからの一塁牽制球、ピート・ローズの安打製造機と言われたバットコントロールと激しく華麗な走塁と守備に圧倒的に魅了された。彼らが宿をとる赤坂のホテルニューオータニまで自転車で駆けつけ、朝の球場への出発時にバスに乗り込んだ選手たちにサインをもらった。人混みに紛れてホスター選手の脇腹部分に、マジックインキで線を描いてしまったことも今は公言しよう。当時は「日米野球」と言ってシーズンオフになると、前年度の「ワールドチャンピオン」などのチームが「観光旅行」的な意味合いもあるかのように親善試合をするために隔年などで来日していた。あれからどれくらい経ったのだろうか?かの経験は僕自身に「本物の野球」を観たいという野望をもたらせたと言ってよい。ここ20年ほどの日本人選手の米国進出は、自ずと僕の視点をMLBに向かわせた。イチロー・松井秀喜・松坂大輔らを現地球場やスプリングトレーニングで観ることに執心する時期があった。第1回(2006年)第2回(2009年)WBCではあらためて心底、野球に陶酔した。そんな中で「五輪野球」は、アマ参加時代から混合となり次第にプロ野球選手のみで編成されるに至るが、「日本代表」が頂点に登り切れない不全感を伴いながら、僕ら野球ファンの中で燻っていた一つの「世界大会」であったといえるであろう。

こうした積年のモヤモヤを解消するように、対米国の決勝「2対0」というスコアでようやく「日本代表」が頂点に座った。次回パリ五輪では再び正式種目から除外され、「参加6カ国」という今回の「野球競技」から僕らは何を学ぶことができたのであろうか?冷徹に見つめるならば、2位米国代表も3位ドミニカ共和国代表も、召集された選手は「代表」と言えるほどではないのが現実だろう。MLBの中心選手はまず招聘できないことは、大谷翔平選手などが「日本代表」になり得ないことを考えればすぐにわかる。前述したWBCがMLB機構の主催であって、いささかは米国やドミニカにMLBのトップ選手が招聘されたことを思うと、「五輪野球」の頂点が「世界一」なのかどうか?を疑問視する声も少なくはない。MLBのシーズンごとの頂点を決める試合を「ワールドシリーズ」と呼称している「王権」のような構造を塗り替えるのは難しいのが実情だ。敢えてその支配に風穴を開けたと見なせるのは、MLBの歴史に刻まれたシスラーの記録を書き換えたイチローと、(ベーブ)ルース以来ともなる翔平の活躍ということになる。敢えて「五輪野球」に否定的な面も書き連ねたが、この実情を知った上で僕らは「日本野球」を公正に評価する必要がある。少なくとも「昭和」の時代には「子ども扱い」のような試合であった「日米」の差が、大きく縮まったのは確かである。MLBを含めた「世界一」の野球界で堂々と誇れるのは、投手の精度を中心とした守備力である。今回の五輪優勝に至る道でも、若手投手の精度と度胸を兼ね備えた小気味好い投球には痺れた。同時にその投手の力を十二分に引き出す捕手のリードと投手交代を適切にこなすベンチワーク、これが「決勝」で米国を「0封」した勝因である。NPBで誇れる投手陣は過去のMLB日本人選手の実績に鑑みても、十分に「世界」で闘える力を持っている。同時に野手においては走攻守のどれもが欠けることのない総合力が必要なことも、この大会を見ていて痛感した。要は「打てばよい外野手」では「世界」は見向きもしないということだ。MLBへ向かう選手に投手が多いのも、「日本野球」の大きな特徴である。考えてみれば長嶋茂雄監督の現役時代は、明らかに走攻守の三拍子に長けていた。打席のみならず一つの走塁や守備機会までも見逃さずに観たい選手であった。僕ら野球ファンを含めて、厳しくそして楽しく「日本野球」の力を評価してこそ、明日の「世界野球」があるのだと思う。「世界」という意味は、多くの人々の笑顔が球場で見られるということである。

やはり野球には人生が見える
投球のリズムこそが攻撃の起点となる
「世界」を視野に「日本野球」のさらなる成長を期待したい。


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冷静かつ度胸の投球ー長嶋監督とともに観ている五輪野球

2021-08-05
TOKYO2020野球競技
アテネの北京の思いをいまここに
長嶋監督や元プロ野球選手らと応援する気持ちで

正直なところ、開会式に長嶋茂雄さんが聖火の走者として参加されたのには、むしろ辛い思いを抱いてしまっていた。だが報道によれば、この日の準決勝前に日本代表稲葉監督に、長嶋さんから激励の電話があったのだと知った。思い返せば2004年のアテネ五輪で日本代表野球チームを指揮するはずであった長嶋茂雄監督は、大会前の3月に病に倒れ五輪で指揮を執ることはできなかった。そこから17年間、北京五輪では星野仙一監督が指揮を執ったがメダルには手が届かず、何かと悔やまれることの多き五輪の野球競技である。奇しくもその頃に並行して開催された2006年・2009年のWBC日本代表チームは2連覇、五輪競技から野球が除外される憂き目もあり「世界一」という栄誉はMLB傘下で開催のWBCに移っていった。そしてTOKYO2020での野球競技復活、米国代表がMLBの主力選手ではないことや、韓国代表もベストな布陣とは言えない状況ではあるが、やはりここで「五輪日本代表」の「けじめ」をつけたいような野球ファンとしての思いは強い。

この日の準決勝でも、注目するのは若手投手陣である。先発の山本由伸投手は宮崎県都城高等学校出身でキャンプを宮崎で張るオリックスの選手である。立ち上がりこそ固くなり走者を背負う苦しい投球となったが、無失点で切り抜けその後も安定して「5.1イニング94球被安打5奪三振9失点2」という内容で先発の役割を十分に果たした。回転の良い4シームとスプリットに加えて「スラーブ」とでも呼べる球種の緩急で安定感ある投球を見せた。何よりその常に冷静な表情には、頼もしさが感じられる。さらに7回・8回をきっちり抑えた伊藤大海投手、直球でストライクが先行する投球には惚れ惚れとするものがあった。実は試合前から僕は、ある元プロ野球選手にメッセージをして交信しながらの観戦であったが、彼も「度胸があるのがいいね!」と伊藤投手の投球を讃えていた。彼も長嶋監督には深いご縁のある元投手、そんな意味では長嶋さんもきっとTVの前で喜んでおられるだろうと思うと、積年からの思いが込み上げて来た。現在の日本でも「若者は・・・」などと何かと言われがちであるが、野球日本代表の若き投手たちの冷静さと度胸を観るに、この社会を未来へと豊かにつなぐ責務が僕らの世代にはあることが再確認できたのである。

同年齢の元プロ野球選手との交友
あらためて野球への情熱を再燃させる
長嶋監督!あと1勝へともに闘いましょう!


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リーダーはどこにいるのか?

2021-08-03
野球日本代表
サヨナラ勝ちではあるのだが
諸々の分野にてリーダー不在の時代

もう12年も前のことになった、野球日本代表が第2回WBCでイチローの決勝打で優勝した。僕自身も野球熱が高い頃で、決勝のロスの地まで仕事の無理を押して強行に赴いた。また大会前に日本代表合宿が行われた宮崎の地にも、初めて訪れた機会であった。まさかその4年後に宮崎の地で仕事先を得て移住するとは夢にも思っていなかった。(2013年にも第3回WBCが開催され引っ越し準備をしつつ代表合宿を観に行ったのであるが)代表合宿が行われた「サンマリンスタジアム」までは、現在の居住地から徒歩圏である。きっとあの代表合宿によって、神様は僕を宮崎に導いたのだ。その代表合宿の際に印象深かったのは、言うまでもなくイチローのチーム内での姿勢である。特に「キャプテン」と定められたわけではないが、自ら入念に工夫した練習をする姿を見せてメンバー全員を鼓舞していた。また他の選手の打撃練習の際には、休むことなく外野の守備位置につき、背面キャッチなどを見せつつ打球勘を養っていた。その練習姿にスタンドから大きな歓声が上がっていた。これこそがプロのリーダーの生きた姿だと目に焼き付けた。

当時の日本代表のほとんどがイチローを慕っていたはずだが、特に川崎宗則の弟子のような言動は目を引いた。イチローがクールに決めるならば、”ムネ”は熱く声を出してチームを盛り上げる。06年第1回WBCで培われた”ケミストリー”(化学反応)が、さらに尊大な力になっていることが感じられた。09年の大会中にイチロー自身は打撃不振に悩み、有名になった決勝打は放ったものの大会後に神経性胃炎になってしまった。シアトル・マリナーズのキャンプ中から「故障者リスト」入りし、開幕から数週間は試合に出ない日々を送っている。たぶん自らの打撃不振のみならず、日本代表を引っ張り第1回06年大会に続き優勝するという重圧が彼にのしかかっていたのであろう。09年WBCの2連覇の大きな要因はイチローのリーダーシップだと、代表チームが形成された合宿から可能な限り球場で直接にチームを観た僕は実感した。長々と思い出を綴ったが、昨日のTOKYO2020野球日本代表の試合を観ているに、「サヨナラ勝ち」という結果はよしとして「リーダー不在」が顕著に感じられるチームに映る。しかもこれは「野球日本代表」のみならず、「日本社会」が抱え込んだ大きな問題のように思えてくる。自らの実績のみならず、自らがプロとする分野で世界を相手に先導する存在。ある証券会社のCMに「イチロー社長」と仮想するものがあるが、今まさに世界を見渡しこの国の凋落を救うリーダーの出現が待たれているのではなだろうか。

自ら行動し姿勢を見せるということ
言動に哲学が感じられるとうこと
身捨つるほどの野球はありや


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ショートストップの栄冠ーTOKYO2020ソフトボール競技に寄せて

2021-07-28
ソフトボール日本代表優勝
もちろん投手・上野さんも偉大であるが
ショートストップ・渥美万奈さんの守備による栄冠

ソフトボール日本代表が、五輪決勝で米国を2対0で下し金メダルを獲得した。2008年北京大会でも決勝で米国を制しての優勝であったが、その後の2012ロンドン五輪・2016リオ五輪でソフトボールが正式種目ではなくなってしまい、日本のソフトボールは13年の時を待たねばならなくなった。その間、複雑な思いで現役投手を続けていたであろう上野由岐子投手は、2019年には試合で打球が顔面直撃などの不運にも見舞われたが、見事にこのTOKYO2020で13年前とは違うスタイルの投手として栄冠を再び掴んだ。いま「違うスタイル」と記したが、08年の際の速球(ライズ系)で抑え込むタイプではなく、コーナーに上手く制球しドロップ系やチェンジアップ系の緩急を上手く取り混ぜた「打たせて取る投球」スタイルの投手として円熟味を増したと言ったらよいだろう。昨晩の決勝も含めて、その「打たせて」を支えたのがショートストップ・渥美万奈さんの鉄壁で奇跡的な守備であった。僕自身が野球をしていた時にショートを守っていたこともあり、ソフトボールや野球では「ショートストップ」の守備こそが、チーム勝利の鍵を握ると考えている。二塁手とともに二遊間が強いチームでないと、真に勝利できるチームには仕上がらないのがソフトボールである。僕が高校教員として監督をしていた際も、まずはバッテリー、次に二遊間に能力の高い選手を起用するのが定石であった。

今回のTOKYO2020・ソフトボール競技の日本代表戦はことごとく生中継で観た。2対1で唯一敗戦した予選の米国戦を含めて、日本代表の強さの秘密は明らかに守備であった。本塁打が多く出た序盤の闘いではどうしても打撃面が話題となったが、ソフトボールは元来が「ディフェンシブ」な競技である。投手の手からボールが離れるまで走者は塁をリードできないとか、あの大きさのボールはそうそう遠くまで飛ぶものではない。「ソフト」という名称で勘違いしている人もい多いのだが、高校まではゴム製だが大学・社会人は革製で縫い目も高く硬式野球のボールと何ら変わらない硬さなのである。その上、塁間が短いので守備は一瞬のミスが許されない。TV中継の実況や映像がそこまで伝えないのだが、今回のMVPはショートストップ渥美さんだと僕は思う。三遊間の安打性を何気なく一塁で刺すこと幾度となく、バント処理後の二塁送球でアウトを取ったのち切り返しての一塁送球ダブルプレー、そして決勝で三塁手がグラブに当てて弾いた鋭い打球を好位置にバックアップしていたことで直接捕球し、すかさず飛び出した走者を二塁上でフォースアウトにしたダブルプレイ。あまりTV映像ではわからないが、いずれも打者や配給に応じた守備位置取りの妙が前提にある。名の如くこうした「ショートストップ」渥美さんの守備なくして日本代表の栄冠はなかったといってもよい。さらに言えば渥美さんは9番打者であるが、決勝の1点目の叩き付けた打球の内野安打、さらには予選リーグメキシコ戦でサヨナラ勝ちに導く走者3塁のエンドラン(これも叩いて高いバウンドの内野ゴロを打つ)など、渥美さんの打撃面の功績も忘れてはならない。力任せではない緻密かつ堅実な守備、我々日本人が世界で再び力を見せるにはどうしたらよいか?ソフトボール日本代表チームが、そのヒントを提示してくれたのである。

一球一球に根気をもって精密に守り切る
打球の可能性をデータと状況から判断し的確な位置どりを考える予知能力
米国発祥の競技を日本文化らしさを活かし新たな競技に仕立てた勝利と言ってもよいだろう。


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勝つと思うな思えば負けよ

2021-07-23
「負けてもともとこの胸の」
もとより「勝つ」とは何であろうか?
再びソフトボールから学ぶこと

世間は4連休、暦や手帳が印刷される際はまだ確定しておらず、手帳主義な僕はこの月曜日19日に祝日の感覚が拭えず、急場な感じで連休初日を迎えた。だが前期の7月前半までの忙しさが身に沁みていたので、この日はゆっくりして再びTVでソフトボールを観戦した。前日の豪州戦に比して予想通り厳しい闘いに、2008年頃の感覚だと明らかに豪州の方が強敵なのだが、メキシコ代表のチーム力は明らかに高かった。連投で上野由岐子さんが先発、前日の反省も活かして立ち上がりからさすがな投球を見せていた。5回に本塁打を浴びて1対1の同点とされるも、日本代表が1点を勝ち越した6回は走者を二塁に背負うものの中軸打線を打たせて取り最終回を迎えた。ここで多くの人は、上野さんの完投勝利を思い描いたであろう。だがメキシコベンチの選手たちはこの追い込まれた場面で試合を楽しむかのように盛り上がり、走者を出して無死一・三塁から中堅手が取れるかと思うような当たりが安打となり同点。(*中堅手が捕球するに越したことはなかったが、それでも犠牲フライとなり同点は免れなかっただろう)その後、上野さんは続投するもライズボールが主審のマスクを直撃、ここで主審が首をケアする時間を取ることになり、上野さんの投球リズムが完全に失われた。

救援登板したのは弱冠20歳の後藤さん、前日も好投はしていたがこの窮地での登板は大きな重圧があったであろう。しかし逆転のピンチを冷静かつ繊細な投球で好救援、延長タイブレーカー(*前イニングの最後の打者を走者としてイニングの最初から2塁に置いて点が入りやすくする促進ルール)に入り、無死一・三塁のとされてから三者連続三振と見事に日本代表の窮地を救った。8回裏に一死三塁から日本代表はスワップ(叩きつけるようにして高いバウンドの内野ゴロにする打法)して三塁走者がスタートするエンドランを敢行、見事に本塁に滑り込みセーフ。誠にソフトボールらしい決勝点のもぎ取り方で予選リーグ2勝目を飾った。さて、この試合を見て学んだことを覚書としておこう。試合前のメディア報道も試合後のインタビューでも、「今日誕生日の上野さん」が常に語られていた。2対1で最終7イニング目も続投した上野さんのに「誕生日完投勝利」という、さも日本メディアが喜びそうな見出しをベンチまでもが妄想したことが気になる。(*監督インタビューでそんな趣旨の発言があった)一つに家族のようなチームワークであるように見える日本代表チームの「家族愛」の美談を作ろうとしたのは確かだろう。だが冷静に試合を見つめれば、連投で微妙に疲れの見える上野さんを「完投主義」で続投させた判断は、今後の米国・カナダなどとの試合での「誤ち」につながらないのだろうか?好救援の後藤投手にこれだけ抑えられる力量が首脳陣に見極められていたなら、7回当初からの登板の可能性も探るべきではなかったのか。あくまで「結果オーライ」でこの試合を勝利したことを、日本代表は省みておくべきだろう。あらためて、最終7回を1点差で「勝つ」と思い込んだ油断に恐さがある。前述したように劣勢でもベンチで選手たちが楽しんでいたメキシコ代表の心にも、多くを学ぶべきではないか。

美空ひばり「柔」には
「せめ今宵は人間らしく 恋の涙を 恋の涙を 噛みしめる」こんな歌詞もある。
メディアが作ろうとする「物語」を注意深く拒みながらスポーツ観戦をしたいものだ。


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夢の甲子園ー野球と短歌と

2021-03-21
「手にしたる選抜旗の青ひるがえし野球部の声響く春、天」
(選抜高等学校野球大会中継・出場校紹介に提示された短歌より)
僕の目指した甲子園

日本で野球を志した者なら、誰しも一度は「甲子園」を夢見たことだろう。少年野球をやっている頃は自分の力量など度外視で、「甲子園→プロ野球」などと強く志を持つ。それこそがまさに「夢」なのであり、日本の野球はこの憧れで成り立っているといっても過言ではない。選抜高等学校野球大会が開幕して観客や応援の制限はありながら、「甲子園」で試合ができていることに安堵を覚える。1年前の「中止」は誠に心痛が深かった。その今年の「選抜」に、地元・宮崎商業高等学校が出場し1回戦を闘った。序盤2点を失った後に1アウト・ランナー1・3塁という好機があったが得点できず、その後1点は返すものの更なる点を許し結果は7対1で甲子園を後にすることになった。惜しまれる点は多々あるだろうが、まずはあの「甲子園」で闘えたことを大きく讃えたい。

宮崎県は公立高校と私立高校の野球のレベルが均衡しており、ある意味で健全な「高校野球」が存在する稀少な地域といえるかもしれない。市内の県立高校で進学にも力を入れているところが「甲子園出場経験」もあり、広島・巨人でプレーしコーチとしても定評がありながら夭逝した木村拓也さんも県立宮崎南高等学校の出身である。僕自身の初任校が東京の「私立強豪校」であったので、公立とは違い様々な面で「野球」に力を入れられることは痛いほど知っている。前述した「甲子園→プロ野球」という夢の図式が、皮肉にも高等学校に「プロ野球選手養成」を躍起にさせてしまう要素がある。この世情に反するという意味で、宮崎の高等学校野球のあり方には注目したいと思っている。さて、宮崎商業高校には懇意にする先生もおり、当校は短歌甲子園の常連実力校である。昨日の中継の「学校紹介」で文芸部の生徒さんの冒頭の短歌が紹介されたのはよかった。嘗て教員として部長にでもなって甲子園のベンチに入ることを夢見た僕は、今や「短歌甲子園」の高校生らの熱い歌に夢中になっている。何の因果かこの健全な宮崎で双方の「甲子園」を見守ることが、真に僕のやりたかった「夢」だったのかもしれない。

宮崎商業高等学校の健闘を讃え夏への奮起を期待する
そして夏にはまた「短歌甲子園」の熱い闘いもある
希望ある高校生を育てるために世界を視野に「甲子園」を考えたい。


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「今年のプロ野球は面白い」オンラインLiveトーク

2021-03-20
中畑清さん・槙原寛己さん
今年の見どころを語る90分
スポニチ新聞提供 zoomLiveイベント

Web上の情報から、冒頭に記したようなオンラインイベントを申し込んだ。キャンプの取材で宮崎を訪れていた槙原寛己さんと偶然出会ってから3年。今年はコロナ厳戒のキャンプであったゆえにお会いできなかったが、何かあるごとにメッセージをお送りすると必ず返信を送ってくれる。今回もこのイベントに申し込んだことを連絡すると「観られるのですね!頑張ります」と返信があった。偶然の出逢いというか運命の出逢いというか、槙原さんとは同級生である。それゆえに槙原さんの現役時代の功績を詳細に知り尽くしていた野球への愛着の深さが、この関係を築けた大きな要因だと思う。少年時代に暫くは「プロ野球選手」を志していただけに、同級生の「プロ野球経験者」がどのような生き方をして来たかを身近に知ることは、僕の人生の上でも大変に大きな意義がある。

オンライントークでは、各球団の戦力分析・注目選手や順位予想まで、中畑清さんの明るいトークに導かれ常に和やかな語り合いとなった。特にパ・リーグの強さが目立つ昨今のプロ野球情勢において、いかに変化をもたらすかという話題には注目した。槙原さんは「オリンピックはまだ見通せないが、その野球競技で優勝すればまたプロ野球選手らの思いにも火が付く」といった趣旨で国際大会の重要性を語っていた。2004年北京五輪の長嶋監督が倒れて後の代行・中畑監督の悔しい結果、その後、06年09年WBC2連覇、確かに2000年代のプロ野球は国際大会に支えられていた。さらにトークでは、89年日本シリーズ「近鉄対巨人」の3連敗から4連勝で巨人が日本一という際、代打中畑清の本塁打。94年「西武対巨人」での槙原寛己のMVPなどが語られた。あの当時、確かに僕自身もプロ野球には熱くなっていた。緊張感ある日本シリーズ、一戦の一投一打が見逃せない緊迫感があった。国際大会の負けたら屈辱というような切迫した日本シリーズ、この両雄のトークが日本プロ野球に今一度そんな火をつけて欲しいと願い、槙原さんに感想をお送りした。

豪華投手陣の楽天にも注目が集まる
桑田真澄さんのみならず、この世代の人たちがプロ野球を変えて欲しい
槙原さん!今年も解説を楽しませてもらいます。


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「プロ」であるといふこと

2020-02-11
50m走6.3秒以内・遠投90m以上
プロ野球入団テストを夢見ていたあの日
「プロ」となった多くの卒業生たちにも学びて今

宮崎は屋外スポーツの練習には最適な地であり、様々な競技のチームがプロアマを問わずキャンプ地としている。選手のみならず現役を引退し解説者等で活躍する方々にも出逢う機会が少なくない。昨年来、現役時代にある記録を成してその後はプロ野球でその偉業を成す者が出ていないという大投手と街中で出逢い懇意にさせていただいている。今年は双方の時間がうまく合致しなかったが、短時間でも挨拶と会話ができて貴重な時間を過ごすことができた。彼とは歳が同年で同じだけの人生の時間を過ごしてきたが、その内容は大きく違う。今年も話していて僕が「中学校までは野球をやっていた」ことを告げ、当時の少年野球事情などが話題になった。彼はその後、豪速球投手として甲子園も経験、高卒ドラフト1位として球界の盟主たる球団に入団しチームの柱の一人として活躍する人生を歩んだ。ある意味で誰もが評価し誰もが批判できる、厳しい人生で成功を収めて来たからこそ、今の解説者テレビ出演の仕事も充実しているわけである。

僕も中学校時代までは、本気でプロ野球に入りたいと思っていたことがある。大好きだったチームの入団テストの基本的な受験資格が冒頭に記した足の速さと肩の強さだと知り、それが可能になる体力をつけようと、ランニングや筋力トレーニングを計画的に実行していた頃が懐かしい。野球技術の本も何冊も読み漁ったが、通っていた中学校の野球部はまったく強いわけでもなく、技術が向上するわけでもなかった。高校に入学する頃には既にその「夢」が現実的ではないことを悟り、器械体操部に転身し高校時代は新たなスポーツの世界観を知った。野球も体操の折も技術書を読むのが好きで、書籍で学べば「プロ」になれると気づいたことは、僕が文学の道に適していると思った側面的な要因でもある。さらには、高校教員としての初任校がすこぶる野球が盛んで、何度も甲子園で応援する機会に恵まれた。教え子の中からプロ野球に進む者もいて、「プロ」を身近に感じることができるようになった。そこで初めてわかった!僕は「文学」と「国語教育」の「プロ」なのであると。同じ歳の大投手と人生を語り合うこと妙を、今は宮崎の地が叶えてくれている。

ちからなければ自由契約のプロの世界
苦難と弱点を克服していかに闘うか
今一度、野球をこだわって観てみようかと思う今日この頃である。


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野球人・アスリートとしての死

2019-04-01
「引退するということは、
 死を意味することに等しい」
最後までそしてこれからも鍛え変わり続ける男

イチローの引退表明から10日間が経過した。桜が咲き、新元号が発表寸前であり年度が更新されつつある。NHK特集でイチローの引退までの「最後の戦い」を観た。小欄3月22日付で「願わくば花の下にて春死なむこの如月の望月のころ」(西行)の如き芸術的アスリートの「死」ではないかという趣旨のことを書いた。驚いたのは、昨夜の当該番組でイチロー自身が「引退は(野球人・アスリートとしての)死である」といった趣旨のことをこの1年以内のインタビューで述べていたことである。それは決して「予定調和」でもなく、演出的な臭いがするわけでもなく、最後まで闘い抜いて「この如月の望月のころ」を迎えたことが思い知らされた。

「プロ」であっても現役引退を「死」と捉えて挑んでいる選手が、果たして何人いるだろうか?そこにイチローが単なる「野球人」ではなく、「アスリート」であるという深い意味も隠されているだろう。同時に「神戸」に球団が今も存在していたら、「日本で(プレーする)の可能性があった」と述べたあたりに、人や土地への深い愛着といった人間・鈴木一朗のこだわりも垣間見える。嘗て中高教員であった僕は、プロ野球やJリーグに進む卒業生の姿に刺激を受けて「文学」「授業」「国語」のプロになろうと決意も新たに大学院へ進み、大学教員への階梯を登ってきた。小欄を1日始発のルーティンに組み入れたのも、文章を書く脳力を少しでも目覚めさせるようイチローの日々の筋トレに近い行為として位置付けた。だが、果たして「この仕事ができなくなったら死に値する」というまでの志があるだろうか?この10日間で、僕自身が新たに覚醒しなくては、すべてが嘘になるのだと悟った。

ユーモアと人を愛する笑顔も
孤独すぎて独りでは闘えない
西行の「花の下にて春死なむ」を再考する春である。


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この如月の望月のころーイチロー引退の夜

2019-03-22
「願わくは花の下にて春死なむ
 この如月の望月のころ」(西行法師)
「死んでもいいと思うのは、こういう日のこと」(イチロー)

「実際には死にませんよ」と言いながら、イチローが会見で述べた「死んでもいい」には心底ゾクッとした。かの歴史に名を刻む歌人である西行が、冒頭に記した著名な歌を詠み、その通りにこの世での所業を終えたことはあまりにも有名だ。この夜は「旧暦二月十五日」であり、東京では桜が開花したと云う。東京ドームで開催されたMLB公式開幕戦にて、イチローは選手として終止符を打った。約1年間のシアトル・マリーナーズでの選手と会長補佐としての特別な過ごし方に、イチロー自身も忘れられない深い感慨を抱き、この夜を迎えたようであった。まさに現代の西行のような芸術的とも言える引退のあり方だ。

会見での語録を今朝の小欄のみで語り尽くすことは難しいゆえまたの日に譲るとするが、頭に浮かぶ感慨のみをここに記しておきたい。アリゾナでのキャンプで、ネット近くにいる日本人女性ファンから「イチローさん好き」と言われて、「朝から告白されてもね」と答える茶目っ気。僕自身はキャンプ地やシアトル・セーフコフィールドで、「フェイクイチロー」と地元ファンに称され、深くファンらと交流機会が持てたこと。(どうやらその当時の髪型とサングラスで「フェイク」に見えるらしい)イチローの車が駐車場から出て行くところで、そのファンらに押されて着ているレプリカユニフォームの背番号を向けられ本人に示したこと。セーフコフィールドの右翼後方の席から、タッチアップの走者をレーザービームで刺した守備を生で観られたこと。そしてあのロスでのWBC決勝の優勝の空気にスタンドで浸れたこと。僕にとってがすべてが、人生の大きな思い出である。

こうした生活ルーティンそのものが
イチローさんへの尊敬から発するものでもある
ありがとうイチローさん!野球の「研究者」として僕らの仲間として活躍して欲しい!


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