ブーイングには愛情ありき

2018-05-09
大谷翔平の敵地初登場
ボールパーク全体から幾度となくブーイング
それは愛情のしるしだと・・・

MLBでここまで話題をさらう選手も、イチロー以来かと思うほど米国の野球ファンも熱くなっている。いや、イチローの際には最初からあれほどの選手になるという予測はシーズン当初になかったゆえに、この数カ月でこれほどの反響があった日本人選手は初めてかもしれない。何より投打ともに高水準のプレーを見せており、それはMLBに多くの強力な選手らが揃っていても、なかなか叶えられることではなかったわけである。もとより投手は投球に専念せよ、という考え方そのものが近代的分業制の発想なのか偏っていたわけで、ベーブルースのように投手であり本塁打王であるのが、野球選手の理想ではないのだろうか。例えばイチローなども、投手もやっていたらそれなりの成果を出していたのかもしれない。野球選手の目指すは「子どもの頃からエースで4番」であるのだ。

大谷がイチローのいるシアトルのボールパークで、大々的なブーイングを受けたと報道されていた。残念ながらイチローとの対戦は実現しなかったが、そこである種の洗礼を受けたことは一流を認められている証拠でもある。古語に「にくし」という語があるが、「あっぱれである・感心である」という意味があり、対象が「癪に触るほど立派だ」という趣旨に由来するわけだ。「心憎いプレーでした」という現代語に、その趣旨は十分に遺っている。どうやら陰湿な非難は得意なくせに、公の非難を忌避する日本人的な観戦姿勢では、なかなか理解することはできないものである。思い返せばNYヤンキースの名遊撃手・ジーターには、ライバルチームであるボストンのファンであった僕は、心の底からブーイングしたことがある。ラインナップが発表された時点でボールパーク全体から歓迎のブーイングが沸き起こる。だがジーターが引退する際は、ライバルチームファンとして誠に愛惜の気持ちが極まったものである。批判的言動は「愛」なのである、それは議論でも同じであるはずなのだが。

結果を出し怪我にも強い
とんでもない野次の飛ぶ日本野球の観戦姿勢は見直すべき
真に野球への愛情を持った観戦をしたい。
スポンサーサイト
tag :

「野球の研究者になりたい」イチローの生き方

2018-05-05
「会長付補佐」という役職
シアトル・マリナーズとの相思相愛
50歳までやるための生き方なのか・・・

イチローの「今季試合出場なし」という報道が、日本でも一斉になされた。されど来季の選手登録の可能性には含みが持たされた内容。「引退」という一般的な語彙ではなく、やはり誠にイチローらしい哲学の上に、この日の発表はあるように思う。シアトル・マリナーズと再契約した2ヶ月前から、MLB関係のサイトなどでは「最後の花道」というような見方もあり、球団は大変複雑な決断を迫られるといった辛口の報道も目にした。球団史上の歴史的な偉業を成した選手として、またイチロー本人にとっても愛すべき球団であり土地であるシアトル。将来の殿堂入りが確実視されている功労者を、決して「自由契約」にはできない球団が、イチロー本人の意志を最大限に尊重した形の方向性を打ち出したということだろう。たぶん、日本の報道やファンには分かりづらい内容であるのは間違いない。

イチローの会見で何より目頭が熱くなった発言内容は、彼にしては熟慮し言葉を選んだ後に述べた「野球の研究者になりたい。」である。僕自身が「研究者」であること、そして人生を賭して取り組んでいるものへの限りない愛着、外側から「研究」するのではなく自らが「アスリートとして野球選手としてどうなって行くのか?」という実践的な「研究」であること、などに心が揺さぶられた。僕自身も自らが取り組む「研究対象」に限りない愛着はあるが、果たしてイチローほどかと、やや自らの姿勢を恥じる思いも募った上での熱き目頭なのであった。あくまで「実践」を旨とする、自らをその標本・実験台のように叩き上げる。「短歌研究」をするものとしてまだまだ甘い自らの姿勢を、イチローに指摘されたような思いが募ったわけである。そして約10年ほど前によく観戦に訪れた、シアトルのセーフコ・フィールドを思い出した。

さらなる野球哲学の構築
並みの選手では、できない生き方を続けて欲しい
人生に決して引退などないのであるとあらためて思うのである。


tag :

いつも「同じ」であるという期待

2018-04-19
大谷翔平、投手として先発
2イニング4安打3失点で降板
こんなときもあるよね

もう15年ぐらい、ボストンレッドソックスの熱狂的ファンである。それゆえに大谷翔平が先発するこの日の試合結果には、微妙な思いを抱かざるを得なかった。日本のメディアは、こぞって大谷礼讃を派手にぶち上げる。その報道に対して、「アンチ」的な気分で接しなければならないからだ。いやむしろ現状の日本社会を考えたとき、僕のように”へそ曲がり”の存在こそが必要なのではないかと思ったりもする。嘗てボストンのフェンウェィパークで観戦したとき、偶々、松井秀喜さんが所属するアスレチックスとの対戦であった。日本人のご婦人二人が話しかけて来たので、あれこれ球場の名物などを講釈申し上げた。するとご婦人方は「なぜ松井さんを応援しないのか?(敵方チームのボストンを応援するのか?)」と僕に疑問を呈した。どうやら「日本人なら日本人選手を応援するのが常識」という感覚を抱かれているようであった。僕は迷わず「信念をもってボストンを愛してますから」と答えておいた。

大谷が先発するとなると、前回登板のようにまた「パーフェクト」に近い投球をするのではという期待感だけの「空気」が高まっているように思う。だがそれは、メジャーを十分に熟知した上での期待ではない。確かにメジャー初年度の滑り出しとして、大谷の適応力は群を抜いている。その大谷が挑戦したいと思い続けた偉大な野球の次元が、メジャーにはあると思う。むしろ大谷が本当にメジャーで1流になるためには、まだまだ洗礼たる困難が必要であるはずだ。現状のMLB全球団でで開幕から勝率1位のレッドソックスは、先頭打者ベッツの本塁打からして容赦なく大谷に襲いかかった。試合全体で6本塁打10得点、これを見せつけたことが大谷をさらなる次元に掻き立てるだろう。メディアを始めとする日本社会は、「(選手は)いつも同じように期待できるもの」と捉えがちだ。大谷自身がインタビューで語っていたが、生身の選手は「いつも同じではない」のである。この社会的期待が、これまで多くのスポーツ選手を潰してきた。もちろんこれは、日本社会の歴史的「悲劇」の同線上にある。

愛すべきは批評せよ
まだ真のメジャー選手になっていない大谷
日本人選手だけが通訳を介してインタビューに応じるのも僕には滑稽に見える。


tag :

「どっしりした構え」は適応力

2018-04-13
大谷翔平に対するイチローのコメント
「どっしりした構え」には様々な意味があろう
何事も強引や躍起よりはこの余裕を持ちたい

球聖と呼ばれるベーブ・ルース以来の選手と辛口の米国メディアが注目するほど、大谷翔平の評価は鰻登りである。メジャーへ移籍してすぐさまこのような結果を出した選手も、イチロー以来かもしれない。シーズン前のオープン戦でメジャーの投手にタイミングが合わないと判断すれば、足を上げる打撃フォームから摺り足のフォームへと変えた。またよく日本のメディアが適応しづらい要因として挙げる「滑るボール」など、まったく問題外のように直球も変化球のコントロールもよろしくボールの縫い目に指がかかっている印象である。さらには多くの日本人メジャー移籍選手が、髭をたくわえるなど風貌を変えるものだが、大谷はまったくといっていいほど日本にいる時と見た目にも変化がない。つまり自分のペースでまさに「どっしり」と米国で野球をやっているのだ。

力が上の世界に入り込む際というのは、なかなか「己」を保つことは難しい。往々にして強引な力技に走ったり、地に足がつかないような躍起になった言動が目立つのが凡人であろう。「熱さ」ももちろん大切ではあるが、それが「力み」になっては何の意味もない。むしろ「冷静」にいかにじっくり構えて、一つ一つの状況を味わえるかという余裕が求められるように思う。たぶんこれは「教員」であれ、多くの社会人としても必要な「構え」ではないだろうか。また日常の食事でもただ躍起になって食べるのではなく、素材を味わい味付けに適した「食べ方」をすべきであろう。酒好きで有名な若山牧水も「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかにのむべかりけれ」(『路上』)と詠んでいる。酒呑みであればこそ「歯にしみとほる」ほど、「どっしりした構え」が必然と言えるのだ。

適応力
様々な角度からの視野
「どっしりした構え」実は容易なことではない。


tag :

「耐性」をつけて再び Ichiro!!!

2018-03-09
シアトルに帰ってきたイチロー
以前より「耐性」を身につけたと弁
50歳までプレーしたいという進化形が見たい

10年ほど前になろうか、シアトルの街によく滞在した。一つには、ワシントン州立大学に日本文学研究の優秀な研究者がいたこと。そしてまた、イチロー選手がシアトルに在籍していたことが足繁く僕を通わせた理由である。2006年に最多安打記録を更新し、既に伝説の領域に入っていたイチロー選手のプレーを生で観るのは、当時から上昇志向の強かった僕にとって大変刺激になった。試合前のアップの入念さ、守備についた時の毎回寸分の狂いのない動作、そして打席に入るまでの集中度とその柔軟で広角な打撃。所謂「レーザービーム」も普通なら簡単にライト犠牲フライになるものを、本塁で刺した場面も目の当たりにしたことがある。その胸の奥のゾクゾクした感覚は、研究者としてさらに上を上を目指したいという僕自身の野望を燃え盛らせた。そういうう意味で、年齢の上下は関係なくイチロー選手は「師匠」とも言える存在だと思っている。

シアトルの街の人々もまた、イチロー選手を愛している。前述した「レーザービーム」を観た翌日のランチに中華街に行くと、人気店で席が満席だった。待合席に座ると横になった老夫婦が、「昨夜のレーザービームは興奮したね」(元は英語)と話し掛けてきた。僕が日本人というだけで、イチロー選手の話をしてくれる。そんな心意気が、シアトル市民の中に根付いているのを感じた。僕は一人であったから空いた席を先に老夫婦に譲ると、彼らは店員に直訴して「彼は僕らの前から待っているんだよ」と優しく告げていたお爺さんの顔が忘れられない。また珈琲を買いに(店舗発祥の地である)スタバに入れば、店員もオーダーを聞きながら「昨夜はナイスゲームだったね」と僕に一言をかけてくれていた。もちろん、僕がマリナーズのTシャツを着ているからなのであろうが。そのシャツや51番のレプリカユニフォームはしばらくの間、僕の押入れの中で眠り続けていた。ヤンキースが心情的に好きでないことや、宮崎に来てからなかなか渡米できなかったこともあり、2チームに在籍したイチロー選手を僕は生で観ていない。それも何かの縁であろう。そしてまたイチロー選手がシアトルに戻って来た。その会見の中で気になった発言は「耐性」が以前よりついたというもの。その意味は、彼が再びシアトルのフィールドで妙技を魅せれば、はっきりとわかるであろう。

“Are you Ichiro’s brother?”
シアトルでよく街の人に声を掛けられた
僕もまた「耐性」を身につけつつある日々である。


tag :

あの頃のプロ野球はいづこへー宮崎キャンプ60年記念OB戦観戦

2018-02-12
長嶋茂雄監督対野村克也監督
高橋由・篠塚・松井・王・中畑・原・・・投手・桑田
自らの青春が宮崎に蘇る

昨日は心の花宮崎歌会のことを記したが、一昨日のことでもう一つ記したいのがこれ。自宅から徒歩20分ほどで、巨人軍が宮崎キャンプを張っている球場に行くことができる。これもまた一つの縁で、東京の実家から後楽園球場までは自転車で20分ほどであった。父が猛烈な長嶋ファンであったこともあって、幼少の頃から野球中継をよく目にした。もちろん必然的に巨人ファンとなり、野球に夢中だった中学生の頃はよく友達と後楽園球場で巨人戦を観戦した。以後、概ね2000年前後までは、所謂”巨人ファン”として職場などでも有名な存在であった。中学生だった頃に王貞治さんの714本・715本のベーブルースを超える本塁打を球場の外野席で目の当たりにした。またその年の日本シリーズ、確か「対阪急ブレーブス」だったと思うが、巨人軍が宿舎にしていた旅館の玄関先へ行って、王さんに握手をしてもらったことがある。他にも当時の多摩川グランドなどでも多くの選手に生で会うことで深い親しみを覚えていた。

一昨日は午前中から雨で試合の開催が危ぶまれたが、1時間ほど遅れて試合が開始された。冒頭に記したスタメンには、懐かしき心が踊らされた。V9時代の選手から長嶋監督時代の選手まで、まさにそれは僕自身の”巨人ファン史”そのものである。先発の桑田真澄さんの投球は、裕に120Km台を記録する。高橋由現監督は相変わらず初球から必ず振り、松井秀喜さんの下半身の座った構えからの鋭い打球も健在。篠塚さん・中畑さん・原さんら、長嶋監督が敢行した所謂「地獄の伊豆秋季キャンプ」世代にはやや歳を感じざるを得なかったが、役者揃いであることに変わりはなかった。そして何より感激したのが王さんの一本足の構え、さすがに球を捉えるには厳しかったが、その打席内での動作のルーテインが昔と何ら変わらなかった。僕はOB戦を観戦に行ったのではなく、自らの青春を観に行ったような感覚になった。それだけに残念だったのが、巨人軍が引退したばかりの30代(場合によると20代)の選手をメンバーに入れて、その選手が現役時代の実績を超えてこのOB戦という場で活躍するという展開そのものに、僕が2000年前後で巨人ファンから降りた理由までもが明確になった。それを見届けんがために、僕はキャンプ至近の地にいま住んでいるのかもしれない。

あの熱い野球への視線をもう一度
試合に熱さを覚えるのは今やメジャーになってしまった
だからこそ長嶋さんの「我が巨人軍は永久に不滅です」を反芻するのであるが・・・


tag :

寒さ厳しき球春のあり

2018-02-02
2月1日プロ野球キャンプ解禁
今年は全国的に異例の寒さが続く
せめて球春のことばに暖かさを抱きて・・・

今年で、巨人軍が宮崎でキャンプを開始して60周年になると云う。逆算すると1958年・昭和33年から宮崎キャンプの歴史は続いていることになる。「昭和33年」といえば長嶋茂雄さんが入団した年でもあり、そのことは記憶に残る引退スピーチの冒頭に明言されている。そのONを育て、栄光の9連覇を築き、その後も桑田真澄・松井秀喜など日本球界を代表する選手を産み育てて来たのが宮崎キャンプである。この歴史と伝統を考えるに、昨今はほぼ10日間ほどで沖縄の地に一軍が移動してしまうのが誠に残念である。一昨日には、市内中心部で昨年の日本一覇者である福岡ソフトバンクホークスがパレードを行い、沿道を多くの市民が埋め尽くしたという新聞記事を見るに、宮崎キャンプでの盟主は既に王会長がその座を引き継いでいるようにも思われる。

今月10日にはその60周年を記念して、ジャイアンツ対ホークスのOB記念試合が開催される。昨年のうちから情報を仕入れて既に指定席チケットを確保しており、今から観戦が楽しみである。長嶋茂雄監督対野村克也監督で、ジャイアンツOBも錚々たるメンバーで、またホークスOBは「南海」時代に遡るわけで、往年のファンにはたまらない一戦である。そのように思いながら、誠に残念なのはOB戦の方が現役キャンプよりも期待が高いことである。(少なくとも僕の中では)地元ではもちろん熱烈な巨人ファンも多いが、巷で聞く話には「巨人が来ると寒くなる」と云う、聊か揶揄した言い方がされることが多い。たぶん長嶋さん・王さんらはきっと自らを鍛え抜いた宮崎の地がこの上なく好きなのであろう。ソフトバンクが1ヶ月に渡ってキャンプに専念するのは、やはり市民にとっては心が動く要因ともなる。

さて果たしてOB戦はどんな試合になるのだろうか?
寒さのニュースばかりの中で球春のたより
宮崎という地の一つの生き方がここにも垣間見える


tag :

「信じたものはみなメッキが剥がれてく」再び

2017-06-09
「虎の威を借る狐」
他の権勢に頼って威張る小人物のこと
自らの汚点は他者への非難として自らを暴く

標題とした歌詞を含むサザンオールスターズ「栄光の男」という楽曲については、以前も小欄に記したことがある。昭和の代表的な「光景」といってよい長嶋茂雄現役引退の場面を、ある男が「立ち食い蕎麦屋」のテレビで観て、人生を深々と考えるという内容である。「巨人・大鵬・玉子焼」と言われた1960年代・東京五輪前後に展開した高度経済成長期にあって、「巨人」は絶対的な「強さ」のあるプロ野球球団として多くのファンを魅了すると同時に、様々な経済効果をもたらせた。やがて1970年代になるとオイルショックとともに巨人のV9も途切れ長嶋茂雄の引退となる。その引退セレモニーで放たれた「我が巨人軍は永久に不滅です」の名言には、僕も幼少ながら心の底に熱いものを感じた記憶がある。たぶん世代を問わず、この時代を生きてきた人々にとって、あの光景は心に刻み込まれており、一時代の終焉とともに過去の経済成長を夢見る社会が保存されたのではないかと思うのである。その後の80年代バブルを受けて、日本社会は「失われた」と評される時代に突入。今もまた空吹かし全開で出口の見えない迷走を続けざるを得ない状況が、続いているように思う。

長嶋茂雄が現役引退後監督に就任した1年目、巨人はシーズン最下位に沈んだが、その1975年に11連敗という球団連敗記録があった。その記録を更新する事態に現在の巨人は陥り、とうとう13連敗に至った。少年の頃から僕も「狂信的巨人ファン」の一人であったが、2000年代になった頃から「批判的野球愛好家」に転じた。その理由はまさに「メッキが剥がれた」と悟ったからである。過去の威光・権勢・財力・球団名・ユニフォームに依存した「野球」を妄信的に応援し続けることは到底できなかった。こうした過去に抗うように、権勢などより自らの哲学で野球に挑むイチローが米国に渡る。2000年代の僕はイチローを追い掛け、WBCの興奮に酔い痴れた時代でもあった。2010年代となって既に2度のWBCが開催されたが、いずれも結果が出ず。その中にあって、代表チームを牽引すべき巨人の選手たちの影が実に薄いのを痛感する。「箱庭」の中で風向きや芝目の影響を受けない「温室」野球の成れの果て。この球団連敗記録は、単に現在の球団組織構成の問題にあらず、こうした何十年にわたる自己改革なき体質が導いた必然のような気もするのだ。憂い深いのは、この13連敗という姿が社会を投影してしまっているのではという懸念である。あらゆる力に任せた一強政治、何をしても我が威光を「正義」とする傲慢な態度。この先に「球団記録」を越える「連敗」が待っている怖ろしさ。球団は批判されれば済むが、政治はこの国という船を沈ませやしまいか。「ファン」が厳しい「批判的」な視線を向けられない組織が、頽廃するのは必然であろう。

今こそが「過渡期」なのだ
野球の真髄を観るなら今や「広島カープ」
幕末がそうであったように、大きな地殻変動は地方から始まる。

tag :

4度目のWBCに寄せてー「野球」は社会を映しているか

2017-03-23
WBC準決勝敗退再び
「世界一奪還」などという標語が空しい
今の日本野球に求めたいことなど・・・

2013年WBC前回大会に続き、日本代表は準決勝で敗退した。しかも、06年大会で「世紀の誤審」を契機に敗退したが、失点率で生き残ったあの因縁ある「米国代表」が相手である。09年大会では同じく準決勝で快勝して韓国との決勝に進み、”あの”イチローの決勝打に結びついた。イチローといえば、今やMLBの選手の中でも殿堂入り確実で尊敬される存在である。振り返れば06年大会でもイチローは対米国戦初回に先頭打者HRを放ち、「日本代表」チームや我々ファンに「米国代表」とも対等に渡り合えるという勇気を与えてくれた存在であった。隙のない走塁、俊敏かつ堅実・強肩な守備、そして緻密な精度を満たした打撃、そのすべての要素において、「日本野球」が求めるべき理想像なのである。そしてもちろんMLBの経験を存分にチームメートに還元し、「米国」などへの劣等意識の払拭や、ライバル「韓国」と闘う姿勢を鼓舞する役割を担った。それゆえに当時の日本代表の選手たちからは、尊敬し慕われるリーダー役であったことは間違いない。この2大会連続優勝は、采配や好運という要素以上に、イチローという存在を日本球界が生み出していたことが大きかったのだと、今にして回顧するのである。今回前回の2大会で準決勝敗退が続いているのは、決して偶然ではないと思わざるを得ない状況だと思われる。

プロがプロたる所以、プロ中のプロであるか?一打一球における勝負の重み。そんな緊迫感を久しく「日本野球」では、観られなくなっているような気がする。往年の巨人対中日10.8決戦、日本シリーズやシーズン中にしても、「伝説化」するような名勝負が随所で繰り広げられていた。もしかすると稿者の思い込みで、日本野球をあまり観ていないからかもしれない。だが、こうした国際大会の際に観る「日本代表」のあり方にあまり心が踊らないのは、結果と比例して何か決定的なものが欠如しているからではないかと思わざるを得ない。勝負の結果に、「仕方ない」というのは簡単である。この日も、何人かの友人とやりとりしてこの言葉を目にし耳にした。だが敢えて緻密に昨日の準決勝を観たとき、日本の誇る投手陣が好投した中で、日本野球においての守備では名手であろう選手らの失策は、甚だ痛恨なものを感じた。なぜなら、その失策の動きそのものが、室内ドーム球場の人工芝に慣れ切った身体の為せる技だと思ったからである。箱庭の中では天候条件にも左右されず、受身でも安定して打球が守備者まで届く。だが雨と天然芝という可変的な自然環境では、自ら打球を捕球する能動的な動きが求められると思うのである。そして初回大会から11年の月日が経過するにも関わらず、ボールの違いへの適応如何を喧伝するメディア。(さらには芸能人レポーターの野球への無知。)この「過保護」な環境の延長線上に、ファンの発する「仕方ない」があるような気がしてならない。音楽を奏して一斉な掛け声をかける応援も、一つの楽しみ方であるが、やはり「野球」そのものを、どれだけ緻密に観るかというファンの次元が、その国の野球レベルを左右するような気がする。MLB現地球場でかなりの数の試合を観てきた経験からいえば、ファンは応援するチームの選手に「仕方ない」とは決して言わない。納得しないプレーには、野次やブーイングが乱れ飛ぶのを目の当たりにした。その妥協・迎合しない真に応援するファンの姿勢があってこそ、日常の試合に緊迫感が生まれる。考えてみれば、畏敬すべき自然を感じない箱庭での様々生活や教育、「仕方ない」と政治にも社会にも向けられる諦めの視線。嘗てON時代の野球が「昭和」の「気分」を映していたのと同様に、「日本代表」の姿は現状の社会を映し出しているのかもしれない。

ついつい長くなってしまった
野球ファンとして、では何をするかを考えたい。
日本代表が国内で、天然芝の屋外で実施した強化試合は宮崎だけだったと中継が伝えていた。
tag :

アンチテーゼの美学

2017-03-16
「反対の意見。対立する理論。」
({ドイツ}Antithese )
(『日本国語大辞典第二版』見出しより)

小中高大そして就職しても暫くは、熱狂的な巨人ファンであった。父が長嶋茂雄さんの大ファンであり、監督解任時には一夜にして某新聞の購読を断ったことは、我が家に鋭敏な理性があると子どもながらに印象的な出来事であった。「巨人ファン」であると必ず「俺はアンチだ」という人と出会い、その反論を聞かされることも多かった。特に大学生になってからというもの、そうした先輩後輩友人がたくさんいたが、なかなかその感覚に流れることはなかった。それが面白いことに、現職教員をしながら大学院に再入学し研究を始めた頃から、まさに自らがその「アンチ」の考え方なのだと自覚するに至った。もちろんそれは「研究」という立場は、「反対の意見。対立する意見。」を述べることが前提で成り立っているからであろう。冒頭に記した『日国』の第二項目には、「テーゼ(定立)に対する語。特定の肯定的主張に対する特定の否定的主張で、・・・」とある。ある意味でこの立場がなければ「肯定的主張」も成り立たなくなるのが哲学的理論である。だがしかし、学校空間では特にこの「否定的主張」を堂々とできる機会が妨げられているのではないかと思う節がある。今でも横並びで足並みが揃うことを美とする、閉塞的な考え方が跳梁跋扈していることがあるように思われる。

先日来、開催されているWBCの試合を観ていても、同様な「アンチテーゼ」の自覚が今回は特に強い。06年09年のイチローが参加した2回の大会に関しては、かなり入れ込んで「日本代表」を応援していた。それでも尚、球場に行ってスコアブックをつけたりしながら、冷静に分析しながら観戦していた自負はある。そのお陰で、球場の席が近くであった実に野球界に精通したLA在住の友人もできた。あの付和雷同的で集団的な”バット型メガホン”を掲げて音楽に合わせて一斉に同じ動作・掛け声を放つ行為を、「観戦」とは見なせない感覚がある。「野球」の真髄を見極めるのではなく、その「応援集団」に属することに安心感を覚えるような気分。投球や打球への”歓声””悲鳴”といった反応が、明らかに日米の球場で大きな差があることに気づいてしまったのだ。幸いにも全勝で、1次2次ラウンドを抜けて準決勝に進出した「日本代表」である。選手たちがその力を存分に発揮したゆえの結果であるが、投手継投を中心に首脳陣の采配への不安は大きい。試合をTV観戦するたびに、ある種の「アンチテーゼ」を弄した感覚を起動させながら、それを観ている自分がいる。こんな話題を、今夜は親友の落語家さんと懇談することになっている。

「俳諧は元来和歌に対するアンチ・テーゼとして発生すべきものだった。」
(俳句の世界〈山本健吉〉日本国語大辞典第二版 用例より引用)
「対立する理論」を封じ込めるような言動は、自らの存在を危うくするのである。
tag :
<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>