明治という近代の「矢田部良吉」を偲ぶ
2023-08-23
朝の連続TV小説「らんまん」「万太郎」が接した「田邊教授」のモデル
「矢田部良吉」植物学者であり新体詩運動の先駆として
現在、歌人や詩人であり研究者でもあるという人は多いとはいえない。特に「文学」を専門分野とする研究者で、文芸分野でも著名な人はほとんど見当たらない。昭和・平成・令和と時代が進むに連れて研究分野が細分化され、なかなか相容れないものと化してしまったからだろう。むしろ研究対象は「文学」とはかけ離れているが、細胞生物学者で京都大学名誉教授の永田和宏さんや情報理工学者で東京大学教授の坂井修一さんらは、歌人としても結社の中心であったり受賞歴も数多い著名な歌人である。研究分野はむしろ「理系」、日本の高等学校教育では早期段階で生徒に「文理」を決めさせていることに大きな疑念を抱かざるを得ない。ある意味で「文学・文芸」こそが教養人に求められる資質の一部だとするなら、明治という時代の開拓期の研究者のあり方は興味深い。ちょうどNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」に登場する「田邊教授」の実在モデルが「矢田部良吉」という人物であることを、前述した坂井修一さんのSNS投稿により知った。
「矢田部良吉」という人物は「植物学」よりも、『新体詩抄』を外山正一・井上哲次郎らと著していることが知られている。当時の文部大臣・森有礼とともに渡米した際に、コーネル大学で学んでいる。その欧米志向から「ローマ字の普及」にも貢献した人物だ。ドラマ内で『新体詩抄』に関連した場面はほとんど無かったが(もしや見逃しているか)、「ローマ字」へのこだわりは会話の中で語られた。また東京帝國大学の後任教授・徳永政市も夕顔という植物から『源氏物語』への志向が強く描かれていた。ドラマ内で「田邊教授」は帝國大学をはじめとする人事に関わる組織的政争に破れ「非職」となる。その後、「鎌倉由比ヶ浜で海水浴中に死没」というのは「矢田部」の史実通りである。大学という組織の職階や人事に関する黒い闇については、その後の時代でもくり返されていることを思う。ドラマでの「田邊」と「槙野(学歴のない牧野富太郎をモデルとする主人公)」との関係を見るに、研究とは「自らが心をときめくものにただただ没入する」ことだという思いを新たにする。そしてまた「文芸」も同じ、政争に発展するような社会的体裁の上に「潤った詩歌」は生まれないのであろう。明治は明治で問題はあったが、新たな文化を開拓するという意味で豊かな志向があっただろう。些末に細分化されてしまった研究により、学校教育の中の「文学」への興味までも削いで来たような現状を考え直すヒントがそこにあるのではないか。
文化を開拓するという矜持
西洋の中での日本を強く意識してこその発展
「槙野」の生き様はいつも若山牧水に通ずるものを感じている。
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歌を詠む立場からの中古和歌文学研究
2023-05-21
研究の分業化と細分化注釈類が揃いデータベースの充実など
だが歌を詠む立場からの視点はあるか?
佐佐木信綱は万葉集研究者であり歌人であった。明治時代には普通であったこの「二刀流」が、今や特別なものになってしまった。いま「二刀流」と書いたが、大谷翔平がベーブルース以来と言われる特別感は、ルースの時代には「普通」のことだったのかもしれない。現代の野球は先発完投型の投手は少なく役割が分業化・細分化され、ましてや打者との兼業など特別以外のなにものでもない。だが少年野球や高校野球を見れば明らかなように野球の基本は一選手が投げて打って走ることだ。この分業化・細分化という流れは、僕たちに基礎基本を忘れさせてしまってやいないか?いま一度考え直し「二刀流」を賞讃していくべきではないだろうか。
中古文学会春季大会に出席した。初日のシンポジウム「中古和歌研究の現在」は、鈴木宏子氏の司会で武田早苗氏・田中智子氏・西山秀人氏による基調発表と討議が行われた。鈴木氏の趣旨説明にもあったように諸注釈類が整いデータベース検索の充実など、研究環境は大きく進化した。同時に「中古文学研究者」であれば、物語・日記を対象としていても「和歌研究」は必須であるし、さらに言うならば「漢籍研究」も必須である。だが細分化・分業化の流れは戻すことができず、一点にのみ奥深い視点から対象が分析されていることが少なくない。正直なところ僕なりの視点からこの日のシンポジウムを考えると、明らかに足りないのは「歌を詠む立場で考える」ことだ。詳細なデータ比較解析・表現比較・文法的解釈などは一点に奥深いが、歌の文脈や詠歌の場を考える視点がない。大谷翔平のように全ての分野で破格な能力を発揮しないまでも、せめて作歌の現場を考える視点をもって「中古和歌文学」に向き合いたいとあらためて思うのである。
対面開催で懇親会もあり
終了後は約束していた親友と大切な時間を
あらゆる「いのち」の「コトバ」を聴くために。
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面白くないものを読まぬことー中古文学から中原中也まで
2022-10-17
研究発表にどんな興奮を覚えるか対面学会のその場に来る文化継承の意義
そして様々な協議と中原中也生誕の地へ
地方で研究学会大会を開催する思いは、5年前に経験したので痛いほどわかる。何より思うのは、「これほど準備を重ねてきたのだから、1人でも多くの人にご足労願いたい」という一点だ。僕の場合は、奇しくも時節外れの台風に見舞われ申込のあった参加者が大幅に減少してしまった。そんな条件でも心を寄せて、東京から全陸路とめげず必死に来てくれた研究仲間もいた。今回も未だ新型コロナ感染拡大の余波がある中、多くのご苦労があったのだと懇親会で担当の先生と話して身につまされた。それにしても恒例で配布される大会参加名簿を見るに、申込をしていても会場にいらっしゃらない方々が多く、「大会」にしては寂しい人数であったことが気になる。コロナ以前なら、この「大会」でこそダイナミックに中古文学が語られていた印象がある。会場のライブ感として「発表や議論が緊張感があり面白い!」と、行かずにはいられない雰囲気が貴重だ。もちろん今回の個々の発表者も頑張っていたのだが、「録画視聴」があると「それで観ればいい」となるのだろうか?通常のTV録画でもリアルタイムで観ないと、興奮の度合いが違うと思うのは僕だけだろうか?あらためて「対面学会に集まる意義は何か?」が問われた気がする。そこに貴重な文化継承の場があるといっても過言ではないだろう。
研究発表会後、諸々と打ち合わせなど済ませ、宿泊地にほど近い中原中也記念館に赴いた。あらためてその詩才の豊かさと、山口の地が産んだ自然との共鳴のような存在理由を理解できた。本日の標題「面白くないものは読まぬこと」は、愛書家の中也の基本的な姿勢であったと云う。展示の中に若山牧水を読んでいたという発見もあり、牧水について次のようなコメントを遺している。「牧水は面白いです。あれには「生活(くらし)」があります。くらしのないものは駄目なのです。」(「歌壇外に聴く」『日本歌人』昭和10年7月号より)何より文学は「面白い」ことが肝要だと、あらためて中也に教えられる。そして初期は「短歌」からスタートしたことも興味深く、萩原朔太郎がそうであったように近現代詩人の原点に「短歌の韻律」がある基本的な存在理由を確認できたようにも思う。「面白く」て夢中になって読む本、それが文学の原点でもあろう。翻って我々は「中古文学」を、「面白く」世に伝えられているのだろうか?今一度、僕自身が「面白い!」と思えるものに、如何に向き合うか?中原中也のあの純な瞳に、教えられた気がしている。
夜になって地元県立高校に勤務する旧友と再会
25年近く会わなかった歳月を実感する
それにしても人生は「面白く」生きたいのものだと再確認した一夜となった。
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「日記文学」とは何か?ー書くという得体の知れない欲求
2022-10-16
朝から宮崎ー福岡ー新山口ー湯田温泉
中古文学会秋季大会「日記文学研究の現在」シンポジウム
そして懇親会まで
小欄は「日記」なのだろうか?ほぼ毎日のように更新し、それなりの年月を続けている。朝起きた際に、前日の出来事で脳内に残っていることからテーマを決めて書き綴る。時系列でもなく「カテゴリー」別に分類され、関連記事が画面にも並ぶ形式だ。もちろん「テーマ」を書くために、虚構を配したり調べて書くことも少なくない。時折、これほどの時間と労力による蓄積になるならば、「一日一首短歌」を続けたらよいとも思うこともあるが簡単ではない。それでもなお、既に「書かずにはいられない自分」をこの文面に発見する。このように「得体の知れない書く欲求」が、文体や短歌との関連を意識しつつ文章を綴らせる。冒頭に記したように「中古文学会秋季大会」に参加した。果たして「平安朝日記文学」とは、どのように理解され研究されてきたか?何が当時の人々の「書く欲求」を刺激したのか?虚構性や私家集との関連など、3者による基調報告から自らが「書く立場」になって様々なことを考えさせられた。
敢えてこの日の行程を、日記風に書いてみよう。朝一番で宮崎空港を飛び立ち福岡空港まで約40分のフライト、霧島連山とか雲仙普賢岳の様子が手に取るように見られた。地下鉄で2駅を移動して、新幹線指定席特急券・乗車券を自販機で購入。朝食もままならず家を出たので、「早弁」ならぬ駅弁を買い込み新幹線車内で食べる。新山口駅でJR山口線に乗り換えると、宮崎同様の2両編成で降車の際に前の車両しかドアが開かない。会場校・山口大学のある「湯田温泉駅」で下車し予約した宿まで歩き、キャリーケースの荷物を預ける。山口市には若山牧水がまだ21歳の大学生の頃、帰省の折に山陽路を経由した際に立ち寄った瑠璃光寺がある。京都の醍醐寺・奈良の法隆寺とともに「日本3大名塔」にも数えられる名所だ。宿からはタクシーに乗り10分ほど、牧水の歌碑が妻・喜志子の書になる文字で刻まれていた。流石の名刹、牧水の当時も変わらぬ山に囲まれた静けさの中でこの塔を見上げたのだろうか。その後、近くにある県立美術館で「将軍家の襖絵・雪舟と狩野派」を展観。駆け足ながら、山口まで来た甲斐ある時間を満喫できた。最初にホテルで呼んでもらったタクシーの運転手さんが、電話予約で再び美術館まで来てくれた。山口大学の構内まで入ってくれて、もう料金はここでとメーターを倒したのち学会会場はどこか?と大変親切に巡ってくれたのが印象的であった。
学会終了後は宿近くのホテルで懇親会
「黙食」のちの「懇談」という構成ながら酒で喉を潤せた
その後、パネリストの一人の慰労会と称して山口の地酒を味わう宵のうち。
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ノーベル文学賞川端康成没後50年に寄せて
2022-04-14
4月16日は川端康成没後50年宮崎を舞台とする『たまゆら』に登場する牧水歌
『雪国』『伊豆の踊り子』と土地の「あくがれ」も考えて
作家・多胡吉郎氏が今年2月に上梓された『生命(いのち)の谺(こだま) 川端康成と『特攻』」(現代書館2022/2/20)出版を記念した一連の行事が宮崎と鹿児島で開催される。先月来、懇意にする方の仲介もあって、この行事の中で多胡氏とトークセッションをというお話をいただいた。もとより近現代文学は専門ではなく川端について十分な見解も持てないだろうと思ったが、「宮崎」をキーワードに牧水との接続点を探ることならできそうだと考えて、お引き受けすることにした。先月に宮崎日日新聞出版文化賞をいただいた『宮崎文学の旅 上下」の下巻近現代文学編にも、川端が朝の連続テレビ小説として書いたものを創作し直した『たまゆら』という作品を掲載している。宮崎を舞台に退職して間もない直木老人が、新婚旅行に来た若い夫婦に出逢うという内容がある。その一節に牧水の「ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り」が引用されている。宮崎の地に直木老人は何を感じ取ったのか?この原作執筆のために川端康成は宮崎観光ホテルに滞在していたことは有名で、現在も同ホテル西館メモリアルルームとして当時川端が滞在した和室が保存されている。宮崎の夕陽の美しさに魅せられて、当初は鹿児島・熊本・長崎と巡るはずだったものを同ホテルに16泊し心酔したというのは、景色のみならず神話や牧水の宮崎の文学であったとも考えたくなる。
この日はトークセッションの打ち合わせということで、多胡氏が企画した会社の社長さんともども僕の研究室に来訪いただいた。前述したような牧水と川端の接点についてお話しして、自ずと会話が弾み「生命・ことば・自然」などの共有できるキーワードが発見できた。川端は「命」と「生命」をこだわりを持って書き分けていたと云う。また、晩年に静岡は沼津に住んでいた牧水が伊豆に滞在し第十四歌集『山桜の歌』のモチーフとなる歌を作るに至っている。伊豆という場所の不思議な魅力は、もちろん川端の『伊豆の踊り子』にも存分に表現されている。また牧水が故郷の日向市東郷町坪谷の渓谷と似通っていることから慕った「みなかみ町」についても、考えてみれば川端の名作『雪国』の「国境の長いトンネル」のある場所である。探ってみるに牧水と川端の接点を実に多く自覚させられる打ち合わせとなった。当日は多胡氏のお話の後に僕が20分程度の講話をして、その後、来場者も交えて和やかに川端や牧水や宮崎を語る時間となるようだ。もし僕たちが、明治に発する「近現代」というものの肥大化・形式化などに無自覚であるのなら、戦前戦後を跨いで活躍しノーベル文学賞受賞という栄誉が刻まれた川端作品をもう一度読み直し、実はまったく整理され回収されていない「昭和」というのを今こそ再考すべきなのかもしれない。
文学から僕らが引き継ぐべきもの
戦後77年そして川端康成没後50年
この何年かで起きたことは「昭和」に予見できたことなのかもしれない。
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平和をペンで訴える物語ー文学が生きるために
2022-03-18
「文学は危機」なのであろうか?旧態なものを懐古・復帰させるだけでは
生か死かの瀬戸際で訴えることばの力
「ペンは剣よりも強し」この言葉を小学生の頃から意識していた。それは僕が通っていた幼稚園のすぐ隣に全国でも名だたる超進学中高一貫男子校があり、その学校の校章がそれであったからだ。下に描かれた「剣」を上から「ペン」が封じるイメージ、未だ戦後30年ぐらいの時代の社会風潮と相まってその理念は大切なのだと子どもながらに感じていた。自由解放的な学校で僕ら小学生が校庭で遊んだりグランドで野球をしても怒られず、決して教室も清掃が行き届いているわけではない。中学受験の際に親や塾に勧められたこともあったが、結局は受験もしなかった。それでも教員になってから公募採用があって、既に他校で教員だった僕は果敢に受験をしたことがある。最終選考まで残って多くの先生方に囲まれるような面接を経験したが、やはり此処で教員をするのが幸せかどうかには疑問に思った。もちろん先方も大多数の眼で見ていたわけで、僕のそんな素性を悟って不採用としたのだろう。だが実家までチャイムが聞こえるその学校を、いつもどこかで意識しているのは今でも変わらない。
「ペン」が象徴するものは、単に「書き物」だけではない。口から放たれる「ことば」を含めて人間が生身で表現できるすべてを指すと考えてよいだろう。もちろん「論理」も「ことば」で構成されるのだが、「感情」に訴え「人を動かす」のはまさに「文学的物語」である。「平和とは何か?」という堅苦しい論説を2時間読むより、「戦時に生きる生身の人」が放つことばが演じられる舞台を2時間観た方が明らかに人の心は動く。昨日の小欄でもウクライナのぜレンスキー大統領が他国の議員を対象に、先方の国民として琴線に触れる演出を十分に施した「物語的手法」で訴える演説のことを書いた。当該二国を対立項として語るのは好ましくないが、明らかに歪めた論理だけを吹聴する侵攻している側の国の首長のことばとでは大きな隔たりがある。「ナラティブ(物語的)」がいまあらためて21世紀の平和に必要であることが明らかにされているとも言えるだろう。一方で学問・教育の分野で「文学」の扱いが、軽視されつつある傾向が否めない。「文学は社会に役立つのか?」という成果主義的な指標ばかりが重視されるからだろう。そこで僕たち文学研究者は、旧態な研究を懐古的に復帰させようとする動き方で果たしてよいのだろうか?とも疑問に思う。世界の平和が危機にある今こそ、あらゆるジャンルを超えて「物語のことば」こそが人の心をつなげるものだと自覚をあらたにすべきである。
「ペン」が書き記す渾身の「ことば」
口から放たれて人の心に浸透していく
平時から豊かなことばの使い手として生きることが平和の原点でもあろう。
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「顔文一致」分裂的な盲信
2021-02-27
『檸檬』梶井基次郎あなたは教科書で写真を見たことがありますか?
漱石・鷗外・芥川・太宰に牧水・啄木・・・
早稲田大学演劇博物館主催「逍遥祭 逍遥をかたる人々〜逍遥祭のあゆみ」というオンライン講演に参加した。演劇博物館副館長の児玉竜一氏により「逍遥祭」のあゆみを辿り、坪内逍遥を囲む人々について貴重な映像や音声も活用した講演であった。「逍遥祭」とは坪内逍遥が生前から「囲む会」が熱海などで開催され、没後は命日の2月28日に開催されてきたと云う。貴重な映像や音声の中には歌人「窪田空穂」が映るものや、演劇界からは「久保田万太郎」の肉声なども紹介され、早稲田大学の文学・演劇における研究の拡がりの要に坪内逍遥が大きな存在であったことをあらためて認識した。昨年から僕自身は、若山牧水が早稲田大学の学生だった頃、坪内逍遥博士の講義を聴きいたく刺激を受けた内容について評論を執筆した。掲載雑誌は近々刊行される運びとなるが、牧水の歌作にも逍遥先生の文学論が活きているといえるのだ。
さて、オンライン講演での映像や音声の紹介はさることながら、「顔文一致」という指摘には大変に興味を覚えた。冒頭に記した梶井基次郎の例で語られたのだが、みなさんも梶井の『檸檬』という繊細な小説を教科書などで読んで、その後に梶井の顔写真を見た際には、ある種の衝撃が走らなかっただろうか。小説内に描かれる人間の微細に揺れる心のあり方を思うに、やはり教科書に掲載される梶井の顔写真があまりにもイメージ的に分裂しているからである。(ぜひ「梶井基次郎」でWeb検索をしてみると理解しやすい)我々は近・現代作家に関しては漱石・鷗外をはじめ多くの肖像写真を知っている。僕などは研究室に若山牧水の肖像を掲げている。「あの顔」から「あの口」によって紡ぎ出される「短歌を読む」という意識がどこかで付き纏う。残念ながら肉声が遺らない牧水の場合、その「顔」と短歌の「文(体)」は一致していると思い込んでいる。だが古典和歌の歌人などの場合は、あくまで想像上の肖像画であることも多く、僕らは人麻呂・貫之の「顔文一致」を考えることは稀である。『平家物語』などを読むと、名の知られた「源義経」であっても敵方平家の武将たちは顔がわからず、良い鎧を着ているなどの状況で判断していたと記されている。Web検索が盛んな時代にあって「文学作品表現」と作家の「顔」、実は読者の中で分裂的に盲信したイメージが増幅していることも多いように思われた。
「作家」と「文学作品」との関係をどう読むか?
中学校・高等学校での「国語便覧」を読むのは楽しい
作家たちの顔に、身近な誰かを当て嵌めた経験があなたもあるのではないか。
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『宮崎文学の旅上下巻』刊行!
2021-02-26
宮崎県内にゆかりのある文学全集構想から3年目、ようやく刊行へ
非売品で県内中学校高等学校や公立図書館へ寄贈
24日(水)に記者会見が行われ、『宮崎文学の旅上下巻』の刊行が発表された。構想からすればもう3年の月日を費やしたであろうか。企画当初から執筆者としてお声掛けをいただき、主に中古から近世の「古典」部分を担当した。完成して手に取ると感慨深いが、「古典」とはいえ専門とする平安時代和歌に関する題材は『枕草子』ぐらいで、説話・軍記・浄瑠璃・謡曲など多彩な作品をわかりやすくするために苦心した。それにしても、宮崎にゆかりのある文学が時代を超えて集約でき、僕自身としても大変勉強になった。また県内において古代から近現代までの文学研究者が揃っていることにも、新たな可能性を覚えた。
本書は非売品で、県内の全中学校・高等学校および公立図書館に寄贈される。制作費は、県内企業など各方面から手厚いご寄付をいただき、「文学」を県の地域資源として活かす姿勢が明確にできた。今後は中高生へ向けてのワークショップ活動や、一般の方へ向けての執筆者の講演活動などができたらと企画・編集委員会で提案している。僕自身としてまず手始めに、大学附属図書館で「宮崎文学の旅仮想ツアー」などが実現できたらと思う。新型コロナ禍で行動範囲が狭くなった今だからこそ、「文学」上の想像の旅が実に大切であると思う。もとより「郷土文学作品」による教育は、今後の重要な各地域の課題でもある。宮崎の学校で学んで「宮崎の文学」を知らないというのも、間が抜けた話である。この地を愛するゆえに、どんな文学の素材としていかに輝いているかを、多くの県民の皆さんに知っていただきたい。
あらためてご寄附にご協力いただいた皆様と
企画・構想をまとめていただいた方々に感謝
「文学」を重要視する他県にない輝きを放ちたい。
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予定調和な『ごんぎつね』の話し合いのこと
2020-11-27
授業者が持つ「正解」のような結論に誘導する気持ちや心情は二項対立では語れない多面性がある
着地点を求めるのではなくそこから創り出すということ
今週の水曜日に共同研究の一環として、附属小学校で「ごんぎつね」の研究授業が行われた。言わずとしれた小学校4年生の定番教材であり、これまでにも多くの授業実践の蓄積が成されている。また学部の教育実習生が扱う機会も多く、僕自身も教科教育科目を担当している際は、よく学生とともに学習指導案の検討などをする機会も多かった。ある時、ゼミで「ごんぎつね」の「自由読み」という機会を持ったことがある。その際にゼミ生とこれでもかと多様な読みを探った結果、僕自身は「ごんは死んでいないのではないか?」という思いに強く至った。物語の最後の場面で「火縄銃」で「いたずら狐」として「兵十(ひょうじゅう)」に撃たれてしまう「ごん」だが、「火縄銃をパタリと落とした」とする「兵十」が「ごん」に駆け寄り語りかけると目を閉じて頷く「ごん」が語られている。「火縄銃の口からは青い煙」が立ち上っているとの語りもあるが、これだけで「死んでしまった」と言い切るのは思い込みに過ぎないのではないかと思ったのである。
これを考え始めてから「ごんぎつね」の読みが膠着せず実に多様になった。その後の経過で「ごん」は死んでしまったとしても、手当などの期間があり「兵十」は償いの言葉や行為を繰り返すのではないか?物語は終幕を迎えたことで、「兵十の償い物語」が始動するのに他ならない。それが冒頭にある「村の茂兵というじいさん」から伝え聞かされた「ごんの鎮魂物語」として伝承している語りに回帰していくことで初めてこの物語の語り構造が暴けたことになるのではないかということである。ゆえに「ごんは撃たれて死んだ」ことや、その時に「兵十は悲しかった」ことを既定路線として授業を構成するのは読みの多様性に反するものではないかと考えている。講演やシンポジウムもそうであるが、「結論ありき」でそこに「持っていく」ためのやりとりを重ねていく「予定調和」が果たして何を生み出すのかと痛切に思う。「結論ありき」に慣れてしまった国民は、その路線の政治的な見世物を見せられても疑問を持つことすらなくなってしまう。「国語」では決してそんな陳腐で軽薄な思考力を育てているわけではない。いつでも「正解」や「着地点」は見えないままに探るのが、学習のダイナミックな面白さではないのだろうか。
何かがその場で初めて生み出されてこその対話
「結論ありき」の「国語」の問いにワクワク感はなし
既存の価値を超えていくことで僕たちはこの時代を生き抜こうとしている。
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文学はわかりやすいものか?
2020-10-09
説明的に整序された文章実用的説明文などと文学の文体
そして短歌も「わかりやすい」と「説明的」は違う
新学習指導要領「国語」に記された「言語活動」には、校種を問わず文芸的な創作の実践を提起するものが多い。「短歌・俳句・詩・物語」等を創作することによって、「書く」意欲や思考・想像・表現力の開拓を図ろうという訳である。しかし、学校現場ではなかなかその指導は難しいという声を多く耳にする。教員免許更新講習などで「短歌」に関連した講座を実施すると、「児童生徒の作品を添削できるようになるコツを教えて欲しい」という要望が寄せられる。それに対して「コツなどはない」と応えて、「先生方ご自身が詩歌を嗜もうとする意欲」が必要であると説く。また以前に古典の研究学会で「(大学生に)和歌を創作させるのはハードルが高いので、散文(説明文的な)を創らせている」という意見に「ハードルが高い」という認識そのものが違うのではないか?という質問をしたことがある。「和歌」というものへの大きな誤解が、研究者であってもあるということに気づかされた。
ゼミ生が先月の附属中学校での教育実習で和歌を素材として「歌物語を創る」という実践をした。研究授業はその作品を「推敲してわかりやすいものにする」という(授業)過程であった。単元計画や授業そのものは、実習生としては大変に秀逸なものであった。だが事後研究会での助言で僕が問題提起したことは、この生徒らの「歌物語」はむしろ「解釈説明文」ではないかということ。誰にもわかりやすく教科書にある和歌教材の解釈を「いつどこでだれが」を明確にして、「五感で捉えた素材で揺れた心を言語化」するかという背景を文章にしている訳である。「物語」というのであれば、謎めいていたり、一読して不可解であったり、大どんでん返しなど錯綜的なレトリックがあってもよいはずである。我々は映画やドラマには、むしろそんな予想だにしない展開を期待しているであろう。巷間では「わかりやすいもの」「便利なもの」を求める傾向にあって、「謎めいたり」「分かりにくい」ものを忌避する傾向が顕著である。などという議論を、あらためてオンラインゼミで実施した。翻って一例として俵万智さんの短歌を考えてみた。それは『サラダ記念日』から今回出版された『未来のサイズ』まで一貫して誠に「わかりやすい」のであるが、誠に「奥深い」のも確かである。井上ひさしさんがよく語っていた「ふかいことをおもしろく」に通ずる文学的境地が、そこにはあるようだ。
文芸創作の豊かな世界
手軽に身近に自分を言葉にしていく
深くて面白く、社会を批評していく心構えを学びたい。
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