やり切って夏
2023-09-27
新刊著書の校正
牧水没後95年に関する新評論・講座など
公私ともにさまざまな波に揉まれながら
暦の上ではとっくに「夏」は終わっていて、「秋分の日」お彼岸も過ぎた。「暑さ寒さも」という成句のように、朝晩の風には涼しさが感じられるようになった。しかし、気温や残暑の具合からして「夏の終わり」は既にこの9月末になってしまったのではないか。かつて中高教員をやっていたせいもあって、夏休みが終わる8月末に異様な虚しさを感じる時期があった。夏の楽しさが去るとともに、「夏の達成感」が無かったからだと思う。研究を再度志してからは、夏の最後に論文〆切があったので「書き切って投稿する」ことに執心した。その後の査読で苦労したこともあるが、何より「書き切る」という行為が大切である。夏は「燃え尽きる」のではなく、「やり切る」ためにあるのだ。
このような意味で、今年の夏は「やり切った」感がある。公私のさまざまな波に揉まれながら、新刊の校正を迫られた7月から8月。お盆以降の強烈な追い込みは、自分で自分を褒めてあげたい。また牧水没後95年という節目にあり、特別公開講座を企画・開催できたことも大きかった。その全てが9月17日「牧水祭」の当日にお逢いした方々によって報われたような気にさせてくれた。その随所において、妻や母や義母がいつも応援の言葉をかけてくれたことにも甚だ助けられた。時に頭の中が混乱しイライラしてしまうこともあるが、いかに冷静な考えを保つかが重要なのも再認識した。かくして「やり切った夏」が過ぎていく9月末、心を今一度洗い直して実りの秋へ進もうと思う。
時には自分にご褒美も
心を解放する時間も人生のうち
同じく公私ともに頑張っている妻と素敵な時間を過ごしたい。
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(5時間+α)×4セットの充実
2023-09-24
休日を充実させるには休み方にもコツがある
睡眠・午前・午後・夜の4セット構成
本日も日曜日だが、休日は何もせずに終わってしまうと嘆くことは誰しもあるだろう。いささかゆっくり寝て起きてぼうっとしているとあっという間に昼過ぎ、何をしようかと考えているうちに夕刻になり、『サザエさん』が終わる時の歌を聞くとたまらなくやるせない気持ちになる。月曜日からの仕事へも意欲的になれず、所謂「サザエんさん症候群」のような心の持ちようである。寝溜めが有効でないと言われるように、休日でもせいぜい平日の起床時間+1・2時間以内がいいようだ。どんな日でもそうだが、朝の2時間が充実するとその日の時間は長く感じられる。1日を損した気分にしないためには、やはり午前中が鍵を握る。理想の睡眠時間7〜8時間を確保したとしても、【1日5時間1セット】としてやるべきことを組んでおくと上手く運ぶように思う。
この日は7時起床で平日より+2時間で8時間睡眠。午前中は僕の父母のために、昼食は義母とともにとり義父の墓参へ、夜は妻と二人で観ておきたいDVD映像を堪能した。概ね【5時間】を単位としておくと、糊代に1・2時間の余裕があって実に上手く運ぶことを実感した。午前午後それぞれの時間が充実していたので、夜に観たDVD「サザンオールスターズ2013胸熱マンピー茅ヶ崎ライブ」を心の底から楽しむことができた。これまでサザン・桑田佳祐さんの楽曲には人生を常に支えてもらっていると思っているが、ライブDVDの約3時間超によってあらためて心に生きる躍動が宿った。その延長上に「やさしい夜遊び」の放送を聴き、また明日への英気をもらった。かくして、ここのところやや仕事が飽和状態であったゆえに、心の底から解放する1日の充実であった。
【5時間】で何ができるのか?
テーマを立てて、せかせかではなく穏やかに過ごすのがいい
暑さ寒さも彼岸まで、時節今朝の涼風は誠に心地よい。
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人生は明日への夢を語ることさ
2023-09-22
なぜ短歌にこだわるのか?なぜ苦しいのに誠心誠意向き合うのか
なんのためではなく明日へ夢をつなぐ
今もまた、明るい朝焼けの東の空が眼の前に見える。平穏に9月22日が迎えられ、こうして文を綴ることができる。小欄ひとつにしても、「何のため?」と突き詰めて考えても答えはない。昨日の我が身を省みる?いや、明日へと夢に向かい生きる証?「・・・のため」などもはやどうでもよくて、ただ我の中の何かに突き動かされてぞれぞれの「今朝」を書き綴るだけだ。この「突き動かされる」という感覚は、ある意味でとても大切な感覚ではないかと思う。こうして夏が終わり秋が目覚める頃になると、なぜか大きなものに突き動かされることが多い。人生は明日の夢を語ることさ、と誰かが僕に告げくるのである。
朝の連続テレビ小説「らんまん」も大詰めだが、大正12年に関東大震災に見舞われ槙野万太郎の植物学への情熱をあらためて浮き彫りにしている。完成した植物図鑑の原稿を含めて長年の蓄積である標本が灰燼に帰すのは、ドラマとはいえ一研究者として見るに耐えないほどだ。ドラマでも万太郎はどんなに生活が苦しくとも、社会的地位によって蚊帳の外に置かれようとも、日本中の植物と語り合うという夢を諦めなかった。この点は明治大正時代の生き方として、若山牧水に通じるものと思っている。自らの生活の苦悩や社会的立ち位置が不利でも、ただ明日を夢見て突き動かされるものに向き合う。人生の大切な芯を外してはならない、ということだろう。
あの日から何度目の夏が来ただろう
我を突き動かすものに正直たれ
くり返すが、人生は明日の夢を語ることさ!
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VIVANTー『和解』『美味しんぼ』父子対決の図式
2023-09-11
若山牧水も抱いていた母と父への思いの違い志賀直哉の小説『和解』・原作:雁屋徹『美味しんぼ』
そして『VIVANT』父子対決の果てに・・・
堺雅人さん主演・TVドラマ「VIVANT」が佳境を迎えている。一昨日の特別公開講座においても、堺さんの高校時代の恩師・伊藤一彦先生からこの話題にも言及された。若山牧水との関係でいえば、家業であった医師を継がずに故郷を離れて東京で生活もなかなか安定しない文学の道を選んだ牧水の生き方において、父子の確執が無いわけはない。「牧水」という歌人名には「母・マキ」の名を背負うほどであった母への深い愛情に比べ、尊敬はしていたものの「山師」的な行動で散財した父とは確執がなかったわけではないだろう。特に歌集『みなかみ』収載歌に含まれる故郷・坪谷での破調歌の数々には、父の危篤や死に伴う葛藤・苦悩を含めて「父子」の関係性の図式を深く考えさせられる。明治時代以降、家業を継ぐ継がないという問題は次第に緩和されて来た社会ではあるが、牧水のように父の生き方から大きく転換するのには予想外の苦悩があるものだ。
公開講座でも指摘したが近現代における「父子対決」の図式は、志賀直哉『和解』が私小説として潔く描いている。基本線として父との長きにわたる「不和」と、一気に訪れる「和解」という流れがある。これは1980年代に流行した名作グルメ漫画『美味しんぼ』の図式が同様であることは、よく僕らが学生時代に話題にしていたことだ。「父子対決」には父子相互の妻への愛情が微妙な影を落とす。母を思い子は父の愛情の深浅について知ることで、また子は自らの妻と母との関係により、三角関係的な対立になる。これはさらに言えば『源氏物語』で描かれる継母への恋慕の情という図式が想起され、子は父を超越するという要因を持つことを心理学ではギリシャ神話になぞらえて「エディプスコンプレックス」と呼んでいる。さて「VIVANT」では一気に「和解」となるのかと思いきや、という複雑な展開となった。父子関係のみならず、世界で巻き起こる宗教・民族間対立に伴うテロリズムの問題、紛争と難民の問題、「国」への帰属意識の問題、そして家族間の愛情の問題、堺雅人さんの好演にも支えられ次週の最終回に向けて、目が離せない展開である。
自分というものが「何者」であるか?
一生という旅で解き明かしていくのが人生か
自らにも当てはめて誰しもが深く考えるべき問題をこのドラマは投げかけている。
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別の見方もあるよね
2023-08-26
「そうかもしれないが、別の見方も」いけないのは「決めつけ」「かくあるべし思考」
「別の可能性・別の視点」を考えること
「歳をとると頑固になる」一般的によく言われることである。これほどまでに世間で言わているのに、なぜ多くの人々がその状態を避けられないのかと不思議に思う。「頑固」という要素の中に、「自分だけはそうではない」という思い込みがあるからではないか?「そうではない」に固着すれば「自分が頑固かもしれない」という可能性を削いでしまい、否定の感情の中で「頑固」そのものになってしまうからだ。ある意味で「老化」とは、このような精神的作用になることだとWeb記事に学んだ。あなたも「自分だけは」という枕詞をつけて、諸々のことを当て嵌めることに心当たりはないだろうか。
では頑固を回避するためにはどうしたらよいか?それは冒頭に書いた言葉を念頭に置くことだと云う。「そうかもしれないが、別の見方もある」と思うこと、「別の可能性・視点」を避けずに考えることだそうだ。反対に「かくあるべし」という枠にこだわると、自らの幸福な可能性も削いでしまう。「信念」は誠に大切であるが、視野を狭め固着してはならないということだろう。要は「頑固」と「信念」の微妙な違いに、適切に向き合えるかではないか。甲子園で優勝した慶應高校の「エンジョイベースボール」が讃えられているが、そこにも「楽しむ」ことへの誤解はないか?と野球評論家の上原浩治さんが注意を促していた。「自由奔放」と「主体思考」の差がそこには歴然としてあるはずだろう。当事者でない場合は特に、あらゆる面で「別の見方」が大切である。
郵便だとロスがあるなら直接に伺う
そこに空港に見送りができる可能性が生まれる
心身の状態はいかがなものか?と別の可能性として夜はyogaへ
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ここが故郷ー子供のように遊べよ永遠に
2023-08-14
ここが故郷といえるのは?それは場所にあらず人の縁の中にあり
息子とともに頑張る親友の思いこそ「故郷」かも
今回の上京ように台風による欠航やフライト遅延に見舞われると、宮崎ー東京の距離を実感する。3年ぶりに規制のないお盆の帰省往来という状況もあり、羽田空港はピークではないのだろうがだいぶ混雑をしていた。宮崎へ帰る便は問題ないだろうと思いきや、約50分の遅延で搭乗口が変更になったりと今回のフライトには右往左往する流れが断ち切れない。だが航空機を利用する以上、この程度の遅延で「あれこれ」とは言いたくない。海外事情からすれば「日本の定時運航率」の高さこそがむしろ異常なのだと思うようにしている。あらゆるフライト計画には、余裕が求められるのだ。それにしても飛行機が上空に舞い上がれば、約1時間半程度(風の影響で宮崎ー東京とその反対とで飛行時間が違う)で往来が可能だ。これは若山牧水が明治・大正期に往来したのとは甚だ感覚が違うだろうとあれこれ思案している。「ふるさとは遠きにありておもふもの」という室生犀星の詩の感性に、航空機使用をしている限り辿り着けないのではというある種の強迫観念がある。
サザンオールスターズの新曲「歌えニッポンの空」は、9月末に開催される「茅ヶ崎ライブ」のテーマ曲である。もちろん桑田佳祐さんの「故郷=茅ヶ崎」がイメージされる歌詞だが、広く誰しもの胸の中にある「故郷」を再考させる力がある。今回もサザンを愛好しともに歩んできた東京の親友と、すっかりこの曲を堪能している。今や僕にとって東京で「帰る処」はこの親友のところかもしれない。そんな思いを抱きながら、宮崎で放映されないテレビ朝日系「ミュージックステーション」に出場したサザンの録画を存分に見せてもらった。親友は個人的な今年の事情をサザンの曲に照らし、「盆ギリ恋歌」がこのタイミングでリリースされたことにいたく感激していた。「お盆」における心のあり方も諸々と薄くなりがりな社会、今は亡き人と再び会話するかのように盛大に思いを致す機会がぜひとも必要だ。このサザンの新曲2曲は、こうした社会が喪失しかけている心を見事に僕らに再考させてくれる。「故郷」に行けば「子どもの時のように自由で未来を夢見る」希望が蘇る。あの時に「自分が生きようとしていた未来」、大学へ入学した頃に知り合った親友こそが「故郷」だと思うのは、その頃の「野望」を今再び再燃させよということなのだろう。
親友・叔母・牧水そして研究学会
今回の上京で再考させられたことも多い
そして「子供のように遊べよ永遠(とわ)に」をこの身体に取り戻すことができた。
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急な豪雨のち虹の彼方へー短歌は生きること
2023-08-04
「青天の霹靂」のような豪雨が断続的にそしてまた急な晴れ間に天に向かって虹が出る
世の中にある人もまた・・・・・
台風6号が沖縄地方周辺に停滞し、かなりの暴風雨をもたらせている。その直接の影響と言えるのか?前線や気流を刺激するのだろう、宮崎も断続的な豪雨や雷雨が続いている。先週の日曜日の朝は激しい雷に見舞われて、大学のチャイムの装置が故障する事態になった。しばらく定期試験中ながらチャイムが鳴らず、時計で開始終了の合図を出していた。青空が覗いたかと思うと、急に激しい雨に見舞われる。大学まで約10分間の徒歩とか、学内でも学食や図書館への移動などでもスマホの雨雲レーダーアプリで10分後の降雨を確かめないと痛い目に遭う。「晴れてきた」と青空を仰ぐ自らの眼力では、まったく予想はできず横殴りの激しい雨が降るのである。これはまさに、僕らが小学校の頃に「熱帯性気候」の特徴として教わった「スコール」に他ならない。
人もまた、一寸先の運命はわからない。この台風6号の進路予想がまったく読めないのと同じように、明日は何が起こるかわからない。人の命とは本来この気象と同じように、明日が今日がわからないのではないだろうか。まずは今日も眠りから目覚め起きることができて、こうして自らのことばを紡げることに感謝せねばならない。いま詠める短歌は「今」詠まないと、二度と詠めないかもしれないのだ。人は限りないほどに弱く儚く哀しい、だからこそ「今日」を疎かにはできない。自分が生き甲斐と思えるものに、誠心誠意尽くさなければなるまい。そして友だちや仲間と繋がることで、自らの「生きる」を見つめる毎日でありたい。「あなたは何をしたいのか?」今日もまた自らに問い続ける。そしてまた人間とはこの世の中とは?と問い続けるのが人生だ。
友は夕方の虹の彼方へ昇りゆく
虹が消えている先は自ら飛んでまた歌を詠んでいるだろう
歌を詠むことは生きることそのものなのだ。
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やりたいことが仕事ー堺雅人さんに学ぶ
2023-07-31
俳優・堺雅人さんの芝居への像熱新たなドラマ「VIVANT」への期待
読書家として宮崎が生んだ輝く才能
日曜ドラマ「VIVANT」が、毎週楽しみだ。「半沢直樹(続編)」以来の堺雅人さん主演ドラマであるが、性格はいささか違うものの企業人である主人公が国際的な舞台で機密情報に関わっていくスリリングな展開として堺さんの演技が際立つ。企業・公安・国際社会における虚構の仕掛けも興味をそそり、思わず「仕事・個人・国境」などのテーマを考えさせるドラマに仕立てられている。それにしても半沢直樹よりもやや頼りないキャラクターを、表情や所作を含めて好演している堺さんの演技力にはあらためて魅了されてしまう。その基盤としての読書家としての才や演技にかける努力は、並々ならぬものがあるのではと想像している。
昨晩はドラマ終了後に、そのままバラエティ番組に堺さんが出演していた。そこでは「仕事が趣味」だと述べて、今回のドラマロケ地であるモンゴルに2ヶ月滞在してもまったく辛いことなど無いと語っていた。共演者の阿部寛さんが述べていたことだが、ロケ地の文化にはまり込むような順応性が堺さんには見られると云う。ロケ地の文化を肌で味わい、受け止めたものを演技に活かす。かつてのエピソードとして、台本が届いて風呂で読み始めたら5・6時間も出られなくなり熱中して読んだと云う。「演技=趣味」のように行っているので「仕事」だという感覚がなく、「家事・育児」の方が辛いのだと漏らしていた。この演技への没入力が、我々をドラマの世界へ引き込む大きな要因となっているのだろう。
「仕事=やりたいこと」でありたい
あのまろやかな笑顔は宮崎が生んだ太陽である
大学入試の数学試験がわからず裏に小論文を書いた、どこか牧水にも通じている。
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フロー状態の眼でありたい
2023-07-20
物事に完全に向き合い集中して上手く進む状態に酔う
挑戦レベルでもスキルレベルも高く爽快感が伴う
休日だった17日月曜日、珍しく昼のワイドショーを昼食時に観た。すると親しくするあるコメンテーターが出演していて、大谷翔平のことについて語っていた。「果たして他球団へのトレードはあるか?」といった話題であったが、シーズン中の「トレード期限」を前に水面下の複雑さを匂わせていた。番組終了後に久しぶりに連絡すると、「いずれにしても、優勝争いするところでやらないと」と返信をいただいた。脳裏に浮かんだのはあのWBCの際の、大谷翔平の集中度の高さである。準決勝メキシコ戦の9回サヨナラの口火を切った2塁打、あの塁上でベンチに向けた炎のような瞳は決して忘れることはできない。また決勝9回のマウンド、球団を同じくする好打者トラウトとの真っ向勝負は今でもゾクゾク感が止まらないほどの名勝負であった。優勝した瞬間にグラブも帽子も投げ捨てたあの状態、まさに「フロー状態」の眼である。
「フロー」は心理学的用語で、冒頭にも記したように物事に没頭し「没我」とでも言おうか、行動の熟達次元も高いことを云う。Web検索に拠れば、「ミハイ・チクセントミハイのフローモデル」というのがあり、「無感動」であると「挑戦レベル」も「スキルレベル」も最も低いとされている。人は自らが取り組むことに納得し感動しまさに「浮き立つ」ような状態であることが、「挑戦」も「スキル」の上でも最上の状態の入ることができる。向き合うことが上手くいき、さらには実に爽快感を感じる状態のことだ。昨日はある意味でこの「フロー状態」に至ることができた。今月の原稿〆切も間近、非常勤の講義を終えて本務校に帰着し「その原稿が書きたい」という衝動にかられたまま規定の字数まで一気に書き上げた。その間、昼食は?とか他の仕事は?という邪念は一切なく、まさにWBCの翔平モードであったような気がする。自らが書きたいものを、書きたいように。まさに文筆に向き合うものの「フロー」の原点がそこにあった。
次から次と水をかけるように押し寄せる仕事
まあこれらもまた「力水」と理解しておこうか
「フロー」「コントロール」「リラックス」を自ら作り出そう!
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やり切って副交感神経の宵へ
2023-07-15
次から次へと眼の前に現れる仕事恩師はチャンバラに喩え「荒木又右衛門36人斬り」
そして金曜日のよい(宵・酔)へと誘われて・・・
計画して研究や仕事を進めていると、予期せぬ仕事が眼の前に現れることがある。必然的に持ち時間は圧迫され、融通が効くものは後回しにせざるを得なくなる。ここのところ小欄でも流行りの「タイパ」ならぬ「時間の使い方」に言及しているのは、こうした事態にも上手く対応したいがためである。次から次へと公の顔をしながら仕事をこなす、心の健康を考える際によく言われる「交感神経優位」な状態である。時に集中度が増すと「フロー」な状態に入れることがあり、「時間以上」と思われる仕事の仕上がりに至ることがある。だが「仕事」は自らのペースだけで進むわけではない、多くの「先方」とのやりとりには予想もしないイレギラーに対応しなければならないことも少なくない。とはいえ、こうした「仕事」に自らの研究も含めて、波に乗って流れを作ることが肝要だと最近は思う。
「忙しい」のはもちろん僕だけではない、妻もたくさんの仕事に向き合っているのだと実感する。この日は朝から「お互いやり切ろう」と声を掛け合い、金曜日であるゆえに気合を入れ直した。僕の人生の師ともいえる恩師は時代劇がお好きで、「荒木又右衛門36人斬り」の話をよくしてくれた。先生は入試問題に向き合う際の心得として、「又右衛門のように相手が36人と思う勿れ、1人1人が相手だと思い集中せよ。その結果、36人に対処できるのである。」と言い聞かせてくれた。「又右衛門」の話は俗説的な言い伝えであろうが、まさに多くの仕事に向き合う際の心得として秀逸である。チャンバラの場合、「1人」への集中を疎かにしたら自らが「死」に至るしかないのである。などと考えて、この日は7時過ぎまで仕事に集中し「斬」った。その後は妻と近所の焼鳥屋へ、「この時間を目標に頑張れた!」とお互いがジャージに着替えるように副交感神経優位に変遷していくのが自覚できた。
この後は「何をせねばならない」のない時間
豊かな金曜日の「よい(宵・酔)」へ
「やるだけやる、意気地のない人生なんてふざけるな!」
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