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残時間タイマー

2024-05-14
人は誰しも、自らの持ち時間が有限であることを忘れがちだ。昼なのに照明をつけっぱなしのように、意識しないと無駄に時間を浪費してしまう。小欄なども「現在過去未来」と時間意識を持つことが書き始めた動機でもあった。「今しか生きられない」などと言葉では書くものの、果たしてどれほど「今」を大切にしているのかと思うこともある。「今」できることは「今しか」できないこと。「あとで」「いつか」「きっと」は決して叶えられる保証はなく、「できなくなる」と考えた方がよいだろう。

早朝に小欄を書く持ち時間を原則「30分」と決めた。他にも早朝に、こなしたいことがいくつかある。先週末、残り時間が可視化できるタイマーなる商品が届いた。デジタルの数字がカウントダウンされつつ、左側ではその割合を示すバーが積み木を減らしていくように表示される。「今」タイマー表示が「残り16分8秒」だった。ほぼ半分で小欄を書き上げられそうなので、「今日」もペースは順調だ。当初は「時間に追われ過ぎる」と思ったのだが、これを使用してみると昨日の作業効率は格段に上がった。自らの人生、いやこの国も、いやはや地球も、いずれどうなるかは誰も判らない。残り「11分11秒」となった、余裕を持ってこそ「今」を大切にできる。


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5年後5年前

2024-05-13
ちょうど5年前のこの日はすこぶる快晴だった。人生の記憶でその日の天気が明確に刻まれているのは、何日ぐらいあるだろうか?閏年のおかげもあって、曜日も日曜で母の日。妻も僕も相互の母に最上のプレゼントを贈ることができた日だ。小学校の時、1年生から6年生になるにはかなりの時間が必要と思っていた。コロナ禍を挟んだせいもあるが、この5年は瞬く間に過ぎたような気がする。だが間違いなく、着実に積み上げたこともあると思いを巡らせるための日が来た。

2021年・2023年と2年おきに2冊の単著を刊行した。目に見える成果は、自分自身の生きる道を、灯台のように照らしてくれる。著書が次の著書を生み出し、「書く」モチベーションを上げてくれるからだ。「積み上げ」という意味では、あらゆることが「今」を重ねることだ。「今」の言葉に深く思索し、次の新たな言葉に出逢う。このように「今」を大切にすることだけが、更なる5年後を輝かせるためにできる。この「今」を繋いで夢の未来へと歩みたい。


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歯科医

2024-05-11
お化け番組「8時だよ全員集合!!!」のエンデイングで、「いい湯だな」の替え歌に乗せて曲間に加藤茶さんが子どもたちに諸々と呼びかけた。「宿題やったか?」「歯磨けよ!」「また来週!」といった調子だ。幼な心にこの「歯磨けよ」というのは、先生などに言われるよりも心に響いた。だがそれに反して小中高大と学校が進むにつれても、あまり歯を大切にしなかったように記憶する。大学になって硬い煎餅を食べて奥歯を割った。その後も前歯が虫歯となり、なんと葡萄の種が挟まって欠けてしまったなど、アクシデントが多かった。

しかし大学を卒業する頃から、いわゆる「健康ブーム」で「モテる男は歯を磨く」などの特集がファッション雑誌などで流行した。当時できたばかりの「東急ハンズ」へ出向き、ブラシなども工夫された商品を選ぶようになった。その結果、今は何とか良好に自分の歯を保全し維持している方だと思う。幼少時からの歯科医を列挙すれば、実家至近の「I歯科医」大学近くの「G歯科医」再び実家に近い「A歯科医」、引越し先の「H歯科医」そして宮崎の「N歯科医」と生涯で5件の歯科医にお世話になって来た。現在は3ヶ月に1回のメンテと歯磨き指導があり、より意識が高く歯が保全されている。しかも年々と治療にはほとんど痛みが伴わなくなった。自分が大人になったと同時に、(先生の腕を含め)歯科治療技術の進歩をつくづく感じている。


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近くにあるが見失っているもの

2024-05-07
詩人・批評家の若松英輔のX投稿に教えられている。直近のものでは「自分の心、自らの固有性、二度と繰り返すことのない『今』という瞬間。そして、生きていることの意味。」などを「近くにあるが、見失っているもの」として挙げている。我々はむしろ近いものを「当然見える」と傲慢になっているのではないか?若松は前述の投稿に至る前に「(自他が*筆者注)言えなかったことに思いを馳せる必要がある。」としている。そのためにも「深く聞く」必要があると説いている。「『読むこと』と『書くこと』は呼吸関係にある。」というのも興味深く、「『聞くこと』と『話すこと』にもいえる。」とある。

遠いと近いは相対的なものだが、遠いものは見ようとするが近いものは見えるゆえに意識して見ていないのかもしれない。あるいは老眼の場合に近すぎて対象を目から離すように、近いゆえに見えず目を背けてしまう場合もあるだろう。これを「聞くこと」で考えれば、「近すぎて言えない」ことがたくさん近くにあることになる。言葉にならない「言えない」ことをいかに「深く聞く」か、この姿勢を身に宿すためにも詩歌を読むことに意義があるのではないだろうか。自分が本当に言いたかったこと、人は誰しも心の奥でそんな言葉を持ち続けている。ゆえに一番近いはずの「自分の心」を、「深く聞く」ようでなくてはならないと知る。


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人として

2024-05-03
「何も特別なことはしていない、仕事として当然のことをしたまでです。」とその人は言う。だがこちらからすれば、時間一つにも相手の立場を思いやり、和やかな時間を演出し弱き立場の人を守ろうとする思慮深き人がいる。こんな風に思える人との出逢いは、誠に幸せなことだと思う。あらためて僕たちは、「仕事」のために生きているのではなく「人」として生きているのだとつくづく思う。「仕事」の上では手段を選ばず、というような風潮が横行する世の中だからこそなおさら「人として」を痛感する。

だが「人として」を考えすぎると、自らが辛くなり物事の進行が緩慢に見えたりもする。誰しもが思慮深いわけではなく、不意な言葉に傷つくこともある。短歌が「何をどう詠むか」が基礎基本であるように、同じ目的を叶えるためでも「どう言うか」は大変に重要なのだと気付かされる。思慮深い人は、そのことに気づき自ら傷つきながら前に進もうとする。迷い気づき傷ついてもいい、思慮深いと思える人と深く語り合える仲である自分でありたい。


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言葉の海

2024-04-23
三浦しをん原作『舟を編む』のTVドラマ版10話(NHKーBS・日曜夜放映)が、この4月21日に完結した。毎回、録画して月曜日の夜に観るのが通例になっていたが、その度ごとに自らが歩んできた道と比較して様々な情動に突き動かされている。「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいる」というのがこの作品題の意味である。とある出版社の辞書編集部の個性的な面々が、新しく刊行する中型辞書『大渡海』を完成するまでの苦悩と情熱が描かれた作品である。

この作品が激しく僕の心に刺さるのは、二つ理由があると思っている。一つは「言葉の海」に自らはどのように関わっているか?ということ。ドラマの登場人物ほどの情熱と没頭をしているのか?という問い掛けが常に胸に突き刺さる。もちろん僕の仕事は辞書編集ではなく、和歌・短歌を中心とする研究と教育である。だが「言葉の海」からどんな短歌を掬い上げ、また残せる短歌を投じられるかにおいてまだまだ生半可であると自らを戒める気持ちになる。もう一つはドラマ上のの編集部への憧れ、一冊の辞書を編集する上での個性がぶつかりながらの結束の力が大変に羨ましいと思う。などと思いつつ、『若山牧水事典』など構想できないものかと思いを膨らませている。


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道を拓く

2024-04-19
「どこかに通じている大道を僕は歩いてゐるのじゃない/僕の前には道はない/僕の後ろに道はできる」著名な高村光太郎の『道程』、その元となる長詩の冒頭である。中学生の頃、教科書に載る一節(この長詩の最後から抄出)を読んで、人生はこう歩むのだと心に刻んだ覚えがある。他人の力を借りるのではなく、自らの力で道を拓くのが人生なのだと思った。この年齢になってあらためて思うに、大学学部卒業後に中高教員となり10年後に二足の草鞋で大学院進学し学位取得まで、さらには大学教員となるに至るまでの「道程」は、光太郎の詩の通りではないかと振り返ることができる。

人生という道を歩むというのは、自らが道を拓くことである。何もない大草原の草木に分け入り、降り積もった新雪に自らが最初に足跡をつける。誰かが切り拓いた道を歩むのは、安全で容易かもしれない。しかし、あの人のような道を歩みたいという尊敬する目標はありながらも、実際に道を拓くのは自分だ。辛く苦しい地平の先に、必ずや希望の光が見えて来る。自ら道を拓こうとすれば、きっと助けてくれる人にも出逢える。いつどんな年齢になっても、こうした志を忘れずに生きるのが尊い。悩んでなんていられない、ただただ今日の道を拓くのだ。光太郎の詩をあらたに噛み締めつつ、母が身を以て伝えてくれることに大きな励ましをもらうのである。


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踊るポンポコリン

2024-04-18
授業に向かう時はいつでも、心が踊っている。向き合う学生が新たな発見をして、90分で何かが変わって行くのが楽しみだからだ。学生の反応・発言・書記・対話から、踊るような希望をもらっているのだと思う。このように考えるだけで、腰のあたりがムズムズして来る。この衝動こそ、僕自身が教師たる存在理由だと思うこともある。人生は、心が踊ることに向き合っていたい。研究も教育もともに心が踊るような向き合い方をしていたい。

ちびまる子ちゃんのテーマ曲「踊るポンポコリン」の歌い出しは、有名な「なんでもかんでもみんな〜踊りをおどっているよ〜」である。鳥も草木も空も海も、万物はみな生きており踊りをおどっている。神楽を考えれば明らかなように、神への祈りを捧げるのも「踊り」によってなされる。生きることの根本に、「踊り」があるのかもしれない。これからもまた「心が踊る」ことを大切に生きてゆきたい。附属学校との共同研究の希望を語るとき、心が踊った自らを見つめて。


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杞憂

2024-04-14
むかしむかし、中国の「杞」という国に「空が崩れてきて身の置き所がなくなる」と心配して、寝ることも食事を摂ることもできない人がいた。この人を心配した人が「空が落ちてくることなどない」とあれこれ説明してようやく納得させた、という故事が『列子』という書物にある。もちろん地球が宇宙に存在する天体だともわからなかった時代、「空が崩れ落ちてくる」のを心配した人は少なからずいたのだろう。「杞憂」は故事成語となり、「無用の心配、取り越し苦労」の意味で現代日本語で通行する。

真相がわからないのに心配だけが先立つのは、現代でも変わらない。優しい人ほど、自らの解釈の上で「杞憂」を重ねに重ねてしまうことがあるだろう。だが真相と受け止めた解釈には隔たりがあることを知れば、むしろ無頓着で鈍感でいた方が生きやすいのかもしれない。野球の打者は、10回中7回を失敗しても「3割打者」として讃えられる。サッカーでは1得点さえできなくても「0−0」で引き分け勝ち点がもらえるかもしれない。もっとも現代では、空の皮膜が劣化し地球で人間が生きられないほど高温になるかもしれない誠の心配がある。傲慢すぎる人間を戒めつつ、必要以上の心配をせぬことが自分を大切にするということだろう。


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自分を何より大切にする

2024-04-11
くよくよして時間を浪費し、バカにしてくるやつを気にかけ、尊敬できない人に好かれるように気を遣う、気が合わない人のそばにいて、リスペクトがない人と仕事をしている、苦手な人をなんとか克服しようとして、余計な神経を他人にばかり使っている、自分を何より疎かにして、自分の最大の味方になる他者をあてどなく探し、猫背で日々を歩む、、、

作家の辻仁成さんが、Xに前述の真逆の内容を投稿していた。
「くよくよする時間はない/バカにしてくるやつは無視/尊敬できない人に好かれる必要なし/気が合う人のそばにいる/リスペクトのない人と仕事はしない/苦手な人は苦手のままでよい/余計な神経を他人に使わない/自分を何より大切にする/自分の最大の味方は自分/胸をはって行け!」

あなたは、どちらの生き方をしていますか?
辻氏がパリ在住なのは有名だが、さすがは個人主義の国。
否、「国」や周囲の環境など問わず「自分を何より大切にする」ことこそ生きることかもしれない。

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