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明るさと暗さを受け止めてー宮崎の空

2023-03-29
起床後は太陽の光をあびるほうがよいとか
就寝前はスマホ画面の光を受けないほうがよいとか
明るさ暗さと人間の心身と

日常の生活であれば、小欄はなるべく季節を問わず同じ時間に書きたい。起床後は睡眠中に前日の記憶が整理され、その人にとって必要と思われることだけが脳内に保存されているとも云う。何を重視し何を削除するかもその人の意識次第なのだろうが、となれば小欄の内容の積み重ねこそが自分自身が生きる道標にもなる。早朝の同時間に行動をすると、窓の外の日の出時刻が次第に早まって来る。特にお彼岸を過ぎたこの時季は、東の空が茜色になる時間帯が急速に早まる印象だ。「春はあけぼの」と平安時代から美しさがもて囃されて来たが、「紫だちたる雲」の素晴らしさは時代を超えて格別である。実家にいる頃から、自らの机の前の窓が東向きであったことから、「朝焼け」の回数をたぶん誰よりも多く見ているかもしれない。今もまた、やや雲が多いながら東の空が茜色になっている。

宮崎に住むようになって、明らかに空をたくさん見るようになった。高村光太郎『智恵子抄』に「智恵子は 東京に空がないと言った」とあるが、大正・昭和の時代から「東京」には「空がなかった」のかと思う。東日本大震災の記憶も何処へやら、今も高層ビルが乱立し続け「空を突き刺す」かのようで異様な空間がかなりの面積で広がっているのが東京だ。航空機で羽田空港に着陸する際の空は、喩えようのない濁りに見えるようになったのは宮崎に住んでからだ。光太郎のみならず、若山牧水も歌人としてやむなく東京に住んでいたが、妻の療養で三浦半島へしばらく保養に出向いたり、最終的には富士を仰ぎ海を遥かに見渡せる沼津の地に移り住んでいる。大空と大海と、その果てにある一粒ほどの我が命。そんな思いで人間の小ささを意識すると、あらゆるものへの感謝が湧き上がるものだ。今日も陽はまた昇る、それが当然のことなのかどうか?大空の顔色を伺う必要がありそうだ。

帰宅時間にまだ明るさを感じるように
太陽と空の青さに感謝する日々を
生きるということ いま生きているということ


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宮崎在住10年目の日にー生きる出逢いのすべてに感謝

2023-03-26
2013年3月25日、東京を発ち宮崎へ来た日
この地でどれほど温かい方々に出逢えたか!
そしてまた10年前に見送ってくれた東京の仲間たち

「10年ひと昔」というのは既に古い、という時代感が世間では囁かれる。だがやはり「10年」というのは生きる上でも大きなまとまりであり節目である。社会の変化の速度が上がったと言うならば、「5年×2」とか「2年半×4」とか考えてもよい。一つの「時間のまとまり」として回顧すれば、納得できることもあり後悔することもあり。さらに流れては止まらない自らの人生を局部的に俯瞰し分析したり思いに浸ったりできる。宮崎に来た10年前、僕は大きな希望を持ちつつも初めての地方暮らしや東京の仲間と離れることの愛惜などを抱え込みながら、今住んでいる自宅の近くの賃貸マンションの一室に入った。越して来た当日の2013年3月25日、何をしたか?確か桜が今年よりも早く咲いており、綺麗な所属学部の前の並木の光景を写真に収めている。夕食は今は無くなって焼鳥屋になった、マンションに隣接するファミレスで食べたような気もする。などと考えて妻と夜のウォーキングをしていると、「最初に逢った夜にファミレスで話したね」と妻が言った。

10年間のありがたき宮崎の数々の出逢いに感謝しつつ、東京で僕を送り出してくれた仲間のことも思い出した。この10年間は、明らかにその前の5年間・10年間と連なっている。博士号取得に自分のすべてを掛けた日々、そして取得後には公募採用へ向けて応募書類を出し続け「不採用通知」を考えられないほど受け取り続けた日々。その先行きの見えない不安をいつも支えてくれた、他業種の仲間たちの温かい眼差し。人生とは自分だけで翔ばねばならない空、泳がなければならない海であるのだが、鳥たちの「止まり木」のような、冷えた身体を暖める島のような、そんな仲間yと場所がどうしても必要なのであろう。もちろん根幹を支えてくれる妻や親や親族は大切だ、だが懐を深く苦しい空を飛び、荒波を越えて泳ぐには、支えてくれる人々の声が求められることを、この「20年間」で知った。温かく大切な関係を意識すれば、相互に「助けられた」と思っていることが少なくない。自らが「温かい気持ち」でない限り、「あたたかさ」には出逢えないということだろう。

「人生を楽しむとは?」
この10年間、さらにその前の10年間で少しわかった気がする。
いま再び原点を見据えて今日から宮崎での11年目が始まった!


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水仙のこころーお彼岸入りにして

2023-03-19
庭の叢に咲く水仙たちの立ち並び
黄色の口先で何を語り掛けているのか?
春の雨風に前のめりに倒れるその姿

自宅の近所を見回しても春の気配が次第に深まっている。数軒向かいの家の樹木には鳥たちの飛来が盛んで、その待機場所のように我が家の屋根にも雀たちが元気に飛び跳ねる姿が爽やかだ。また先週の深夜には赤ん坊のような鳴き声が深夜に響いてきて、よく聞くと猫の鳴き声だとわかった。早朝に小欄を書いている時にも同様に鳴いていて、春の発情期なのだと「人間」として知らされる思いである。また庭の叢には、水仙が行儀よく並んで盛んに花を咲かせている。昨秋ぐらいに義母がうまく球根を揃えて植え直してくれた成果が、こうして春先に顕れてくる。花芯を取り巻き黄色ともオレンジとも言えぬ美しい色をつけ、その周辺の花びらの純白さを引き立てている。春の盛んな生命の営みには、人間としても勇気付け励まされるような思いである。

「花に嵐の喩えもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」とは井伏鱒二の漢詩翻訳詩として有名である。春に花が咲けば皮肉なことに雨風が嵐のように襲い、その花を無情にも散らしていく。「出逢い」があれば必ず「サヨナラの別れ」があるものだ。一昨日からの雨で庭の水仙のうち何本かが、顔から前のめりのような姿勢で地べたに倒れ込んでいた。だが、彼らの力はこれで終わりではない。それらを切り花として妻が活かし、お彼岸入りの実家へと届けることにした。水仙の清廉さが義父の眠る仏壇の前を華やかにし、僕らの彼岸への思いを繋いでくれるかのようであった。「前のめり」というと野球漫画の傑作『巨人の星』で主人公・飛雄馬の父・一徹が坂本龍馬の言葉として「死ぬときは前のめりに」をよく言い聞かせていた。「生きる」ことの真の意味を、春先の水仙に教わる彼岸入りである。

春は人間も芽吹く時節にして
体調の変化に諸々の注意が必要だろう
四季があり暖かくなることの意味を噛み締めつつ


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一番近きところに死角ありー己の心身に正直に

2023-03-14
自動車にモニターがあり後方はよく見える
だが肉眼に一番近いミラーを見落とす
自らの心と身体を見つめるためにも

自家用車を公共の駐車場に停車させる際に、こだわりたいことがある。左右前後の車がどう動くかを想像し、配慮して停めるということだ。枠内であっても、微妙に左右の位置が重要になる。昨日も停車後に降車すると、左隣の車との距離が大変に近過ぎることに気がついた。しかも隣の車は高齢者マーク付き、自らの父母が乗降することを思い浮かべると到底この幅では乗り込めないと想像し再び自家用車を他の場所に移動することにした。移動先では横の車との意識が過剰になったのだろう、端に寄せすぎて右側のミラーを柱に当てて破損してしまった。幸い軽傷で済んだが、大変に重要な教訓をもらったと考えるようにした。バックモニターがあるため車の後方はよく確認できるが、むしろ肉眼に一番近い右ミラーが死角になったのだ。そう!人は近くて見やすい場所こそ、見るのが難しくなるのだろう。正直なところ、当該駐車場の車幅枠そのものが狭過ぎて、SUVにはやや無理があるのだという条件なのも確かだったのだが。

僕たちにとって一番に近いのは、自らの心身である。だが真に自らの心がわからないことも多く、自らの身体は予想もしない傾向を示すことも健診などではよくあることだ。「わかっている」と思うものが、実は一番「わかっていない」と考えた方がよいのかもしれない。特に身体の場合は、その把握に自らの「心による偏った解釈」が加わることになる。病気が発覚すれば「怖い」という心が、正確で適切な診断結果を拒否したり診断そのものを疑ったりしてしまう。癌などは早期発見で治療できる病になりつつあるが、健診や診断への拒絶によって発覚後の手遅れにもつながりかねない。僕たちが一番知らないのは、自分自身の心身であることを今一度自覚するべきではないか。例えば、小欄にも前述の「ミラー破損」のことを記した。自らの負の行動を書くのは、ある意味で憚られる。だが自らの短所や失敗や苦悩なども、短歌にすることで他者の共感を呼ぶことは少なくない。お読みいただいた方には、まず「自らの近くこそが死角」であることを心に留めて行動していただきたい。

真の勇気とは自らを丸裸にして知ること
そして心身に不浄なものを溜め込まないことだ
人間の身体は常に新陳代謝をくり返しているのだから。


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時計の塔と夢の高さ

2023-03-05
「ふり仰ぐ時計の塔に 青春の眸は澄みて」
あの日あの場所でどんな未来を夢見ていたか
母校近くで叶える夢のお店へ

命をいただいた母、学を創り出してくれた母校、そして母なる大地・山・川・海。いずれも「母」と思えるものは大切にしていかねばなるまい。そんな思いで、母校のキャンパスを歩く。自らが学んだ頃からすると建物もだいぶ様変わりはしたものの、それぞれの雰囲気は色濃く保存されている。「学」の基盤を養った文学部キャンパス、現職教員をしながら強引に通い詰めた教育学研究科の学びがあった建物。また大学のシンボルとなる講堂前に来ると、18歳であった僕が入試を受けに来て開門8時を待った場所に立つことにしている。其処から人生が大きく動き出した、といっても過言ではない場所だ。冒頭に記したのは「早稲田の栄光」という曲の一節だが、「時計の塔」を「ふり仰ぐ」あの時の「眸(ひとみ)」は「澄みて」いたのだ。そこからの時間的距離を実感し、自らの「学」を「進取の精神」でさらに挑戦していこうという思いが高まる。

大学院時代にお世話になった教授ご夫妻が、母校近くで洒落た料理屋を昨年12月に開店させた。素材にこだわり産地にこだわり、そしてご夫妻の夢を叶えた空間である。親友と現地で待ち合わせたが、僕が先に入店するとスタッフも顔馴染みの方が従事していてのっけから楽しい気分にさせていただいた。僕が中高教員だった頃から、教授ご夫妻には自宅に呼んでいただいたりひと方ならぬお世話になっていた。特にこの日にともにお店に伺った親友との仲も、そのお陰で大変深いものになった。人には様々な夢がある。文学を研究し世に問い、それを講じたり表現したり、そして教育の場で多くの若者に出逢う。僕らの仕事の共通する思いであろうが、さらに年代とともに叶えたい夢に踏み出すのも素敵な生き方だ。お店は満席で多くの人たちが、国などを超えて交流を深めている様子が窺えた。最初に教授ご夫妻(女将)に「朗読の研究会をしませんか」と僕が持ちかけて今年で20年、それぞれがそれぞれの声で今もまた新たな生き方に挑戦している。

人生を楽しもう!
自らが何をどうやって命を燃やし続けるか?
母校はいつでも自由に思い通りに邁進せよと背中を押してくれる。


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家族写真と和服

2023-02-20
家族が笑顔で揃う嬉しさ
和服を着た時の凛々しさ
思わずユーミン「卒業写真」など聴きながら

21度と春らしい気温となった宮崎、日々思うのは日本代表キャンプがどうなっているか?ということ。その活気と待望の春が重ね合わさって宮崎の賑わいが創出されているような気がする。この日は、妻の姪っ子が成人式を1年先に控え記念写真を前撮りするという機会に加わった。昨今の「サブスク(定額使い放題)」流行の一端であろうか?本人家族のみならず、親族が加わっても「定額」ということらしい。妻と義母とともに店に行くと大泉洋さんに似た店主が笑顔で応対してくれて、既に姪っ子らの撮影を楽しそうに行なっていた。これもカメラがフィルムからデジタル化した影響なのだろう、硬い表情で細部までこだわるというよりは明るい雰囲気での撮影が何枚も重ねられる。機器の進化は「記念写真」の性質さえも変化させているようだ。

妻の甥っ子も大学卒業を控えコロナ禍にあって正式な成人式の機会がなく、今回ともに撮影できたのは良かった。僕自身はやはりこの2年間、新年会などで和服を着る機会もなく久しぶりに袖を通した和服の着心地が良い。祖母の手縫いの和服を着ると、凛々しい気持ちに時を刻む節目を実感する機会にもなる。それにしても写真撮影という時間が、こんなに楽しいものとは思わなかった。スマホで同時撮影ももちろんOK、その雰囲気と制約のない写真スタジオを存分に楽しんだ感覚だった。夜は馴染みの和食店で宴、刺身に添えて日本酒「黒龍」を注文すると、早咲きの河津桜の枝が氷の中に挿されていた。この趣向には思わず『枕草子』の「雪月花の時、最も君を憶ふ」とある一節を思い出した。家族がそれぞれを憶ふ機会、季節の花が添えられ春本番も間近な宮崎である。

車窓には一面の菜の花畑も素晴らしく
2月もはや、下旬となる
日本代表キャンプも第1クールが終了した。


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どれもこれもあれもこれもー疲労した脳と身体のために

2023-02-14
ハードスケジュールな先週末3日間
疲れは後追いでやってくるもの
何とか脳を動かそうとはするのだが・・・

行事や企画ごとは、参加後に充実感や達成感に酔えるものである。それを糧にするからこそ、明日への力が湧くものだ。だが筋トレに筋繊維の断裂が伴うように、脳と身体も休める時間が必要になるのだろう。本来なら休みたいところにあって、月曜の朝一番からの会議がやって来る。スケジュール上において「わかっていること」なのだが、普段よりも重く感じざるを得ない。会議後に研究室でメール開きどれもこれもあれもこれも、が気になりどこから手をつけていいかわからないような気になった。大学受験でお世話になりその後も長きに親交があった英語の著名な先生は、いつも「荒木又右衛門三十六人斬り」を例に大量の入試問題に向かう術を教えてくれた。「三十六人いると思ってはいけない、眼の前に向き合う一人を確実に斬るのです。」という気構えが大切だと仰っていた。それを思い出して少し平常心を取り戻し、「眼の前」に向き合うことができるようになった。

疲労を回復するには、明らかに栄養と休息が必須である。ゆえに昼食なども気を遣いたいところだが、こうした日は学食で買うパンなどになりがちだ。せめてタンパク質摂取を心がけ、卵・肉などが入ったものに牛乳を添える。筋肉に栄養が必要なように、意識して脳にも栄養を送り込む。またこうした状況においては、「引き算の法則」が大切だ。既に予定されていたものでも、キャンセルできそうなものはやむなく「引き算」をする勇気も必要だ。夜には「宮崎大学短歌会歌会」が予定されていたが、さすがに参加を見送った。だが詠草だけはと凝り固まった頭でことばを紡いで出詠、事務仕事が進む際にはとりわけ上手く一首が立ち上がらないのだが。そうしている間にも、次の期限があるものなどが気になり始めてしまう。変わらずどれもこれもあれもこれも、という脳内の負の螺旋から抜け出せない。もういっそ、家に帰って早く寝たいという心境になりつつ、その空間から抜け出せない負の連鎖の中にいた。

気がづけばあまり歩いていない
夕食で十分なタンパク質をいただく
睡眠7時間の確保が重要と言われるが、この世には気になることがあり過ぎる。


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朝の習慣と人との出逢いを再考する

2023-02-10
命ある今日1日の活かし方
朝の習慣として「運動・新聞・アイディア・内省」が肝心と
誰しも公平な持ち時間をどう生きるか?

どう生きるか?というのは1度しかない人生で大変に重要な問題だ。だがそう考えていても、身動きが取れなくなる。考えているより、今できることを「実行」する。最近はあらためて肝に命じてそう思う。コロナ禍の3年間は、我々の「声」のみならず「行動」の積極性を奪ったのではないか。「実行」より「内に籠る」思考になってしまっているなら、そろそろ外に向かい始めてもよい。なるべく多くの人と出逢い喋るのは人生の至福のはずだが、「なるべく人に出逢わず喋らない」ことから脱したいと殊に最近は思うようにしている。人と出逢えば、新しい世界が見えてくる。その時間を、惜しむべきではない。限りある人生で、どれだけ多くの人たちと交友し多くの分野のことを身近に感じて生きていたいものだ。もちろんこれは国内に籠るにあらず、世界へ向けて未だ見知らぬ人と多く出逢いたいものだ。

広い世界に視野を拡げるには、「今日」をどう生きるか?ということに集約される。あるWeb
記事では、「できる人」は朝の習慣として「運動・新聞・アイディア・内省」を行なっているのだとあった。自らを当て嵌めてみると、その通りな朝が習慣化されている。「アイディア・内省」は小欄を書くこと。その後にコアトレ・ウォーキングが「運動」、朝食に前後して地元紙に貴重な情報を追いかける。この2/24(24分の2)時間が、1日の「行動」の起点になる。文章を書く鍛錬と脳内の整理、身体が順調に自らの命を支えてくれますように、そして住む地域の様々な人々の生き方に新聞紙面で触れていく。このような「朝」が、1日を大切に長く感じさせる秘訣にもなっている。その先で仕事に入ると、まさに「動きながら考える」ような時が過ぎ行く。殊更、学期末である現在はその度合いも甚だしいが、だからこそ希望や外に向けた志向を強く期待を高める必要もある。中身のないスカスカの人生は送りたくない、だから「今日」の密度を日々高めていくのである。

人との交流の場を期待するワクワク感
地元地域に根ざす大きな短歌の世界観
そしてまた広く様々な分野の人たちとの出逢いを楽しむ!


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あらためて年頭の目標を見つめる

2023-02-01
1月は早く過ぎ去ったのか
次年度へ向けて様々な〆切もあり
そしてプロ野球キャンプが始まり球春到来

いま2月1日早朝の宮崎はまだ暗い。こんな中で身近な空間にキャンプに訪れているプロ野球球団の選手でも、特に「今シーズンこそは!」という決意を持って目覚めている若手がいるかもしれない。先ほど寝床から起きて最初に、こんなことを考えた。プロ野球選手にとって「2月1日」こそが「元日」、秋までの長い1シーズンが始動する。もちろん奮起する選手こそ、「2月1日」までに心身を仕上げておかねばならず、これまでオフの鍛錬が物をいうのは言うまでもない。だが明らかに「意識が変われば行動が変わり、行動を変えれば結果が出てくる」ということだろう。「プロ野球」といえば、初任校に勤務していた20代の頃に多くの教え子が甲子園を経験しその世界に飛び込んだ。「プロ」となった彼らを陰ながら応援しつつ、僕自身は果たして「教師のプロ」としていかがなものか?と大きな疑問を抱いた。その意識が僕を再び大学院という「研究・教育のプロ」の場に引き戻した。それから四半世紀の時が流れたが、毎年の年頭の決意ではあらためて自らの「プロ意識」を問うようにしている。惰性や馴れ合いで「研究・教育」はできまいと。

今朝一番にプロ野球選手の「意識」を想像したのは、自らの「年頭目標」を再認識せよという啓示だろう。手帳の「1月1日」に記した目標をあらためて見直し、この文章を記しつつ自らの「プロ」としての今年の進捗を確かめる。1ヶ月で何ができたか?日々の意識は高いものがあるか?諸方面と連携して実施する活動は、多くの人々との関係を良好に保っているのか?あらためて今日は、「プロ野球選手」のような気持ちで春に向かう2月の日々に賭ける思いを抱いている。大学では4年生の卒業論文や次年度指導教員届(ゼミ決定)の教務係への提出が〆切となった。卒業への集大成と希望のある学生時代を築くため、学生たちも意識を持って決意をしている。などと考えると僕らの仕事は「指導者」としても「プロ」でなければなるまい。やはり初任校では、全国大会常連のサッカー部があったが、その指導者の意識から学んだことも計り知れない。旧弊に囚われずに「やり方」さえ意識を高くすれば「全国制覇は現実となる」、といった趣旨を指導者がいつも口にしていたのを思い出す。誰しもが「初日」は、意識を持って物事に臨むだろう。ただそれが常に継続するかどうか?「プロ」として大成するか否かは、常に意識の更新をし続けるかによるのだと思うところである。

1月にできたこと物足りないこと
いまここで持てる意識と行動と
今月は宮崎に滞在する「プロ野球」から多くを学ぶ月でもある。


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情に厚いとはどういうことか?ードラマの断層

2023-01-06
NHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」
主人公の育った町工場が発展し「株式会社IWAKURA」
されどリーマンショックの苦境の中で・・・

ドラマをどう観るか?そこに心の豊かさがあるように思う。朝の連続テレビ小説は、実に小刻みであるが短いゆえに人間の情の断層が詰め込まれている。その断層面の地層をいかに読み解くか?史実としてのモデルがいる場合もそうでない場合も、虚構を読んで現実以上の真実を導き出すのが心の豊かさと言えるだろう。昨今、こうしたドラマへの「クレーム的批判」がSNSに渦巻くと聞く。僕自身がSNSを覗いたわけではないが「現実にはあり得ない」とか「主人公の言動は考えられない」などだそうだ。その背景には、小中高の「国語」の授業において「文学」の扱い方への偏向があるのではないかと一要因に数えたくなる。さらに大きく言えば「このように生きねばならない」に同調させる「学校」という装置の教え方である。一方で「多様」と言いながら、一つの「道徳観」に収斂して教えてはいないだろうか?その結果、多くの人が疑いもなく「マスク」をつけ続ける土壌ができていることにも連なる。「文学」「ドラマ」「映画」への閉塞的な見方の横行は、この国を矮小化させ自己完結できないのに自己満足する危うい感覚を醸成するのではないか。

現在放映中の「舞いあがれ」に話を戻そう。主人公はパイロットを目指し就職も決まるが、リーマンショックで1年延期。幼少の頃から両親の苦労を見て来たゆえに、その苦労に報いようとする。町工場を夢を持って大きくして来た両親の会社を1年間手伝う選択をする。一方で主人公の兄は、東大出で企業コンサルタントとして名を馳せており両親の経営方針が危ういので「工場を早期に売却」することを冷たく提案する。受験勉強に明け暮れ「効率第一主義」で育った兄と、身体が弱かったが両親や祖母の愛情で育った主人公とは、ある意味で「町工場」で育った子息の両極な性質が与えられている。この筋書きには、僕自身が両親の経営して来た会社を見て育ったことと大きく重なる部分が多い。こんな状況で、「株式会社IWAKURA」の工員である結城章が他社から給料倍額を提案され家族を養うことを優先し会社を去る決断をする。主人公の父は彼にどう対応したか?新しい仕事でも技術を発揮していた結城を引き止めるのか?昨日の回で父は、結城を「(他社から誘われるほどの)腕になって誇らしい」と言って退職届を受理する。結城もその情に感涙し感謝して会社を去るという場面であった。「情」だけでは会社経営はできない。だがしかし、真に「情に厚い」とはどういうことか?そして「仕事」とは何か?を深く考えさせられた。

多様な生き方・考え方を尊重するとは?
2000年代の新自由主義的な社会の中で
「連続テレビ小説」が訴える小さなメッセージの断層を読みたい。


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