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親の誕生日を祝う意味

2021-10-04
自らの命につながる日
母が身近にいることのありがたさ
誕生日を祝うことで明日を美しく

母が誕生日を迎えた。息子として何ができるかなどと構えて考えたりもするが、何よりともに宮崎の地に住んでいられることそのものがありがたいのだと思う。2013年に僕が宮崎に赴任してから、2019年までは東京と宮崎と1200Kmを離れていた。おかしなもので東京で10Kmと離れていない場所に住んでいる際は、何ヶ月も音沙汰なしということもしばしばであったが、遠く離れると頻繁に電話をするようになった。東京在住で地方出身の友人がよく故郷の親が心配だなどと口にしていたが、自らが地方に赴任することで同様の思いも抱くようになった。何物にも代え難く近くに住んでいるというのは、誠にありがたいことである。核家族化が一般的になった現在の社会において、独り立ちして後に親との関係を良好に保つのは大切なことだろう。長年、東京の荒波の中で過ごした両親が、穏やかな宮崎の地で過ごすことができるのは結果として豊かな時間を得ることができているのだと思う。

明治時代に戸籍制度が確立するまでは、多くの人々が自らの誕生日を知らないことが多かったようだ。今年の暮れまでには刊行する新刊著書に記したことだが、現在ではクリスマスと誕生日を似たような方法で家族で祝うのが一般的になった。普段とは違う食事をしてケーキを買って蠟燭に火を灯し当該者が吹き消す。(クリスマスの場合は誰と決まっているわけではないが)家族が幸せを感じられるのはどうしたらよいか?その象徴がケーキであるということだろう。気に入っているケーキ屋さんの情勢を見ると、他にも雛祭りとかバレンタインにも店舗は混雑している。確かめていないが今やハロウィンなどでも同様の傾向があるのだろうか。さて秋晴れに恵まれたこの日、母の誕生日を祝うために海の眺めよろしきホテルへ食事に行った。「まん延防止」なども解除になり感染状況も落ち着いてきたところ、今までは家で籠ってと考えたであろうがやはり外食の機会を持つことは貴重だ。海には多くのサーファーたちが波間に揺られていたが、やはりしかるべき場所で人々の姿を見るのは「社会」が感じられて元気が湧く。母には靴をプレゼント、元気の証拠である「歩くこと」を大切に日々を過ごして欲しいという願いを込めて。

もちろんメッセージプレート入りのケーキも
親への恩はいくら返しても返しきれるものではないが
自らの仕事・生活を充実させてこその恩返しだともあらためて思う一日。


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忌憚なくといふこと

2021-10-01
「忌憚=忌みはばかること。遠慮すること。多く打消の語を伴って用いられる。」
(『日本国語大辞典第二版』)
用例「忌憚ない意見をきかして下され」(多甚古村・1939・井伏鱒二・水喧嘩の件)

我々はどれほど自らの心の内を、露わにしているだろうか?夫婦・親子・恋人・親友など身近な人々に「心のまま」に言葉にして伝えているだろうか?せめてそのような身内にこそ、「心を打ち明けられる人」がいるということが生きる上で大変に重要なのではないかと思う。自分の中だけに「心の丈」を溜め込むと、何事でもやがて淀んでしまい疑問や苦しさだけが胸のうちに逡巡することになる。「話す」とは「放す・離す」にも通じるとよく云うのであるが、悩みや疑問は「はなす」ことを忘れないことだ。澄んだ水でも一箇所に溜め込めばやがて腐るように、「思い」を滞留させてはなるまい。我々の細胞がいつも新陳代謝をくり返して生命維持されているように、「心の内」に濁ったものを溜めてはならない。このような発想から「忌憚なく」という語は、使用されるようになったのだろう。だが「忌憚なく」と「打消の語を伴って用いられる。」というのは「忌憚ある」機会が社会には多いということの裏返しのようにも思われる。

欧米の文化に比べて、日本では特に「忌憚ある」機会が多いように思う。「思いの丈」は「言わない」でおくことが美徳とされ、水面下で暗黙に「わかる」のをよしとする。かつてよく使用された「空気を読め」という語は、この文化的背景を露わにした流行語といえるだろう。だが本当に暗黙な「空気」を、その場にいる全員が共有することなどできるのだろうか?「以心伝心」だとか「物言わぬ花」(「美人」を「物言う花」というのに対して、草木の花の称。『日本国語大辞典第二版』)という類の語彙が見出せるのも、こうした文化の表れだろう。欧米の場合、誰かが一定の主張・発表などをしたら、必ず「質問」をする習慣を持つのが一般的だ。相手の「考え」を尊重していればこそ「質問」すると見なされるわけで、「物言う」ことは「よく聴いていた」ことと同義だ。社会において自然な「対話」が成立する土壌が、欧米社会の教育・文化の根底にあると云うことだろう。「言わない」「言えない」でいると結局は相手の為にならないわけであるゆえ、向き合う相手を尊重していないことになるのを心得るべきだ。

「誤りを直さないことを真の誤り」と云う
「出る杭」などと否定的な語もある文化の中で
せめて夫婦や親子のうちでは「忌憚なく」が平和な家庭への道である。


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わかる・できる・やってみるー行動あってこそ

2021-09-23
「わかってるよ!」
他者に怒って言う口調
それは「できるのか?」「やってみる」行動はあるか?

子どもが親に「勉強しなさい」と言われると、たいていは「わかってるよ!」と反発するのはよくある光景である。子ども側の言い分からすると、「そんなことを言われるとやる気がなくなる」というのも定番な物言いである。多くの家庭で経験があるであろうこの会話だが、なんとか抜け出そうとして言い方を考えた方も少なくなかろう。親としてはどんな面でも子どもの行動が心配で口に出すが、子どもも「勉強した方がよい」ことは「重々承知」であるというのだ。考えるに、この「わかってるよ!」という反発は、ある意味で便利である。親の言うことの趣旨を「自分は知っているし、理解している」にも関わらず、余計な心配をして注意する親の方が間違っていると言うが如く反発して逃げられるからである。しかし「わかっている」とはどうすることか?また「わかっている」ならどうすべきか?が肝心であって、「わかっている」だけでは駄目なことをはっきりさせる必要がある。

教員養成の場でもよく語られることだが、「わかっている」だけでは「授業はできない」と云う。教材内容を研究し教える対象の学習者の実態を知り、授業計画を考案し板書に使用する教具などを準備する。だがいざ教室に行ってみると、「授業案』通りに「できる」のは容易ではない。教材研究などはその幾分の一が活かせるや否や?教育実習生を見ていると多くが、このような「できる」の壁を越えるために「やってみる」をくり返している。3週間の基礎実習であると最終週頃になって「できる」感触が、ようやく掴めるのが実際のところであろう。これはスポーツでも楽器演奏でも絵を描くのも同じではないか。プロ野球選手なら誰しもがどうしたら速い球を投げ、本塁打をたくさん打てるかを「わかって」はいる。だが高校の舞台でできてもプロでは「できない」とか、練習でできていても試合で「やってみない」と当人の資質は定かにならない。こう考えると大谷翔平などは、常に最高の舞台で「できる」「やってみる」を行動としてくり返している。本塁打がなかなか出ない時も、どうすればよいかは「わかって」はいる。ゆえに様々な微調整を実行動で「やってみる」からこそ、現在の数字が残せているのだろう。大人の社会では「わかっている」は通用しない、「できる」「やってみる」の行動あってこそ「わかった」ことになることを忘れている人がいるのが残念である。

「やってみる」をくり返して今の場所まで来られた
もしかすると「わかっている」と口にするのは「わかっていない」証拠か?
ふて腐れていては人生は豊かに生きられない。


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杞憂そして鬱積とならぬように

2021-09-12
「空が崩れ落ちてきて、身の置き場がなくなる」
古代中国・周の時代の「杞」国に人が寝食を忘れて「憂」えた
鬱積は日常を暗くするだけだ

「杞憂」の故事は、よく高校の漢文教科書などにも採録されることも多いが、人間は「心配をする動物」であることをよく表現した故事成語である。現代にして我々は地球という太陽系の惑星に住んでおり、大気圏に空気があることで生存し、重力があることで地上で立って生活ができることを概ね理屈として理解している。だが地球儀を頭に思い浮かべながら、遥かなる丸みを帯びた水平線を宮崎の海に見たりすると、果たして「海水がこぼれないのはどうしてか?」などと母が口にすることがある。「当たり前」で済ませればそれまでだが、実は正確にその原理を説明できる人は少ないのではないだろうか。まして古代・中世に「天動説」が考えられた頃の人間は、大空を動く太陽や月がそのうち地球に落下してくるのではないか?などと憂えた人もいるだろう。それも長い地球の歴史を考えれば決して「杞憂」ではなく、大隕石が地球に落下して巻き上がった大量の塵が地球を覆い尽くし、地上の気温が極端に低下して氷河期を迎え恐竜などが滅びたのだという説もある。科学が進歩したとされる21世紀において、僕らは何をどこまで心配したらよいのだろう。

もし今、地球そのものが中心の核やマントルの異常な流れが生じ大爆発を起こしたら人類のすべてが「無くなる」のか?と子どもの頃に図鑑を見て考えたことがある。だがその心配をするより、人間の生きる時間が地球の歴史からしたら一瞬の灯火のように儚いものだと文学を読んで知った。最近でも母が物事を心配し過ぎだと思いきや、自分の胸に手を当ててみると小さな鬱積が心の中で逡巡しており、そのことでさらに些細なことが気になってしまう悪循環に陥ることがあるのを発見した。誠に「血は争えない」というのだろうか。もうすっかり頭の中を「空っぽ」にしたい、などと思うこと自体が鬱積となっていることにも気づく。家族の将来をはじめ、他者の些細な反応、公表される情報の書きぶり、Web上の反応等々を気にしていると、日常の生活で大らかで和やかな顔ができなくなってしまう。鬱積は「怒った物言い」を誘発し、表情から笑顔が消える。これは他者の気分も害すると同時に、自分自身の精神を傷つける。考えてみれば「空が落ちてくる」ことを憂えることと、そんなに変わらず根拠のない心配事ばかりだ。可能性があること、希望につながることへ、信じた「自分」を疑わずただ前に進むのが人生だと、昨日の小欄に自ら書いたはずではないか。

憂えは蓄積させず「はなす」(「話す」=「離す」=「放す」)こと
「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」(牧水)
心配してもしなくとも、地球は「今」の時間を先に進めていくのだ。


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あれから20年ー「創る」ための苦痛

2021-09-11
20年目の9.11
その時、どこで何をしていたか?
記憶のある出来事からの月日

「その時」自分がどんな状況でどこで何をしていたか?はっきりと記憶に残るほど刻まれた世界的な惨事、さらに冷静に考えれば、自分はどんな境遇で何を求めていたか?そして「この20年」でどのように変わってきたのか?節目を迎えてあらためて考えてもみたくなる。米国現政権は、アフガンからの撤退を完了し「20年間の戦争を終えた」としている。だが報道を見る限り、容易に「平和」が創れるわけはないことを痛感する。故・中村晢さんの思いを汲むならば「平和」とは取って付けた「看板」なのではなく、一人ひとりの尽力の積み重ねで「創られる」ものであることも実感する。世界はこの「21世紀」という看板を背負った時間の五分の一に、何を積み重ねたと云うのだろう。日本ではちょうど20年の中間点で「東日本大震災」があった。「第二の敗戦」とまで言われたこの惨事からの10年間、ここ1年半で「新型コロナ」に向き合うことで、公の「復興」などと云うのもまた「看板」であることが判った。当事者にしかわからない「苦痛」とどう向き合うか?いくら時間が経過しても、癒されないものがあるのも事実だろう。

「未来」は「待つ」ものでも「希望」するものでもなく、「創る」ものだろう。個人的に20年前には「博士後期課程」に在学、初任校から自ら志望して二校目の公募採用に合格して、新しい何かを「創ろう」としていた。「創る」の字源を考えるとき、文字の右側の「刀(りっとう)」で「素材に切れ目を入れる」という説を支持している。「平和」はもちろんだが、自己中心的な利欲に安住するのではなく、自らの可能性に鋭く「切り込む」必要があるということだ。「切り込む」ということは、それ相応の「痛み」を伴う。だが「苦痛」に耐えながら、周囲の人々に支えられて「創り」つづける。高校教員として学力増進・進学実績には大きく貢献しつつ、2009年には学位取得、そして10年前の「東日本」の3月に周囲の反対を押し切り専任を辞した。これがまた僕自身の新たな「切り込み」であり、大幅な減収を憂えながら東京での大学非常勤生活が始まった。「東日本直後」だったので、大学の「授業開始」も1ヶ月遅れ、GW以後からだった鮮明な記憶がある。共済保険がかろうじて継続維持できる2年間のうちに、公募採用によって「第三の切り込み」が現実となる。生まれ育った東京を離れ、宮崎の地で短歌に向き合う「いま」があるのだ。

「創る」ことには苦痛が伴う
「苦痛」「苦言」を避けた先に、21世紀は「未来」でなくなる
あれから20年、誰しもが自らを省みて「現状」でいいのかとその胸に手を当て考えてみる。


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決めつける利と自分が見え透いた時

2021-08-25
思い込んで上がる運気?
親の言動に自分自身が見え透いた時
愛情による心配があるからこそ・・・

作家の辻仁成さんがTwitterに次のような書き込みをしていた。「ぼくは朝から昼までの間に小さくてもいいから何かいいことが起きたら、それを掴まえて離さず今日をいい日と決めつけて乗り越えていくようにしています。今日はいい日だ、と決めつけてください。気分が上がれば運気もつられて上がります。思い込み、大事だね。」辻さんはフランスで生活をしているが、息子さんが一緒の時もあるが基本的には一人となって、「自分が自分のために何かを作らないとならなくなった時に作るごはんのことを、ぼくは、一人で生きる飯、と呼んでいます。」との投稿もある。先日は、その料理の腕を特集する番組もTVで観た。料理は身近に手軽に大いなる達成感を得るために最適な行為、そうした意味ではぼく自身も料理のレパートリーを広げようかと考えさせられる契機となった。ともかくも、「決めつけ・思い込み」が「運気を上げる」ものだという捉え方は、作家らしい夢のある考えだと納得できる面も少なくない。

「決めつけ・思い込み」をしたら研究者としてはやっていけない。大学学部に入学した時、様々な物事を「決めつけている自分」に気づいた。高校時代に担任教師に「頭が固い」と言われたことがあるが、「信念を貫いて何が悪い」と反発していた。だが大学に入って様々な先生や人々と出逢って、ようやく頭を柔軟にすべきという意味がわかった。読書を重ねるうちに、様々な生き方や体験があることを知り、可能性を自分で摘んではいけないことを知った。しかし、学部卒業後に教師となってからも、あらゆる仕事に没入するあまり再び「決めつけ・思い込み」から脱することはできていなかった。10年後にそんな自分に気づいてしまい、教員をしながら大学院の門を叩いた。年下の研究室のメンバーから自分の発表について「(教員のせいか)決めつけたことを上から教え込むかのようだ」という指摘を受けてハッと気づかされた。「決めつけ・思い込み」のある自分から脱するために、研究に向き合ったのだと悟った。それから25年ほどの月日が経過した。親の考え方などに接する際に、「決めつけ・思い込み」があると、過去の自分が見え透いて敏感に反応して怒ってしまう自分がいる。しばらくするとそんな自分を後悔しつつ、親への愛情ゆえにそのような反応になったのだと自分に言い聞かせているのであるが。

妻も同様に母への愛情ゆえに怒ることが多いと
辻さんのように思い込んで開運しようとする姿勢も必要だが、
直面する新型コロナは「決めつけ」こそ大敵であると、僕らに警鐘を鳴らしている。


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可能性を摘まないために

2021-08-17
前を向いた生き方とは
社会はどう動くかやってみないとわからない
可能性を摘まないで生きるために

イチローが小学生の時に「プロ野球選手になる」と言って笑われ、プロ入団の時は「首位打者になる」と言って笑われ、笑った者たちを見返すために「すべてを現実にしてきた」と語ったエピソードの意味は重要であると考えている。現在、MLBで大活躍中の大谷翔平も旧来の野球の考え方で「投手は投手に専念」と日本プロ野球入団時点で可能性を摘まれたら、MLB本塁打王争いをリードする現在はなかったわけである。今回の東京五輪に出場できた水泳の池江さんにしても、白血病を患っても可能性を摘まなかった歩みをしたから出場が叶ったわけであろう。スポーツは傍目から見れば「可能性がない」と思われがちなことを、取り組み方で乗り越えて可能にする事例が見られ、僕たちの心を動かし学びを与えてくれる。「人」には無限大の可能性があって、「無理」なものはないというほどの前向きな生き方がしたいものである。人生とは「無理」と諦めるから無理なのである。

思い返せばイチローほどではないが、僕も笑われて生きてきた人生だと思う。受験の際に「志ある難関大学に必ず入学したい」と言っては高校の担任に笑われ、一介の高校教員が「大学教授になりたい」と言っては周囲に笑われたりもした。正直、受験時の偏差値は全く志望校には届いていなかったが、グラフを見れば明らかなように「偏差値」というのは「到達」してなければ合格しないわけではない。高校教員としても口先のみならず、二足の草鞋で心血を注いで仕事と研究に向き合えば次第に研究業績を積んで学位を取得することができた。やがて「実務教育経験」がある教員の方が、特に教員養成学部では重用されるという追い風も吹いてきた。僕自身が前述した二度の人生の転機で、可能性を摘んでしまっていたらと思うとゾッとすることがある。20代の頃、高校教員同僚である友人と欧州の旅に出たことがある。彼は計画通りの「安全」志向で旅を進めるが、僕は発見や出逢いがあれば計画よりも「可能性」に賭けて行動を変容するタイプだと自覚したことがある。人生も旅、宮崎にいる僕の可能性もまだまだこれからだと思っている。

可能性を見つけたら行動を変える
安全な舗装路ではなく自ら道を開墾する
「進取の精神 学の独立」


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お盆と人々のつながり

2021-08-14
親戚・地域の人々・自治会の人々
亡き人は家に帰り人々を集める
初盆を体験して思うこと

新型コロナ感染拡大がお盆休みを直撃し、いつもの調子で為政者は「移動や帰省を控えよ」と喧伝する。だが昨年比の交通機関の予約状況は航空各社で3割から4割増、さすがに2年連続で帰省しないのはという思いが顕在化したのだろうか。「まんえん防止」も「緊急事態宣言」も既に「特別」なことではなく言葉の力を失ってしまったのだろう。ある程度の人が「ふるさと」への思いを叶えるための行動を、今年は採っているということか。東京生まれ東京育ちの僕としては、なかなか「帰省」をしたいという願望に対して体験的な理解はできなかった。人にとって「ふるさと」とは何か?という問いに対して、硬質な都会という環境に覆われて「望郷の念」への文学的な考えも育たなかったのかもしれない、などと考えている。

義父の初盆ということで昨日から妻の実家に来ている。穏やかで人情味のある漁港をいただく町では、親戚や隣近所をはじめとして、地域の方々や義父母に関係のある方々が次々と家に御詣りにやって来る。みなさん、マスク着用で感染対策を施し御詣りを終えると短時間で帰ってゆく。それにしても、義父が人生を営んだ街での生き方をあらためて思わせる機会である。人が生きるということは、やはり他者とのつながりであることをひしひしと感じさせる。夕暮れ時には妻とお墓に出向いて蝋燭と灯籠に火を灯す、暗くなると玄関前での迎え火、夕食を義父ともともにした思いとなり、その後は自治公民館での初盆の会合に顔を出す。もちろん盆踊りなどは中止されているが、亡き義父の名前が書かれた札とともに提灯の飾り付けによって、この地域の人の輪が義父を迎えてくれていることを知る。家はもちろん地域に迎えられ、僕には義父が楽しそうに酒を飲んでいる笑顔が浮かんだ。

義兄曰く「深夜に大きな蜘蛛が障子に」
人と人とが織り成す日本のお盆
僕にとって貴重な体験となって帰ってくる。


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体験で生きる奥行きを広くースポーツへの向き合い方

2021-07-26
剣道・野球・器械体操
浅く広くながらそれぞれの体験が
スポーツから多くを掬い取る視点に

一つのことに専念して生きるのも悪くないが、欲張りに多様な体験をするのも悪くない。TOKYO2020で様々な競技を観ていて、こんな風に考えた。正直、2000年前後以来こんなに五輪の競技をじっくり観るのは初めてである。なぜなら修士課程を修了し博士後期課程へと研究の階梯を登る時期であり、その後も大学非常勤時代の困難さや公募採用を目指す時期へと続いたことから、意識して「スポーツ脳」から切換えを図ろうなどと考えていた。確かシドニー五輪の時のことか、ソフトボール中継があるのを振り切って研究会に出掛けた鮮明な記憶がある。今回は新型コロナ禍ということも手伝ってか、4連休はかなり久しぶりに違った脳の使い方をした感じがある。疲労も蓄積していたので、その回復にも大きな効用があった。それにしても自分の人生経験で貴重なのは、多様な体験である。できる時にできるだけ多くの体験をしておくことを、若い人にはお勧めしたい。体験は想像の幅を広げ、物の見方を大きく拡げてくれるものだからである。

幼馴染の近所の友だちの祖父が大変著名な剣術師範であったこともあり、小学校の時に2年間剣道場に通った。その前の段階で師範に指南を受けた時、その竹刀を持った立ち姿の威厳には圧倒された記憶がある。何もせずになぜこれほどに隙がないのか?そんなことを幼心に感じて、時代劇の剣術シーンの動きへの想像が拡がった。歴史小説『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)を読んだ時も、北辰一刀流の稽古シーンなどでの緊張感を肌で感じる想像力があった。中学時代は野球部に打ち込んだが、決して強くないチームをどうしたら建て直せるか?という意識のもと「チームとは何か?」ということを主将であった親友と副主将としてよく話し合っていた。その経験が高校教員になって「野球経験のない女子にソフトボールを教える」際に大いに役立った。またグランドのない高校では野球を続ける意義を感じなかったので、素晴らしい体育館のあった器械体操部に転向した。野球で増加した体重を落とすことや俊敏な身のこなしを体得し、身体を芸術的に美しく見せる意識が根付いた。短歌もそうであるが芸術領域でも「身体性」を視点に考えたくなるのは、この体験の影響も大きい。体験したスポーツ三競技はいずれも異質な声の出し方をしたもので、自ずと声も鍛えらえたのだろう。この多様な体験が自分の生きる奥行きを拡げてくれたのが、今回ははっきりと自覚できたのである。

ものの見方と考え方
体験する場に立たされることの意味
これからもできる限りの体験を、などと考えさせられる五輪である。


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体操から学ぶことー究極の再起・修正力を讃えよう

2021-07-25
思いもよらぬ落とし穴が
内村航平さんの鉄棒に学んだこと
メダルだけではない学びがスポーツにある

メダル獲得という結果のみを騒ぎ立て、競技から学べるものに目を瞑る。当該競技の映像が流れる画面に「メダル獲得」のニュース速報音が流された時、メディアのスポーツに対する次元の低すぎる意識を垣間見た。今回に始まったことではないが、五輪となると「メダル・メダル」と連呼し、それまでは注目しなかった選手でもスター扱いに豹変する。とりわけ「メダルラッシュ」などという用語には、呆れ返るばかりである。この空気感が半世紀以上にもわたりこの国のスポーツ選手を重圧で縛り付けていることから、いい加減に目覚めた方がよい。このTOKYO2020こそが、そんな意識改革が成される大会と信じたいと思っている。体操男子初日の競技で鉄棒のみに専念して出場した内村航平さんが、落下してしまい予選通過ができなくなった。もちろん彼自身も、頂点を目指しての挑戦であったのは確かであろう。本来なら動揺を抑えることができないはずの競技後のインタビューにも、冷静に自らを客観視するように語っていたのが印象的だ。同時進行で競技していた若き日本代表チームに動揺が伝播しないようなその後の振る舞いなどは、TVでは映らない部分だが、たぶん彼なりの十分な配慮の元での言動であったことは想像に難くない。

内村さんの競技を見て学んだのは、幾度となく配した「離れ技」での落下ではなく、車輪中のひねりを加える技によるそれだったこと。最も落下の可能性が高い「離れ技」は全て完璧に遂行したといってよい。たぶん本人も練習時の「通し」において、今回に落下した部分で失敗したことは一度もなかったのではないかとさえ思う。だが「落とし穴」というのは、そんなところにあるものだ。車輪中のひねり技とて、決して簡単なものではない。だが演技の構成としては、後半の「離れ技」や「降り技」に向けて気持ちを向ける部分でもあるだろう。向き合う「いま」の技を丁寧に着実にくり返すしかない体操演技において、先を予見した思考は禁物であるように思うのである。百戦錬磨の内村さんが、そのようであったとは言わないが「ミス」とは普遍的にそんな箇所で起きるものである。だが何より内村さんを世界一の体操選手として讃えるべきは、落下後の演技である。他人では想像できないほどの落胆があるだろうに、まったくそんな様子もなく完璧ともいえる演技で着地も微動だにせずに止めた。その演技には「無意識の底知れぬ境地」のようなものを感じ取れた。実は僕自身も高校3年間は、部活動で器械体操に挑んでいた。次元は違い過ぎるが、試合で演技が「通った」(落下・静止などなく演技を一通りこなすこと)時は、その途中経過が記憶にないほどの境地であったことを記憶している。分野は違うが現在の職業でいうならば、講演などで自らの流れで乗った話ができた時、その途中経過が記憶に刻まれないのと似ている。「作為」の言動ではなく、無意識に身体と脳に刻まれた「自己」が表出するのである。「芸術体操(アーティスティック・ジムナスティクス)」たる領域をいま魅せられるのは、内村さんだけだ。「失敗」という「喪失」を含み込み「美の極致」を体現できる力。いまこの国に必要なのは、メダルの順位のみに拘る栄誉ではなく、内村さんのような究極の再起・修正力なのではないか。

結果のみをとやかく言う世の中で
競技の機微に何が視えるかを見極めたい
内村航平さんの演技の自然美をもっと讃えるべきだろう。


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