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迷路の右側の壁

2024-02-21
行き場のない感情、という言い方がある。だが果たして、本当に行き場がないのだろうか。子どもの頃からものを読むのが好きで、「小学◯年生」という雑誌を秋山書店という街の本屋さんから定期購入していた。自分の意志で購入する年齢でもないので、今になって購入してくれていた母に感謝したい。読んでいるとたいていは「迷路」のコーナーがあって、それを実行するのが嫌いなようで好きだった。いざ始めると、出るまで終えることはできない。難解にしておかないと読者は楽しめないが、あまりにも度が過ぎて読者が諦めては用を成さない。いかに早く脱出すればいいのか?じっくりでも無理をせず出口に辿り着けばいいのか?まさに自らの感情が「迷い路」でさまよう。

誰しもが路になど迷いたくない、と思っている。だが意図せず迷うのが、この世の定めだ。でも大丈夫、「小学◯年生」にはその脱出方法が書かれていたことをよく覚えている。「迷路」に入ってしまったら「右側の壁を手でなぞりながら進む」と時間はかかるが必ず出口に至るのだと云う。それを知った安心から、その後は「迷路」が怖くなくなった。どんなに迷おうと、出られないということなどないのだと。あの小学生向け書籍を「学習雑誌」と呼ぶのなら、確かに人生の予行演習を学ばせてもらっていたのだろう。いついかなる年齢になっても人は迷う。だが出られない路などないのである。さあ、右手を壁に沿わせて、歩んでみようではないか。


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学びたいと思うために

2024-02-09
もっと学部で学んでおけばよかった
だが教員になってこそ何を学べばよいかわかった
その年齢・年代にこそできる学び

ヨットで航海などしたこともないが(沿岸沖まで乗った経験はある)、海上で風向きというのは誠に重要なことなのだろう。それに似て人生にも追い風や逆風など、様々な方向から風を受けることがある。大学教員になってこの3月で11年、あらためてこんなことを実感している。20代で同期の者が大学院で学んでいる際に、僕は大学時代の延長かと思うような青春の教員生活に熱中していた。もとより小学生の頃から中村雅俊の青春シリーズや金八先生・熱中時代などのドラマを観たせいもあってか、「教師は生徒とともに熱中すべき」と思っていた。授業も部活動も全国大会応援なども、ともかく教師をしていて「学校」が楽しかった。そんな20代に後悔はない。

30代になって再び大学院で研究がしたいと思った時、学部指導教授に相談すると「短大が減少している時代に、簡単に大学教員になれると思うな」と叱責された。確かに教員として高校生に「短大進学」を勧めることも減少していた実感があった。かなりの逆風だと思ったが、学びたい意欲が勝り大学院に一般入試で合格した。現職教員と二足の草鞋であるにもめげず、一歩一歩自分の可能性を切り開くことができた。だがその困難さは「生活」そのものを大きく変革する必要がある所業であった。通常より1年多い3年を費やし修士を修了すると、21世紀になっていた。さらに学びたい意欲は高まり年限6年の満期まで在籍し、その後3年以内の博士論文審査申請をギリギリで通す頃には2010年代が近づいていた。だが奇跡的にこの頃から追い風が吹いていると大学の先輩方から言われるようになった。特に教員養成学部では「実務(教員)経験がある者を一定数採用すべき」という方針が文科省から示されたからだ。学び続けていたからこそ、この追い風が僕を宮崎の地まで背中を押してくれたという訳である。

学びたい思いを大切に
学べるチャンスがあるなら学びを諦めない
もちろん今も2020年代の僕自身の学びは止まらない。


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「ああ、やっぱり家がいちばんね」ー居場所と旅

2024-02-05
「いつもの居場所、いつもの光、いつもの空気」
牧水賞の永田紅さんも「家族があるから牧水は旅に出た」と
また「旅に出よう」という「いつもの毎日があるから」

使用している手帳の昨日のページに、標記のようなことが書いてあり共感した。夕食時に妻が「先週の日曜日は京都に居たんだね」と言って、「また行きたいね」と今度は義母や母も同伴できるといいねと語り合った。甥や姪に京都で会えたことも、宮崎で会うのとは違う感慨があった。手帳には「家族旅行から帰ってくると、母が毎回、ほっとした顔でこんなことを言う。」とあった。確か僕の母も、同じようなことをいつも言っていたと記憶する。「居場所」としての「家(家庭)」があること、それが旅に行く意欲と感慨を支えている。家族の大切さをその歌に多く表現している永田紅さんもまた、今回の牧水賞の受賞に際し宮崎日日新聞への寄稿で同様のことを語っていた。

日曜日ながら地域人材育成のための「『短歌県みやざき』ことばの力と牧水入門」という担当科目の集中講義があった。この日の目標は「各自が一首の短歌を詠むこと」である。「牧水短歌甲子園」の過去の名歌を読んで恋や家族愛への心や表現に触れ、その後に同様なテーマで一首を投稿。後半は10名1班の中で歌会で語り合うという構成の3時間だ。若者にとってやはり「恋」そのものが「旅」のような緊張感を伴うものだ。その上で安心できるのが「家族」である。「愛」ということを基軸に考えれば、「家族」を居場所にしながら人は「恋」へと旅立ち、そしてまた新たな「家族という居場所」を探すのが人生なのかもしれない。「人材育成」という意味でいえば、こうした「愛」や「恋」を基軸にした生き方に気づくのも重要な講義の役割だろう。短歌一首を詠んで語り合った学生たちの眼は、実に生き生きとしていた。

なかなかの秀歌があって
県内公募短歌への投稿という「旅」に出ることを促した
家でご飯を食べて大河ドラマが観られる居場所があるのがいい。


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Love is free Free is love

2024-02-01
Love is you You and me
Love is living living love
愛されることを問い 僕たちができること 愛されることを求め

世界でいくつもの紛争が起こるうちに、あらためてジョン・レノンの曲が最近は心に響いている。曲の良さとともにシンプルながら個々人が深く考えさせられる歌詞、その柔らかな声が僕らの中の矛盾や問いを溶かしてくれる感覚になる。標題や冒頭に記したのは”Love”という曲の一節、ほとんどが”Love is ・・・“と歌い、その後は”・・・is love”と反転する歌詞の構成だ。「愛は自由、自由が愛だ」「愛はあなた あなたとわたし」「愛は生きること 生きるのが愛」などと和訳できようか。あらためてまずは身近な家族に、自らが”Love”で生きているか?と問い掛けたくなる。

学生が講義などで発表する際に、「AかBか?」「メリット?デメリット?」式の二項対立による思考をすることが少なくない。その際に必ず「AはBとなりBはAとなる」「メリット(長所)はデメリット(短所)にもなり、デメリットはメリットになる」と問い返すようにしている。一つの思考を進める上で二項対立は有効であるが、結論として「AかBか」としてどちらかを切り捨てるのが「差別」や「紛争」の元になる。ゆえに反転思考で双方がその要素を裏腹にもつと考えると、まさに「和平」「融合」の思考で多様性を認めることになる。教師が生徒を見つめる視線は常に反転思考を伴うべきで、長所は短所となり短所は長所となる。ジョンの曲には、誠にシンプルにこの思考が歌われているということだ。

まずは誰しもが身近な家族を愛せよ
「われもわれも」と思うように「あなたをあなたを」
「愛は自由 自由こそ愛」


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時を駆けるよ

2024-01-25
時間を刻んで駆けてゆく
休憩の大切さも悟りつつ
効率よくなどとストレスにせぬように

1日の仕事の中には、せめてもの「余白」が欲しいと思うことがある。その「余白」こそが「自分と向き合う時間」となり、すなわち「短歌」に向き合う時間になるからだ。心の揺れを感じて、言葉にしてみる。そのためには「立ち止まる」必要がある。でき得るならばそれが日常的にすんなり特別ではなく、できるのがよい。このように考える一方で、スマホには用心をしている。PCが立ち上がる少々の時間待ちにと眺めると、知らず知らずのうちに様々な情報に誘導されてしまう感覚がある。もちろん意図しない向き合い方なので、本来は不要な時間を浪費することになる。

この日午前中は非常勤先の講義が2コマ、いよいよ今期も大詰めで、まとめの模擬授業の展開や短歌作りの時間であった。個々の学生の積み上げて来た努力に接する時間は貴重であり、僕自身の学びにもなる。2コマの講義を終えると構内に、馴染みの移動販売のパン屋さんが来ているのが見えた。昼食はうどん屋に寄るかどうかと思案していたが、パンを買って一旦は研究室に戻ることを選択した。それも「余白」を作るためであると同時に、この日に〆切の書類を作成するためだ。パンを食べながらPCの立ち上げやメールチェック、本来は昼食に専心し休憩を取るべきなのだが「ながら」を選ぶ。その後、すぐに附属中学校へ向かい共同研究の研究授業を参観。事後研究会を含めて充実の学び。そのまま帰宅してやはり仕事が忙しい妻のため、鍋物の夕食準備に取り掛かる。いやはや「時を駆ける」感覚だが、こうして過ごせることの幸せを感じている。

「自分を追い越して」
「余白」は自ら紡ぎ出せ
“Times goes round”


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やはり寒中の寒波ー「春を待つ心」

2024-01-24
今年は1月20日が大寒
21日が誕生日で一番寒い日に産まれたと
暖かいと思いきや厳しい寒波がやって来た

冬は嫌いではない。寒さは気分を引き締め、凍えながらも新たな胎動が待たれる時節だからだ。たぶん「大寒に産まれた」と言われ続けたことで、自己暗示にかかっているのかもしれない。大学受験も卒業論文も修士論文も、いずれも寒い冬に達成した人生の足跡である。新年と誕生月が同じということもあり、年が改まることへの感慨が特に深いような気もする。弘法大師信仰が厚かった母方の曾祖母のことを祖母や母から話を聞くに、「初大師」に産まれたという「特別」も僕の中に宿っているのだと思う。曾祖母は常に母を護り、その延長で僕を護ってくれているのだろう。

寒中の暦通りに一級の寒波が到来したようだ。九州地方でも宮崎以外の多くの県で「大雪」の予報が出ている。ある意味で宮崎は太平洋の黒潮の影響だろう、平野部の積雪は本当に稀である。この寒中を過ぎれば、次第に春の足音が聞こえてくる。むしろ太平洋側まで積雪があるのは、春が近づいた証拠でもあるだろう。冬が好きなのは、こうして「春を待つ心」を含みもつからである。立春まであと10日、プロ野球キャンプの球春まであと1週間である。この「待つ思い」が普遍的に人の心に「再生」を宿らせる。受験の際に学んだ漢文の先生は常に「耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)」と教えてくれた。

耐える時あれば麗しく咲くときあり
宮崎ではもう梅の開花も見られた
「寒いね」あっての「あたたかさ」なのである。


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生まれ出づる日に

2024-01-22
朝5:23に母からのLINE
10年を積み重ねてのいま此処
SNSを通じて同窓と久しぶりの会話も

LINEを定めた時間に送るためには、打ち込む時間を計算する用意周到な準備が必要なはずだ。母が、早朝5:23に誕生祝いLINEを贈ってくれた。それは僕自身が生まれ出づることのできた時刻、健康でまた誕生日を迎えられたことと、さらに母もまた健康で心豊かにこの日が迎えられていることに深い感謝をしたい。前日の親友との楽し過ぎる宴の余韻よろしく、午前中は早々に妻が予約してくれていた誕生日ケーキを受け取りにともに車で出向く。以前、俵万智さんも讃えていた宮崎の人気ケーキ店である。帰ると11時、しばらくすると義母と母が「一品(逸品)」の料理を持参ということで我が家にやって来てくれた。

義母は「赤飯」を炊いてくれて、母は「ハンバーグ」を作って来てくれた。小豆が織りなす穏やかな香りが、お祝いには欠かせない。また幼少の頃から、実家の近所の洋食屋にレシピを聞いて作ったという「秘伝」のハンバーグ、幼稚園でもまた大学受験の際も弁当のメインはこれだった。妻はポテトサラダを作りカキフライを揚げて、机上には料理が出揃った。恒例となった昼間のパーティーが賑やかに進んだ。あらためて思うのは、母との年齢差が母が産んでくれた歳であること、さらには自分が18歳(大学受験)33歳(大学院受験)からの時間的な距離である。あらためてスタートした原点の歳の思いにも立ち返り、希望の明日をまた一歩ずつ歩んでゆきたいと思っている。

LINEグループで大学の同窓生たちとの再会も
気持ちを寄せてくれたあらゆる人たちに感謝
あらたに何かが確実に生まれたと感じる1日。


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等身大のわたし

2024-01-15
無理した背伸びはいつかふくらはぎを痛め
表面を覆う仮面よりも素顔こそが美しいことも
等身大のわたしでいいじゃないか

大谷翔平さんのように中高時代から大きな夢を具体的に掲げ、それを尽く実現するような人もいる。客観的に見れば大変に羨ましい人生かもしれないが、2度の肘の手術に象徴されるように予想外の出来事を越えていくという常人では到底耐えられないような苦難もある。人は陽の当たるところだけでは、生きてゆけない。むしろ苦難を背負った時にどう対応するか?が生きる上では大切なのだろう。僕自身は「いま此処」を考えた時、敢えて苦難の道を歩いたような気もする。中高教員であり続ける、平坦な道を歩むこともできただろう。現職でありながらかなり無理をして修士を修了し博士後期課程から学位取得まで、私生活の面でも苦難の連続であった。それゆえに「いま」がある。

いつでも「夢」は持つべきと強く思うが、同時に等身大の自分を大切にすることも重要だ。無理はできる時と、できない時がある。また自分だけでどうにかなる時と、自分だけではどうにもならない時もある。できることを見定めるために、等身大の自分でいいと思えるようになるといい。物体は強硬に凝り固まってしまえば、脆弱になってしまう。心の柔らかさしなやかさを失わないことだ。皮革製品が使用しないと硬くなり次第に黴などにやられてしまうように、心の動かし方が大切なのかもしれない。ある人に会って、こんなことを考えた。

東京の喧騒の中に住んでいたわたし
本当にしたいことが見つかる場所とは
明らかに羽田空港より宮崎空港が安心できるように。


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なんという124時間

2024-01-09
元日から松の内7日まで
正月のしめ飾りを外し神社に奉納
しかし124時間後に発見された方を思うに

成人の日の朝、前日までが松の内で外した玄関のしめ飾りを町内の神社に奉納するため早朝から歩く。元日から僕たちは平穏な時間を過ごすことができた。家族で集い料理を味わい、年賀状によって多くの友人を思い、そして心の花宮崎歌会の新年会に興じることができた。さらには自宅に保管されているものの整理を行い、新たな時間へと歩みを進めた。元日から1週間という時間を、僕たちはこの1年に希望を持ち過ごすことができた。だが報道により次第に明らかになる能登半島地震の被災地の状況を知るに、そのあまりの惨状に深い悲しみを抱かざるを得ない。

93歳の方が124時間ぶりに救出されたという報道、生き埋めになりながらかろうじて雨水などを口にできて生存できたのだと云う。一方で家族全員を亡くした父親のあまりに悲痛さに、思いをいかに致したら良いか?やり場のない思いにもさせられている。同じ124時間、そして1週間の時間を激しい苦悩の中で生きている方もいる。いやまったく予期せず、この1週間という時間を過ごせずに天に召された方々もいるのだ。まずは僕らが平穏な1週間を過ごせたことに感謝しつつ、少しでの被災地で流れている時間を想像し、できることをすべきなどと考えている。

向き合ってこそわかること
今日という24時間
あなたはどのように生きていますか。


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いまこの「時」を生きて

2024-01-08
あらためて考える「時」
大切に生きる「時」ゆえにその「心」を「言葉」に
「時の欠片」を整理して明日を開くために

たいていの人が朝起きると、最初にする行為が「時の認識」ではないだろうか。寝床から時計を見る、置いてあるスマホの画面表示を見る、などが一般的であろう。「目覚まし」(最近はスマホ使用が多いと思うが)によって睡眠時の「時」の無自覚から、機械装置に頼り人工的な「時を刻む」意識にまさに目覚めるということを日々にくり返している。そして目覚めている間は、常に「時」の流れに乗って、場合によるとその「時」に絡め取られてしまう。「時」を自覚するゆえに焦りや不安を抱くこともあるが、その反面で「時」があるから期待も希望も湧いてくることもある。よく「時を忘れて」という常套句を使用するが、映画を見るとか趣味に夢中になるとか、自分が乗っている「時」から一時的に別の「時」に遊ぶことも必要なのがわかる。こうして多様な「時」を人は創造的に生きることができる。

僕が生まれ育った「時」は、多くの記憶の中に保存しこれまでに短歌の言葉にして来たものもある。その実家を整理し売却し解体してから5年の月日が経過した。その際に整理した品々の中から必要と思われるものが、僕の宮崎の自宅に運ばれていた。その後、父母も宮崎の環境を好んで移住を果たして来て、新たな「時」を過ごすようになった。父母にとって仕事に追われていた「時」から解放され、まさに新たに生きられる「時」を得たということになるだろう。年齢ではなく、人はこうして新たな生き方を創ることができるのだと思うに至った。母などは地域で多くの友人ができて、鉛筆画とか体操・フランダンス・コーラスなど多くの趣味の時間を生きられるようになった。まさに「日向時間(「てげてげ」という語に象徴されるように和らいで寛容に時に囚われない南国気質な時の過ごし方を云う)」を利点として生きているような気がする。昨日は東京から妹が来訪し、僕の自宅に保管されている品々を整理した。まさに「断捨離」であり、これこそがさらなる新しい僕たち家族の「時」を開拓するための営為であるのだ。

物理的ではなく「生きる時」が大切
繊細に「時」の横軸に縦軸の言葉を投げて「時計の針を止める」
「生きる」そのものが短歌の素材、少しわかった気がする。


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