愛と幸せそのためにあり

2018-04-16
「グレイテストショーマン」
「愛と幸せ」のために今を生きる
「これが私」と「いまここから」

生きる幸せとは何か?我々はいつしか日常の生活に紛れ込み、この世に生まれ出づるわけも、いつかは死へと旅立たねばならないことも忘れてしまっている。ここのところの様々な出来事、実家の転居や親戚との語らい、そして様々に読んでいるものからそんなことを考えさせられている。母の従姉妹という存在、その励ましや支えがなければ僕自身がこの世に存在していなかったのではないかと、あらためて宴席をともにして知らされた。知らなければ知らないままに生き抜いてしまうが、知る機会を得れば「生」をこの世にどのように活かそうかという意識も高まる。遺伝子に関連する集いというのが、最近は大変貴重な機会になることを感じている。

映画「グレイテストショーマン」を観たいと思いつつ、なかなか時間が取れていなかったが、ようやくこの日はレイトショーを観に行くことができた。休日の夜という時間帯からか「応援上映」なる設定で、観客の「拍手」「発声」や「歌声」などが許されている。ミュージカル映画ゆえ曲部分の字幕は英語のままに、カラオケのように「今ここ」と歌っている箇所が画面上に示される。それでも鑑賞にそう悪影響があるわけでもなく、映画を楽しむことができた。「これがわたし」と言えるものは何か?出自・社会的身分・財力・身体的個性・個人能力等々、この社会で生きるのは平等を求める標語が躍るゆえに平等ではない。ミュージカルなりに筋の展開は粗い部分もあるが、生きる上で大切なのは「愛と幸せ」なのではないかと音楽に乗って語りかけられるような気分になった。何事も「いまここ」から始まるのである。

向き合う親子・親戚
出逢いの縁と生きることの重み
「愛と幸せ」あらためて文学の講義で学生と語り合いたくなった。


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節目の年度末

2018-03-31
任期満了
新しき講義
そして実家の移転も

年の瀬とはまたちがう節目の感覚が、年度末にはある。とりわけ今年は公私にわたりまさに「節目」と言えるような日々が続く。実家の移転、教務委員の任期満了、担当講義の移行、などに加えて新たなる友だちの出逢いもある。毎年1月から3月までは瞬く間に過ぎてしまうが、今年に関しては様々なことがあり過ぎたせいか、思いの外、長いという感覚で過ごしている。その出来事・出来事のたびに刹那の思いを抱きつつも、これまでとこれからの「人生」そのものを考える機会となっている。まさに「潮目が変わる」というのはこういうことであろう。

宮崎大学での丸5年を本日迎えることになる。赴任当初と今では、自分ではわからずとも多様な変化があるように思えてきた。積み重ねてきた業績、宮崎の人々との出逢い、そして地方で生活することによる発見。それぞれがいずれも凝固するような時季になって、あらためて融解・撹拌する必要があるのかもしれない。先日の都農ワイナリー訪問にあたり社長さんと話していると、「最近の若い者は博打をしない」という話題となった。もちろん「博打」は違法であることは念のためお断りしておくが(要はこれを断らなければならない世の中であるということ)、人生においても安全で確かな見通しをもって進んでいけることは少ないのではないか。ここぞという時に、「勝負」できる度胸が人生を拓くのではないだろうか。

両親の会社も57期をもって終えた
両親もまた新たな人生を楽しむ時がきた
今ここに心新たに。


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冷静と情熱ーユーモア融和策

2018-03-29
内省的か表出的か
沈思黙考か動き語りながら考えるか
冷たいけど温かいが魅力の源となるのでは

昨日、一昨日と東京から宮崎を来訪してくれた友人から、「だいぶ表現の人になった」という趣旨のことを言われた。様々な分野の人々を取材している友だちであるゆえ、その印象にはある種の信憑性があると思っている。友だちとは、約3年半ほど会う機会がなかった。ということは、この宮崎での生活が、僕を「表現の人」にしたのだと言ってよい。振り返りますれば宮崎に来る前、3.11を前後しての数年間は仕事の方向性で誠に悩み深き時期だった。そのバーのカウンターで酒をともにしても、どこか煮え切らない自分があったのかもしれない。生きる方向性は決まっていても、器のない虚しさとでも言おうか。小欄もその行き場のない気持ちの受け皿として、文章を流し込んでいたのかもしれない。

どんなタイプか?と人に問えば、「冷静で穏やか」であると言われることも多い。だがその一方で、「情熱」が溢れ出てしまうこともあると自覚している。ゆえに言動が空回りし一本気になり融通が利かなくなることもあると自分では用心しているつもりだ。最近、ある人との客観的なメール交換で、このことをさらに深く自覚した。「冷静で穏やか」であり、欲を言えば「ユーモア」もそこに加えたくなる。その「ユーモア」が、「情熱」の高まりによる固着をどこかで冷まして柔軟性を保つ融和材になる。「ユーモア」を持つためには、様々な友だちとの交流が必要になりその異分野の発想から学ぶことは多い。内省的に深く考えることも大切だ。だがしかし、それはどこかで独りよがりになることが避けられない。よって、やはり他者にどれだけ表現することで自分を客観視するしかないのではないだろうか。

ありがたき友だちの言葉
受け止めてまた節目の5年目年度末
冷静と情熱の間にユーモアを・・・短歌もまた同じ。


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初志貫けと響くあの鐘

2018-03-18
正午の鐘が僕に語りかける
刻むリズムに微妙な間のあり
今日もまた初志貫けと再び火を・・・

「学校」では聞き慣れた「チャイム」であるが、生音の「鐘」であるとなぜか心の奥底に沁み入ってくるものがある。宮崎では延岡の城山公園にある鐘が有名であり、今でも鐘守りさんが住み込みで定時に鐘を突いている。牧水がこの故郷の鐘を詠んだ歌は有名であるが、母校・早稲田の鐘について詠んだ歌があるやなしや、まだ調査したことはない。早稲田の大隈講堂では、定時にまさに「生音」の鐘が鳴る。入学した学部時代から今に至るまで何度も聞いているのだが、とりわけその鐘の音が特別な語り掛けに聞こえる時がある。約10年間の現職中高教員を経験したのちのある夜に聞いた鐘の音は、「大学院へと入学せよ」と語っているようであった。その語り掛けに応じたからこそ、現在の僕があるのは言うまでもない。

独特な音程に微細な間をもって、その鐘は定時に早稲田の杜に鳴り響く。旋律は多くの「学校」にあるそれだが、音色は他では聞いたことのない重厚さがある。僕は受験をした時、開門の午前8時に先立ってこの鐘の下に控えており開門と同時に構内に入り、一番のりで教室へ入ったことを鮮明に記憶している。大隈講堂からさほど遠からぬ道路にバス停があり、そこから実家のすぐ近くまでを路線バスが通っている。在学時はこのバス路線、または都電で大塚駅経由、そして山手線のみの高田馬場駅の利用と三通りの通学手段を持っていた。場面と状況でこの三通りを使い分けていたことはまた、様々な思い出を創り出してくれた。その鐘がまた僕に新しい意志を起動させたのが、昨日の正午の音色であった。

己の初志を貫くとは
慢性化した自分を心の底から起ち上げる音色
宮崎へ赴き5年目の春に重厚な音が響いたのである。


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生きて目覚める今朝の朝陽に

2018-03-17

東の窓から降りそそぐ朝陽
光に覚えるいま生きているということ
また新しい旅が始まる

小学校1年生から住んでいた実家が、転居する日になった。この数日間、自分の部屋の押入れを整理していると、様々な過去の痕跡が発見され人生そのものを考えさせられた。特にことばへの意識や部活動に恋愛など、中高時代から大学時代に至るまでのノート類などには、自分の記憶を再検証する材料が満載であった。その随所に感じたのはやはり思春期の様々な経験、例えば詩歌に出逢うといったことから、人生は動き出すということだ。少なからず高校時代から、明治期の翻訳詩や白秋・啄木・牧水などの詩歌の雰囲気に魅せられていた自分を再発見したのだ。その結果、大学では古典和歌研究への道を歩むことになった。その思考過程のなかでも、特に暁からの東の空の光景が、僕自身の思考にも影響を与えているような気がしてきた。「夕暮れの文学」ならぬ「あかときの文学」とでも言っておこうか。

僕の実家の勉強部屋の机の前の窓は、真東を向いている。なぜか、現在の宮崎の自宅の書斎も同じだ。朝型に思考をしていると、朝陽の表情と対面することになる。中高時代はよく徹夜で試験勉強に努めて、朝陽から激励されてそのまま学校に行くという所業でよく試験を乗り切っていた。なぜか朝陽は、心にあらたな力を与えてくれる。徹夜の眠さなどよりも、試験対応型頭脳を活性化させてくれた感覚がある。自らの日記ページを適当に繰っていると、「朝寝坊」を悔やむ文面に数多く出会った。それは、この朝陽の力に呼応できなかった「悔しさ」なのだと思える。人生そのものの「あかとき」を過ごした部屋に別れを告げるのは誠に惜しまれたが、当時からの積み上げがあってこそ、現在の自分が成り立っていることを胸に、今日もまた新しい朝陽に挨拶をするのである。

「なにゆえに旅にいづるや」
自分の歩いたこの道を再び見つめる
そして、今日もまた朝陽に背中を押されている。

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若き歩みを日々記しおり

2018-03-15
実家の部屋の奥の押入れ
箱を開ければ中高時代の日記が発見された
日々の己を記す習慣はその頃から・・・

実家の引越しの日が近づいている。ここ約1年数ヶ月に及び両親とあれこれと頭を悩ませ、今後の実家をどのようにすべきか考えてきた。昨年末に土地売却が決まり、その後に転居先のマンションを探してきた。その結果、この週末にマンションへの移転となる。僕自身が、小学校1年生の時に竣工した実家のビルは地上4階、その4階部分には当初は倉庫として建てられた6畳間があるが、その後、父が自身で内装工事を施し僕の勉強部屋に転身した。遠方の眺めもよく、3階以下から独立した「離れの間」であるゆえ、自由に様々なことができた。夜空を見ながらの読書、朝陽を浴びながら様々な暗記に勤しみ、詩歌を始めとする朗読を大声で行っても他に迷惑もかからない。そしてまた中高時代は部活のために腕立て・腹筋を始めとする鍛錬を継続したこともある。そして大学時代となれば、幾度となく恋愛の辛い憂き目を自ら癒す場でもあった。

その実家の部屋の押入れを整理しているが、その保存された内容にあらためて驚いた。高校時代のノートや通知表、大学時代の講義ノートや資料などが、ほとんどそのまま保存されていた。確かそうだろう、と自分でも思っていたが、ここまで多くが保存されているとは意識していなかった。中でも中学校2年生から大学入学直後までの日記帳が、ほぼ完全な状態で見つかった。当初は野球のための「トレーニング日記」として記し始めたようであるが、次第に日々の悩みや自己への戒めなどを克明に記すようになり、さらにノートそのものも頑丈で高価な表紙のものにグレードアップされて5冊に及んでいた。こうして小欄を記すのも既に9年目に近づいているが、10代の頃から文章を書くことと、思索することを好んで実行していたのだとあらためて自己を振り返った。中でも大学受験を目指す日々の記述は、反芻するならば貴重なものが発見できるに違いない。牧水の日記などを読み、自らが同年代の頃はどうだったか?と考えたこともあったが、その資料が見つかったことは、今の僕にとって誠に大きなことのように思う。

自らが生きてきた足跡
ことばで記していることの大きな意味
今なぜこのようなことをしているのか、その必然性がさらに明らかになるはずだ。




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花ニ嵐ノ喩ヘモアルゾ サヨナラダケガ人生ダ

2018-03-08
折からの雨や風も強まり
日々春の足音が大きくなる
そしてまた「サヨナラ」の季節でもある・・・

年度末であるゆえ新年度を視野に入れた仕事とともに、今年度の様々な総括がなされる時季である。それを事務的にではなく、個々の学生の顔を思い浮かべながら進めていると、自ずと感情が揺さぶられ記憶が蘇る。しかも現在の年度のみならず遡って4年間の様々な足跡を思い返すことが、とりわけ日本的な「うつろひ」の情緒に連なるのは、僕だけではあるまい。春のやや荒れた気象条件、今年は冬の寒さが厳しかったゆえか、その洞から抜け出すのに強烈な雨や風が必要なのだろうか?靴や服を濡らしつつ歩む足元にもまた、様々な時間の流れが纏わり付いてくるような気持ちになる。

所属学部の送別会が催された。大変お世話になったり、また親しく語り合った先生方が、新たな人生を歩み始める。中高教員をしていた頃から思うのは、生徒も「卒業」に際し、先生も「退職」に際し、その人の在籍時における関わり方や生き様が顕著に表面化されるということ。送別会席上のスピーチの言葉に、どれほど自分が深く心を揺さぶられるかが重要だと思っている。反転して考えるならば、その「退職」の時点に思いを馳せて「今」を生きられるかどうか。学生との関わり方も、「卒業」の時に納得して見送るためには、徹した厳しい関わり方がむしろ必要なのだと肝に命じている。今年度で退職される先生方の言葉は、やはり在職時の「生き方」を十二分に表現していた。

心の琴線に触れる言葉がある
聊か涙腺が緩んで一杯一杯復た一杯
サヨナラダケガ人生ダ・・・・・


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いつも見守る台所の灯に

2018-03-05
いつも誰かに見守られている
愛情深き家族の象徴として台所の灯
自らの姿が見える限りは手を振りており

実家の台所は母のいる場所として、強く自らの意識の中にいまもある。そこに灯が点けられているだけで、言葉にならない温かみを感じることを再確認した。小学校の林間学校に心細い思いで行くときも、私立中学校受験に出掛ける朝も、そして人生の大きな岐路となった大学受験当日も、その台所の灯は温かく僕を見守り続けていてくれた。常夜灯にするということもあるが、その灯が点いているということは、必ず母が僕より早く起きて家を出る準備に気をつかってくれるからだ。大学受験までは何かにつけて、いつも手作りの弁当を作ってくれていて、祈りを込めて僕に手渡してくれた。

台所の灯のみにあらず、出かける際には玄関先まで必ず母は見送ってくれる。そして僕の姿が見える限りは見送りふりかえると手を振ってくれる。それは今もまったく変わらないことを、この度はあらためて眼に焼き付けた。この2年間ほど大学の教育実習担当の仕事をして来たが、実習校に挨拶回りなどに行くと、温かに見送ってくれる校長先生もまた同じだということを感じた。相手への深い愛情というのは、親子でも他人でもこんな点に表れるのではないかと思う。それはまた、実際に姿が見えなくても継続する心でもある。愛情を持つべき人がいまどうしているか?常に思いをもって見守ろうとする心。親子や親族というものはそうあるべきだと、至極当然のことをあらためて母の行動から考えさせられた。

改札口の向こうに見えるあの人の姿
空港の保安検査場を超えても手を振り続ける心
思いは表現し続けてこそ相通ずるものとなる。


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冷静・慎重は謙虚なこころから

2018-02-28
冷静に物事に対応すること
慎重に大局・小局を見極めること
いずれも自らが謙虚であらねばならない

幼少の頃から比較的、冷静で慎重な性格であると人から言われることが多かった。中学校で野球部だった際は、今でも大親友の主将が何事も先導して前進するタイプだったので、副主将としてその「手綱を締める」役回りであると担任の先生から評されていたのを思い出す。教員になった初任校でも、周囲の同僚からは生徒対応などで「なぜいつも冷静でいられるのか?」と言われることもしばしばであった。生徒たちに向き合う際は、感情的になることが一番いけないことだという信条があったゆえかもしれない。だが、冷静と慎重ばかりでは人生は前に進めないこともある。それを悟りはじめた頃には、信念を芯に据えつつ無謀にも研究者の道をひた走った時期もあった。

冷静・慎重はどんなこころが生み出しているのか?などと考えた。それまさしく、”謙虚さ”に他ならない。研究を重ねるにも、「謙虚」でなければ物事は見えて来ない。研究者となって大学専任教員となったからこそ、「謙虚でありたい」とも常々思っている。だが知らず知らずのうちに、むしろ自らの信念を強く持てば持つほど、”謙虚さ”を無自覚に失う危うさがあるようにも思う。自らの主張・主義を持たなければ研究もままならないが、あまりに自らのそれに溺れていることが見えないときがある。そんな際の「冷静・慎重なつもり」が、誠に危うい方向に物事を運ぶことがある。そこでこそ、あらためて「謙虚」を強く噛み締めねばなるまい。

天は地はすべてお見通しである
「謙虚さ」とは何か?と問い正してくる
さらに冷静に慎重に前に進むためにも・・・


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怒りは己を貶めるー「癇癪考」

2018-02-18
どこかに潜む「癇癪の虫」
怒りや憎悪からは何も生まれない
怒れば顔は歪み、和めば顔は微笑み幸せを呼ぶ

漱石が「癇癪もち」であったのは有名な話であるが、それでもなお近代的自我の問題と格闘しながら、近代的小説を切り拓く道を先導した客観的な文体・筆致を確立したのはなぜだろうかなどとも考える。「癇癪持ち」とは辞書によれば、「ちょっとしたことでも激怒しやすい性質。怒りやすい性質。また、その発作。現代では多く『癇癪を起こす」という形で用いられる。」(『日本国語大辞典第二版』)とある。思うに漱石などは、外に向かって「怒り」を差し向けることで、自己矛盾の渦中に自らを陥れ、その喩えようのない自己嫌悪感を元に客観的な文章を書く原動力を醸成していたのかもしれないなどと勝手な予想もする。もしこの仮説がある程度妥当であるなら、「癇癪」」を好転させる”使い方”として価値のあることなのかもしれないなどとも考えた。

世間は「怒り」が大きく渦巻く「クレーム社会」となってしまった。些細なことにも腹を立て、企業にも学校にも病院にも「クレーム」が容赦なくぶつけられる。近現代的「自我」はその内実がかなり変容し、「怒り」を好転させることもできず「負の連鎖」しか導かない暗澹たる社会に向かってしまっているようで、情けない思いを抱くことを禁じ得ない。考えてみれば、一流アーチストやスポーツ選手は、「怒る」ことが自分にとって損であることを知っているように思う。言い訳なしの「一流」の境地では、「怒り」を顕にせず好転させる吸収消化活動が実に上手く作用しているのではないだろうか。たぶん彼らは「自己」への「怒り」を人一倍持っており、他者への「怒り」は目を瞑る寛大さがあるのではないだろうか。などと考えて、自らも終始「怒る」のはやめようなどと考える日々であった。

「馬鹿って言ったら自分が馬鹿」
小学校時代に流行った名言が思い返される
なごみまろびひろきそらとうみのごとくに。


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