他人事
2023-04-25
搭乗待合室にアナウンスが流れる「トイレに紙袋をお忘れにお心あたりの方」
聞き流せばそれで大切なものを置き去りにした
だが聞き耳を立ててもおらずに僕だとわかった
ことばとはわかるためにあるのだが
学校ではすべてがわかるようになるのだろうか?
記した本人がわからないことも表わしたのが文学
それを他人事のようにわかったかのような正解を求める試験
あなたの生活に直結する課題を決める
決める人たちを選ぶはずなのに半分以上が他人事
あなたの生活が大変になってからでは遅いのに
その日になって文句を言うだろう人が選ぶ権利を放棄している
他人の気持ちを自分のように
あなたはいまこの時にどうしているか?
また逢おうねという友のこれ以上ない顔
眼の前にいる人の気持ちをいつも自分のように思えるために
寺山修司に教わった
「もともと言葉というのは日常的な倫理の立場ではすべて嘘であって、
簡単に言えば『二度目の現実』にすぎないと思うんです。」
(ー鉛筆のドラキュラー)
僕は思う
「嘘」は悪いものではなく
「二度目」にくり返されるから響くのかもしれない
だからこうして言葉を吐き続けている、、、
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抱擁
2023-04-24
親しき友の悲しみを僕は本当にわかっているのだろうか?
自分の胸に 友の胸に 聞いてみるために
その悲しみは当人でなくてはわからない。
どんなに長く、どんなに気が合っても、どんなにお互いを知っていても。
だが、あらゆることをさて置いて同じ気持ちでいたい友がいる。
逢った瞬間にもはや理性などない
名前を呼んだらもう次の瞬間は抱擁
互いの耳元に泣く声が聞こえている
他の手段ではとうてい叶えられないこと
呼吸と声と涙とともに互いの胸の鼓動を確かめる
親友とてそれしかできない、だがそれができる人は世界で他にいない。
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いま
2023-04-23
「いま」とはなんだろうか?「いま」といえるおのれがいるから
ひととあいひととかたらむ
「いま」がれんぞくしている。
その「いま」がかけがえもなくたいせつ。
こうしてぶんしょうをつづっても、
こうしてぶんしょうをよんでいても、
わたしとあなたのそれぞれの「いま」がある。
なにごとも「いま」のつみかさねでしかなく、
「いま」いがいをどうすることもできない。
いまも「いま」がおとずれ、すぎさってゆく。
その「いま」をともにすごせるひとがいるいみ。
あなたとであえてよかったとおもえる「いま」、
この「いま」がえいえんであるとおもいたい「いま」。
だが「いま」はどうしようもなくながれをとめることはなし、
ぼくらの「いま」はどこへいってしまうのだろう。
だれにもそれはわからない、だから「いま」をたいせつにするしかない。
けふの「いま」にありがとう
あなたとかたれてよかった
あすの「いま」をしんじるならば。
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「親しむ」と呼ぶ同化という作用
2023-04-22
親友のことは自分の身の上のことのように親族は生涯を通じて相互に同化しているか
人の立場になりきって物事を考えることの大切さ
「・・・に寄り添う」政治家などがよく「(弱い立場の人々に)思いを致している」などという意味で使用する言い方がある。もちろん教育の場でも「児童・生徒に寄り添う」とは、念仏のように唱えられる標語である。だが正直いってこの言い方には、ある種の偽善的な胡散臭さを嗅ぎ取ってしまうことが多い。「思いやり」もそうなのだが、あくまで自己は自己として「(こちら側から)心は向けている」ということで、本心から他者の立場になっているとは思えない趣旨を感じてしまうからだろう。同様に「親しむ」という言い方にも、その次元には大きな幅があるように思っている。ゆえに「親族」とは?「親友」とは?という問いを僕などはいつも抱えてしまっている。
牧水の短歌には「自然と親和性がある」と指摘される。「親しみ和する」わけで「和(あ)える」という動詞が加わることで「自然と同化してそのものになる」という趣旨が含まれる。あくまで「自然に寄り添った」という次元に留まらなかったところが、牧水の徹底したところだ。1週間前から、親友のことで甚だ辛い思いを抱えている。明らかに彼を「親友」と呼べるのは、こうして当人に同化して深く心が痛むからだ。用件あって宮崎の「親友」にも電話連絡をすることがあった。すると彼は、僕の親友の立場にまさに同化するようにその辛さを口にした。自分の友においても同様の経験をしたとも言った。もはやこれは「寄り添う」などという甘ったるい話ではない。「親友」たちに新たに教えられながら、僕自身は真の「親」を見つけ出そうとしている。
厳密に言えば決して「同化」などできるものではない
だが文学で鍛えた想像力はかなりの次元で作用する
人生の旅には親族と親友が不可欠なのだから
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お湯割りは楽にこころを溶かし合う
2023-04-15
牧水が酒好きだった理由僕が宮崎で覚えた焼酎お湯割り
楽に人と人とがこころを溶かし合うために
若山牧水は「あくがれの歌人」であると、研究第一人者の伊藤一彦は云う。「いま此処」から「離(か)れる」、人が生きている「いまの瞬間」から新たな世界へ前向きに飛躍し離れていく。現状に留まっていては、細胞が新陳代謝を失うように枯れてしまう。この「あくがれ」の精神で牧水は「旅」をし、「恋」の世界に没入し、そして「酒」を愛したということだろう。短歌雑誌の編集などを中心に「人との繋がり」を大切にした牧水。旅に出ても酒席を断ることなく、人々との交流に「あくがれ」た。最期は「肝硬変胃腸炎合併症」と医師の診断書があるが、言い換えれば牧水が身体を賭して人付き合いを重視したと言ってよい。俗に「一生分呑んだ」という言い方があるが、牧水は「一生分の人付き合いをした」ということだろう。
牧水が好きだったのは日本酒、大阪は伊丹の銘酒「白雪」などを特に好んだと歌にある。もちろん僕も母の故郷・新潟の日本酒を始め好きではあるが、「郷に入れば郷に従え」で宮崎に移住してからはもっぱら焼酎を嗜むようになった。それも「お湯割り」というのが基本である。東京では「ロック」か「水割り」を常道とする人が多いが、10年前に宮崎に来た当時、カウンターの隣の爺さんに「にいちゃん焼酎はお湯で呑むとよ」と教わって大ファンになった。親友曰く「お湯割りが楽とよ」という理由だ。元来が20度焼酎(東京などに出回るのは25度)の多い宮崎でお湯割りにすると、アルコールとともに一緒に呑んだ人と「こころを溶かし合う」ような感覚になる。地元大手焼酎メーカーは、そんな趣向のCMも流すが「あたたかい人柄」と「焼酎お湯割り」というのは誠に整合性があるということだ。酒はどうしたって「身体に悪影響」という論文が英国で発表されたと聞くが、人付き合いなき人生を生きてどうしようというのか。
「お湯割りに笑顔溶かせり人付き合いあくがれなくして何のたのしみ」
親友ともゼミ生ともこころを溶かし合う時間を
溶け合うこころにこそ生きる糧がある。
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凧は逆風に顔を向けるー「非戦」を思わせるために
2023-04-10
あらゆる権力者や戦争に向かう人にも家族がいて「非戦」と思うようにするための「音楽」があれば
坂本龍一さんの物怖じせず声を上げる姿勢に学ぶ
穏やかな快晴、宮崎らしい空の青が広がった日曜日。県議会議員選挙の投票を済ませ買い物へ、さらには父母とじっくり話す時間を取ったりする休日。TVでは「広島対巨人」のプロ野球中継が観られ、実に平和な時間であると思う。夕刻に陽射しが収まる頃、妻と近所の高台の公園へウォーキングへ。すると幼い子連れの家族が、凧揚げに興じていた。子どもは何も考えず無闇に走り、凧が上がらないことに苛立つ。若い親がどのように凧を揚げるかなど思いつつ、自らが幼少時に祖父が東京の荒川河川敷ほどの長い距離の対岸上空まで凧を揚げたことを思い出した。簡単には手に入らない特殊に長い糸を所持していたからこそできる芸当に、子どもながら大空を股に掛ける夢が実像として見えるような感慨を持ったのを記憶する。
凧揚げをしている広場の周辺を何周も歩いたので、凧そのものを深く観察した。当然の理ながら、凧は逆風に真っ向から顔を向けるゆえに大空に舞いあがることができる。考えてみれば、子どもの頃はそんな風向きのことなど考えてもいなかった。「大空を飛ぶような夢」というのも、逆風の抵抗など考えない純粋無垢な夢想なのかもしれない。それを思い、この日にあらためて観た阪本龍一さんを追悼する番組を思った。音楽家として「非戦」という声を上げ、数多くの社会的抵抗に真っ向から向き合い己の音楽の凧を最期まで揚げ続けていた。権力者や戦争に加担する人々が、それを思い留めるための言葉にならない「音楽」が必要だと訴えた。芸術・文化・文学にこそ、理性ある力が宿る。僕も自らの専門を背景に、坂本さんのような意志ある凧を揚げ続けなければなるまい。
真に夢を実現するには逆風に向き合うことだ
「非戦」の願いを常に持ちながら今日の「声」を上げる
「凧上がりゆくいまが永遠」
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反抗のちからー適時に必要な対話として
2023-04-05
父親にいつどのように反抗したか?親離れ・自立を成し遂げる契機として
「良い子ちゃん」が多い世の中に
高校卒業・大学入学の年齢は、「親離れ」の大きなチャンスであるように思う。という感覚が強いからか、所属大学を含め保護者会などを実施している世相にはいささか首を傾げてしまう。かくいう自分も大学は自宅通いであったため、十分な「親離れ」ができたとは言えないと回顧する。よく地方出身者の友人のアパートに転がり込んだが、あらゆることから自由であり生活の術も学べるのではと憧れを抱いていた。もし下宿生活をしていたら、親に対する思いも恋愛も少し変わっていたのではないかと思わないでもない。独り暮らしで大きいのは「親が客観的に見られる」ということだろう。人生では「独り」になる時期が、いつかは必要なのかもしれない。
最近は順々な「良い子ちゃん」が会社でも多いと聞くが、また大学でも批判的に反論する者が少ない印象である。また凶悪犯罪が起こると、多くが「普通で真面目な人だった」という犯人の印象が語られることも少なくない。心理学上でも「親への反抗」というのは必要な段階なのだが、適時にそれが為されないと暴発してしまうということかもしれない。僕の場合、商家で育ち家を継がず教師になり、その後に研究者を目指した。この生育環境からの「独り立ち」は容易ではなかったようにも思う。若山牧水が二代続いた「医師」を継がず、「文学者」としての道を歩んだ精神的な「反抗」が思われる。「継がない」ことを親子双方が納得するために、牧水は名だたる歌人として「短歌」に生きた思いに心を寄せている。
反抗は人生のバネになる
自立とは様々な過程と思いが重なるものだ
老いた父に向き合いこんなことを考えている。
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いまが永遠ーこの一点に生きて
2023-04-03
この世に生まれて「いま」がある生きることの自覚・言葉になる思考
自らがどんな縁(えにし)で結びついているか
「いまが永遠」である。僕がこの文を書いている「いま」、あなたがこの文を読んでいる「いま」ただあるのはそれだけなのかもしれない。こうして朝起きてすぐに文章を書こうというのも、目に見えない「永遠」を何らかの「かたち」にしたいからだ。生きる「声」は発してはたちまちに消えて行くが、「文字」としてこうしたWebに書き込めば人間が成した文明・文化の一部に「我」を刻み込ませることができる。いずれにしても「いま」こそが「生きること」なのであり、どんなに文明が発達しても僕らは「いま」しか生きられないのだ。
だが僕ら人類は「記憶」という高い能力を持っている。たとえ「いま」が去っていっても、脳内で再生をすることができるのだ。消えたかのように思えた「声」は、聞いた人の脳内に記録されている。それが保存され続けるには、「記憶の再生動作」をくり返さねばならない。「記憶」ある者が集い寄せ合い語り合うことで、「再生」は為されて行く。この行為が続けられてこそ真の「いまが永遠」となるのだ。ゆえに「いま思うこと」を言葉にして語り出す。短歌が「一瞬を永遠にする」というのは、こういう人類の営みの一部ということだろう。
取り戻せないことを再生すること
「いま」の積み重ねが自らの人生であること
科学やデータでは生きていけない人文学の意味がここにある。
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人生は螺旋状に #舞いあがれ
2023-04-01
一度決めた道を貫くだけが人生か?遠回りや障壁にも向き合いながら夢と希望を失わないこと
大空へ舞いあがる夢を周囲の人とともに求め続けた物語
朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」最終回を観ていて、涙が止まらなくなった。少女時代には身体が弱かった主人公・舞ちゃんが、五島列島で自然の中で逞しく生きる祖母から力をもらい、大学時代に人力飛行機サークルでの出逢いを契機に、パイロットになる夢を叶えるため苦渋の努力をしたがリーマンショックで就職が延期になり、自家営業のネジ工場が傾き父が急逝するのを乗り越え「空飛ぶ車」の開発に成功する夢を叶える物語であった。さらには舞ちゃんが結婚する貴司くんは、短歌を作り苦悩しながら歌人としての我が道を歩み続けている。短歌があってこそ人生は開けるということが巧みに描かれるとともに、家族や周囲の人々を積極的に肯定して個々が幸せを掴むにはどうしたらよいかを僕らに教えてくれた。東大阪で町工場に従事する人々や隣家で貴司くんの実家のお好み焼き店、五島列島で暮らす人々、家族や人と人との助け合いとは?舞ちゃんの人生は決して真っ直ぐではなかったかもしれないが、螺旋状に諸々の要素が編まれその縦糸横糸が夢を追い続ける限りはどこかで繋がることを教えてくれた物語であった。
「学校」では通学時の「寄り道」を禁じるかのように、「真っ直ぐな道」を歩むことをよしとされる。もちろん思いを決めた夢を貫くことが、貴いことは疑いはない。だが複雑で精密な構造の社会になったこともあるだろう、様々な分野の繋がりに寄り道し旋回することで可能性が拡がるのも確かである。僕自身を振り返っても、中高時代は運動部に熱中、大学時代は日本文学と書道、初任校に就職すると中高の運動部の空気が再び恋しくなり全国レベルの応援や部活動顧問へ傾倒して勤める日々。同期の研究者からすると10年遅れて大学院の門を叩き、勤務校を転任しながら博士後期課程まで進み学位取得。先行きの見えない非常勤講師生活2年間を経て、大学専任教員になって10年が過ぎた。果たして一貫して「文学」をやってきたらどうであっただろうか?と考えなくもないが、自らの運動経験も全国大会出場の高校生らを教えられたことはその年齢でしかできない貴重な経験であった。2校にわたり多くの人々と出逢えたことで教えられることも多かった。肝心なのは、心の奥底にある「夢」を常に輝かせて歩むことなのだろう。
どんな「逆風」にも負けない生き方
出逢った人の温情をさらに大きく膨らませて
螺旋状に生きてこそ心を踊らせ視野を拡げて歩むことができる
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明るさと暗さを受け止めてー宮崎の空
2023-03-29
起床後は太陽の光をあびるほうがよいとか就寝前はスマホ画面の光を受けないほうがよいとか
明るさ暗さと人間の心身と
日常の生活であれば、小欄はなるべく季節を問わず同じ時間に書きたい。起床後は睡眠中に前日の記憶が整理され、その人にとって必要と思われることだけが脳内に保存されているとも云う。何を重視し何を削除するかもその人の意識次第なのだろうが、となれば小欄の内容の積み重ねこそが自分自身が生きる道標にもなる。早朝の同時間に行動をすると、窓の外の日の出時刻が次第に早まって来る。特にお彼岸を過ぎたこの時季は、東の空が茜色になる時間帯が急速に早まる印象だ。「春はあけぼの」と平安時代から美しさがもて囃されて来たが、「紫だちたる雲」の素晴らしさは時代を超えて格別である。実家にいる頃から、自らの机の前の窓が東向きであったことから、「朝焼け」の回数をたぶん誰よりも多く見ているかもしれない。今もまた、やや雲が多いながら東の空が茜色になっている。
宮崎に住むようになって、明らかに空をたくさん見るようになった。高村光太郎『智恵子抄』に「智恵子は 東京に空がないと言った」とあるが、大正・昭和の時代から「東京」には「空がなかった」のかと思う。東日本大震災の記憶も何処へやら、今も高層ビルが乱立し続け「空を突き刺す」かのようで異様な空間がかなりの面積で広がっているのが東京だ。航空機で羽田空港に着陸する際の空は、喩えようのない濁りに見えるようになったのは宮崎に住んでからだ。光太郎のみならず、若山牧水も歌人としてやむなく東京に住んでいたが、妻の療養で三浦半島へしばらく保養に出向いたり、最終的には富士を仰ぎ海を遥かに見渡せる沼津の地に移り住んでいる。大空と大海と、その果てにある一粒ほどの我が命。そんな思いで人間の小ささを意識すると、あらゆるものへの感謝が湧き上がるものだ。今日も陽はまた昇る、それが当然のことなのかどうか?大空の顔色を伺う必要がありそうだ。
帰宅時間にまだ明るさを感じるように
太陽と空の青さに感謝する日々を
生きるということ いま生きているということ
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