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それぞれの持ち場ー今を生きている同世代

2023-03-02
友が美味しいと言ったうどん屋で
友がTV出演しているという不思議
そして宮崎の今を誇る果物たちを売る親友の店へ

弥生3月、気温に寒暖差はあるものの春の陽光が眩しくなってきた。2月は短歌関係の行事が目白押しであったが、それに加えてWBC日本代表合宿のおかげで野球を楽しむ時間も多かった。少年の頃から後楽園球場(現東京ドーム)に地理的に近い環境で育ち、長嶋さんと同世代の父は熱狂的な巨人ファンであった。その影響でV9終盤や第一次長嶋政権・藤田&王トロイカ政権・第二次長嶋政権の野球に夢中になって生きて来た。中高時代はもとより大学時代や初任校では、僕が「熱狂的巨人ファン」であるのは有名であった。父が長嶋さんと同世代であるのと同様に、僕自身も同級である巨人選手の当時の活躍にはすこぶる詳しい自信がある。その経験のおかげで、この宮崎で知り合うことのできた友がいる。感染拡大への対応も変化して来た今年、3年ぶりにその友と宮崎で長い時間を共有できた。もしかすると少年期に『月刊ジャイアンツ』のキャンプ写真で見ていた情報を、僕はいま宮崎で生きているような気持ちにさせられた。友にとっての「宮崎」は、選手時代の思い出が満載である貴重な「身を立てた土地」なのだとあらためて思った。

宮崎で美味しい「釜揚げうどん屋」として友がTV番組で推した店を、この日は昼休みに訪れた。キャンプが終わっても店前に並ぶ人気ぶりであったが、ふと食券を買いに店内に入るとTV番組で友がWBCの解説をしていた。これぞ不思議な縁、なぜ友が好きなうどん屋に来て、友をTV生出演を観ることができるのだろう。早速、釜揚げうどんと魚寿司の写真を送ると番組出演後に「明日も出演します」と返信があった。その後は、週末に親しい大学教授が開店した東京の店を訪問する予定なので、宮崎の旬の果物を「開店祝い」として贈ろうと親友の店へ。「晩白柚」というザボン系の大型柑橘類は、「太陽が昇るような輝き」に見える縁起物でお店に置くのにも適している。さらには「せとか(高級柑橘)」や「金柑たまたま」などを添えて、豪華なセットを親友が組んでくれた。お店のWeb上の情報を見ると、既に胡蝶蘭などは多く贈られた様子。やはり「宮崎の今」を贈るのがよいと考えた。そんな人との親交を、宮崎の親友が見事に演出してくれる。やはり、人には「生きているそれぞれの持ち場」がある。その分野でいかに「プロフェッショナル」であるかどうか?「プロ」なのはプロスポーツ選手のみならず、僕たち個々がどれほどの「プロ」であるかが、日々の生き方で試されているのだろう。

ありがたき友とありがたき宮崎の縁
WBC日本代表の試合を観るに「解説」を聞くというもう一つの楽しみ
今を生きている同世代の友よ!ともに自らの持ち場で楽しく生きよう!


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餃子のご縁ー同じ年月を生きてきたかの・・・

2023-02-04
少年時代に憧れたプロ野球
同年齢でその道を歩みし友
餃子の名店で出逢ったご縁

一昨年の(2021年)は餃子購入額が日本一の宮崎市、昨年分(2022年)の結果も次週あたりに発表されるのだと聞く。市内には名店がいくつもあるが、繁華街ニシタチで特に懇意にし足繁く通う店がある。あれはコロナ前のことだった、何らかの飲み会が終わって一人でその店で餃子をいただいていた。ちょうどプロ野球キャンプが始まったこの時期、入口から超長身の人が店に入ってきた。ひと目で同年齢のかつての大投手だとわかった。縁とは奇なるもの、「僕、同年齢なんです!一緒に写真だけ撮らせてください」と声をかけると、「面白そうだね!ここ座んなよ」と実に気さくに数人の話に加わらせてもらった。その流れで寿司屋に移動、その夜がご縁で連絡先も交換し地道な交流が始まった。しかし、この2年間はコロナで双方ともに会食などの制限もあり、なかなかお会いする機会を作れないでいた。

3年ぶりの今年、「宮崎へ行く」との連絡があり昨日の最終便で彼はやってきた。餃子の名店の「席は空いているかな?」と心配しているので、僕が先乗りして店の「親父さん」にも話して奥の席を確保しておいた。飛行機は10分遅れのようだったが、空港で「いまタクシーに乗った」と電話があった。さらに「ホテルに荷物だけ置くわ」という連絡に加えて、「その時点で餃子を焼き始めて」とお腹を空かせている様子、即座に「親父さん」に取り次ぎ、「2皿は食べるね?」という声とともに餃子が鍋に投入された。何か次第に野球の連携プレーのように思えてきて、さらに楽しい気分になった。そしてようやくの再会、僕は事前から3皿目の餃子を前にその大きな掌と握手を交わすことになった。同級年度に生まれ同じ長さの時間を、まったく異なる分野で生きてきた。僕も中学校の頃までは、本気で「プロ野球選手」になりたいと思っていた。そんな思いを重ね、夢のような楽しい談笑の夜となった。

気さくさ話の面白さ
考えた上での豪快さ
宮崎と餃子がくれた人生の宝のような交友だ。


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郵便物の楽しみ

2021-02-25
デジタル時代に物理的郵便物の楽しみ!
特に新刊書籍を開封する際のワクワク感
装丁や目次とあとがきなどを読んで・・・

帰宅して気が惹かれる大きな材料が、その日に届いた郵便物である。研究学会の案内や学術雑誌、県や市からの様々な通知、贔屓にしているサプリや日用品関係の広報、時に既に不要な情報が紛れていることもある。それでもだいぶデジタル化を進めて、「紙」の郵送物を減らした自負はある。カード会社の明細などは明らかにWeb上の方が便利で地球環境にも優しい。郵便物一つをとってもデジタル時代を実感するのだが、やはり紙の書籍が届くのは誠に大きな喜びである。親しくする歌人の方からの歌集、研究学会の仲間の学術的な新著、さらには多分野に及ぶ新刊書、いずれもパッケージを開けてページを開く際の楽しみは言葉にならない極上の嬉しさがある。

昨日も大学の先輩の新刊書が届いていた。長い間、『百人一首』関連の書籍を執筆されてきた方で、アニメ「ちはやふる」の公式ガイドブックも手掛けていた。そこを足掛かりに、今回は和歌短歌全般を題材にして「二首読み比べ」を肝に据えた内容構成。昨年から僕自身も研究学会のパネル報告などで「和歌短歌二首の読み比べ」を提案していたので、「一本先手を取られた」というライバル心も蠢めいた。それにしても「和歌短歌」が多くの人が親しむように書かれた書籍は、大変に貴重である。しかも研究者・歌人のみならず多彩な分野の執筆者が書く必要もあろう。早速にメールで届いた旨に御礼を申し上げたが、内容を読んだら封書で感想をお送りして、先方の郵便物の楽しみを創ることを通例としている。

出身大学の多彩な書き手の人々
そしてまた僕自身も新刊に向けて歩む
文筆の楽しみこそが人生の活かし方である。


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移動の先の待つこと

2019-12-23
離陸後の上昇中に「トイレ」」と泣き叫ぶ女の子
仕方ないとは思いつつ、トイレを我慢する辛さを思う
移動の先にある「待つ」こと

明治時代から制定された学校制度に、あらゆる子どもたちを適応させるための最初の施策が「排便の定時化」であると聞いたことがある。「授業」を受けるためには、一定時間(現在では45分か50分程度)はトイレに行かずとも過ごす身体が必要となる。個々の人々の発達の中にも「近代化」があるとすれば、就学前教育の中で「排便」の訓練が行われるのが一般であろう。僕自身も幼稚園時代の記憶を辿ると、引っ込み思案がために辛い経験が幾度となくある。昨日、私用があって東京へと向かう途次、離陸してベルトサインが消えない航空機内で幼い女の子が母親に連れられてトイレに向かおうとしたが、もちろん客室乗務員に制止された。女の子は「トイレ!」と大声で泣きながら自分の席に引き返した。その女の子の辛さを思いつつも、「待つ」身体を希求する近代とは何か?などと考えてしまった。

東京では何人もの友人・知人が待っていてくれる。そして宮崎の様子などを尋ねてくれ、彼らの多くが宮崎に来たいと云う。今回の「まちなか文化堂」で実施したセミナーで扱った楽曲(X’mas song)の録画映像などを、僕に観せようと準備し待っていてくれた親友がいた。僕の服の好みを十分にわかっていて過去に取り揃えた物も頭に入れつつ、選択肢を用意してくれる店長の僕を待つ思いもありがたい。親友の落語家と応援している人々が、下町の上品な料理を出す店での粋な集いを待っていた。どうやらこの日の有馬記念の馬券を待っていたのだという話題もまた、貴重な社会勉強になった。やむを得ない私用での上京となったが、宮崎の日向市では「マスターズ短歌甲子園」(高校生ではなく一般参加の大会)が開催されていて、本来ならば顧問をする短歌会の学生や卒業生の奮戦を観たいという強い葛藤の渦の中での上京でもあった。しかし、学生たちからは「優勝しました!」の連絡があり、待ち望んでいた吉報に感慨も一入であった。

X’mas前の雑踏にプレゼントを狩る人々
この人口密度の過剰さを怖れない強気の人々
仕事は宮崎に惜きつつ誠に重要な私用をこなす使命を待っている。


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理髪は文化にほかならず

2018-04-15
19歳から通い続ける理髪店
髪が伸びる間の老廃をリセット
いままでもまたこれからも

気にいると「トコトン」という感覚がある。ただ単に「好き」というよりも、のめり込んで嗜好する行動傾向である。そのように自己を省みてみると、どうやら母も同じような行動傾向がある。大人になるにつれて、自分自身の行動パターンが実はDNAに依存し左右されているのではないかという発見が多くなる。いまDNAと記したが、もしかすると生育環境の中で親によって植えつけられた傾向なのかもしれない。否、「どちらか」という問題ではなく、遺伝子と生育環境が混沌と融合して「今」の己が作り上げられているように思われる。その「今」こそが、生きる「文化」の継承である。

頭髪を形作るのも一つの「文化」であるとすれば、携わってくれる理髪者にも十分なこだわりがある。散髪時の感覚というのは僕にとって、どこか「ヨガ」などにも通じるものがあって、1〜2ヶ月の間に堆積したストレスや腐敗物を新たなものに更新してくれる。「切り落とす」という物理的行為が、こころの中でも同時に進行するような感覚である。よって、理髪者はだれでもよいわけではない。僕がまだ大学学部2年生だったころ、実家の近所に新たな理髪店が開店した。それまでは親の仕事関係で懇意にする街の店に行っていたが、新たなる自分になりたくてその新規開店した店に勇気を持って出向いた。総大将のような「先生」と呼ばれる人の鋏さばきには、聊かの「感動」さえ覚えた。その僕が散髪されている様子を、集中して観察する熱い視線があった。その店に修行に入っていた若い理髪師、その視線に惚れ込んでから僕は一度たりとも浮気をしたことがないのである。まさに「トコトン」なのである。

また生まれ変われる感覚
季節と状況に合わせて納得の髪型を仕上げてくれる
大切にしたい僕自身の「文化」の一つ。


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「空になるのは難しい」谷川俊太郎さん『情熱大陸』にて

2015-08-17
「まずは(自分の中から)言葉をなくす、
 そこからはじめないと・・・」
詩人・谷川俊太郎さんの発言が心に染み入る

「かっぱ」という詩がデザインされたTシャツを着て、サイン会や出版記念会を精力的に回り歩く83歳。「ギックリ腰をやっちゃった」と茶目っけたっぷりに語りながらも、その足取りは軽い。東京・阿佐ヶ谷で活動的な日々を送っていたかと思うと、森林に囲まれた軽井沢の別荘で詩作に励む。その自分自身の切替や書斎など仕事環境の素朴さには、甚だ魅せられるものがあった。『情熱大陸』という番組は、どちらかといえば新進気鋭なその道の開拓者が出演するという印象をもっていた。実年齢は「老練」であれど、谷川さんもまた今でも”新進気鋭”なのだとあらためて気付かされた。実に魅力的で前向きな83歳である。

谷川さんとは、出版記念サイン会で2度ほどお会いした。また僕の自著に詩作品を引用する際に、著作権のことでお手紙を申し上げたことがある。すると数日して、急に僕の携帯に見知らぬ発信先からの電話が鳴った。受話してみると「谷川です」とその独特の掠れ気味の声が聞こえた。「どこの谷川さんだろう?」と一瞬は思ったが、すぐに「俊太郎さん(先生)」であると気付き、僕はそのように呼称して確認した。予想をしていたよりも親しみ深く気さくで、実に優しい方であった。その後のサイン会で、その電話の際の御礼を申し上げ、「教育の現場で(先生の詩を)たくさん読ませて(朗読させて)いただきます。」と申し上げると、「いや〜責任重大だな〜」と微笑み、その頭を掻くような素振りが印象的であった。

番組の最後に御自身が朗読された
「日本と私」
「空になった」詩人の眼に「嫌い」と映る日本社会をどうしよう?・・・
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異業種の友人と対面で語ろう

2015-02-21
知ったような気になっている
Webで情報を得ることの危険性
世間は実に広いのであるが・・・

なるべく様々な方との出逢いを大切にしたいと、常々思っている。それは僕が、「教師」を目指すときからの変わらぬ信念である。「先生は世間を知らない。」というのは、よく僕の両親が口にしていたことだ。そんな生育環境であったから、僕自身も「先生」になるのだけはやめようと思っていた。だがいつの間にか、教えるのが好きな自分を発見し「先生」を目指すようになった。確か中学生の頃であったと記憶する。その際に心に誓ったのは、「世間も知った先生になろう!」ということだった。それ以来「学校」という空間で、「世間を知らない教師」を何人見て来たことであろうか。自ずと「教師」に対する見方が、己の中で厳しくなった。同時進行でいつの間にか教壇に立ち、中学・高校・大学と変遷し今に至る。結局は母方の親戚に多数存在する(「教師」という)DNAを引き継いだ結果となっている。されどあくまで「世間は知り」つつである。

ちょうど2年前、第3回WBC(ワールドベースボールクラシック)1次・2次ラウンドが日本で開催された際に、東京ドームの席の後ろに座っていた方と親しくなった。内野席ながら周囲では闇雲に外野席に呼応し、マスコットバットなどで他者の視線を塞ぎ、あまり野球を詳細には観ていない観客もいる中で僕はスコアブックを記し、投手の球種や球数、そして打者のコース別打撃可能性などを予測しながら独り野球を楽しんでいた。するとその彼が、「今の(この投手の)球数は?」とか、「この打者前打席では?」といったことを質問して来た。まさに「野球」そのものの機微を楽しむファンであったことで、僕らは数試合のうちに意気投合した。

その後、SNSを使用し彼との交流は続いていた。そして2年の月日を経て彼は、僕が現在仕事に従事する土地を訪れた。再会の歓喜とともに、彼と野球以外で「リアル」に対面するのは初めてであり興味深い一面もあった。するとやはりその会話や行動に、僕が知り得ない「世間」が次々と披瀝された。そこで感じたのは、やはり人とは「ライブ性」をもって対面すべきだということだ。Web上で様々に公表されている情報でも、実際にその業界の方から話を聴かなければわからないことが山積していることを知った。我々はWebを閲覧することで、「何でも知っている」という誤った全能感に支配されてはいないだろうか?やはり現実に対面してこそ、「世間」は初めてわかるのである。

双方の業種の方と会う機会は稀少であると感嘆しつつ
彼と僕を繋ぐ「野球」が存在している。

こうして「世間」を教えてくれる「先生」と
ライブで対面する機会を持ち続けなければならない。
それが僕の信条を頑に守る唯一の手段でもある。
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俵万智さん講演会「生きている言葉」

2013-09-16
短歌の魅力・言葉の力。
10年ぶりぐらいで俵万智さんの講演を聴いた。
大学学部同専修の先輩に当たる。
繊細に「生きている言葉」について語る。
そしてまた豊かな子育て論が面白い。


3.11震災の折は東京で仕事ししていた俵さん。仙台在住でお子さんはそこに。数日して交通状況が回復すると仙台へ。その後、思いに任せて西に行き、最終的には那覇に至ったと云う。その際に、心労極まりないお子さんが、書店の絵本コーナーに駆け込んだ。えほんの中を冒険するかのように。するとなぜかお子さんの”自分”が蘇ったというのだ。そう!絵本を読んでいる時間はどこにいても一緒、シェルターのような繭のような時間。こんな体験を当時の新潮社の連載に「知らない街で書籍浴」と題して書いたと云う。

講演会場である「木城えほんの郷」は、まさにその「書籍浴」に適した環境である。俵さんのお子さんも、この郷に着いた時は先述の沖縄の書店以来の様子で、大量の絵本を全身で浴びたらしい。子どもは語感で体験してこそ、活き活きと学ぶというのである。

子どもが日本語を覚える過程は実に面白く、ことばと実体が結びつく瞬間は、ヘレンケラーが「ウォーター」を発見する瞬間と同じだという。「育児は贅沢」であると繰り返す俵さん。演じてる子どもと観客は私一人。「血が出た」「 蚊がいる」といった大人が使うことばを覚え込み、「血」を「ちが」、「蚊」を「かが(かに)」などと助詞を付けて覚えてしまうような倒錯があるのも面白いと。「子どもは詩人」であり、手持ちのことばが少ないゆえに、時折予想もしない秀句を発する。

俵さんの豊かな読み聞かせ経験談も参考になった。「子供の中では(絵本の)絵は動く」のだ、つまり子どもは絵を読んでいるというのだ。例えば「龍の目の涙」という絵本では、龍に話し掛ける子どもが活き活きしていたという。書いていないことを絵本を通して子どもと会話ができる。母親である自分の質問には答えないが、絵本の中の龍には答える子どもと、その日の出来事などにおいて交流が活性化する。

俵さん御自身も幼少の時、ある絵本を暗誦できたのだと云う。子どもの時分はそれは自分が凄いのだと思い込んでいたが、実は暗誦するまで読む母親の偉大さを、自らが母になって悟った。そして最近、ともに仕事をした児童文学者・松居直氏の本から次のことばを引用した。

「知ることは感じることの半分も重要でないと思う。」

五感で何物かと出逢う重要性。
子どもが育つ過程では何より大切なこと。
この感覚に比して、学校空間では「知識」ばかりを体系化して教え込む。
興味があるないに関わらず、学年配当された漢字のように。
興味を持てば、大人でも覚えていないような漢字まで意味を知る力が子どもにはある。

子育ては期間限定。
文字を獲得すると絵は動かなくなる。
それもまた成長。

生きている言葉。
子どもを育てるとは何か?
俵”先輩”の豊かな感性に触れて、あらためて考えた。
えほんの郷では、頭(こうべ)を垂れた稲が黄金に色付いていた。
この郷の四季とも、更に深く関わろうと思う。
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アーサー・ビナード氏講演「日本語をつくった生きものをさがせ!」

2013-07-08
「日本語を守るために最後まで闘う」
アーサーの口から放たれた力強いことば。
僕の心の奥底まで響き渡り確実に何かを変えようとするものだった。
母語話者、否、国語教育・文学研究に関わる一人として、
今まであまりにも認識が甘かった。
既に日本語への浸食は水際まで来ていることを見過ごしてはならない。

日本語は「廃棄処分」の危機にあると彼は云う。「根っこのあることば」は、自然と人間が共存する「里山」で生まれる。その「里山」のあり方自体が、今後の経済政策で頽廃し成立しなくなるというのだ。そう、この日の講演会も自然豊かな「里山」で開催された。講演会場からも水田や用水池、そして山あいに豊かな緑が見え蝉が鳴いている。「木城えほんの郷」というファンタジーの世界と自然と人間が融合できる、理想的な空間だ。

最初に覚えた日本語は、「シュワッチュ!」というジョークで始まった講演。大学学部で「シェイクスピア」を卒論として書いている最中に偶然日本語に魅せられ、卒業式を待たずして来日。東京は池袋の日本語学校に入学したという。幼少の頃から、「hibachi」と呼ばれる代物が家にあって、バーベキューで使用していた。ところが日本に来て「深川江戸資料館」に行くと、それが「七厘(七輪)」であることを知ってショックを受けたという。同時に、「七厘」とは「わずか七厘ほどの値段の炭で食物を焼くことができる」というエネルギー政策として有効な道具であることを知った。そこで、むしろなぜ「七厘」が米国では「火鉢」と称されたのかに疑問を持つようになった。彼の調査の結果、明治期に米国商人がエスニックな調度品で儲けようと企み、日本から大量に「七厘」を持ち出した時に「火鉢」と名札を間違えたということらしい。「ことばは化ける」ゆえに、その正体を見抜く必要があるのだという導入の話からして、実に巧みであった。

アーサーの身体の中には、スコットランド民謡としてのメロディーと歌詞内容がある。それは「Auld Lang syne(スコットランド語)Old long since(英語)」というもので、「友情と絆の歌」であるという。しかし、その曲を日本のスーパーの閉店時に聞いた後、歌詞を知って「蛍と雪」が出て来ることに驚いた。その後、嫌悪していた「蛍の光」の歌詞が、実は自然エネルギーの歌だと解釈できるので好ましく思えて来たという。また、アーサーは「君が代」の歌詞が好きだという。世界中に「苔」が歌詞に登場する国歌など他にない。だが昨今、「A rolling stone gathers no moss」という諺の意味が変容して来ているとも。要するに「moss(苔)」は付いた方が良いか否か?旧来、「苔=財産」という意味で「放浪者は財産を築けない」という意味合いであったが、マネーゲームに終始する社会では、「根付いていない方が格好いい」ということになり、意味が反転してしまった。その「苔」が国歌となっている国で、放射能汚染によって「苔」を殲滅させなければならない現状を憂いているとも。「苔」と「利権」のどちらが大切かという立場の問題が強調される。「ことばは立場を表す装置」であるということだ。


その後、アーサーの「平和」とことばへの深いこだわりが時間を超過して展開した。「焼夷弾」という漢字語源を考えれば恐ろしい兵器が、「ナパーム弾」と名称を変えてベトナムで使用されて多くの人々の命を奪ったこと。日本人に第二次世界大戦中の「焼夷弾」で焼かれたという記憶を蘇らせない為の名称変更である。実態はどうあれ、政治的立場の人間がことばをすり替えて使用する。「原子爆弾・核兵器」も同じ。広島で被爆した立場の人々からすれば、それは「ピカドン」であるということ。原爆投下という暴挙をどの立場から見るか。アメリカ人であるアーサーが、広島で生活していた被爆者の立場から、ことばのからくりを力説した。

それは今現在も、われわれの生活の中で頻繁に行われている情報操作なのである。「原子力開発」といえば夢のエネルギーを開発しているように映るが、国によってはそれが「核開発」と位置付けられる。「原子爐(炉)」ということばも然り。鉄鋼産業で隆盛をきわめて来た日本において、「鉄鋼炉」からの連想は発展への切り札のように映っていた。

そして最後に、今回の選挙の争点は何かという問い。
新聞各紙が「ねじれ解消か否か」と扱っている時点で結果は見えているとも。
これは過去の、「郵政民営化選挙」や「政権交代選挙」でも同じであった。
「ねじれ」ていてはいけないのか?
マスコミの使用することばに、僕たちは真摯に批評する眼を持つべきであろう。

日本語に未来はあるか?
アーサーの問い掛けに、僕自身の責務を痛感した。
「世界中の言語が共存できる社会」を作り上げるべきだと彼は云う。
日本の一地方の小さな里山でこそ考えるべき重要な課題。
そこには自然との共存が成立している。

僕の生き方を大きく揺さぶったアーサーのことばに感謝。
僕も日本語・日本文学を守る為に、とことん闘いたい。
講演後、彼とのささやかな懇談と握手に僕は力を込めた。


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クリスマスイブに『笑ってさよなら』―入川保則さん逝去を悼む

2011-12-25
 半年前の6月24日、ご著書の『その時は、笑ってさよなら』(ワニブックス)に日付入りでサインをいただいている。「盲導犬サフィー、命の代償」(秋山みつ子著・講談社)の朗読会場でのことだ。これまでにも、俳優さんの朗読会にはかなり足を運んでいるが、入川さんのそれは別格だと感じた。それは朗読すべき対象作品の世界が訴えて来るのではなく、入川さんという人間の生き方を通して「命の代償」という作品テーマが“語られて”いたからだ。まさに「命を賭して」という迫真の朗読会という深みに涙腺が緩んだ。

 “名脇役”と称された俳優・入川保則さんが逝去された。昨年、癌が発覚したが延命治療を拒否し、今年3月には「余命半年宣言」の会見を行った。しかし、その後も、前述の朗読会や歌手デビュー(CD発表)、映画への参加に『水戸黄門』出演と精力的に活動されていた。3月の時点で医師による「余命半年」診断を、一笑するかのように超越し、夏以降もお元気で活動を続けられていた。


 入川さんとは、馴染みのワインバーで何度かお会いした。ある日、席が隣になったのをいいことに、図々しくも入川さんに質問をしたことがある。

「私は朗読表現の研究をしているのですが、入川さんが朗読する際に一番大切にしていらっしゃることは何ですか?」と。

 この質問に対して、実に懇切丁寧に笑顔で自分のお考えを小生如きに力強く語ってくれた。それを聞いた後に、6月末の朗読会を拝聴し、入川さんが語る「実践」を目の当りにして更に理解が深まった。俳優さんの朗読は「読む」のではない、やはり作品世界を「演じて」いるのだと。しかも6月の朗読会では、確実に主役的な存在でありながらも、入川さんの読み方には人生が表出したのか「脇役」的な雰囲気が感じられることで、『盲導犬ソフィー』の世界が余計にリアルに劇場に現れてきたようであった。
音声表現としての「朗読」研究者として、この入川さんとの出逢いを大切にし、何らかの形として遺したいと改めて誓う。さすがはダンディーな名脇役である。クリスマスイブに、多くの方々に入川さんなりのプレゼントを置いて、天に召されて逝った。ご冥福を心よりお祈りする。


 街はまた“日本”のクリスマスイブだ。“日本”のというのは、誤解を恐れずに言うならば、どこか偽装的で作為的な臭いがするのである。この日とばかりに街にはカップルが溢れ返り、デパ地下あたりの有名ケーキ店には長蛇の列ができ、イルミネーションが見られる地点には慣れない運転の車までもが氾濫する。この日を特別視するなら、日頃が頽廃していてもいいのか。生きている以上、“特別な日”はない。毎日が生きるという貴重極まりない時間なのである。

 入川さんは、人間が生きる意味を自らの身体を持って表現されていた。

 こんなに格好いい男を身近で初めて見た気がする。

 入川さん!ありがとうございます。
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