「空になるのは難しい」谷川俊太郎さん『情熱大陸』にて

2015-08-17
「まずは(自分の中から)言葉をなくす、
 そこからはじめないと・・・」
詩人・谷川俊太郎さんの発言が心に染み入る

「かっぱ」という詩がデザインされたTシャツを着て、サイン会や出版記念会を精力的に回り歩く83歳。「ギックリ腰をやっちゃった」と茶目っけたっぷりに語りながらも、その足取りは軽い。東京・阿佐ヶ谷で活動的な日々を送っていたかと思うと、森林に囲まれた軽井沢の別荘で詩作に励む。その自分自身の切替や書斎など仕事環境の素朴さには、甚だ魅せられるものがあった。『情熱大陸』という番組は、どちらかといえば新進気鋭なその道の開拓者が出演するという印象をもっていた。実年齢は「老練」であれど、谷川さんもまた今でも”新進気鋭”なのだとあらためて気付かされた。実に魅力的で前向きな83歳である。

谷川さんとは、出版記念サイン会で2度ほどお会いした。また僕の自著に詩作品を引用する際に、著作権のことでお手紙を申し上げたことがある。すると数日して、急に僕の携帯に見知らぬ発信先からの電話が鳴った。受話してみると「谷川です」とその独特の掠れ気味の声が聞こえた。「どこの谷川さんだろう?」と一瞬は思ったが、すぐに「俊太郎さん(先生)」であると気付き、僕はそのように呼称して確認した。予想をしていたよりも親しみ深く気さくで、実に優しい方であった。その後のサイン会で、その電話の際の御礼を申し上げ、「教育の現場で(先生の詩を)たくさん読ませて(朗読させて)いただきます。」と申し上げると、「いや〜責任重大だな〜」と微笑み、その頭を掻くような素振りが印象的であった。

番組の最後に御自身が朗読された
「日本と私」
「空になった」詩人の眼に「嫌い」と映る日本社会をどうしよう?・・・
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異業種の友人と対面で語ろう

2015-02-21
知ったような気になっている
Webで情報を得ることの危険性
世間は実に広いのであるが・・・

なるべく様々な方との出逢いを大切にしたいと、常々思っている。それは僕が、「教師」を目指すときからの変わらぬ信念である。「先生は世間を知らない。」というのは、よく僕の両親が口にしていたことだ。そんな生育環境であったから、僕自身も「先生」になるのだけはやめようと思っていた。だがいつの間にか、教えるのが好きな自分を発見し「先生」を目指すようになった。確か中学生の頃であったと記憶する。その際に心に誓ったのは、「世間も知った先生になろう!」ということだった。それ以来「学校」という空間で、「世間を知らない教師」を何人見て来たことであろうか。自ずと「教師」に対する見方が、己の中で厳しくなった。同時進行でいつの間にか教壇に立ち、中学・高校・大学と変遷し今に至る。結局は母方の親戚に多数存在する(「教師」という)DNAを引き継いだ結果となっている。されどあくまで「世間は知り」つつである。

ちょうど2年前、第3回WBC(ワールドベースボールクラシック)1次・2次ラウンドが日本で開催された際に、東京ドームの席の後ろに座っていた方と親しくなった。内野席ながら周囲では闇雲に外野席に呼応し、マスコットバットなどで他者の視線を塞ぎ、あまり野球を詳細には観ていない観客もいる中で僕はスコアブックを記し、投手の球種や球数、そして打者のコース別打撃可能性などを予測しながら独り野球を楽しんでいた。するとその彼が、「今の(この投手の)球数は?」とか、「この打者前打席では?」といったことを質問して来た。まさに「野球」そのものの機微を楽しむファンであったことで、僕らは数試合のうちに意気投合した。

その後、SNSを使用し彼との交流は続いていた。そして2年の月日を経て彼は、僕が現在仕事に従事する土地を訪れた。再会の歓喜とともに、彼と野球以外で「リアル」に対面するのは初めてであり興味深い一面もあった。するとやはりその会話や行動に、僕が知り得ない「世間」が次々と披瀝された。そこで感じたのは、やはり人とは「ライブ性」をもって対面すべきだということだ。Web上で様々に公表されている情報でも、実際にその業界の方から話を聴かなければわからないことが山積していることを知った。我々はWebを閲覧することで、「何でも知っている」という誤った全能感に支配されてはいないだろうか?やはり現実に対面してこそ、「世間」は初めてわかるのである。

双方の業種の方と会う機会は稀少であると感嘆しつつ
彼と僕を繋ぐ「野球」が存在している。

こうして「世間」を教えてくれる「先生」と
ライブで対面する機会を持ち続けなければならない。
それが僕の信条を頑に守る唯一の手段でもある。
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俵万智さん講演会「生きている言葉」

2013-09-16
短歌の魅力・言葉の力。
10年ぶりぐらいで俵万智さんの講演を聴いた。
大学学部同専修の先輩に当たる。
繊細に「生きている言葉」について語る。
そしてまた豊かな子育て論が面白い。


3.11震災の折は東京で仕事ししていた俵さん。仙台在住でお子さんはそこに。数日して交通状況が回復すると仙台へ。その後、思いに任せて西に行き、最終的には那覇に至ったと云う。その際に、心労極まりないお子さんが、書店の絵本コーナーに駆け込んだ。えほんの中を冒険するかのように。するとなぜかお子さんの”自分”が蘇ったというのだ。そう!絵本を読んでいる時間はどこにいても一緒、シェルターのような繭のような時間。こんな体験を当時の新潮社の連載に「知らない街で書籍浴」と題して書いたと云う。

講演会場である「木城えほんの郷」は、まさにその「書籍浴」に適した環境である。俵さんのお子さんも、この郷に着いた時は先述の沖縄の書店以来の様子で、大量の絵本を全身で浴びたらしい。子どもは語感で体験してこそ、活き活きと学ぶというのである。

子どもが日本語を覚える過程は実に面白く、ことばと実体が結びつく瞬間は、ヘレンケラーが「ウォーター」を発見する瞬間と同じだという。「育児は贅沢」であると繰り返す俵さん。演じてる子どもと観客は私一人。「血が出た」「 蚊がいる」といった大人が使うことばを覚え込み、「血」を「ちが」、「蚊」を「かが(かに)」などと助詞を付けて覚えてしまうような倒錯があるのも面白いと。「子どもは詩人」であり、手持ちのことばが少ないゆえに、時折予想もしない秀句を発する。

俵さんの豊かな読み聞かせ経験談も参考になった。「子供の中では(絵本の)絵は動く」のだ、つまり子どもは絵を読んでいるというのだ。例えば「龍の目の涙」という絵本では、龍に話し掛ける子どもが活き活きしていたという。書いていないことを絵本を通して子どもと会話ができる。母親である自分の質問には答えないが、絵本の中の龍には答える子どもと、その日の出来事などにおいて交流が活性化する。

俵さん御自身も幼少の時、ある絵本を暗誦できたのだと云う。子どもの時分はそれは自分が凄いのだと思い込んでいたが、実は暗誦するまで読む母親の偉大さを、自らが母になって悟った。そして最近、ともに仕事をした児童文学者・松居直氏の本から次のことばを引用した。

「知ることは感じることの半分も重要でないと思う。」

五感で何物かと出逢う重要性。
子どもが育つ過程では何より大切なこと。
この感覚に比して、学校空間では「知識」ばかりを体系化して教え込む。
興味があるないに関わらず、学年配当された漢字のように。
興味を持てば、大人でも覚えていないような漢字まで意味を知る力が子どもにはある。

子育ては期間限定。
文字を獲得すると絵は動かなくなる。
それもまた成長。

生きている言葉。
子どもを育てるとは何か?
俵”先輩”の豊かな感性に触れて、あらためて考えた。
えほんの郷では、頭(こうべ)を垂れた稲が黄金に色付いていた。
この郷の四季とも、更に深く関わろうと思う。
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アーサー・ビナード氏講演「日本語をつくった生きものをさがせ!」

2013-07-08
「日本語を守るために最後まで闘う」
アーサーの口から放たれた力強いことば。
僕の心の奥底まで響き渡り確実に何かを変えようとするものだった。
母語話者、否、国語教育・文学研究に関わる一人として、
今まであまりにも認識が甘かった。
既に日本語への浸食は水際まで来ていることを見過ごしてはならない。

日本語は「廃棄処分」の危機にあると彼は云う。「根っこのあることば」は、自然と人間が共存する「里山」で生まれる。その「里山」のあり方自体が、今後の経済政策で頽廃し成立しなくなるというのだ。そう、この日の講演会も自然豊かな「里山」で開催された。講演会場からも水田や用水池、そして山あいに豊かな緑が見え蝉が鳴いている。「木城えほんの郷」というファンタジーの世界と自然と人間が融合できる、理想的な空間だ。

最初に覚えた日本語は、「シュワッチュ!」というジョークで始まった講演。大学学部で「シェイクスピア」を卒論として書いている最中に偶然日本語に魅せられ、卒業式を待たずして来日。東京は池袋の日本語学校に入学したという。幼少の頃から、「hibachi」と呼ばれる代物が家にあって、バーベキューで使用していた。ところが日本に来て「深川江戸資料館」に行くと、それが「七厘(七輪)」であることを知ってショックを受けたという。同時に、「七厘」とは「わずか七厘ほどの値段の炭で食物を焼くことができる」というエネルギー政策として有効な道具であることを知った。そこで、むしろなぜ「七厘」が米国では「火鉢」と称されたのかに疑問を持つようになった。彼の調査の結果、明治期に米国商人がエスニックな調度品で儲けようと企み、日本から大量に「七厘」を持ち出した時に「火鉢」と名札を間違えたということらしい。「ことばは化ける」ゆえに、その正体を見抜く必要があるのだという導入の話からして、実に巧みであった。

アーサーの身体の中には、スコットランド民謡としてのメロディーと歌詞内容がある。それは「Auld Lang syne(スコットランド語)Old long since(英語)」というもので、「友情と絆の歌」であるという。しかし、その曲を日本のスーパーの閉店時に聞いた後、歌詞を知って「蛍と雪」が出て来ることに驚いた。その後、嫌悪していた「蛍の光」の歌詞が、実は自然エネルギーの歌だと解釈できるので好ましく思えて来たという。また、アーサーは「君が代」の歌詞が好きだという。世界中に「苔」が歌詞に登場する国歌など他にない。だが昨今、「A rolling stone gathers no moss」という諺の意味が変容して来ているとも。要するに「moss(苔)」は付いた方が良いか否か?旧来、「苔=財産」という意味で「放浪者は財産を築けない」という意味合いであったが、マネーゲームに終始する社会では、「根付いていない方が格好いい」ということになり、意味が反転してしまった。その「苔」が国歌となっている国で、放射能汚染によって「苔」を殲滅させなければならない現状を憂いているとも。「苔」と「利権」のどちらが大切かという立場の問題が強調される。「ことばは立場を表す装置」であるということだ。


その後、アーサーの「平和」とことばへの深いこだわりが時間を超過して展開した。「焼夷弾」という漢字語源を考えれば恐ろしい兵器が、「ナパーム弾」と名称を変えてベトナムで使用されて多くの人々の命を奪ったこと。日本人に第二次世界大戦中の「焼夷弾」で焼かれたという記憶を蘇らせない為の名称変更である。実態はどうあれ、政治的立場の人間がことばをすり替えて使用する。「原子爆弾・核兵器」も同じ。広島で被爆した立場の人々からすれば、それは「ピカドン」であるということ。原爆投下という暴挙をどの立場から見るか。アメリカ人であるアーサーが、広島で生活していた被爆者の立場から、ことばのからくりを力説した。

それは今現在も、われわれの生活の中で頻繁に行われている情報操作なのである。「原子力開発」といえば夢のエネルギーを開発しているように映るが、国によってはそれが「核開発」と位置付けられる。「原子爐(炉)」ということばも然り。鉄鋼産業で隆盛をきわめて来た日本において、「鉄鋼炉」からの連想は発展への切り札のように映っていた。

そして最後に、今回の選挙の争点は何かという問い。
新聞各紙が「ねじれ解消か否か」と扱っている時点で結果は見えているとも。
これは過去の、「郵政民営化選挙」や「政権交代選挙」でも同じであった。
「ねじれ」ていてはいけないのか?
マスコミの使用することばに、僕たちは真摯に批評する眼を持つべきであろう。

日本語に未来はあるか?
アーサーの問い掛けに、僕自身の責務を痛感した。
「世界中の言語が共存できる社会」を作り上げるべきだと彼は云う。
日本の一地方の小さな里山でこそ考えるべき重要な課題。
そこには自然との共存が成立している。

僕の生き方を大きく揺さぶったアーサーのことばに感謝。
僕も日本語・日本文学を守る為に、とことん闘いたい。
講演後、彼とのささやかな懇談と握手に僕は力を込めた。


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クリスマスイブに『笑ってさよなら』―入川保則さん逝去を悼む

2011-12-25
 半年前の6月24日、ご著書の『その時は、笑ってさよなら』(ワニブックス)に日付入りでサインをいただいている。「盲導犬サフィー、命の代償」(秋山みつ子著・講談社)の朗読会場でのことだ。これまでにも、俳優さんの朗読会にはかなり足を運んでいるが、入川さんのそれは別格だと感じた。それは朗読すべき対象作品の世界が訴えて来るのではなく、入川さんという人間の生き方を通して「命の代償」という作品テーマが“語られて”いたからだ。まさに「命を賭して」という迫真の朗読会という深みに涙腺が緩んだ。

 “名脇役”と称された俳優・入川保則さんが逝去された。昨年、癌が発覚したが延命治療を拒否し、今年3月には「余命半年宣言」の会見を行った。しかし、その後も、前述の朗読会や歌手デビュー(CD発表)、映画への参加に『水戸黄門』出演と精力的に活動されていた。3月の時点で医師による「余命半年」診断を、一笑するかのように超越し、夏以降もお元気で活動を続けられていた。


 入川さんとは、馴染みのワインバーで何度かお会いした。ある日、席が隣になったのをいいことに、図々しくも入川さんに質問をしたことがある。

「私は朗読表現の研究をしているのですが、入川さんが朗読する際に一番大切にしていらっしゃることは何ですか?」と。

 この質問に対して、実に懇切丁寧に笑顔で自分のお考えを小生如きに力強く語ってくれた。それを聞いた後に、6月末の朗読会を拝聴し、入川さんが語る「実践」を目の当りにして更に理解が深まった。俳優さんの朗読は「読む」のではない、やはり作品世界を「演じて」いるのだと。しかも6月の朗読会では、確実に主役的な存在でありながらも、入川さんの読み方には人生が表出したのか「脇役」的な雰囲気が感じられることで、『盲導犬ソフィー』の世界が余計にリアルに劇場に現れてきたようであった。
音声表現としての「朗読」研究者として、この入川さんとの出逢いを大切にし、何らかの形として遺したいと改めて誓う。さすがはダンディーな名脇役である。クリスマスイブに、多くの方々に入川さんなりのプレゼントを置いて、天に召されて逝った。ご冥福を心よりお祈りする。


 街はまた“日本”のクリスマスイブだ。“日本”のというのは、誤解を恐れずに言うならば、どこか偽装的で作為的な臭いがするのである。この日とばかりに街にはカップルが溢れ返り、デパ地下あたりの有名ケーキ店には長蛇の列ができ、イルミネーションが見られる地点には慣れない運転の車までもが氾濫する。この日を特別視するなら、日頃が頽廃していてもいいのか。生きている以上、“特別な日”はない。毎日が生きるという貴重極まりない時間なのである。

 入川さんは、人間が生きる意味を自らの身体を持って表現されていた。

 こんなに格好いい男を身近で初めて見た気がする。

 入川さん!ありがとうございます。
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金原亭馬治さんを囲む忘年会

2011-12-23
 忘年会も大詰めというこの連休前。街中を慌ただしく移動する人や、ATMに長蛇の列を作る人々が目についた。そんな中を東京から横浜まで列車に乗って、桜木町で下車。この日は、金原亭馬治さんを囲んでの忘年会に参加した。
 忘年会の時間まで暫く時間があったので、大学で落語プロジェクトを主宰する教授と、その友人の方々とで野毛界隈を散策した。いまだ昭和の香り漂う街並みには、様々な発見があった。時代や時間は、ある場所で保護され保管され今もなお生き続けている場合があるものだ。落語もまた同じ。

 そしていよいよ忘年会の開会。今年は誰しもそれぞれの苦労や痛みを抱えているような年の瀬。十数人のメンバーが、各自の今年を振り返りながら来年への展望を語った。落語好きな仲間であるから、小生も何らかの「笑い」を付加できればと思いながら語ったが、やはりプロの“口上”には敵わない。
 改めてこうしたカジュアルな場での、小さな「笑い」の醸し出し方を、馬治さんに学ぶような時間が続いた。忘年会という場は、まさに「年忘れ」の要素が必要な訳で、それには談笑なくしては成り立たない。小さな一言で場を盛り立てられる落語家さんの妙に聞き入った。
 中には「謎掛け」の“コツ”を質問する方もいて、落語家さんがどのように考えているかという舞台裏を垣間見るような時間もあり、楽しいひと時が過ぎて行った。楽しい時間はまさに早く過ぎ去る。終電時間となって横浜在住の方々より一足先に家路についた。

 今年は人前で、落語の一席も披露できた、ある意味で記念すべき年。自分が「語る」ことにこだわり続け、来年も「笑い」ある年にして行きたいと誓い、気分よく帰宅し就寝。

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知名度と人柄

2011-12-22
 先日の小欄に王貞治氏について記した。小生が少年時代、試合後の疲れた中でも、嫌な顔一つせずに握手をしてくれたことが印象深かったという内容だ。こうした体験が物語るように、憧れの野球選手とできれば直接会いたいという思いは今でも継続している。それゆえに、米国のボールパークやスプリングトレーニングにも、しばしば足を運んでいる。自分にとっての第二言語である英語で接する印象だからかもしれないが、往々にしてメジャーリーガーはファンを大切にしてくれる。それに比して、日本のプロ野球選手は、冒頭に書いた王貞治氏のようなありがたい態度ばかりではなく、時にファンに対してがっかりするような態度をとる場合も少なくない。にもかかわらず、インタビューなどでは満面の笑みを浮かべているのを見ると、果たしてその選手の人柄は何なのかと疑念が強まるばかりである。基本的に社会的知名度と人柄の関係は、切り離して考えなければならないと心に決めている一つの理由がこれである。


 暫くご無沙汰していた馴染みの店に、年末の挨拶がてら顔を出した。すると先月、芝居を見せてもらった声優のTARAKOさんの誕生会が行われていた。ほぼ貸切状態であったが、“馴染み”をいいことにカウンターの隅の席を空けてもらった。するとTARAKOさんがすぐ後ろのテーブル席にいらして、「先日はお芝居にいらしていただいて、ありがとうございました。内容はどうでしたか?」と声を掛けてくれた。紛れもなく“まる子ちゃん”の声である。彼女は、声優としての声と普段の声に殆ど変化がない。やや不思議な気分になりながら、小欄にも感想(11月28日付)を記したことや、その要点を簡潔に申し上げて、自分なりの生き方の中で共感できた芝居であったことを伝えた。すると彼女は、心から「よかった~!ありがとうございました。」と小生の反応を深く受け止めてくれるような表情で言葉を発した。

 その後、暫くして誕生日ケーキが切り分けられたのだが、その際には小生までも御相伴にあずかった。カウンターの隅でしばし一人酒を楽しみながら、背後から聞こえてくる楽しそうな会話に自分も励まされた思いである。夜も更け始めると、誕生会もお開きの様相。帰り際にTARAKOさんは、再び「騒いじゃってすいません」とご丁寧な挨拶をしてくれたので、「こちらこそお邪魔してすいません。ケーキまでいただいて光栄です。」と返答した。その後、彼女は家路についた。

 たぶん、世間で彼女の声を知らない人は少ないに違いない。その知名度を考える時、見ず知らずの一介の客に対して、これほど謙虚で丁寧な言葉を掛けてくれる人柄の高尚さに対して感激せずにはいられなかった。“ちびまる子ちゃん”の持つ素朴な表裏のない人物像は、“あの声”の純朴さと温かみによって支えられていることを改めて悟った。



 冬至前夜の街並みは、夜が更け行くとともに寒さを増していた。帰路を歩きながら、改めて自分自身にも言い聞かせる。

「どのような方に対しても敬意と謙虚さをもって接しなければならない」ということを。

お店に何枚か提供されていた“ちびまる子ちゃんカレンダー”を1本いただき、帰宅して開いてみると、やはり純粋なあの笑顔。そのアニメの奥から温かい言葉が聞こえてくるようであった。

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