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牧水『海の聲』と僕の湘南

2023-09-26
今も聞こえる海鳴りの響き
あの繋がっている海の先へ
牧水が身体で受け止めていた地球

こうして早朝に耳を澄ましていると、秋の優しい風とともに海の聲が聞こえてくる。家からほど近い公園の小高い丘に登れば、太平洋を拝むことができる。いつかこんな環境に住みたいと、若い頃から思っていた。東京在住時は「海」といえば湘南あたりまで行かなければ見られず、その響きも見た目も遠い存在だった。それだけに湘南の海へ行くと、妙な懐かしさにかられる時間だった。最も幼少の記憶は両親に江ノ島に車で連れて行ってもらい、おでんを食べて水族館で楽しんだものだ。海岸線の延長には刺激的な形をした茅ヶ崎の「ホテルパシフィック」が見えて、父が「加山雄三のホテルだ」と教えてくれた。あの幻想のようなホテルの影が、今もモノクロームのように僕の脳裏に焼き付いている。

牧水は第一歌集の名を『海の聲』にした。7歳まで海を見たことがなく、母に連れられて美々津の海を見たときの感激を後に文章に残している。12歳からの延岡生活では海のある街に住むことができ、大学で東京に行っても房総の海などを好んでいる。結婚後には妻・喜志子が病気になると三浦半島へしばらく転居したり、晩年は海と千本松原と富士山の光景が素晴らしい沼津を選んだ。山の奥深くで育った牧水が自然の本質を求めたとき、坪谷川から耳川を下り美々津で海に注ぐという原体験によって「海」に永遠の憧れを持ったのだろう。そんな意味では、牧水の「美々津」と僕の「湘南」は、海の原体験として永遠に生きているものなのかもしれない。寄せては返る波音を聞くとき、あの懐かしさは自分が生命をいただいたときの「母なる響き」を覚えるである。

湘南の江ノ島・宮崎の青島
僕の母なる海をいつも大切にしたい
今朝の海からの風は妙に心地よいのだ!


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あの頃の研究室ー恩師の年齢になって

2023-07-28
大学時代の研究室での研究会
先生の「喉が渇いたね」という一言から
大学近くの店になどくり出して・・・・・

大学学部の恩師は、母と同じ年齢だったので今も生きていらしたら80歳代になっていた。残念ながら72歳の折にこの世を去ったが、今もその声が聞こえて来るような気になることがある。研究会をしていて夕刻になると「喉が渇いたね」と先生は言う。それは言わずもがな「(みんなで)呑みに行かないか」という意味であった。現在とは異なり大学の環境も寛容なところがあって、研究室にもたくさんの茶碗とウイスキーが保管されていて『万葉集』の歌を講読しながら「はじめる」ことも少なくなかった。いわゆる「飲み会」が先生のもとでは日常から行われていたのだが、その場によって先生にも先輩にも多くのことを教えてもらった。卒業後も正月となれば必ず先生のご自宅に年始に伺い、かなりの大酒を呑んで終電で帰った。考えてみればいつしか僕自身が、あの頃の先生の年齢になっているのである。

現在はもちろん研究室(大学構内)で「はじめる」ことはご法度である。しかもこの3年間ぐらいは感染拡大で「飲み会」そのものの開催が控えられた。直近の昨年度でさえ、ゼミでは1回しか実施していない。思うのはかつて恩師が僕らにそうしてくれたように、僕自身がなるべくゼミ生と親しく語り合う時間を確保したいと常に願っていることだ。事実上、大学内で行うゼミの時間だけではまったく物足りない。教師としてのこころ構えでも、私的生活の話でも、はてまた実習への不安でも、自由に交流できる場が必要だ。などと考えて僕のゼミでは、なるべく「課外」の機会を設けるようにしている。恩師の思い出で印象深いのは、大変に気前が良いこと。店ではかなりの額を支出してくれていたし、場合によると早稲田ー高田馬場間のバス代七人分を出してくれたこともあった。あの頃の恩義に報いるためには、当時の恩師と同年代となったいまこそ学生との大切な時間を作り、恩師がしてくれたようにすることだと思っている。

自分が受けた「学び」は次の世代へ
語り合う時間を大切に作り出すこと
今もまた先生の笑い声が聞こえて来る。


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めばえ・げんてんーあの幼稚園の先生

2023-07-27
「心育」こころを育ててもらったあの頃
物心ついて初めての恋のような感情を抱いた物語
卒園幼稚園の現園長先生として宮崎へいらっしゃる

集団行動など「規律」という意味では、ダメダメだった幼稚園の頃。だが確実に「心育」を施していただき、現在の自分に繋がるめばえ(芽生え)があると回想できる。幼稚園は僕が現在の道に進む上で大きな原点となっている。文学研究をしているのもあの頃に紙芝居や絵本により大きな感動を与えてもらったから、その肉声で読み聞かせる素晴らしさから音声表現(朗読)研究にも踏み込んだ。「クリスマス」の著書を書いたのは「マッチ売りの少女」の紙芝居が原点、音楽と関連させたのもあの頃に楽器に向き合ったからだ。そして「ことば」は「心の耳で聞く」という短歌の原点のような姿勢もまた、当時の幼稚園園長の教えに由来するのではないかとさえ思う。ダメダメなことも多かった園児だったが、確実に未来に繋がる「あそび」によって「心」を育てていただいたのが僕の幼稚園の人生としての意義である。

現在もまた当時の園長の娘さんが園長として、「心育」の教育を引き継いでいる。僕が園児の時は年少の担任(自分の担任ではなかった)で、「日本の恋歌とクリスマス」に記した「初恋類型めばえ」として僕の内部に刻まれている先生だ。その現園長先生が、研修のために息子さんとともに宮崎を訪れた。妹の時に「ひまわり会会長」を務めた母に連絡があり、ぜひ会食の機会が持てればということでこの日を迎えた。不思議なのはその息子さんが、仕事の関係で宮崎にご縁があったということ。人生の原点に発する糸がどのように繁茂していくのか?誠に不思議でもあり必然でもあるドラマが待っている。この夜は昔話からさらにこれからの幼稚園まで、時間がまったく足りないほどの話が弾んだ。未来への話の中でも人と人とのご縁が不思議なほど繋がっており、母が築き上げた人間的な心の輪がさらに拡がりそうな予感を持った。幼稚園・保育園の頃には、何も早く「文字」「計算」ができればよいというのではない。人生という樹木の種となる「心」を芽生えさせる「あそび」にたくさん触れることだ。かつての園長はこう言っていた、「心を育てれば青少年の犯罪はなくなる」のだと。余裕なき効率化と詰め込みの発想から、この国はもういい加減に脱しなければなるまい。

母の人生の樹木として高く大きくそびえ立つ
さらにこれからも幼稚園に様々な繋がりで貢献したい
「人の心」が大好きな己を育ててくれた人生の恩師として


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ドーナツ穴の見通し

2023-07-17
恩師が好きだったリングドーナツ
母はよく正月の煮しめで蓮の穴から見通しと
昼下がりのドーナツの幸せ

今まで人生の師と呼べる恩師は5人、もはや今後はそんな師が出現することもないように思う。中でも大学受験時のラジオ講座・リアル講習で出逢った先生との交流は、僕の人生に多くの生き甲斐を与えてくれた。先生の母校に憧れ、先生の講習のおかげで首尾よく入学でき、その後も学問をするヒントをいつもその会話から僕に提供してくれた。社会人として教員となってからも、よく先生のご自宅に話をしに行く機会が多かったが、その際の手土産は必ずドーナツと決めていた。明治生まれで西洋風なハイカラな物がお好きだということもあるが、紅茶にドーナツをお供にして学問の話をする時間があってこそ、僕は研究者として再起することができたのだと思う。

あのリング状のドーナツという食べ物はなんだろうか?シンプルで中心に穴がある形状に、なんとも言えない郷愁が漂う。のぞき穴のようでもあり、よく正月の煮しめを作った母が蓮の穴から「見通しがよい」と覗きつつ食べていたのが思い出される。この日は暑い昼下がりに、新刊著書の校正作業を追い込んでいた。どうも集中する燃料が切れたように思ったので、妻とドーナツ屋に車を飛ばした。昼食替わりに2個ほどとアイスコーヒー、その軽やかな甘さに恩師のことを思い出しつつ、校正作業をする気力が蘇った。大学入試参考書のベストセラーをたくさん出版していた恩師、いつも「本を書きなさい」と僕の背中を押してくれたのが思い出される。昼下がりのドーナツ屋で、なぜか妻とこれからの大きな夢を語り合った。きっと先生がともにドーナツを食べにいらしていたのであろう。

作業の合間には小さな未来への楽しい計画を
自らの著書を面白いと思えるように
今も恩師の力強い筆致のサインが僕の机上に輝いている。


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こころのかさぶたはやがて筋断裂のように

2023-07-06
「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから。」
(『贈る言葉』作詞:武田鉄矢・作曲:千葉和臣)
あの頃の「かさぶた」見いつけた!

「かさぶた」というのは傷ついた出血部分が、血小板の働きで固まり出血を抑えるという人間の恒常性作用である。血液が流れ続ければ生命に危険が生じるが、凝固作用がそれを助けることになる。だが気になるところにある「かさぶた」は、なぜかその「ぶた(蓋)」を剥がしたくなってしまう。せっかく治癒に向けて固まったものに、なぜ人は手を掛けるのだろうか?子ども時代から青年期には、特に無意識にかさぶたを剥いていることがあるのはなぜだろう?もとより人間には、痛みを欲する自虐的な本性が眠っているということなのか。若い頃には「身体的なかさぶた」が気になったが、(もっとも大人になると身体に傷を作ることも少ないのだが)大人になると「こころのかさぶた」があって、ちょっとしたことで剥いてしまうことがある。特に文学に向き合っているせいだろうか、こころに様々な症状が出ることを自覚することが少なくない。

一昨日、母としばし昔話に興じた。主に僕自身が中学校・高校時代の「学校」のことが話題になった。教えを導いてくれた数人の先生が思い出される一方で、まさに「古傷」があることも再確認できた。僕自身がやりたい「文学」に向き合いながらも、どこかで「教育」を考えたいのはこの「古傷」のせいなのだと悟った。「このような授業では?このような教師では?」という青年期の傷が、大きな反発となって僕のこころに刻まれているのだ。だが考えるに、それはもはや「かさぶた」ではない。若き「筋断裂」を超えて僕自身の「筋肉」となって、今の言動を支えてくれている。過ぎた日々は戻らない、ならば経験したことは「かさぶた」のまま古傷としておくよりも筋肉にしてこころの動きを支えてくれると思った方がいい。筋肉は負荷がかかり筋断裂をすればするほどに育つわけだから。ちょうど僕の中高時代には、TVドラマ「金八先生」が流行っていた。冒頭に記した歌詞は、「悲しみ」による「筋トレ」をした人こそが、「人には優しくできる」ということを言っていたのだ。

「他者のこころの痛みがわかる」ということ
それゆえに苦しむこともあるのが人の世である
であるならば、「悲しみが多い」人として生きていきたい。


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「コンバート」に成功した憧れの人

2023-06-27
ロールモデル=「(他者の見本となる)役割モデル。」(『ランダムハウス英和大辞典』小学館)
このような人になりたいと上を目指す意志
分野などが違ってもその姿勢から学ぶものは大きい

中学・高等学校の専任教諭をしていた頃、「大学教員になりたい」と言うと「なんで中高の先生ではいけないの?」と疑問を投げかける人が何人もいた。確かに大学学部を卒業した頃は、「教育現場こそが面白い!」といきり立って教員になった。実際に高校生との熱い青春時代の延長のような仕事は楽し過ぎるほど楽しかった。だが10年ほどしてさらに学びたい、研究を活かして生きてゆきたいと思えるようになっていた。いわゆる人生の大きな「コンバート」であった。「コンバート」という外来語が、僕の中に大きな指標として樹立している。それは「野球で、専門の守備のポジションを変えること。」(『日本国語大辞典第二版』)と辞書にある。それは小中学校の時に憧れた「ロールモデル」と呼べる存在が、胸に焼き付いているからだ。

その名は「高田繁」、ちょうど昨日放映されていたNHKBS「球辞苑」が「コンバート」をテーマとしており、77歳となった高田さんのインタビュー映像が流れた。青いグラブ、強肩を活かした送球と俊足巧打、僕にとって巨人の背番号「8」は高田さんしかいない(現監督も現役時代は「8」であったが)ほどに思っている。左翼手として「塀際の魔術師」と呼ばれ本塁打を捕球するほどの好守を見せていたが、1975年当時に打率の低迷に苦しんだ。折も折、球界一の好打者・張本勲さんがトレードされ「左翼」の位置に来るという窮地に、長嶋監督の進言で「三塁手」に急遽コンバートされたわけである。当時は野球雑誌でその苦闘の姿を読み漁ったが、常にクールに自分ができる可能性を信じて取り組む姿勢に大きな憧れを抱いたものだ。野球少年だった僕は、いつか「コンバート」に直面したら自分も前向きに生きようと学んでいたのであった。

自己の可能性は自らが開く
野球から学ぶものは技術だけではない
僕の中ではいつまでも「高田さん」は輝いている。


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母のカレーライス

2023-06-21
「カレーライス」と「ライス」とまで言いたい
世界で此処にしかない味を実感し
「ふるさと」はいつも母の手の中に

研究者として生きてきたせいか、時に自らの意固地で頑固な性分が嫌になることがある。例えば、手作りにこだわりコンビニ弁当などは避けようとする、食材でも自分なりの根拠を持って「食べない」と決めているものがある。飽食の時代、周囲に便利な食べ物が溢れているからこその「精選」だとは思いながら、様々なこだわりを持つ。カレー作りにしても「製品の『作り方』通りに作るのが一番美味しい」という情報を得てからというもの、僕なりのこだわりに「うるさく」なってしまった。だが「作り方」一つでも「世界で此処にしかない味」があることをあらためて実感した。

いつ以来のことか、母が作ったカレーライスを食べた。その色や香り、野菜の煮込み具合、そして味まで、どこか懐かしく「この味だ!」と思えて、旧友に再会したような気持ちになった。市販のルーを使用していながら、母独特な「作り方」が「世界で此処にしかない味」を醸し出すのだ。きっと僕が幼少の頃から、この味を食べ続けて来たのだろう。僕自身が再現して作れ、と言われてもなかなか作ることはできそうにない。こうした「ささやかな今」があることが、この上なく幸せなのだと最近は思う。生まれ故郷とは離れた宮崎であっても、確かに僕のふるさとは母の手の中にあるのだ、という思いに至った。

牧水は常に故郷を離れようとしない母を慕いつつも
桑田佳祐「MY LITTLE HOME TOWN」に出てくる「ママのカレーライス」
いま、今、を大切にできる時間


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淀みに浮かぶうたかた

2023-06-17
「ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし。
 世の中の人と住処と、またかくのごとし。」(『方丈記』鴨長明・冒頭文より)

「うたかた」とは「泡」のことを指す古語、「水の上に浮いてるあわ」のことから「はかなく消えやすいたとえ」に転じ、副詞として「(あわのはかなく消えるように)少しの間も。」などの用例もある。文学史の講義で『方丈記』を扱い、その冒頭文を学生たちとともに音読し内容について考えた。「川の水上の泡」に対して学生たちの想像が十分に行き届かないと思ったので、「風船」の話題を提供した。風船は膨らませれば膨らませるほど、小さな傷でも破裂し滅びてしまう。「風船」は幼少期に遊ぶことも多く、その破裂に泣いてしまった経験も多いだろう。「人」も「住処(すみか)」も、まさにこのように「儚く無常」なものだと実感を伴わせる必要を感じたゆえだ。

「風船」といえば、僕には忘れられない経験がある。幼少期に近所の友だちたちと「風船」で遊んでいた時のこと、ガキ大将的存在が近くにあった「釘(遊んでいる家が建築会社であった)」で他の子の風船を割ってしまった。「お前もやれよ」と僕も強要され、「悪戯ぐらいする勇気も必要だ」と思った僕は、ある子の風船を釘で刺して割ってしまった。後になって考えるにその子は障がいのある子であり、当然ながら大声を出して泣き叫んだ。それを眼の前にした僕は、耐え切れなくなってやはり大声で泣き叫んでしまった。ガキ大将は「なんでお前が泣くんだよ!」と怒ったが、僕は涙が止まらなかった。その時から僕は、他人が嫌がること・悲しむことを決してしたくないと心に刻んだのだ。「他人の気持ちを自分のように」考えるべきと胸に誓った。それゆえに、家族はもちろん「自分以外」の人の気持ちを、「痛いほど思いやる」習性を持ち得たのだと思う。人の命はそれぞれに「無常」である、それゆえに周囲の人の気持ちになって生きたいと強く思うのである。

腕力も財産も地位も「うたかた」に他ならず
あなたを大切に思うという温情こそが人として大切なこと
ゼミ生たちが一生に一度の公立実習を終えたゆえ慰労会も開催した。


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人はなぜ恋に心を乱すのかー「非戦」であるためのうた

2023-05-17
「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」
(『古今和歌集』恋歌巻頭歌)
自分以外の身の上のことを自分のことのように感じるために

幼少の頃から「争い」が嫌いである。街で老人の姿を見たりすると、「大丈夫かな?」と思いを致したくなってしまう。小学校の時に住んでいる街の樹木に囲まれた閉鎖的な公園で、理不尽な言いがかりをつけられたことがあった。相手は自分たちより年下だったが、その一人の兄が異様に攻撃的な人間で小学校でも幅を利かせていた。奴らはその「虎の威を借る狐」となって、僕らを攻撃してきた。頭の中では砂場の砂をかけて契機を作り、年下の奴らを打ちのめして解放されることを妄想した。だがどうしても僕はその「戦い」ができず、自分の情けなさと「兄の威を借る」行為が許せずこれ以上ないぐらいに泣き叫んでしまった。焦った奴らは僕を即座に解放し、涙が止まらないまま家に帰った。情けない幼少時の経験に映るかもしれないが、僕が暴力の連鎖を絶ち「非戦」を貫いた最初の記憶であるかもしれない。

眼の前の人を自分のように大切に思うこと、それを人は「愛」とか「慈悲」とか呼んできた。「慈悲」とは「慈=楽を与える」と「悲=苦を除く」という意味で構成された仏教由来の漢語である。自分自身を外に開かず内に閉じこもり壁を作り、外側の者は理解できないと排斥する考え方が「戦」を生み出してしまう。閉じこもった中の世界では正当に勇敢に見えるようだが、広く開放された世界からは狭量で残忍で「愛」や「慈悲」のない獣性のある人物にしか映らない。要は「自分自身が排斥され攻撃される側になったら」という想像力がない。その「想像力」を養うのが「恋」なのではないかといつも思っている。言い換えれば「自分以外で自分と同等に大切に思える人と生きる」ことなのだ。この日の「日本の恋歌ー和歌短歌と歌謡曲」講義では、冒頭に記した『古今集』歌も引きながら、自著を使用して「人はなぜ恋をするのか?」を全学部から受講する120名余の学生たちと考えた。「恋」を説くということは、自ずと「非戦」を説くことに他ならないという矜持を持ちながら。

「あなたがいつも笑顔でありますように」
(桑田佳祐『ほととぎす』より)
「花」を「愛」を「うた」を、あなたは大切にしていますか?


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ゴールを決めてスッキリ集中

2023-04-18
時間をかければ良くなるわけではなく
受験勉強の頃から「集中」のための「ゴール」
休憩にはご褒美を忘れず!

新年度授業も2週目に入った。単に講義の準備のみならず年度開始にあたり新たに開かなければならない諸事の事務的な仕事が多く、双方を上手くバランスをとって進める必要がある。「授業」は時間割の中で待ってはくれず、事務仕事の先には委員会構成員などが控えている。教室で学ぶ学生の姿、そしてまた会議に出席する方々の顔を思い浮かべ、仕事を進めているような日々である。こうした際に心掛けたいのは、仕事の「ゴール設定」である。「何時何分までに終わらせる」と決めることで「集中力」が増すのである。昨今はスマホなどの誘惑が多くなった社会で、「タイムプレッシャー」はさらに意識すべきだと思っている。

大学受験勉強をしていた当時、旺文社の受験雑誌『蛍雪時代』を愛読していた。そこには教科内容に関わることも掲載されていたが、「受験勉強法」のような情報も多かった。単語はダラダラ学習するのではなく、「15分1セット」と限定的な時間の中でこそ覚えられる。時間枠としてはさらに「30分1セット」「45分1セット」などの学習作業時間単位を設定する。例えば、古文読解なら「30分枠」とか英語長文読解なら「45分2セット」とか、学習内容で単位とセット数の組み合わせで「ゴール」を決めて学習する。すると自ずと試験でも「時間内で回答」が可能な頭になってきてとても実戦的であった。この方法は現在そのまま大学での講義に活かしており、90分の講義を「6分割」し「15分6セット」の課題設定をする。「15分」の中でも「説明を聴く」時間と「他の受講生と対話する」時間とに分割し、多様な頭の動きができるようにしている。

「1講義100分」になったという研究者仲間の投稿を見た
真っ直ぐな道を歩むだけでは自動車の運転でも眠くなるものだ
「小さなゴール」に達成感を持たせ、間の休憩にはスマホなど最大限の自分へのご褒美を。


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