FC2ブログ

紙とのつきあい

2020-09-14
新聞紙を利用したバッグ
表面の図柄を活用し様々な用途に
紙と僕らのつきあい方

地元紙・宮崎日日新聞「くらし」欄に「新聞バッグ」の記事があった。新聞そのものを素材として、小さな手提げバッグを作製するというもの。それを活用すれば、ちょっとした食品のお裾分けなどをして、先方もそのまま短期間なら保存ができるというのだ。ちょうどこの日は、宮崎県立美術館で開始される「美の旅」展覧会のラッピング紙面(新聞の1面の外側が広告的な内容のカラフルな紙面で包まれている)があって、ぞの図柄を活用すると芸術の秋への演出にもなる粋な計らいのある記事であった。それをせっかくだからと、妻が取り組んで見事に紙面の写真同様のものを作り上げてくれた。

いつしか生活にビニールが氾濫して、八百屋さんで買い物をする際に新聞紙で野菜を包んでくれる文化が廃れてしまった。僕の幼少の頃は、魚屋でも同様だったような気もする。その新聞紙面が少し古かったり自分の家で取っていない社のものだとすると、野菜を出した後に台所にあるものから記事を読んでしまうこともしばしばであった。確か肉屋さんでもコロッケなどを買うと、紙の包装紙に油が吸着されたものであった。また菓子店でパンなどを買っても、紙の包装紙に包んで口をぐるぐるひねっておばさんが閉じてくれたのを覚えている。

紙自体も節約する流れではあるが
自然に近く回帰できる素材はどちらなのだろうか?
「紙文化」とどうつきあうか?本をはじめ僕らの世代の大きな問題である。


スポンサーサイト



tag :

排水は詰まらぬように

2020-09-05
「水の循環」という自由研究
自然の動きを止めるのは人間
気持ちもあれこれ巡らせないと

小学校4年生ぐらいの頃であったろうか、夏休みの自由研究を休み明けの授業で発表するということがあった。僕は「水の循環」というテーマをまとめていて、雨が大地に降り注ぎ川となり海に注ぎ、海は海面温の上昇によって水蒸気を大空に放つことで雲が発生しまた雨となる、概ねその各過程でどのように人間が関わっているかなどを口頭発表した覚えがある。人間が生活用水を獲得するために大地を掘り返した「井戸」の種類なども調べ、「つるべ井戸」など天秤の原理を利用したものなどの絵を描いたことなどが記憶にある。なぜか鮮明に覚えているこの自由研究が、実は大変に重要なことだと大人になってから気づく。自然の循環の中にいるはずの人間が、自分たちの利欲だけを最優先することでこの地球の環境を破壊していることがショックであったからだ。

自宅の排水管洗浄を業者に委託し、その作業を通して再び前述した内容を思い出した。我々の生活用排水は、明らかに「水の循環」に悪影響をもたらせている。個々の蛇口からは、いつでも困ることなく水が出る。しかし飲料水は、別に様々なコストを要するペットボトルを利用していたりする。手を洗うも衣類の洗濯をするも、風呂で髪や身体を洗うにも容赦なく洗剤類を大量に使用する。その結果、調理関係や身体から排出される油脂成分が徒らに凝固し「水の循環」を阻止する。家の駐車場床面にある排水マンホールの中は、まさに生活排水による堆積・汚染の集約された劣悪な有様であった。しかし、この近代的生活を人間はもはや止めることは難しい。都市生活を離れて宮崎で暮らすようになって、ようやく僕は小学校4年生の頃の自由研究を活用する実感が持てた。自然は次から次へと人間の近代的文明に挑み来る手を緩めようとはしない。人間がいかに汚い存在かがわかる。

過去に経験のない暴風雨「台風10号」
僕らはこの自然と今からでもまた共生できるのだろうか?
油脂汚泥の鼻を突く異臭が人間そのものの汚さを象徴しているのである。


tag :

夏らしさとか8月の終わりとか

2020-09-01
学校の新学期も今や8月下旬早々から
「夏」はただ酷暑なだけの思い
秋の虫の音が聞こえる宵のうち

先ほど「8月」の暦を引き剥がした。それにつけても、今年の「夏」はいつだったのだろうかと思うほどだ。実感として「夏」はまだ来ていない、「お盆休み」もなかった、ましてや夏休みなども・・・新型コロナ対応で前期の開始が約1ヶ月遅くなったこともあって、16週の講義時間・試験期間等を確保するのに、ほぼ8月いっぱいは要した。通常であれば今がまさに8月上旬のような感覚である。遠隔講義であったために評価に際してもあれこれと「新しい方式」に拠らねばならず、手慣れたというわけにもいかない。身体感覚的には今ごろは自分の研究に専心している頃だが、今年は勝手が違いすぎる。

「8月の終わり」には、誰しもが「夏休みの終わり」を被せていた昭和の時代。僕の幼少期の思い出では、隣町にある「諏訪神社」の大規模な祭礼があって、その縁日に行くと「夏休みが終わる」ことが自然と感じられた。また中高教員であった頃は、よくこの時期に、自分がこの道を歩んでいていいものか?という疑問を深く抱いた。特に修士を終了し博士後期に進学してやや停滞した気分であった2001年、ちょうど桑田佳祐さんの「波乗りジョニー」が7月にリリースされ、それを聴きながら人生のあるべき道を模索していた頃もあった。こうして考えると、いつも8月末から「起ち上がろう」という意志を固く持つことが多かったのだと思う。夜涼しくなってから妻と散歩すると、秋の虫の音が既に盛んである。いつもと違えども、自然は確実に「実りの秋」に向かっているようだ。

さて9月、3年生の教育実習も始まる
あらためて足元を見つめ歩み出そう
「燃える夏を過ごせば、実りの秋が来る」(桑田佳祐『君への手紙』より)


tag :

団長ありがとうございました!安らかに!

2020-08-15
「大都会」「西部警察」団長さん
最後の仕事は裕次郎さんと酒を酌み交わすCM
時代を作った男気

虫の知らせ、とはこういうことなのだろう。ここ数日、YouTubeで何気なく検索して観ていたのが「西部警察」の映像である。中学校ぐらいまでは「大都会」、そして高校時代に「西部警察」が始まり、今の時代からするとハードすぎるほどの勧善懲悪アクション刑事ドラマを欠かさず観ていた記憶がある。上野アメ横など街角で1000円ほどで売っているサングラスに同じ型のものを探し、部活をしていたせいもあったがスポーツ刈りにしていた。登場する「団長」たる大門部長刑事(「大都会」では黒岩刑事)が黒電話を受ける際の「はい!大門!」という一言にも、男として惚れてしまうほどの魅力を感じていた。

俳優の渡哲也さんの訃報がニュース速報でTV画面に流れたと、妻に教えてもらった。その瞬間、僕はなぜこの数日で「西部警察」を検索したかとあまりに不思議な気持ちになった。数ヶ月前に「石原プロ解散」という報道もあったが、そのものも裕次郎さんの遺言の最期の実践であったと聞く。「歓びの酒・・ビィ」と唄うのは裕次郎さんの粋なCMであったが、CG合成で渡さんは裕次郎さんと最期の仕事として共演された。「くちなしの花」のヒットや大河ドラマでの信長役、渡さんの俳優としての存在感は重厚なものがあった。大門団長は正義感の塊のように無骨で芯が通り、女なども無縁な日本的ハードボイルド、渡さんご本人も「団長」の性格そのものを生きてきたようなイメージがある。報道によれば、10日に旅立たれたとのこと。「団長」のこの世への思いが受け止められたことに感謝したい。

周囲の刑事たちも憧れる存在
キャラを崩さぬためにやめなかった煙草
団長!安らかにお休みください。ご冥福を心よりお祈りする。


tag :

35年前の夏の日と流れ星

2020-08-13
卒論に取り組んでいた夏
日航ジャンボ機墜落事故
35年の月日を思い流れ星を見上げる

35年前の夏が深く記憶に刻まれているのは、日航ジャンボ機墜落事故があったからである。ちょうど大学の卒業論文を書き始めていて自室に籠っていると、母が下の階から「大変なことが起きた」と僕を呼んだ。当初は「羽田を離陸した日航機が消息を絶った」と報道され、何がどうなったかが判るまで結構な時間を要した。東京発大阪行、お盆の帰省で満員のジャンボ機、TV報道では航路からいって海上へ向いていればよいが、などという予測がなされていたように記憶するが、むしろ航路から右へ大きく外れて群馬県の山中に墜落したという情報に接するまでが長かった気がする。既にその時には、我々の想像も絶する悲惨な墜落が起きていたとは。

翌朝、東京都内の僕の家の上空を自衛隊の大型双発ヘリが数え切れぬほど、南東から北西へ向けて大きな音を立てて飛び去って行った。その轟音の機体はしばらくするとTV報道の画面に現れ、隊員たちを険しい山の斜面にロープで降下させていた。黒く焼け焦げた山の斜面、次から次へと判明する現実には目を覆うばかりの凄惨さが伴っていた。次に階下の母に呼ばれたのは「生存者がいたらしい!」ということだった。階段を落ちるかのように居間のTVへと僕は向かった。それからしばらくの間、暑い中での報道を日々、ご冥福を祈りながら観続けたあの夏であった。今も飛行機に搭乗する際、直前に搭乗便を変更したりするとこれが「運命」となりやしないか?などと頭をかすめることがある。僕たちがあれから「生きていられる運命」にあることを自覚しつつ、また8月12日を迎えている。

「見上げてごらん夜の星を」
九ちゃんの曲はいつでも僕らの命を考えさせてくれる
そんな思いも込めて「ペルセウス流星群」を宮崎で妻と見上げる夜であった。


tag :

70年代虚構の真実味

2020-08-11
映画『日本沈没』
マグニチュード8クラスの地震
津波と山間部から水が、さらに火山爆発など

70年代に小松左京『日本沈没』が話題となり、TVドラマや映画化が為された。地球を「ゆで卵」と喩えると、柔らかい「殻」の下に「白身」に当たるマントルという液体がゆっくりとした対流を続けており、その中心に「黄身」である「核」があるのだと云う。大陸の東端に位置するこの島国では、太平洋側を列島に沿うように海溝があって海側と大陸側がせめぎ合っている。そこにマントル対流の刺激を受けると大地震や地殻変動が起きるという構造である。本州では「富士川〜糸魚川ライン」で東西に陸地は分断され、また中部地方から西へと活断層が四国を経て熊本あたりまで伸びている。この地殻の特徴を考えるに、列島では地震や津波に火山噴火などの自然災害は、不可避であることは子どもでも十分に理解できることであった。

昨日、何気なくTVをつけると映画版『日本沈没』を放映しており、若かりし日の藤岡弘、さんが、いしだあゆみさんと恋人役で、思わず見入ってしまった。その虚構たる映画でこの列島で起きることは、この30年〜40年で明らかに現実のものとなった。もちろん大規模な地殻変動で、列島が沈むというまではいかない。だが地震も津波も火山も静かにしているわけではなく、さらには集中豪雨や台風という災害が加わった。映画では政府が為す術もなく、国連で海外移住の受け入れ先の国を要請しているのだが、消防も自衛隊の装備もまったく役に立たぬほどの自然災害が一気に列島を襲うのである。僕は関東に住んでいたせいもあり、子どもながらに大地震への警戒意識を強めた記憶があるが、あらためてSF的な虚構を単に「虚構」と捉えていいのか?という気持ちになった。今回の新型コロナ禍で、僕らは自分の身は自分で護らないと危ういことを体験している。映画では引き裂かれた恋人が、ともにシベリア鉄道のような列車に、お互いに知らずに乗って欧州を目指している場面で幕を閉じるのだが・・・。

何よりの先決課題は自然災害から国民の命を護ることだ
虚構を虚構で終わらせてしまう想像力の欠如は知性の低下
70年代は様々な意味で真実味のある時代であった。


tag :

疫病終息祈願をせめて

2020-08-02
県内で続く感染拡大
そして全国で何も手を施されることなく
早期終息へ「南無大師遍照金剛」

母方の祖母から学んだことは多いが、願いを叶えたい時、苦境に立たされた時、穏やかな心になりたい時には、「南無大師遍照金剛」を3回唱えるとよいと幼少の頃から教わっていた。首都圏在住であった僕は私立中学校受験を経験し、その際に進学塾で実施する「日曜テスト」を受けに行く前の晩には、寝る前に高得点を祈っていたことが思い返される。野球で打席に入る前、器械体操で演技に入る前、そして大学受験で各科目の試験が始まる前に実行すると、不思議と気持ちが落ち着いた。それぞれの結果は様々であったが、思い通りになってもならなくとも、それこそが自らの「運命」ではないかと考えられるようになっていた。邂逅・岐路・運命、自力では如何ともし難いもののようであるが、心の向け方で開ける道がある。そこに純潔な心があるか、望みを叶えようとする敬虔で深い思い、信仰といった領域ではなく、人の生きる歩みそのものを祖母からは学んだのだと思う。

宮崎県内での感染拡大が深刻度を増す中、「早期終息」へ心を向け自らの歩む道に光が欲しくなり大師祈願に赴いた。宮崎県内では延岡に、立像としては日本一の大きさを誇る「今山大師」がある。その縁起を遡ると江戸時代に延岡地方で疫病が流行したため、終息への祈りを込めて弘法大師を祀ったのが始まりだと云う。立像は昭和30年代の建立だが、小高い丘の上から延岡市内を見下ろし、遠く高野山の方向を見つめていらっしゃるのだと知る。自家用車の往復、そして境内でも他の参拝者に会うこともなく、人との接触なしに参詣を成すことができた。

新しい8月、思いも新たに
心を洗い清め前に進む勇気を
どこからか祖母の唱える声が聞こえる。


tag :

「刑事コロンボ」のかっこよさ

2020-06-25
ヨレヨレのコートに
ボサボサの髪で葉巻を吸って
真犯人が侮ることが死角になって・・・

毎週水曜日夜9時〜にNHKBSプレミアムで「刑事コロンボ」を放映している。特に夜は決まって観る番組などないが、ここのところこれだけは欠かせなくなっている。昨夜も最後の真犯人を落とすシーンとその後に傘を持って出張先のロンドンの街を歩くコロンボの姿を、つくづく格好いいと思った。真犯人の殺人を暴く方法はもちろん現実には証拠とはならないのは承知の上だが、証拠を隠滅し完全犯罪を意図した知能犯の心の死角を暴き出す方法が毎回心憎いばかりの演出である。現在では考え難くも葉巻を常に吸いながら真犯人の居る場所に図々しくも入り込んで、インテリであることの多い真犯人の仕事の分野などに抉り込むような質問を執拗に繰り返すその姿がたまらなくいい。

表面上は「昼行灯」のような風体と態度、鋭さは最後の最後まで見せないあたりは、日本のウルトラマンのスペシュウム光線か水戸黄門の印籠にも類似するものがある。よく観ていると殺人の現場を見る際の洞察力は、並々ならぬものがあることがわかる。偽装や証拠隠滅に対して異常なまでの嗅覚や観察眼を持ち、真犯人の得意とする分野を知らないフリをしながら「うちのカミさんが興味ありまして」など、とぼけて専門性の領域にいつしか踏み込んでいる。ドレスコードのある社交場などでも捜査に必要とあれば、ズカズカと執拗にやって来る態度も笑いを誘いつつも頷けるものだ。昨夜の放送作品は「ロンドンの傘」、出張研修中に遭遇した殺人事件を当地の警察が偽装されるがままに「事故」と見立てたものを推理で覆し、それでも証拠が隠滅されたことで大きな賭けに出る。傘の中に証拠が入り込んでいるいるはずだと場面を一か八か創り出し最終的には真犯人を自白に追い込むという内容であった。人の能力とは、外見でもなく威勢を張ることでもない。他者を見下すという下劣な心が、必ずや真実を露呈させることを「コロンボ警部」は教えてくれる。

権力や財力に社会的立場に溺れた醜き心
日本の時代劇の勧善懲悪にも似て、正体本性を明かさず相手を落とす
僕が中高生の頃に覚えた興奮を、今新たに日常態度の指針としたい。


tag :

忘れがたきふるさとの街

2020-06-13
家の前はCOOPのスーパー
隣は化粧品店もあり商店街に連なる
芥川龍之介も住んでいた街

「天気の子」というアニメ映画の舞台モデルとされた場が、僕のふるさとの街であると知った。未だ映画を観にいく機会には恵まれていないが、何処がどのように描かれているか?たぶん居住したことがある人でないとわからない面白さがありそうだ。ふるさとの街は山手線の最寄駅があるのだが、全駅の中で最も「都会的ではない」雰囲気を漂わせていた。子どもの頃から僕らは「表口」(現在の駅表示では北口)「裏口」(南口)と呼んでいたが、「表」であっても駅前に店は和菓子屋が1軒あるだけで、そこも街の人は入店したこともないような店であった。貨物操車場のある駅前に当時は「国鉄病院」の敷地が連なるだけであった。今回の映画舞台になったのは、この「表口」ではなく、山手線の駅とは思えないような「裏口」であると云う。

芥川龍之介・菊池寛・室生犀星・萩原朔太郎など名だたる作家などが嘗ては居住していた。東大や上野の芸大などへは歩いて行くことも可能で、文学・芸術関係の人々のベッドタウンとなった訳である。芥川邸は前述した「裏口」から出た高台にあり、小学校の頃の自由研究で何度もその敷地に訪れたことがある。現在は敷地が三分割されて所有されているが、その三分の二ほどを区が買い上げて「芥川記念館」を建設する計画があるとも聞いた。また実家に一番近いところに住む文人は、歌人の太田水穂。若山牧水が上京したのちに、先輩歌人として幾度となく邸宅に通ったとされる。牧水の妻となる喜志子さんは、同郷(信州)である縁で太田邸に身を寄せていたと云う。このような街の「昭和」を僕は生きてきた。周囲に住んでいた人々、商店街のあの人この人、今はどうしているのだろうか?大人になって商店街は無謀な計画の区画整理で意味のない道路で分断され「表口」にもお店は増えた。だがあの頃と変わらないのはたぶん「裏口」であろう。いずれ「芥川記念館」が落成したら、きっとふるさとの街に僕は足を運ぶことになるだろう。

姪っ子がやって来て実家の話題に
家族の記憶を寄せ集めてみる
「僕の昭和」をことばにして保存したくなった。


tag :

力任せの底抜けの馬鹿ー常識を超える力

2020-05-21
「なんでも力任せ」
「底抜けの馬鹿」は何にもできないのか?
否、常識を超えて希望へ突き進むから怖いんだ

慶應のすかした男に「いつも力任せ、底抜けの馬鹿に何ができるんだ」と言われ、怒り心頭な早稲田の応援部の連中。やたら熱く一本気で蛮カラな野暮ったい早稲田の学生が、やたら冷たく軟柔で西洋かぶれして都会的な慶應学生の対照性が露わになる。再び、朝の連続テレビ小説「エール」の一場面である。早稲田が正攻法で行くならば、慶應はがっぷり組まず脇からいなす、そのすかした態度を早稲田側は否定的に思っていることも少なくない。ドラマの設定は昭和初期であろうが、少なからず「昭和」の早慶にはそんな学風の違いが鮮明で、僕なども「早稲田の学生」を生きようとしていたところがある。地方の学生も多く、今も全国各地に友人がいるのは大学のお陰であるかもしれない。いずれにしても連続テレビ小説は、早慶の過去を熟知した演出で両校のそれなりの年代の卒業生なら、大笑いをしながら毎朝の展開を追っていることだろう。

「威力敵無き 精華の誇」という歌詞が「紺碧の空」の二番にある。誇り高き力あれば何事も恐れず突き進む、どんな難局にも耐えて打開する力。「紺碧の空」は、そんな学友の心をいつも支えている応援歌だ。時に常識では考えられない力までをも発揮する、それが連続テレビ小説中で慶應の学生が揶揄した「底抜けの馬鹿」である。現在では考えらえないが、早慶戦を神宮で終えた後に多くの学生が新宿の街に繰り出す。それなりに宴会を終えた時刻になると、歌舞伎町のコマ劇場の前の噴水池に誰ともなく飛び込み始める。その周辺のあちこちで校歌や「紺碧」を歌う輪ができたり、電柱に登るような奴まで現れる。知らぬ者同士でも蛮カラな同大学生と見なされると、池に落とされる始末だ。まさに「底抜けの馬鹿」、銀座の高級店ですかして飲んでいる慶應の学生とは大違いであることを誇りに思う「馬鹿」なのである。ドラマでありがたいのは、この「底抜けの馬鹿」を賞賛する演出であったこと。誇り高き「馬鹿」でよかったとつくづく思う次第である。

「紺碧の空」を三田の連中は「完璧の馬鹿」と揶揄した
なかなか曲が書けない「裕一」に託した「馬鹿」
これぞ人情に花あり、「花は桜木、男は早稲田」の見せ場である。


tag :
<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>