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自分を見つめ直せば伝わる

2024-01-11
自らが自らを知らないこと
抵抗のあることこそ知って安心する
学生自身が何をどうできるかを考えさせて助言する

思いが伝わる構造というのは、「相手の心のうちに意味が生成される」が基本であるとされる。話し手が一方的に上手く話しても、相互のやりとりで思いを交わしても、「意味が生成」されなければ伝わったとは言えない。端的に言えば「自分が自分が」と言っていても、自ら省みる思いがないと相手心のうちに意味は生成されない。簡単なことのようでなかなか難しいのだが、「自らが自らを知る」ということを忘れず、抵抗のあることでも勇気を持って「自分を知る」機会を恐れないことが思いを伝える基本である。こうした意味では、自らの身体の状況を素直に見直す機会も重要だ。

前述した理屈から言うとどんなに上手く喋った講義でも「一方的」から抜け出せなければ、学生に伝わったとは言えない。「眠くなる講義」つまり学生が頭を働かせない状況に陥れば、明らかに「意味を生成していない」ことがわかる。この日も非常勤先で2時間続きの補講があり、小学校4年生向けの短歌教材の授業づくりを課題とした。学生たちはこれまでの学びから、グループで話し合いを始める。講義中は各グループを廻り、問題となっていることや知識として提供した方が良いことを次々に対話して伝えるようにした。すると学生たちの中にも大いなる発見があって、次第に目が輝いていく。自らが「授業をできる」ことを実現するために、まずはその場に立たせてこそ何が必要かがわかり、僕の助言を「発見」として「意味を生成して」受け止める。これはむしろ「個別最適とはどうすることか?」を僕自身が学ぶ機会となった。

あなたの隣に「自分が自分が」の人はいませんか?
「私はあなたにどう映っているか」を考えて自らを知る
自らの身体性の見つめられる勇気。


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すぐその場でやること

2023-11-01
例えばメール・LINEの返信
届いて読んだらその場で返信
「今」はもう二度と帰らない「今」ゆえに

仕事ではメール、私生活ではLINEが手頃に使えるようになって、これらの媒体がない時代と比べて明らかに僕らは「返信」に追われている。職場に行って研究室の椅子に座れば、届いているメールにまずは何本かの返信をする。日によっては本数が多いと、それなりに時間を要する。幾多のメールには「・・・に〆切までに回答してください」という類のものも少なくなく、大抵がその場で回答しないといつしか〆切になっていて、先方から催促されることもある。下手に寝かせよう・調整しようと思うと回答が遅れる。それよりはその場で考えられる範囲で即応した方がよい。最近は特に見たら簡潔に返す、を心がけるようにしている。

LINEもまた同じ、相手から届いて読んだらその場で返したい。その場でしないとしばらく時間が経過してしまい、当人に会う機会が先にやって来てしまう場合もある。もし返信内容の考えがまとまらなければ、まずは「考えている」ということを返信するのがよいだろう。ある友人はTV出演の際にこちらがTVを観ていて簡潔な感想を送ると、出演の合間にも簡潔な返信が来る。つまり返信は仕事の忙しさとは無関係で、心がけ次第でいつでも相手を尊重することができる。一介の僕ごときにもLINE返信をくれる友人、その心の余裕と広さを実感するのである。月が改まり今年もあと2ヶ月、二度と帰らない「今」をさらに大切に過ごしたい。

メールもLINEもそのままだと次第に見えなくなる構造
人生は何事もすぐに行動である
「あとで」はやらないに等しいとさえ思う。


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人の話を聞くときはー独善に陥らぬために

2023-10-31
「相手の眼を見てしっかり聞きます」
話し合いは「相手の話を聞いてから話します」
幼稚園で習った小さな作法(幼児から大人まで)

入試で「国語」の問題を解くとき、研究で先行研究を読み自説を立てていくとき、そしてまさに短歌を読み・詠むとき、何より注意しなかればならないのは自らが「独善」に陥ることだ。「独善」という語をまずは独善的にならずに意味を取ると「客観性がなく自分だけが正しいと考えること。ひとりよがり。」と『日本国語大辞典第二版』の項目二にある。(項目一は「他人に関与しないで、自分の身だけ正しく修めること。」とあり元来が『孟子』に典拠があり、平安朝漢詩文などで使用された単語である。)人は例外なく自分自身の考え方・感性・感覚を持って生きている。だが他者の言うことを「客観的に適切に理解する」ことが、何よりも肝心なのである。

入試問題「国語」を読み解くときに、自分の先入観があっては文章の適切な理解はできない。「独善を排し丹念に文脈を追うこと」ただこれだけが入試攻略の鍵だと講習で習ったとき、高校3年生の僕はハッとさせられた。今までいかに自分だけの思い込みで文章を読んでいたかと・・・。個々人が主張や考えを持つことは重要だ、むしろ日本ではそこが不足していることを多くの分野で指摘される。だが「主張や考え」を持つためには、まずは他者のそれを尊重できなければ始まらない。この入試解答の基本姿勢は、僕にとって幼稚園で習ったことに通じる。「相手の眼を見てしっかり聞く」ということは、「相手の立場になる」ということだ。誰しもが自分の考えを相手に「伝えたい」と思う、その立場になるならばまずは「相手の話を聞いてから話します」が前提となる。僕自身も若い頃は主張が強すぎて、よく「相手の話に割り込む」ことがあった。「割り込め」ば相手の話の趣旨をズラし、自分が言いたい事に誘導しかねない。ここに入試も研究も短歌も「読めなくなる」独善的な落とし穴があることに気づく必要がある。

会議・質疑・会話の基本的作法
自分が話しているときに遮られることを想像して
「独善」と「独自」の大変に綿密で微妙な差異を短歌は見定めさせてくれる。


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ちょっとしたメッセージ

2023-10-06
SNSを介して届くメッセージに
読んだらその場で返信すること
メールなどもなるべく短く即時に

スマホのない時代からすると、格段に多くの人と手軽にメッセージを交わせるようになった。電話をするほどではない、手紙を書くまでには至らない、そんな要件をはじめとして、他愛もないやり取りが交流の密度を深めてくれる。便利な一方で僕らは過去よりもはるかに、スマホに拘束されるほど他者の動向に縛られている。「拘束」「縛られる」と表現すると否定的だが、「寄り添う」「繋がれる」と考えた方がよいのかもしれない。手書きの手紙から若い頃も電子メールで育ってきたせいか、返信にある程度の分量の文面が必要と思ってしまう世代なのかと自覚することがある。だが、仕事のメールをはじめSNSの個人宛のメッセージなどすべてに丁重に長く返信をしていたら、それだけで1日の多くの時間を失うことになりかねない。

「執筆」→「寝かせる」→「推敲」→「脱稿」のような過程で原稿を書くゆえか、「一旦は引き取って熟慮する」ように対応する習性がある。原稿などはこれが不可欠だが、前述したようなSNSや電子メールは別物と考えるべきだと最近ははっきりと悟ってきた。LINEなどは典型的で「読んだら即時、短くとも返信する」が原則ということだろう。心配なら熟考した内容は、後で追加すればいいだけだ。この「即時反応」と「熟考追加」を断片的にできるのが、むしろLINEの便利なところだろう。どうやら長文をLINEに書くことの方が、ルール違反のような若者の声が聞こえてくる。反対に「即時反応」で短くメッセージすると「リアル会話」のように、相手とのやりとりがくり返されてしまう時がある。その「会話」を終息させるにはどうしたらよいか?と若者に尋てみたが、どうやら「スタンプ(LINE上の絵など)」を押すと原則は「会話終了」などだと教えてもらった。こちらも「おやじ」であればあるほど、執拗に「会話」を続けてしまう傾向が否めない。仕事メールも含めて「簡潔」ながらも「心ある」短い文面がいい。となると「即詠」さながら「短歌」のような情報量で「具体」と「心」を投げられたらこれ以上ない、ということだろうか。

「返歌」の早さに秀逸さが見出された平安朝
伝えたいことの核心・肝は何なのかを過不足なく
短くとはいえど、相手が理解しやすい表現を心得たい。


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原稿の反応ー原稿の契機

2023-07-04
提出した原稿へのありがたい所感
「愛がある」という讃辞は誠に気分が良く
そして新たな原稿の契機を作る時間を優先する

この世に生きる以上、誰しもが「承認欲求」があるだろう。自分は何を成したのか?その成果がどれほど価値があるか?どんな影響を他者に与えるか?何も研究などに限らず、日常生活や家族の中でも「我」の存在感を相互に認め合うことが実に大切だと最近おもう。幼児でも何かができるようになると「見て!見て!」と要求するあれで、大人は「わかったよ」と思っても「すごいね!」と見てあげてコメントを返してあげる必要がある。もとより僕などは中高国語教員になって、その授業がどれほど評価されるべきものか?と自らに問い返したところから研究への道を歩むことができた。中高教員としては運動部顧問などもしていたが、すぐに戦績が物を言うゆえ執心した時期もあった。やはり「自分がどんな仕事を成したか」を認めて欲しいのである。

週末に推敲を仕上げ送った原稿の担当者から、その内容を讃えるメール返信が届いていた。ある意味で「宮崎への愛」を心の支えとして書いたものなので、その通り伝わってまさに甚だ承認欲求が満たされた気持ちになった。書いた原稿をこの世で最初に読んだ方が、このような反応をしてくれることのありがたさ、だから「物書き」はやめられない。昨日の小欄に記したように、「文の奥行き」があるゆえの反応であったと意図が伝わった喜びもある。その喜びに乗じて、この日は授業準備の前にしばらく次の原稿を書くための素材を探る作業に集中できた。原稿への反応が次の原稿の契機を作り出す、好循環が廻り始めた感覚であった。だがしかし、注意しなければならないのは、自ら「認めろ!認めろ!」という姿勢の仕事は、大抵が棘があって周囲に受け入れられないことが少なくない。「自己承認」とは、自らが欲求を捨て去り自らが集中して柔軟に物事に向き合ってこそ認められることを忘れてはならない。

講義にゆけば学生への讃辞を忘れず
課題を課したら必ず反応を書き込むこと
それにしても原稿を書く快感をさらに飛躍させたいと思っている。


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語り合うちからー対話による理解のために

2023-04-14
「聞くこと=理解」という静寂な授業
否、聞いただけでは真の理解に至らず
話すちからで理解を自分自身のものに

「静粛」従来は教室でも図書館でも、この姿勢が日常であった。授業であれば先生の話を静寂に聞く、話をせず黙りに黙って集中してこそ理解が高くなると信じて疑われなかった。図書館であれば「静かに独りで本を読む」、それが何より知識が得られ学ぶが進むと信じられていた。だが果たしてその常識は本当に「常識」なのだろうか?そんな疑問から、授業は「喋る時間」であり図書館は「語り合う場」になりつつある。授業で学ぼうとする知識は、殻に籠って習得するのではなく、他者と語り合う対話活動があってこそ真に自分のものになる。図書館で調べる課題は、書物で調べつつ語り合うことで自分たちの発想に有効に活用できるようになる。

「語り合うちから」は講義やゼミでは必須の活動としている。例えば、「古典を読む意義」についてもまずは個人思考をする時間を取り、その後は他の受講者と語り合う対話の時間を取る。その後は語り合い班ごとに出てきた話題を紹介して全体に共有する。個人思考の際の考え方に班別の語り合いや全体共有で得られた他者の考え方を融合して、最後は今一度自分自身と語り合い講義レポートを仕上げる。概ね講義は、このような流れで展開する。ゼミでも僕自身の指摘だけに終わらぬように、他のゼミ生との対話によって自身の発表内容がより深く自覚され新たに気づくことも多くなる。もとより原始の農耕・狩猟生活の頃から、人間の知恵というのは「協働」によって高められてきたはずなのだ。

声に出すー他者と語り合う
「井戸端会議」にはお互いの活性化があったはず
「黙せず、語り合う」物事は風穴を開けずして豊かにならない。


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サーバントリーダー〜個別傾聴共感コミニケーション

2023-03-28
組織の一人ひとりの話に耳を傾ける
上意下逹ではなく個々の最適な力を引き出すために
構成する個々に主体性があってこそ組織は活性化する

「サーバントリーダー」聞きなれない言葉であるが、『現代用語の基礎知識2019』に見出しがあり「部下を支えて協働できるリーダー」とある。「サーバント」は元々は「召し使い。使用人」(『日本国語大辞典第二版』)の意味で、「パブリックサーバント」とは「公務員」のことである。英和辞典を繰ると「servant」には「(ある目的・用途のために)役立つもの(動物・道具・機械)」(『ランダムハウス英和大辞典』)の意味見出しもある。どうやら心理学的な分野から使用され始めたようだが、組織のリーダーが頭ごなしに命令的に振る舞うのではなく、構成する個々人の考えに傾聴し共感することで組織をまとめていく姿勢のことを言うようだ。このリーダー像を僕たちは、この1ヶ月間で目の当たりにして来た。そう!WBC日本代表の栗山監督のチームにおけるリーダーシップのあり方である。その姿勢は、代表入りした日本プロ野球やMLB選手たちを結束させ、何よりも個々のスペックを最大限に発揮させたと言ってよいだろう。

もちろん、その栗山監督を長年信頼して来たダルビッシュ有や大谷翔平が組織を活性化させたのも確かだろう。大谷翔平がベーブルースまで遡らなければ成功例がないほどの「二刀流」を、プロ入団時から支えて来たのは何を隠そう栗山監督である。この大谷との信頼関係一つをとってもそうだが、やはり本人の意志を尊重し可能性や周囲の抵抗を溶解させ納得して進まなければ成り立たなかったことだろう。少年野球や高校野球では、未だに監督が絶対者でありその意のままに動くことが強要される悪弊がしつこく存在するものだが、日本野球が米国を倒し世界一になるためには新たな監督像が必要だったと言い換えてもよい。昨今の組織では「トップダウン」こそが効率的で活性化させるような誤謬もはびこる世の中だが、特に個々の構成員のスペックが高い場合にこそサーバントリーダーの存在が大切になるように思われる。まさに誰一人取り残さず、スタッフなど下支えする方々にも敬意を忘れない姿勢こそが、組織を新たな次元に引き上げるのである。

中高教員時代にクラスや部活でやって来たこと
個を尊重し耳を傾け共感して主体性と協調性を引き出すこと
構成員を「サーバント」にして来たこの国の危うい慣習を今こそ断ち切るべきだ。


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質問はクレームにあらずー考えを擦り合わせること

2022-12-23
質問や意見を言うことは先方への敬意
双方の思いが擦り合わされて考えが先に進む
質問のできる学生を育てるために

大学学部・大学院を通して母校から学びを受けた大きな点は、「質問をする姿勢」かもしれない。研究室での発表においても学年や年齢を問わず、妥協のない質問がくり返される環境で育った。学部の指導教授は自説に安易に迎合する発言などをすると、大いに𠮟咤されたものだ。大学院では現職教員として在籍した僕だが、むしろ学部卒院生と平等に扱って欲しいといった趣旨を願い出ていた。年齢は下となる研究室の先輩方は、まさに妥協なく僕の研究発表に厳しい質問や意見を提示してくれて大いに鍛えられた。研究発表をして見解を提示すれば、必ず少なからず疑問が伴うものだ。疑問を呈されて初めて、自分の主張の妥当性とか甘さを自覚できる。「culture(文化)」には「耕す」という語源があると受験英語の単語集で学んだが、まさに研究は「耕され」てこそ「文化」に昇華するわけだ。よって僕自身も心がけていることだが、母校の先輩後輩は研究学会でもよく質問をしている。学会に参加する意義は、「質問・意見」を言ってこそと思う。

「質問・意見」を言うことを欧米の文化では、「先方に敬意を示す」ことだと捉えられる。主張を精密に捉え尊重するがゆえに、「質問・意見」が出るというわけである。ところが日本社会では「質問・意見」を「クレーム」と混同してしまう人々が少なからずいる。よく会議の発言でも冒頭に「異論があるわけではないのですが・・・」と断りを入れる人も目立つ。反対に「質問・意見」は相手の主張を敬意をもって「開墾」するためのものだが、明らかに「否定ありき」で反論されるとズラしながら「否定し続ける」ような場面に遭遇することがある。いずれにしても「主張する者への敬意」なき、「質問・意見」の物言いに思えて潔さがない。「擦り合わせる」という言い方があるが、物理的にも当然ながら摩擦が生じる。その「摩擦」はむしろエネルギー源になり、主張する者を活性化させる力になるものだ。「擦り合わせる」ことで主張した者も、「質問・意見」を述べた者も、それまでに気づかなかった点に気づくことができる。これでこそ初めて「対話」と呼べる創造的な向上になるわけである。ゼミを始め日常の講義で、学生たちにも適切に「質問・意見」が言える資質を身につけさせることは、大学での学びの大きな役割だと自覚している。

意見が言える環境を作ることも
相互に「質問・意見」が出ない予定調和な「報告」では
少しでも物事を前に向けて動かすための「質問・意見」こそ平和をつくる。


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「関係の質」を高めるということ

2022-11-02
「対立・押し付け・命令・指示」が増える(関係)
「創造的思考」がなくなり「受け身で聞く」だけ(思考)
「自発的・積極的」に行動しない(行動)

妻が研修で学んだことから、「組織の成功循環モデル(By:ダニエル・キム、MIT教授)」を知った。これによれば「組織の結果を高める」ためには「関係の質を高める」ことが肝要だと云う。冒頭3行に記したのが「悪循環」の3要素で、その先では「さらに成果が上がらない」ことになり「関係がより悪化」して「なすり合い」や「自己防衛」に走ることになる訳である。実に驚いたことには、この「組織論」はそのまま「学校の学級や授業」に的確に当て嵌まるということだ。先生が「対立的」に「押しつけ」て「命令・指示」をする学級では、必然的に「児童・生徒間」でも他者抑圧的な言動が蔓延るのであると、学部のプロジェクト研究報告会の発表で聞いた。すると授業でも「創造的思考」はなくなり、黙って「受け身で聞くだけ」となる。その先で児童・生徒が「自発的・積極的な行動」をすることはない。ひたすら「指示待ち」となり学級は沈滞する。現在標榜されている「主体的・対話的深い学び」とは正反対な学習とならざるを得ない。

どんなに高次元の学習指導案を構築したとしても、指導者と学習者が「関係の質」を高めなければ「良質な結果」が出ることはない。前述した「悪循環」の反対を行えば、自ずと好循環となる。それは「互いに尊重し結果を認め一緒に考える」(関係の質)から「気づきがあり共有され当事者意識がある」(思考の質)となり「自発的・積極的に挑戦・行動する」(行動の質)に展開し「成果が出て」くると「信頼関係が深まる」ことに至り「さらに良い発案が生まれる」という訳である。このことはふと、夫婦間という小さな単位の「組織」でもいえるのではないかと思った。些細な家事においても「互いに尊重し結果を認め一緒に考え行動する」ことを心がけることで、「なすり合い」や「自己防衛」に走ることはなくなる。例えば夕飯を作るにしても「当事者意識」があれば、「自発的・積極的に挑戦・行動」をすることができるわけだ。10月から11月となった気の変転から、思いがけずこのような意識を持って家事に取り組んでみた。ともに忙しい中において、「なすり合い」や「自己防衛」は最悪な図式である。世間でも好循環を成している組織を、僕は自ずと選択をして利用するようにしているようにも思った。

相互の尊重と協働で考えるということ
一部の者に負担が集中すれば自ずと疲弊し危うい結果に至るものだ
まずはあなたの身近にいる人との「関係の質」を変えてみませんか。


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スマートウォッチの功罪

2022-09-01
電話を先方にかける時間を選ぶか?
メールは?ラインは?いつ投げてもよいのか?
情報を腕に巻いているスマートウォッチの功罪

ほぼ限定されているが、電話によって連絡や情報交換をしている相手方がいる。おおよそ先方の好ましい時間帯が何年ものやり取りの中で掴めており、その時間帯に掛ければほぼほぼ受話してくれる。たとえ受話いただけない場合でも、ほぼ30分以内には掛け直しの電話をいただける。タイミングに迷うことなく、連絡の「ホットライン(各国首脳を結ぶ直通電話・かつての米ソ間が始まりと云う)」のようで重宝している。反対に迷惑な電話に関していえば、研究室にかかるダイレクトコールの勧誘系が煩わしい。恐らくは僕の名前すら知らないような口ぶりだが、こちらが内線電話かという意識で受話すると妙に親しげに話し出す。ひとたび受話のタイミングで(内線事務連絡と思うので)名を告げると、2度目には「ご無沙汰してます!・・さん」と知り合い気取りだ。研究室という場所柄をまったくわきまえておらず、集中を途切れさせ余計な憤怒をせねばならず大きな迷惑である。仮に大変に優秀なものを扱う企業にしても、こうした失礼な手法を取る者からの話に乗る気は120%ない。

スマホと連動するスマートウォッチをするようになって、2年半ほど経つだろうか。制限しているものもあるのだが、スマホに情報が入ると連動して知らせてくれる。予定情報のリマインド機能などは、実施の1時間前にお知らせが来るので予定をやり過ごすこともない。前述した電話のようにほぼ決まった時間帯に来る母のLINEなどは、その日の安心が得られてありがたい。またスマホを所持していなくとも、その日の歩数が計測でき日常トレーニングの目標と達成度を確認するのに大変に有効である。その一方で、公の肝心な場面で思わぬLINEなどを受けることもある。その内容の一部がウォッチに表示され「知ってしまう」ことで、公の司会で動揺した経験もある。情報が氾濫することで、僕らはそれを受け取る機会を選べなくなってきている。あらためて「情報の手錠」のようでもあるスマートウォッチの設定は見直すべきかなどと考えている。それにしても、スマホ・ウォッチと財布やチケット機能の融合が進んでいる。ほぼ現金などなくとも、スマホ系とカードを所持していれば十分。いや、カードさえスマホの中に格納されつつある。あと5年10年でどこまで進化するのだろう?うまい情報との付き合い方が望まれる。

僕らが子どもの頃の未来を腕に装着している
その利を十分に身のために活かすには
電話で話すこと、それはそれで相互の意思疎通として大変に重要であると思う。


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