月明かりの下で
2023-10-01
旧暦8月15日の満月からここ数日間の月明かりに照らされて
生命力の再生を祈りつつ
急に背後にある「月の視線」に気づき、驚かされた経験はないだろうか?月は太陽と違い、意識しないとその存在に気づかないことが多い。反転して述べれば太陽は圧倒的な存在感があるが、月は静かに穏やかに僕たちの生き様を照らしてくれている。考えてみれば「月明かり」そのものが「太陽の光の反射」なのであり、二重に間接的に僕らは月という存在に太陽の恩恵を見ていることにもなる。「見る」という意味で「太陽」は決して直接肉眼で見るのは危険であるのだが、「月」は肉眼で穏やかに見続けることができる。さらには月齢・満ち欠けがあるゆえに、僕らはその姿に喩えようのない生命の再生劇を見ることができる。衰えたるものはやがて新月の暗さのうちにも微細な光として生まれ変わることができる。人生に様々な波があるように、月こそが生き様を象徴する動きなのではないかと思う。ちなみに陰陽道の「厄年」は、「生命力再生の年」と信じられていたわけである。
東が海岸に面し空が開けている宮崎に住むようになり初めて、月という存在の奥深さを知った。この数日間、特に海岸で月明かりに照らされている心の豊かさを実感している。こうして現在は多くの人が「満月」しか愛でない社会であるが、月齢はどの時点でも様々な表情で僕らを魅了する。秋分の日から1週間、昼夜の時間がほぼ均等な今は、太陽と月と付き合う時間が公平な時節になる。この時季にここでしか出逢えない貴重な月があることを、ここのところ身に沁みて感じている。人生には幸福も苦難もあり、何気ない日常こそが一番大切だと言える。年齢によって受け止める様々な出来事をどれも肯定的に捉えて、月の力のように再生を期する。何処で誰に出逢うかを求め、まさに「あくがれ」て行くことで自らを新しくしてゆく。「一生忘れない月」を見たからには、また自らに再生の力が湧き上がったということになる。多くの親友にも力をもらい、今日からはまた新しい10月が始まった。
「いつ果てない
命の限りに
この世の果てまで」
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人生に夢を与えていただきありがっと!
2023-09-28
遠足バスの中で歌った「ラララ〜🎶」の響きから45年
いつも人生に夢を与えていただきありがっと!
中学校ぐらいの時には、誰しもが大きな夢を持つ。「プロスポーツ選手」「ミュージシャン」など特に人気ある姿に憧れるのも必然だろう。その高みに向かい自らを磨き冒険し挫折し立ち直ることをくり返し、人は次第に自らが生きていく道を定める。このくり返しの過程で現実と夢を擦り合わせて、次第に可能だろうと思われる生業に行き着く。だがそれでもなお生きていく上では、「幼い時の夢」みたいな無謀で壮大なものに向かう意志が大切なのだと思う。冒険し挫折から立ち直る過程で、多くの人が「音楽」に助けられたりする。僕の場合は、中学校の遠足バスの中で大合唱になった「ラララ〜ラ〜ララ〜ラララ!」に出逢い、その後も特に大学以降は、いつも自分に夢を与えてくれ続けたのが、サザンオールスターズ・桑田佳祐さんの音楽である。
最近「睡眠中の夢」のなかで、よく桑田佳祐さんに逢う。海沿いのテラスのある家のようなところで、桑田さんが僕を迎えてくれる。江ノ島・烏帽子岩・茅ヶ崎の湘南サザンラインは、僕の大好きな場所の一つだが、それをコンパクトにさらに自然豊かな海にしたのが宮崎の青島周辺の海だ。サザンメンバーのドラム・松田弘さんは宮崎出身でもあり、この地理的なつながりの線上にサザンの音楽があるようにも思う。そんな人生の網の目の上で、僕は夢を追い続けているのだ。著書で桑田さんの歌詞について考えられ、「詩を詠う」とは何か?を追究し続けることも、僕に与えられた天命ということになるだろう。この日は、全国の多くのサザンファンの方々と話す機会を得た。それぞれの人生を歩みつつ、サザンから夢を与えられ続けている。僕の「中学生のような夢」はまだまだこれからだ。
故郷とは何か?
生きるとは何かを教えてくれる
さらに強く歩み続けよう!サザンとともに!
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書籍謹呈の喜び
2023-09-25
新刊『牧水の聲』好評発売中特に若山牧水記念文学館と宮崎県内書店さん
そして諸々とご寄贈いただいた書籍などから学び
新刊『牧水の聲』が世に出て1週間が経過した。主にお世話になっている方々には謹呈させていただいたが、メール等で受納したとのご連絡を次々にいただいている。もとより「お忙しい折、お礼状等はご放念を」の添状を付しており、「またお会いできる際にお話いただければ」という趣旨で謹呈させていただいている。それにしても自らが世に問うた書籍が、どのように受け止められているかには大いに気になるところだ。SNS投稿などなら即時に多くの反響を目にすることができるが、ある意味で書籍への反響はじっくりと待たねばならないのだろう。
この同時期にも、何冊かの新刊書籍を寄贈いただいている。むしろこちらからもお送りする対象になる方々だが、ある程度のところは読み進めて要点となる感想を含めて礼状を添えて自らの書籍をお送りする。この日も2通の手紙を書いたが、やはり手紙で所感と御礼を述べる気分はなかなか良いものだ。最近はあらためて牧水の書簡を読む機会が多いが、その交流があってこそ文人として成り立っていることが知られる。むしろ文人の全貌を知ろうとするのなら、日常の手紙文こそが貴重な資料になるといってよい。もちろん現代のメールやSNSメッセージを否定するものではないが、ここに来てあらためて(手書き)手紙の大切さを痛感している。
書籍から学び書籍を謹呈し学びを受ける
こうした関係の人々があってこそ生きて行ける
文字通り「手で書く紙」の貴重さを再考するべきかもしれない。
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情報を疑い可能性を捨てない
2023-09-06
誤った情報が世間には流れる個々人が人の話を様々に受け取り疑心暗鬼になるから
多角的多面的に考えて可能性を捨てないこと
関東大震災から100年に関する特集などが報道される中で、「流言飛語」の問題がクローズアップされている。「世間に広がる根も葉もないうわさ」人から人への聞き伝えが個々の受け取り方で誤って増幅し、それを信じる群集心理が悪質な行動に導くという現象である。この100年でわたしたちは、TV・ラジオの情報源の進歩や格段に個別化し高度化した「スマホ」という情報媒体を持つようになった。しかし残念ながら100年前から進歩しない、いやむしろ拡散性が強まったことで悪質な「フェイクニュース」が世に蔓延る世の中になった。身近な情報を含めて、わたしたちには冷静で理性的な判断力が問われている。自分が向き合う情報に対しては、まずは「疑う」という姿勢が必要だろう。もちろん小欄も含めて十分な調査を施して書いているわけではなく、発信者がその「思い」を自由に語る情報も少なくない。
また「疑心暗鬼」に対する心の持ち方も大切だ。「疑う心があるために暗がりに鬼を生ずる」がこの四字熟語の解釈であるが、辞書によれば「疑心があるために、何でもないつまらないことまで、恐ろしく感じたり疑ったりすること。」(『日本国語大辞典第二版』)とある。前段で記したことと矛盾するようであるが、「疑いつつも肯定的な可能性を捨てない広い心の持ち様」が大切になる。「疑い」ばかりを持つと「邪推」「妄想」の言葉がある様に、自らが不安によってありもしない思いを抱き辛い目に遭う。短歌界でよく評されるのは、俵万智さんの歌は「全肯定」を詠んでいるということ。日常で向き合う「負の面」に対しても、わかりやすい言葉でわたしたちに安心を与える面がある。これが『サラダ記念日』以来、俵さんの歌がベストセラーであり続ける秘密でもある。情報は疑ってみる、だがしかし全肯定な可能性を捨てない。物事は全て「甲か乙か」と割り切れるものではない。矛盾する心の持ち方が爽やかに生きる極意である。
「やさしさにひとつ気がつく×でなく○で必ず終わる日本語」(俵万智)
人を疑い人を信じてのくり返しが生きること
短歌に向き合うことでその均衡がわかることがある。
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4年ぶりに噛み締めるハンバーグ
2023-08-28
飲食店とか花火大会とか歴史的な3年間を乗り越えて
4年ぶりの夏そして秋へ
今年は「4年ぶり」に行われることが多い年である。感染状況がほとんど水面下になり見えない中で、感染拡大の3年間は中止にされていた行事が復活しているからだ。各地の花火大会・夏祭りなど、盛況のうちに行われている。あらためて人が集まる大きな行事は、積み重ねの努力があってこそ成されるものと思い直す機会でもある。それはあらためて「人が集う」意味を、僕たちに考えさせる。Web上のオンラインで事足りることと、どうしても人間として集まらなければならないものとの精度の違いを認識することが大切かもしれない。
まさに4年5年ぶりに馴染みの飲食店を訪れた。宮崎に移住した頃から懇意にしかつては自宅から近い街にあり、日常の食事はもちろんゼミのクリスマス会やカラオケ前のランチ会など盛んに利用していた店だ。店主のデミグラスソースは絶品で、僕にとってハンバーグはどこか幼少の頃に食べたレストランの味に類似している。食べると、なんとも懐かしく嬉しくなってくる一品である。この日はゆったり港の景色を眺めながらのランチ、店主も4年以上も訪れなかったが深く歓待してくれて感謝。大きな行事のみならず、小さな飲食店への「4年ぶり」を叶えていかねばなまい。
味わい深いドレッシングをお土産に
宮崎での10年に深く思いを致す
ありがたきお店の存在を大切にしたい。
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壮大な馬鹿が好き
2023-08-25
「らんまん」で描かれる「槙野夫妻」叔母から「壮大な馬鹿」と言われ
社会的地位や経済的なことよりもやりたい道を生きる
一昨日の小欄に、朝の連続テレビ小説「らんまん」の「田邊教授」のモデル・矢田部良吉のことを書いた。あくまで「モデル」なので実際に矢田部の生き方がそのままとは思わないが、社会的地位を競う政争に奔走し自らを追い込んでいくような生き様がドラマでは描かれている。一方で日本の植物の父・牧野富太郎をモデルとする「槙野万太郎」は、学歴も経済的な面にもこだわらず大好きな「植物」のためだけに野望を持って生きている。その妻「寿惠子」は当時の名が知れた実業家から妾の要請を受けたが断り、「万太郎」と結婚し経済的に苦労しながら長屋で3人の子どもを育てている。そんな「寿惠子」を新橋で料亭を営む叔母は「壮大な馬鹿」と呼びつつも、金銭的に支援の手を伸ばす。このような人間模様の中で、人はどんな生き方をすれば幸せか?という命題をこのドラマは僕らに提供してくれている。
前述した「寿惠子」の叔母は仕事柄、政界・財界の人々との付き合いも多く、姪が「玉の輿」に乗れればと意識してきた。それゆえに経済的に困窮しても「植物学」を追い続ける姪夫妻を見て「壮大な馬鹿」と呼ぶのである。だがその趣旨には存分に賞讃が含まれると考えてよいだろう。自らが夢中になれる決めた道を歩むという意味では、若山牧水も同様である。妻・喜志子は自らも歌人で牧水を一流歌人に育てるために経済的な面も含めて支え続けたという点も「槙野夫妻」と共通している。などと考えているところに、昨日は僕の姪夫妻が宮崎を訪ねてくれた。遡れば小欄にも記しているが、姪は「イルカのトレーナー」になる夢を叶え施設でも花形でショーを展開していた。だが永続的に続けられる仕事ではなく、海に関する仕事をしている旦那と結婚をした。もちろんこの旦那は経済的にも立派であるが、何より「海の男」であり姪の人生としてはこの上ない存在である。自由奔放な九州の旅をするあたりも、まさしく姪ともども「壮大な馬鹿」の部類である。もちろん、僕自身もかなりの「壮大な馬鹿」であるゆえに「文学」に向き合い生きていることを踏まえてこう思うのであるが。
夢を叶えるように生きる
夫妻で同じ星を綺麗だと思えること
「壮大な馬鹿」明治も今の時代もやはりこうありたいものだ。
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半覚醒で新しい朝に出逢う
2023-08-22
誕生の日付「21日」のちから若者のちからをいただき新しい感性で
自分をまた追い越して
目覚めた時の感覚や思うことを、最近は特に大切にしている。睡眠中に脳内は整理され、己にとって必要な情報だけが残るという脳科学的な物言いに実感が持てているからかもしれない。よほどその後の予定に余裕がない時以外は、目覚めてすぐに起き上がることはしない。車の急発進が危険なように、適度なアイドリングにより身体に起き上がることを知らせてから起きるべきだと考えている。その一環として脳内を内観するとともに、外部から体温を客観的に測ることが習慣化している。さらに体温ばかりではなく、心身の状態を見つめていく。酒宴の翌日はそれ相応に、筋トレ効果が出ている日は筋肉に刺激があるなど、己の「新しい朝」のための時間である。
先日、歌人・馬場あき子さんのドキュメンタリー映画において「明け方の半覚醒ぐらいが歌を作るにはいい」というような趣旨のことを語られていた。微妙に感覚に揺らぎがあり適度に内観でき雑念がない状態ということなのだろうか。同様の趣旨を、NHK「仕事の流儀」で俵万智さんが語っていたことも思い出される。今回の第13回牧水短歌甲子園では、題詠に「新」があったせいもあるが「新しい」ということを考えさせられた。優勝した都立武蔵高等学校の歌は、今までの大会の流れの中でも「新しさ」を感じさせてくれた。あらためて「こんなに自由に生の自分を投影していいのだ」という若さの特権が十分に表れていた。いま「特権」と書いたが、「若さ」とは年齢ではない。常に自分を内から外から見つめ直し、新しい朝に出逢い続けることだ。僕の誕生日の日付「21日」は、いつも何か新しいものをもたらせてくれる。
「今日」という大切な1日
覚醒ののちに小欄に書き付ける
けふもまた「自分を追い越そう」!
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今は亡き人と素敵な・・・盆ギリ迎え火
2023-08-15
「素敵なlovely night老若男女が熱い魂で
呑めや歌えの迎え送り火」(サザンスターズ『盆ギリ恋歌』より)
「盆と正月」などと言われるが、その過ごし方も昭和の時代と現在では、また都会か地方かなど地域の上でもだいぶ変質しただろう。一昨年『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社選書108)を上梓したが、明治以降の西洋文化受容の中で「クリスマス」が各時代の情勢に利用されるように国策や商業主義を反映したものであることを論じた。ある意味でこの「西洋文化の容れ物」を、実に便利に恣意的に利用してきたといってもよいだろう。それなら「盆」は果たしてわたしたちの中でどのように「生きて」いるのかも考える必要があるのではないか。「今此処」に「わたしが存在する意味」を家族とともに対話する時間が、この国にはあまりにも乏しいのではないのか。
妻の実家にお盆に行き「迎え火」を炊いた。2年前に他界した義父の魂やご先祖様とともに、宴を楽しむ一夜である。空間に放たれる炎というのは、この世とあの世を繋ぐ不思議な形を僕たちの視覚に映し出してくれる。「お盆」がただ厳粛な形式的なものではないことは、サザンオールスターズの新曲「盆ギリ恋歌」を味わえばよくわかる。時代とともに失われてしまう生活風習と、失うべきではないわたしたちの存在の拠り所があることを考えさせてくれる。愛情で繋がり合う家族・親族にも、それぞれ個別に様々な葛藤が存在している。故に「盆踊り」も「呑めや歌え」もあるわけで、形骸化してはならない「盆義理」があるのだ。
「あの日」のように食べて呑む宵のうち
わたしたちが拠り所にすべきものは何なのだろう?
サザンの鮮烈なロックサウンドが実は一番大切なものを教えてくれている。
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飛べることへの感謝
2023-08-11
欠航・欠航の末にやっと
1時間半の移動のありがたさ
航空機によってわたしたちは・・・
自然の猛威に左右されつつ、また人類が作り出した脅威的な移動手段である航空機の恩恵をあらためて深く実感する機会となった。距離約1200Kmを、離陸すれば1時間半程度で移動できる。同じ時間でもし自分が徒歩で移動するとしたら、約10Kmがせいぜいだろう。時にその距離を実感できないことへの嫌悪とともに、誠にありがたき時代に生きているというジレンマの中に僕たちは生きている。何事も失われてこそそのありがたみがわかるものだが、台風による欠航は現代における航空便の利便性をあらためて骨身に沁みて感じさせられる機会であった。
空港まで行くと各航空会社のカウンターは長蛇の列、たぶん振替便や空席待ちの手続きのためだろう。僕の場合はスマホの航空会社アプリで座席指定まで全てを終えているので、空港のカウンターには寄る必要がない。この日の朝まで数日間、スマホの航空機情報に常に向き合うことができたのもWebのお陰である。それでも空港にはかなり余裕を持って到着、機材ぐりなどにより朝の1番・2番の便はやはり欠航を余儀なくされている。次第に晴れ間も出てくるような天候、羽田からの機体が約10分程度の遅れで空港に着陸するのを見て、やっと僕は東京に行けると確信した。
「国語教育全国大会」1日目が終わる頃
僕はやっと宿とするホテルに到着した
親友たちとの夜の予定に間に合ったことで癒されつつ・・・
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予報と現実
2023-08-08
南海で停滞していた台風6号進路を北に変えて九州西岸を撫でるように
気象予報と現実を刻々と照らし合わせて・・・
10日より「国語教育全国大会(日本国語教育学会主催)」が、東京の筑波大学附属小学校(東京都文京区)で開催される。対面開催は実に4年ぶり、今回は「校種別分科会・生活文化を志向する」において指定討論者の任をいただいており、大会の成功に向けて理事として努めたい思いが強い。そこで10日の午前10時から開会することを見据えて、前日9日より東京入りすることをかなり前から決め航空券と宿の予約をしておいた。ところが台風6号が急に進路を東に変え、9日のフライトに影響が及びそうな状況になってきてしまった。先週までは、東シナ海をそのまま北西に抜ける進路予報が示されていた。それにしても沖縄地方には長期間にわたり右往左往して停滞し大きな被害をもたらせている、誠にノロマで迷惑な台風である。僕にとって指定討論者の任務が、2日目11日であるのがせめてもの救いである。果たして9日に東京まで飛べるか?再び僕の「フライト運」が試されている。
週明けのこの日より進路予報を見つつ、併せて航空会社の「運行状況」を頻繁に眺めている。すると昼前後には予約便の「欠航」が決まり、一つ遅い便への振替を行なった。それも検討に検討を重ねて、進路予報通りに台風が抜けていくことを考えてさらに遅い午後の便にすべきか?などと迷いながらスマホ上で振替操作を進めている。この予想がし難い台風の動きもまた、地球温暖化による異常の一端と考えてよいのだろうか?気象情報の解説によると、太平洋高気圧が張り出しており台風の進路を妨げている上に、上空の偏西風が北寄りに吹く位置を変えてしまっていることが台風6号の迷走の原因であると云う。さらに台風による宮崎の状況もまた心配され、自らが予定を少しでも誤差なく実行できることと、自宅を含めて宮崎がどうなるか?にも気を揉んでいる。毎年のこととはいえ、この10年を考えても台風の性質が変化してきているようだ。気象予報は「あくまで「(人間が限界ある知恵を絞った)予報」に過ぎない。僕たちはなぜ?これほどに自然が暴発する地球にしてしまったのだろう?
フライトは運でもある
海外の経験からすると基本的には楽観視している
だが本日8日の予定も見据えて誠に悩ましい週明けである。
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