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35年前の欧州へあくがれて

2024-02-10

社会人になった頃の憧れとして
登山家の知人とそして欧州へのそれ
2010年にアメリカ・カナダの旅も一緒に

遥か35年前のことだ。教員となり社会人になりたての頃、冬休みを丸々活かして欧州の旅に出た。目的は、両親の知人である登山家がフランスに住んでいるのを訪ねるものだった。格安の当時「ソ連」の航空券を買い、モスクワで稀有な体験のトランジットからチューリッヒにまず入り鉄道でレマン湖沿岸を走りジュネーブに到着した。この往路そのものが「冒険的」で、トランジットでの「ソ連」の怖さ(空港からの移動バス内でパスポートを自動小銃を携えた兵士に取り上げられ一晩管理された)やスイスの電車内の陽気な欧州人との交流は実に良い経験であった。ジュネーブから車でそう遠くないフランス領内に知人の家はあった。ちょうどクリスマスを迎える頃で、欧州の家族のクリスマスを体験できた。

知人は登山家ゆえシャモニーを案内してくれ、確かミディという頂にロープーウエィで一気に3000m以上上昇し軽い登山病的(目眩・頭痛)な経験もした。さらに僕自身でイタリアへ電車で出向いたりフランス・イギリスまで欧州を南北に駆け巡った。ちょうどベルリンの壁を壊している時で、知人はその欠片を拾いに行こうかなどと言っていた。現実には片道1000Km以上ということで断念したが、今思えば知人を焚き付けて行くべきだったと思う。知人はかなりの過酷な登山で危険な経験をしており、俗にいう破天荒な発想に若い僕は大変に憧れていた。2010年にはこの登山家と僕の父も同行し、米国シアトルとカナダのモントリオール・トロント・ナイヤガラを巡った。イチローを生で球場観戦し松坂のトロントでの登板も観ることができた。その際も知人の感覚の違う冒険心は、旅先での心を躍らせてくれた。人生は旅、そして時に破天荒な行動も大きな醍醐味だと思うのである。

その知人と10数年ぶりの再会
どこか牧水の「あくがれ」の感覚がある
確かに中高教員一筋ではない僕の歩みも「あくがれ」なのかもしれない。


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幸運は忘れた頃に

2024-02-07
他の作業をしていて思いつき
プリンターのWiFi接続が叶った
一点のぬかるみでエンジンを吹かし過ぎないことだ

前日から課題だった研究室プリンターのWiFi接続、朝出勤するとやはり今一度昨日の動作をくり返してしまう。だがすぐにこれ以上は自分には手に負えないと諦め、他のやるべき作業に入った。それでも机のすぐ傍に置かれた新しいプリンターが、早く仕事がしたいと呟く。なにかが宙ぶらりんになっているのは、誠に歯痒い心境である。それでもやるべき仕事を優先して前に進め、昼食も済ませた。後期末ゆえに、試験や評価の仕事が山積している。すると午後三時を過ぎた頃であろうか、急にプリンターの接続構造が頭をよぎった。作業を中断して試してみると、なんとPCのデータがWiFi経由で印刷できるではないか!その瞬間の嬉しさは、なんとも言えないものがあった。

短歌作りもそうだが、あまり一点のぬかるみの中でもがき過ぎない方がいい。自動車が雪道で嵌るように、エンジンを吹かせばタイヤは空転するばかり。周知のようにギアを一つ上げて、緩やかに前後に振るようにしていると、振動で雪から抜け出すことができる。他にもネジなどを無理やり回すと、ドライバーを差し込む凹凸が欠けてしまいどうしようもなくなることもある。ぬかるみに嵌ったら、まずは力を抜いて視点を変えることが肝要である。なぜか短歌も同様な作用が多く、あまり意識しないで出した歌が特選などに入選する場合が多い。「これこそは」と意識すると、大抵はあまり評価されない。野球やゴルフの経験でも同様に、あくまで力みは禁物である。

可能な限り向き合うことで見えてくることも
そして一時的に放置して目先を変えてみる必要が
幸運はいつも忘れた頃にやってくる。


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親しき友のあり方

2024-01-21
友人は少ない方がよいという考え
本当に心が開放される人との時間
美味いものを食べないと人生を半分は損をする

「1年生になったら」という童謡では、「友だち100人できるかな」という歌詞がある。学校生活では、たくさん友だちがいた方がよいと謡う。だが小学生の頃の友だちで、生涯にわたって友だちであり続けるのは難しいのかもしれない。「友だち」と一括りに呼んだ時、その質的な関係はかなり濃淡があるように思う。昨今はSNSの発達で投稿という情報交換の関係を結んでいれば「友だち」と呼ぶが、頻繁にコメントするかほとんど通行がないかその関係も様々だ。

「1年生」と違って年齢が高くなって来た場合、「友だちは少ない方がよい」という記事があった。単に数の問題というより、「どのように、どの分野で、どう付き合うか」という意識の方が大切だということだろう。まさに「親友」と真に呼べる人は、この世にそう多くないと言えるかもしれない。その「親」の部分でどれだけ心が通い合うか?という意識が重要な気がする。その交流の時間を通して生きる上で納得ができる存在、そんな親友がいることが何よりも幸せである。

その土地で最上の美味しいもの
究極や至高と呼べるような時間をともに
ありがたき宮崎での出逢いに感謝。


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ありがたや萬葉集研究会

2024-01-14
サークルとも違い学問のために集まる場
指導教授のお人柄よろしく宴席が多かった
そして奈良飛鳥を訪ねる萬葉集旅行など

大学時代をどんな過ごし方をするか?は入学時に甚だ考えた覚えがある。中学高校で運動部に所属していたので「文武両道」の思いも強く、大学の体育の授業では体操部に誘われ、ソフトボール部とか格好いいと思い応援部などを考えないでもなかった。しかし、これ以上「体育会」に属すると学問をしに入学したのにそれに支障があると強く考え直した。そしてサークルは書道会を選び、2年生以降に専攻が決まると、大学学生研究班の「萬葉集研究会」「古今集研究会」に顔を出すようになった。この2つの研究会の顧問が上野理(おさむ)という教授で、特に2年生時の『萬葉集』を扱う演習にいたく魅せられた。先生の五七調の朗詠、先生の読みに安易に迎合した発言をすると厳しく対応するなど、その時の声は今も僕の中に響き渡っている。先生は隻腕であったが、手元の書物の該当ページがすぐに開けることに象徴されるように、その読みの深さには尊敬以上の敬服を抱くことが少なくなかった。

このように上野先生と出逢った幸福が何より大きなことであったが、さらに「萬研」の先輩や後輩のみなさんと出逢えたことは、僕にとって人生の宝になっている。大学を卒業後もよく「萬研」の宴席があると参加していたことが、さらにその関係を強くした。前述のように「体育会部活動」への思いがあって学部卒業後は運動部の強い高校の教員となったため、やや文学から離れる時期もあった。そんな中でも文学研究への思いを繋げることができたのは、先生とこの先輩後輩のみなさんのお陰である。この4年間の社会事情で「萬研」の集まりもなかなかできなかったが、昨夜は久しぶりに再会の機会を得た。メンバーには当時の先輩の娘で俳人・詩人として活躍する人もいて、僕自身の短歌のつながりにとってもありがたき存在でもある。この夕方、東京地方は雷鳴とともに小雪が舞い散った。思い返すに「萬研」メンバーで、まだ若くして鬼籍に入られたお二人の顔が偲ばれた。きっと天から「俺も参加したいよ!」と雷に乗せて僕らに訴えたのだろう。

再び定期的に企画されることを願い
各分野で活躍するメンバーからの刺激よろしく
上野先生への思いを込めて「萬研」は永久に不滅です。


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あなたがいたからこその人生

2023-12-10
どんな人生に拓いていこうとした頃の
この友との出逢いなくして「いま」は語れず
いつでもどんなことがあってもお互いを形作る友

人生において「この友なくしていまはない」と思える人が何人いるだろうか?「友」となる存在との出会いは小・中・高の学校をはじめとして様々であるが、住んでいる土地の縁が作用する場合が少なくない。まさに「故郷」を形作る人、そこに帰れば「おかえり」と言ってくれる人の存在は大きい。しかもお互いの人生の開拓期である20歳前後での出逢いだからこそ、なおさら刺激し合い意義深いものになって来た。その階梯には決して良いことばかりではなく、それぞれに様々な懊悩もあった。それを支え合うような思いがまた、さらに友との結び付きを強くする。

社会でどのように身を立てていくか?20歳の頃に考えていたことと、それぞれの年齢での「いま」との差を考えてみる。ここまで「登ってきた」と思うこともあれば、基本的に「変わらない」と思うこともある。その螺旋状のような人生の階段で「いま」の位置から歩んできた過去も、これからの未来も見据えてみる。すると「いまなにをすればいいか」が自ずと見えてくるものだ。お互いがお互いの伴走者のように、この先をさらにどのように走ろうか?いつまでもあなたがいるから誇れる人生と思いつつ、楽しく歩んでゆきたい。

「クリスマスだからじゃない
 歌えニッポンの空
 晴れ渡る空のように」



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2040年はどうなっているのか?

2023-12-02
これまでの10年そして20年
大学院後期課程から学位取得を経て大学教員へ
スマホの出現と広く多くの分野の方々との交流

「10年ひと昔」というのは既に過去の成句で、今や急速に社会変革が起こるような時代が留まることを知らずに進んでいるかのようだ。ある機会に参加し「2040年未来の宮崎」について、あれこれと考え対話をした。今から17年後、この数年で進化がめざましいAI(人工知能)がどれほど僕たちの生活に浸透する、いや侵襲しているだろうか?既に問題となっている人口減はさらに加速して労働力が不足するが、平均寿命ばかりが延伸しさらなる高齢化社会になる。宮崎市内でも最近はタクシーが呼べない状態が日常化してきたが、果たして公共交通機関などのインフラは健全に保てているのだろうか?東京をはじめとする都市部への一極集中に歯止めがかからなければ、少子化をはじめこの国の健全なバランスは保たれていかない。わかっているのに何も手が打てないどころか旧態な悪弊にしがみつくような社会では、明るい未来は見えて来ないのではないか。

このように負の面を考え始めればきりがないが、これまでの20年を個人的に回顧しつつ前向きな次なる20年を考えるのも大切ではないかと思うところだ。20世紀最後の年2000年に修士修了、その後勤務校を移籍しつつ博士後期課程を満期まで在籍し、指導教授の急逝などもあったが何とか学位取得に漕ぎ着けた。その後は大学公募への挑戦をひたすら続けたが、なかなか埒が明かない中で大学教育経験をつけるべく非常勤生活も経験した末に宮崎への道が待っていた。初めての地方生活ながら多くの人々と親しくなり助けられ、若山牧水や短歌に出逢い直した。感覚としては大学に赴任したというより、宮崎という土地に移住したという意識が強い。2020年代になってコロナ禍のせいか、さらに時間が加速的に感じられるのは僕だけだろうか?前向きに前向きに多くの人たちとの出逢いを大切に歩んだこれまでの20年間を、僕は実に豊かで尊いものと思う。

AI(人工知能)とどう向き合うか?
そして車は電動化され多くが自動運転となるのか?
2040年に僕らはどんなスマホを使っているのだろう。


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生徒・学生にもらう勇気

2023-12-01
「プロ」を目指し成し遂げた生徒たち
新たに人生を切り開こうとする学生たち
いつも若い力に負けじと勇気をもらう

学部1年生の基礎教育の講義課題として「先生へのインタビュー」というのがあるらしく、各学部の学生が混ざる5人の学生たちと対話する機会を得た。事前のメールによる依頼、直接の挨拶などを経て日時も交渉しこの日の1限が設定されるに至った。5人からは「なぜ大学教員になったのか?」「短歌を好きになったわけは」「一番好きな短歌は?」などの質問が為された。事前に質問を聞かされていた訳ではないので、こちらとしてもその場で「これまでの自分」を振り返る良い機会になった。政治・社会では「予定調和」なインタビューが横行しているようにも見えるが、やはりありのままの自分を語るには、「出会い頭」というのも貴重な対応だと思った。

「なぜ大学教員になって今ここにいるのか?」ということを問われて口をついて出てきたのが「プロ意識」ということ。学部卒で初任の中高一貫校に定年までいる、という一筋の人生も可能であっただろう。だが初任校にはスポーツでプロを目指しそれを叶え、過酷な世界に人生を賭けてゆく生徒らが多勢いた。卒業後の「結果が出なければ自由契約」という実力の世界を生きる彼らの生き様を追うに、僕自身は果たして「プロの国語教師」として勝負しているか?と考えるようになった。その結果、初任から10年後に二足の草鞋を履き、再び大学院の門を叩いた。さらには学部時代から現在まで、幾多の素晴らしい「和歌短歌」に関連した出逢いがある。生徒や学生に背中を押されるのと同時に、導いてくれる師が常に僕の前に現れた。記せたのはインタビューのほんの一部だが、我が冒険のような人生を語り、学生たちにも「予定調和」で発見のないワクワクしない人生を歩まぬように語っていた気がする。

自分に何ができるか?
我が身を常に開拓する思いを大切に
それにしても生徒・学生からもらう勇気が尊い。


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血液循環のように動きながら考える

2023-11-23
移動から移動の1日
隙間にも着実な一歩の動き
まずはやってみることである

朝一番で小さな打ち合わせ、その後は非常勤の講義、昼休みに私用をはさみ、その後は再び附属中学校へ。このように、目まぐるしく展開する1日だった。こうした中でも、移動間にあれこれと考えて実行できることも少なくない。所謂「隙間時間」を有効活用するかどうかである。とはいえ何事も順調に進むわけではなく、壁にぶつかったり上手い流れに乗れないこともある。そんな時に肝心なのは、まずは「やってみる」方向を選択することだ。負の思考は逡巡しなかなか前に進めなくなり、更なる停滞に陥る。ゆえに「行動」が肝心であり、可能性があるかどうかはやってみないとわからない。

さらに思うのは、情報は自分の目と耳で確かめることだ。曖昧な情報のままが前述した「負の思考の逡巡」をもたらせてしまう。小さな可能性は、どこで待っているかわからない。ゆえにたとえ駄目だと思っても、尋ねてみる行動が大切なのではあるまいか?時に物事は思考段階で詮索をしすぎて、固着した思い込みに至ってしまうことがある。身体が寒くてこわばるように、思考も固着させないことが肝要であろう。ゆえにまずは問い掛けてみることで、小さな物事は動き出すのである。今までの人生を振り返ってみても、「ダメもと」で問い掛けたら貴重な出逢いであったことは少なくない。「動きながら考える」は落ち着かないように思われるが、血液循環のようなものだと思って大切にしたい。

一歩を踏み出す
小さな窓口に問い掛けてみる
「小さい」ことに注目し前を向いて歩む。


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偶然は小さな行動の積み重ね

2023-11-21
中学校登校時に会っていた人
起きるところからその偶然は積み重ねられていた
たぶんわずか数分の道で会うための必然

あれは中学校1年の夏頃のことだった。家から徒歩20分ほどの私立中学校男子校に通い始めた僕は、通学時の道に出会う公立中学校の女の子が気になり始めていた。登校というのはほぼ毎日同じ時間に家を出るので、毎朝のように会うようになった。彼女がその直線の道を歩くのは、時間にして3分程度、ある路地から通りに出てきてある路地を公立中学校方面へと曲がってしまう。その「数分」が早過ぎても遅過ぎても「すれ違う」ことはできなくなる。実際に僕がその「数分」に到達する前に遠方で彼女が路地を曲がってしまったり、早過ぎればまだ左手の路地の奥に姿が見えたり「すれ違う」一瞬の楽しみは泡となって消えた。次第に思いが募り、必ず毎朝の登校時間を精密に固定するような習慣づけをするようになった。

7時42分に家を出れば、家から8分程度で当該の「直線数分間」に7時50分に至ることができる。たぶんその小さな恋のおかげで、僕は「朝のルーティン」を組む習慣がついたのかもしれない。現在でも朝の行動は、毎朝測ったように同じである。だが考えてみれば、彼女の方も常に定刻に家を出る習慣がなければ成立しないことでもあった。人が道などで「偶然に会う」ということは、それ以前の様々な行動の蓄積が相互に合致しなければ叶わないことなのである。家を出ようと思っても靴の紐が絡んでしまったとか、家の中の電燈を消し忘れていたとか、小さな行動で微妙な変化が生ずることもある。結果的に中学校時代のその彼女には声を掛ける勇気もなく、そのまま「朝の数分」を楽しみにするだけの関係で何ら進展はなかった。だが人生にはこうした「もしも」がたくさんあって、幸福もまた災いも「偶然のような必然」に依存している不思議があるものだ。

なぜ?いま此処で
「いま」している行動の積み重ね
今日もまたどんな人と道で偶然に会うことだろう。


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影響を受けた人・好感が持てる人

2023-11-11
この人に出会ったからこのように生きてきた
偶然の出会いの中でも好感が持てる人
そして出会いを拡げることができる人・場所

中高の友人もさることながら、大学で出会った特に先輩方の多くに影響を受けてきたように思う。高校のとき以上に広い社会に出たという意識の中で、「自分は何者か?」という存在理由を探していたからだろう。「こんな人になってみたい」という、身近な存在が先輩たちであった。さらに踏み込んで言うならば、憧れの人に恋したことで自分がどんどんと改革されたように回顧できる。「恋の力」は人間存在において、良くも悪くも大きな影響を及ぼすものだろう。人生の分岐点と思われる折節には、いつも「恋の力」が関与しているように思う。

社会人になってから、限定して言えば大学教員を目指すようになってからさらに広い範囲の人々と交流するようになった。そんな中でも特に「好感が持てる人」の顔が何人も浮かぶ。職業も年齢なども関係なく、話していて力をもらえそうな人である。仕事も私的にも爽やかに過ごしており、その力が漲る生き方に僕自身がさらに励まされるような存在。昨日もこのような人・人に再会した。そして再会を演出してくれる場所がある、それほど頻繁ともいえない僕の上京機会に偶然のダイナミックな時間。こうして人・人によって、僕らは生かされている。

ランチから順次、大切な事を積み重ね
この日も影響を受けた人々との逢瀬が貴重であった
人を大切にせずして人生は決して楽しめない。


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