邂逅・思考・薫香

2018-02-17

なぜいまここで出逢えるのか?
なぜをくり返す際に見る光景があるか?
なぜこの香りに導かれるのか?

人は「出逢い」によって、その生き方が大きく左右される。学生時代に出逢う人・書物・嗜好などによって生きる志向が決まって来たりもする。この人と出逢ったからこそ、新たに見えてきた光景がある。「光景」と言えば、自分の「思考」を形成する際に、見ている定まった「それ」があるようにも思われる。季節によって多少位置は違うものの、太陽がここから昇りどのように一日が始まるかを、さながら知っているかのようである。空も雲も日々違うものであるが、基本的な光景というものは、そう簡単には変わるものではない。そしてまた、言葉で言い表し難い「香り」の妙が世の中には存在する。目にも見えず、他者に説明できない薫香に引き寄せられることもある。

物品は人の周囲にさながら存在し、その生きるための資材となり足跡にもなる。だが物理的なものだけではあまりに虚しく感じてしまうのが人生でもある。否、その物品には必ず思考が宿り、人との出逢い同様に生き方を左右する場合もある。これほどまでに写真が手軽にいつでも撮影される時代になり、刹那の場面をスマホなどに保存する生き方ができるようになったが、それだけでは叶わないことも多くあることを知るべきだろう。最近、視力の低下を自覚し眼鏡も新しくして矯正の度合いを上げたりもしたが、それは遠くの景色を習慣的に見ていないことに起因するのではということに気づいた。もしや研究や評論の思考も、これと同じ症状にはなっていないかと自らを戒めてみたりもする。幼少の頃から「匂い」には大きなこだわりがあり、その好き嫌いで行動が左右されることがある。元来が「犬」的な動物的本能を備えてるかもしれない、などと戯れ言を語ってみたくもなる。

邂逅の面白さ豊かさ絶妙さ
思考が形成される遠景を持ち続ける
薫香を確かめ導かれ好きになって・・・


スポンサーサイト
tag :

「縁」とはなんだろう?

2018-01-22
「縁がある」「縁がない」
それは何で決まるのか?
感覚・社会慣習・生き方・・・

この数日、「縁とはなんだろう?」と考えている。いま何らかの繋がりがある方々とは、少なくとも「縁があった」ということなのだろうか?それでも付き合い方の深浅はもちろんあって、感覚が合う方もいれば、ほどほどという方もいる。人生において、誠に出逢いは重要である。それなくして「自分」という「畑」は、決して耕されることはない。好むと好まざるとにかかわらず、人との刺激的な関係が、人生を面白くも退屈にもする。それゆえに、自らも「面白い」人でありたいと願いつつ、縁のある人には「面白さ」を追い求めているように思ったりもする。

この人と出逢わなければ、「いまの自分はない」と思える人が何人いるだろう?幼稚園のころからいまの宮崎に至るまで・・・反対に出逢わなければよかった人などとは考えたくもないが、正負を超えて人生には「出逢い」があるものだ。どんな人と「出逢いたいか」と、ことばにするのは誠に難しい。なぜその場に足を運ぶのか?なぜその関係に興味を抱くのか?何に心を奪われて生きているのか?大河の一滴は、どんな島で潤いとなるのか?大空の中で、どの鳥の羽ばたきに逞しさを覚えるのか?誠に生きるとは、稀少な偶然に支えられているような気もする。

棲家と人の縁と様々に・・・
Webで大海や大空は狭まったのか?
生きることには、素朴で面白く豊かでありたい。


tag :

店の縁とは人の縁なり

2018-01-20

5年間の宮崎での生活
さらにその前の5年間
笑顔と温かいことばに支えられて

様々な意味で、今年は節目の年であると思っている。この3月で宮崎での生活も丸5年となるが、日々あらたな発見にも恵まれていて充実した時間だと振り返ることができる。だが何事もそうであるが、苦悩がないわけではない。その苦悩をいかに解放するかという点も生きる上では貴重である。親友と呼べるのは、まさにこうした苦悩の話を聞いてくれる人。もちろん宮崎でも親友に恵まれた。などと考えていると、宮崎に赴任する前の5年間が思い出された。専任職にあらず非常勤講師の2年間、そして中高教員を辞することを決意するまでの様々な苦悩がいまよみがえる。

その頃、自分を支えてくれていた何人かの笑顔がある。御夫婦で経営する洋食屋さんの奥さまは、常に僕の悩みを聞いてくれて、旦那さんはいつも野球の話に深く興じてくれた。その店のカウンターには齢90歳を超えたお爺さんがいつもいらしていて、この方と話していたこともい大きな支えであった。どうやらいまもお元気で、時折その洋食屋さんに電話があるという。カウンターといえば、ワイン好きの僕を根底から支えてくれるバーの店主。宮崎に赴任後も、この5年で赴かない月の方が数えるほどで、常にその温かいことばと笑顔に支えられている。ここでも常連として知り合った同業の研究者がいて、やはり確実に充実した5年間を送っていることを知り、深い安心感を覚えた。

鉄板とワイングラスに笑顔あり
店の縁とは人の縁なり
大切にしたい笑顔とことばである。


tag :

〆切あるは楽しからずや

2018-01-18
原稿〆切という制度
逆算してキーボードから文章を立てる
追われつついかに平常心を保つか

今週末前に原稿〆切がある。先週10日に1本の原稿を出して、次が19日ゆえ10日ごとに〆切がくる。もちろん20日は心の花宮崎歌会の歌稿〆切であり、25日は『心の花』の投歌〆切である。考えてみれば自ら課しているのであるが、小欄の原稿〆切が毎朝あるようなものだ。文筆を生業とするゆえ、これは宿命であり決して忌避するようなものとは思っていない。むしろこの〆切があることによって、脳内で思考されたことがことばとなって表現されるわけである。仮に〆切がなければ、ことばとなって吐き出されず内に籠もったままになってしまうであろう。誠に〆切はありがたいと考えたい。

いくつかの超えるべき境を超えると、原稿書きに勢いが出る「沸点」のようなポイントがある。アウトラインから全体を見据えて文脈に、「書きたいこと」が見える刹那に酔うような感覚だ。「先が見えた」とはまさにこのことを言うのであろう。あとは脳内にあることを、自然にことばにしていくだけである。すると自らの「思考」とは何なのかと思う時がある。小欄にしても早朝に無意識な感覚で記していることが多い。むしろそれが目的でもある。そして昼下がりに自ら読み返すと、思わぬ発見があったりする。これまた〆切の効用なるや。

〆切を楽しもう
逆算して境を超えられるように
まずは形にせずして良いものになるはずはない。


tag :

帰省ラッシュかいくぐりたる父母の顔

2018-01-03
「帰省」が混雑するわけは
大都市一極集中のなせる技
穏やかにみやざきで過ごすお正月

みやざきに赴任・移住してからこの3月で丸5年となるが、昨年以外はすべて宮崎でお正月を迎えている。大学内でも「いつから帰省するのですか?」と問われることも多いが、「みやざきが好きなので、宮崎でお正月を迎えます。」と答えている。そして大抵はむしろ東京在住の父母が帰省ラッシュの隙間をかいくぐって、みやざきにやって来る。昨日も宮崎空港到着口に出迎えに行くと、昼過ぎの便に乗った父母らがほぼ時間通りにゲートを出て来た。みやざきは素晴らしい快晴、その山と海を眺めながら自宅まで車を走らせる。夕飯は宮崎牛A5等級のすき焼き、葱や白菜も新鮮で東京より美味しいと満足な表情を浮かべてくれた。「すき焼き」そのものは幼少の頃から我が家の正月の定番であるが、それを”みやざき素材”で味わうようになった”今”に家族の象徴的な変遷を覚えるのである。

『imidas2017』の「国内人口移動/首都圏一極集中」の項目に拠れば、「人口移動」そのものは「1973年をピークに減少」しており、最近の特徴として「移動者の中核は15歳〜34歳代の青壮年人口」であり、「移動送り出し県」における「該当年齢層の人口が減った」ことが大きな減少の要因になっていると云う。しかしながら、09年統計で「転入超過」を示したのは、東京・千葉を筆頭とする首都圏であり、「転入超過総数の95%を占める。」のだそうだ。特に「東京区部」で「3万7391人(30%)の転入超過」があると云う。「帰省ラッシュ」が起きるのはまさにこの「人口移動」の実情が大きな原因なのである。などと資料を紐解きつつ、この「偏向」に少しでも均衡を求めるためにも、「みやざき」の魅力を発信する意義はあらためて大きいように思われた。僕自身はその「転入超過」な土地が生まれ故郷でああるが、そこから「逆転入」をしてみやざきに来たわけである。新たな土地でその魅力を発見し自らの人生を乗せる、さながら牧水が富士の見える沼津の千本松原を、終の住処としたこころなどを気取り想像してみたりもする。

正月ながらの父母との会話
家族にとっても新たな節目となりそうな今年
心身ともに栄養補給をなせる三が日である。


tag :

できるか?よりもやってみよう!

2017-12-01
パソコン関係の新しい機材
最近はほとんどマニュアルはなし
実際に触ってやってみればわかってくるものである

中高の教員をしていた頃、「勉強のやり方がわからない」という質問を生徒からも保護者からもよく受けたと記憶している。特に「国語」に対してはそれが顕著で、試験前でも何をやっていいのかわからない、などという声を聞くことが多かった。だがそうした機会のたびに、「丹念に文脈を追って自問自答するという素朴な姿勢しかない」といった趣旨のことを返答していた。漢字の知識など「言語技術」は別として、定まった筋道が「国語」の勉強にあるわけではない。母語としての日本語で記されている文章は「森」のようなもので、最初から地図や道順が示されている訳ではない。むしろそうした”ガイド”があれば、「冒険」としての興味は半減してしまうだろう。実際の目的地を探す場合でも、迷いに迷って発見したお店などに到達した時の嬉しさは確実に倍増する。要は混迷してもめげない根気強さが必要なのだと思う。

ここ20年間ほどのパソコンを始めとするIT技術の進化は、めざましいものがある。当初はパソコンにも所謂「説明書」があったように思うが(今も付属はされているのであろうが)、最近はその類を読んだことがない。特にタッチスクリーン式のスマホ・タブレットが普及してからは、より実際に触ってみてこそ「やり方」がわかるような傾向が強まった。あれこれと画面上を”いじり”ながら、上手くいかないと思っても沈思せずに色々な可能性を試すが如く動かしてみる姿勢が必要だ。この行動原理は、仕事や人生全般の諸事にも相通じることのように思えてくる。頭の中だけで、間違いなく道を進み目的地に到着するかどうか?と不安に思っているだけでは、人生はそのまま終わってしまう。行動するか否か?と迷ったら、もちろん「行動する」を選択する。たとえその結果として遠回りの道を選択することになっても、その過程で遭った事態はそこでしか経験できないものであるはずだ。「森」を「見る」のではなくて、まずは「踏み込んで」みなければ何も始まらない。

ある仕事をしていてこんなことを考えた
担当部署の支援員の方が、とても温厚に迷い道の歩き方を支えてくれそうだ
いよいよ師走、気にかかっていたこの仕事を年内に終わらせる目処が立った。


tag :

汝が意志をまぐるなといふが如くに

2017-11-18
「納戸の隅に折から一挺の大鎌あり、
 汝の意志をまぐるなといふが如くに」
(若山牧水『みなかみ』より)

大学キャンパスは学祭準備に入り休講日。朝から様々な活動に奔走する学生たちの姿を眼にし、作業から発する音が研究室にも聞こえて来て、この時季を感じさせる雰囲気となって来た。そんな中、本日県立宮崎南高等学校を会場に開催される「教師未来セミナー」で使用する資料作成の最終段階を進めていた。この企画は、宮崎大学と県教育委員会・県商工会議所連合会など地域との官民協働による「人財育成」を目標に、年間6回開催されているものである。今年度は既に大学学部から何人かの先生方が、各講座の専門を活かした内容でセミナーを行っている。10月までは学会開催があるゆえにお断りしていたが、このテーマならば自ら話したいという願望もあって、この5回目の担当と相成ったわけである。その資料を作成していると、必然的に自分がどのように教師を志望し大学で学び、現職教員として過ごし、そこでどれほどの生徒たちに出逢って来たかが思い返され、感慨深くなることしばしばであった。

セミナーではやはり「短歌県」を標榜し、教師の心情を表現した短歌を読みながらその魅力を発見する内容構成としてある。さらには郷土の歌人・若山牧水の歌も読んで対話して考えてもらいたいことがある。牧水は現日向市東郷町の生まれであるが、祖父の代から医者の家柄で、当時の村の中では父の医業を継ぐことが期待されていた。旧制延岡中学校(現延岡高等学校)から早稲田大学(文学部)へ進み、文学を志し短歌に没頭する道を歩むことになる。その後は父母との関係も含めて故郷へは、どこか後ろめたい葛藤が牧水の中でも渦巻いていたことが知られている。冒頭に記した歌は、牧水にしては五・七・五・七・七形式をやや逸脱した所謂「破調」歌であるが、それだけに牧水の心境をよく表現している。父親の具合が悪くなり帰郷した際に、生家の納戸に籠って詠んだであろうとされる一連の一首である。そんな牧水と僕自身を照らし合わせてみると、やはり「文学を志した」ことと「家業を継がなかった」という二点で共通点がある。僕自身は、当初は「絶対なるまい」と思っていた「教師」になぜなったのか?という点が「汝の意志」ということにもなる。青春の葛藤はいつでも酸っぱくほろ苦い。そんな話題も含めて、宮崎の未来の教師たちへ、僕にしか語れない内容を伝えたいと思っている。

本日から大学キャンパスは「清花祭」
僕は朝から宮崎南高等学校へと向かう
伊藤一彦先生と堺雅人さんの師弟関係が生まれたのが、南高校という思いも抱きながら。


tag :

飛ばぬならまろびて待てよ航空便

2017-10-28
強風により予約便の欠航
搭乗口付近で「どうしてくれるんだ」と詰め寄る人々
「ただただどうしようもなくそうなっちゃった」ことへの対応

週末は静岡大学で、中古文学会が開催される。だが偶然にも、2週続けて南海より日本列島を台風が睨んでいる。予報円を眺めながらそれもまた確定ではない一情報であるということが、先週の大会開催校としての体験で身に沁みてわかった。諸々と東京での所用もあり前泊で航空機を予約していたので、まだ金曜日ゆえ影響も少ないと思いきや、空港周辺が強風のため使用する機材が宮崎ではなく鹿児島に向かったと搭乗待合所にアナウンスが流れた。しばらく待機していたが、アナウンスはさらに「欠航」の響きを多くの待合客に浴びせかけた。問題はここからの受け止め方である。僕の場合、2000年代によく米国を旅していたので、こうした状況には慣れっこである。他の乗物以上に天候に運航が左右されやすい「航空機」は「欠航の可能性がある」のが前提だと思っている。だが、多くの方々はそうでないのだという光景をまざまざと見た。

搭乗口係員に「予定があるんだ、どうしてくれるんだ」と詰め寄る中年男性。「ホテルの手配もしてくれるんだろうな」と即座に当日代替便の可能性も考えぬ短絡的な老年男性。僕はというと冷静にそんな光景を横目にして、係員へ「代替便」の可能性を問いかけた。すると羽田空港から来る最終便の機体繰りを行なっていて、欠航便の乗客を収容できる大型機が来る予定で調整中だと云う。一時はこの日のフライトを諦めて翌土曜日早朝便への変更も考えたが、その大型機の可能性に賭けてみることにした。しばらくしてその機体繰りが可能になったとアナウンスがあり、振替手続きのため人々は1階カウンターへ我先にと進む。僕もその波に乗じたが、列に並びながらスマホの航空会社アプリを起動すると、その画面上で手続きを完了することができた。だがその上で、振り替えた最終便も飛ぶ確証はないことを心得ていた。最終便までしばし、空港で有効な読書時間ができた。そういえば伊藤一彦先生と堺雅人さんの対談本『ぼく牧水 歌人にまなぶ「まろび」の美学』(角川oneテーマ21 2010)に、「意味ある偶然」という一節があるのを思い出しながら。

「自分をゼロにできる、よけいな自意識、自分へのこだわりを持つと
『一体化』はできない」(同新書より)
牧水からまなぶ自然観は様々な面で人を穏やかに生きさせる。


tag :

和歌文学会第63回大会実地踏査へ

2017-10-24
宮崎県内文学散歩
地方学会ならではの企画
ひむかなる台風一過の空のあを・・・

大会3日目は、いわゆるオプショナルツアーの企画、県内文学散歩を計画してきた。一昨年の岡山大学での開催時の資料で見ると20名ほどの参加者。今回はどれほどの先生方が参加してくれるのだろうかと思いつつ思案してきた。昨今、文科省からのお達しもあって、半期15回の講義回数を遵守しなければならず講義を休講にできなくなった。そのせいもあろうか、大会申込葉書の「実地踏査」欄に丸がついた返信は予想より大幅に少なかった。当初は中型バスぐらいはチャーターする見積を地元旅行社に出してもらっていたが、次第に小型からマイクロ、いや観光タクシー?などと計画を縮小することを考えねばならなくなってきた。最終的に参加人数は僕自身を入れて7名、手伝い学生2名とともに計9名の文学散歩となった。だが利用したのは小型バス、やはり乗り心地と安心感が全く違うと思ったからである。

いざ快晴の青空のもと、大会会場の市民プラザを出発。バスは東九州自動車道を利用し一路日向市へ。本来なら月曜休館である若山牧水記念文学館を、館長の伊藤一彦先生のお計らいもあり特別に和歌文学会のために開館していただいた。先月の牧水祭でお世話になった事務局長や職員さんが、歓迎の笑顔でお出迎えをしてくれた。まずは牧水生家へ、こちらも特別に通常は立ち入り禁止である部屋の中に2階を含めて上げていただいた。牧水が産まれたという縁側、床の間にある「白鳥は・・・」の掛軸、陽光差し込む2階では坪谷川のせせらぎの音が、感性に忍び込んでくる。その後は記念文学館へ、企画展「牧水と月」では古典和歌では常套の「類題」の意識で牧水の「月」の歌が読めた。さらには常設展で牧水の揮毫した歌などをご覧いただいたが、「かんがえてのみはじめたる・・・」の色紙は「がんがんと・・・」と読めるなどという冗談も交えつつ、牧水の歌を和歌研究・書誌研究の立場から観る方々の発見にも面白みが感じられた。

昼食はこれも特別に貸切営業をしてくれた「牧水庵」で「牧水そば定食」を。田舎蕎麦と炊き込みご飯にみなさん大満足であった。その後は今回の懇親会に協賛いただいた「あくがれ蒸留所」を、当初の計画にはなかったが訪問することになった。今回一般公開用に作成した公開講演ジンポジウムのチラシデザインが誠によかったと、それを利用した看板表示を依頼作製し蒸留所の玄関前にはそれがたなびいていた。杜氏さんの案内で焼酎を作る工程を一通り見学、豊かな米の香りと大きな「唐芋」が置いてあるのが印象的であった。何本か焼酎を配送購入する先生方もいて、小瓶のお土産までいただき誠に心温まる歓待に感謝であった。再び東九州道を利用して宮崎市内へ。清武インターを下りて宮崎学園都市・大学キャンパスを車窓からご覧いただきながら、神話の舞台である青島へ。台風の後の海風はやや強かったものの、実に爽やかに気分にさせる光景を楽しみながら神社参詣。檳榔樹に取り囲まれて元宮までご参拝いただき、引き返すと門の石段に小さな蛇が。これは縁起がいい、とこの宮崎の邂逅を参加した全ての先生が楽しんでくれたように感じられた。青島から宮崎ブーゲンビリア空港へバスは向かい、そこで計画通り16時30分過ぎに解散し、和歌文学会第63回大会は幕を閉じた。

この日は台風の悪戯で関東地方では休講の大学も
延泊後に個人で県内の文化遺産を楽しんだ方々もあると聞いた
かくして2年間の計画を実行し終え、満足な気分で夜は独り温泉を楽しんだ。


tag :

和歌文学会第63回大会研究発表会

2017-10-23
8本の研究発表会
活発な質疑応答
嵐を呼ぶもうたを語れり

和歌文学会第63回大会2日目。台風21号によって来宮を急遽断念せざるを得ない先生方もあったが、昨日から大会に参加しこの日は航空機が全便欠航となったために、早々に延泊を決めて研究発表に御参加いただいた先生方も多かった。また東京から陸路を新幹線で博多を経由し新八代、そして高速バスと乗り継いで、この日の午後になりながらも参加いただいた先生もいて、開催校としてはこうした気持ちが心より嬉しかった。研究発表後の総会では、事務局が用意した資料が不足するほどで、予想を上回る先生方がいらしたのには驚いたほど。自然には抗えず安全第一は勿論であるが、開催校のみならずこの日のために研究発表の準備に準備を重ねて来た8名の先生方のためにも、滞りなく予定通りの時程が消化できたことは大きな喜びであった。

開催校を担当してみてまた考えたのは、研究発表1本の重みである。準備段階でまずは何人がエントリーするか?遠方の宮崎であるから少ないのではないか?などと当初は不安もあったが、いざ蓋を開ければ8本を遥かに超える申込があった。選ばれた8本の発表者の発表要旨を事務局が纏めて、7月末までには手元に送られて来た。それを印刷所に発注し要旨集を作成、同時に大会案内とプログラム・専用封筒を印刷するために事務局とやりとりをしながら校正を進めたあの8月の暑い日々。9月に入るとすぐに全会員に発送する作業に取り掛かったが、総計755部の封筒詰めはゼミ生たちが丁寧に間違いなくこなしてくれたが、その作業は予想以上に困難なものであった。そして9月中旬以降、大会参加申込葉書と費用振込通知が届き始める。参加人数はどうだろうか?という思いを抱きながら、学部事務所に特別に用意してもらったトレイの中を日々覗き見るのが日課となった日々であった。かくしてこの日の研究発表に多くの会員の方々が参加するお膳立てができたわけである。その1本1本を、自らが発表する気持ちとなって展開できたのは誠に勉強にもなった。今後は、自分が研究発表をしたり学会に参加する場合、常に開催校の立場になって考えようと切に思う。そしてもちろん、また研究発表が自らもしたいという野望が起動したのである。

先輩の発案で臨時の懇親会を予約
20人近い先生方が集まり楽しい宴となった
和歌文学会がまた僕自身を大きく育ててくれたと噛みしめる宮崎の夜であった。


tag :
<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>