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日々に原点はあり

2021-04-08
宮崎に来てからの原点
8年間にある多くの幸運な出逢い
妻との原点も見つめ直し

原稿を書くために必要があって、宮崎に来てからの多くの幸運な出逢いの日付などを確かめている。伊藤一彦先生に初めてお逢いしたのは、いつのことか。また佐佐木幸綱先生と再会したのは?そして俵万智さんとも再会できたのはいつのことだっただろうか?などと。いずれも短歌と母校との深くありがたいご縁によって、邂逅・再会後の深い交流となって今に至る。思いの外、宮崎に赴任した初年度早々に、6月は伊藤一彦先生の講演を聞いており、9月には来県した俵万智さんのトークを聞いている。大学のみに留まるのではなく、県内の文学的な環境にすぐに足を踏み込んでいたことがあらためてわかった。それが現在の活動の原点になっている。

人との出逢いというのは、そのものが大切なのではなく、出逢いの後が何より肝要である。惚れ込んだ人物に、どれほど関わりが深められるか?しかもそれは一足飛びにできるものではない。出逢い後の貴重な機会をくり返すことで、その都度の丁寧な向き合い方が求められるのではないかと思う。そのような意味では、前述した歌人3氏との出逢いや再会から、少しずつ小さな礎石を積み重ねるようにして今に至った。原点を見つめるとその大切さが見直される。原点といえば、あらためて妻との原点を深く考えさせられている。このかけがえのない出逢いとは何ぞや。思い出の青島の地で寄せては返す波を眺め、やはりその後の日々をいかに大切にしているかを思う。丁寧に緻密にふたりで日々を重ねる。日々に原点はあるのだ。

初心の純朴さを忘れず
心が動いたあの日あのとき
縁を活かしてこそ生きることができる。


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とことん国語主義・現場主義

2021-03-17
小学校で「国語」を大切にすること
現場に立たされている感覚で物事を考えること
まず自らの足場を固めよ

大学学部を卒業する際に、「研究者か教育者か」という二者択一に悩んだことがあった。恩師の影響もあって志高く「研究」の道を進みたい気持ちは強かったが、大学4年間の言動をよく知っていた親友が「現場の教師が向いている」と強く勧めてくれたこともあり、まずは非常勤講師で高等学校に勤めた。すると授業・部活動・学校行事などに向き合い、「現場」が間違いなく大好きな自分を発見することができた。勤務校が甲子園や全国高校サッカーで上位に喰い込む強豪校だったこともあり、応援や部活指導にものめり込み大学時代と変わらぬような青春の延長で20代を過ごした。仕事は多くの先輩たちを見廻してやり方を学び、次第に自分で行動や判断ができるように足元から固めた。そんな中でも、何より大切なのは「国語」であり「ことば」であることは忘れなかった。

そんな生活をして10年が近づく頃、再び「研究をしたい」という志が頭を擡げた。プロスポーツに進む教え子に多く接していて、自らは「国語のプロ」としていかに評価されるべきか?という問題意識が高まったからである。研究者を目指していた同級生よりは10年遅れで、再び修士から裸一貫で自らの給与で学費を払い挑戦を開始した。学部の恩師には「そんなに簡単に大学教員になれると思っているのか」と叱責されたが、人生を賭した「本気」が試される時かと日々の苦闘に耐え抜いた。思い返せば僕が学部卒でそのまま修士・後期課程に進んでいれば、まだ短大などを含めて日本文学の公募採用が少なからずある時代であった。しかし、その後は「日本文学」の看板が大学・短大から尽く降ろされ、自分の専攻での大学教員就職は困難を極めた。しかしある大学の先輩は僕に常に告げていた、「きっと君に追い風が吹いてくる」と。それは「10年遅れ」を大逆転する流れで、教員の実務経験がある者こそが教員養成の採用候補として有利になるというものであった。かくして僕は「現場の教員が研究も極めて後進を教員として養成している」という、とことん現場主義で今を生きることができている訳である。

また「国語」「日本文学」「和歌短歌」を専攻したことも大きく
そしてこの現場主義の志を共有する先生との出逢い
何より志高き学生たちとの出逢いが僕の今を支えている。


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〆切があればこそ

2021-03-15
余裕を持って提出する派
間際ながら間に合わせる派
そして〆切が来てから原稿に着手する派まで

13日の心の花宮崎歌会で「〆切」についての話題になった。歌評をしていた伊藤一彦先生が、〆切について様々な姿勢の人がいて面白いと仰った。隣の俵万智さんに「俵さんは〆切を守る方ですか?」と伊藤先生が問い掛けると、「私は臆病な方なので」とどうやら〆切を守る方だとの答えだった。文筆を生業とする者にとって原稿〆切というのは、必ずつきまとうものでその姿勢にも個々人の習性が出るものと思う。ゴールである【〆切=提出】が基準になるようだが、実は【作業の始動】に連動しているのが必然である。原稿を書く契機である依頼や募集がわかった時点から、いつ仕事を始めるか?中高教員をしていた頃は、生徒らの答案が出るとすぐに採点に取り掛かる教員と少し寝かせる教員がいたように記憶する。

文筆は寝かせることも大切な場合がある。書いたらすぐに提出できるわけではなく、そこから少し寝かせて推敲すると効果的だ。その時間を見越して、〆切日までの段取りを組まねばならない。冒頭に記したように伊藤先生が紹介した「強者(つわもの)」として、〆切が来てから原稿を書き出すタイプの人がいるようだ。「〆切」の設定そのものにも余裕があると高をくくっているのか、はてまた追い込まれないと力が発揮できないのか。人が意欲的に動く習性というのも様々である気がする。辛く嫌なことは先にやるか後にするか?自分が自然に取り組みたい気持ちを大切にするか?いずれにしても「〆切」があるからこそ、文筆の意欲が生じるともいえそうだ。手帳の見開き1ヶ月式のページを見て、この時間をいかに物にするか。日々の【始動】を意識して歩みたい。

原稿のタイプに左右されることも
「いつ頃までなら」に甘えてしまう場合も
人生は後回しにしていては損をすることも少なからず。

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なにゆゑに旅に出づるや

2021-03-06
「なにゆゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや、何故に旅に」
(若山牧水『死か藝術か』より)
命の限り旅は続く

人生は旅である。古来から多くの詩歌人が旅に出て、その感慨をことばに表現してきた。だがなぜ旅に出るのだろう?「道祖神の招き(『おくのほそ道』の冒頭の一節)」なのか?はてまた「流れる雲を追いかけて」なのか?冒頭に記した牧水の歌は、旅に誘われてしまう自分という存在を自問自答した一首である。「五・七」のリズムが読点(「、」)を上手く配して再現され、最終句の「五・八」という字余り感が人間の永遠のテーマであることを実感させてくれる。新型コロナ禍で旅に出るのが憚られる今こそ、思考の旅に自問自答する時かもしれない。僕らは今も果てなき旅の途中なのである。

ともに仕事に向き合った同僚が、職場を移動することになった。その挨拶を聞き、あらためて前述したような思いが巡った。出生地ではないこの地で大学に勤務し、家族とともに生活をすることそのものが旅でもある。しかし、人生は旅であるゆえ「此処」で出逢う車窓からの光景に自らを投影し何かを語る必要がある。その出逢いから得られるものが、自らの「旅」にどんな意味をもたらすのか?牧水が出生地である宮崎を離れ、東京で恋と短歌の世界を旅し、静岡の沼津を終の棲家(ついのすみか)としたことにも牧水の短歌の偉業に大きな影響があった。かの地で出逢えた人・物・事に、自らの人生の旅がどんな反応をしていくか。この奇跡のような偶然を、自らの人生にいかに意味付けるか?はなむけの思いは、すべて自らの自問自答として帰って来るものである。

地方の生き方が見直される今
僕は10年も前からその旅にあくがれていた
去りゆく友の言葉が自らの旅を炙り出すのである。


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お内裏様とお雛様 二人並んですまし顔

2021-03-04
親友の仲睦まじき夫婦
雛祭りケーキを買いに行くと混雑で
「春の弥生のこの佳き日 今日は楽しい雛祭り」

SNSとは誠に便利なもので、友人の誕生日を尽く知らせてくれる。全ての方にというわけではないが、概ね誕生日を祝うメッセージを送るようにしている。3月3日は雛祭りであるが、この人の誕生日がこの日であったか!などということにあらためて気づくことがある。親友の奥様がこの雛祭りに誕生日だということで、ご夫婦をお内裏様とお雛様に見立てたお祝いのメッセージをお送りした。なるべくは戯れ歌(短歌)を送るようにしているが、その三十一文字の中に当人の名前も隠し題として詠みこむことにしている。和歌短歌はコミュニケーションツール、心は三十一文字という短い中に十分に込めることができる。前述したようにSNSがあることで誕生日メッセージを送る人が確実に増えたわけだが、月並みなメッセージを送るのはどこか他人事のように思えてしまう。

雛祭りということで、早めに研究室を退散し最近惚れ込んだケーキ屋さんへと車を走らせた。店の前まで行くと駐車スペースがいっぱいで、仕方なく裏路地を周回した。戻ると狭い1台分が空いたので駐車、しかし店内は時間帯もあるのだろう、たいそうな繁盛ぶりであった。こんなに多くの人たちが雛祭りにはケーキを食べることにも、あらためて驚かされた。父母用に1セット、自分ら夫婦用に1セット、二つの箱を抱えて再び車に乗り込んだ。唐突なお土産に母も喜んでくれたが、帰宅した妻がちらし寿司を作ってくれた。自ずと雛祭り気分は上昇し、平安な世を想像することで心は安らいだ。ケーキは「桜モンブラン」という代物が、雛祭りを演出してくれたが、その和菓子的な桜の味が何とも上品で美味しかった。

「お嫁にいらした姉様に よく似た官女の白い顔」
そういえば妻の実家には義母手作り雛が鎮座していた
季節を噛み締めるための節句として味わいたい


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酒場の上質は普遍なりー吉田類さん酒場放浪記1000回記念

2021-02-23
吉田類さん「酒場放浪記」1000回記念
酒場では大声をあげたり怒ったりしてはならない
「酔ひそぞろ天には冬の月無言」(吉田類さんの俳句から)

「酒場放浪記」で吉田類さんが訪ねる酒場が、2003年の放送以来で1000回に到達した。この日はスペシャル版が放映され、東京下町森下の酒場の原点たる「山利喜」さんが紹介された。森下といえば深川と隣り合わせ、かの芭蕉翁も庵を結んでいた俳句ゆかりの土地である。類さんは「酒場詩人」とも称し、嘗ては俳句の会なども主催していたようだが、酒と短詩系との繋がりは厚い。大晦日スペシャルで若山牧水の足跡を辿ったのも、「酒」と「旅」というキーワードでの繋がりであった。実は数日来、別件で俵万智さんと連絡をとっていたが、前日に1000回記念にリモート出演すると教えてくれた。相互の酒の歌三首・三句の対話はなかなか面白かった。俵さんの「(類さんの)一人の背中」に焦点を当てた短歌も冴えていた。

まだ2014年頃であったか、MRT宮崎放送の企画で吉田類さん・俵万智さん・伊藤一彦さんの鼎談が実現し、市内の会場で生ライブを聞くことができた。実は、僕は東京でも常連として懇意にするワインバーが類さんの御用達で、東京堂という神保町の書店でトークイベントがあった後に、ともにグラスを傾けた経験がある。実に良い方で真実に酒が強く愛している印象であった。この日の放映でも語られたが、酒場では大声を出したり怒ったりしてはいけないなどと、神保町の名店酒場「兵六」の掟にあった。したがってコロナ禍で制約を受けても、「私は(騒ぐのを制約されて)苦痛ではない」と類さんは語っていた。酒場とは「酒を愛する」場である。世の酒好きの多くが慕う類さんのお言葉、コロナならずとも酒場には庶民の「上質」があることを再確認したいものだ。

8月には国文祭・芸文祭で宮崎にも
若山牧水の短歌が吉田類により新たな読み方も
「酒はしづかに飲むべかりけれ」


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今日という「一点」は将来につながる

2021-02-03
「先を見通して点をつなぐことはできない。
 振り返ってつなぐことしかできない。
 だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない。」
(真山知幸氏メルマガ掲載。スティーブ・ジョブズの言葉から)

「役に立つか、役に立たないか」という観点で現在の行動の正否を判断する、世知辛い世の中になった。学校でも「試験に役立つか?」「入試に出るので役立つか?」といった対労力効果ばかりで学びを縛り付けてしまう児童生徒、さらには教員までもが多いのが現実かもしれない。だが人の将来の可能性はそう簡単に見通せるものではなく、学ぶ時点で「役立つか?役立たないか?」はまったくわからないものだ。むしろ将来のある時点で「役立つ」ものは、現在は「役立たない」ように見えることが多いかもしれない。もとより「無駄」であるとか「不可能」であることが、当初から確定している訳ではなく、頭で判断するばかりでは「現実」はわからない。一縷の望みでも、足を踏み出してみることが大切なのである。

冒頭に記したAppleの創業者・スティーブ・ジョブズの言葉が、友人の著述家・真山氏のメルマガに掲載されていた。彼との出逢いがあった10年以上前を振り返ると、様々な「点」がつながって来ている。当時は僕自身が中高専任教員を辞し、大学非常勤となって研究職キャリアを築きあげることに踏み出すや否や?という大きな岐路に立たされていた。世に云う「フリーランス」であり、研究という「著述」だけで身を立てるのは大きな冒険であった。自由な身に踏み出すとすぐに東日本大震災があり、日本列島が様々な意味で大きく揺れた。幸い2年間の非常勤(フリーランス)のみで現在の大学専任教員として就職できたので、そのリスク多き決断は「果敢な挑戦」として彼からも讃えられた。そして現在は、真山氏自身が「著述家」(フリーランス)として自立した。

振り返って「点」がつながった
日々を「今日が最後」と思って必死に闘い続けること
「今日の点」が将来つながると信じる者だけに幸福な未来が与えられる。


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もしものいまよりいまの今

2020-11-24
8年前の運命が違っていたら
いま頃はどんな生活をしていただろう
あらゆることが運命的な今

妻と朝晩のウォーキングに出るのが日課になった。この日は休日で朝はゆっくりして休止したが、晩御飯後はいつも通り肌寒さにもめげずに実行した。その約20分〜30分の間に、歩きながら話すことがなかなか大切のような気がしている。自らの脚を動かしながら話すのは、時間の概念を巻き込むようで不思議に思うことがある。しかも前に進み続けなければ自宅へは帰れない。円環するコースにありながらその景色の変化にも多々気づくようになった。昨日は8年前の採用面接記念日であるが、その話題に花が咲いた。「もしもその面接で不採用になっていたら」という想定の妄想なども抱く。「今ここを歩いていない自分」は、まったく想像できないと思いながら・・・

他大学で最終選考まで残ったところ、また後に研究分野や業績ではなく年齢構成等の条件で不採用となったと聞かされたところ、人生にいくつかの選択肢が用意されていたとしても、宮崎に決まった必然を思う「今」がある。京都に住んだら研究の方向性も違っていただろうか?母の故郷の大学だったら、母は東京から故郷に戻ったのだろうか?温暖で自然と食材に恵まれた宮崎であることは、大変に大きな恩恵をもたらせてくれていることに気づかされる。あらゆる物事は相対化してこそ、その価値の真実が見えてくるものだ。宮崎での短歌との濃密な出逢いがなかったら、と考えると恐ろしくさえ感じられる。何よりこうして妻と美味しい空気を吸いながら日々歩めること、採用・赴任の条件としては考えもしなかった人生最上の幸福が此処にある。

住む街の暗さを感じた頃が懐かしい
日の出月の出それぞれが楽しめる東の大きな空に向かい
「いまの今」の幸せがあらゆることを生み出してくれる。


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絵画の心はどこなのだろう?

2020-11-02
宮崎県立美術館特別展
「美の旅ー珠玉の東京富士美術館コレクション展」
しばし絵画の世界の住人へ

前述の美術展の会期終了が迫る中、妻と朝から当館を訪れた。芸術の秋にふさわしい名画の数々を鑑賞し、ルネッサンス時代から現代に至るまでの西洋絵画の流れを堪能できた。今回、特に心に留めて観たのは、「絵の心はどこにあるか?」ということ。肖像画ならば「眼」となるであろうか。しばらく観ていると「心はどこ?」というだけでは鑑賞にならないことを悟るようになった。肖像画の「眼」には魂、「手」に命、「心」というなら口の奥にありそうな気がしてくる。よく映像作品に絵画から人物が抜け出す場面があるが、肖像画が現実に浮き出してきたら「どんな声だろうか?」などとしばし考えていた。

幼稚園の頃から絵を描くのが好きだった。同居する叔母が絵画に嗜んでいたからかもしれない。実家近所の絵画教室に通い始め、先生にはかなり見込まれていたように思う。小学校半ばで剣道の道場に通うために絵画教室を辞める際は、かなり先生に惜しまれた。もしそのまま教室に留まり絵描きを続けていたら、どんな人生になっていたのだろう。小学校で毎年行われる「写生会」では、1年生で「特選」に入賞し、以後6年生まで必ず毎年「入選」を果たすことができた。構図を切り取って絵の具を塗っていくことに、不思議な集中を感じたあの頃であった。人生でどれほど芸術に向き合えるのだろう。あらためて自己の内部に眠っている才覚を呼び覚ましてみる。

82点を観終わって不思議な疲れが
絵の世界に入り込み過ぎたのだろう
いつも心に芸術の潤いが欲しい


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決して一人で生きてきたわけじゃない

2020-10-28
この人あの人に支えられている
コロナ禍でさらに思う人との関係性
苦境に思い浮かべる顔と顔

心の支えとなる人の顔が、どれほど浮かぶだろうか?そしてその人々のことは、どんな状況になろうと大切にし続けているか。人生は出逢いの連続であるが、特に相性もよく長きにわたり付き合いたいと思う人々は大切である。コロナ禍は、我々の生活をもう元に戻すことはないであろう。「元通り」を求めている以上、その渦の中に呑み込まれて溺れてしまうだけである。こんな情勢下で、支えられてくれた人々と逢うことも儘ならなくなった。だがそれでいじけてばかりもいられない、その人々に向けて言葉を投げ続ける必要もあろう。人間にとって一番の後退は、「言葉を失う」ことである。支えられたと思える人々には、通信手段が様々にある現代だからこそ、せめて「言葉」は送るべきである。

我々はいま、どんな地点にいるのかがわからなくなった。第1・第2の波があったが、この秋冬はどうなっていくのだろうか?手帳は年度内まであるのだが、あと2ヶ月の年内、そして新年の1月から3月まではどんなことになるのだろうか?これまでの波がボディブローのように効いて、冬越え年越しに跳ね返って来ないだろうか?などとまったく先行きは不透明であるのだが、「新しく」前に進まないわけにはいかない。むしろ仕事の采配も個人的な人間関係も、その本質が見えてきているのではないかと思う。「10年後に消える職業」は、既に為されてきた様々な予測を超えて顕在化してきている。むしろ仕事と人間関係の「新しい未来」に向けて、「いま」が試されているのではないだろうか。

ありがたき人々のあたたかさ
多くの人が早く宮崎に来たいと言ってくれる
我々にはどう足掻いても「明日」しか用意されていないのである。


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